2015/1/30

高山堂のいちご大福  携帯電話から投稿

大阪出張、冬の定番土産と言えば、

高山堂の「いちご大福」です!

あぁ〜、堪らんわぁ…

ジューシーな旬のいちご
それを包んだ上品な甘みの餡に
もっちりとした食感の餅。

三拍子揃った美味しさです

そんじゃそこらのいちご大福とは違いまっせ〜

ただ、久しぶりに買ったら、6個入りが以前より200円の値上げだ、
と夫がぼやいていました

何もかもが値上げの時代ですねえ…
食料自給率がカロリーベースで39%しかない食料輸入国の日本が、
現在の円安状況では値上げラッシュも仕方ないのでしょうか?
(因みに北海道の十勝地方は例外で、
食料自給率1,100%だそうです)


高山堂いちご大福

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2015/1/30


今朝は今年一番の寒さ。室内にいても、床からシンシンと冷気が伝わって来る。

現在、外の気温は2度。

夜中に雪が降って、家々の屋根が真っ白になっている。
今は雪混じりの氷雨が降っている。

予め決まっていたこととは言え、こんな日に外出しなければならないなんて…

罰ゲームみたい(なんて言ったら、雪深い地域の方々に怒られそうですが…)

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結局、午後にはすっかり屋根の雪も解けて、
この時期にはよくある「氷雨降る寒い1日」と言う感じでしたね。
働いている方々は普段通りに出勤して、普段通りに働いておられたし、
「罰ゲーム」なんて言った自分が恥ずかしくなりました

今日は夫に代わって某省の支所に行って来たのですが、
私の質問に対して、窓口の方は曖昧な返事を繰り返すばかりで、
誠意が感じられませんでした。
言葉こそ丁寧ですが、ニュアンスとしては、
「根拠となる証明書類を持って来やがれ!話はそれからだ」と言う感じでした。

窓口係と言う立場上、そう言う対応しかできないのかもしれませんが、
最初は「主張の根拠となる規約を確認しろ」の一点ばり。
私は当該事案について、最終的にどこで対応して貰えるのか知りたかったのに、
人が知りたい内容にきちんと答えず、適当にはぐらかすような曖昧な対応に、
少しイラッとしました。
しつこく食い下がって初めて、その支所で対応する旨の回答を得られました。

なんだかなあ…これがお役所仕事と言うものなのでしょうか?
誰も面倒なことに関わりたがらないし、責任を取りたがらないと言う…


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2015/1/29

今日は久しぶりに  携帯電話から投稿

上野に来ています。

都美で開催中の「新印象派展」を見るために。

本日も晴天なり!

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2015/1/28

自分も人のことを言えない件(^_^;)  日々のよしなしごと

 駅前まで出たついでに、スーパーマーケットで両手で抱えるほどの食材を買った私。いつものようにバスを降りて自宅に向かって歩いていた。

 前方からは冷たい風が吹き荒ぶ。生憎両手は食材の詰まったレジ袋で塞がっているので、目にゴミが入らぬよう目を細めながら、やや猫背になって歩いていたら、前方から来た見知らぬ年配女性に、思いがけず声をかけられた。

 ちょうどその時、どうせ後少しで家に着くからと、車中からイヤホーンを装着したまま音楽を聴きながら歩いていたせいか、女性が何と言ったのか聞こえなかった。

 私はとにかくおっちょこちょいで、例えばコート代わりに着た厚手のカーディガンが表裏逆になっていることも珍しくないので、また何か他人様が気になるようなことをしでかしたのかと内心ドキッとした。

 イヤホーンを片耳から外し、改めて聞き返すと、女性は少しバツが悪そうにこう言った。

 「寒いわね。」

 その女性には、前方から向かって来る私の姿がよほど寒そうに見えたのだろうか?(実際は冬生まれな上に厚い?脂肪を身体に蓄えているので、寒さには比較的強く、暑さに滅法弱い)

 下町の住人という気安さで、見知らぬ私にも声をかけたのだろうか?

 ほんの挨拶程度の、あまりにもシンプルで、当然と言えば当然の一言を、見知らぬ女性に二度も言わせてしまったことに、私も些かバツの悪い思いがした。

 「そ、そうですね…」と相づちを適当に打って誤魔化すと、足早にその場を立ち去った。


 もしも、もしもである。後方から、いきなり通り魔が刃物を持って私に走り寄って来たとして、前方の女性が私に注意を呼びかけたとしても、今回のようにイヤホーンで両耳が塞がっていたら、女性の声は私に届かない可能性大である。そして、あえなくやられてしまうかもしれない…

 ながら歩きはいけませんね。ながら歩きは
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2015/1/28

私がブログを続ける理由  日々のよしなしごと

 私がブログを細々ながらも続けているのは、自己満足以外のなにものでもない。

 始めたのが2005年の11月だから、今年で丸10年になるのだが、ずっとコンスタントに書き続けて来たわけでもなく、途中記事を書く意欲が失せて半年ほど書かないこともあったりしながら、どうにか今日まで続けて来た。誰かに頼まれたわけでもなく、止めたとしても誰かに惜しまれるものでもない私的な日記であるからこそ、こんな風に気楽に、のらりくらりと続けて来られたのだろう。

 そんなブログでも、自分にとってはかけがえのない人生の記録になっているのは間違いない。時折、昔の記事を読み返すと、確かに自分が、時には苦心惨憺して書いたはずなのに記憶にないことも多く、当時自分が考えていたこと、興味を持っていたことを改めて知る驚きがある。これが、"現在とは違う過去の自分"と対面しているようで、思いのほか面白い。私のやること為すことに逐一厳しい評価を下す息子も、「だからブログは続けた方がいいと思うよ」と言ってくれた。

 日々、どの記事がアクセスされているのか興味があってチェックするのだが、もう何年も前の記事なのに、コンスタントにアクセスを重ねている記事が幾つかある。既に300以上の大学からアクセスを受けている記事は、そのテーマ性から、学生のレポートの素材にでも使われているのだろうか?

 また、ベストセラー本の感想記事などは、その本が巷で話題にのぼるたびにアクセス数が伸びて、一時はグーグルの検索の筆頭に、その後半年以上に渡ってグーグルの検索の1ページ目に私の記事タイトルが載っていた。そうなると、そこからアクセスして来る人も多くなる。自分の個人的な日々の記録とは言え、多くの人に読んで貰えるなら、どんな感想を抱かれたにせよ(←ははは、知らぬが仏)、素直に嬉しいと思う。

 また、昨日、偶然知ったことなのだが、私が書いたブックレビュー?を著者ご自身が読んで下さったらしく、私への謝辞と共に私の当該記事のアドレスを載せてツィートして下さったこともあったようだ。これにはビックリだ。道理で一時期、この記事のアクセスが多かったのか。

 ネットはややもすると負の側面ばかりが取り沙汰されがちだが、このように現実世界では知り合えないような著名人とも、無名の一個人がネットを介して接点が持てるメリットもある。もちろん著者とは何の利害関係もなく、ただその著書に感銘を受けて、感想を率直に述べただけの記事なのだが、それが著者の目に触れて、著者によって広く紹介していただいたのは、記事を書いた者としては望外の喜びだし、ブロガー冥利に尽きるとも言える。

 最近は、ブログの内容も含め、自分自身に進歩がないのが悩みの種にもなっているのだが(これはイコール日々の努力が足りない、向上心が足りないと言うことなのかもしれないが…兎にも角にも気力が減退している)、昨日の思いがけない小さな発見は、萎れた心に少し水を差して貰ったような励みになった。

 ブログをはじめ、いろいろな意味で、もうチョット頑張ってみようと思う

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2015/1/26

JR鶴見駅まで散歩  散歩の記録

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 昨日もポカポカ陽気に恵まれたので、思い立って自宅からJR鶴見駅まで歩いて来ました。

 馬には人参、と言うことで(笑)、終点の鶴見駅ビルの紅虎餃子房でのランチを楽しみに、自宅から約50分の道のりを歩きました。上の写真は途中で通過した鶴見川。海側の工場地帯を遠くに望みます。海外駐在から帰国して直後はこの付近に住んでいました。川縁にはイトーヨーカドーもあるので、かつてはよく通った道でした。

 ルートの殆どが歩道の幅も広く、自転車道も整備された、坂もない平坦な道なので、50分と時間はかかりましたが、楽な道のりでした。私は日差しが苦手なのでサングラスをかけ、ニット帽とマフラーにダウンコートを着込んで行ったのですが、汗ばむほどの暖かさでした。途中でマフラーを外してしまったほどでした。

 ほぼ快適な道のりの中で、ちょっと憤慨したのが、自転車道があるにも関わらず、数多くの自転車が歩道をかなりのスピードで通過したこと。自転車道は2台の自転車がすれ違っても何ら問題がない十分な道幅が確保されているのに、なぜか歩道を走る自転車が多いのです。こちらに向かって突進してくる自転車の為に、なぜ人間の方が気を遣って避けなければいけないのか?これでは何の為の人車分離なのか分かりません。最近は自転車による人身事故で死亡者も出ているのに。

 自動車の運転手にも当て嵌まることですが、人間は便利な移動手段を得てパワーアップすると、どうしても傲慢になる傾向があり、歩行者への配慮に欠けるところがあるような気がします。自分も普段自転車を利用するだけに、思わず自分の乗車マナーを顧みたのでした。

 道中では、私達と同様に散歩を楽しむカップルの姿を多く見かけました。特に年配者が多いでしょうか?私達夫婦も夫がリタイヤ後は日常的に散歩を楽しみたいと思っているので、先輩方の楽しそうな様子を見ると心強くなります。
 

クリックすると元のサイズで表示します そうこうしているうちに、目的地の鶴見駅に到着。駅ビルがリニューアルしてから初めての訪問です。いい汗をかいて、お腹も空いたので、早速、お目当ての紅虎餃子房鶴見店へ。

 この日は五目炒飯、四川風麻婆豆腐、油淋鶏(ユーリンチィ)、回鍋肉(ホイコーロー)、ザーサイ、卵スープを食べました。食前に夫は生ビール

 五目炒飯は言うことなし。美味です!しかし、四川風麻婆豆腐は四川風なので辛いのは当然としても、豆板醤の量が多過ぎるのか、醤の味が濃厚過ぎる味噌を入れ過ぎた味噌煮込み、という感じ。私は三口ほどで断念し、食べる気満々の夫に譲りました。夫はそれをペロリと平らげました。一体、どういう味覚をしているのか?!他に回鍋肉は予想通りのおいしさで、油淋鶏は唐揚げに油分たっぷりのタレなので少し油酔いしそう、と言ったところ。

 やはり、私にとっての紅虎餃子房は、五目炒飯に尽きますかね

 往路の歩数は6,000歩弱。横浜MM散歩では軽く1万超えなので、それほど負荷のかかる散歩ではなかったのですが、同じ風景を見て帰るのもつまらないし、地元の駅ビルで買い物の予定もあったので、復路は電車で地元の駅まで移動。

 その後、自宅までのバスに乗ったのですが、そこで思わぬアクシデント?発生!散歩の疲れとおいしいものを食べた満足感に、バスの揺れの心地よさも手伝って、つい寝入ってしまった私。目覚めると前の席に座っていたはずの夫の姿はなく、それどころか乗客も私のみで、バスは既に降りるべきバス亭から3つほど通過していました。このままでは、また鶴見駅に向かってしまう。慌てて、次のバス亭で降りたのでした。

 最近、忘れ物予防の為に、降りる時には「忘れ物なし」と声出し確認を欠かさない私達夫婦ですが、夫は「私」を忘れてしまったのです。私がバスを降りた頃に、やっと夫から電話がかかって来ました。

 当の夫はいつもスタスタと私の前を歩いて行く人なのですが(身長差から来る歩幅の差で歩くスピードが違います。基本的に九州男なので「俺に付いて来い」?と言う感じで、私のペースに合わせてくれることはありません)、昨日も途中までひとりスタスタと歩いて、ふと振り返って初めて私がいないことに気付いた、と言う次第。大事な妻である私を忘れるなんて、どこまでマイペースなのよ

 思い起こせば、その昔、家族で初めてスイスを訪れた時も、初めて乗った電車で、私と息子を残して、ひとりさっさと降りた前科のある夫です。

 寝入ってしまった私も私ですが、私が降りていないことに気付かない夫も夫。こんなヘッポコ夫婦の先が思いやられます。もっと、シッカリしないとね。

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2015/1/25

来たぞ♪紅虎餃子房鶴見店  携帯電話から投稿

自宅から歩いて50分で到着。

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2015/1/23

イスラム国に拘束された後藤氏の母親の会見  気になったニュース

 イスラム国によって湯川氏と共に拘束されたとされるジャーナリストの後藤氏。3日前にその映像がネットで公開され、その中でイスラム国は常識外れに高額な身代金を要求した。人質処刑のタイムリミットが迫る中、後藤氏のお母さんが、今、外国人特派員協会で記者会見を開いている。

 しかし、聞いていて、少し違和感が拭えない。論点がずれているような気がする。なぜ、ここで原子爆弾や原子力云々の話が出るのだろうか?まず、訴えるべきは、彼の1日も早い解放ではないのか?「神が造られたこの地球を原子力で破壊云々」は不要だと思う。逐次通訳者も、そこはプロだから無難にこなしてはいたけれど、論旨を整理して通訳するのは大変だったと思う。

 苗字が違うので、夫婦の離婚等で息子である後藤氏とは大分前に離別し、現在は疎遠なのだろうか?後藤氏の妻とも今回の件で初めて会話を交わしたと言うし、彼女の話を聞く限り、後藤氏の近況も正確に把握していないように思われる。

 息子の死の危険に頭が混乱し、しかも一般人で、大勢の人前で論理立てて話すことに慣れていないせいなのかもしれないが、せめて会見の前に準備した原稿を信頼できる誰かに読んで貰い、アドバイスして貰えなかったのだろうか?

 おそらく、海外で一斉に報道される段階では、編集された映像で、後藤氏救出を訴えた発言のみが切り取られた形で伝えられるとは思うが、会見を生放送で見た限りでは、彼女の切実な思いが、私には今ひとつ伝わって来なかった。

 NHKの情報番組「あさイチ」を見ている途中に、突然割り込みで入った生中継だったせいか、こちらも見る体勢が整っておらず、しかも突然中継映像はブチッと切られ、アナウンサーと解説委員と思しき2人が画面に登場して勝手に会見のまとめをして終了だったので、視聴者である私は、めまぐるしい展開とあっけない幕引きに否応なく振り回されたような、胸にモヤモヤとした違和感だけが残っている。

 何なんだ?このドタバタ…それだけ緊迫した状況と言うことなのかもしれないが…


 …なるほど、やはり支離滅裂な会見内容に、慌ててNHKは途中で中継を打ち切ったようだ。このお母さん、息子の命より、自分の信じるイデオロギーが大切らしい。何のための会見だったのか?子を想う母親としての情が感じられなかったのが、同じ母親として残念だし、悲しい。こんな会見で、世論が人質救出の方向でまとまるとは到底思えない。こんな会見なら、やるべきではなかったと思う。

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 先日、安倍首相の中東歴訪に関して危惧したことが、多少違う形ではあるが、現実のものとなって、私も複雑な心境である。拘束の事実は、首相歴訪から1〜2カ月遡るとは言え、歴訪時の首相の発言が、イスラム国の日本敵視の口実に使われてしまったのだから。

 ジャーナリストの池上彰氏も指摘していたが、人質事件発覚後の、訪問地イスラエルで行われた記者会見で、杉浦千畝氏のユダヤ人救出の話の直後に人質事件に言及したのも、拙かったと思う。池上氏は「ユダヤ人の救出と人質事件の救出を同じ文脈で語ったのが拙かった」と言っていたが、一般視聴者である私でさえ違和感を覚えたのだから、もう自分達以外の存在に対して憎悪しかないイスラム国の人間は、首相ひいては日本国民をユダヤの手先として、さらに憎しみの感情を増幅させたことだろう(→"日本は親ユダヤで反イスラム国家であるからして、攻撃すべき対象である"と言うイスラム国家側の攻撃理由にお墨付きを与えた形?) 。或いは、とにかく"攻撃ありき"で、つけいる隙を与えた首相に対して、「飛んで火に入る夏の虫」とほくそ笑んだのか?

 おそらく、杉浦氏のエピソードは予めイスラエル向けに用意されていたもので、それにイスラム国による人質ビデオの公開を受けて、事件に対するコメントを後付けしたのだろう。それだけ首相サイドも慌てていたのだろうが(後藤氏拘束については昨年の時点で政府は把握していたようだが、このタイミングでのイスラム国によるビデオ公開は予想外の出来事だったのか?しかし、注目を浴びたいイスラム国からすれば、今回の首相の中東歴訪は願ってもないタイミングだったはず)、もう少し慎重に発言して欲しかった。

 日本政府はあらゆるチャンネルを使って、「日本の中東支援があくまでも人道支援であること」を訴えると言っているが、そんな言い分がイスラム国に通じるわけがない。人道支援すること自体が反イスラム国に対する後方支援だと彼らは受け取るだろうし、それ以前に彼らには論理もへったくれもなく非イスラム国は須く彼らの敵であり、さらにフランスのテロがイエメンのアルカイダの関与が疑われる中で、彼らに対する対抗意識もあっての今回の人質事件アピールなんだと思う。

 西欧社会もフランスのテロが自国に波及することに頭を痛めていて、その対策で頭がいっぱいだろうし、人質解放の仲介を頼まれた穏健派のイスラム諸国にしても、風刺画に対する自国民の怒りをコントロールすることだけでも大変なのに、果たしてどれだけの国々が日本の為に真剣に動いてくれるのだろう?さらに最悪のタイミングで、先程、イスラム教の聖地メッカを抱え、イスラム諸国の盟主とも言うべきサウジアラビアのアブドゥラ国王の死去が伝えられた。今後、中東地域は益々混迷の度を深めて行くのかもしれない。西欧諸国との繋がりも深かった彼の死が、世界に及ぼす影響も計り知れない。これから世界はどうなって行くのか?

 
 最初にノコノコと紛争地域に赴いた湯川氏、その救出に向かった後藤氏(←彼の人道主義は崇高で、尊敬に値する。しかし、彼がジャーナリストとして体験的に身につけた危険回避能力をもってしても防げない悪辣さが、イスラム国にはあるのだろう。それを見抜けなかった甘さ〜多くの日本人の根底にあるであろう人間の性善を信じる思いが、悲しいけれど彼を窮地に追いやったと言えるのではないか?)、さらにフランスの風刺画に端を発した西欧諸国とイスラム世界の緊張状態の最中に大挙して中東訪問を行った日本政府、この三者に代表される(語弊があるかもしれないけれど) "平和ボケ"ぶりが、今回の事態を招いたと言われても仕方ないのかもしれない。

 国内にしてもけっして安全とは言えず、特に国のあらゆる機能が集中する東京と、米軍基地の集中する沖縄は、今後テロに注意が必要なのではないか?
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2015/1/19

浜離宮散策を楽しむ♪  散歩の記録

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クリックすると元のサイズで表示します 日曜日の昨日も好天に恵まれたので、夫婦で出かけて来ました。今回は、新橋駅界隈(汐留側)です。

 まずは腹ごしらえと、汐留シティセンタービル地下1階(駅から地下通路を利用するので、階数に注意!自分が今、どの階にいるのか一瞬迷うんですよね)にある紅虎餃子房 汐留店でランチです。

クリックすると元のサイズで表示します チッタデッラにあった紅虎餃子房が閉店して以来、久しぶりの紅虎餃子房。

 あの(ワタクシ的には)絶品の五目炒飯が久しぶりに食べられるのかと思うと、もう胸がワクワク。こんなことで胸が高鳴る私は、ある意味、幸せなのかもしれない。

 早速、あの鉄鍋餃子と卵スープが一緒になったランチ・セットをオーダー。中華だから、そう待たずに私達のテーブルへ。いや、もうね、誰が何と言おうと、私にとっては絶品の味なのです。自分ではこんなにおいしく作れません。

 夫はチンジャオロース・ランチを頼んで、二人で互いに分け合って食べました。かしこまらずに気軽に分け合えるのが中華の良いところ♪。チンジャオロースも黒コショウの利いた味でなかなか美味。でも私が家でチンジャオロースを作る時は緑・赤・黄ピーマン、タケノコをたっぷり入れるせいか、紅虎のチンジャオロースは野菜の量が物足りないかな。

 しっかり昼食を取り、お腹も心も満足したところで、次に私達が向かったのは、すぐ近くのパナソニックビル4階にある、パナソニック・汐留ミュージアム。そこで前日から開催がスタートしたエコール・ド・パリの画家パスキンの展覧会を見ました。この展覧会の感想は別途レポートします。敢えて今、感想を一言で表現するなら、トレビアーン"Très bien"でしたオススメです

クリックすると元のサイズで表示します  パスキン展で目も心も満たされた後、私達が向かったのは浜離宮恩賜庭園

 ここは元は、徳川将軍家の庭園だったところ。当時は「浜御殿」と呼ばれていました。明治維新以降、皇室の離宮となり、「浜離宮」と改称。その後、1945年11月に東京都に下賜され、今は都立公園として管理されています。

 関東大震災や戦災によって多くの建造物や樹木が損傷し、往時の美しさは失われたとのことですが、私の目には今の姿も十分に美しく、徳川家の時代に思いを馳せながら、ゆったりとした気分で、夫と共に園内を散策しました。

 一般に冬の景色は花が少ないせいか色彩に乏しく、寂寥感さえ覚えるものですが(だからこそ、きらびやかなイルミネーションがもてはやされるのかもしれませんね)、ここ日本には常緑樹で堂々たる姿の松があることを忘れてはいけません!松と言えば、同じく都立公園の「六義園」が思い出されますが、この浜離宮恩賜庭園も、松の姿が美しい。その凜とした佇まいには、気高ささえ感じます。

 まず、入園した私達を出迎えてくれるのが樹齢300年を誇る老松「300年の松」。6代将軍徳川家宣が庭園を大改修した際、その偉業を讃えて植えられた特別な松らしい。横に大きく張りだした枝にうっそうと繁る葉が、圧倒的な存在感を見せつけてくれます。まさに「将軍様の松」の雰囲気を湛え、今では「庭園の主」とも言うべき存在かもしれません。因みに、まだら模様に見えるのは、木漏れ日です。悪しからず

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 もう、松三昧、と言ったところですね
 
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 さて、入園口で手にしたリーフレットの花見頃カレンダーによれば、この時期はロウバイが見頃だとか。ロウバイを探して園内を歩く途中で、ひときわ鮮やかな色彩の塊を見つけました!

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 紅梅です!1月末の見頃にはまだ少し早いせいか、園内の梅園でも殆ど咲いていません。しかし、数少ない中でも、冬の柔らかな日差しに照らされて、鮮やかな紅色が真っ青な空の背景によく映えています。

クリックすると元のサイズで表示します 途中で偶然出会った園のボランティアガイドさんから、ロウバイは花木園(かぼくえん)にあると聞き、内堀に近い花木園に行ってみると、今度はそこで、小ぶりの可憐な白い花を見つけました。

 これがロウバイかと木に近づいてみると名札に「コブクザクラ(小福桜)」とあります。確かに幹を見ると、桜の木らしい。花見の季節に堂々と主役を張るソメイヨシノや色鮮やかな寒緋サクラとは違って、控えめな小ぶりの八重咲きの白い花。冬の寒空の下でひっそりと咲いています。そこが愛らしいと言えば愛らしい。

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クリックすると元のサイズで表示します さて、花木園には来たものの、肝心の見頃のはずのロウバイの姿が見当たりません。しばらく夫とふたりで、周囲にも範囲を広げて探しました。なにしろ、たまたま付いていた「コブクザクラ」はともかく、殆どの木に名札がついていないので、どれがロウバイなのかさっぱり見当が付かない。

 ところが、灯台もと暗しで、ロウバイはすぐ近くにあったのです。夫がスマホでサイトにアップされたロウバイの写真を探し出し、その背景に写り込んだ建物から、花の咲いている場所に見当をつけて探したら、思いの外近くで見つかりました。

 ロウバイの花は花弁が弱々しく頭を垂れていて、既に萎んだような風情を見せていたので、私達はそれが今が盛りのロウバイだとは気付かなかったのです。先程見た鮮やかな紅梅の印象が強すぎたのも、ロウバイの儚げな姿を見落とす原因だったのかもしれません。サイトで改めてロウバイを検索してみると、見頃のロウバイは、私が撮影したロウバイと違って活き活きとしていました。やはり私が見つけたのは、もう盛りを過ぎた、萎れかかったロウバイだったのかもしれません。

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 ロウバイは漢字で「蝋梅」と書きますが、"梅"とは言っても実際はサクラや梅の仲間ではなく、中国から伝来した時に付いていた名前をそのまま使用しているようです。何とまあ紛らわしい。でも花の少ない時期に咲くので、その黄色い花は、風景に彩りを与えてはくれますね。


 他に園内で目についたものの写真もアップしておきます。

 まず、潮入の池にかかるお伝い橋の途中に藤棚があるのですが、その袂に横たわる藤の老木の洞(ウロ)に感動して、思わず写真に納めました。まさに老練と言う形容が相応しい。

 
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クリックすると元のサイズで表示します 次いで、冬の風物詩、雪吊りです。

 北陸新幹線の開通も間近い(2015年3月14日(土))冬の金沢を象徴するものですね。金沢をイメージしたデザイン画にも、モチーフとして使われています。

 冬も殆ど大雪とは無縁な南関東で行う当雪吊りには、造園技術伝承の意図があると思われますが、一般の観光客からすれば、円錐形をした木の、底辺から頂点に向かって直線的に伸びる縄の幾何学的な美しさを楽しむ要素が強いような気がします。

 機能的でありながら美しい。まさに「用の美」ですね。日本にはそういうものが沢山あるはず。私はその殆どを、まだ見ていないような気がします。


 また、ここは大小幾つもの池と堀を有し、多様な水辺の景色でも楽しませてくれます。

 特に近隣の高層ビル群が水面に映り込んだ姿は、古(いにしえ)の庭園と現代の高層ビルのコントラストが不思議な調和を見せています。

 また、堀の水面の揺らぎに映り混んだ周囲の樹木の色が、クロード・モネが描いたような印象派絵画を思わせる色彩の妙で、そのあまりの美しさに、画家モネが自宅の庭の池に映り込む景色の刻一刻と変化する様を描きたかった気持ちが理解できたような気がしました。

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 私の記憶が誤りでなければ約7年ぶりに訪れた「浜離宮庭園」ですが、いまだに周辺道路で工事が続いており、新橋駅からのアクセスが相変わらず悪いですね。7年前とほぼ同じルートで迂回して、庭園入り口の大手門に辿り着きました。

 先日、某テレビ番組で、「日本のサグラダ・ファミリア」として横浜駅が紹介されていましたが、その理由が「もう100年以上、何かしら工事が行われ続けており、全面改修終了までに後何年かかるか分からないから」だそうです。日本は仕事に関して、もう少しキッチリしているのかと思っていたのですが、公共インフラ関連の工事は特に都心の場合、権利関係の複雑さもさることながら、案外、失業対策もあって、のらりくらりと進めているのかもしれませんね。


 とまれ、久しぶりの浜離宮庭園でしたが、わずか300円の入園料で、本当に贅沢な時間を過ごせたと思います。時間に余裕があれば、水上バスで隅田川の景色を楽しみながら浅草まで行っても良し。都心のオアシスとも言うべき素敵な場所ですね

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2015/1/18

今日の聞き耳  携帯電話から投稿

駅へ向かうバスの中で。

3才位の女の子が、祖母らしき女性と座っていました。

この女の子、とにかくよくしゃべる。しゃべるのが楽しくて仕方がない様子(笑)。

ひとしきり、しゃべった後で、ひと言。

「ねぇ、おばあちゃん、マミちゃんは女の子なの?男の子なの?」
達者な口から出た、あまりにも意外な問いかけに、祖母も一瞬絶句して(たぶん、ズッコケタ?)、次の瞬間大笑い。

「マミちゃんは女の子でしょ。男の子じゃないわよ。忘れたの?」

このやりとりに、周りからも笑いが漏れました。

考えてみれば、私達はいつの頃から、自分の性別を自覚するのでしょう?

自分の身体的特徴は「女性」と言う性に分類されるなんて、3才の時点で正確に理解できていないのかもしれない。

3才頃と言うのは、それまで母親に何度も繰り返し「あなたは女の子なのよ」と言われて来たとしても、たまに自分が「女の子」であることを忘れてしまう、まだ自覚があやふやな段階にあるのでしょうか?

私自身の子育ての期間中に、こんな質問をされた経験がなかったので、新鮮でした。

子どもって、やっぱり言うことやること、こちらの予想を超えて来るから面白いです。
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2015/1/18

浜離宮恩賜公園に来ています  携帯電話から投稿

今日も雲ひとつない好天で、散歩日和。

空気はヒンヤリとしているけれど、日差しの下はポカポカと暖か。

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2015/1/18

今日のランチ  携帯電話から投稿

久しぶりに中華の紅虎餃子房。

今日食べたのは、
五目チャーハン、鉄鍋餃子、チンジャオロースに卵スープ。

やっぱり、美味しい!

ご飯がパラッパラの五目チャーハン、何度食べても飽きの来ない味。
しっかり味付けされた鉄鍋餃子は、中国産黒酢と辣油で食べると絶妙な味わい。

以前はチッタデッラにも店舗があったので、
映画を見に行く時はよくそこで食べていました。

ところが、経営判断の速いことで有名な紅虎餃子房の社長。
不採算店のチッタデッラ店を今後も売り上げアップの見込みがないと見るや、
あっさり閉店させ、隣の鶴見駅駅ビルに新店舗をオープンさせました。

やっぱり美味しいので、今度は散歩がてら鶴見店に行ってみようと思います。

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2015/1/17

最近、思ったこと  はなこのMEMO

■大国ロシアが大国である所以とは…

 原油相場の下落で、ロシアの通貨ルーヴルの価値が大幅に下落したことに驚いた。ロシア経済を支えていたのが、結局、天然資源の輸出であったのを、今さらのように知った。

 そう言えば、ロシアの製造業で世界に名を馳せているメーカーが何一つ思い浮かばない。私が無知なだけかもしれないけれど。ロシアの広大な大地はロシアに富をもたらしているが、現代のロシア人は自身の手で一体何を生みだしているのだろう?

 すぐに思い浮かぶのは、かつてならトルストイやドストエフスキーに代表されるロシア文学や、チャイコフスキーやムソルグスキーのロシア・クラシック音楽、卑近なところではゲームソフトの「テトリス」、現在では世界で芸術の最高峰とされるロシア・バレエや、ソチ・オリンピックでの活躍も記憶に新しいフィギュア・スケートだろうか?昨日たまたま見たテレビ番組では、社交ダンスも世界トップレベルだと紹介されていた。意外にソフトパワーが凄いのか、ロシアは。

 ロシア発の工業製品を強いて挙げるならば、世界の紛争地域で最も使用されているカラシニコフ銃。銃規制の敷かれる日本で摘発される銃で最も多いのもロシア発のトカレフ。「死の商人」が世界で暗躍し、ハリウッド映画では残虐極まりない姿で描かれるロシアン・マフィアという、ダークな部分もあるのがロシア。

 ここ最近はウクライナ問題(←裏に米国中央情報局の画策があるとも言われている)もあって、世界で孤立感を深めるロシアだが、原油相場の下落は、そのロシアの弱体化を狙っての経済テロの側面もあるのだろうね。そのとばっちりを受けて、アメリカのシェールガス開発会社も倒産してしまったようだけれど。


□今、この時期に安倍首相が中東歴訪とは、タイミングが悪すぎるのではないの?

 今朝のニュースによれば、早速、最初の訪問地エジプトで首脳会談を行い、エジプトとの関係強化を表明したようだ。この後、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ暫定自治区を訪れる予定。

 首相は出発に先だって、以下のように述べている。
「中東地域の平和と安定は、日本にとって死活的に重要だ。エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナの首脳に対し、日本は積極的平和主義のもと、非軍事分野において強力に支援していく考えを伝え、地域の平和と安定に資する訪問にしたい」
「今回の訪問はパリにおけるテロの直後となるが、イスラム社会と過激主義は全く別のものであり、日本は、中東と共に寛容な共生社会を作っていくというメッセージを世界に向けて発信したい。また今回の訪問には約40社の経済ミッションの皆さんに同行していただき、トップセールスで大きな潜在力を秘めた中東の活力を取り込み、日本の成長につなげていきたい」

 欧州諸国のように帝国主義の時代に中東諸国を植民地化したこともなく、米国のように石油利権を巡って中東諸国の紛争に"積極的に"関わった経験もない日本は、欧米諸国と違ってイスラム諸国に対する偏見や優越意識は持っていない。湾岸戦争時にイラク側に付いたと言う理由で、ヨルダンに対して欧米諸国が経済的支援を一斉に取り止めた時も、人道的な見地から支援を続けた日本である。その目は公平、かつ冷静に中東諸国を見ている。

 しかし、湾岸戦争以降、イスラム過激派組織の目には、国内に広大な米軍基地を抱える日本も欧米諸国の側にいると映っているはずだ。フランスのテロ事件を受けて、欧米・イスラム諸国共に神経質になっているこの時期に、(おそらく、前々から決まっていた日程だとは思うが)多数の企業トップを従えての首相の大名旅行は、イスラム過激派組織を徒に刺激し、安全面で問題があるとは言えないのか?

 こんな時だからこそ、中東とは過去の因縁がない日本が積極的平和主義を実践しようとの日本政府の崇高な志も理解できないではないが、非イスラム世界との対話など端から眼中になく、いきなり暴力に訴えるテロリストに、日本の誠意は通じないように思う。今朝も、テロ直後に発刊されたシャリル・エブド紙の風刺画に対する大規模な抗議デモが、イスラム諸国の各地で行われたとの報道があったばかりである。中東諸国の国境線の警備も万全とは思えず、近隣のイエメン辺りからテロリストがデモの群衆に紛れている可能性も否定できないのではないか。さらに、「この間隙を縫って中東に営業をしかけるとは…」と、欧米(中・韓も?!)企業からの予想外の嫉妬を受けないとも限らない、と言うおまけ付き。

 道中、何事もないのを祈るばかりだ。
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2015/1/15

今、世界で起きている出来事について思うこと〜シャルリ・エブド襲撃事件  はなこのMEMO

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            ブリューゲル作《バベルの塔》

 乱れた世を一掃する為に神が起こした洪水から、信心深いノアとその家族は、地上のあらゆる種と共に箱舟によって生き長らえた。その後、神はノアの子々孫々に世界の土地を与え、散らばるよう命じたが、彼らは神の意に背いてひとつの地に留まり、天に届かんとする塔を築こうとした。その不遜な態度は神の怒りを買い、彼らは神によって共通の言語を奪われ、互いの言葉が理解できなくなってしまった。かくして、彼らは神の意のままに、各地へと散らばっって行った。塔が遺された地はバベル(→聖書的解釈で"混乱"の意)と名付けられた。

 これが、旧約聖書の創世記1ー9節で展開する、バベルの塔に纏わるエピソードである。このエピソードに因み、空想的で実現不可能な計画は、しばしば「バベルの塔」と比喩される。


 さしずめ現代は、ダイバーシティ(diversity)と言う概念が、「バベルの塔」に当たるのではないか?その概念を実現可能にするはずであった国際連合(国連)は近年形骸化が著しく、世界を束ねる組織として、殆ど機能していないように見える。

 ダイバーシティの基本概念は、「個々の"違い"を尊重し受け入れ」「その"違い"に価値を見出し」「個々の能力を最大限に発揮させる」こととされる。現在は会社組織の生産性向上を目的に取り沙汰されることの多い概念だが、元々は社会学の中で取り扱われた概念で、社会的マイノリティの就業機会拡大を意図したものであったようだ。

 ここで言う"違い"とは、単に「性別や年齢、国籍など、外見で分かる属性」のみならず、「表面的には見えない個々人の生い立ち、価値観、性格などの異なった背景や状況をも含んだ」"多様性"を指すものらしい。(参照:サイト『アパショナータ』、「ダイバーシティ」の項)

 社会や国家と言う単位で捉えられる「ダイバーシティ」は、社会や国家を構成する市民の「民族」的、「文化」的、「宗教」的、「思想」的、e.t.c…(価値観の)多様性を認め、それを受容し、個々人のパフォーマンスを最大限に発揮させて、社会や国家をより豊かで快適なものにすることであったはずである。
 

 ところが、世界の現状はそのメリットを享受するどころか、多様性が人々の間に摩擦や軋轢を生み、犯罪を誘発するなど、そのデメリットな部分が社会不安をかき立てる様相を呈している。

 
 時々刻々と発信されるニュース映像や新聞&ネットの記事を読むにつけ、私の頭にはさまざまな疑問が浮かんで来る。

 「言論の自由」とは何なのか?「言論の自由」の権利の下に、どのような表現も許されるものなのか?そもそも「言論の自由」とは世界共有の概念なのか?自国内ならともかく、「言論の自由」より信仰が優先される社会に対して、「言論の自由」を錦の御旗に、信仰を毀損するような表現を主張し続けるのは、言論の暴力とは言えないのか?それこそ、個々人の思想信条、信仰の自由を踏みにじる行為ではないのか?

 「言論の自由」とは、その価値を認めている相手に対してのみ通じる概念ではないのか?「言論には言論で対抗せよ」とは、イスラム原理主義で頭が凝り固まった、そもそも「言論の自由」と言う概念を持たないイスラム過激派には通じない話で、今回の仏紙の風刺画は、彼らに「攻撃の口実」を与えてしまっただけではないのか?(後日、アルカイダが犯行声明を出したのを見て、なおさら、そう思った。)それで結果的に命を奪われてしまうことに、どれだけの価値があるのか?

 もちろん、暴力による言論の封殺は卑怯としか言いようがなく、今回のテロ行為に対して私も憤りを感じているのだが、同時に犠牲者の死の理由に今ひとつ納得が行かないのも正直なところだ。(最近、中野京子さんの著書『名画で読み解くブルボン王朝 12の物語』でフランスの近世史を多少なりとも囓ったので、「言論の自由」がフランス国民にとっていかに重要なのかは、ある程度理解できるのだが、今回の「言論の自由」の為の、まさに「殉教」とも言える死への違和感は、結局、彼らと私の"価値観"の違いに還元されるのか…まあ、私も「言論の自由」の保障の下に、この記事を書いているのだけれど…)

 さらに私を困惑させたのは、襲撃された新聞社が事件後の最新刊で、イスラム教の預言者(神の言葉を預かり、神に代わって、それを信徒に伝える人)ムハンマドの風刺画を載せたことである。しかも、今回はフランス国内だけでなく、世界25カ国で発行されたと言う。それがテロとは直接関わりのない、世界に15億人いると言われるイスラム教徒を侮辱し、穏健なイスラム教徒の反発も呼ぶとは思わないのだろうか?今回の事件で新聞社が風刺画を止めれば、「言論の自由」の敗北とも取られかねない中で、発刊を続ける気概は素晴らしいと思うが、風刺する対象を間違えているのではないか?弾劾されるべきはイスラム教ではなく、過激派武装組織ではないのか?

 果たして、「言論の自由」に不可侵な領域、タブーはないのか?タブーを持つことは許されないのか?その主張の根底に"差別意識"(欧米人の、自分達以外の人間に対する前時代的な優越感?)が存在していたとしても、それは「言論の自由」として死守されるべき価値があるのか?声高にその意義を唱えられるものなのか?「言論の自由」を行使することで、尊厳が傷つけられる人がいることを一顧だにしないほど、「言論の自由」とは高次な概念なのか?時のローマ法王でさえ今回の事態を憂慮して、「言論の自由は無制限ではない」と述べている。

 近代西欧社会が、それこそ数多の血を流して獲得した権利が「言論の自由」なのだが、それが世界全体で西欧社会と同程度に認められている権利と思うのが、そもそもの間違いではないのか?今や世界各地で、各々がアイデンティティに目覚め、それぞれの価値観の下で生きており、それが脅かされると知れば黙ってはいない。「言論の自由」に対する思い入れの深さ、その許容範囲も、国によってさまざまなはずである。最初から「言論の自由」の下、何でもありきで持論を展開するから、価値観を異にする人々の反感を買うのではないか?一方的な価値観の押しつけは、傲慢以外の何ものでもない。欧米社会はそろそろ、自分達の価値観が世界の規範になるとの認識は、改めるべきだと思う。

 風刺画とは何なのか?元々強大な権力に対する非力な庶民の抵抗手段として生まれたのであれば、その対象の選択や表現方法に、もっと熟慮すべきではないのか?単に他者を貶め、蔑み、茶化しているだけの風刺画に、良識ある人なら嫌悪感を持つこそすれ、面白味など感じないのではないか? (個人的にはサッカーの川嶋選手を描いて、原発事故被害を揶揄したフランスの週刊誌の風刺画<→放射能汚染による身体の異形化>は本当に不快であったし、それに抗議した日本政府への週刊誌側の対応の冷淡さも記憶に新しい。)

 国民の実に7%を占めると言われる、ヨーロッパで最大のイスラム社会を抱えるフランスは、今さら排外主義もへったくれもないのではないか?因果は巡るで、現在のフランスは、帝国主義時代の中東アフリカ諸国の植民地化以来、現在に至るまで、現地を蹂躙し続けて来たツケが今、回って来ているだけではないのか?現地の人々にフランス語教育を徹底したが為に、移民の障壁が低くなっているのは否めない事実だ。今朝の報道では、フランスにおけるイスラムの最高指導者が、現地のイスラム社会に対して「反応すれば、さらに騒動は大きくなる」と、冷静さを保つよう呼びかけている、とレポートしていたが、その抑制がいつまで効くのか?フランスは否応なく国内にも大きな火種を抱えているのだ。

フランスの移民問題の現状を描いた映画作品:『サンバ』
中東の複雑で困難な状況を伝える映画作品:『シリアの花嫁』

 日本も少子高齢化で、働き手を移民で賄おうと政府は画策しているようだが、例えば、東京オリンピックに向けて建設労働者を海外(おそらく近隣のアジア諸国)から受け入れたとして、オリンピック後はどうするのか?母国で仕事にあぶれて日本に出稼ぎに来ている人間が、契約満了ですごすごと帰国するとは到底思えない。今でさえ、不法滞在者が少なくないザルな管理体制で、外国人犯罪も増える一方なのに、オリンピック後に来るであろう景気の反動で、職にあぶれた不法滞在者が不良化し、社会不安を巻き起こすのでは?と言う、私の漠たる不安は無用な杞憂なのだろうか?(その不安の根底には、何事にも中途半端な対応しか取らない日本政府への不信感があるのかもしれない…)

 一方で、高度な技能を持った外国人の受け入れは、制度的な不備からなかなか進まないようだ。尤も、ここ日本でも、フィリピン人や中国・韓国・台湾人など、アジア系女性を中心に、国際結婚による移民は確実に増えている。日本も今後、欧米並みに多民族社会が進展して行くのか?もし、そうなれば、どのような未来が待ち受けているのだろう?

 昨日のNHKの報道番組「クローズアップ現代」では、近年問題となっているヘイトスピーチを取り上げていた。日本でも、コリアンタウン周辺を中心に各地で、反韓デモ行進が行われているようだ。その様子の一部が映像で紹介されていたのだが、女子高校生と思しき若い女性が、「韓国人を殺せ」と叫んでいたのが印象的だった。

 番組制作者の映像の切り取り方にもよると思うのだが(→テレビは映像の編集によって印象操作がいかようにも出来るメディアだ。しかも映像のインパクトは活字以上に強い。そのことに留意しながらテレビ報道を受け止める洞察力が、視聴者には必要だろう)、他の映像でも別人の声で「殺せ」と聞こえたり、プラカードにもギョッとするような文言が書かれているなど、李明博前大統領の竹島上陸に端を発した、ここ数年の韓国の日本に対する一連の挑発行為に不快感を持っている私でさえ、デモの主張は行き過ぎだと感じた。他者・他民族に対して、安易に「殺す」なんて言葉を口にすべきではない。平和ボケのあまり、人の死をリアルに感じられないからこそ、「殺せ」なんて軽々しく口にできるのか?韓国人に対して、そこまでの憎悪を、いかなる理由で、日韓の歴史的経緯を目の当たりにしたわけでもない若い世代が持てるのだろう?まさかネット言論が、憎悪感情の増幅装置の役割を果たしてはいないだろうね?

 ごく最近のフランスのデモ映像は、「言論の自由を守れ」の声の下、襲撃された新聞社支持一色だった。そのフランスで今、450万人のイスラム教徒は、息を潜めて暮らしている。一方、フランスの動きに触発されるように、反イスラムのデモが大規模に行われた隣国ドイツでは、反イスラムに異を唱えるデモも行われたらしい。果たして現時点で、どちらの社会が、より健全と言えるのだろうか?何れにしても、移民を受け入れた社会の、移民との共存の難しさを改めて浮き彫りにした、昨今の状況である。

 昨日、仏国会で首相が「テロとの戦争」を宣言したのをニュース映像で見たが、国家がテロリストとマトモに戦争などできるものなのか テロは宣戦布告なしに行われるものだ。テロリストには国際法も関係ない。しかも狂信的なイスラム過激派にはもはや血も涙もなく、彼らは「死」をも恐れない。そんな人間性を失った者を相手に、既存の軍隊は互角に戦えるのか?これまでの軍隊の戦法は通用するのか?空爆の効果は限定的で、地上でのゲリラ戦では、どう見ても過激派の方が地の利もあって優位である。

 シリア・イラクを中心に勢力の拡大を続けるイスラム国、イエメン・アルジェリアを中心に世界各地に拠点を持つアルカイダパキスタン・タリバン運動、ソマリアのアッシャバーブ、そしてナイジェリアのボコ・ハラムと、イスラム過激派武装組織は、年々その所業が悪辣さを増し、特定地域のみならず世界の脅威となりつつある(未確認情報ではあるが、イスラム国のサイトにある世界地図には、イスラム国に敵対している国しか掲載されておらず、日本列島に当たる部分には沖縄本島のみが掲載されているらしい。つまり、広大な米軍基地を有すると言う理由で、沖縄はイスラム国のテロの標的になり得る、と言うことなのだろう。日本もけっしてテロと無縁ではいられないのだ)

 そもそもイスラム過激派が生まれた背景には、イラン・イラク戦争当時の米国が深く関与しており、そのテロリスト達が使用している武器の殆どは、紛れもなくテロリストと対峙する強大な国家で作られたものだ。またぞろ「死の商人」がほくそ笑んでいる姿が、目に浮かぶようだ(参考映画作品:ニコラス・ケイジ主演『ロード・オブ・ウォー』。因みに今回の銃撃事件で使用されたのは旧ソ連が開発したカラシニコフ銃。映画の主人公もロシア人武器商人である)。因みに、フランスは2012年の時点で、武器輸出額世界6位で、5位のドイツとは僅差である(参照:世界ランキング統計局)。フランスと言う国にとって、戦争はビジネスとしての旨味があるのは間違いない。このマッチポンプ、どうにかならないものか?

 しかも厄介なことに、今ではインターネットの普及で、世界の出来事が瞬時に世界中に伝わってしまう。周知のように、テロリストもインターネットを巧みに利用して、犯行声明や宣教や新兵のリクルートを行っている。互いの動きが、良くも悪くもリアルタイムに分かってしまうのだ。それが「憎悪の連鎖」を生んでいるのは間違いないだろう。昔なら互いに存在を知ることもなく、価値観のぶつかり合いで両者の間に波風が立つこともなかっただろうに。しかし、今さらインターネットのなかった時代には戻れないのだ。フランスが意気軒昂にテロ打倒を叫べば叫ぶほど、世界のどこかで新たなテロリストが生まれる構図。何だか虚しい。

 高度な文明を築いては破壊を繰り返し(結局、度重なる戦争で、数多の王朝が国家財政を破綻させている)…何度戦争を経験しても懲りない人類は、ハッキリ言ってアホだな。こんなに高い知能を持ちながら、こんなに破壊行為が好きと言うか、好戦的な種って、過去にいたんだろうか?この分だとその愚かさで、人間はまた近い将来、神の怒りを買いそうだ。

 今、世界を見る限り、ダイバーシティなんて、絵に描いた餅。もしかして、私達は第三次世界大戦への道筋を、今、この目でリアルタイムに見ているのだろうか?或いは、世界的規模で同時多発的に紛争が起きているのが現代の戦争の在り方で、これぞまさしく"世界大戦"と呼ぶべき状況なのだろうか?
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2015/1/11

今日の聞き耳  はなこのMEMO

山下公園から中華街に向かう交差点で。

大勢の人が行き交う中、何とも歯切れの良い、若い女性の発言が、
耳に飛び込んで来た。

「下を見ないで。前を見て。」

どうやら若いお母さんが、幼い男の子に注意を促していたらしい。

小さな子どもは視点が低いから、どうしても足下に目が行ってしまう。
小さな虫や、ゴミや、なんやかやが目についてしまう。
でも、横断歩道を渡っている最中に、そんなことに気を取られたら、
人にぶつかってしまう。

必要最小限の言葉で、的確に、我が子に注意する。
このお母さん、おそらく、いつもこんな調子なのだろう。

大好きなママの声を聞いて、我に返る子ども。

その光景を想像すると、微笑ましい

私には懐かしい、子育て風景のひとコマである。
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