2014/11/30

今、神宮外苑に来ています♪  散歩の記録

14時38分。

イチョウ並木も見事だけれど、人が多いのにビックリ!
ここを訪れたのは何年ぶりだろう。
たぶん、以前も同様の賑わいを見せていたのだろうけれど、
以前と変わったのは、やはり外国人観光客と思しき人々の姿が目立ったこと。

タイ人と思しきグループは互いに、イチョウと一緒に写真を撮り合って、
大はしゃぎだった。亜熱帯性気候のタイでは見られない風景なんだろうね。

道行く人の多くが足を止め、黄金色に輝くイチョウを見上げて、
夢中でカメラやスマホのシャッターを切っている。
去りゆく秋の一瞬一瞬を、逃すまじとカメラに納めている。

クリックすると元のサイズで表示します

この日の天気は朝から目まぐるしく、
日が射したかと思えば翳っての繰り返し。
朝には小雨も降ったので、
神宮外苑も路上は濡れ落ち葉の絨毯になっていた。
そのせいか、大勢見かけたベビーカーの車輪に濡れ落ち葉が絡みついて、
まるで落ち葉でできた車輪のように見えて、面白かった。

この日は地下鉄代をケチって、JR原宿駅から神宮外苑に向かったら、
思いの外遠く、イチョウ並木まで到着するのに30分以上かかった。
まあ、散歩が目的なので、それはそれで良かったのだけれど。
帰りは青山通りに出て地下鉄で新橋まで行き、JRで帰った。

夫は人のあまりの多さに、気持ちが落ち着かなかったとかで、
「浜離宮の方がゆったりできて良かったかな」と
今回の散歩には些か不満げだった。

でも、この黄金の並木は、ここでしか見られないよ。
私はこの並木が見たかったので、十分満足した。

イチョウ並木がすっかり落葉した頃、
人々の暮らしも年末に向かって、いよいよ慌ただしくなって行く…

2014/11/29

噂には聞いていたけれど、初めて見た  日々のよしなしごと

 電車に乗っていた時のこと。

 突然、ひとりの女性がつかつかと歩み寄って来て、私の隣にいた男性に声をかけた。

 「お兄さん、100円持っていますか?」

 イヤホンを装着しながらスマホの画面に見入っていた若い男性は、突然、見知らぬ若い女性に、予想もつかないことを聞かれて、とにかくドギマギしていた。

 件の女性はしばらく男性を凝視していたが、脈がないと見たのか、その場を離れて行った。そして、再び少し離れた席の男性に声をかけているのが見えた。

 
 その直後、電車はある駅に滑り込み、降りる人、乗る人で車内は一瞬ごった返し、次の駅に向かって出発した時には、その女性の姿は消えていた。

 きつねにつままれたような表情の隣の男性に、私は思わず声をかけてしまった。

 「あなた優しそうに見られたんじゃない?…噂には聞いていたけど、初めて見たわ」

 男性は苦笑いを浮かべるだけだった。

2014/11/29

大事な子供がどうなっても良いの?(怒)  はなこ的考察―良いこと探し

 今日、駅の改札を出た直後のことだ。

 大勢の人間が足早に行き交う雑踏の中で、見たところ2才にも満たないよちよち歩きの幼児がひとりで歩いていた。状況的に違和感があるので、弥が上にも目についた。

 こんな人ゴミの中で、こんな幼い子をひとりで歩かせるなんて、一体親は何をしているんだ?と思って幼児の周りを見てみると、確かに近くに親らしき人物はいた。若い女性がスマホを見て笑いながら、歩いている。目はスマホの画面に釘付けで、傍らの幼子に注意を払っている様子は一切ないどころか、周囲にも無関心なのは明らか。周りの人間がよけてくれているのが当然と言わんばかり。もうビョーキ。スマホ依存症。

 ここで突然、後方から誰かが近づいて来て幼児を掠っても、親は咄嗟の対応は無理だろうし、最悪、掠われたことさえ気付かないかもしれない。

 かわいい子だから、私が掠って行っちゃおうかなあ、と一瞬思ったが、良心がその悪魔な思いを押しとどめた。そのまま何事もなかったように通り過ぎることもできたが、目の前の幼子のことがやはり心配で、私は思いきって親らしき人につかつかと歩み寄り、肩を叩いて言った。

 「危ないですよ。お子さんの手を離しては。こんな人ゴミの中で」

 私はすぐその場を立ち去ったので、その後の母親の反応を詳しく見ていないのだが、もういい加減にして欲しい。

 大事な子供がどうなっても良いの?

 スマホに夢中になる親も親だけれど、そんな未熟な親を放置するのも、社会的責任としてどうなんだろう?育てられる子供にとっては"今、そこにある危機"なんだから。

 たとえ他人の子供であっても、親にどう思われようと、その子の身の安全を第一に考えて、もうさ、彼らより先に生きて来た分、さまざまな経験を積んだ上の世代として、注意しようよ。

 危ないのは危ないって。ダメなものはダメだって。

 せっかく生まれて来た命なんだからさ、みんなで守ろうよ。
 見て見ぬふりは止めようよ。


 これは近年、ニュース報道で露わになった(おそらく昔からあった。それが社会的な問題として認識されるようになっただけ)"児童虐待"の防止にも通じる話だと思う。

2014/11/28

東博「国宝展」に再挑戦  携帯電話から投稿

80分待ちだって(-_-;)。

正に長蛇の列。その中には腰が90度に曲がったお年寄りもいて、途中で気分が悪くなったのか(或いはトイレか?)、後方に並んでいたけれど、優先で館内に案内されて行った。

他にも80才は越えているであろう年配者が何人もいた。

私がその年齢になった時に、この長蛇の列に並んで待つ自信はないなあ…

皆さん、本当にお元気。尤も元気な人だけが、博物館に来ているのだろうけれど。

クリックすると元のサイズで表示します

2014/11/28

今日も上野  携帯電話から投稿

木の幹の文様にも独特の味わいがあって、良いね

クリックすると元のサイズで表示します

2014/11/26

色づく上野公園  日々のよしなしごと

クリックすると元のサイズで表示します


 今日の最高気温は9.8度。氷雨降る中、上野に行きました。

クリックすると元のサイズで表示します 2週間ぶりに訪ねた上野公園はすっかり秋色に染まっていました。

 この詩情豊かな風景を目の当たりにすると、私の住んでいる近所に季節感が乏しいのは、樹木が少ないせいなのだと、つくづく実感します。

 黄金色に輝くイチョウの葉。敷き詰められた落ち葉の絨毯も美しい。

 自然はまさに、樹木を素材に、季節を描くアーティスト。




クリックすると元のサイズで表示します 西美でSGTを終えての帰り、東博のパスポートを持っているので、現在開催中の「国宝展」を見に行こうと東博に向かいました。  

 入場門に到着すると、残念ながら「只今、入場まで1時間待ちです」と言うアナウンス。開催当初から大人気で、ずっと混雑が続いている展覧会です。そもそも東博の企画展はいつも大盛況。最近は、海外からの観光客も増えているようです。

 今日は他にも用事があったので、仕方なく踵を返して駅に向かいました。

 パスポートが使えなかったのは残念だけど、スケジュールには余裕を持って、けっして無理はしない。それが現在の私のモットー。

 今日は上野公園の深まる秋を賞美した、と言うことで…


 西美前庭にあるロダン作《カレーの市民》も、心なしか寒さに震えているように見えました。

クリックすると元のサイズで表示します



2014/11/24

どんな生まれかより、今をどう生きているか  日々のよしなしごと

 先日、友人二人との恒例のランチ会を開いた。場所はもう定番となった横浜のイタリアン・レストランだ。二人とは当初、同じ学校に通う息子達を通じて知り合い、長い歳月を経て、ママ友から子供抜きの友人関係へと至った仲だ。

 彼女達とはかれこれ10年以上の付き合いである。途中でひとりが病気で亡くなり、4人席のテーブルに通されると、いつも亡くなった彼女のことを思い出す。とても素敵な女性だった。上品で、いつも笑顔を絶やさず、愛に溢れた女性だった。私は彼女の言葉に何度助けられたことか。そんな彼女が亡くなったことが、5年経った今も、正直、信じられないでいる。

 残った3人は、半年に1度の割合で会っている。正確には、比較的近所に住むひとりとは、たまに一緒に映画を見に行ったりする仲だ。その友人は40代後半で、社会人の息子を持っているとは思えないほどの美貌の持ち主である。

 ただ、10年以上の付き合いともなれば、そういう相手の容貌など超越してしまって、その内面に惹かれて関係が続いているものだ。だから、普段接していて、彼女が人目を引くような美人であることを、私はすっかり忘れてしまっている。

 しかし、もうひとりの友人はそうでもないらしい。ランチ会で会う度に、彼女のいつまでも衰えない美貌を褒め称える。私から見れば、その友人も顔全体が小作りで、可愛らしい美人である。近々結婚する娘を筆頭に、3人の子供がいる母親とは思えない可憐さだ。そんなに人を羨ましがる必要もないだろうに。

 10年以上も付き合っていて、相手の容貌云々には、今さら感がある。私の中では、長く続く友人関係において、そういった要素はあまり意味をなさない。彼女の堅実さや聡明さと言った内面にこそ魅力を感じている。「いつ見てもきれいね」と言われている当の本人は、幼い頃から言われ続けて来て慣れたものなのか、特に照れるでもなく、戸惑うでもなく、淡々として、その話題はサラっと聞き流している。

 人それぞれなんだろうけれど、友人関係で殊更"優劣"に関わる話題を持ち出すことには違和感を覚える。そんなこと、もう、どうだっていいじゃん、私達の間では、と言う感じである。

 それよりも、今、「何をしているか」「何に興味を持っているか」の方に、私は関心がある。逆に言うと、今の自分について語れるものが何もないのは、ちょっと恥ずかしい。仕事でも、子育てでも、介護でも、自分磨きでも何でもいい。自分が日々懸命に取り組んでいること、関心を寄せていることが、自分をひとりの人間として育てて行くのだと思う。

 過去に拘ってばかり、(人によっては)過去の栄光にすがってばかりで、そこから一歩も前に進めないこと、徒に年を重ねただけで精神的な成長がないこと、確固たる自分なりの考えを持ち得ていないのは、恥ずかしいことだと思っている。

 年齢的にもそろそろ、"年を重ねて、経験を重ねて、内面的に成熟すること"に価値を見出したいものだ。 

2014/11/23

情けは人の為ならず(、巡り巡って自分に還って来るのだから)  はなこ的考察―良いこと探し

 今日、息子が都内での用事を終えて友人と田端で別れた後、秋葉原まで歩いて行く途中の日暮里駅近くで、年配の外国人夫婦に呼び止められたと言う。

 「宿泊先のホテルを探しているのだが、分からないので、助けて欲しい。」

 聞くと、トルコから来たばかりらしい。特に帰宅を急いでもいなかった息子は、二人をその場で待たせて、ひとりで駅まで行き、駅員にホテルの場所を教えて貰うと、そのまま二人をホテルまで送ったそうだ。件の夫婦はとても恐縮した様子で、「時間を取らせて申し訳ない」と繰り返していたそうだが、当の息子は「大丈夫です。時間はたっぷりありますから」と応えて、その場を立ち去ったらしい。

 息子は1才半の時に、トルコのイスタンブールを訪ねている。そのことを言ったの?と聞くと、息子は、どうして、そんな話しなきゃならないの?と反駁する。

 だって、あちらはトルコから日本へ来た。あなたは日本から(正確には当時駐在していた中東から)トルコに行ったことがある。それだけで、一気に心の距離が縮まるじゃない?お互い、親しみが湧くというもの。これこそ、身近な国際交流よ、と私。

 息子は、大げさだよ、とにべもない。

 とにかく、良いことしたじゃない。袖振り合うも多生の縁、情けは人の為ならず。あなたが施した親切は、きっと別の形であなたに還って来る、と言ったら、

 当たり前のことをしただけだよ、と、これまたクールな物言い。

 照れなのか、本気でそう思っているのか?

 振り返れば、私もトルコに行った時には、地元の人に親切にされたことがあった。図らずも、今回は息子が私の代わりに、そのお返しをしたと言うことか?

 さらに振り返れば、昔、私も息子と同じことをした。たぶん、今でも同じことをすると思う。そのことを息子の目の前でしたわけではないし、息子にそのことを話した覚えもないが、成長した息子が親の私と同じことをするとは、DNAの為せるわざなのか、はたまた私のこれまでの教育の成果なのか?(笑)

 何にしても、息子が損得勘定抜きに、そんな風に人に対して自然に振る舞えるのが、親としては嬉しい。やっぱり、"情けは人の為ならず"だからね。

2014/11/23

レンブラント絵画の光と影に挑む  文化・芸術(展覧会&講演会)

 先程、BBCのアート・ドキュメンタリーで、英国気鋭の写真家が、レンブラント絵画の光と影に挑む様子を伝えていた。可能な限りレンブラントの時代のライティングを再現して、現代の人々をモデルに肖像写真を撮る、という試みだ。光と影の繊細なバランスによって対象を表現するのは、カメラの最も得意とするところだ。レンブラント絵画を検証するには、ピッタリな道具と言えるだろう。

 モデルは70年代にパンク・ファッションの騎手として活躍した女性デザイナー、鬼才の映画監督(テリー・ギリアム氏)、カフェで人間観察に余念がないベテラン女優などである。

 英国のナショナル・ギャラリーは、レンブラント絵画を80点所蔵していると言う。羨ましい限り(現在、そのナショナル・ギャラリーで、『レンブラント展』が開催中のようだ。来年の1月18日まで)。その中から、老女の肖像画2点と独身壮年男性の肖像画を取り上げ、現代人をモデルに、その再現に挑む。時代衣装はナショナル・シアターの衣装室から借りる。原本は国立美術館、衣装は国立劇場からと、英国だからこそ実現できた企画のような気がする。

 再現と言っても、レンブラントが描いた肖像画をそっくりそのまま再現するのではなく、あくまでもモデルの内面を浮かび上がらせるレンブラント絵画の光と影の効果を検証するものだ。ライティングとモデルのポーズには徹底的に拘り、細かな指示を出す。

 アバンギャルドな老デザイナーの赤い髪(真ッピンク?)はそのままに、時代物の衣装を身に纏わせ、カメラの前でポーズを取らせる。商人なのに軍服姿で旗を持った壮年独身男の肖像(当時は注文主の要望で、このようなコスプレまがいの肖像画も少なくなかった)の再現では、モデルとなった70代の映画監督に、旗の代わりにモップを持たせ、ポーズと表情で、(些か皮肉も込めて)その尊大さを表現する。80代の老女の肖像では、60〜70代のベテラン女優をモデルに起用し、モデルとなった老女の生き様を、老女優の顔に刻まれた皺も生かして再現を試みる。

 面白かったのは、デジタル時代にあって写真の加工などお手の物なのに、あえてカメラで撮影した写真そのものに拘ったこと。かつても今もありがちなモデルを実際よりよく見せようと言った小細工は一切しない。老年期に入った3人のモデルは、出来上がった自分の肖像写真に「老い」を感じ取って一瞬複雑な表情を見せるが、何れもが表現者として当代一流の人物なだけに、次の瞬間には、その肖像写真が伝えようとしている美の本質を理解して、写真家への称賛を惜しまない。

 写真家は今回の試みを終えて、こう言った。「私は不完全なものにも美を見出す。出来上がった写真を見れば、老いることは悪いことじゃないと分かる。」「レンブラントは技巧を越えて、モデルとなった人々の本質を描き出す天才だ」

 老女優の言葉も印象的だった。「この老女の肖像は一見すると悲しげだけれど、よく見ると口元が笑っているの。きっと幸福な人生を歩んだ人だったのね。それに目を見れば、その人の生き様が分かるわ」と。

 同じ絵をテレビの画面越しに見て、私はそこまでの理解に至らなかった。彼女はカフェでお茶を飲みながら、よく客の顔をスケッチするそうだが、そうした習慣から観察眼が鋭いのだろうか?さまざまな人間の生き様を舞台上で表現する女優と言う職業柄、人の本質を鋭く見抜く眼力が身についたのだろうか?曲がりなりにも美術に関わる者としては、自分の非力が恥ずかしくなった。

 レンブラントの巧みな光と影の表現によって、モデルの人柄や生き様が浮かび上がることが、今回の写真を使った試みによっても、確かに実証された。それは正に"レンブラント・マジック"である。

 何にしても、アーティストの目を通して見るこの世界は、新鮮で、自由で、面白い。

番組サイト: Rankin Shoots Rembrandt

クリックすると元のサイズで表示します

(画像は、今回検証の対象となった作品のひとつ《Aechje Claesdrの肖像》(1634))

2014/11/22

『インターステラー』(原題:INTERSTELLAR、2014、米国)  映画(今年公開の映画を中心に)

クリックすると元のサイズで表示します


 昨夜、「公開前夜祭」と銘打った上映後トークショー付の試写会を、日比谷のワーナーブラザーズ試写会室で見て来た。

 言わずと知れた鬼才?クリストファー・ノーラン監督の最新作。

 タイトルの"INTERSTELLAR"とは、「星と星の間の、星間の」と言う意味の形容詞。名詞じゃないんだなあ…その後に続く言葉、名詞を、作品を見終わった後に、各々が、それぞれの解釈で付ければ良いのだろうか?

 上映時間は169分と、最近見た『6才のボクが、大人になるまで』に負けず劣らずの長尺だったが、見ている最中は、先の読めない展開と、次から次へと繰り出される壮大で美しい映像に釘付けで、長さは全然気にならなかった。正に「相対性理論」だな、これは同じ1時間でも、つまらない授業は長く感じられて、大好きな彼や彼女と過ごす時間は短い、と言う(笑)。

 時代設定は近未来。いよいよ気候変動などで地上の砂漠化が進み、農作物の収穫もままならない状況下で、残された人類は存亡の危機に立たされている。食糧難が最大の問題と化した世界では、既に軍隊も存在しない。マシュー・マコノヒー演じる主人公も元はNASAのパイロットだったが、現在は砂嵐吹きすさぶ自身の農場で、義父と共にトウモロコシを育てている。

 そんな中、娘のマーフ(マーフィーの愛称)が、自室の異変に気付く。それは、その後の壮大な宇宙の旅に繋がる伏線だった…


 『2001年宇宙の旅』の系譜に連なる物語だ。劇中に登場するロボットTARSは、その形状からして『2001年〜』の重要なモチーフであった「モノリス」へのオマージュらしい。最新のブラックホール理論に基づいて語られる宇宙の概念は興味深く、宇宙空間の映像表現も素晴らしい。本作で、「5次元空間」なるものも初めて見た。理論が高度過ぎるのか、私がボンクラ過ぎるのか、話の内容について行けているような、いないような曖昧さを残しながらも、そこに映画音楽の名手ハンス・ジマーの仰々しいまでの壮大な音楽が加わって、否応なく作品の世界にどっぷりハマってしまう。キューブリック作品と異なるのは、親子愛が物語の中心軸にあって、全編を通して温かみが感じられるところだろうか。

 そもそも『STAR WARS』シリーズと『ブレードランナー』を見て映画監督を志したと言うノーラン監督が放つSFスペクタクル。何れも好きな人間なら、本作を見て面白くないわけがない。あまり内容に踏み込むとネタばれになってしまうので、ここでは詳しく書けないのがもどかしいところ。

 本作はプロデュースを監督の妻が、脚本を実弟が手がけている。製作費は実に150億円と桁外れで、ノーラン・ファミリー渾身の一作とも言って良いだろう。上映後のトーク・イベントでは、元々スピルバーグ監督が撮ろうとしていたのを、ノーラン監督が横取りしたと言っていたが、本当なのだろうか?「マイケル・ベイでもなく、ローランド・エメリッヒでもなく、クリストファー・ノーランが描いたSF超大作」(トークでも、そこのところが強調されていた・笑)〜それだけでも、知的興奮を覚えるものだ。

 とにかく今年の映画の掉尾を飾る真打ちの登場であるのは間違いない!

 その作品世界を、スケール感を、是非、映画館の大きなスクリーンと迫力ある音響システムで、体感して欲しい! 


ワーナーブラザーズ試写会室のこと】

 JR新橋駅にほど近い、地下鉄の内幸町駅からはすぐの、日比谷セントラルビル1階にある、ワーナーブラザーズ・ジャパン所有の試写室。試写室と言うだけあって、座席は50席ほどのコンパクトな作り。スタジアム形式で傾斜も付いているので比較的見易い。

 昨夜は、開場時間を過ぎて来た人は、既存のシートに座れずにギリギリまで右往左往していた。一応、急遽折り畳みイスを両サイドの通路に設置して対応していた。私は開場30分前に現地に着いたが、既に15人ほど並んでいた。一番前の席は直前のスクリーンを見上げる体勢になるので、できれば避けたいところ。利用する機会があるのなら、早めに現地に行った方が無難だろう。

2014/11/21

「淋しい」のひとこと  日々のよしなしごと

 俳優の高倉健さんが10日に亡くなられていたことを報道で知って驚いた。普段からプライベートを一切明かさない、昔ながらの銀幕のスター然とした方だから、この世からの去り方もこの人らしいとは思ったが、やはり突然の訃報は、一映画ファンとしては淋しい。

 こうして、子供の頃から知っている有名人がひとり、またひとりと、この世を去って行く。その訃報に接する度に、自分がそれだけ年を取ったのだと思い知らされる。人は誰でもいつか死ぬのだと、厳然なる摂理を突きつけられる。

 健さんのような銀幕のスターは亡き後も、スクリーンの中で在りし日の姿を繰り返し見ることができるが、一般の人間はそうも行かない。

 特にズボラな私達夫婦は、自分達の姿はおろか我が子の姿さえ、映像に殆ど残していない。声変わりする前の幼い声は、辛うじて電話機の留守録に残っている。もうその電話機は使っていないが、この声の為に、捨てられずにいる。ただし、スターの健さんと違って、その需要もないが。

 夫婦二人共、これまでの人生で、それほど多くの人とは努めて関わってこなかった性分ゆえに、おそらく、世の中からひっそりと消え去って行くと思う。静かに人知れずこの世からフェードアウトして行く。そして、いつしか、存在していたことさえ、忘れ去られて行くのだろう。

 健さんは、自身の美学を貫き通して静かにこの世から去って行かれたが、暫く世の中が彼を放っておいてはくれないのだろうね。


 改めて、高倉健さんのご冥福をお祈り致します。

クリックすると元のサイズで表示します

2014/11/20

マーフィの法則に当て嵌まるか、な?  はなこのMEMO

 最近、バスや電車等の公共交通機関を利用して思うこと。

 ゴホゴホ咳き込む人に限って、マスクを装着していない!

 逆に、マスクを装着している人の殆どは咳き込むことなく、静かに着席しています。それは、マスク装着によって喉の乾燥をある程度防いで、咳こまずに済んでいるのか?それとも風邪薬の服用によって軽い催眠状態もあって、症状が落ち着いているのか?或いは、風邪予防の為に、そもそも健康な人がマスクをしているのか?

 ここ数年は、「咳エチケット」と言うマナーが病院等で盛んに呼びかけられていることが功を奏して、罹患者のマスク装着はかなり浸透して来ているようです。それから推察すれば、件のゴホゴホ大魔神は、初期症状の段階でこれといった対処をせず風邪をこじらせてしまった人が、病院にも行かず、マスクも装着せずに外出しているという事なのではないか?

 そして、盛大に、所構わず、咳き込むのです。

 せめて、口をハンカチや手で押さえて欲しい。なぜか、それさえしない人が多く、人迷惑なウィルスを周囲にまき散らしています。そもそも風邪をひいているのにマスクを装着しないような横着な人は、ハンカチなど持たないのかもしれないけれど、手も使わないのはどういうこと?

 最近、エボラ出血熱の日本への感染拡大に、国を挙げて警戒している中、流行地域に滞在していた人が帰国後、発熱症状があるのに、滞在歴を申告せずに一般診療を受けるなど不注意な行動を取って、巷で物議を醸していましたが、マスクを装着せずに咳き込んで、風邪のウィルスをまき散らしている人も、この人騒がせな人物と同じタイプなのかもしれません。

 
 よって私は自衛の為に、外出する時には出来るだけマスクを装着します。うっかりマスクを忘れた時には、窓際に立って窓側に顔を向けるか、通路なら迷わず、マスクを装着した人の前に立ちます。

 自宅の玄関には、アルコールスプレーも常備。もちろん、帰宅後すぐに手洗いとうがいは欠かせません。食事も睡眠もしっかり取ります。

 たとえ外国人にマスク姿を奇異の目で見られても、感染症に対する抵抗力が弱い私は、そうするしかありません。特に、もう二度と肺炎にはなりたくない!(前回は風邪の初期の段階で治療していたにも関わらず肺炎を併発してしまったので、とにかく風邪をひかないように気をつけています) 

2014/11/19

ハロウィンが終わればX'mas  携帯電話から投稿

映画「小野寺の弟・小野寺の姉」では、片桐はいり演じる姉が「ハロウィンが終われば、次はすぐにX'masよ」と、外国文化を商業イベントに巧みに取り込んでしまう、日本と言う国の商魂の逞しさを皮肉っていたのが印象的でした。

ホント、この発言そのままに、ハロウィンの仮装パレードから何日もしないうちに、地下街には、巨大なサンタがお目見えしたのでした(11月も上旬ですぞ?!年々クリスマス・デコレーションの時期が早まっているような気がする)

しかし、まあ、このサンタはなかなかの完成度ですわ。早速、親子連れが巨大サンタを前に、記念撮影です。

クリックすると元のサイズで表示します

2014/11/19

富山土産  携帯電話から投稿

2週続けて、北陸地方に出張に行った夫。

富山で新しいお土産を見つけて来ました。

「いもう富」です。ふかしてから擂り潰したサツマイモを丸く成型して、柔らかなパイ生地で包んでいます。

これもまた美味しい!

そのまま食べるより、レンジで10〜20秒チンした方が、より風味が増して美味しくなるようです。


クリックすると元のサイズで表示します

2014/11/19

金沢土産  携帯電話から投稿

夫が金沢出張の土産に、高木屋の「あんず餅」を買って来てくれました。

会社から支給される出張手当はもう雀の涙ほどで、我が家は夫が出張すればするほど赤字になると言う、「出張貧乏」状態です(昔は、そんなことなかったんですけれどね)

いつもギリギリの日程で仕事に明け暮れ、帰京も最終便で帰宅は深夜になるので、体力的にもきつい。もちろん、観光する余裕なんてありません。

だからせめて、手に届く範囲の、その土地の美味しいものを、"家族で"(←ココが夫の優しいところ)味わおうと、夫は各地の銘菓を買って来てくれます。

写真の「あんず餅」は、羽二重餅の中に、白餡と蜜漬けのあんずが一個丸ごと

白餡のほんのりとした甘味と、あんずの果汁が程よいバランスで、口の中に広がります。

ああ、美味しいなあ…

城下町の銘菓にハズレなし!(ついでに城下町のお宝にハズレなし、かな?『なんでも鑑定団』の出張鑑定で旧城下町に行くと、やはり逸品揃い!)

クリックすると元のサイズで表示します



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ