2014/4/23

人生初の…  携帯電話から投稿

立ち食いそば!

一人旅だからできる?冒険かな?

ソーキそばを頼んだのですが、お肉は殆ど付いていなくて軟骨ばかり。

かなりガッカリ。

クリックすると元のサイズで表示します
1

2014/4/21

感動体験  携帯電話から投稿

老若男女問わず、感動しているのが、見て取れました。

ある若い母親は「はぁ〜思わず見とれてしまうわ」と、ため息を漏らし、

幼い子供は興奮して、言葉にならない声をあげ、

ベビーカーの赤ちゃんまでもが、水槽に見入って雄叫びをあげました。

赤ちゃんにも、何か凄いものを見た、と言う実感があるのでしょうか?

こう言う感動体験、とても大事だと思います。

その積み重ねが、人生を充実させ、心を豊かにするのだと思います。

クリックすると元のサイズで表示します
1

2014/4/21

やっぱり…  携帯電話から投稿

美ら海水族館てサイコー!

バスツアーを利用して、美ら海水族館に来ています。

黒潮の海を再現した大水槽は、圧巻ですね。

いつ来ても、悠々と泳ぐマンタやジンベエザメ、魚群の彩り、そして、魚達の個性豊かな姿に、感動します。


忙しない日常を、束の間、忘れさせてくれます。

今日は、フランス人の団体ツアーも来ているようです。ロシア人も見かけました。

海外でも有名なのかな?

クリックすると元のサイズで表示します
1

2014/4/18

ひとり旅に行って来ます♪  携帯電話から投稿

今、空港です。

マイレージ特典で、ちょっくら?旅行に行って来ます♪

クリックすると元のサイズで表示します
1

2014/4/17

ほんとかいな?  はなこのMEMO

朝ドラ「花子とアン」を見た流れで「あさイチ」を見ているけれど、今春のトレンドは「白靴下」だそうだ。

スタイリストが、白靴下を使ったスタイリングを、様々なバリエーションで指南している。

もちろん、従来のスクールソックスとは違う、薄手の"おしゃれ"版らしいが、それでも、黒のクロップド・パンツに白靴下のコーディネートは個人的にないなあ…

本当に流行るの?何だか「むりやり感」が漂う。

これまでも「何だ、こりゃ?」な流行はあった。流行はあくまでも流行。ファッション・ビジネスの思惑で動くことが多い。

流行を自分の着こなしに取り入れられるか否かは、自分の感覚にフィットするか否かもさることながら、体型との兼ね合い(←これが一番重要)もあるし、結局、自分で決めれば良いことなのだろう。言わずもがなだけれど
1

2014/4/16

食べて、飲んで、おしゃべりして  日々のよしなしごと

今日は、今年で丸10年の付き合いになるママ友2人と、いつもの店で、恒例のランチ会でした。

たまたま息子同士も仲の良いママ友ですが、今回はそれぞれの息子達が巣立ちの時を迎えて、「これまで子育てお疲れさま会」と言う趣向になりました。

私自身は元々「ママ友」と言う関係にあまり良いイメージを抱いていなかったのですが、この2人とは最初からウマが合い、子供達が高校を卒業し、進学先が分かれても、定期的に会う関係が続いています。

良好な関係が続いているのは、何より2人に思いやりがあり、素直に他者と喜びを分かち合える人柄であること、堅実な暮らしぶりで、見栄を張り合うこともなく、私も一緒にいて素のままで心安らかにいられるからかなと思います。もちろん、誰かの陰口で溜飲を下げるようなこともありません。

いつものようにテラスの4人席に案内されましたが、荷物置き場になった4つめの席には、本当はもうひとり座るはずでした。5年前に他界されたSさんです。

「どうしてもSさんのことを思い出すわね」

3人で集まる度に、4つ目の席に目を遣りながら、しんみりとした気分になります。でも、こうして3人でSさんのことを語ることで、3人の中ではSさんが生き続けていることを実感します。Sさんもその場にいて、いつものように柔らかな笑みを湛えながら私達の話を聞いているような感覚もあるから不思議です。

今日は思いがけず「老い」についての話題で盛り上がりました。「躓きやすくなった」「夕方、焦点がぼやけてよく字が見えない」「食べ物の誤飲が多くなった」等々、どれもが思い当たることです。それと同時にやって来るのが、老いた親の介護の問題。お墓の問題。そして、子供が巣立った後、自分はどう生きるべきか…皆、大なり小なり悩みを抱えながら日々を生きていることを、互いに確認し合った格好です。

とにかく、また会う日まで、それぞれの日々を頑張って生きようと言って、別れました。

次はまた涼しくなる秋口にでも会おうね

クリックすると元のサイズで表示します
1

2014/4/12

山下公園に到着…  携帯電話から投稿

頬を撫でる風が、
少し冷たいものの、
心地よいです。

クリックすると元のサイズで表示します
1

2014/4/12

赤レンガ倉庫前では…  携帯電話から投稿

インドやパキスタンの料理や文化を紹介するフェスティバルが開催中らしい。

クリックすると元のサイズで表示します
1

2014/4/12

お天気が良いので…  携帯電話から投稿

また、みなとみらいに来ています。

最近、散歩と言えば、ここばかり、と不満の声も聞こえなくはないのですが…

やはり、このエリアの開放感が、気持ち良いんですよね。

空が広い…

クリックすると元のサイズで表示します
1

2014/4/10

徒労感の後に〜息子の就活  日々のよしなしごと

昨日はボランティアの仕事で、ひとつの大きな山場を経験したのですが、自分の能力不足もあって思うようなパフォーマンスができませんでした。結局、最後の最後でベストを尽くせなかったら、それまでの過程でどんなに努力しても報われないのだな、と徒労感を覚えながら家路につきました(まあ、そもそも私にとってボランティア活動は、苦手なことに挑戦する"修行"のようなものですが)

ただし、私の個人的な後悔や悩みも、自宅に戻れば、ある程度リセットできます。何より自分に構っていられなくなるからです。家族がいれば、自分第一ではいられません。主婦は「何者かである自分」を求め家の外へ出たがりますが、出たら出たで自分がひとりの人間として、その能力、容姿、人格が他人に評価されるという、厳しい現実を突きつけられます。そこで一喜一憂するわけですが、思うような評価を貰えなかった時に自分を救ってくれるのが、他ならぬ自分を縛り付けていたはずの家庭であるのが、皮肉と言うか面白いですね。


さて、家族で遅めの夕食を取っていたところ、息子の携帯電話の呼び出し音が鳴りました。すぐさま電話に出た息子は敬語で受け答えしながら、自分の部屋に戻ってしまいました。

しばらくして、今にも泣き出しそうな表情で食事に戻って来たので、先日、もしくは、昨日受けた面接の結果が思わしくなかったのかと、親としては心配になりました。

ところが、実際はその逆で、先日受けた第一志望の企業から内定(正確には内々定。正式な内定は協定で10月以降と決まっているようです)の連絡を受けたと言うのです。当該企業の最初の面接を受けてから、ちょうど1週間のことでした。

息子の内定の件で、私がいたく感銘を受けたのは、当該企業の人事担当の方が内定を告げる電話で、これまで息子を担当された面接官全員の息子に対するコメント〜なぜ、息子を採用するに至ったのか、面接官が感じた息子の長所〜を直接息子に話して下さったことです。息子はこれで俄然入社へのモチベーションが上がったと感激していました。

逆に選に漏れた場合は、その理由を当事者である就活生は知る手段がないので、戸惑いますね。ウチの息子も、それは他社で経験済みです。特に初めての採用面接では、同時に面接を受けた学生が既に何社も面接を受けた猛者だったらしく、その堂々とした受け答えに息子は圧倒されてしまったようです。面接では自分の良さをできるだけ平常心でアピールできるよう、その是非はともかく、ある程度"場慣れする"必要はあるようです。4月に入れば、企業の採用面接が本格的にスタートしますが、第一志望の企業を<可能な限り>面接スケジュールの筆頭にはしないのが無難なのかもしれません。

とは言え、ある人曰く、就活は"マッチング"(←就活生の持っているスキルが、企業が求めるスキルと合致しているか…本人が自ら、それを冷静に見極めることも大切なのかもしれません)と"タイミング"(仮に同じスキルを持った就活生が2人いて、1人しか採用枠がない場合、先に企業との接触に成功した就活生が内定を獲得できる可能性が高い。採用・不採用はまさに紙一重の差なのかもしれません。だからこそ、選に漏れた時はマッチングとタイミングの何れか、或いは両方で「この会社とは縁がなかったのだ」と割り切り、就活生自身も周囲の人間も、内々定に至らなかったことをいつまでも悔やんだりしないこと、落胆した気持ちを引き摺らないこと…、何より就活生の自尊心を守ることが重要だと思います)の両方が揃って初めて成功するようです。

因みに、企業と就活生のマッチングと言う意味では、息子の就活では興味深い結果が出ています。今回、息子の所属する研究室から5人受けて、内々定をいただけたのはウチの息子だけでした。しかし、他の学生も全員、その後、有名大手企業等から内々定を得ています。中には超難関と言われる国立の研究施設から内々定を得た人も。さらに、専攻内で企業への推薦枠を狙っていた息子の前に立ちはだかった専攻トップの成績の学生(←つまり、この人のおかげで息子は推薦枠に入れませんでした。それは当然です。基本的に推薦枠は成績順に埋まりますから。息子も成績は上位でしたが、まさかトップの学生が同じ企業を志望するとは…)は、その推薦枠選考で採用には至りませんでした。今にして思えば、息子はいきなり最終面接を受けることになる推薦枠(学校推薦の場合、基本的に面接は1回のみで、正に一発勝負?!)に入らなかったことが、却って良い結果をもたらしたようです。元々口下手な息子は、何度か面接を繰り返す中で面接にも慣れ、自分の持ち味や企業に対する思いを、面接官にきちんと伝えられるようになったからです。世の中、何が幸いするか、分からないものです。


息子は修論の研究に忙殺され、就活も始めてから実質1カ月経つか経たないかで、以前書いたようにESもわずか3社にしか提出していないのですが、どうにか第一志望の会社から内定をいただけました。これで息子の就活も終了です。息子はこの1カ月、研究と就活の板挟みで辛かった、と言っていました。文系に比べ採用枠の大きい理系であったことも幸いしたと思いますが、就活が長引かなくて本当に良かった。

思えば、息子は中学受験も大学受験も、本人の自覚と努力の足らなさから、第一志望が叶わず、第二、第三志望(もしかして、第四志望?)に甘んじて来ました。本人も当時の自分を振り返って、「本当に子供だった。幼かった」と評しています。

しかし、大学に入ってからは、自分自身の目指す道が定まったのか、息子は人が変わったようにあらゆることに全力投球で臨み始めました。勉学のみならず、専攻に直結した部活にも注力し、自分の将来に役立ちそうな資格の取得にも励むなど、親も驚くような変身ぶりでした。人間関係にも恵まれ、厳しくも温かい恩師や、個性豊かで才能に溢れた先輩・後輩・友人達と出会い、さまざまな経験を積み、傍から見ても充実した学生生活を送っています。

今回内定をいただけた企業は、息子が幼い頃から憧れ続けて来た企業です。あの泣きの表情は、念願叶った嬉し泣きの表情だったようです。

今回の就活で、夫や私は特別なサポートはしていません。強いて言えば、ESの内容のブラッシュアップ?でしょうか?本人に一度読んでみて欲しいと頼まれ、一通り目を通した上で、内容に詰めの甘さがある場合は、とにかく息子とよく話し合いました。そうすることで、彼の頭の中で漠然としていたものが明確になり、彼なりに考えをまとめることができたようです。普段から家族仲が良く、常に会話を絶やさないからこそ、このようなサポートも可能だったのかもしれません。

ただ、就活中の子供との関わり方は塩梅が難しく、私は息子に「黙って見守っていてくれないか (←つまり、ウルサイ、と)と言われたこともあります。また、親元を離れてひとり暮らしをしている学生は、身近に親代わりになるような社会人の相談相手(就職課の職員や志望企業に勤める大学OB等)を是非探して、お話を伺う機会を設けたり、ESの内容チェックやアドバイスをお願いした方が良いと思います。就活を熟知している人、比較的最近、就活を経験した人のアドバイスはきっと役に立つはずです。

息子もさまざまな情報源を元に企業研究はもちろんのこと、大学及び大学院OB、就職課、教授等、あらゆるコネを駆使して、ターゲットの企業との接点を持ったようです。そんな人脈や行動力も、大学入学後に身につけたものなのでしょう。本人の努力の賜物です。

また、息子は同じ研究室の仲間にも、陰になり日向になり助けられたようです。この一年間、研究室の学生達の兄貴分として常に身近におられた講師の励ましの言葉も、息子の心の支えになったようです。斯様に周囲の人間関係にはとても恵まれています。これには親として、本当に感謝したいですね。

息子はとにかく修論の研究で忙しいので、就活に向けて何か特別なセミナーを受ける、と言った時間的な余裕はなかったようです。

そう言えば過去に、ある内定者が、こんなことを言っていました。「就活なんて一生懸命やるもんじゃない。学生生活を充実させた先に、内定があるんだ。」

確かに、息子が第一志望の企業の内定にこぎ着けたのは、巷で喧伝されているような付け焼き刃なテクニックではなく、学生生活における日々の努力の積み重ねだったのだと思います。実際、息子は「自分はなぜここまでプレッシャーと闘いながら研究を続けているんだろう」と、日々自問自答しながら、夏休みも春休みも殆どない学生生活を送って来ました(合コンなるものにも1度も行ったことがないようです。どうせ就職すれば、特に新人時代は仕事に忙殺され、遊ぶ時間などない日々が待っているのですから、もう少し頭を空っぽにして遊ぶ時間があっても良かったのではと思うことも)

もし就職を目指す企業があるのなら、その企業のレベルに見合うだけの実力を日々の努力で身につけること。これが、地味だけれど確実な内定獲得への道筋なんでしょう(もちろん、企業によって求める人材は違うので、それにフォーカスした努力が必要でしょう)

ともあれ、息子の就職先が決まったことで、親としては、ひとつ肩の荷が下りた思いです。次の関門は結婚でしょうか?ずっと先のこと(になりそう?)ですが、これは就活以上に難関のようです。

2年前のちょうど今頃、息子に読むよう薦めました:
村上憲郎『 一生食べられる働き方』(PHP新書、2012)
2

2014/4/9

今度は息子の手土産♪  携帯電話から投稿

昨日は午後に就活の面接があり、
そのまま大学に直行して、大学で一夜を明かした息子。

つい先ほど帰宅して、約36時間ぶりに会えたと思ったら、
「お土産」と言って、私にレジ袋を手渡した。

中にあったのは、採れたての筍。
なんと大学校舎の裏手にある竹林で採れたんだそうだ

息子は面接で不在だったので、実際に採ったのは若手講師と研究室の仲間たち

微笑ましいと言うか、なんと言うか…

さて、どうやって食べようかな?

クリックすると元のサイズで表示します
1

2014/4/8

国立西洋美術館の前庭にて  携帯電話から投稿

一本の木に薄紅色と真紅の花が咲く、枝垂れ桜。

この時期にしか見られない可憐な姿です。

花の命は短く
儚く
美しい。


クリックすると元のサイズで表示します
2

2014/4/5

関西土産げ  携帯電話から投稿

先ほど夫が関西から空路戻って来ました。

お土産に、あの高山堂の焼き菓子「スウィートまーめいど」と、京都駅ビルにある美術館で開催中の「日本画に見るさくら展」のカタログを買って来てくれました。

高山堂の和菓子は相変わらず美味しいし、カタログに収録された日本の近代から現代の画家による絵の数々は、桜と言う同じ花を描きながら、多様で興趣に富んでいます。見応えがあり、正にため息が出るような美しさ。

夫は加山又造の一連の作品が気に入ったらしいのですが、私はカタログで見る限り、美人画で名高い鏑木清方の作品が、やっぱり好きかな。もちろん、どれも甲乙つけがたい、素晴らしい作品の数々ですが…

夫からのサプライズなお土産に、思わず胸がジーンと来ました。本当にありがとう。

「日本画に見るさくら展」公式サイト


実は、会うのが結婚式以来(それぐらい疎遠でした)と言う叔父は、認知症が大分進んで、夫のことも憶えておらず、言葉も発せない状態だったそうです。

夫の父の家族は戦後、祖父の仕事の関係で赴任していた満州から命からがら引き揚げて来たと言います。その時の心労と栄養失調が元で体調を崩した祖母は、引き揚げ後間もなく40代の若さで死去。その後、叔父は異郷でひとり、これまでどんな人生を歩んで来たのだろうと考えると、私は甥の嫁に過ぎない立場ではありますが、何だか切なさがこみ上げて来ます。

クリックすると元のサイズで表示します
1

2014/4/5

息子の就活やその他諸々  家族のことつれづれ

息子の就活は、当然ながら私にはどうすることもできないのに、自分のことのように気になるものなんですね。あまりの心配に、気疲れが尋常でないです。

学生はエントリーシート(以下、ES)を、それこそ数十社に提出すると巷では言われていますが、うちの息子は研究で忙しいから(指導教授も○○生なんだから焦ることはないと仰って、就活を理由にゼミを欠席することをけっして許して下さらないし、院生の殆どが就活の面接で忙しい最中、数日後には研究の中間発表をしろと無茶な要求をされます。大学院の本分は研究&論文ですから当然と言えば当然ですが…)と言う理由で、現時点で提出したESはたったの3通

本人は自分が本当に就職したいと考えるモノ作り重視の会社を厳選した、と言うのですが、母親としては本当にこれだけで十分なのか、自分の時のことも忘れて(私自身は一社しか受験していない)、ひとり焦っています。夫はオロオロする私を見て呆れているのか、至って冷静な態度。それが本来のあり方だ、と言います。

結局、3社すべてでESを通過し、現在は2社の面接(一社は2次で、もう一社は最終)を控えている状態ですが、よくよく聞いてみると、大手でも5月6月にES提出の〆切の会社や学内推薦を貰える会社が幾つもあるようで、仮に3社全滅であっても諦めずに頑張れば良いようです。夫も、卒業までに決まれば良いと、静観の構え(←まあ、こういう時こそ"対象を突き放す冷静な父親の視点"は必要です。実際、頼りになります)。因みに、昨年は博士課程進学者以外の就職希望者の全員が、5月中に内定をいただけたそうです。

内心焦っているのは母親の私だけ。でも、その焦りを外に出して、息子に無用なプレッシャーをかけたらダメですよね。たとえ聞きたいことがあっても、言いたいことがあっても、息子のやる気を喪失させるようなことは口にしない。がまん、がまん

まあ、実際は余計なひとことで、息子に「ウルサイ」と怒られていますが…

しかし、このところ、息子は土日も面接や研究で休みなしに近い状態なので、せめて体調管理だけは気遣って、滋養となる食事を作ってやらねば

夫は夫で今年から、関西の特別養護老人ホームに入所している父方の独身の叔父の後見人を任され、昨日から1泊2日の予定で関西に行っています(兄である夫の父も弱っているので、夫がその代わりを務めることになった次第)

当然ながら九州の両親の面倒もみなければならないし、さらに本家でもないのに諸事情で遠方にある一族の墓や仏壇の継承の話も出ていて、元々遺産の当てもない私達は、そろそろ自分達の老後について考えなければならない年頃なのに、それどころではない状況です。往復の交通費だけでもかなりの経済的負担。少子高齢化の進む現在の日本では、私達と同じような状況の家族も少なくないのでしょうね。負担ばかり重くなる辛いだけの老後なら、長生きしたくないなあ
1

2014/4/2


人に優しく。

たぶん最近、どこかで目にした、或いは耳にしたフレーズなのかもしれない。なぜか、このフレーズが頭から離れない。

最近、身近で"いじめ"を目撃したからかもしれない。

大人になっても人間て、懲りずに弱い者いじめをするもんなんだな。いい年した大人の女達が少女時代の延長でつるんで、他人に特定の人の悪口をいいふらし、帰属する集団から排除しようとしている。いろいろ理由はあるんだろうけれど、傍から見ると、気に入らない人間をいじめているようにしか見えない(ついでに言うと、私は「女子会」なる言葉が大嫌いだ。人間はどうしても自分の使う言葉に縛られる。支配される。その原理で考えれば「女子会」は、女性の成熟化を妨げている。少女還りを促している)

道理で、子どもの世界でもいじめはなくならないわけだ。しかも、いじめる側の人達は根っからの悪人でもない。優れた能力を持ち、素晴らしい一面も持った人達なのだ。それだけに、とても残念だ(ここで断っておきますが、このことで彼女達を嫌いになることはないです。なぜなら、すべてに完璧な人間など存在しないし、かくいう私も短所を幾つも持った人間だからです。ただし、いつ、その攻撃の矛先が私に向けられるか知れない、と言う不信感は芽生えてしまったかもしれない…)

そうしたいじめへの対抗策は、彼女達の悪口に同調しないことだ。悪口の対象になっている人物を色メガネで見たりせずに、今までと変わりなく付き合うことだ。

『負け犬の遠吠え』で知られるエッセイスト酒井順子女史は、その著書『下に見る人』で、僅かな差異をことさら大きく捉えて他人を格付けし、帰属する集団から異質な存在を排除しようとする(著者自身も含めた)人間の"業"のおぞましさを、個人的体験を淡々と綴りながら分析していたけれど、人間は所詮そんな生き物なんだと端から諦めて良いはずがない。


言うまでもなく、人間の能力には個人差がある。思うに、それは生まれながらのものに、環境や教育機会の差や本人の性格等、さまざまな要因が相俟って生じたものだろう。

それでは、その能力差は人間の存在価値を決定づけるものなのか、と言えば、そんなことはないはずだ。そもそも能力と一口に言っても、実際はさまざまなバリエーションがあるだろう。社会で求められる能力も、時代や社会の在り方によって変わるはずだ。

一般に現代社会において重視される仕事の効率性で言えば、「情報処理能力」「判断力」「注意力」「問題発見&解決能力」などが問われるんだろうけれど、それが多少劣るからと言って、それで個人の存在を全否定されるいわれはないと思う。

もし、チームで仕事をするなら、(人命や組織の存亡に関わる事など)よほど重要な仕事でない限り"少数精鋭"である必要もなく、志のある何人かが寄り集まって、その中の能力のより高い者が低い者をサポートすれば良いだけの話。たとえ個々のメンバーにとりこぼしが発生したとしても、他のメンバーのリカバリーで、無事に仕事の目的が達せられたなら、それで良しとする。チームで働くと言うことは、つまり、そういうことなのではないか。殆どの組織が、実質そんなものなのではないか?

私自身、特段能力が優れているわけではない。だから、「あの人は能力がない」とか誰かが、誰かを罵っているのを耳にすると、まるで自分が罵られているかのように思えて、心が苦しくなる。特に、身近な人の悪口は聞きたくない。


想像してみて欲しい。

世の中、秀才ばかりで(結局、その中でもちょっとした差異で格付けがなされるんだよね)、常に他者に負けじと切磋琢磨し、競争の絶えない社会を。

常に効率優先で、それを妨げる存在を容赦なく排除する社会を。

うわぁ、殺伐としている…

常に競争に晒される状態では、緊張感で神経が磨り減ってしまいそうだ。自分で自分の命を削るようなものだ。実際、そのような社会は高ストレス社会で、自殺者も多い。

仮に現在、心身共に健康で頭脳明晰でも、いつ何時、事故や病気で、社会的弱者になるか知れない。さらに、誰もが確実に年を取り、衰えて行く。

未来永劫、絶対強者でもない自分を自覚してもなお、自分より「格下」(と、自分で思っているだけ)の人を、「能力が劣るから関わりたくない。一緒に仕事したくない」と言えるのだろうか?

「格下」と見ている人物の意欲や努力は、一切評価しないのか?


結局、他人の失敗を許せないのは、自分の心が「寛容さ」を失っているということではないのか?(キリスト教の観点から言えば、それは自分自身に「愛」が足りない状態、人を思いやれる余裕が心にない状態なんだろうね) 

他人の失敗が許せない時、それは本当に許し難いことなのかと、まず、自分の心に問いかけるべきではないのか?(聖書には「貧しい者は幸い」など、逆説的な表現が多いけれど、それは謙虚に自分自身を見つめ、自分の足りない部分を自覚する者こそが、神に愛される存在と言いたいのかなと、私なりに解釈している。別にクリスチャンではないけれど)


因果応報。人に厳しくすれば、それはいつか自分に返って来る。結局、自分で自分の首を絞めることになる。

人に優しくすれば、それもいつか自分に返って来る。思いがけず、人の情けに救われることがあるかもしれない。「情けは人の為ならず」の原理である。

人に優しく(自分には多少厳しく)。結果的に、それが自分も他人も生かすことになるのではないか。


「人に優しく」することは、自分自身が人間として抱える"業"との闘いなのかもしれないけれど、だからこそ、私は行動規範として「人に優しく」を心がけたい。他人を変えようと直接働きかけるのでなく、自分の考えは、自分の行動で示すしかないと思っている。

なぜなら人間は謙虚に他者から学ぶ姿勢がなければ、何の気づきも得られないし、自分で変わろうと思わない限り、変われないから。50年余り生きて来て、そんなことをつくづく思う。

類似したテーマの本ブログ中の記事:「このままで良いのか?」
2



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ