2014/3/27
美術館で本物を見るということ ボランティア活動のこと
私は基本的に下は小学生から上は大学生まで、主に学生を対象にギャラリートークをさせていただいていますが、年に1〜2回、自治体や団体が主催する生涯学習の一環で訪れる成人の方々に対しても、ギャラリートークをさせていただくことがあります。
実は今日実施したギャリートークが、その年に1回あるかないかの、成人を対象としたギャラリートークでした。都内とは言え、かなり遠くからバスでいらしたその団体さんは、あいにくの雨で渋滞に巻き込まれる等して、予定の時間を30分以上遅れて美術館に到着されました。
成人対象と言っても、基本的に児童生徒対象の対話型トークと変わりありません。ただし、成人向けに多少解説を多めにはしています。
結論から言うと、今日のギャラリートークはとても楽しいものでした。参加者がストレートに喜びを表してくださるので、私自身がギャラリートークを実施しながら、励まされているようでした。
例えば、モネの《睡蓮》は部屋の入口から徐々に距離を詰めていって作品の前に立つと、見え方に変化があって面白いのですが、ある方が「絵は目の前にすぐ立って見るもんだと思っていたけど、まず遠くから見て、段々近づいて行くって見方があるんだね。なるほど、こういう見方もあるんだ」と言って、何度も頷かれました。
また、最初の作品では発言のなかった男性が、最後の作品では、すっかり打ち解けた雰囲気で饒舌に作品についてお話されました。皆さんの表情も時間の経過と共に豊かになって、楽しそうにされているのが、こちらにも伝わって来ました。
私が担当したグループは8人で、40代から70代?の年齢幅で、当該美術館に来るのは殆どの方が初めて。美術館体験そのものもあまりない方が殆どでした。
そこで、美術館での作品の楽しみ方についてのヒントを差し上げました。それはあくまでも、ひとつのアプローチの仕方ではありますが…
いまどき、美術作品は本、テレビ、ネットで気軽に見ることができます。それでは、なぜ、皆さんはわざわざ美術館に足を運ぶのでしょう?
確かに昨今のテレビやパソコンの画面の解像度は上がって、作品もくっきりと見えます(美術館には作品と鑑賞者との間に結界が設けられていることも多いので、美術館で見る以上に作品を近接して見られると言う利点も)。
それでは、例えば油絵の絵の具の盛り上がりや筆の跡は、テレビやパソコンで見るのと、実際に美術館で実物を見るのとでは、どう見え方が違うのでしょう?…やはり実物の方がより立体的にくっきりと絵の具の盛り上がりや筆跡が確認できますね。作品を制作中の作家の息遣いまで聞こえてくるような迫力があります。
また、いかにパソコンやテレビ等のモニター画面や画集等の印刷物の「色の再現性」の技術が飛躍的に向上したと言われても、肉眼で間近に見る実物作品の色彩を100%忠実に再現しているとは言えません。オルセー美術館で見たエドワール・マネの≪草上の昼食≫の色彩の鮮やかさと美しさには感動のあまり、しばしその前に立ち尽くした程です。
さらに、テレビやネットや画集で知り得ないこととして、「実物の大きさ」があります。
かの有名なルーヴル美術館所蔵のレオナルド・ダヴィンチ作≪モナ・リザ≫をルーヴルで初めて見た時の驚きは忘れられません。さまざまな媒体で見尽くした作品の実物が、自分の想像以上に小さかったこと。それは、そのけっして大きいとは言えない作品の中で展開する世界の宇宙的な広がりと奥行の深さが、より大きな作品だと錯覚させていたのかもしれません。その逆にオルセーで見たギュスターブ・クールベの≪オルナンの埋葬≫の予想外に大きかったこと。その迫力に圧倒されました。
こうした実物作品と間近に対面することによる驚きや感動の体験こそが、美術館で本物を見ることの意味だと私は考えます。
作品の近くには、必ず作品の題名や作者の名前が書かれたプレートがあります(←これはキャプションと言います)。まず、作品の前に来たら、これは見ないでください。まず、自分の目を信じて、自分の目で、目の前にある作品をじっくり見てください。
作品には何が描かれているのか?作品の中に気になるもの、面白いもの、不思議なもの、とにかく何か引っ掛かるものを見つけてみましょう。同行者がいれば、それを互いに発表してみましょう。
あなたが気付かなかったことを気付いた人がいるかもしれません。同じものを見ても、人によって解釈が違うこともあります。感想だって違います。それが当たり前です。違うから面白いんです。いろいろな見方があって良いんです。そもそも世の中の物事全て、見る人の立ち位置によって見え方が違うではありませんか?
作品を見て、作品を前にして、あれこれ想像を巡らすことが大切なんです。そうすることで、作品は、あなたの心に強く印象づけられます。あなたの記憶に残るのです。
この絵はいつの時代を描いているんだろう?どこを描いているんだろう?描かれた人物の特徴や服装や持ち物、建物や風景で分かるかな?
絵の中の人物は誰なんだろう?何を持っているんだろう?なぜ、持っているんだろう?
絵の中の人物は何をしているんだろう?この表情はどんな気持ちを表しているんだろう?
このポーズには何か意味があるんだろうか?もしかして人物の立場や感情や考えを表しているのだろうか?他の登場人物との関係性を表しているのだろうか?
どうして、作者はこの絵を描いたんだろう?
どうしてこのような色遣い、或いは筆遣いで描いたんだろう?
色の明るさは他の作品と比べてどうだろう?筆遣いもどうだろう?
同じ作者の作品でも時代によって変化しているのは、作者の身に何があったのだろう?何から、或は誰から影響を受けたのだろう?エトセトラ…
例えば宗教画は、聖書の物語の一場面を描いていたりするのですが、最初はとにかく上述のようなアプローチで作品を見て行きます。そこで、その時点で気付いたことを踏まえて、参加者各々に自由に物語を作ってもらいます。
その間、参加者はいろいろな疑問を持ちます。例えば、今回は絵の中の天使の絵を見て、天使は女なのか、男なのかと参加者間で議論しました。天使は女性、と言う前提で見ると、絵の中の天使は二の腕が逞し過ぎる。顔は女性的なだけに不思議な印象を覚えたようです。結局天使は人間ではないので、性別はないのですが(或いは両性具有?)…しかし、それはひとつの知識であって、この場では絵を見てあれこれ想像を巡らせるのが大切。
ひとしきり参加者全員で語り合った後で、目の前の作品が聖書のどの場面を描いたもので、どのような意味があるのか、私が種明かしをしたのですが、別にここで参加者の作品解釈の正解不正解を問うているわけではないのです。
参加者が聖書の勉強をしている生徒なら、正解、不正解を問われるかもしれませんが、ここは美術館。あくまでも作品をじっくり見る事が主眼です。
実はこの時点で、参加者は「作品をじっくり見る」という所期の目的を十分達成しています。参加者が作品を前に、自由に語り合ったことに意味があるのです。
仮に私が最初からこの絵は聖書のどの場面で、こういう意味があります、と解説したとしましょう。参加者はその場でその作品について理解した気にはなるかもしれませんが、帰宅後、果たしてどれだけ絵について、作品そのものについて覚えているでしょうか?(ですから、通常美術館で実施されている解説トークに参加した後は、改めてご自分で作品をじっくり見ることをオススメします)
美術館では常に私のようなサポーターがいるとは限らないのですが、その代わり、キャプションと解説プレートがあります。
まずは作品を見ること。上述の要領でじっくり観察することです。
その後に、キャプションや解説プレートで、題名や作者や、作品について確認しましょう。
それでも疑問があれば、ネットや本で調べてみましょう。
この一連のプロセスこそ、美術館で作品を見ることの醍醐味だと思います。
現実問題、観光等で訪れた大規模な美術館での鑑賞の場合、膨大な量の作品を満遍なく見るのは難しいと思います。その場合はメリハリある鑑賞方法が求められるのかもしれません。言うまでもなく人間の集中力には限界があるので、最初に展示室全体を見渡し、その部屋の作品群の雰囲気を掴んだら、数多ある中から自分なりに気になる作品を幾つかピックアップして、じっくり見ると言うのもアリではないでしょうか?
できるだけ多くの人が気軽に美術館に足を運び、作品との出会いを楽しまれるよういつも願いながら、私はボランティアとして活動しています。
実は今日実施したギャリートークが、その年に1回あるかないかの、成人を対象としたギャラリートークでした。都内とは言え、かなり遠くからバスでいらしたその団体さんは、あいにくの雨で渋滞に巻き込まれる等して、予定の時間を30分以上遅れて美術館に到着されました。
成人対象と言っても、基本的に児童生徒対象の対話型トークと変わりありません。ただし、成人向けに多少解説を多めにはしています。
結論から言うと、今日のギャラリートークはとても楽しいものでした。参加者がストレートに喜びを表してくださるので、私自身がギャラリートークを実施しながら、励まされているようでした。
例えば、モネの《睡蓮》は部屋の入口から徐々に距離を詰めていって作品の前に立つと、見え方に変化があって面白いのですが、ある方が「絵は目の前にすぐ立って見るもんだと思っていたけど、まず遠くから見て、段々近づいて行くって見方があるんだね。なるほど、こういう見方もあるんだ」と言って、何度も頷かれました。
また、最初の作品では発言のなかった男性が、最後の作品では、すっかり打ち解けた雰囲気で饒舌に作品についてお話されました。皆さんの表情も時間の経過と共に豊かになって、楽しそうにされているのが、こちらにも伝わって来ました。
私が担当したグループは8人で、40代から70代?の年齢幅で、当該美術館に来るのは殆どの方が初めて。美術館体験そのものもあまりない方が殆どでした。
そこで、美術館での作品の楽しみ方についてのヒントを差し上げました。それはあくまでも、ひとつのアプローチの仕方ではありますが…
いまどき、美術作品は本、テレビ、ネットで気軽に見ることができます。それでは、なぜ、皆さんはわざわざ美術館に足を運ぶのでしょう?
確かに昨今のテレビやパソコンの画面の解像度は上がって、作品もくっきりと見えます(美術館には作品と鑑賞者との間に結界が設けられていることも多いので、美術館で見る以上に作品を近接して見られると言う利点も)。
それでは、例えば油絵の絵の具の盛り上がりや筆の跡は、テレビやパソコンで見るのと、実際に美術館で実物を見るのとでは、どう見え方が違うのでしょう?…やはり実物の方がより立体的にくっきりと絵の具の盛り上がりや筆跡が確認できますね。作品を制作中の作家の息遣いまで聞こえてくるような迫力があります。
また、いかにパソコンやテレビ等のモニター画面や画集等の印刷物の「色の再現性」の技術が飛躍的に向上したと言われても、肉眼で間近に見る実物作品の色彩を100%忠実に再現しているとは言えません。オルセー美術館で見たエドワール・マネの≪草上の昼食≫の色彩の鮮やかさと美しさには感動のあまり、しばしその前に立ち尽くした程です。
さらに、テレビやネットや画集で知り得ないこととして、「実物の大きさ」があります。
かの有名なルーヴル美術館所蔵のレオナルド・ダヴィンチ作≪モナ・リザ≫をルーヴルで初めて見た時の驚きは忘れられません。さまざまな媒体で見尽くした作品の実物が、自分の想像以上に小さかったこと。それは、そのけっして大きいとは言えない作品の中で展開する世界の宇宙的な広がりと奥行の深さが、より大きな作品だと錯覚させていたのかもしれません。その逆にオルセーで見たギュスターブ・クールベの≪オルナンの埋葬≫の予想外に大きかったこと。その迫力に圧倒されました。
こうした実物作品と間近に対面することによる驚きや感動の体験こそが、美術館で本物を見ることの意味だと私は考えます。
作品の近くには、必ず作品の題名や作者の名前が書かれたプレートがあります(←これはキャプションと言います)。まず、作品の前に来たら、これは見ないでください。まず、自分の目を信じて、自分の目で、目の前にある作品をじっくり見てください。
作品には何が描かれているのか?作品の中に気になるもの、面白いもの、不思議なもの、とにかく何か引っ掛かるものを見つけてみましょう。同行者がいれば、それを互いに発表してみましょう。
あなたが気付かなかったことを気付いた人がいるかもしれません。同じものを見ても、人によって解釈が違うこともあります。感想だって違います。それが当たり前です。違うから面白いんです。いろいろな見方があって良いんです。そもそも世の中の物事全て、見る人の立ち位置によって見え方が違うではありませんか?
作品を見て、作品を前にして、あれこれ想像を巡らすことが大切なんです。そうすることで、作品は、あなたの心に強く印象づけられます。あなたの記憶に残るのです。
この絵はいつの時代を描いているんだろう?どこを描いているんだろう?描かれた人物の特徴や服装や持ち物、建物や風景で分かるかな?
絵の中の人物は誰なんだろう?何を持っているんだろう?なぜ、持っているんだろう?
絵の中の人物は何をしているんだろう?この表情はどんな気持ちを表しているんだろう?
このポーズには何か意味があるんだろうか?もしかして人物の立場や感情や考えを表しているのだろうか?他の登場人物との関係性を表しているのだろうか?
どうして、作者はこの絵を描いたんだろう?
どうしてこのような色遣い、或いは筆遣いで描いたんだろう?
色の明るさは他の作品と比べてどうだろう?筆遣いもどうだろう?
同じ作者の作品でも時代によって変化しているのは、作者の身に何があったのだろう?何から、或は誰から影響を受けたのだろう?エトセトラ…
例えば宗教画は、聖書の物語の一場面を描いていたりするのですが、最初はとにかく上述のようなアプローチで作品を見て行きます。そこで、その時点で気付いたことを踏まえて、参加者各々に自由に物語を作ってもらいます。
その間、参加者はいろいろな疑問を持ちます。例えば、今回は絵の中の天使の絵を見て、天使は女なのか、男なのかと参加者間で議論しました。天使は女性、と言う前提で見ると、絵の中の天使は二の腕が逞し過ぎる。顔は女性的なだけに不思議な印象を覚えたようです。結局天使は人間ではないので、性別はないのですが(或いは両性具有?)…しかし、それはひとつの知識であって、この場では絵を見てあれこれ想像を巡らせるのが大切。
ひとしきり参加者全員で語り合った後で、目の前の作品が聖書のどの場面を描いたもので、どのような意味があるのか、私が種明かしをしたのですが、別にここで参加者の作品解釈の正解不正解を問うているわけではないのです。
参加者が聖書の勉強をしている生徒なら、正解、不正解を問われるかもしれませんが、ここは美術館。あくまでも作品をじっくり見る事が主眼です。
実はこの時点で、参加者は「作品をじっくり見る」という所期の目的を十分達成しています。参加者が作品を前に、自由に語り合ったことに意味があるのです。
仮に私が最初からこの絵は聖書のどの場面で、こういう意味があります、と解説したとしましょう。参加者はその場でその作品について理解した気にはなるかもしれませんが、帰宅後、果たしてどれだけ絵について、作品そのものについて覚えているでしょうか?(ですから、通常美術館で実施されている解説トークに参加した後は、改めてご自分で作品をじっくり見ることをオススメします)
美術館では常に私のようなサポーターがいるとは限らないのですが、その代わり、キャプションと解説プレートがあります。
まずは作品を見ること。上述の要領でじっくり観察することです。
その後に、キャプションや解説プレートで、題名や作者や、作品について確認しましょう。
それでも疑問があれば、ネットや本で調べてみましょう。
この一連のプロセスこそ、美術館で作品を見ることの醍醐味だと思います。
現実問題、観光等で訪れた大規模な美術館での鑑賞の場合、膨大な量の作品を満遍なく見るのは難しいと思います。その場合はメリハリある鑑賞方法が求められるのかもしれません。言うまでもなく人間の集中力には限界があるので、最初に展示室全体を見渡し、その部屋の作品群の雰囲気を掴んだら、数多ある中から自分なりに気になる作品を幾つかピックアップして、じっくり見ると言うのもアリではないでしょうか?
できるだけ多くの人が気軽に美術館に足を運び、作品との出会いを楽しまれるよういつも願いながら、私はボランティアとして活動しています。
2014/3/25
東京(圏)の求心力と地方に残された親たちの思い はなこ的考察―良いこと探し
九州在住の甥っ子が昨年入学した旧帝大系の国立大学を中途退学して、今冬、大学受験に再挑戦した。どうしても国立私立を問わず東京の大学に進学したかったらしい。
もともと地力のある子なので、無事、慶応大学に一般入試で合格した。今やマスコミ報道を見ても、巷の評判を聞いても、はたまたネットの書き込みを見ても、慶応のブランド力は東大・京大に次ぐ強さだ。日本のトップクラスの企業への就職率や就職後の人的ネットワークの充実ぶりを見ても、慶応大の強さは際立っている。今頃、甥っ子も意気揚々と4月の入学式を心待ちにしていることだろう。
これから学費(理系だから国立の3倍?)と生活費の仕送りで経済的負担が大変になるであろう弟夫婦も(けっして裕福とは言えない、社宅住まいのサラリーマン家庭である)、今後の心配はさておき、息子の希望が叶って喜んでいるようだ。
我が子の幸福を何より想う親は、たとえ自分達は爪に火を灯す思いで耐乏生活を送ってでも、我が子の希望を叶えようとするものだ。ましてや、安易に物を買い与えるのではなく、一生の財産となる教育を授けるのだから、その意義に大きな価値を見出し、すべての労苦が報われると信じて疑わないのだろう。
今回、自分の志を貫徹し、東京の大学への進学を果たした甥っ子は、その親の想いをきちんと汲み取って、まず何よりしっかりと勉学に勤しみ、さまざまな人との出会いや経験を自分の血肉に変えるような、充実した学生生活を送って欲しい。
東京にはそれが可能な環境が、日本の他のどの地域よりも整っている。ただし、それが叶うのは自分の心構え次第だ。
東京への人、モノの一極集中の弊害を指摘されて久しいが、それでも自分の可能性を信じて、新たな人と世界との出会いを求めて、地方から上京する若者は後を絶たない。そうした若者達がまた、東京へ活力を与える存在となり、新たな人とチャンスを呼び込むのだ。その絶え間ない循環が、東京の求心力を強めて来たと言える。
郷里の友人の中には何よりも家族との日常の触れあいを重んじ、我が子を自分の目の届く範囲に置きたいと、県外への進学や就職を認めなかった人もいる。仮に他県への進学や就職を認めても、必ずいつかは地元に戻って来ることを約束させる親も多いようだ。その親の想いに応えて、地元で学び、就職した子ども達。
前途ある若者が少しでも地元に留まらなければ地元の衰退を招くことになりかねないので、それはそれで意味があることだと思う。友人の中にも、東京の高いレベルの大学に合格できる学力が十分ありながら、経済的な理由や親の意向で地元の国立大学に進学し、地元で公務員や教員や自営業者になった人も少なくない。そういう人達が地域の中核的存在となって、現在、郷里を支えているのだろう。
夫の両親は弟夫婦のように我が子の将来を想って、18歳の夫を県外の大学へと送り出した。夫は学歴と学習能力を得たことで、両親が経験し得なかった数々のことをこれまで経験し、彼なりに充実した人生を歩んでいる。少なくとも夫にとって、18歳で郷里を離れたことは良かったのかもしれない。
しかし、郷里に残った両親は今、どう思っているのだろう?我が子の為に自分のさまざまな思いや生活や、それこそ人生の少なからぬ部分を犠牲にした挙げ句、現在の距離的にも心理的にも遠く離れた息子との疎遠を嘆いてはいないのだろうか?全国にはそのような思いを抱えた年老いた親たちが、ごまんといるような気がする。因果なもので私達夫婦も、息子の就職を機に、息子を遠くへ手放すことになりそうだ。息子の新たな旅立ちを祝したい気持ちに偽りはないが、私は息子を手放す寂しさに耐えられるのだろうか?
もともと地力のある子なので、無事、慶応大学に一般入試で合格した。今やマスコミ報道を見ても、巷の評判を聞いても、はたまたネットの書き込みを見ても、慶応のブランド力は東大・京大に次ぐ強さだ。日本のトップクラスの企業への就職率や就職後の人的ネットワークの充実ぶりを見ても、慶応大の強さは際立っている。今頃、甥っ子も意気揚々と4月の入学式を心待ちにしていることだろう。
これから学費(理系だから国立の3倍?)と生活費の仕送りで経済的負担が大変になるであろう弟夫婦も(けっして裕福とは言えない、社宅住まいのサラリーマン家庭である)、今後の心配はさておき、息子の希望が叶って喜んでいるようだ。
我が子の幸福を何より想う親は、たとえ自分達は爪に火を灯す思いで耐乏生活を送ってでも、我が子の希望を叶えようとするものだ。ましてや、安易に物を買い与えるのではなく、一生の財産となる教育を授けるのだから、その意義に大きな価値を見出し、すべての労苦が報われると信じて疑わないのだろう。
今回、自分の志を貫徹し、東京の大学への進学を果たした甥っ子は、その親の想いをきちんと汲み取って、まず何よりしっかりと勉学に勤しみ、さまざまな人との出会いや経験を自分の血肉に変えるような、充実した学生生活を送って欲しい。
東京にはそれが可能な環境が、日本の他のどの地域よりも整っている。ただし、それが叶うのは自分の心構え次第だ。
東京への人、モノの一極集中の弊害を指摘されて久しいが、それでも自分の可能性を信じて、新たな人と世界との出会いを求めて、地方から上京する若者は後を絶たない。そうした若者達がまた、東京へ活力を与える存在となり、新たな人とチャンスを呼び込むのだ。その絶え間ない循環が、東京の求心力を強めて来たと言える。
郷里の友人の中には何よりも家族との日常の触れあいを重んじ、我が子を自分の目の届く範囲に置きたいと、県外への進学や就職を認めなかった人もいる。仮に他県への進学や就職を認めても、必ずいつかは地元に戻って来ることを約束させる親も多いようだ。その親の想いに応えて、地元で学び、就職した子ども達。
前途ある若者が少しでも地元に留まらなければ地元の衰退を招くことになりかねないので、それはそれで意味があることだと思う。友人の中にも、東京の高いレベルの大学に合格できる学力が十分ありながら、経済的な理由や親の意向で地元の国立大学に進学し、地元で公務員や教員や自営業者になった人も少なくない。そういう人達が地域の中核的存在となって、現在、郷里を支えているのだろう。
夫の両親は弟夫婦のように我が子の将来を想って、18歳の夫を県外の大学へと送り出した。夫は学歴と学習能力を得たことで、両親が経験し得なかった数々のことをこれまで経験し、彼なりに充実した人生を歩んでいる。少なくとも夫にとって、18歳で郷里を離れたことは良かったのかもしれない。
しかし、郷里に残った両親は今、どう思っているのだろう?我が子の為に自分のさまざまな思いや生活や、それこそ人生の少なからぬ部分を犠牲にした挙げ句、現在の距離的にも心理的にも遠く離れた息子との疎遠を嘆いてはいないのだろうか?全国にはそのような思いを抱えた年老いた親たちが、ごまんといるような気がする。因果なもので私達夫婦も、息子の就職を機に、息子を遠くへ手放すことになりそうだ。息子の新たな旅立ちを祝したい気持ちに偽りはないが、私は息子を手放す寂しさに耐えられるのだろうか?
2014/3/24
(28)『あなたを抱きしめる日まで(原題:PHILOMENA)』(仏/英、2013) 映画(今年公開の映画を中心に)

今年に入って昨日までに31本の新作映画を見ている。私は基本的に好き嫌いのない雑食系なので、いつもの如くジャンルは多岐に渡る。現時点で私がベストだと思うのが、タイトルの作品だ。原題はジュディ・ディンチが演じる主人公の名前。邦題は、幼い頃に生き別れた息子との再会を切実に願う、主人公の心情に寄り添ったものとなっている。
本作は実話に基づいた作品。近年は映画界が物語を創り出す力を失ってしまったのか、実話の映画化流行りである(米アカデミー賞作品賞のノミネート作品の殆どが実話ベースの作品であることが、このことを如実に示している)。残念ながら良質で斬新なシナリオが慢性的に不足している映画界は、実話のドラマ性に安直に乗っかっている印象が否めない。映画化にあたって多少の脚色が加えられているとは言え、実話が元々持つリアリティの迫力に、現状は人間の想像力(創造力?)が敗北していると言えよう。
今や世界はネットで繋がって、遠い外国の出来事もリアルタイムに知る時代。テレビは現実世界の誰もが予測のつかない展開を(シリア問題然り、ウクライナ問題然り…)、リアルタイムに映像で流し続けている。そんな中でフィクションは意外性を描けず、人々の目には陳腐な嘘話としか映らなくなって、この世界で居場所を失ってしまったかのようだ。
かつては実話に基づくと言うだけで、何かしらのインパクトがあった。しかし、このところの実話ベース作品の乱立ぶりには、正直なところ、そろそろ辟易して来てもいる。果たして、どこまでが実話で、どこからがフィクションなのか、その境界も曖昧であり、そこで描かれた"真実"が信頼に足るものか(何らかのイデオロギーへの誘導がなされているのではないか?)、見る側は懐疑的にもなっている。
本作には、そんな実話の映画化に対する疑念や飽食感を吹き飛ばすような、物語としての際立った面白さがあった。

具体的には主人公とその息子が辿った数奇な運命や、個人の尊厳を蔑ろにする組織の非情な暴力性、信仰の在り方への鋭い疑義、そして、通常なら接点を持たない者同士が出会った時の化学反応の面白さ(階級社会における階級間の断絶をコミカルに描き、親子の離散と言う重いテーマを扱いながらも、全編にユーモアが散りばめられている脚本と演出が心憎い)など、興味をそそる、見応えのある要素が、最近にしては珍しく98分と言うコンパクトな時間の中にギュッと詰まった充実感があった。さらにその属性から想起されるイメージを敢えて覆す登場人物個々の複雑な造形には、人間の品性とは何なのか、何を以てそれは磨かれるのか、改めて考えさせられるものがあった。
もう1度見たい。もう一度見て、印象深いシーンのひとつひとつを、思わず聞き逃してしまった台詞のひとつひとつをこの目と耳で確かめ、いつまでも記憶に留めたい…見終わった直後から、そんな衝動にかられる作品だった。
本作のプロデュースと共同脚本も手がけたと言う、共演のスティーブ・クーガンがこれまた魅力的で、彼についても後日言及できたらと思う。彼は両親の離婚で否応なく翻弄される幼い少女を描いた『メイジーの瞳』でも好演している。
蛇足ながら、先日放映の『王様のブランチ』では、ジュディ・ディンチが現在、殆ど失明に近い状態で、本作も友人に録音して貰った台詞を繰り返し聞いて覚え、撮影に臨んだと言うエピソードが紹介されていた。名優の誉高い彼女が、障害を克服しての今回の出演と知って、本当に驚いた。映画の中で主人公フィロミナを演じる彼女は、障害を一切感じさせない自然な立ち居振る舞いで、一見どこにでもいるような、その実、苛酷な経験をひた隠しにして生き抜いて来た老境のアイルランド人女性を演じていたのだ。
ハーレクインロマンスを愛し、世界に名だたる英国の名門大学の名も知らず、常にバッグに忍ばせたキャンディを誰彼構わずに勧める(おばちゃんの習性は世界共通?)庶民性が際立つ一方で、厚い信仰心を礎に、謙虚で、思いやりと智慧に溢れた、気高い精神の持ち主であるフィロミナ。そんな魅力的な人物を見事に演じきったジュディ・ディンチは、まさに女優として円熟の境地に達している。それだけに、あと何回、彼女の名演をスクリーンで見ることができるのだろうと、ふと考えてしまった。彼女が米国アカデミー賞受賞式など、華やかな舞台に一切姿を見せなかった理由も、深刻な目の障害が原因だったのかと、初めて合点が行った。
話題作やヒット作に食指が動かない映画好きの方に、是非オススメしたい作品です。


2014/3/23
息子の手土産♪ 携帯電話から投稿
2年間家庭教師を担当した生徒さんが無事、第一志望校の合格を果たし、その後は暫く休んでいた息子。
3月に入って、ひと月海外に短期留学する人の代打で、再び家庭教師をすることに。
先日、その家庭教師先のお宅から、これまで見たこともない、直径13CMの巨大な柑橘を持ち帰って来ました。
主に贈答用として、デパ地下で販売されているような代物ですね。
まず、えも言われぬ爽やかな香り。何度でもその実に鼻を寄せ、嗅ぎたくなります。
皮が分厚く、包丁で切り分けたのですが、可食部分は思いの外小さい。贅沢な感じ。
レモンイエローの果肉をおそるおそる食べてみると、酸味があまりなく、甘さも控えめ、香りと同じく爽やかで、さっぱりとした味わいでした。瀬戸内地方で栽培されている品種のようです。
このような品を私や夫が贈答でいただく機会などそうそうないだろうし、ましてや自分で買うことはないので、息子を通じて、自分の目の前にまた新しい世界が開かれたと言うか、未踏の地へ導かれたような気がします。息子に感謝♪
3月に入って、ひと月海外に短期留学する人の代打で、再び家庭教師をすることに。
先日、その家庭教師先のお宅から、これまで見たこともない、直径13CMの巨大な柑橘を持ち帰って来ました。
主に贈答用として、デパ地下で販売されているような代物ですね。
まず、えも言われぬ爽やかな香り。何度でもその実に鼻を寄せ、嗅ぎたくなります。
皮が分厚く、包丁で切り分けたのですが、可食部分は思いの外小さい。贅沢な感じ。
レモンイエローの果肉をおそるおそる食べてみると、酸味があまりなく、甘さも控えめ、香りと同じく爽やかで、さっぱりとした味わいでした。瀬戸内地方で栽培されている品種のようです。
このような品を私や夫が贈答でいただく機会などそうそうないだろうし、ましてや自分で買うことはないので、息子を通じて、自分の目の前にまた新しい世界が開かれたと言うか、未踏の地へ導かれたような気がします。息子に感謝♪

2014/3/22
5年ぶりに江の島散歩 散歩の記録
夫の発案で5年ぶりに、今回は夫婦で、春の訪れが間近い江の島に行って来ました。
前回の江の島訪問記:『つぶらな瞳に魅せられて〜江の島賞美』(2009.3.21(土)訪問)

今日も前回の訪問と同様、天候に恵まれ、抜けるような青空の下、遠望では紺碧の、岸辺では透明感を湛えた海が、陽光に照らされて、それはそれは美しく、見惚れるほどでした。

今回は江の島1dayパスポート"eno=pass"(大人1,000円、子ども500円)を、地下道入り口近く(右側)にある藤沢市観光センターで買い求めてみました。

このパスで、江の島内の主だった観光施設であるエスカー、サムエル・コッキング苑、シーキャンドル(展望灯台)、岩屋が利用できます。この4カ所をすべて回れば、「350円もお得!」らしいのですが、金銭的なメリット以上に、各施設の窓口でチケットを買う為に並ぶ必要がないのが一番のメリットだったように思います。
今回は3連休の中日(2.22(土))で、しかも晴天の行楽日和だったので、かなりの数の観光客で江の島は賑わい、至る所に行列ができていたので、チケット購入に並ばなくて済むこのパスの効果はてきめんでした
さらにパスと共に渡されたチラシに記載されたショップや飲食店で1,000円以上利用すると、5%の割引が適用されます。私達は途中で疲れてしまい、岩屋までは行かなかったのですが、それでも十分江の島を満喫できたので、このパスを買い求めて本当に良かったと思いました(前回はあごひげアザラシの"江の島君"を買ったのですが、今回は写真のラッコ、"らっこタン"<←夫が命名・笑>を割引価格で購入。口にホタテをくわえた食いしん坊です)。
今回の江の島訪問で最も楽しみにしていたのは、江の島ならではの海の幸を味わうことでした
そこで前回同様、江の島グルメでその名を知られた創業明治24年の老舗、江之島亭で、昼食を取りました。前回の訪問では、夫はさざえの卵とじ丼である江之島丼を、私は釜揚げしらす丼を食べたのですが、今回は海鮮丼を食べてみました。
これが、まあ、ほっぺたが落ちるほど美味でした

夫はビールに海鮮丼でご満悦
温かいご飯の上に、甘エビ、タコ、イカ、イクラ、釜揚げ&生しらす、ワカメ、ブリ、マグロの8種盛り。わさび醤油でいただきます。
新鮮な海の幸はプリプリの歯ごたえで、ほのかな甘みもあり、さらに前回は生しらすのない時期で、釜揚げしらすしか食べられなかったのが、今回は生と釜揚げと、二通りのしらすを味わえました。
店のリーフレットによれば、生しらすは1月から3月初旬までの禁漁期や悪天候などで漁のない時には提供できないそうです。この時期は漁も解禁したばかりで水揚げ量が少ないので、"生しらす丼"はまだ無理で、釜揚げと生が半々のしらす丼しか提供できないとのこと。
生しらすはとにかく足が早いので水揚げした地元でしか食べられないんですよね。特に最近、生協の釜揚げしらすの冷凍物をパスタにチャーハンにと使い倒して
しらすの旨味の虜となっている私としては、待望の生しらすを食べられて、本当に幸せでした
これにお味噌汁と香の物がついて1,500円也。それで先程のエノパスを会計の際に提示すれば5%の割引。

四方を海に囲まれた土地柄、礒料理を扱う店は島内のそこかしこに何軒もあるのですが、江之島亭は客が引きも切らず、常に店内は満席の状態です。ただ前回と違って今回はハイテクな待ち行列のシステムができていて、以前ほどの行列ではありませんでした。
早速、そのシステムにトライ
〜店頭に設置された機械のボタンを「席は窓際が良いか」「どこでも良いか」など順次選択しながら押して行くと、番号が印字された紙が出て来ます。後は番号が呼ばれるのを待つだけ…
とまあ、ここまでは郵便局や銀行でも馴染みのシステムですが、さらにその紙に記載のQRコードを携帯に読み込んで店のサイトにアクセスしメルアドを登録すると、買い物や観光で店を一旦離れても、順番が近づいた時メールで連絡してくれるサービスまでついているのです(しかも店のリーフレットによれば、携帯からのアクセスでも席の順番を受け付けてくれるらしい)
これにはビックリ
時代は進んでいるんですねえ…

今回も窓際を指定したら、前回同様ベランダの席に通されました。少し潮風が肌には冷たかったですが(膝掛けを貸してくれる)、とにかく風光明媚な景色を見ながらの食事なので楽しい。展望灯台から見ると、江之島亭は崖の上に建っているんですね。おかげで上の写真のような、波打ち際の透明感溢れる海を見ながら、料理に舌鼓を打てるわけです。ただ、先の震災の時には何事もなかったのでしょうか…気になったのですが、お店の方は接客に忙しそうだったので聞くに聞けず(昔ながらの造りで鴨居もかなり低く、長身の夫はつい油断して、鴨居にしたたか頭をぶつけてしまいました
)。

お会計の時、(まあ、料理がおいしかった時はいつもそうしているのですが)「お料理、とてもおいしかったです。ごちそうさまでした」と、お店の方に申し上げたところ、「いつも、多くのお客さまに"おいしい"と言っていただけて、私共も嬉しいです」と相好を崩されました。さらに「最もおいしい時期はいつですか?」と伺ったところ、「一年中です」と即答されました。こりゃ、野暮な質問でしたかね?
この江之島亭で料理と共に印象的だったのは、店で働く方々がキビキビと、しかもどんなに忙しくても笑顔を絶やさず働いていたこと(もしかしたら家族経営なのかもしれませんね)。
夫曰く、「やっぱり、店が繁盛していると懐も潤って生活の心配もないから、忙しく働いていても、楽しいんだろね」
そう言えば、江之島亭に向かう途中に似たような店が何軒もあったのですが、そのひとつの店先を覗いただけで、店に入ることをやめた年配女性が、「あんまり空いていると、(品物の鮮度や品質?)心配よね」と、連れの方に言っていたのが思い出されました。
言うまでもなく、繁盛している店には常に新鮮な食材が入って来る→おいしいから客が引きも切らない、と言う好循環が生まれるのでしょう。どうせ働くのなら、誰だって楽しく(客商売なら、お客様に喜ばれて)働きたいものでしょう。

観光地で今回意外だったのが、明治初期に英国人実業家よって造られた別荘の跡地で、現在はその遺構と藤沢市の姉妹都市に因んだ建物や広場が造成されているサムエル・コッキング苑。前回も同時期に訪ねたのですが、当時は苑内の鉢植えには菜の花が咲き乱れていました。ところが、今回は何だか寂れた様子。花が殆どないし、あっても枯れかかっている。南国情緒を醸すシュロ(ヤシ?)の木?も元気がない。まだ土づくりの段階なのか、苑内で作業されている方々を何人も見かけました。例年にない大雪の影響で植物にもかなりのダメージがあり、春に向けた造園作業も遅れているんでしょうかね?

因みに下の写真が5年前のサムエル・コッキング苑。今回と違って色彩豊かに花が咲き乱れ、華やいだ雰囲気でした。


苑内にあるシーキャンドルと呼ばれる展望灯台にも上りました。エレベータに乗るまで20分は待ったでしょうか?屋内の展望室と、屋上の吹きさらしの展望フロア。360度の開けた視界を楽しみたければ、地上から41.7m(海抜106.6m)の高さにある屋上に限りますが、いかんせん海から吹く風が強く、とにかく冷たい。10分と居られませんでした
しかし、ヨットを走らせるには最高の風だったんでしょうね。海には幾隻ものヨットが出て、早春の湘南の風を受けて海上を疾走していました。

今回の江の島土産は「しらすせんべい」と「江島神社のお守り」。大願成就のお守りは就活中の息子へ。龍の図柄が素敵です。せんべいは塩味のきいた薄焼きせんべい。あっという間になくなりそうです

下の写真は「山ふたつ」と呼ばれる場所で、江の島でもっとも標高の高い所から御岩屋道通りを下る途中にあります。地図で俯瞰して見ると、ちょうど大小ふたつの島が繋がったような境目にあり、あたかもふたつの山が対峙して見えるので、その名が付いたようです。

ここから見える波打ち際の岩の形がなかなかユニークで、あれこれと想像をかきたてました。このような興趣に富んだ景観が島のそこかしこにあり、江の島は日がな1日散策を楽しむにはもってこいの場所だと思います。各所に建つ松尾芭蕉、与謝野晶子など数多くの有名人ゆかりの石碑は、この島がそうした人々をも魅了して止まなかったことを意味していますね。さらに持ち帰った資料で、この島があの大森貝塚発見で知られるエドワード・S・モース博士が海洋生物の研究にも勤しんだ、我が国における海洋生物学発祥の地と知り、その魅力の奥深さに感嘆せずにはいられませんでした。

今回、往きは前回と同じく江ノ電、帰りには初めて?小田急線片瀬江ノ島駅を利用したのですが、な、なんですか?これは
中国建築と見紛う造り
夫は「天安門広場前だあ」と冗談めかしていましたが、遠目に色鮮やかな(屋根のコバルトブルーはもしかして、江の島の海の色なのかな?)中国建築を目にした時、中華街でもあるのかと思いました。まさかそれが駅舎とは思わず、いよいよ間近になって、正面に「片瀬江ノ島駅」の看板が見えた時には、本当に驚いたのでした

江の島は遥か昔から行楽地として栄えたようですが、味良し・景色良しで、今も変わらず、多くの人々に愛されているようですね。今回はやたらと中国人の姿、特に若い子達を見かけたのですが、今や中国人の間でも、江の島は有名なのでしょうか?若い女の子が全身ブランド物で固めていて(おそらく中国の富裕層の子弟だとは思いますが)、そこそこ可愛くて、もしかしたら日本人の女の子より暮らしぶりは派手なのかもしれないなと思わせるほど、華やかな佇まいでした。今の中国の国力(それがいつまで続くのかは未知数ですが)を体現した姿だと思いました。
今回の総歩数、door to doorで14,423歩なり


今日も前回の訪問と同様、天候に恵まれ、抜けるような青空の下、遠望では紺碧の、岸辺では透明感を湛えた海が、陽光に照らされて、それはそれは美しく、見惚れるほどでした。

今回は江の島1dayパスポート"eno=pass"(大人1,000円、子ども500円)を、地下道入り口近く(右側)にある藤沢市観光センターで買い求めてみました。

このパスで、江の島内の主だった観光施設であるエスカー、サムエル・コッキング苑、シーキャンドル(展望灯台)、岩屋が利用できます。この4カ所をすべて回れば、「350円もお得!」らしいのですが、金銭的なメリット以上に、各施設の窓口でチケットを買う為に並ぶ必要がないのが一番のメリットだったように思います。


さらにパスと共に渡されたチラシに記載されたショップや飲食店で1,000円以上利用すると、5%の割引が適用されます。私達は途中で疲れてしまい、岩屋までは行かなかったのですが、それでも十分江の島を満喫できたので、このパスを買い求めて本当に良かったと思いました(前回はあごひげアザラシの"江の島君"を買ったのですが、今回は写真のラッコ、"らっこタン"<←夫が命名・笑>を割引価格で購入。口にホタテをくわえた食いしん坊です)。
今回の江の島訪問で最も楽しみにしていたのは、江の島ならではの海の幸を味わうことでした

そこで前回同様、江の島グルメでその名を知られた創業明治24年の老舗、江之島亭で、昼食を取りました。前回の訪問では、夫はさざえの卵とじ丼である江之島丼を、私は釜揚げしらす丼を食べたのですが、今回は海鮮丼を食べてみました。
これが、まあ、ほっぺたが落ちるほど美味でした


夫はビールに海鮮丼でご満悦


新鮮な海の幸はプリプリの歯ごたえで、ほのかな甘みもあり、さらに前回は生しらすのない時期で、釜揚げしらすしか食べられなかったのが、今回は生と釜揚げと、二通りのしらすを味わえました。
店のリーフレットによれば、生しらすは1月から3月初旬までの禁漁期や悪天候などで漁のない時には提供できないそうです。この時期は漁も解禁したばかりで水揚げ量が少ないので、"生しらす丼"はまだ無理で、釜揚げと生が半々のしらす丼しか提供できないとのこと。
生しらすはとにかく足が早いので水揚げした地元でしか食べられないんですよね。特に最近、生協の釜揚げしらすの冷凍物をパスタにチャーハンにと使い倒して


これにお味噌汁と香の物がついて1,500円也。それで先程のエノパスを会計の際に提示すれば5%の割引。

四方を海に囲まれた土地柄、礒料理を扱う店は島内のそこかしこに何軒もあるのですが、江之島亭は客が引きも切らず、常に店内は満席の状態です。ただ前回と違って今回はハイテクな待ち行列のシステムができていて、以前ほどの行列ではありませんでした。
早速、そのシステムにトライ

とまあ、ここまでは郵便局や銀行でも馴染みのシステムですが、さらにその紙に記載のQRコードを携帯に読み込んで店のサイトにアクセスしメルアドを登録すると、買い物や観光で店を一旦離れても、順番が近づいた時メールで連絡してくれるサービスまでついているのです(しかも店のリーフレットによれば、携帯からのアクセスでも席の順番を受け付けてくれるらしい)



今回も窓際を指定したら、前回同様ベランダの席に通されました。少し潮風が肌には冷たかったですが(膝掛けを貸してくれる)、とにかく風光明媚な景色を見ながらの食事なので楽しい。展望灯台から見ると、江之島亭は崖の上に建っているんですね。おかげで上の写真のような、波打ち際の透明感溢れる海を見ながら、料理に舌鼓を打てるわけです。ただ、先の震災の時には何事もなかったのでしょうか…気になったのですが、お店の方は接客に忙しそうだったので聞くに聞けず(昔ながらの造りで鴨居もかなり低く、長身の夫はつい油断して、鴨居にしたたか頭をぶつけてしまいました


お会計の時、(まあ、料理がおいしかった時はいつもそうしているのですが)「お料理、とてもおいしかったです。ごちそうさまでした」と、お店の方に申し上げたところ、「いつも、多くのお客さまに"おいしい"と言っていただけて、私共も嬉しいです」と相好を崩されました。さらに「最もおいしい時期はいつですか?」と伺ったところ、「一年中です」と即答されました。こりゃ、野暮な質問でしたかね?


夫曰く、「やっぱり、店が繁盛していると懐も潤って生活の心配もないから、忙しく働いていても、楽しいんだろね」
そう言えば、江之島亭に向かう途中に似たような店が何軒もあったのですが、そのひとつの店先を覗いただけで、店に入ることをやめた年配女性が、「あんまり空いていると、(品物の鮮度や品質?)心配よね」と、連れの方に言っていたのが思い出されました。
言うまでもなく、繁盛している店には常に新鮮な食材が入って来る→おいしいから客が引きも切らない、と言う好循環が生まれるのでしょう。どうせ働くのなら、誰だって楽しく(客商売なら、お客様に喜ばれて)働きたいものでしょう。

観光地で今回意外だったのが、明治初期に英国人実業家よって造られた別荘の跡地で、現在はその遺構と藤沢市の姉妹都市に因んだ建物や広場が造成されているサムエル・コッキング苑。前回も同時期に訪ねたのですが、当時は苑内の鉢植えには菜の花が咲き乱れていました。ところが、今回は何だか寂れた様子。花が殆どないし、あっても枯れかかっている。南国情緒を醸すシュロ(ヤシ?)の木?も元気がない。まだ土づくりの段階なのか、苑内で作業されている方々を何人も見かけました。例年にない大雪の影響で植物にもかなりのダメージがあり、春に向けた造園作業も遅れているんでしょうかね?

因みに下の写真が5年前のサムエル・コッキング苑。今回と違って色彩豊かに花が咲き乱れ、華やいだ雰囲気でした。


苑内にあるシーキャンドルと呼ばれる展望灯台にも上りました。エレベータに乗るまで20分は待ったでしょうか?屋内の展望室と、屋上の吹きさらしの展望フロア。360度の開けた視界を楽しみたければ、地上から41.7m(海抜106.6m)の高さにある屋上に限りますが、いかんせん海から吹く風が強く、とにかく冷たい。10分と居られませんでした


今回の江の島土産は「しらすせんべい」と「江島神社のお守り」。大願成就のお守りは就活中の息子へ。龍の図柄が素敵です。せんべいは塩味のきいた薄焼きせんべい。あっという間になくなりそうです


下の写真は「山ふたつ」と呼ばれる場所で、江の島でもっとも標高の高い所から御岩屋道通りを下る途中にあります。地図で俯瞰して見ると、ちょうど大小ふたつの島が繋がったような境目にあり、あたかもふたつの山が対峙して見えるので、その名が付いたようです。

ここから見える波打ち際の岩の形がなかなかユニークで、あれこれと想像をかきたてました。このような興趣に富んだ景観が島のそこかしこにあり、江の島は日がな1日散策を楽しむにはもってこいの場所だと思います。各所に建つ松尾芭蕉、与謝野晶子など数多くの有名人ゆかりの石碑は、この島がそうした人々をも魅了して止まなかったことを意味していますね。さらに持ち帰った資料で、この島があの大森貝塚発見で知られるエドワード・S・モース博士が海洋生物の研究にも勤しんだ、我が国における海洋生物学発祥の地と知り、その魅力の奥深さに感嘆せずにはいられませんでした。

今回、往きは前回と同じく江ノ電、帰りには初めて?小田急線片瀬江ノ島駅を利用したのですが、な、なんですか?これは




江の島は遥か昔から行楽地として栄えたようですが、味良し・景色良しで、今も変わらず、多くの人々に愛されているようですね。今回はやたらと中国人の姿、特に若い子達を見かけたのですが、今や中国人の間でも、江の島は有名なのでしょうか?若い女の子が全身ブランド物で固めていて(おそらく中国の富裕層の子弟だとは思いますが)、そこそこ可愛くて、もしかしたら日本人の女の子より暮らしぶりは派手なのかもしれないなと思わせるほど、華やかな佇まいでした。今の中国の国力(それがいつまで続くのかは未知数ですが)を体現した姿だと思いました。
今回の総歩数、door to doorで14,423歩なり

2014/3/18
我が子への贈り物(2) はなこ的考察―良いこと探し
息子の美術館デビューは生後4カ月だったが、以来、私の趣味に付き合わせる形で(笑)、これまで国内外の数多くの美術館の、のべ100近い数の展覧会に息子を連れて行った。さすがに大学入学後は勉学や研究、部活に忙しいのと、彼なりの嗜好もあって、以前ほどは一緒に連れ立って行くこともなくなったが、幼い頃から場数を踏んだことで、彼なりに美術作品との向き合い方を学んでくれたのではと思っている。彼が10年通った絵画教室の先生は常々「子どもは皮膚からも吸収するんです」と言っておられたが、息子も、これまで出会った芸術作品から多くのことを吸収し、彼自身の血肉にしたのだと信じたい。
私の趣味と言えば、映画鑑賞にも積極的に付き合わせた。彼の映画鑑賞デビューは確か1歳半の頃である。駐在先の自宅のテレビで、なんと「エイリアン2」を見た。もちろん、この場合は端から見せる気満々で息子に見せたわけではなく、家事をしながら流していた映像に、息子がたまたま見入ってしまったのだ。しまったと思ったが時既に遅く、息子は映像に釘付けだった。そして、エイリアンに襲われる夢でも見たのか、夜中にうなされた。幸いにも、本人はこのことを全然覚えていないようである。
映画館デビューは帰国後間もなく、アニメの「ドラえもん」劇場版だっと思う。以来、長らくドラえもんは息子のアイドルだった。小学校を卒業するまで、毎年のように新作を見に行った。川崎市の生田緑地内にできた「藤子・F・不二雄ミュージアム」にも、開館後すぐに訪ねている。家族でアクション映画もよく見に行った。所謂スパイもの、サスペンス、SFなど、我が家は自宅のテレビで見るより、映画館で見ることの方が圧倒的に多い。映画館は近所にある為、気軽に足を運べる分、美術館以上に身近な存在だ。息子もこれまで何百本と見たことだろう。今では家族や友人とだけでなく、とにかく忙しいせいか、時間が空けば、ひとりで見に行くことも多い。映画フリークの私から見ると、息子が見るのはアクションものやアニメに偏りがちなので、もう少し物語性のある重厚な作品も、年齢的にそろそろ見て欲しいところではある。
息子が中学生の頃、「もしかして息子は読字障害なのではないか」と真剣に悩んだこともあった。とにかく本を読まない。本を読まないから、読解力も身につかない。読解力がないから、教科学習全体に悪影響を及ぼし、学業成績も今ひとつであった。これでも息子が幼児の頃から小学生にかけて、絵本から始まって、昔話、童話、児童小説と、毎晩、読み聞かせをして来たつもりだ。しかし、一向に活字に興味を持つ気配がなかった(ただし、マンガは例外で、彼のベッドの下にはおびただしい数のマンガの単行本が収納されている。しかも全巻揃えでないと気が済まないらしい。最近は"卒業"を意識してか、それらを売りに出しているようだ)。これがネックとなり、大学受験に向けての勉強でも、理系科目はまだしも、国語や社会等の文系科目が壊滅的にダメだった(しかし、基本的に真面目な性格なので、英語や漢字など、地道に勉強すれば点数の取れる分野は得意であった)。
おそらく学年でも最も年少と言うこともあって、人より何かにつけ目覚めるのが遅いのかもしれない。親の目には、常に同級生と比べ、精神的に幼いように見えた。それが大学に入学後、人が変わったように、突然、読書に目覚めたのだ。特に村上春樹のファンで、最近の作品から遡って彼の過去の作品も読み漁っているようだ。他には伊坂幸太郎や東野圭吾、宮部みゆきなどのベストセラー作家の作品や友人から紹介されたライトノベルなど、見たところ現代文学に偏っている。しかし、昔のことを思えば、読書に目覚めてくれただけでも、親としては嬉しい。ドラマなどでドストエスフキーにも最近、興味を持ったようなので、これからおいおい世界文学にも誘いをかけてみようとも思うが…いやいや、ここはグッと堪えて、自然の流れに任せよう。
そして、読書に目覚めたことで、読解力も多少は身についたようだ。大学では1度に大量の文章を読まなければならないことも少なくないが、それもどうにかクリアしているようだし、頻繁に提出しなければならないレポートを書くのも、以前ほどは苦にならなくなったらしい。現在は就活に向けてエントリーシートを書いている最中で、読んでみると多少稚拙な点はあるものの、以前とは見違えるような文章を書いているので少し安心した。
私の実家は、私が小学生の時、父が病に倒れて以来、経済的に余裕のない家庭だったので、1度も家族旅行をしたことがなかった。そんな私は家業の手伝いで店番をしながら、毎日のように日本地図や世界地図を広げては、旅行の妄想に耽っていた(笑)。お金の当てもないのに、「いつかは海外に住んでみたいなあ」とも思っていた。その夢が、今では叶った(妄想が現実となった?)。
私が初めて他県に足を踏み入れたのは中学の修学旅行でのこと。その後、高校の修学旅行、短大時代に他県にある姉妹校との交流会への参加、上京後の会社の同僚との国内旅行や国内ひとり旅、夫との新婚旅行、海外赴任、赴任中の中東・ヨーロッパ数カ国への旅行、帰国後の国内外への旅行で、国内44都道府県、海外15カ国を、場所によっては複数回訪ねた。国内はそのほぼ全てを、海外は10カ国を、息子と共に訪れている。さらに息子は学校の修学旅行や友人との旅行で、私も訪れたことのない国や県、都市へも旅しているので、私が知らない世界も見て来ているはずだ。
家族で各地を旅することは、息子を授かってからの念願でもあった。息子に「国内外のさまざまな景色」「さまざまな場所で生きる人々の暮らしぶり」「人々が長い年月に渡って創り上げた多彩な芸術文化」を見せてあげたかった。そして、何より「世界の広さと多様さ」を肌で感じて貰いたかった。どうせ生きるなら、井の中の蛙で終わらずに、常に世界を意識して生きて欲しい。さまざまなことに広く、時には深く関心を寄せて、息子なりに充実した人生を歩んで欲しいと願っている。いかんせん、私も万能ではないから、これまで彼に経験させてあげたことの中には、私自身がついぞ縁のなかったスポーツの分野が欠けているが(強いて言えば、ウォーキングがスポーツの分野に当て嵌まる?)、そこは彼が自分自身で開拓して貰いたいところだ。
結局、家族で楽しく過ごすことを追求した為に散財したので、正直言って、息子に相続させるようなめぼしい資産が我が家にはない。これまで家族で経験したこと、息子に授けた教育を無形の財産だと思って、息子には自分の人生を力強く生きて行って欲しい。
…とまあ、ここまで書いて、自分はどれほど息子に執着し、溺愛しているのよ、と思う(果たして、夫について、ここまで語れるのか?
)。とにかく、息子がカワイクテ仕方ないのは確か。同時に、これまで散々私達のワガママに付き合わせ、十分に楽しませて貰ったので、そろそろ(いい加減?)子離れする時期なのね、と言う一抹の寂しさも感じているのです。息子の就職が、ひとつの区切りとなるでしょうか?
私の趣味と言えば、映画鑑賞にも積極的に付き合わせた。彼の映画鑑賞デビューは確か1歳半の頃である。駐在先の自宅のテレビで、なんと「エイリアン2」を見た。もちろん、この場合は端から見せる気満々で息子に見せたわけではなく、家事をしながら流していた映像に、息子がたまたま見入ってしまったのだ。しまったと思ったが時既に遅く、息子は映像に釘付けだった。そして、エイリアンに襲われる夢でも見たのか、夜中にうなされた。幸いにも、本人はこのことを全然覚えていないようである。
映画館デビューは帰国後間もなく、アニメの「ドラえもん」劇場版だっと思う。以来、長らくドラえもんは息子のアイドルだった。小学校を卒業するまで、毎年のように新作を見に行った。川崎市の生田緑地内にできた「藤子・F・不二雄ミュージアム」にも、開館後すぐに訪ねている。家族でアクション映画もよく見に行った。所謂スパイもの、サスペンス、SFなど、我が家は自宅のテレビで見るより、映画館で見ることの方が圧倒的に多い。映画館は近所にある為、気軽に足を運べる分、美術館以上に身近な存在だ。息子もこれまで何百本と見たことだろう。今では家族や友人とだけでなく、とにかく忙しいせいか、時間が空けば、ひとりで見に行くことも多い。映画フリークの私から見ると、息子が見るのはアクションものやアニメに偏りがちなので、もう少し物語性のある重厚な作品も、年齢的にそろそろ見て欲しいところではある。
息子が中学生の頃、「もしかして息子は読字障害なのではないか」と真剣に悩んだこともあった。とにかく本を読まない。本を読まないから、読解力も身につかない。読解力がないから、教科学習全体に悪影響を及ぼし、学業成績も今ひとつであった。これでも息子が幼児の頃から小学生にかけて、絵本から始まって、昔話、童話、児童小説と、毎晩、読み聞かせをして来たつもりだ。しかし、一向に活字に興味を持つ気配がなかった(ただし、マンガは例外で、彼のベッドの下にはおびただしい数のマンガの単行本が収納されている。しかも全巻揃えでないと気が済まないらしい。最近は"卒業"を意識してか、それらを売りに出しているようだ)。これがネックとなり、大学受験に向けての勉強でも、理系科目はまだしも、国語や社会等の文系科目が壊滅的にダメだった(しかし、基本的に真面目な性格なので、英語や漢字など、地道に勉強すれば点数の取れる分野は得意であった)。
おそらく学年でも最も年少と言うこともあって、人より何かにつけ目覚めるのが遅いのかもしれない。親の目には、常に同級生と比べ、精神的に幼いように見えた。それが大学に入学後、人が変わったように、突然、読書に目覚めたのだ。特に村上春樹のファンで、最近の作品から遡って彼の過去の作品も読み漁っているようだ。他には伊坂幸太郎や東野圭吾、宮部みゆきなどのベストセラー作家の作品や友人から紹介されたライトノベルなど、見たところ現代文学に偏っている。しかし、昔のことを思えば、読書に目覚めてくれただけでも、親としては嬉しい。ドラマなどでドストエスフキーにも最近、興味を持ったようなので、これからおいおい世界文学にも誘いをかけてみようとも思うが…いやいや、ここはグッと堪えて、自然の流れに任せよう。
そして、読書に目覚めたことで、読解力も多少は身についたようだ。大学では1度に大量の文章を読まなければならないことも少なくないが、それもどうにかクリアしているようだし、頻繁に提出しなければならないレポートを書くのも、以前ほどは苦にならなくなったらしい。現在は就活に向けてエントリーシートを書いている最中で、読んでみると多少稚拙な点はあるものの、以前とは見違えるような文章を書いているので少し安心した。
私の実家は、私が小学生の時、父が病に倒れて以来、経済的に余裕のない家庭だったので、1度も家族旅行をしたことがなかった。そんな私は家業の手伝いで店番をしながら、毎日のように日本地図や世界地図を広げては、旅行の妄想に耽っていた(笑)。お金の当てもないのに、「いつかは海外に住んでみたいなあ」とも思っていた。その夢が、今では叶った(妄想が現実となった?)。
私が初めて他県に足を踏み入れたのは中学の修学旅行でのこと。その後、高校の修学旅行、短大時代に他県にある姉妹校との交流会への参加、上京後の会社の同僚との国内旅行や国内ひとり旅、夫との新婚旅行、海外赴任、赴任中の中東・ヨーロッパ数カ国への旅行、帰国後の国内外への旅行で、国内44都道府県、海外15カ国を、場所によっては複数回訪ねた。国内はそのほぼ全てを、海外は10カ国を、息子と共に訪れている。さらに息子は学校の修学旅行や友人との旅行で、私も訪れたことのない国や県、都市へも旅しているので、私が知らない世界も見て来ているはずだ。
家族で各地を旅することは、息子を授かってからの念願でもあった。息子に「国内外のさまざまな景色」「さまざまな場所で生きる人々の暮らしぶり」「人々が長い年月に渡って創り上げた多彩な芸術文化」を見せてあげたかった。そして、何より「世界の広さと多様さ」を肌で感じて貰いたかった。どうせ生きるなら、井の中の蛙で終わらずに、常に世界を意識して生きて欲しい。さまざまなことに広く、時には深く関心を寄せて、息子なりに充実した人生を歩んで欲しいと願っている。いかんせん、私も万能ではないから、これまで彼に経験させてあげたことの中には、私自身がついぞ縁のなかったスポーツの分野が欠けているが(強いて言えば、ウォーキングがスポーツの分野に当て嵌まる?)、そこは彼が自分自身で開拓して貰いたいところだ。
結局、家族で楽しく過ごすことを追求した為に散財したので、正直言って、息子に相続させるようなめぼしい資産が我が家にはない。これまで家族で経験したこと、息子に授けた教育を無形の財産だと思って、息子には自分の人生を力強く生きて行って欲しい。
…とまあ、ここまで書いて、自分はどれほど息子に執着し、溺愛しているのよ、と思う(果たして、夫について、ここまで語れるのか?

2014/3/17
我が子への贈り物(1) はなこ的考察―良いこと探し
待望の我が子を授かって私が思ったことは、「我が子をできる限りいろいろな所に連れて行き、さまざまな経験をさせてあげたい」だった。
生後3カ月の息子をベビーカーに乗せて動物園に行ったのを皮切りに、私なりに(まあ、殆ど私の趣味に付き合わせた形だけれど
)いろいろな所へ息子を連れて行った。
無謀と思いながらも、生後4カ月の息子を背中におぶって、渋谷の美術館にも行った。初めて訪れる美術館の雰囲気に、息子がどんな反応を見せるか不安だったが、意外にも美術館独特の雰囲気にのまれることなく、息子は私の肩越しに物珍しげに作品を覗いては、時々楽しそうに手足をバタバタと動かした。母親の楽しい気分が、背中の温もりを通して息子にも伝わったのだろうか。
その後息子が7カ月の時に中東に赴任し、駐在は彼が3歳半になるまで続いたので、彼の乳幼児期は少し特殊な環境で過ごすことになった。まず、赴任先には同年代の日本人の子どもが皆無で、息子は同年代の遊び相手に事欠いた。さらに、そもそも家族帯同者が少なかったので、末端の駐在員妻である私でさえ、たびたび大使館の行事に駆り出され、息子をフィリピン人のベビーシッターに預けなければならなかった。
日本と違って児童公園などなく、私たちが住む山手地区は基本的に車社会のせいか、近所で日中、外を出歩いている親子連れを見かけることも殆どなかった(小柄な東洋人の私などが出歩くと、メイドに間違われたりする)。同世代の子どもとの交流が殆どない息子があまりにも不憫だったので、彼が3歳の時に現地の保育園に毎日午前中預けてみたこともあった。しかし、保育園から戻って来た直後の彼のグッタリした様子を見ると、やはり日本語もおぼつかない時期に、全く未知のアラビア語の中で過ごさせるのは酷だと感じ、数カ月でやめさせた。
結局、良くも悪くも、その間、息子は自宅では両親の日本語とフィリピン人ベビーシッターの英語、保育園ではアラビア語のシャワーを浴びたことになる。息子は英語は分からないながらも、彼をとても可愛がってくれるベビーシッターの愛情は理解していたようで、彼女にとてもなついていた。帰国する頃にはカタコトのアラビア語も理解し、自分のことを「アナ(アラビア語で「私」)と呼んだり、日本語の発音が時折アラビア語っぽくなることがあった。
そんな環境で幼児期を過ごしたせいか、或いは、私の日本語での言葉かけが足りなかったせいなのか(←今、振り返ると、これが一番の原因だったような気がする。帰国後、若いお母さんがゆっくりと丁寧に我が子に話かけているのを見て、自分自身の親としての至らなさを反省した
当時はインターネットを使える環境になく、周りに気軽に相談できる相手もおらず、孤独で手探りの子育てだったこともあるが…)、さらには中途半端な時期に帰国した為、幼稚園にも入れず、公園に行っても親子共々、既存の遊び仲間にも入れて貰えなかったせいもあってか、息子には言葉の遅れが目立った。
半年余り親子で幾つかの公園を放浪後、やっと幼稚園の年中組に入れた息子には、言葉の運用力、ひいては国語力に難があり、そのことが原因で、中学生の頃まで学校の勉強にも苦労したようだ。特に読解力が弱く、読書や作文が苦手だった。その苦手意識は大学受験まで尾を引いた。
ただ、息子の言葉に遅れに関して、私はそれほど心配はしていなかった。なぜなら、私自身、小学校の低学年の頃まで、学校では年に一言、ふた言程度しかしゃべらない、かなり無口な子で、語彙力に難のある子だったからだ。親が教育に無頓着で、私は小学校に入るまで字も書けず、入学後に初めて、左利きでは漢字を書く時に運筆が不便だと気付いたほどだ(右利きの人は気付かないかもしれないが、左利きは左から右に運筆することが苦手である。だから左から右に運筆することの多い漢字は書きづらく、手首にも負担がかかるのだ)。そんな私でも、引っ越しで環境が変わったのを機に、努力して国語力を磨き(具体的には小3の時に、1日に1冊以上の本を読むこと、ローカル新聞を隅から隅まで読むことを自らに課し、知らない言葉があれば片っ端から、それこそ国語辞典一冊がボロボロになるまで引いて調べた)、高学年になる頃には作文で幾つものコンクールに入賞するまでになった(内、一作は全国誌に掲載され、それを読んでくれた秋田県在住の子から文通を申し込まれ、以後、文通は14年間続いた。)。
人間は他者と積極的に触れあい、コミュニケーションを取る中で、知的刺激を受け、言葉の運用能力も上達して行くものだろう。幼児期の息子には、その機会が圧倒的に欠けていた。だから他の子ども達より発達が多少遅れているのは仕方ないし、これから時間をかけて徐々に追いついて行けば良いと私は考えた。それに、人間の自己表現の手段は言葉だけではない。息子は幼稚園で絵を描くことの楽しみを知ったようで、小学校に入ると近所の絵画教室に通い始めた。
絵画教室では水彩画や工作はもちろん、油彩画も手がけ、年に1度は県展のジュニア部門に作品を出品する機会もあった。息子は色彩豊かな作品を描く。何度か挑戦する中で2度入賞を果たし、その内の1点は海外交流展の作品に選出され、海を渡った。そんな経験を重ねるうちに、言葉の遅れもあって引っ込み思案だった息子も、徐々に自信を得て行ったようだ。
小学生の間は他にも地元の子供会や、自治体が主催する子ども向けのサークル活動や、卒園した幼稚園が主催する林間学校などに参加して、地域の人々との交流も大事にするよう心がけた。息子は何れ地元を離れることになるかもしれないが、自分が育った地元への愛着は持ち続けて欲しいと思う。
小3〜小4にかけて、息子は英語劇で有名なMLSにも通った。通常はネイティブの教師の指導の下、英会話を学び、年に1度、大きな会場で英語劇を披露する。普段は恥ずかしがり屋の息子が、舞台上では大声で堂々と演技する姿に、子どもの無限の可能性を感じた。どんな子どもでもチャレンジの機会が与えられれば、新しい自分を発見し、成長する可能性を秘めていると確信した。
息子が幼稚園の年中組に入ったのとほぼ同時に、マンションを購入した。駅からバス便とは言え比較的交通至便であったのと、マンションの駐車料金を含めた自家用車の維持費が無駄に思えたので、車は購入2年で手放し、移動にはもっぱら公共交通機関を利用するようになった。交通機関では、よほど疲れていない限り、息子を座席には座らせなかった。
さらに、今も開催されているのか知らないが、息子が小学生の頃、鉄道会社の主催で、沿線のウォーキング・コースを数時間かけて踏破するイベントが毎月のようにあり、我が家はそれに積極的に参加した。コースは多彩で、平坦な道だけでなく、箱根の旧東海道や広大な緑地の遊歩道など起伏に富んだ地形を踏破するものも多く、数時間、汗だくになって歩くことも少なくなかった。これと並行して、ガイドブックを頼りに、都内を中心に街散歩にも家族でよく出かけたので、息子は自ずと足腰が鍛えられたのではないだろうか?おかげで息子は、今では旅先でも長時間の歩行を厭わない人間になっているし、休日など思い立って数時間、散歩に出かけることも多い。
最近は、駅のホームやバス停で、ほんのわずかな時間さえ立ち続けることができないのか、突然座り込む若者や子どもの姿を多く見かけるが、普段から足腰の鍛錬が足りないのではないかと、見かけるたびに思う。山登りにグループで意気揚々と出かける年配の方々の方が、彼らよりよほど足腰が丈夫なのではないだろうか。また、地方は都会以上に車社会で、車で子どもの学校や塾への送迎をしたり、買い物や公園など、どこへ行くにも自宅から目的地まで車での移動が多く、自分の足で歩く機会は都会の人間より少ないと聞く。ウォーキングは気軽に持続的に、生涯に渡ってできる運動である。その習慣づけが子どものうちになされないのは、将来の健康が思いやられる事態だと思う。
生後3カ月の息子をベビーカーに乗せて動物園に行ったのを皮切りに、私なりに(まあ、殆ど私の趣味に付き合わせた形だけれど

無謀と思いながらも、生後4カ月の息子を背中におぶって、渋谷の美術館にも行った。初めて訪れる美術館の雰囲気に、息子がどんな反応を見せるか不安だったが、意外にも美術館独特の雰囲気にのまれることなく、息子は私の肩越しに物珍しげに作品を覗いては、時々楽しそうに手足をバタバタと動かした。母親の楽しい気分が、背中の温もりを通して息子にも伝わったのだろうか。
その後息子が7カ月の時に中東に赴任し、駐在は彼が3歳半になるまで続いたので、彼の乳幼児期は少し特殊な環境で過ごすことになった。まず、赴任先には同年代の日本人の子どもが皆無で、息子は同年代の遊び相手に事欠いた。さらに、そもそも家族帯同者が少なかったので、末端の駐在員妻である私でさえ、たびたび大使館の行事に駆り出され、息子をフィリピン人のベビーシッターに預けなければならなかった。
日本と違って児童公園などなく、私たちが住む山手地区は基本的に車社会のせいか、近所で日中、外を出歩いている親子連れを見かけることも殆どなかった(小柄な東洋人の私などが出歩くと、メイドに間違われたりする)。同世代の子どもとの交流が殆どない息子があまりにも不憫だったので、彼が3歳の時に現地の保育園に毎日午前中預けてみたこともあった。しかし、保育園から戻って来た直後の彼のグッタリした様子を見ると、やはり日本語もおぼつかない時期に、全く未知のアラビア語の中で過ごさせるのは酷だと感じ、数カ月でやめさせた。
結局、良くも悪くも、その間、息子は自宅では両親の日本語とフィリピン人ベビーシッターの英語、保育園ではアラビア語のシャワーを浴びたことになる。息子は英語は分からないながらも、彼をとても可愛がってくれるベビーシッターの愛情は理解していたようで、彼女にとてもなついていた。帰国する頃にはカタコトのアラビア語も理解し、自分のことを「アナ(アラビア語で「私」)と呼んだり、日本語の発音が時折アラビア語っぽくなることがあった。
そんな環境で幼児期を過ごしたせいか、或いは、私の日本語での言葉かけが足りなかったせいなのか(←今、振り返ると、これが一番の原因だったような気がする。帰国後、若いお母さんがゆっくりと丁寧に我が子に話かけているのを見て、自分自身の親としての至らなさを反省した

半年余り親子で幾つかの公園を放浪後、やっと幼稚園の年中組に入れた息子には、言葉の運用力、ひいては国語力に難があり、そのことが原因で、中学生の頃まで学校の勉強にも苦労したようだ。特に読解力が弱く、読書や作文が苦手だった。その苦手意識は大学受験まで尾を引いた。
ただ、息子の言葉に遅れに関して、私はそれほど心配はしていなかった。なぜなら、私自身、小学校の低学年の頃まで、学校では年に一言、ふた言程度しかしゃべらない、かなり無口な子で、語彙力に難のある子だったからだ。親が教育に無頓着で、私は小学校に入るまで字も書けず、入学後に初めて、左利きでは漢字を書く時に運筆が不便だと気付いたほどだ(右利きの人は気付かないかもしれないが、左利きは左から右に運筆することが苦手である。だから左から右に運筆することの多い漢字は書きづらく、手首にも負担がかかるのだ)。そんな私でも、引っ越しで環境が変わったのを機に、努力して国語力を磨き(具体的には小3の時に、1日に1冊以上の本を読むこと、ローカル新聞を隅から隅まで読むことを自らに課し、知らない言葉があれば片っ端から、それこそ国語辞典一冊がボロボロになるまで引いて調べた)、高学年になる頃には作文で幾つものコンクールに入賞するまでになった(内、一作は全国誌に掲載され、それを読んでくれた秋田県在住の子から文通を申し込まれ、以後、文通は14年間続いた。)。
人間は他者と積極的に触れあい、コミュニケーションを取る中で、知的刺激を受け、言葉の運用能力も上達して行くものだろう。幼児期の息子には、その機会が圧倒的に欠けていた。だから他の子ども達より発達が多少遅れているのは仕方ないし、これから時間をかけて徐々に追いついて行けば良いと私は考えた。それに、人間の自己表現の手段は言葉だけではない。息子は幼稚園で絵を描くことの楽しみを知ったようで、小学校に入ると近所の絵画教室に通い始めた。
絵画教室では水彩画や工作はもちろん、油彩画も手がけ、年に1度は県展のジュニア部門に作品を出品する機会もあった。息子は色彩豊かな作品を描く。何度か挑戦する中で2度入賞を果たし、その内の1点は海外交流展の作品に選出され、海を渡った。そんな経験を重ねるうちに、言葉の遅れもあって引っ込み思案だった息子も、徐々に自信を得て行ったようだ。
小学生の間は他にも地元の子供会や、自治体が主催する子ども向けのサークル活動や、卒園した幼稚園が主催する林間学校などに参加して、地域の人々との交流も大事にするよう心がけた。息子は何れ地元を離れることになるかもしれないが、自分が育った地元への愛着は持ち続けて欲しいと思う。
小3〜小4にかけて、息子は英語劇で有名なMLSにも通った。通常はネイティブの教師の指導の下、英会話を学び、年に1度、大きな会場で英語劇を披露する。普段は恥ずかしがり屋の息子が、舞台上では大声で堂々と演技する姿に、子どもの無限の可能性を感じた。どんな子どもでもチャレンジの機会が与えられれば、新しい自分を発見し、成長する可能性を秘めていると確信した。
息子が幼稚園の年中組に入ったのとほぼ同時に、マンションを購入した。駅からバス便とは言え比較的交通至便であったのと、マンションの駐車料金を含めた自家用車の維持費が無駄に思えたので、車は購入2年で手放し、移動にはもっぱら公共交通機関を利用するようになった。交通機関では、よほど疲れていない限り、息子を座席には座らせなかった。
さらに、今も開催されているのか知らないが、息子が小学生の頃、鉄道会社の主催で、沿線のウォーキング・コースを数時間かけて踏破するイベントが毎月のようにあり、我が家はそれに積極的に参加した。コースは多彩で、平坦な道だけでなく、箱根の旧東海道や広大な緑地の遊歩道など起伏に富んだ地形を踏破するものも多く、数時間、汗だくになって歩くことも少なくなかった。これと並行して、ガイドブックを頼りに、都内を中心に街散歩にも家族でよく出かけたので、息子は自ずと足腰が鍛えられたのではないだろうか?おかげで息子は、今では旅先でも長時間の歩行を厭わない人間になっているし、休日など思い立って数時間、散歩に出かけることも多い。
最近は、駅のホームやバス停で、ほんのわずかな時間さえ立ち続けることができないのか、突然座り込む若者や子どもの姿を多く見かけるが、普段から足腰の鍛錬が足りないのではないかと、見かけるたびに思う。山登りにグループで意気揚々と出かける年配の方々の方が、彼らよりよほど足腰が丈夫なのではないだろうか。また、地方は都会以上に車社会で、車で子どもの学校や塾への送迎をしたり、買い物や公園など、どこへ行くにも自宅から目的地まで車での移動が多く、自分の足で歩く機会は都会の人間より少ないと聞く。ウォーキングは気軽に持続的に、生涯に渡ってできる運動である。その習慣づけが子どものうちになされないのは、将来の健康が思いやられる事態だと思う。
2014/3/9
横浜MM地区でドラえもん発見! 散歩の記録

久しぶりに横浜MM地区を夫と散歩していたところ、赤レンガ倉庫前広場にて、ドラえもんを発見

写真に納めようとしたところ、ドラえもんは逃走しました

これは、その時の写真です。ギリギリのところで、フレームに納まりました

2014/3/8
子供たちは未来に向かって生きている はなこのMEMO
美術館で、主に子供たちを対象にギャラリートークを始めて、もう10年になる。毎回、どんな子供たちに出会えるのか楽しみであり、また、不安でもある。
不安と言うのは、私自身の力量の問題だ。果たして自分の案内で、子供たちに美術館を楽しい場所として捉えて貰えるのか、場数を踏んでもなかなか確信が持てないでいる。
と言うのも、来館する子供たちのコンディションが、例えば「過去の美術館・博物館体験の有無」「学校における普段からの美術教育の取り組みの有無」「美術への関心度」「語彙や知識量の多寡(=読書量の多寡?)」「教科学習の習熟度」「物事に取り組む際の集中力の有無」「友人関係の状態」はたまた「その日の体調(前日にゲームで夜更かしして、睡眠不足で朝から欠伸など)」により正に千差万別で、同じコースの作品を案内しても、驚くほど毎回毎回子供たちの反応が違う。グループ毎に違うだけでなく、グループ内での個人差も大きかったりする。それぞれの状況に臨機応変に対処すると言う点で、私はまだ自分の力不足を感じている。
トーク中、子供たちから活発な発言があって場が大いに盛り上がる時もあれば、殆ど言葉が出ないまま終わってしまうこともある。情けなくも、それに一喜一憂する自分がいる。ただし、子供たちの反応が鈍いからと言って、その日のトークは失敗と言うことでもない。友達と一緒に美術館に足を運び、本物を見る(たとえ発語に至らなくとも、子供たちの内に美術館体験の何らかの痕跡は残っているはず)、と言う体験だけでも、「美術に親しむ」と言う所期の目的には十分に達しているはずだからだ。
子供たちを対象としたギャラリートークの重要なポイントは3つ。@作品をよく見るA作品を見て気付いたこと、感じたこと、思ったことを言葉に発するB友達の発言にもきちんと耳を傾ける。これら3点を子供たちに促すのが、トーカーの役割だ。
@は、本、雑誌、テレビ、ネットとさまざまなメディアで美術作品を目にすることはあっても、本物(実物)を目の前で見る体験に優るものはないと言うこと。油彩画の絵の具の厚み、色彩、筆触。彫刻の立体感(彫刻の周りを歩いて、さまざまな角度から見ることが出来る)。ロダンの彫刻なら、ポーズの奇抜さ(←子供たちは大抵、真似をして、ポーズの不自然さに気付く。そこから、なぜそのようなポーズにしたのかを考える)。身体バランスの妙(リアリズムに徹しているのかと思えば、足や手の長さ、大きさがデフォルメされている。その理由にも想像を巡らす)。そのどれもが、実物を間近に見る事で気付かされることだ。
Aは思いや気づきを言葉にすることで、作品に対する印象が深まるだけでなく、自己表現のトレーニングにもなると言うこと。
Bは、同じ作品を見ても、見る人によって着眼点や印象が違うことを知ることで、他者の発言を尊重する態度を育てる共に、多角的なものの見方を促すと言うこと。
僅か30分か1時間かそこらで、子供たちは美術作品と向き合うコツを掴んで行く。その吸収力には凄まじいものがある。それは、正に「子供たちが未来に向かって、加速度的に成長し続けていること」を目の当たりにする時間である。
不思議なことに、その時々で子供たちの反応はどうであれ、ギャラリートークを終えた後は子供たちからエネルギーを分けて貰ったのか、心が元気になっている自分がいる。これこそ、未来に向かって生きる子供たちから迸る生命力の賜物であろうか?
夢だけは壊せなかった大震災
最近知った「女川いのちの石碑プロジェクト」でも、子供たちが未来に向かって生きていることを実感させられた。3年前の震災で多くのものを失ったはずの子供たちの中から出て来た言葉の力強さに、頼もしさと尊さを感じた。その子供たちを支える周囲の大人たちの心意気にも感銘を受けた。おそらく当地の大人たちも、子供たちの悲惨な過去を乗り越え、未来に向かって生きようとする姿勢に、日々励まされているのかもしれない。
言うまでもなく、子供は社会の宝である。その証拠に、子供の声が聞かれない地域は確実に活気を失っている。子供のいない社会は未来がないに等しく、子供を失うと言うことは未来を失うと言うことなのだ。
少なくとも女川の子供たちは震災後ほどなくして、1000年後の未来を見据えて動き出した。子供たちが地域で大切に守り育てられる限り、女川には明るい未来が待っていることだろう。
とにもかくにも…
日本は子供を大切に守り育てる社会であって欲しい。
女川いのちの石碑プロジェクト
不安と言うのは、私自身の力量の問題だ。果たして自分の案内で、子供たちに美術館を楽しい場所として捉えて貰えるのか、場数を踏んでもなかなか確信が持てないでいる。
と言うのも、来館する子供たちのコンディションが、例えば「過去の美術館・博物館体験の有無」「学校における普段からの美術教育の取り組みの有無」「美術への関心度」「語彙や知識量の多寡(=読書量の多寡?)」「教科学習の習熟度」「物事に取り組む際の集中力の有無」「友人関係の状態」はたまた「その日の体調(前日にゲームで夜更かしして、睡眠不足で朝から欠伸など)」により正に千差万別で、同じコースの作品を案内しても、驚くほど毎回毎回子供たちの反応が違う。グループ毎に違うだけでなく、グループ内での個人差も大きかったりする。それぞれの状況に臨機応変に対処すると言う点で、私はまだ自分の力不足を感じている。
トーク中、子供たちから活発な発言があって場が大いに盛り上がる時もあれば、殆ど言葉が出ないまま終わってしまうこともある。情けなくも、それに一喜一憂する自分がいる。ただし、子供たちの反応が鈍いからと言って、その日のトークは失敗と言うことでもない。友達と一緒に美術館に足を運び、本物を見る(たとえ発語に至らなくとも、子供たちの内に美術館体験の何らかの痕跡は残っているはず)、と言う体験だけでも、「美術に親しむ」と言う所期の目的には十分に達しているはずだからだ。
子供たちを対象としたギャラリートークの重要なポイントは3つ。@作品をよく見るA作品を見て気付いたこと、感じたこと、思ったことを言葉に発するB友達の発言にもきちんと耳を傾ける。これら3点を子供たちに促すのが、トーカーの役割だ。
@は、本、雑誌、テレビ、ネットとさまざまなメディアで美術作品を目にすることはあっても、本物(実物)を目の前で見る体験に優るものはないと言うこと。油彩画の絵の具の厚み、色彩、筆触。彫刻の立体感(彫刻の周りを歩いて、さまざまな角度から見ることが出来る)。ロダンの彫刻なら、ポーズの奇抜さ(←子供たちは大抵、真似をして、ポーズの不自然さに気付く。そこから、なぜそのようなポーズにしたのかを考える)。身体バランスの妙(リアリズムに徹しているのかと思えば、足や手の長さ、大きさがデフォルメされている。その理由にも想像を巡らす)。そのどれもが、実物を間近に見る事で気付かされることだ。
Aは思いや気づきを言葉にすることで、作品に対する印象が深まるだけでなく、自己表現のトレーニングにもなると言うこと。
Bは、同じ作品を見ても、見る人によって着眼点や印象が違うことを知ることで、他者の発言を尊重する態度を育てる共に、多角的なものの見方を促すと言うこと。
僅か30分か1時間かそこらで、子供たちは美術作品と向き合うコツを掴んで行く。その吸収力には凄まじいものがある。それは、正に「子供たちが未来に向かって、加速度的に成長し続けていること」を目の当たりにする時間である。
不思議なことに、その時々で子供たちの反応はどうであれ、ギャラリートークを終えた後は子供たちからエネルギーを分けて貰ったのか、心が元気になっている自分がいる。これこそ、未来に向かって生きる子供たちから迸る生命力の賜物であろうか?
夢だけは壊せなかった大震災
最近知った「女川いのちの石碑プロジェクト」でも、子供たちが未来に向かって生きていることを実感させられた。3年前の震災で多くのものを失ったはずの子供たちの中から出て来た言葉の力強さに、頼もしさと尊さを感じた。その子供たちを支える周囲の大人たちの心意気にも感銘を受けた。おそらく当地の大人たちも、子供たちの悲惨な過去を乗り越え、未来に向かって生きようとする姿勢に、日々励まされているのかもしれない。
言うまでもなく、子供は社会の宝である。その証拠に、子供の声が聞かれない地域は確実に活気を失っている。子供のいない社会は未来がないに等しく、子供を失うと言うことは未来を失うと言うことなのだ。
少なくとも女川の子供たちは震災後ほどなくして、1000年後の未来を見据えて動き出した。子供たちが地域で大切に守り育てられる限り、女川には明るい未来が待っていることだろう。
とにもかくにも…
日本は子供を大切に守り育てる社会であって欲しい。

2014/3/8
心がけたいこと〜他者には敬意を払って はなこ的考察―良いこと探し
できれば縁あって出会う人とは、親しくなりたいものです。しかし、残念ながら、それが難しいこともあります。
例えば私の場合、お互いのことを知らない段階で、相手を見下したような態度で接する人には、心を開けません。私の基本的な考えとして、「他者には敬意を持って接すること」が、人と接する時の最低限なマナーだと思うからです。
高飛車な態度を取る人は、瞬時に自分と相手との力関係を"自分の物差し"で測っているのでしょうか?或いは、第三者から、相手に関して余計な先入観を植え付けられた可能性があるのかもしれません。もし、後者だとしたら、あまりにも人の言うことを鵜呑みにし過ぎで、少しは自分自身の目で判断しろよ、と思う。とは言え、"人を見下す"なんて行為は、よほど相手に落ち度があるケースに限られると思いますが…
もし、相手に高飛車な態度で出られた場合、上辺では何事もないような態度をとり続ける私ですが、内心では「なぜ、この人は私と言う人間のことを碌に知りもしないのに、ここまで傲慢な態度を取るのだろう?自分のことをどれだけ優れた人間だと自惚れているのだろう」と思って警戒します。誰にだって、これまでの人生があり、自尊心はありますからね。それを踏みにじるような人に心を開けるわけがない。
もちろん、相手の態度次第では、徐々に警戒心も解けては来るでしょうが、結構時間がかかります。やっぱり初期の段階で、相手の人間性が透けて見えてしまったので、信頼するのが難しいのです。
相手を常に優劣関係で判断する人は、これまでどんな人生を歩んで来たのでしょうか?幼い頃から何事もソツなく出来て、周りからも一目を置かれ続け、挫折を知らない、自信満々の人なのでしょうか?もし、そうだとすれば、その人は自分以外の他人が、どのような人生を歩んで来て、今、自分の目の前にいるのか一顧だにしない、傲慢な、想像力の欠如した人だと思います。
或いは、このブログでも何度か言及して来ましたが、他者への攻撃性はややもすると自分の弱さを隠す為の鎧であることも多いので(攻撃は最大の防御なり?)、ことさら他者との優劣関係に拘る人は実は自分に自信がなく、他人とのちょっとした差異に一喜一憂する、意外にも強いコンプレックスの持ち主なのかもしれません。
おそらく多くの人にとって、人生には失敗が付きものだと思うのですが、その失敗こそが、自分自身を見つめ直し、本当の自分を知り、さらに自分をとりまく世界について深く考えるきっかけになるような気がします。失敗から目を逸らさずにきちんと向き合うことで、人間的な成長が促される。そう考えると1度も失敗のない、或いは、失敗から学ぼうとしない人生は、人間として視野を広げる貴重な機会を失った人生と言えるでしょうか。
私がこれまで見て来た限りでは(←ごくごく個人的な体験から得た見識ですが)、本当に聡明な人は広い視野で物事を俯瞰して見るので、例えば、いちいち自分と他人とを比較してツマラナイ優越感に浸ったりなどしないし、自分自身を冷静に客観視できるから、人間として自分の足りない部分に気付いており、誰に対しても謙虚な態度で接しているようです。仮に何か相手に対して思うことがあっても、その聡明さで、けっしてあからさまに見下した態度を取ることなく、自分の内で合理的に処理しているように見える。
私も、そんな聡明な人に、少しでも近づけたらなと思います。ゆめゆめ他人を見下したような態度で接することのないように気をつけたいです。
例えば私の場合、お互いのことを知らない段階で、相手を見下したような態度で接する人には、心を開けません。私の基本的な考えとして、「他者には敬意を持って接すること」が、人と接する時の最低限なマナーだと思うからです。
高飛車な態度を取る人は、瞬時に自分と相手との力関係を"自分の物差し"で測っているのでしょうか?或いは、第三者から、相手に関して余計な先入観を植え付けられた可能性があるのかもしれません。もし、後者だとしたら、あまりにも人の言うことを鵜呑みにし過ぎで、少しは自分自身の目で判断しろよ、と思う。とは言え、"人を見下す"なんて行為は、よほど相手に落ち度があるケースに限られると思いますが…
もし、相手に高飛車な態度で出られた場合、上辺では何事もないような態度をとり続ける私ですが、内心では「なぜ、この人は私と言う人間のことを碌に知りもしないのに、ここまで傲慢な態度を取るのだろう?自分のことをどれだけ優れた人間だと自惚れているのだろう」と思って警戒します。誰にだって、これまでの人生があり、自尊心はありますからね。それを踏みにじるような人に心を開けるわけがない。
もちろん、相手の態度次第では、徐々に警戒心も解けては来るでしょうが、結構時間がかかります。やっぱり初期の段階で、相手の人間性が透けて見えてしまったので、信頼するのが難しいのです。
相手を常に優劣関係で判断する人は、これまでどんな人生を歩んで来たのでしょうか?幼い頃から何事もソツなく出来て、周りからも一目を置かれ続け、挫折を知らない、自信満々の人なのでしょうか?もし、そうだとすれば、その人は自分以外の他人が、どのような人生を歩んで来て、今、自分の目の前にいるのか一顧だにしない、傲慢な、想像力の欠如した人だと思います。
或いは、このブログでも何度か言及して来ましたが、他者への攻撃性はややもすると自分の弱さを隠す為の鎧であることも多いので(攻撃は最大の防御なり?)、ことさら他者との優劣関係に拘る人は実は自分に自信がなく、他人とのちょっとした差異に一喜一憂する、意外にも強いコンプレックスの持ち主なのかもしれません。
おそらく多くの人にとって、人生には失敗が付きものだと思うのですが、その失敗こそが、自分自身を見つめ直し、本当の自分を知り、さらに自分をとりまく世界について深く考えるきっかけになるような気がします。失敗から目を逸らさずにきちんと向き合うことで、人間的な成長が促される。そう考えると1度も失敗のない、或いは、失敗から学ぼうとしない人生は、人間として視野を広げる貴重な機会を失った人生と言えるでしょうか。
私がこれまで見て来た限りでは(←ごくごく個人的な体験から得た見識ですが)、本当に聡明な人は広い視野で物事を俯瞰して見るので、例えば、いちいち自分と他人とを比較してツマラナイ優越感に浸ったりなどしないし、自分自身を冷静に客観視できるから、人間として自分の足りない部分に気付いており、誰に対しても謙虚な態度で接しているようです。仮に何か相手に対して思うことがあっても、その聡明さで、けっしてあからさまに見下した態度を取ることなく、自分の内で合理的に処理しているように見える。
私も、そんな聡明な人に、少しでも近づけたらなと思います。ゆめゆめ他人を見下したような態度で接することのないように気をつけたいです。
2014/3/6
小林カツ代さんのこと 「食」についての話題

実はこの味噌汁、昔、小林カツ代さんがテレビで紹介していたレシピだ。たったふたつの材料のシンプルな味噌汁。だからこそ、切った豚肉はまとめてドサッと入れたりせずに、一枚ずつ出し汁に入れましょう、と小林さんが言っておられたのが印象的だった。
シンプルな料理だからこそ手を抜かずに丁寧に。この味噌汁を作る度に、このフレーズと、元気でご活躍だった頃の小林さんの笑顔が頭に浮かぶ。
8年あまりに渡る闘病の末、今年の1月に亡くなられた小林さん。その間、再び公の場に姿を見せることはついぞなかった。小林さんのレシピにお世話になった全国の主婦や彼女の〜その料理だけでなく生き方も〜ファンの方々は、彼女が世に送り出した料理を作りながら、常に彼女のことを想っていたに違いない。
またあの満面の笑顔に再会したいと思った多くの人々の願いも虚しく、小林さんは静かにこの世を去って行かれたけれど、彼女の料理は多くの人々の手によって、これからもずっと日本の食卓にのぼり続けるのだろう。そして、彼女のレシピを作る度に、彼女のことを思い出すのだ。
小林さん、素敵な家庭料理の数々を残して下さって、本当にありがとうございます。私も家族の為に、大切な人達の為に、頑張って料理を作り続けます。
2014/3/5
全人代で習近平国家主席「中国の夢」を語る はなこのMEMO
NHKの深夜情報番組で、中国の全人代について特集中。
画面下に、次々と視聴者のツィートが流れている。
現時点で一番印象に残った(ウケた?
)のが…
「中国の夢、大気汚染で霞んで見えなかったりして…」
他にも中国の現状を揶揄した絶妙なツィート多数あり。面白い。
「政府の夢は中共の夢、国民の夢とは違うのでは?」→これは、日本にも言えること!
「経済成長よりも、環境汚染をどうにかするべきでは?」→かつての日本もそうだった…
他国は自国の鏡でもあるのだなと、ツィートを見て思った。
ツィッターは「バカ発見機」なだけではないらしい。やっぱりツールは使い方次第
至極もっともなことだけれど、ツールを巡るトラブルでは、
大抵ツールそのものより、使い手の使い方に問題があるようだ。
画面下に、次々と視聴者のツィートが流れている。
現時点で一番印象に残った(ウケた?

「中国の夢、大気汚染で霞んで見えなかったりして…」
他にも中国の現状を揶揄した絶妙なツィート多数あり。面白い。
「政府の夢は中共の夢、国民の夢とは違うのでは?」→これは、日本にも言えること!
「経済成長よりも、環境汚染をどうにかするべきでは?」→かつての日本もそうだった…
他国は自国の鏡でもあるのだなと、ツィートを見て思った。
ツィッターは「バカ発見機」なだけではないらしい。やっぱりツールは使い方次第

至極もっともなことだけれど、ツールを巡るトラブルでは、
大抵ツールそのものより、使い手の使い方に問題があるようだ。
2014/3/5
唯我独尊。夫はB型 家族のことつれづれ
布団に寝転ぶ夫の顔を何となく見ていたら、生え際から2.5cmほど離れた額の中央に4cmほどの毛が1本とぐろを巻いているのを見つけた。
「これはもしかして2.5cm、生え際が後退したと言うことなのかな?」と、私が容赦なく指摘すると、夫は悪びれる様子もなく、
「いや、頭頂部に向かって、我が前髪は前進し続けているのだよ。凄いだろ」と、のたまう
人嫌いで、気難しい一面のある夫だが、そんなユーモラスなところが面白くて、私は好きだ。
「これはもしかして2.5cm、生え際が後退したと言うことなのかな?」と、私が容赦なく指摘すると、夫は悪びれる様子もなく、
「いや、頭頂部に向かって、我が前髪は前進し続けているのだよ。凄いだろ」と、のたまう

人嫌いで、気難しい一面のある夫だが、そんなユーモラスなところが面白くて、私は好きだ。

2014/3/4
30年来の恩師から… 日々のよしなしごと
私宛に届いた、やや大振りの郵便物。
何だろう?最近何か注文した覚えもないし…
また何か当選したのかと一瞬思ったのですが(笑)…
現在は京都の大学で教鞭をとっておられる30年来の恩師からの書籍小包でした。
中には、最近、恩師が出版された書籍二冊が入っていました。
昨年、古希を迎えられ、今年の3月には、勤務先の大学の定年を迎えられます。
50歳を目前に、地方から関西に研究拠点を移し、着実に成果をあげられた恩師。
生涯学び続けることの大切さ、
何歳になっても前に向かって進み続けることの素晴らしさを、
身を以て教えて下さいました。
私の短大入学直後から目をかけて頂き、
文章表現の面白さを教えて下さったのも、この先生でした。
そして四年制への進学を強く勧めて下さり、
いつも励ましの言葉をかけて下さった、
本当の意味での恩師です。
このような出会いに恵まれたことに、感謝しなくては…
先生、どうもありがとうございます。
そして、長い間、お疲れ様でした。
先生のご健勝を心からお祈り申し上げます。
何だろう?最近何か注文した覚えもないし…
また何か当選したのかと一瞬思ったのですが(笑)…
現在は京都の大学で教鞭をとっておられる30年来の恩師からの書籍小包でした。
中には、最近、恩師が出版された書籍二冊が入っていました。
昨年、古希を迎えられ、今年の3月には、勤務先の大学の定年を迎えられます。
50歳を目前に、地方から関西に研究拠点を移し、着実に成果をあげられた恩師。
生涯学び続けることの大切さ、
何歳になっても前に向かって進み続けることの素晴らしさを、
身を以て教えて下さいました。
私の短大入学直後から目をかけて頂き、
文章表現の面白さを教えて下さったのも、この先生でした。
そして四年制への進学を強く勧めて下さり、
いつも励ましの言葉をかけて下さった、
本当の意味での恩師です。
このような出会いに恵まれたことに、感謝しなくては…
先生、どうもありがとうございます。
そして、長い間、お疲れ様でした。
先生のご健勝を心からお祈り申し上げます。
