2012/12/25

岸本佐知子『なんらかの事情』(筑摩書房、2012)  読書記録(本の感想)

クリックすると元のサイズで表示します 昨日の散歩の帰り、いつのもように駅前の大型書店に寄った。その入口にある新刊本のコーナーで見つけたのがこの本だ。

 何十冊と言う新刊本がひしめいている中で、意味深なタイトルと白地に小さなイラストのシンプルな装丁が目を引いた。「なんらかの事情」って、不倫小説?ミステリー小説?著者の俯き加減の、ちょっと困ったような表情が目に浮かぶようでもある。

 しかし、ひらがなの「なんらか」に柔らかさと言うか、何となく軽みがあり、それほど深刻な事情とも思えない。一体、どんなことが書いてあるのだろう?著者の「佐知子」と言う名前が知人と同じで、もしかして彼女が旧姓で本を出したのか、と言うあらぬ想像も手伝って、本書を手にとってみた。

 エッセイだった。かつて講談社エッセイ賞を受賞した、翻訳家の肩書きを持つ著者の6年ぶりの新作らしい。ファン待望の新刊のようだ。有名作家にも、この著者のファンが多いらしい。

 知らなかった。こんな面白いエッセイを書く人がいたなんて。冒頭の「才能」で、心掴まれた。「レジ待ちの列で、いつも一番流れの遅い列を選ぶ」才能だなんて、「才能」と言う言葉にそんな修飾がつくとは、これまで想像もつかなかった。

 そうそう、スーパー・マーケットのレジに並ぶ時、悩むのよね。夕方のスーパーのレジなんて長蛇の列で、仕事帰りの重たいカゴを抱えている身には、どこの列に並べばより早く支払いを終えられるか、結構切実だったりする。隣の列に並ぶ人がライバルにさえ思えて来る。まがりなりにも場数を踏んで、列選びの要領を心得たつもりが、思わぬアクシデントや伏兵?の出現で、こちらで勝手にライバル視していた人に、あえなく先を越されてしまうのだ。その悔しさったら…ああ、いかん、いかん。私ったら大人げない。

 「才能」は、レジ待ちの行列の中で、人知れずそんな葛藤を繰り広げている私の心の中を見透かしたような、ド・ストライクなエッセイだった。

 タイトルからは想像もつかない話が次から次へと展開する。出発点は誰もが日常にふと思いつくことだったりするのだが、そこからの想像の広げ方がユニークで自由闊達。そして着地点が絶品。そうか、こう来たか、と意外なオチに唸らされたり、その遊び心にニヤリとさせられたり、或いは、あまりの面白さに笑い声をあげずにはいられなかったり…

 ブログとは言え、文章を書く立場からすると、作者の文章の締め方の巧さに脱帽だ。私はブログ記事を書いていて、最後のオチをどうするか迷うことが多い。ちょっと捻りをきかせてみたいとか、読み手の予想を裏切って驚かせてみたいと思ったりもするのだが、発想力に乏しいせいか、なかなか思う通りの終わり方ができない。冒頭の勢いから途中失速して尻すぼみになったり、締めの言葉が見つからず、当たり障りのない凡庸な終わり方になったり、結局オチらしいオチのない何とも締まりのないものになったりと、自分で納得できるような締め方が出来た試しがない。悔しいが(←って、身の程知らずもイイトコ?!)、そこがプロの書き手と素人の違いなんだろう。

作者について少し調べてみたら、本業の翻訳家としての評価も高く、この翻訳家の翻訳ならと「指名買い」する固定ファンも多いらしい。なるほど、翻訳家の力量次第で、元々の作品の評価さえ変わってくると言われるくらいだ。原文により近いニュアンスを日本語で表現するには、数ある言葉の中から、どの言葉を選択するべきか、翻訳家は日々呻吟しているに違いない。斯くて長年翻訳家として活動する中で研ぎ澄まされた作者の言語感覚が、その豊かな発想や想像の源泉となっているのかもしれない。

と、ここまで書いて、白状するのも小っ恥ずかしいのだが、私は本書をまだ買っていない。自宅にまだ読んでいない本が溢れかえっているので、夫に本を買うのを禁じられているのだ。何編か拾い読みして、書店にいることも忘れて声をあげて笑ってしまった私は、泣く泣く本書を元の位置に戻した。しかし、本書の面白さには抗えず、私は夫の禁を破って、たぶん明日には単身書店に乗り込んで、本書を買ってしまうだろう


2012/12/24

ファンキーな郵便ポスト  携帯電話から投稿

まったく…(-_-;)

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2012/12/24

寒空の下、今日も山下公園♪  携帯電話から投稿

今日はクリスマスイブと言うこともあってか、
みなとみらい界隈は、
カップルや家族連れで賑わっています。

概ね晴れてはいるものの、
何故か厚い雲が太陽に覆い被さり、
せっかくの陽射しを遮って、
潮風の冷たさもひとしお。

おーい雲よ。
ちょっと、そこをどいてくれないかね。

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2012/12/24

困った人々  はなこのMEMO

昨日、話題のミュージカル映画『レ・ミゼラブル』を夫婦で見て来た。帝劇での舞台版を新婚時代に見て、いたく感動した思い出があるので、今回の映画版も楽しみにしていた。

果たして、この作品が元々持っている魅力〜圧倒的な物語性、人間の罪と贖い、そして赦しを巡る内的葛藤を描いた深いテーマ性、登場人物達がその心情を感動的に歌い上げる名曲の数々〜は、舞台から映画へとメディアが変わっても色褪せることなく、作品はスクリーンの中で燦然と輝きを放っていた。

満員の観客の殆どがエンドロールでも席を立たず、その感動の余韻に浸っているように見えた。

が、しかし、私の夫の横に座っていた私と同年配と思しき女性が、エンドロールが始まって間もなく、携帯電話を取りだし、メールのチェックを始めだした。オイオイ…

暗闇の中で、その液晶画面から漏れる光が視界に入って来て、煩わしくてしょうがない。暫くは我慢していたが、一向に携帯電話を閉じる気配がないので、「すみませんが、眩しいので閉じていただけますか?」と私は申し出た。「せっかくの余韻がぶち壊しです

すると件の女性は「すみません。ちょっと気になることがあったので」と言い訳。私は思わず「だったら、早く退席したら良いじゃないですか?」と間髪を入れず言い返してしまった(本当は、こんなやりとりをする暇があったら、エンドロールをちゃんと見たい)

その女性、ほんの数分前には、映画のクライマックスシーンで鼻を鳴らして、すすり泣いていたのだ。あの感動?の涙は嘘だったのか?ホント、デリカシーのない女性だ。周りの観客に迷惑なだけでなく、作品に対しても失礼だ。

言うまでもなく、エンドロールも作品の一部だ。場内が明るくならない限り、まだ映画は終わっていないのだ。だからと言って、明るくなるまで退席するな、とは言わない。寧ろ、そんなに携帯電話が気になるのなら、早々に立ち去って欲しい。


この頃は外を歩いていても、携帯電話やスマホを見ながら歩く人が多く、明らかに先を急ぐ人の進路の妨げになっている。携帯電話やスマホに見入っている人間は、その意識が完全に自分の世界に引き籠もっていて、周囲への配慮が全くない。特にスマホの普及が進むにつれ、その傾向が強くなっているように思う。

そういう人達に行く道を遮られる度に、「そんなに見たいなら、他人の迷惑にならないよう、どこか隅にでも立ち止まって見ろよ危ないし、邪魔なんだよ」と、思わず言いたくなる。実際、人や物にぶつかったり、交通事故に遭うケースもあるんじゃないの?


最近、駅のホームからの転落事故で、電車が遅延するケースが増えているような気がするのだが、これもスマホを見ながらホームの上を歩いていて転落、と言うケースが少なくないのではないか?


携帯電話やスマホは確かに便利な道具には違いないだろうが、それに依存するのもほどほどにした方が賢明だと思う。おそらく賢明さに欠けるから、それらに過剰に依存してしまうのかもしれないが…、街中で見かけるその姿は、傍目にはかなり滑稽に映っているものだ。どう見ても、携帯電話の奴隷。スマホの奴隷。

皆さん、一体どうしちゃったんでしょうね?

2012/12/22

我が家のクリスマスの思い出  お知らせ

今朝の「ワールドWAVEモーニング」で、サンタが住むと言う北欧の街の郵便局に、世界中の子ども達から28万通もの手紙が届いたと言うレポートがあった。その後、世界各地でクリスマスを家族と共に楽しむ姿が次々と映し出され、今はもう大学生の息子が小さかった頃のことがふと思い出された。

幼い頃の息子は、殆どの子どもがそうであるように、サンタの存在を信じて疑わなかった。イブの夜、寝る直前の息子はサンタの到来を待ちわびて、そわそわしていているのが傍目にもわかった。

ウチはマンションだから、きっとサンタさんはベランダから来るんだろうね。だったら、サンタさんがちゃんと部屋に入れるように、窓を少しだけ開けていようね、と冷気が入るのも構わず1cmほどベランダに通じる掃き出し窓を開け、目印の長靴下を枕元に置いてから、布団の中にもぐった。

布団に入ってからも気持ちが高ぶっているのか、なかなか寝付けない。しかし、布団の中で身体が温まって来た頃、漸く寝息を立て始めた。それからしばらく時間を置いて、私は上気した息子の寝顔を眺めながら、いそいそとプレゼントの準備を始めた。

当時はリビングに面した和室に家族3人、川の字になって寝ていたので、息子の足下に息子がかねてから欲しがっていたトランスフォーマーの変体ロボットを忍ばせ、布団で覆った。

例年、クリスマスの時期になると、ニュース番組で北欧から飛行機で来日したサンタが映し出される。息子はそれを見て、「サンタさんは遠い国から来るから、日本までは飛行機に乗って来るんだね」と自分なりに解釈しているようだった。その北欧のサンタさんの家に自分の希望の品を書いた手紙を郵送してと、いつも私は頼まれていた。もちろん、本当のサンタはこの私。息子から手紙を預かったフリをして、その内容を確かめては、デパートに行って買っていた。もちろん、デパートで購入したのがばれないよう包装にも細心の注意を払って。

25日の朝、夜明け前に、待ちきれない息子はそぉっと起き出して、プレゼントを探し始めた。私は寝たふりをしたまま、彼を観察する。ごそごそと布団の中を探って、プレゼントを発見した息子は「あった!」と呟いた。そして、できるだけ音を立てないように包みを解き、その中に希望したおもちゃが入っているのを知ると、息子は突然正座して、両手で抱えた箱に視線を落とし、「サンタさん…ありがとう」と御礼を言った。肩が小刻みに震え、少し泣いているようにも見えた。

ここまで感激して貰うと、親サンタとしては感無量だ。クリスマスの季節になると、サンタのニュース映像と共に、この時の温かな思いが蘇って来る。この件に限らず、これまで本当に息子には、親として沢山の幸せを貰った。彼の成長に一喜一憂し、思春期以降の息子は世間並みに生意気盛りで、腹が立ったことも1度や2度でないが、幼き日の息子の愛らしさ、あどけなさには、それらを帳消しにするほどの力があった。

不器用で半人前の親だが、息子には親として精一杯の愛情を注いで来たつもりだ。彼には両親以上に幸せな人生を歩んで貰いたいと、心から思う。

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2012/12/22

誤解を招く  はなこのMEMO

大抵、朝は2画面モードでテレビニュースを見ていて、音声付きの主画面はNHK−BSのワールドウェーブ、音声なしの副画面は地上派のNHKおはよう日本だ。だから、おはよう日本はテロップで大体の内容を把握している。最近は登場人物の発言も逐一テロップで流すので、音声なしでも大抵の情報は把握できる。

昨日は、大学生がわざわざ中退して、高卒資格で公務員試験を受けるケースが増えている、と言う話題が、おはよう日本で取り上げられていた。

そこで気になったのが、録画映像で登場していた地方公務員の男性の発言。彼は大学1年の時に中退して、結局地方公務員になったと言う。大学を中退した理由がいただけない。

「遊んで4年過ごすことに将来への不安があった」と言うようなことをのたまっていたのだ。

遊んで過ごすって、アンタ、それは誤解を招くでしょう?ウチの息子のような理系学生は、朝から夜遅くまで大学で猛勉強していますよ。そりゃあ、理系学生でも中には適当に遊んでいる学生もいますが、殆どの学生は必死になって勉強しています。そうしないと単位取れないし、卒論も書けません。弁護士や公認会計士、税理士などの難関資格取得を目指す文系学生も真摯に勉強に取り組んでいると聞きまっせ。

そもそも「遊んで過ごす」と言う認識だから、この男性は元々大学に進学する意味がなかったのかもしれない。大学で何をしたいかの明確な目的もなく、ただ何となく進学した為に、大学に何の未練もなくあっさり退学して、進路変更できたのだろう。

でも、これがイマドキの大学生の代表みたいな描かれ方をすると、マジメに頑張っている大学生が本当に不憫だ。大学生が身近にいない人は、きっと誤解するだろうね。

テレビって、本当に罪作りな「イメージ増幅装置」だと思うよ

2012/12/22

ネットの怖さ、再び  日々のよしなしごと

ブログ記事は公開しているから、不特定多数の人の目に触れる

だから、書いている内容を必ずしも好意的に捉えていない読み手も少なからずいるだろう。その読み手によって、私の知らないところで、記事の内容や記事を書いた私自身について、批判めいたコメントや中傷ともとれるコメントが書かれたりすることもあるのだろう。さらに、さも私がコメントを書いたように「私になりすます人物」も中にはいるのかもしれない。

これはブログを公開することのデメリットであり、ブログを公開する以上、ある程度避けられない事態なのかもしれない。

厄介なのは、たまたま私の書いた記事が検索結果のトップページにあったりして、いつも以上に不特定多数の人々が、私のブログを訪問するケースだ。訪問者が増える分、そこにネガティブな思いでブログ記事を閲覧する人の絶対数も増えてしまうのは仕方のないことなのだろう。

記事の受け止め方は、人それぞれ。各人が各々のフィルター(←それは前提知識であったり、基本的な思想傾向だったり、偏見であったたり、読解力の差であったり、言葉の感受性であったり、はたまた、その時の精神状態であったり…)を通して、記事を読んでいるに過ぎない。残念ながら、必ずしも書き手の真意が、読み手に正確に伝わるとは限らない。そのような送り手と受け手の齟齬は、本を読んでも、映画を見ても、芸術作品を見ても同様に起こり得ることだろう。対象に触れて、何を感じるかは、すべて受け止める人次第だ。

ブログの場合、書き手と読み手が直接意見を交わさない限り、読み手が記事の内容をどう受け止めたかなど知る由もない。おそらく、個人でささやかにブログを楽しむ分には知る必要もないのかもしれない。

ネット上に自分の考えや思いを晒すからこそのデメリットなのだが、私の場合、その怖さを知りつつも、記事を書き続けることが平凡な日常にメリハリを与える効果も捨てがたいので細々と続けている。

私はネットで積極的に人間関係を広げようという考えは毛頭ないので(基本的に来る者は、とりあえず拒まずではありますが…以下、省略)、ネット上で付き合う人も限られている。思いがけない場所で私の名前を見かけても、それは殆ど別人の可能性が高い。

まっ、「知らぬが仏」ですね

2012/12/17

シイタケ2回目の収穫♪  やさい栽培観察日記

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 1回目の収穫から早10日が過ぎました。
 
 2日に一回、霧吹きでの水遣りと、容器に溜まった水の廃棄を続けて来ましたが、さきほど見ると、一昨日より一気に傘が大きくなったようなので2回目の収穫をすることにしました。

クリックすると元のサイズで表示します 収穫数は直径10cmの大物から2cm足らずの小物までで20個。前回の54個の半分以下になってしまいましたが、数が少ない分、個体は概ね大きく育っているようです。

 前回との違いは傘の色にも顕れていて、今回の傘の色は薄め。シイタケと言うよりエリンギの色に近いですね。さて、味はどうなんだろう?

 収穫した後の栽培ブロックは再び根もとをきれいに取り払って、長時間水に漬け込みます。3回目も収穫できると良いな下の写真は、今回収穫した中で最大のもの。

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2012/12/17

衆院選、議席数だけ見れば…  はなこのMEMO

自民党の大勝だけれど、
新聞の紙面には「政権奪還」の見出しが躍っているけれど、
自民党の政策が支持されて勝ったわけではないと思う。
デタラメでウソツキな民主党が自滅しただけ。

自民党にはゆめゆめ勘違いしないで欲しいな。
今朝の報道を見る限り、
自民党幹部は来年夏の参院選を見据えてか、
一応、今回の結果について謙虚なそぶりを見せているけれど、
それが単なるポーズに終わることのないようにして貰いたいな。
国民はしっかり監視しないとね。

権力を奪還した自民党が奢り高ぶり、
再び数に頼んで勝手なことをしたら、
国民はいよいよ政治に絶望し(←そう、"失望"ではなく"絶望"です)
絶望感はモラルハザードを引き起こし、
社会秩序は乱れに乱れ、
相互信頼が失墜した社会は益々活力を失い、
この国は確実に破滅に向かうだろう。

その自覚が自民党をはじめ、すべての政治家にあるのかな?
政治家には私心を捨てて、もっと国の為に、国民に為に、
危機感を持って真剣に働いて欲しいよ。

権力闘争に明け暮れ、国民無視の政治は、もうウンザリだからね

2012/12/16

傲慢な橋下氏の態度に印象最悪…  はなこのMEMO

NHKの選挙特番を見ていたら、各党の代表者に武田アナが同じ質問を繰り返していたが、維新の会代表代行の橋下徹氏は「我が党のHPに書いてあります。それを読んで下さい」とにべもない。そんな受け答えをするくらいなら、テレビに出演する意味はないだろう。国民の誰もが、ネットを利用しているとでも思っているのか?NHKの特番の視聴者には、ネットを利用していない高齢者も多いだろうに。

武田アナは視聴者に、それぞれの党の方針を改めて分かり易く伝える為に、各党の代表者に質問をしたはずだ。その意図を汲んで、短い時間の中でできるだけ的確に応えるのが、各党の代表者に求められる良識ではないだろうか?

反抗期の中学生でもあるまいし…相手の問いかけに、誠実に応える態度を示すことのできない、他人とまともにコミュニケーションもとれない橋下氏は、大人げない人だなと思った。

仮に短い時間で伝えることが無理だと言うならば、前述のようなつっけんどんな言い方ではなく、もっと別の言い方があるはずだ。少なくとも、そこは論を闘わせるディベートの場ではないのだから、ケンカ腰ではなく、もっと柔らかな受け答えをしても良いはずだ。

仮にどこの放送局でも同じような質問を繰り返されてウンザリしていたとしても、その苛立ちを武田アナにぶつけるような態度を取るのは、公人としていただけない。賢明じゃないし、紳士じゃない。

わずか2、3分のやりとりで、橋下氏は他人の言葉に耳を貸さない独善的な人なのではないかとの疑念が湧いた。こんな人に政治は任せられないな。独裁に走りそうで怖いよその怒りっぽい気性も、重要な局面で判断を誤らせそうで怖いよ

一見些細なことかもしれないけれど、人の上に立つ人として、政(まつりごと)に携わる人として、人の言葉に真摯に耳を傾けることを疎かにする人は,やっぱり信用できないな。

そもそも、テレビって「イメージ増幅装置」だと思う。政治家として自分の考えに多くの賛同者を得たいのなら、自分が他者に与えるイメージについてもう少し考えそうなものだけれど、かつてテレビ番組で知名度を上げた橋下氏は今、自身のテレビ出演をどう位置づけているのだろう?

2012/12/7

シイタケ栽培に挑戦♪  やさい栽培観察日記

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クリックすると元のサイズで表示します 先日、たまたま点けたテレビの番組で、手軽なシイタケ栽培キットが紹介されていたので、早速買ってみました。栽培キットには、おがくずを固めて作った菌床の栽培ブロックが1本とペットで出来た栽培容器が入っています。

 テレビでは3,000円(送料無料)近い定価での紹介でしたが、実際にネットで検索してみると、販売会社がキャンペーンをしているらしく、同じ物が2,000円で売られていました。私は楽天ポイントが少し貯まっていたので、正味1,500円で入手することができました。

 注文してから3日ほどで届き、箱を開けてみると、既に発芽していましたそれから10日ほど経った今日、収穫してみました。

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 なんと大小合わせて54個も収穫できました既に、元が取れた感じです

クリックすると元のサイズで表示します 左写真はシイタケ収穫直後の栽培ブロック。ちょっとグロテスクですが、これがおいしいシイタケを育ててくれるのです。

 これは「国産広葉樹を粉砕したおが粉と穀物を主原料とした栄養と水、シイタケ菌だけで出来ている」らしい。「使用後もビニール袋にいれて十分発酵させれば腐葉土になる」そうです。何ともエコな商品ですね

 栽培方法は、2日に1回の割合で霧吹きで表面全体に万遍なく水を吹きつけ、湿った状態にする。それだけです。後は勝手にシイタケが育ってくれます元々、森のような一年を通して比較的低温の湿った環境で育つキノコ類ですから、夏の暑さは苦手なようで、秋から冬にかけてが栽培には適しているようです。

 強いて言えば、ここでシイタケの根を残したままにすると、そこから傷んで来るらしいので、ハサミやカッターできれいに切り落とす作業が面倒と言えば面倒でしょうか?私はこの作業で一部ブロックを崩してしまいました。大丈夫かな?それから栽培中に容器に溜まった水はこまめに捨てること。かかる手間と言えば、それだけなんですから、ベランダで野菜を育てるよりずっと簡単です。

 この後、バケツ一杯の水で全体を浸して5〜12時間置く必要があるようです。それから、再び栽培容器の戻し、水で湿らせることを怠らなければ、1〜2週間で再び発芽を始めるらしい。何度か繰り返し収穫できるらしいので、定価で購入しても十分元が取れそうです。

クリックすると元のサイズで表示します 獲れ立てのシイタケから小さめのものを選んで、バター炒めにしてみました。風味豊かで、ほんのり甘みもあり、食感もつるんとして、美味でした地産地消に優るものはなし?!

 ひとつ困ったことがあるとすれば、1度に沢山獲れすぎること。贅沢な悩みですが、取説では「一夜干しネットで乾燥させる」「冷凍する」「塩蔵する」とアドバイスしています。日頃お世話になっているご近所さんや親類・友人・知人にお裾分けするのも良いかもしれませんね。

 元々普段利用していた生協のシイタケも、市販のものよりかなり風味豊かでおいしいのですが、いかんせん価格が高い!それに、震災後は生協で販売している商品の中でも唯一と言ってよい位、いまだに微量ながらセシウムが検出されています。それで買い控えるようになってしまいました。

 でも、スーパーで売られているシイタケ、残念ながらあまりおいしくないんですよね。水分を吸って湿気っていたり、逆に乾き過ぎてパサパサな時もある。やはり店頭に並ぶまでに、かなりの時間が経過しているからなのでしょうか?或いは包装方法の問題なのか?


 因みに、私が利用したショップは森のきのこ倶楽部

 大手の菌床メーカー直営のショップのようです。

2012/12/6

後悔のないように…  はなこ的考察―良いこと探し

 私が30年近く前に上京して来たのは、ひとつには、地方ではなかなか見ることのできない美術展や舞台演劇を見たい、と言う思いがあったからだ。

 昨日は歌舞伎役者の中村勘三郎が亡くなった。そのことを朝のニュースで知って驚いた。いつかは、その舞台を見てみたいと思っていた歌舞伎役者だったから、それがもう叶わないと思うと、本当に残念だ。

 今年はつい1カ月前の11月10日に、女優の森光子も逝ってしまった。

 私の舞台演劇への憧れは、思い返せば中学生の時に芽生えたものだった。郷里の親友の家に、親友の母が若き日に杉村春子の主演舞台「女の一生」を見た時に買い求めたと言う写真パネルが飾られていて、それを初めて見た時、私もいつの日か「大女優」と呼ばれる女優の代表作の舞台を生で見たいと思った。

 その意味で、森光子は気になる女優だった。その森光子と、今から約20年前に、帰国休暇を終えてロンドン経由で赴任地に戻る途中、同じ飛行機に乗り合わせたことがあった。彼女は当時から公私共に仲の良かった東山紀之や、マネージャーとして常に彼女の側にいたという実の妹さんと共にファースト・クラス、私は家族でビジネス・クラスに搭乗していたが、幼児連れの私はロンドン到着時にビジネス・クラスの中でも優先的に降りられた為、預け荷物受取所へと向かうエスカレーターでは、森光子から1人(マネージャーの妹さん)置いた後ろに立ち、彼女を間近に見ることができた。

 時折、振り返って妹さんと話をする彼女の顔を、内心ドキドキしながら見た。大きめのサングラスをかけ、化粧気のない、既に当時70歳を越えていたであろう彼女の肌は、シミひとつなくツヤツヤとしていた。それまでにも、行く先々の空港で数多くの芸能人を見かけたことがあったが、彼女ほどの大御所を間近に見たのは初めてだったので、その印象は鮮烈だ。

クリックすると元のサイズで表示します それから15年ほど経過した2009年に、やっと彼女の代表作である「放浪記」の舞台を見た。その前年から彼女の体調を考慮して、劇中名物の「でんぐり返し」は取りやめとなり、出演者全員で万歳三唱と言う演出に変更されていた。

 当時、既にテレビで見かける彼女は急速に生気を失い、うつろな表情を見せることが多くなっていた(この頃、妹さんを亡くされたらしい) 。「今年を見逃すと、もう見られないかもしれない」胸騒ぎを覚えた私は、上演回数2000回を目前にした舞台を思い切って見に行った。

 林芙美子になりきった舞台上の彼女は、テレビ映像では近年とみに目立つ寄る年波を一切感じさせなかった。演技を終えて、ひとり舞台の中央に再登場し、満員の観客へ挨拶をした時の彼女の姿は一転して儚げで、弱々しいものであった。演じ終えた直後の疲れもあったとは言え、つい数分前まで舞台で躍動していた同一人物とは思えなかった。林芙美子を演じている間は、渾身の力を振り絞っていたのであろうか?そのあからさまな落差に、私は彼女の女優魂、プロ根性を見たような気がした(彼女の演技力に関して、辛口な評価を目にしたこともあるが、少なくとも彼女は、「森光子と言う女優としての人生」を立派に全うした人だと思う)

 そして結局、彼女はこの年を最後に、「放浪記」の舞台に上がることはなかったのである。


 だから、つくづく思うのだ。

 今、もし何か見たい舞台、映画、展覧会があれば、迷うことなく見た方がいい。もし、どこか行きたい場所があるのなら、時間をやり繰りしてでも行った方がいい。もし、会いたい人がいるのなら、ためらうことなく会った方がいい。その機会はもう2度と巡って来ないかもしれないのだから。

 そして、何かやりたいことがあるのなら、清水の舞台から飛び降りるつもりで、失敗を恐れず挑戦したらいい。「今の自分」としての人生は1度しかないのだから…



 末筆ながら、森光子さんと中村勘三郎さんのご冥福をお祈り致します。


2012/12/4

スマイル党代表マック赤坂氏  はなこのMEMO

クリックすると元のサイズで表示します 4日の夕方、MXテレビ(東京のローカル局)で、都知事選の政見放送を何となく見ていたら、原稿棒読みの上に、制限時間オーバーで容赦なく映像を打ち切られた猪瀬直樹氏に続いて登場したのが、スマイル党代表のマック赤坂氏。

 「東京都民を救うために、宇宙人になって戻って来た」そうで、およそ政見放送には似つかわしくないヘンテコリンな格好にまずビックリ

 この方、2007年から国政選挙や地方首長選挙に何度も挑戦しては、落選を繰り返している。昨年の都知事選、大阪府知事選、そして今年10月に行われた新潟県知事選に続いて、今回の都知事選への立候補のようだ。

 格好にまず面食らったけれど、政見放送の中身にも驚いた。大げさな身振り手振り(体操?)で、「笑い方」を教授するだけ。「スマイルで世の中を明るくすること」が彼の使命らしい。選挙にはそれ相当のお金がかかると思うのだけれど、よくもまあ、この主張で立候補を繰り返しているものだ。

 このパフォーマンスをそのまま流す、政見放送の度量の大きさにも、今回マック赤坂氏を初めて見た私としては驚いた。そのユニークさが受けて、これまでにも有名お笑い芸人にモノマネされたり、You-tubeに動画がアップされているそうだ。5日早朝にはなんとNHKでも、政見放送が予定されている。果たして天下のNHKでも、氏は同じパフォーマンスを披露するのか?

 都知事選候補としては今や常連とも言える、著名な発明家ドクター中松氏も、御年84歳ながら、クリスマスを連想させる鮮やかな赤のジャケット姿で盛んに健啖ぶりをアピールしていた。都知事選は過去にもイエス・キリストの生まれ変わりを自称する又吉イエスなる人物も立候補する等、ユニークな顔ぶれに事欠かない。

 勝算あっての立候補とは到底思えないのだけれど、彼らは都知事選に立候補することに、どんな意味を見出しているのだろうか?本気で当選を目論んでいるのだとすれば、現代のドン・キホーテ?!にしか思えないんだけれど…

 日本はそれだけ平和なのか?逆に現状への危機感が欠如しているのか?マジメなんだか、フマジメなんだか…我が母国ながら不思議な国…


2012/12/3

大原千晴『名画の食卓を読み解く』(大修館書店、2012)  読書記録(本の感想)

クリックすると元のサイズで表示します ひとくちに「美術史」と言っても、さまざまなアプローチの仕方があると思う。私個人はどちらかと言うと技法的なことよりも(←もちろん、美術史的には重要で、ギャラリートークでも外せない要素)、作品が生まれた社会的背景に興味がある。

 ひとつの美術作品の誕生には、作家自身が目指した芸術表現の弛みない追求もさることながら、作家が生きた社会の政治体制、社会構造、経済状況、そして思潮が否応なく反映されているはずだ。

 例えば、17世紀オランダにおける風俗画の流行は、後に「黄金時代」と称せられる当時のオランダの政治・宗教・経済状況がもたらした社会構造の変化に拠るところが大きい(→参考記事:『フェルメールとオランダ風俗画』)

 作品が生まれた時代背景に目を遣ることは、幾年月を経て今に伝わる作品を通して、その時代に思いを馳せると言うこと。

 その意味で、英国骨董店の店主で、骨董銀器専門家の肩書きを持つ著者による本書は、大いに興味をそそられる内容だった。名画に描かれた食卓から、名画が描かれた時代の文化的背景に迫る。著者曰く、欧米では近年「食文化史」と言うジャンルが劇的に発達してるらしい。欧米の食文化史を、古代から近代までの名画を切り口に紹介したのは、日本ではおそらく、この著者が初めてではないだろうか?

 本書はカラー図版が豊富で目にも楽しく、美しい装丁は愛蔵版と言った趣き。各々がそれほど長くない(←つまり読み易い)21章から成る本書は、巻末に「読書ガイド」も添えられていて、読者のさらなる好奇心にも応える構成となっている。

 厳密には美術(史)書とは言えないのかもしれないが、こうした名画の楽しみ方があってもいいと思わせる良書だと思う。


 各章のタイトルは、例えば以下の通りだ。

《3》食卓で手を洗う(←その習慣はいかにして始まったか?)
《4》英国中世 修道士の肉食(←修道士の食いっぷりと商才に驚く!)
《6》紀元前4世紀末 古代エトルリアの宴(←豊かでしゃれていた古代エトルリア)
《9》19世紀初頭 ロードメイヤーの宴席(←知られざるロンドン市長の権勢)
《10》17世紀中期 オランダ都市の食卓(←豊かなオランダの食卓の背景には…)
《14》アフタヌーンティーの誕生(←アフタヌーンティーのルーツとは?)
《21》19世紀 パリ 船遊びの昼食(←19世紀パリ風俗の最先端!) 

【冒頭から、いきなり「ヘェーヘェーの連続】

 第1章は「15世紀 フランスの王族の宴」。取り上げられた作品は《ベリー公のいとも豪華なる時祷書(1月)》ランブルール兄弟、1413-1489頃。

クリックすると元のサイズで表示します 時祷書とは「祈祷文や賛歌、暦からなるキリスト教徒が使用する聖務日課書を指し、私的な物なので、各人が趣向を凝らして作成したらしい。中でも有力王侯貴族のひとりであったベリー公の時祷書国際ゴシックの傑作でもあり、最も豪華な装飾写本として評価が高い」と言われている(ウィキペディアより)

 この章で著者は、この一葉に描かれた事物を事細かに解説し、それぞれが意味する文化的背景を活写している。

 例えば、食卓脇で給仕している男性達は単なる「召使い」ではなく、ベリー公からの信頼が厚い「エリートの側近」であることを明快に解き明かす。

 まずは、その見た目に着目。緑の服を着た男性の靴の踵から飛び出しているのは乗馬に必要な「拍車」。拍車は「騎士身分」の象徴だと言う。次いで彼らの行為に注目する。一見すると召使いの行為である「給仕」。身分の高い人物がなぜ「給仕」をするのか?これには少なくとも2つの理由があった。

 ひとつには「毒殺対策」。当時、欧州各地の宮廷で毒殺の陰謀が跡を絶たなかった為、給仕は信頼できる側近にしか許されなかったと言う。宴席で料理を運ぶ銀盆"Salver"も、語源に"毒味をする"と言う意味を含むらしい(因みに韓国の食器が金属<銀?>製なのも、かつての毒殺対策の名残だとか)

 もうひとつは城の広大なホールを舞台に繰り広げられる芝居「宴の食事」の中で、「主役を演じるベリー公と賓客に対して給仕をする」と言う行為が、特別な訓練を要する厳しい食卓作法に則ったものであり、極度の緊張を強いられる大役であるということ。フランス語で「侍臣」と「刃」を意味する2語を組み合わせた役職名を与えられ、主家の紋章の刻まれた大中小のナイフを華麗に使い分け、宴のメインディッシュであるロースト肉を切り分ける彼ら。

 「重要な政治」の場であり、キリストの「最後の晩餐」への憧憬をも意味した、こうした特別な宴で存在感を示した人物達が、それぞれの立場を暗示させる形で、この一葉には克明に描きこまれているのだ。しかし、それが一般の、非西欧文化圏の日本人には分かりづらい。それを軽やかな筆致で絵解きしてみせたのが、著者の真骨頂だろう。

 また大道具、小道具に関する解説も興味深い。食卓で金色に輝く食器は果たして純金製なのか?テーブルの足の形やテーブルクロスが意味するところは?背景の豪華なタペストリーの意外な役割とは?

 他にも当時の宗教観や季節感への言及等、著者の視野の広さに感心する。そして、先へ先へと読み進めたくなる面白さだ。

 最後に敢えて難を言えば、細かい解説を読みながら、何度も章の表紙の図版を見返さなければならないこと(笑)。しかし、そんな面倒臭さを我慢しても、この本は一読の価値ありだと思う。とにかく著者の明快な絵解きに、胸がワクワクする。 

2012/12/1

漢検2級合格!  はなこ的考察―良いこと探し

クリックすると元のサイズで表示します 10月に受験した漢字検定2級の合否結果が出ました。無事、合格です目標の9割以上の正答(180点/200点満点)には、残念ながら1点及ばず179点となってしまいましたが、久しぶりの試験で合格を果たせて嬉しいです(因みに今回の合格点は155点以上らしい)

(財)日本漢字能力検定協会HP

 今回は1カ月ほどの受験勉強で試験に臨みましたが、日々、目標を持って勉強することを久しぶりに体験し、何歳になっても「学ぶこと」は楽しいものだなあと実感しました。既に、次のチャレンジを模索しているところです。漢検準1級か、約30年ぶりの英検(受験するとしたら準1級)か、はたまた初TOEICか…或いは、これらとはまた別の、もっと実用的?な資格取得を目指すか。

 ここで、以前、友人に「何を勉強するにしても、コスト意識を持つことは大事よ」と、言われたことが、ふと頭をよぎります。シッカリ者の友人は、「学ぶにあたってかかった費用を、その後回収できるのか」と言うことを常に念頭に置いて、学ぶ対象を選んで来たそうです。計画性を持って歩んで来た彼女の人生は、当然のことながら、堅実かつ華々しい。

 そんな彼女の目には、私の30代での大学への社会人入学(美術史専攻、博物館学芸員資格取得)は「壮大な無駄遣い」に映ったかもしれません。投資した金額が全然回収できていないどころか、さらに学びを深める為の展覧会通いや書籍代で、出費は嵩む一方です。ただ、この10年近い美術館でのボランティア活動では、金銭に代えられない豊かな恵みを、私は心の中に得たような気がするのです。

 懐は寂しいけれど、心は充たされている。別に清貧の思想を是とする人間ではありませんが、自分は今、十分幸せだなと感じています。何を以て幸せを感じるか、日々の暮らしに充実感を持てるか、と言うのは、やはり人それぞれなんでしょうね。

 これからまだ続くであろう私の長い人生では、楽しい、嬉しいと言ってばかりもいられない厳しい現実が待っているのかもしれませんが、その時々に柔軟に対応して、自分自身が納得できる人生を、自分の責任において全うしたいなと思っています。

 自分にとって、何が大切か、何が心地良いか、何を選択し何を捨てる(諦める?)か、忙しく過ぎゆく日々の中でも、時には立ち止まって、ちゃんと考えて行きたい。時には失敗しても、それも自分の人生だと素直に受け入れられる自分でありたいです。




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