2012/6/30

「ちい散歩」の地井武男さん逝く  携帯電話から投稿

夫婦して散歩好き。

週日毎朝放送の「ちい散歩」は時々見ていた。

いつ見ても、楽しかった。

いつまでも続くと信じ、

いつでも見られると思っていた。

地井さんが病気療養を理由に番組を降板し、

一旦番組が終了しても、

いつかは復活し、

また地井さんの散歩が見られると思っていた。

それなのに突然の訃報。

こんなことなら、もっと見ておけば良かった…


地井さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

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(6/24(日) 日比谷公園にて)

2012/6/28


息子が、教育実習でお世話になった母校に、御礼状を郵送したのが月曜日。

僅か2日後の水曜日には、校長先生から返信の絵はがきをいただきました。

幾ら同じ首都圏とは言え、何という早さ!

息子からの御礼状を受け取られて、間髪を入れず返信されたのでしょうか?

御礼状に対して、お返事をいただけるとは思ってもいなかった息子は、思いがけず、しかも驚くほどの早さで返信の絵はがきが届いたことに、いたく感激したようでした。

大学の住所で送った為、大学気付で届いた絵はがきを、自宅に戻るなり、両親に見せてくれました。

「(記念に)どこかに飾っておこう」と呟いた息子の表情は、嬉しさで、心なしかほころんで見えました。

このような経験の積み重ねが、他者への信頼感を育むのだと思います。まだ若く、成長の途上にある息子には、宝のような経験でしょう。

校長先生のお心遣いに、親として感謝したいです。



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2012/6/26

何となく不満  日々のよしなしごと

長年愛用している化粧品メーカーが、最近、イメージモデルに、ある有名タレントを起用した。

このメーカーは皮膚科の女医が、自身の肌荒れを治療した経験から立ち上げたものだ(実際は経営に参画していると言うより、商品開発に携わっているだけなのかもしれない)。何度か他のメーカーに浮気しても、結局、ここの商品に帰って来た。その品質に信頼が置けるからだ。

私の知る限り、このメーカーがイメージモデルを置くのは、これが初めてのことだと思う。それまでは開発者の女医自身が前面に出ていた。なぜだろう?最新のニュースでは大手スーパーマーケットの化粧品コーナーへの進出も決まったと言うから、事業拡大の為に、「有名タレントを使って、まずは一般での知名度を上げる」作戦なのだろうか?

しかし、私はイメージモデルに選ばれた女性タレントの肌が特段キレイだとは思わないし、この人の経歴に、あまりクリーンなイメージが持てない。知的を装っているが、知的とも思えない。どうして、彼女が選ばれたのか?どうして、彼女なのか?

このメーカーは基本的に通信販売で、無駄な宣伝広告費を使わず、品質1本で勝負しているイメージがあったから、私は好感を持っていた。

しかし、これからは私が支払う商品代金の一部が(まあ、微々たるものだろうけれど)、あまり好きではない女性タレントのギャラとして支払われるのだ。そう考えると、ちょっぴり腹が立つ。

さらに、既に多くのメーカーが行っている「顧客の年間の購入総額に応じてランク付けをし、きめ細かなサービスの差別化を図る」ポイント制度も、新たに始めたようだ。顧客の囲い込みと言うことだろうか?

私は、このメーカーでは基礎化粧品しか購入しないので、年間の購入金額はたかが知れている。私にはあまりメリットのないサービスだ。

利幅が大きいと言われる化粧品メーカーは中小が乱立していて、今や戦国時代の様相を呈している。そんな中で生き残りを賭けた、此度の戦略なのだろうか?

しかし、だからといって、利潤追求に走るあまり、その品質に惚れ込んで使い続けている長年のユーザーを、ゆめゆめ裏切ることのないようにして貰いたい。

このメーカーの生命線である品質は落として欲しくない。


【2012.11.01追記】

美容ジャーナリストによる、このメーカーの方針転換に関する記事があった。こんなことになっていたとは知らなかった。尤も、これまで通り品質が維持されるのならば、私はこのメーカーの商品を使い続けるつもりではある。

『医療発想の化粧品へ』(美容・医療ジャーナリスト海野由利子公式ブログ)

2012/6/25

「信教の自由」とは言っても…  気になったニュース

先日、17年間の逃亡の果てに相次いで逮捕された2人の容疑者は、地下鉄での未曾有のテロ事件を始め、幾つもの殺人事件に関与した某信仰宗教の信者であった。

事件後、教祖やその幹部らが逮捕されたことにより、その教団自体は消滅したが、そこから派生した2つの宗教団体は今も存続し、近年は17年前の事件を知らない若者の入信が激増していると言う。

今朝、6時台に聴いているラジオ番組でも、その巧妙な勧誘手口を紹介していた。

恐ろしいことに、大学でサークル活動を隠れ蓑に、次々と若者を勧誘しているらしい。当初は大学に入学して間もない新入生らをバーベキューに誘う等して楽しい交流の場を演出し、ある程度親しくなったところで、「最近巷で流行のヨガに興味ない?いい先生を紹介してあげるよ」と教団の指導者の下に言葉巧みに誘導すると言うのだ。サークル名もおよそ宗教とはかけ離れたカタカナの軽いノリで、外からは、ただの学生交流団体にしか見えないらしい。

その話に、息子が大学入学間もない頃の話を思い出した。

同じ学部に高校時代の同級生も殆どおらず、部活も入ったばかりで学内に特に親しい人がいなかった息子は、学食ではひとりで黙々と昼ご飯を食べることが多かった。すると、そういう孤食の学生を狙う宗教勧誘者がひきもきらなかったと言うのだ。もちろん彼らは最初からあからさまに宗教の話を持ち出すようなことはしない。まだ、大学の雰囲気に慣れていない学生の心細さや人恋しさにつけこんで、「友達作りの場を提供する」というような甘言で釣るのだ。

学食は基本的に部外者にも開かれているので、誰でも利用できる。しかも同年代となれば、その場にうまく溶け込んで怪しまれることもないのだろう(ただ善く善く観察すると、少し年長、かつ、年齢の割に垢抜けない雰囲気で、周囲からは浮いているらしい)。「下手な鉄砲も数打てば当たる戦法」で、勧誘はある程度の成果を上げるのではないだろうか?ひとつの大学でたとえ数人でも、首都圏だけでも数百ある大学で勧誘に成功すれば、総数はかなりの数に上るだろう。

しかし、大学側もこの勧誘実態をある程度把握しているらしく、大学のHPや掲示板等で、注意を呼びかけてはいる。憲法で信教の自由が保障されているので、闇雲にそれらを学校現場から排除できないのかもしれないが、個人的には、もっと踏み込んだ形で警鐘を鳴らして欲しいと思う(もちろん、学生自身も一時の孤独や孤立に負けない精神的な強さを、大学に入学するまでに身につけて欲しい。まあ、そういう人間に育て上げるのは、親の役目なんだろうけれど)

息子の場合、その垢抜けない風貌から声をかけ易いのか、入学から3カ月間、頻繁に勧誘者から声をかけられたと言う。しかし、ミッション系の中高一貫校で6年に及ぶ宗教教育に辟易していた彼は、(進学実績を謳うだけの学校より、建学の精神に確固たるものを持った学校への進学が望ましいと考えていた親心を知ってか知らないでか)所謂"宗教アレルギー"であった。勧誘に対して、ある種弱い面もあるのだが、こと布教行為に関しては不快感が先立つらしく、あの手この手の勧誘に一切乗らなかったらしい。暫くすると、息子は部活や同じ学科で友人ができて、大学生活にもすっかり慣れ、そういう誘いとは無縁になった。その意味では、大学で部活にも入らず、アルバイトもせず、昔からの友人との交流も殆どなく、ただ大学と自宅を往復するだけの(一見すると勉強一本槍で頑張る真面目な?)学生は要注意だろう。

思い返せば、私の学生時代にも"哲学"だとか"真理"だとか、もっともらしい名前を冠した人文系の研究会があり、その実態は新興宗教団体の大学における新たな信者獲得〜布教活動だったように思う。

私は"個人がより良い人生を生きる為の道標"としての宗教そのものを否定するつもりは毛頭ないし、宗教が悩み苦しむ人々の心の拠り所となり、その魂を救っている意義は認めるが、一方で、宗教が時の権力と結びついて人々の生き方を束縛し、著しく個人の権利を侵害したり、社会と敵対して、その秩序を危うくする存在になることを何よりも恐れている。

作家の志茂田景樹氏も、6/22付週刊NEWSポストセブン誌のインタビューで、特に新興の宗教の危うさを、以下のように述べている。

――著書『新折伏鬼の野望』のあとがきに、●ウム裁判の決着により、●ウムの再生が始まったと書いていますが、その真意は?

志茂田氏:新興宗教というのは、どうしても活動が先鋭的になるんですね。社会性がなくなって、強引に勧誘場所に連れていって折伏したり。要するに宗教ってのは“信じる信じない”の問題になってくるんで、理性と離れたところから出発してるんですよね。“信じるためにはこういうことしなきゃいけない”というようなものがどこの宗教でもあるので、そういった活動に猛烈なエネルギーを注ぐようになるんですね。

 本来、新興宗教っていうのは貧しいなかで生まれやすいんですよ。貧しさと病気を柱に、この宗教を信じれば豊かになり、病気も治りますよっていう布教の仕方をしていく宗教も多い。●ウム●理教の場合は日本が豊かな時代に生まれましたが、ちょうど心の悩みを抱える人が増えていった時代背景もあって、物質的な貧しさは関係なく信者を増やしていった。心惹かれていった若者たちが多いと思うんですね。

 混乱期ではない豊かな社会のなかでは、新興宗教というのは非常に特異な教団に見えるわけですよ。周囲から活動を狭められているぶん、内部の“燃焼”が激しくなるので、その反動で、非常に極端なカルトへと向かっていってしまいやすい。●ウム●理教は、その結果、地下鉄●リン事件という反社会的な行動を起こしてしまった。

 ●ウムは司直の手で“壊滅”させられましたけど、●レフや●の輪のように派生した教団は残っています。過去にも、大本という教団が弾圧されましたが、派生した教団はいまでも根強く残っているんです。●ウムは壊滅させられても、そこから派生した教団はもっと利口になり、やや社会性を持ちながら、でも意外と強い布教のエネルギーをエンジンのように発揮しながら伸びていくはず。そして、教団が続いて行く限りは急成長する時期が来るんですね。それをぼくは“●ウムの再生”じゃないのかと表現したわけです。
(注:下線byはなこ)

志茂田景樹氏へのインタビュー記事「志茂田景樹が予言…」


新学年が始まって間もないこの時期は特に、親元を遠く離れて学生生活を送る我が子の近況を(もちろん、自宅通学生の場合も怠りなく!)、親はある程度把握する必要があるのではないだろうか?実際、怪しげな宗教に嵌らないまでも、精神的に参る学生は少なくないようだから。

2012/6/22

『ソウル・サーファー』(2011,米国)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 実在の女性プロ・サーファー、ベサニー・ハミルトンの不屈の半生を直球勝負で描いた本作。

 試写会の評判がすこぶる高く、気にはなっていたが、サーフィンに全然興味のない私は、見るのを躊躇っていた。しかし、テレビでベサニー本人のインタビュー映像を見た時、俄然彼女という人間に興味が湧いた。苛酷な試練を受けながら、なぜ、そこまで明るく前向きでいられるのか?彼女はいかにして、自身に与えられた試練を克服したのか?それが知りたくて、レディースデイを利用して、本作を見て来た。


 四方を海に囲まれたハワイで、家族の温かい愛情の下伸び伸びと育ち、10代前半で天才サーファーとして頭角を顕したベサニー。サーフィンのジュニア大会で優勝し、よりハイレベルな地区大会出場を控えた13才のある日、彼女は無惨にもサメに肩先から10cm程度を残して左腕を食いちぎられてしまう。

 天才少女の悲劇に、ここぞとばかりに群がるマスコミ。人の不幸に群がるマスコミの習性は何処も同じようだ。しかし、家族や親友とその家族、彼女を幼い頃から知る地元の人々や信仰の仲間、そしてサーフィンを愛する人々は、彼女のことを心から思い、陰に日向に支援する。

 何より驚いたのは、彼女のサーフィンへの強い思いだ。先のインタビューによれば、事故からわずか1カ月で、彼女はサーフィンを再開したと言う。「だって、サーフィンのない人生なんて考えられないもの。」〜サーフィンへの一途な思いが、事故の現場となった海に再び戻ることへの不安と恐怖に優ったと言うのである。

 サーフィンでは、波に乗るためにボード上で左右の腕と体勢でバランスを取るだけでなく、乗る波目指してサーフポイントまで両腕で力強くパドリングしなければならない。だから左腕の欠損は、サーファーにとって大きなハンデとなる。それでも、サーフィンをこよなく愛し、サーフィン抜きの人生など考えられない彼女は、サーフポイントまでのパドリングに悪戦苦闘し、波に乗るどころかボードに立ち上がることすらできず、何度も波にのまれながらも、果敢にサーフィンに挑み続けた。

クリックすると元のサイズで表示します そして、大方の予想を覆し、予定通り地区大会に出場を果たすのだ。以後、彼女がひとりのサーファーとして完全復活を果たすまでを映画は描くのだが、とにかくその不屈の闘志には恐れ入る。

 その闘志に火をつけた、クールなライバルの存在も忘れてはいけないだろう。ベサニーに常に闘志剥きだしのライバルが、事故後も変わりなくライバルで在り続けたことで、ベサニーは自尊心を失わずに済んだと言っても良いのだ。

 そして、彼女が試練を克服する上で、周囲の励ましと共に大きな支えとなったのは信仰であった。本作は、この辺りをストレートに描いていて、キリストの教えがしばしば登場する。日常生活で宗教との関わりが深いとは言えない一般の日本人には、違和感を覚えるところだろうか?

 それにしても…「神は信じる者に、なぜ、敢えて試練を与え給うか?」

 キリストの教えを受け入れられない人間には、現世で救いどころか、試練を与える神の御業(みわざ)は理解し難いものだろう。

 しかし、逆に信仰が人生の一部になっていない人間は、苦境に立たされた時、何を頼りにすれば良いのだろう?日本が欧米やイスラム圏に比べて自殺率が高いのは、信仰の有無(自死を禁忌する戒律による縛り?それからすると、中東で繰り返される自爆テロは教義に反する行為のはずだが…)も関係しているのかもしれない。

 ともあれ、終始一貫、若くして強靱な精神力で苦難を克服するベサニーの姿に、圧倒され続けた。その強さは信仰に裏打ちされたものなのかもしれないが、それに優るとも劣らない彼女の全身から溢れんばかりのサーフィンへの愛情や、ひとりの人間として困難に立ち向かう直向きさにもまた、見る者は心打たれるのだと思う。

クリックすると元のサイズで表示します ベサニー役を演じたアナソフィア・ロブは愛らしい容貌で、大柄でスッキリとした顔立ちのベサニー本人とは似ていないのだが、その力強い目の輝きがベサニーの意思の強さを物語って良かった。
 
 彼女をスクリーンで見るのは、これで5作目。最初が『チャーリーとチョコレート工場』。以後、『テラビシアにかける橋』『ジャンパー』『ウィッチマウンテン』と見て来たが、その存在感と演技力はスター性十分。本作を見る限り、子役から大人の女優として順調に脱皮しつつあるようで嬉しい。

 親友のアラナ役で、名優ジャック・ニコルソンの愛娘、ローレン・ニコルソンが共演。母親役がヘレン・ハント、父親役がデニス・クエイドと、芸達者なベテラン俳優が脇を固めて、両親の細やかで深い愛情を見事に表現していた。劇中では彼らが本当の親子に見えた。こういう実録物では、キャスティングが成否を決める重要なポイントのひとつなんだとつくづく思った。

 最後に、ベサニーの片腕を失った状態はCGで編集していると思うのだが、違和感が全くなく、アナソフィアが本当に片腕を失ったかのように見えた。その技術の進歩には本当に驚くばかりだ。下の写真は、ベサニー・ハミルトン本人。自信に溢れた笑顔が素敵だ。

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2012/6/22

『開運、なんでも鑑定団』で思うこと  はなこのMEMO

■まず、思うこと。

日本は各地に旧家、名家が数多く存在し、
そこの蔵には、想像以上にお宝が眠っている。
この番組で、そのことを改めて知ったと言っても良いだろう。
先祖代々の家系図が存在する素性確かな家に眠るお宝は、
ほぼ確実に価値のある物である。
しかし、これにも例外があって、
混乱期に使用人に持ち去られる等した後に残ったお宝は、
ニセ物とすり替えられた可能性もあるようだ。
ここで残念なのは、なぜ、使用人にそういうことをされたのか、と言うことだ。


■やはり世代別に見れば、お年寄りはお金を持っている。

海外旅行には頻繁に行くし(そのことを番組内で自慢げに語る人が多い)
そこで骨董品を買う人も少なくない。
旅先で、しかも海外で、骨董品を買うと言うことは、
かなりリスキーだと思うのだが、
「教育資金」や「住宅資金」の不安が最早ないお年寄りは、
素性も確かでない骨董品に、思い切りよく大金をはたく。
若い世代が羨むほどの豪快なお金の使い方をする
(それは別名"無駄遣い"とも言う)

そして、鑑定団に鑑定依頼をするようなお宝を持っているお年寄りは、
身なりからして違う。実年齢を超越した若さを保っている人が多い。

それは「お金持ちだから」と言う理由だけでなく、
「好奇心が旺盛」「常に緊張感を持っている」等の心構えによるのかもしれない。
もっとも、それだけの余裕がもてるのは、
「お金持ちだから」とも言えるのかもしれない。

女性は100才近い人でもスーツを着こなし、フリルやレースがよく似合う。
中には日々化粧を欠かさない、と言う人もいる。

男性は、旧家名家の出でなければ、医師や元会社経営者が圧倒的に多い。
そして、たとえ高齢でも現役で医師の人は、
会話のレスポンスが高齢とは思えないほど早い。言葉も明瞭だ。
かくしゃくとして、背筋がピンと伸びた人が多い。
おそらく医師と言う職業は、脳をフルに使い続けるので、
同世代と比べて脳年齢が、かなり若いのだろう。
医師と言う職業は、その意味でも魅力的な職業のようだ。


■成金の人は、「成功の証」に骨董品や美術工芸品を持ちたがる。

しかも、すでに評価が定まっている品目や作家のものを、
骨董店などで高値で購入し、その値上がりの程を期待して、
鑑定団に出品する傾向が高いようだ。

彼らにとっては骨董品も美術工芸品も、所詮、「投機の対象」でしかないのか。

しかし、予め投機目的で購入した物なんて、
その品と持ち主の間にストーリーのない鑑定品なんて、
たとえ、持ち主の思惑通りに、買った時の値段より高額な鑑定が下っても、
見ていて、ちっとも面白味を感じない。
寧ろ、成金臭が鼻につくだけだ。


■借金の肩代わりに預かった骨董品は、99%がニセ物。
そもそも、借金額に相当する品なのであれば、
それを売ってお金にすれば良い話。
よくよく考えれば分かりそうなものだが、
元々人が良いのか、義理人情に堅い人なのか、
殆どが騙されて、ニセ物を掴まされている。

しかし、1%真品の確率も残されている。
それは、廃仏毀釈の直中や戦中戦後のどさくさ等、時代の混乱で、
困窮した持ち主が、やむにやまれず手放したお宝もあるからだ。


■中島誠之助氏は、「出張鑑定団」で全国行脚を楽しんでいるに違いない(笑)。
まさに「役得」である。
しかし、中島氏には鑑定品に対する「愛」が感じられるので、それも許せる(笑)。


■これは番組の"罪"なのかもしれないが、
この番組をきっかけに、
自分のお宝が番組で高額鑑定されるのを夢見て、
骨董集めを始めた人も少なくないのではないだろうか?

しかし、そう言う人に限って、
博物館や美術館や骨董店に通い、
審美眼を鍛えてから買う、と言う順番を踏まず、
ただ闇雲に、骨董店側から勧められるままに、言い値で買ってしまい、
高値掴みする傾向が否めないようだ。

これでは、悪徳骨董店のいいカモである。
まずは買うより何より、骨董品や美術工芸品への愛情が大事だと思う。

足繁く博物館・美術館に通い、数多くの名品を見る。
審美眼を鍛えるには、それしかない。

本当に、その品の価値を知り、愛でることができるのか?
それなしに、ただ投機目的で買われるのでは、
骨董品も美術工芸品も可哀想だ。



何せよ、この番組は人間の自己顕示欲をくすぐる要素を多分に持っている。
だからこそ、さまざまな人間ドラマが垣間見えて面白い、と言えるだろうか?

2012/6/22

世界は広い  はなこのMEMO

ギリシャの経済破綻に端を発したユーロ危機。
ユーロの崩壊は、そのまま世界恐慌に繋がりかねないと、
世界がその動向を案じ、注視している。

先日のある時、あるところで、ある人が、ある人に、こんなことを聞いた。

「ねえ、今、ユーロ買ってる?」

傍で聞いていた私は、一瞬、何のことだか飲み込めなかったが、
その後に続く会話を聞いてみると、
近々ヨーロッパを旅行する予定なので、
ユーロが底値のうちにユーロを買っておこう、と言う意味らしかった。

私はユーロと言ったら、
ギリシャやスペインやイタリアの財政危機や、
それを率先して支えなければならないドイツ・フランスの大変さが
(とは言え、ドイツ経済はユーロ安で輸出好調の恩恵を受けてもいる)
真っ先に頭に浮かぶのだが、

一方で、旅行に備えて、常に為替変動をチェックし、
今がユーロの買い時、と考える人もいるのだ。
ユーロ危機を対岸の火事だと思えるその余裕が、
羨ましいと言えば、羨ましい。

つくづく、ひとつの出来事も、捉え方は人によってさまざまだと思った。

おそらく世界を見渡せば、
このユーロ危機も、
イランの核開発疑惑も、
シリアの動乱も、
チベット迫害も、
そして、日本の震災も、

我が商機と、喜々として動いている個人、企業、国家が、
少なからず存在しているのだろう。

また、それらを知ることなく、日々を生きている人々も、
大勢いるのだろう。

それが世界の広さ、
多様性、と言うものなのだろう。

2012/6/20

路傍の紫陽花  携帯電話から投稿

路傍に咲く紫陽花。

雨に洗われると、

その色合いは、より深みを増し、

梅雨の街を、美しく彩る。


紫陽花には、雨がよく似合う。

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2012/6/20

ママ友づきあいは大変だ  はなこのMEMO

最近、NHKの朝ドラマ「梅ちゃん先生」(←「結婚できない男」を手がけた尾崎さんの脚本で、ユーモアに富む明るい内容が魅力)を見ているので、その流れで時々後続の「あさイチ」を見ているのだが、今日のテーマは「ママ友同士のホーム・パーティ」らしい。

ママ友づきあいは大変だ〜今日の番組を見ていると、正直、そんな感想しか浮かばない。

冒頭で「ママ友のホンネ」として街頭インタビューを行っていて、顔を晒した30才前後の女性が、いかにも不快そうな表情で「面倒臭い!」と言っていた(←これって、知り合いに見られたらマズイのでは?)

子ども同士が親しくなるのに引き摺られるように、母親同士の付き合いが深まるのが「ママ友」関係。互いに招き招かれホーム・パーティを開くようなのだが、やはり「メニューのマンネリ化」「招く側は忙しすぎて、おしゃべりにあまり参加できない」「子ども以外の共通の話題がない」「手土産に気を遣う」「招かれた側としての気遣いが面倒」など、招く側も招かれる側も悩みが尽きないようだ。

そんなに面倒臭いなら、いっそのことやめてしまえば良いのに。或いは視聴者からのファックス投書にあったように、「料理を持ち寄る」「ホカ弁とお菓子の持ち寄りにする」「手土産なし」など、簡素化を図るようにすれば良いと思う。

しかし、司会のイノッチも何度か口にしていたが、どうも「お互いに忌憚なく意見を言い合えるほどの親しい間柄でない」と言うところに、悩みの素があるようにも見える(そうすると、自分を実際より良く見せようと見栄も張るだろうし、互いに競い合ったり、相手の腹を探り合うようなところもあるのだろう←ハハハヘンなドラマの見過ぎ…)

「やめたらいい」と言っては身も蓋もないからか、番組は「いかにして、ホーム・パーティの悩みを解消するか」と言う視点で、例えば料理の工夫を指南する。

う〜ん、たかがママ友同士(with kids)のホーム・パーティごときに、こんなに頑張らなくてはいけないのか?これは、子どもを幼稚園や小学校に通わせる「専業主婦」ならではの悩みなのか?フルタイムで働く保育園ママには、ホーム・パーティに招き招かれなんて悠長な時間などないだろうから。

穿った見方をすれば、専業主婦は自己表現をする機会が普段の生活の中で殆どないので、こういうホーム・パーティで自身の料理や自宅のインテリアを披露することが、貴重な自己表現の機会とも言えるだろうか?番組では、例えば信頼できる病院や塾を紹介しあうなど、「情報交換の場」としての機能も強調していたが…

何れにしても、ママ友同士の付き合いは大変そうだ。番組が、その大変さを助長しているように見えなくもない。

敢えて前向きな捉え方をすれば、このように普段から人付き合い(近所付き合い然り、親戚付き合い然り、PTA活動然り)に心を砕くことで、女性は高いコミュニケーション能力を獲得して行くのかもしれない。

ブログ内関連記事:「男は出世を妬み、女は幸せを妬む」

2012/6/18

最近のおやつ  携帯電話から投稿

取り合わせとして、どうかとは思いますが、

どんなに暑い日でも、ホット・ジンジャーティーに、

シチリア産オリーブの塩漬けとベビーチーズを、

朝の家事が一段落ついた後や昼下がりに、口にします。

身体も心も、芯からホッとするひとときです。ささやかだけれど、至福の時間!

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2012/6/16

誰もが分かっていても、認めたくないこと  はなこのMEMO

大統領選を控えた米国のオバマ大統領のアキレス腱は、「雇用問題」のようだ。

中国における人件費の高騰と労働争議の頻発に端を発した、米国製造業の中国からの撤退、米国回帰も伝えられる中、雇用は思うように回復しない。

米国に戻って来た工場は最新機械設備でコストカットを図るので(←テレビのレポートで経営者が自慢げに語っていた)、雇用は劇的に回復することはないし、たとえ市民が職を得たとしても賃金は低く抑えられたままだ。

結局、遥か昔から大多数の底辺層が少数の上位層を支える、社会のピラミッド構造は変わらない。古代ギリシャのポリスやローマ帝国の市民の豊かな生活と民主主義を支えたのは、膨大な数の奴隷なのだ。市民としての権利を保障され豊かさを享受する層と、権利を一切与えられず、ひたすら労働を強いられ、貧しさからは一向に脱出できない層。(厳密に言うと、古代ローマでは階層移動が可能だったようだ。詳しくは→「古代ローマ帝国の遺産展」講演会聴講録)

これまで米国経済の発展を支え続けて来たのも、米国社会の底辺層を形成する貧しい国々からの移民だったのではないだろうか?古代ギリシャ・ローマほどでないにしても、米国生まれの市民が生まれながらに有する権利を、移民が獲得するにはさまざまな困難を伴うものなのだろう。そして、より貧しい国々の人々が豊かな米国に憧れ、米国市民になることを夢見て、次々と米国に移民として流れ込んで来るからこそ、米国のキャリアパス構造は機能し続けているのだろう。

翻って我が国日本は表立って移民を奨励していない為に、不法滞在の外国人労働者がいることはいるが、底辺層の大多数を占めるのは日本で生まれ育った日本人である。非正規雇用で収入も雇用も不安定であるが上に、彼らは社会保険料を支払い、日本の社会補償制度を支える側にはなれない。しかし、日本人としての権利を有するから、彼らが困窮すれば日本全体で支えなければならない。かくして、日本は全ての階層で共倒れにもなりかねない事態に直面している(尤も富裕層は、自らの資産を守る為に海外に逃避してしまうかもしれない)。これが、今般の「生活保護」受給者増加問題の実相なのではないか?

2012/6/11

誰も責任を取らず、税金の無駄遣いは減らず  はなこのMEMO

17年に及ぶ逃亡生活の末、菊池容疑者が逮捕されたのが6月3日(日)。夜9時頃だったか、NHKの番組を見ていて、速報のテロップで知った。

その翌日には、高橋容疑者が潜伏先から逃亡し、いまだ逮捕に至っていない。もう1週間が経過している。

おそらく、この経緯をニュースで見続けていた人、誰もが疑問に思っているはずだ。

菊池容疑者の証言を得て、高橋容疑者の潜伏先を知ったであろう警察は、なぜ菊池容疑者の逮捕を何の思慮もなくマスコミに伝えてしまったのか?そして、なぜマスコミは躊躇なく菊池容疑者逮捕を速報で流してしまったのか?

菊池容疑者逮捕のニュースが、高橋容疑者を再びの逃亡へと走らせたのは確実だ。

重要手配犯逮捕に舞い上がって、嬉しさの余り担当者が口を滑らせたのか?それとも、ネット上でまことしやかに噂される、大スクープによる(政府にとっては追及して欲しくない)重要案件への注目逸らし、なのか?警察の後手後手に回った捜査を見ていると、後者の理由の為に、わざと高橋容疑者を逃がしたと勘ぐられても仕方ない気さえして来る。次の為にスクープ・ネタを取っておこう、ってこと?

何れにしても、今回の高橋容疑者捜索に全国で延べ数千人もの警察官が動員されている。昨日のニュースでは、岡山県警の警察官が高橋容疑者の新たな似顔絵が刷られた紙を、市中で配って、捜査協力を求めていた。一体、高橋容疑者捜索に、どれだけの費用が新たに投入されているのだろう?専従でないにしても、動員されている警察官の人件費は相当なものである。それらは全て、国民が納めた税金なのである。

政府機関の金の無駄遣いは枚挙にいとまがない。

80年代に総額1兆5,000億円をかけて、全国301カ所に建設されたグリーンピアと呼ばれる保養施設(←どうせ、当時の厚生省役人の天下り用に発案した事業なのだろう)。その原資は、我々国民が毎月納める年金の掛け金を集めた年金積立金であった。民間宿泊施設と競合し、立地で劣るそれらの施設は経営で赤字を垂れ流し、結局破綻して、全て格安の値段で民間や地方自治体に払い下げられた。その時の売却総額は2,200億円。投資費用の7分の1にも満たない。国民の貴重な年金原資1兆2,800億円(グリーンピア経営時の累積赤字と、投資金額を適正に運用すれば得られたであろう利益を含めれば、それ以上)は、無計画な投資で跡形もなく消えてしまった。少子高齢化の進展で、年金原資の不足がいよいよ深刻な問題と化した今、つくづく政府機関の軽率さが腹立たしい。

しかし、これだけの損失を出したにも関わらず、その事業に関わった役人の誰も責任を取っていない。

役人に責任を取らせるシステムがこの国にはないから、こうした無駄遣いが一向に減らないのだろう。国民も江戸時代から「お上には逆らえない」意識が刷り込まれて、国からどんな理不尽な仕打ちを受けても、文句も殆ど言わず、ただただ我慢するだけだ。そして、国民生活は苦しくなる一方だ。

海外ニュースで、老若男女問わず大勢の市民がデモに参加し、さまざまな問題に対して声を上げている映像を見ると、日本はこのままで良いのか、大丈夫なのかと、本気で心配になる。

自分も心配しているだけじゃ、ダメなんだけどね。

2012/6/11


想像力を働かせることは難しい。

ひとり夢想するのは、自分の頭の中で想像の翼を無限に広げて楽しめばいい。

しかし、現実世界で、他者の考えや思いを推し量る為に、想像力を働かせるのは容易でない。他者のすべてを他人の自分が知り得ようもないから、その考えや思いは想像するしかないのだが、想像しようにも、自分が人生の中で見聞きしていないこと、経験していないことを、自分の見聞知や経験知を頼りに想像することには限度がある。

結局、他者のことなど、他人の自分には分かりようがないのである。

たとえ、その人が自分自身について語ったことを見聞きしたとしても、さまざまな人間がその人について語ったことを集積したとしても、それでさえ、相手の一部を知ったに過ぎない。その全体像を掴むなんて他人である自分には所詮無理なのだ。

だから、その前提に立って、他者と付き合うしかないのだと思う。理解するしかないのだと思う。相手を知りたい、理解したいと努力はしつつも、自分の想像力はけっして過信しない。それでちょうど良いのだと思う。

そうすれば、自分の勝手な思い込みで相手のイメージを創り上げ、そのイメージと実際の相手とのギャップに落胆したり、憤ったりすることもないだろう。

独りよがりな判断を避ける為にも、常に想像力を働かせることは大事なことだが、同時にその限界を自覚し、自身の想像力の不完全さを受け入れることも大事なんだと思う。
タグ: 人間関係

2012/6/7

高橋弘行キャスター、なんで辞めちゃうの?  はなこのMEMO

クリックすると元のサイズで表示します 写真の方は2007年からNHKBS1朝の情報番組「ワールドWaveモーニング」のキャスターを務められた高橋弘行氏。

 実は今日の放送回(訂正、正しくは今週)を以て、キャスターを辞められることになった。

 朝6〜7時台の情報番組は、民放、NHK地上波共に近年ワイドショー化が著しく、正直言って「朝の慌ただしい時間に、悠長にこんな番組見ていられるかい?」状態である。

 思うに、この時間帯は殆どの家庭が、時計代わりに、そしてお天気&交通状況チェックにテレビを点けているはずだ。そこで街角レポートやら、最新流行ファッションやらスィーツやら、韓流スターやらを見せられても、目障りなだけだ。だいたい「ニュース(NEWS)」とは読んで字の如く「速報性」が命のはずなのに、ワイドショー化された地上波発信のニュースはちっとも新しくない。いろいろ化粧を施された周回遅れの加工品が殆どだ。

 だから、我が家ではここ数年、夫の意向もあって、朝は殆ど「ワールドWaveモーニング」を見ていた。「日本最速の国際ニュース」を謳うこの番組は、「世界18の国と地域23の放送局から伝送されてくるニュースの中から、取材経験豊富なキャスターが、内容を厳選して、ピックアップ。現地で放送してから1〜3時間程度の時差で、その日の朝一番の国際情勢を伝える」という触れ込み。男女2組のキャスター陣が交代で、不要な脚色など一切せずに、しっかりと「世界の今」を伝えてくれる。そのキャスターの1人が、高橋弘行氏であった。

 ただ、普段、私は家族を送り出すべく、ドタバタしながら見ていたから、今日の今日まで高橋氏の降板に気づかなかった。あ〜、こんなことなら、しっかり見ておくんだった。と後悔しても後の祭り

 しかも、この高橋キャスター。その人となり、キャスターとしての姿勢を知れば知るほど、素晴らしいのである。番組HPのキャスター紹介欄でも、自身のキャスターとしての矜恃を簡潔な言葉で綴り、その見識の高さは一目瞭然。

『知識』よりも 『知恵』を。
『唯ひとつの正義』よりも 『様々な価値』を。
『恐怖』よりも 『勇気』を。
そして何より、未来への『希望』、
私たちに教えてくれるニュースを、さがし続けます。
(以上、番組HPより)

 今日は最終日ということで、番組後半の「世界の扉」コーナーで、映像を交えながら、この5年間を振り返られた。そして、視聴者へ向けて、キャスター最後のメッセージとして、「3つのポイント」を挙げられたのだ。

1.「腹立たしい報道」こそ、しっかり見る。
2.報道はあくまでも「事実」の断面。
3.日本の報道を常に振り返る。


 これだけでは、番組を見ていない人にはわかりづらいだろう。ネットでググッてみたら、昨年の今頃に行われたインタビューがブログ記事としてまとめられていた。

『NHKキャスターに「日本人」について聞いてみた(「今日ボクが見た風景」より)』

 リンクのブログで高橋キャスターが語られたことの中には、私達がニュースを見る上で留意するべき点が幾つもあった。いみじくも今朝の「3つのポイント」を詳細に補完する形にもなっていて、日頃、日本のニュースの在り方について疑問を感じている人にとっても、読み応えのある記事になっている(私は当該ブログの真っ暗な画面に読みづらさを感じたので、プリントアウトして読んだ)



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2012/6/4

渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎、2012)  読書記録(本の感想)

クリックすると元のサイズで表示します 最近は「ボロは着てても心は錦」とは言わないようで、「名は体を表す」ならぬ「外見は内面を表す」と言うのが常識になりつつある。そのせいか、才色兼備と言うか、才能豊かな人々に、洗練された美男美女(いかにも品があり利発そうな顔立ち)が増えたような気がする。

 このことは本の装丁にも当て嵌まるのか、私が昨年辺りからその言動に注目している、新潮社出版部長の中瀬ゆかり氏が週一で出演の情報番組でも、本の装丁の良し悪しを2社で競う「装丁じゃんけん」と言うコーナーがあり、夫婦してそれをよく見ている。出版社が、商品である本を、とにかくまず客に手に取って貰おうと、装丁デザインに心を砕いているさまがよく分かる企画である。そのコーナーで編集者のプレゼンを見、中瀬氏らの熱いコメントを聞いて、紹介された本を買ったのも1度や2度でない。

 表題の本も、書店内をクルージングして、その装丁の可憐さに惹かれて思わず手に取ってしまった本である。後で知ったのだが、最近のベストセラーらしい。

 しかし、装丁の良さはあくまでも「掴み」。買う、買わないは、やはり「内容」が大切だ。私は(たぶん、多くの人がそうだろうが)、まず目次を見る。そこで気になった項目を2,3ページ読んでみる。そこで、例えば文体のリズムとか、主張への共感とか、さらに先を読みたくなる内容の魅力とかで、実際に買うか、買わないかを決めることになる。


 表題の本、『置かれた場所で咲きなさい』は、目次に羅列された項目のひとつひとつが「金言」の輝きを放って、胸にぐんぐん迫って来た。驚くことに、ひとつとして無駄な言葉がない。シンプルかつ心に響くメッセージの数々である。

 例えば、こんな感じだ。

第一章 自分自身に語りかける

 人はどんな場所でも生きていける。
 一生懸命は良いことだが、休息も必要
 …

第二章 明日に向かって生きる

 人に恥じない生き方は心を輝かせる
 親の価値観が子どもの価値観を作る
 …

第三章 美しく老いる

 いぶし銀の輝きを得る
 ふがいない自分と仲良く生きていく
 …

 ページ数は157ページと薄く、本文も大きな活字に平易な表現で語られているが、その内容には深みと重みがある。著者渡辺和子氏の85年の人生経験に裏打ちされた珠玉の言葉が散りばめられていて、何度も繰り返し手に取って読みたい本である。おそらく、読む度に新たな気づきを与えられる本なのだろう。

 それらの言葉は、若い人には希望と励ましを、子育て期の人には知恵と勇気を、 老いた人には自信と安らぎを与えてくれるのではないだろうか。

 著者はキリスト者であり、その言葉の端々にキリストの教えが顔を覗かせてはいるが、一貫してひとりの人間としての在り方を、自らのこれまでの経験を踏まえて、しかも自らの弱さや過去の失敗もさらけ出して訴えかける点に、著者の誠実さが感じられて、キリスト教信者でなくとも、その話に素直に耳を傾けたくなるだろう。

 そして、聖職者及び教育者として指導的な立場にある著者が(それは神に拠って立っている、と言うことなのかもしれないが)自らをけっして過信せず、他者に深い信頼を寄せる、その謙虚な姿勢が清々しい。著者の爪の先ほどの経験も実績もない自分の不相応な慢心が、本当に恥ずかしくなるほどだ。 

 金言の一部を以下に書き出してみよう。

「苦しい峠でも、必ず下り坂になる。」〜人はどんな険しい峠でも乗り越える力を持っている。そして、苦しさを乗り越えた人ほど強くなれる。

「きれいさはお金で買えるが、心の美しさはお金で買えない。」〜心の美しさは、自分の心との戦いによってのみ得られる。

「価値観は言葉以上に、実行している人の姿によって伝えられる」〜同じ事柄でも、価値観によって受け取り方が変わる。子どもには愛と思いやりのある価値観を伝えたい。

「子どもは親や教師の『いう通り』にならないが、『する通り』になる。」〜子どもに何かを伝えるのに言葉は要らない。ただ、誠実に努力して生きて行くだけでいい。→以前、当ブログで同じようなこと(『割れ鍋に綴じ蓋』)を書いていたので、この言葉を見た時、少し驚いたと同時に嬉しかった。

「まず考え、次に感じ、その後に行動する。」〜考えるということは、自分と対話すること。自分自身に語りかけ、次の行動を決めなさい。

「何もできなくていい。ただ笑顔でいよう。」〜笑顔でいると不思議とうまくいく。ほほえまれた相手も、自分も心豊かになれるから。

「苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。」〜生きることは大変だが、生きようと覚悟を決めることは、人に力と勇気を与えてくれる。

「”あなたが大切だ”と誰かに言ってもらえるだけで、生きてゆける。」〜人は皆、愛情に飢えている。存在を認められるだけで、人は強くなれる。

「一生の終わりに残るものは、我々が集めたものでなく、我々が与えたものだ。」〜人は何歳になっても成熟することができる。謙虚になることが成熟の証である。


 著者の渡辺氏は9才の時に、当時陸軍の教育総監だった父、錠太郎氏が、あの二・二六事件で惨殺されるのを目撃している。錠太郎氏は苦学して師団長の地位にまで上り詰めた人物。彼は職業軍人として第一次大戦後の欧州にも赴き、その惨状を目の当たりにして、「戦争は敗者も勝者も疲弊させる」と言う考えに至り、国家の守りとしての軍隊の必要性は十分認識しつつも、戦争を極力回避させることが自身の使命と考えていたらしい。

 仕事を離れれば、50代にして授かった著者を他の兄弟が妬むほどに可愛がり、さらに「人間として在るべき姿」を自身の命が果てる瞬間まで身を以て示して、「9年で一生分の愛情を注いでくれた」と著者に言わしめた父であった。その知見と愛情の深さは、親の直向きな生き様と深い愛情が子供の自尊心を育み、その後の人生の大きな支えとなることを、改めて教えてくれているようだ。

 そして、本書に綴られた数々の金言を前に思う。人は自分に投げかけられた言葉をどう受け止め、それを自分の中でどう生かすかで、その後の人生が大きく変わって来るのではないのだろうか?

 表題の言葉「置かれた場所で咲きなさい」は、著者が30代半に赴いた岡山で大学の学長に任命され、その重責に思い悩んでいた時に、ひとりの宣教師が手渡してくれた短い英詩の一節である。

 Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)

 その後に「咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人も幸せにすることなのです」と続くその詩に力づけられた渡辺氏は、神の御心のままに、与えられた場で精一杯生きることを決意する。

 ひとりの宣教師から手渡された詩の意味を邪心なく受け止め、それを道標に自らの生き方を極めて行った渡辺氏。果たして、本書に感銘を受けた読者はどの言葉を道標に、自らの人生を歩んで行くのだろう?結局、金言を生かすも無にするも自分次第なのだと思う。

 
渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長)『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎、2012)¥1,000




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