2012/4/28

シリアの花嫁(イスラエル/仏/独、2004)  映画(今年公開の映画を中心に)

クリックすると元のサイズで表示します 以前、WOWOWで録画したものを、先日やっと見た。おそらく公開当時はそれなりに話題になった作品であり、既に多くの作品レビューがあると思うが、私の個人的な中東体験も絡めて、改めて本作についての感想を述べてみたい。

 シリアは奇しくも現在、現アサド政権の強権発動により、国家としては混乱の最中にある。連日、報道では、政権側の軍事攻撃により、多くの市民が犠牲になっていると伝えられている。

 私が個人的に接したことのあるシリア人は温厚で紳士的な人ばかりであったし、元は眼科医で、先代の父や亡き兄に比べ温厚な性格と伝えられた現アサド大統領の政権下で、よもやこのような事態が起きようとは、にわかに信じ難いと言うのが、正直な感想だ。世襲による政権委譲は、先代から続く取り巻き連(特に軍部?)の強力なバックアップを得るがゆえに、専制君主的傾向を強めてしまうのだろうか?

 その背景には、米国によるイラクへの軍事攻撃とその後のフセイン政権転覆を起点として、アルジェリア政権の崩壊、エジプトで起きたジャスミン革命、さらにリビアのカダフィ大佐の失脚とその死と続いた「民主化運動の高まり」がもたらした、近年の不安定な中東アフリカ情勢があると見て良いのかもしれない(その意味で、王制の中東諸国の王族達も内心は穏やかではないようだ)


【2012.6.14追記】

 ここでシリアについて、現在、私なりに思うことを少し書いてみる。中東アフリカ地域は、近代には欧州列強の帝国主義に翻弄され、20世紀以降はそこに米国が加わって欧米列強の代理戦争の場になっている。さらに、このところの独裁政権の崩壊と民主化運動の高まりで、内政の混乱が続く国々は多い。そもそも、西洋社会発祥の民主主義が、部族社会と言う異なった様相を持つ中東アフリカ社会に根付くことができるのか甚だ疑問だが、欧米諸国を中心とする国際社会は自分達の民主主義を錦の御旗に、これらの国々に改革を迫っているように見える。

 シリアはイスラム教でも少数派による支配が続く中(確か、イラクのフセイン政権も少数派による支配だった。少数派であるが故に、そして部族間での争いが絶えない社会であるが故に、軍を味方につけた強権支配をするしかない事情もあるようだ)、イスラム社会内での宗派間の権力闘争(これがまた複雑)や、親イラン派であるシリアに対するイスラエルやその背後にある欧米包囲網など、内憂外患でシリア国内は混乱を極めている。最新のニュースによれば、国連は、シリアが事実上「内戦状態にある」ことを認めたようだ。

 以前、当ブログでも言及したが、現在の国連は絶対正義ではないし(寧ろ、常任理事国を中心に、加盟国それぞれの国益を巡って権謀術数渦巻く場となっている)、世界各地の放送局から伝えられる情報も錯綜していて、正直言って何が正しいのか分からない。結局、それぞれの国はそれぞれの立場でシリア問題を捉えているに過ぎない

 先日、米国のクリントン国務長官がアサド政権に対して退陣を求めたが、そうすることでシリアの混乱が収束に向かうとも思えない。かと言って、ここで他国が軍事介入をすれば、シリアはイラクの二の舞にもなりかねない。時間がかかっても、多大な犠牲を払っても、シリアはシリア自身で自国の問題を解決するしかないのではないか?そうすることによってしか、シリアと言う国の主権は保たれないような気がする。

 シリア問題に積極的に関わろうとする国々は、結局、シリアを意のままに操りたいだけなのではないか?ひとつの国家が、その国益を考慮することなく、他国の紛争に関わるとは思えないからだ。近現代史を見る限り、戦争ビジネスが、停滞する国家の景気浮揚の役割を担って来た事実は否めない。もちろん国際社会はただ傍観するのでなく、混乱によって発生する難民のケアに注力することが大事だと思う。場合によっては、周辺国に難民キャンプを国連主導で設置し、市民を積極的に避難させることも必要ではないか?


 現在、世界でも注目の的と言っても良い、そんなシリアの知られざる一面を描いた映画が、この「シリアの花嫁」だ。

 シリアはレバノンと並び、中東でも美人の産地で名高い。それは歴史的に隊商交易で物資や人の往来が盛んとなり、混血化が進んだ結果だとも言われている。劇中でシリア人花嫁を演じるのはパレスチナ系イスラエル人の女優だが、彼女もなかなかの美人である。

クリックすると元のサイズで表示します 「シリアの花嫁」と言っても、本作の花嫁は首都ダマスカスのような都会の花嫁ではなく、1967年の第3次中東戦争でイスラエルに占領されたゴラン高原の、とある村に住むシリア人花嫁である。その花嫁の表情は嫁ぐ喜びよりも、どこか哀しげ。それはゴラン高原と言う地域の特殊性にある。占領以来イスラエルが定めた軍事境界線によって、本国シリアと引き裂かれたゴラン高原在住のシリア人は無国籍状態となり、本国との行き来さえままならないのだ。

 映画では、占領地にいる人々が「叫びの丘」と呼ばれる場所に立ち、境界線の向こう側の親族と拡声器を使って会話をするシーンがある。近くて遠い親族。すぐに行けそうで行けない、そのビミョーな距離感がやるせない。

 私はヨルダン駐在時に、シリア、イスラエルと国境を接する北端のウム・ケイスに家族で何度か訪れたことがあり、その高台から肉眼でガリラヤ湖やゴラン高原を遠望したことがある。しかし、当時はインターネットを使える環境になく、ゴラン高原について詳しく知る由もなかった。私の記憶違いでなければ、帰国後にたまたま目にした、当時のフセイン・ビン・タラール・ヨルダン国王が『文藝春秋』誌に寄稿された記事によって、ゴラン高原の中東における戦略的要衝、及び資源地としての価値を知ることとなったのだ。

 中東は砂漠や土漠が広がる乾燥した大地で、限られた耕作地と水資源を巡って部族間で争いが絶えなかった地域だ。そこに第2次大戦後、イスラエルが加わった。そしてイスラエルが狙いを定めたのは、豊富な水脈を有するゴラン高原であった。フセイン国王も記事の中で、「中東の争いは即ち水資源を巡る争奪戦である」と指摘されていたと記憶している。その一節が、私の中では深く印象づけられたと言っていい。民族対立の裏に隠れた水資源の争奪戦に、私達はもっと注視する必要があるのかもしれない。

 今も慢性的な水不足に悩む中東諸国だ。ゴラン高原が貴重な水源地であることには変わりない。しかし、だからこそ、世界中から非難の目を向けられようと(国連はその領有を正式には認めていないが、イスラエルの実効支配は40年以上も続いている。日本のどこぞの島は大丈夫なのかね?)、イスラエルはけっしてゴラン高原を手放さないだろう。かくして、ゴラン高原在住のシリア人の苦悩は続く。

 そんなゴラン高原に住むシリア人花嫁モナが、首都ダマスカスで俳優として活躍する親類の男性タレルとの結婚の日を迎えた。映画はその1日を描いている(劇中のテレビ報道では現アサド大統領の就任を伝えていた。つまり物語は西暦2000年の出来事らしい)

クリックすると元のサイズで表示します シリアとイスラエルの領有権を巡る対立が未だ続いている(国連平和維持活動の対象地域となっており、1996年以降、日本の自衛隊からも要員を派遣)以上、現状は1度境界線を越え新郎の待つシリアへ入国すると、花嫁はその時点でシリア国籍を取得し、イスラエル占領下の故郷へは2度と戻れないことになっている。つまり、嫁ぐ日が、故郷や家族との永遠の別れの日となってしまうのだ。人生最上の喜びであるはずの日に突きつけられる苛酷な現実。さらに見知らぬ土地の、親類とは言えテレビを通じて知るだけの夫の元に嫁ぐ不安も相俟って、花嫁の複雑な心境は察するに余りある。

 映画はこの結婚を巡る顛末を軸に、イスラエル占領下のイスラム社会のコミュニティのありようや、宗教戒律を規範とする社会のしがらみの中でも自分らしく生きようとする人々の姿を活写する。

 異教徒との結婚により村八分(何処にもある!)にされ、今は妻子と共にロシアに暮らす長兄ハテムと、イタリアで商売をしているらしい軟派な次兄マルワン(シリアへ入国さえしなければ、海外との行き来は比較的自由のようである)。世間体ばかり気にしている夫と対立する聡明で自律的な姉アマルとその娘。長年、抵抗運動を続けて来た為に当局から睨まれ、投獄された経験を持つ父ハメッド。花嫁を取り巻く親族もそれぞれの思いを抱いて、(新郎不在のまま執り行われた披露宴の後、)花嫁を見送る為に、あの分断の象徴である境界線に集う。

 ここからまた花嫁モナの「境界線越え」を巡って、一悶着あるんだな、これが

クリックすると元のサイズで表示します お役所仕事の杜撰さ、無責任さは万国共通。境界線で対峙するイスラエル・シリア双方の役人・軍人の、どこか他人事な態度が、花嫁の5カ月越しの「境界線越えの手続き」を台無しにしようとしていた…モナは果たして、境界線の向こう側で待つ新郎のもとに行けるのか?


 なんて長く、濃密な一日なのだろう。たった一日の中に人間ドラマのありったけが凝縮されている。国家間の争いに翻弄される人生。宗教やコミュニティの掟によって縛られる人生。家族間の対立と和解。世代間の葛藤。男女間の葛藤と女性の自立。花嫁の結婚への期待と不安(一方、迎える側の新郎はいたって脳天気)。そして、不安の中でも一歩前に足を踏み出す若者の勇気。その小さな一歩は、周りに勇気を与える大きな一歩でもあるのだ。

 …とても見応えのあるドラマだった。

 本作は2004年にモントリオール国際映画祭グランプリ、観客賞、国際批評家連盟賞、エキュメニカル賞を受賞している。

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【メモ1】

 監督・脚本を手がけたのはベルリン国際映画祭でも受賞歴のある実力派のイスラエル人エラン・リクリス。共同脚本にパレスチナ系イスラエル人スハ・アラフ。そして俳優陣にもパレスチナ系を多く起用したと言う。

 イスラエル対ガザや西岸地区など、対立構造で語られることの多いイスラエル・パレスチナの関係だが、イスラエル在住のパレスチナ人の中には、現実的対応としてイスラエル国籍を取得する人も少なくないようだ。花嫁の父を演じたマクラム・J・フーリもその1人。プロフィールによれば、やはりイスラエル国籍を取得するに際し、彼なりに葛藤があったらしい。しかし、今や押しも押されぬイスラエルを代表する俳優の1人となっている。花嫁モナを演じたのは実の娘のクララ・フーリ。姉役を演じたのは、イスラエル生まれで、今はパリを拠点に国際的に活躍するヒアム・アッパス

 映画と言う芸術分野で、イスラエル・パレスチナの両者が互いに協力しあい、中東に横たわる問題に真摯に向き合う作品を作り上げることの意味は大きいと思う。もちろん、本作はそのことを抜きにしても、盛りだくさんなドラマ的要素で、ひときわ印象深い作品に仕上がっている。

【メモ2】

 ヨルダン駐在時、郊外へドライブに出かける際には常にパスポートを携行していた。特に西岸地区との境界線であるヨルダン川沿いの道には何カ所もの検問所が設置されていて、そこでは常にパスポートの提示を求められた。何の前触れもなく検問所が閉鎖され、前に車を進められないことも珍しくなかった。帰国前にウム・ケイスを訪れようと数時間かけて車で北上した時も、到着を目前にして通行を止められ、仕方なく引き返したのを覚えている。原因はおそらくイスラエルと何らかのトラブルが発生したことによるものだと思うが、今にして思えば、日本国内では通常経験し得ない国境を接する隣国との関係の難しさを肌で感じた貴重な経験であった。


2012/4/24

村上憲郎『一生食べられる働き方』(PHP新書、2012)  読書記録(本の感想)

「食うために働け。そして、世界をイメージせよ」

私は並行して何冊かの本を読んでいる。(一応、かつて大学で美術史を専攻し、現在ボランティアとしての立場ながら美術に関わる者として)専門性を高める為に芸術関連の本や、教養と人間探求?の為に古今東西の文学、興味関心の赴くままにさまざまなジャンルの本、と言ったところだ。

そして、最近は社会人&職業人デビューを控えた息子に、親として何か少しでもアドバイスができないものかと考えて、書店やネットで目に付いた本を片っ端から読んでいる。その中から、自分で面白いと思った本を息子に勧めている。

息子は「忙しくてそれどころじゃないのに」と文句を言いながらも、ちゃんと読んでいるようだ。読んだ?読んでみての感想は?と聞くと、こちらの期待した以上の感想が返って来るので、彼の脳みその片隅にその本の内容が幾らかは残っているのかな、と思う。

表題の本も、今読み終えたばかりだが、息子に薦めたい1冊だ。

タイトルがいかにもハウツー物っぽくて、当初は買うのが躊躇われたが、書店でザッと目次を見て、興味を覚えた章を読んで見ると、あに図らんや、安直なハウツーものではなかった。寧ろ自らのキャリア形成の過程をテンポ良く語る中で、「働くことの意義」を後進に熱く説いた内容と言った趣き。このタイトル、どうにかならなかったのかな?

本書は、日本企業を出発点に、世界有数のIT企業で重職を歴任した国際的ビジネスパーソンの成功譚ながら、単なる自慢話ではないところが良い。ややもすると「自分はこうした。ああした。だから成功した」と、誰にでも適用できるとは限らない方法論を滔々と述べるパターンになりがちなところを、本書の著者はあくまでも謙虚。

彼のキャリア形成における実体験について、自らを飾ることなく述べながら、職業人としての基本的なものの見方や、仕事に対する姿勢、常に学び続けることの大切さを説いている。そこに好感が持てるし、そこが本書を息子に薦めたい理由でもある。

著者は1947年生まれ。大学時代は「全共闘」に明け暮れ、社会に出てからは身を粉にして働き、日本の高度経済成長を支えた所謂「団塊の世代」。昨今は批判的に語られることの多い世代であるが、彼らがベビーブーマーならではの熾烈な競争の中で、がむしゃらに生きて来たのは誰もが認めるところ。

本書でも、その生き様の一端が活写されていて、それがいかにも楽しそうで、「シラケ世代」と言われた私には少し羨ましいくらいだ。この世代以降で、ここまで生きることに熱くなれる世代が果たしているだろうか?

そして、グローバルに活躍して来た著者は、現在の日本が抱える諸問題についても率直に言及していて興味深い。息子にも是非知ってもらいたいことばかりだ。

とにかく、文体にリズムがあり、論旨明快なので、一気に読める。

印象に残ったキーワードは「大義」「大局観」「アダルト・スーパービジョン」「ミッション・ステートメント」「モンキートラップ」「コンテンツ産業」「リスク・テイク」「転職ではなく転社」「英語」「エリート教育」「世界」「経済学」

以下にキーワードに関する一文(一部)を列挙してみた。そのまま本文を書き写したわけではないが、ネタバレとも取れる内容で、これから本書を読もうとする人の興味を削ぐことにもなりかねないので、<続きを読む>でリンクしておきます。


続きを読む

2012/4/19


クリックすると元のサイズで表示します先日、「ぼくらの時代」と言うトーク番組の過去5年間の総集編を見た。そこで最も印象に残ったのは、詩人谷川俊太郎の言葉。

「ぼくは母親に120%愛された自信がある。そこまで愛されると、自分は生きてていいんだと叩き込まれた感じ。(人生で)何かあっても回復できる。母親に溺愛されたことで、生きる力を貰ったんだと思う。」

これは、母親の無償の愛情が、谷川氏の自尊心を育んだと言うことなのだろう。


このところ、麻薬に似た幻覚症状を起こすと言われる「脱法ハーブ」を吸引して体調を崩し、救急搬送されるケースが増えていると聞く。

痛みや吐き気が大の苦手な私からすれば、なぜ、そのようなイカガワシイものを、何の警戒心もなしに安易に自分の身体に取り込むのか、理解に苦しむ。

タトゥーもそうだが、親から貰った身体を、なぜ、自ら好きこのんで痛め付けようとするのだろう?

確かに母親の胎内から産み落とされた時点で、子供の身体はひとつの独立した個体だが、血を分けた親子の繋がりと言う点では、子供の身体は子供自身のものであっても、子供自身だけのものではないはずだ

これはもしかして、親の我が子に対する誤った愛情(←たぶん、これにしても親には悪意はなくて、親自身が人間的に未熟であったり、愛情と所有欲をはき違えて自分と我が子を同一視してしまうが故に、親子間で起きてしまう齟齬なのではないか?)、もしくはネグレクト(←これはこれで、親自身と言うより、もっと遡る親子関係の根深い問題が潜んでいるような気がする。愛情を知らない人が親になることの難しさみたいなものを感じる。ただし、親自身の強い意志で、その負の連鎖を絶つこともできると思うんだよね)に対する(無自覚な?)子供なりの復讐なのだろうか?もしそうだとしたら、自分自身を痛め付けることで充たされる心って、何だか哀しくて切ない。


脱法ハーブで思い出した光景がある。3年前のLA旅行で、リトルトーキョーに行った時のことだ。LAのダウンタウンでも、例によって暑い中を自分の足で散々歩き回り、喉が渇いたので、ペットボトルのお茶でも買おうと目についたコンビニに入った。LAのダウンタウンには至る所に「ファミマ」があり、そこでは日本でお馴染みの伊藤園の「おーいお茶」も買える。

何気なく入ったコンビニには確かに「おーいお茶」があったが、それ以上に目についたのが、レジカウンターの背後の棚だ。そこには「タバコ」ではなく、ひところ日本でも問題になった「マジック・マッシュルーム」をはじめとした、ワタクシ的にはいかにもアウトなモノたちが陳列されていた。レジには店主と思しき小柄な老婆。しかし、顔立ちからしてアジア系だが、日系には見えない。

そう言えば、「リトルトーキョーに元いた日系人の多くは郊外に転出して、今や中国系や韓国系の姿が目立つほど」と日本人ガイドが言っていたっけ。ホテル近くのメーシーズ内の飲食店街でも、およそ日本の弁当とは似つかわしくない、一向に食欲をそそられない色合いの「BENTO」を売っていたのは、その顔付き、しゃべりから韓国系の女性だった。ホテル近くの「ファミマ」で買ったおにぎりも、ヒスパニック系の名前の食品工場製だった。

日本のコンビニとは違って心なしか薄暗く、清潔とも言い難い店内で怪しげな存在感を放つその棚の商品に、夫も私も内心ギョッとし、結局何も買わずに店を出た。

店の外には、明らかに短期旅行者とは違う、いかにも崩れた感じの日本人の若者が3人立っていた。語学留学か何かで来て、そのまま居着いたのか?ボサボサの髪に生気を失った表情、だらしない身なりのその3人の若者は、かったるそうに喋っていた。LAで日本人同士でつるんで、しかも、いかがわしい店の前で、何してんねん?

LAはNYに比べたら旅費も安く、より気軽に行ける雰囲気だ。あの陽光眩しい突き抜けた青空も魅力的で、若者を惹きつけて止まないだろう。そこに、チャレンジャーな若者の好奇心をそそるような怪しげな、しかし明らかに違法とも言えないモノがあれば、旅の開放感も手伝って、手を出してしまうこともあるのかもしれない。そこで覚えた味が忘れられず日本でも、と言うケースも多々あるのではないか?

しかし、このテの冒険は、人生の糧にはなりそうもないね。命を懸けるに値しない冒険だと思う。人生には経験するに値するものと、そうでないものがあるはずで、自尊心のある人間は、その都度、正しい選択ができるはずだ。なぜなら、自分を粗末にすることは、最も親不幸なことだと知っているから。仮に若気の至りで1度や2度の失敗はあったとしても、それを繰り返したりはしないはずだ。

そう考えると、親が我が子に対して愛情を幾ら注いでも、「注ぎすぎる」と言うことはけっしてないのだなと思う。自分の元に生まれて来てくれた我が子には出来得る限りの愛情を注ぎ我が子の将来的な自立に向けて責任を持って育てるのが、親としての務めと言えるだろうか。


2012/4/12

巡り巡る  日々のよしなしごと

困っているお年寄りを見かけたら、自分の親だと思って、困っている乳幼児連れの若いお母さんを見かけたら、かつての自分のことを思い出して、手を差し伸べることにしている。

30年近く離れて暮らす実の親も、郷里で弟妹や親族はもちろん、親族以外の人にお世話になっているはずだ。私も子育てをする中で随分多くの人に助けられて来たと思う。

親切や思いやりは、人の間で巡り巡っているものだと信じたい。


今日、パスモの残金が少なくなっていたので、駅の券売機でチャージをした。

すると、隣の券売機にいた80才前後のおじいさんが何やら困っている様子なので「どうなさいました?」と声をかけた。おじいさんは言葉が不自由なようで、身振り手振りで訴えた。私が声をかける前にも、別の人(50代くらいの男性)が声をかけていたのだが、おじいさんの言葉が聞き取れないので諦めたのか、すぐさま立ち去ってしまっていた。

どうやら150円の乗車券を買いたいらしい。「小銭ならここに入れたら良いですよ」とコイン投入口を教えたら、首を横に振って、お札投入口を指さす。訝りながらお札の投入口を見て見ると、なんと奥にコインが何枚も無理矢理押し込まれていた。私が持っていたペンで何枚かのコインは取れたのだが、何枚かは強くねじこんだらしく、投入口の奥の金具に引っ掛かっていた。

これは私ではどうにもならないなと思ったので、係員の呼び出しボタンを押そうとしたら、係員の方から券売機横の小窓を開けて来た。おじいさんは話せないので、私が代わりに状況を説明してあげた。私は予定の時間が迫っていたので、ここで駅の係員にバトンタッチした。

しかし、あの状態でひとりで外出は大丈夫なのだろうか?もしかしたら脳疾患後のリハビリの一環で外出を試みているのかもしれないが、同行する人がいないなんて。まさか認知症で徘徊ってことはないよね?今更だが、おじいさんのその後が心配になった。

2012/4/10

靖国神社の桜  散歩の記録

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 去る土曜日に訪れた靖国神社。都下の桜の開花標準木〜3本のソメイヨシノが、この靖国神社にあるのは有名な話。境内は満開の桜で、華やいだ雰囲気に包まれていました。

 その桜見たさに大勢の人々が繰り出し、境内は花見客でごった返していましたが、境内では敷物を敷いての花見は禁じられているので、自由に桜の下を散策できました。

苔むした幹は堂々たる風格
クリックすると元のサイズで表示します 靖国神社の桜は、1870年に靖国神社競馬場が開始された際に、木戸孝允(桂小五郎)がその周辺に数十本の桜を植えたのが始まりと言われています。

 今や境内にはソメイヨシノをはじめとして、フジザクラ、カンザクラ、枝垂れザクラ、ウコンなど樹種多彩な桜800本が植えられ、3月下旬から4月半ばにかけて、その競演を楽しめるようになっています。

 できれば桜の花をクローズアップでカメラに納めたかったのですが、いかんせん大木で、チビの私には手が届きませんでした。その代わりに幹をパチリ写真ではその繊細な色合いが残念ながら分かりづらいのですが、ウグイス色の苔がビッシリと表面を覆い、年輪を重ねた大木の風格を感じさせます。

 境内を出ると、参道の両脇には屋台がズラリと立ち並び、その間を花見を終えて帰る人と、これから向かう人が行き交い大混雑でした。また、敷物を敷いた花見客の集団もいて、宴もたけなわといった様子でした。

 参道の入口近くに立つ銅像の周りでは「同期の桜を唄う会」と銘打つ集会が開かれ、年配男性が集っていました。軍歌愛好会のチラシ配りをする人も。「同期の桜」は、靖国の桜を詠ったものなのかな?戦時に同じ部隊に所属した元兵士が、桜の美しいこの時期に集い、旧交を温めているのでしょうか?それとも、この時期の賑わいに乗じた、右翼の街宣活動の一環?何れにしても、花見客の多くは足を止めることもなく、その脇を通り過ぎていました。

 帰りに近くの千鳥ヶ淵にも寄ろうと思ったものの、既に大勢の人出で入場制限がかかっていたようで、やむなく断念しました。後日の報道で知ったのですが、昨年の震災による花見自粛の反動か、今年は例年にない人出の賑わいで、例えば同日の上野恩賜公園は21万5000人と、1日としては過去最高の人出だったようです。

 某テレビ番組では、日本人に混じって花見の宴を楽しむ、外国人グループの姿をレポートしていました。番組調査では36カ国もの国々の人々がいたのだとか。さすがに長期滞在者が殆どでしたが、自国の料理を持ち寄ったりしながら、日本独特の文化をとても楽しんでいる様子でした。

 しかし、その盛り上がりに比例するかのように、今年は急性アルコール中毒で救急搬送される人も昨年の数倍に及んだそうです。今や、酒屋が花見の場所まで電話1本でお酒を配達してくれるそうで、樹下の宴でついつい飲み過ぎてしまう人が続出したのでしょう。それにしも…ちょっとはしゃぎ過ぎやはり不況の憂さを忘れたい思いも、飲酒に拍車をかけたのかな?それとも、今回が花見酒デビューと言う若者が多かったのでしょうか?

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2012/4/7

春爛漫の靖国通り  携帯電話から投稿


都内も桜が満開の季節になりました。

今日は吹く風が少し肌に冷たいものの、青空が広がる行楽日和。

私も夫と連れだって外出です。

午前中に渋谷の文化村ミュージアムで「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」を見て、地下鉄で市ヶ谷まで移動。

久しぶりに「くに」でハンバーグ・ステーキを食べた後、花見客で賑わう靖国神社へと向かいました。

靖国通りの桜並木も、写真の通り満開です。桜吹雪舞う中の散歩は、心が浮き立ちます。

毎年春になると、当たり前のように美しい花を咲かせる木々に、命の不思議を感じると同時に、自然への畏敬の念を抱かずにはいられません。


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2012/4/5

老婆心ながら「子育て」について  はなこ的考察―良いこと探し

子育ては、親の人生から様々なものを奪う。自由な時間、睡眠時間、体力、美貌、お金、キャリア、エトセトラ…

さらに、産んだからには育て上げる責任が伴い、真摯に子育てに向き合えば向き合うほど悩みも尽きない。子供なんて、親が望むようにはなかなか育ってくれない。

自分の人生と子供を天秤にかけてみる。子供を持つ人生と持たない人生を天秤にかけてみる。損得勘定で見れば、子育てはたぶん損だ。但し、損得勘定で子育てを考える人は殆どいないと思うが…

戦後日本の社会がどんどん変化して、家族形態は大家族から核家族へ、コミュニティの在り方は濃密な近所付き合いから、隣の人は何する人ぞの希薄な付き合いへ、人間の在り方は集団の調和より個の重視へ。さらに経済的にも豊かになり、ある程度のものは容易に手に入るようになった。

その結果、多くの現代人はまず自分が一番大切で、自らの欲望に忠実になり、我慢することが苦手になっているように思う。そして、子育てと言う行為が極々個人的なものとなり、周囲に頼れる人があまりいなくなっている。それは心細さと同時に、子育てに口出しする人(指南役?)が周囲におらず、自分の欲望に歯止めがきかない状態とも言える。

だから、親になっても自分のライフスタイルを変えない人が多いような気がする。女性なら独身時代と変わらずおしゃれには気を遣うし、バギーに子供を乗せて友達とどこにでも出かけるし、乳幼児を連れて家族でラーメン屋にも行く。

でも、そこで忘れてはいけないことがある。自分のライフスタイルをあくまでも変えないと言うことは、幼い子供に犠牲を強いているということだ。

以下に列挙するのは極端な例かもしれないが…足下はハイヒールできめて、乳幼児を抱っこした状態で階段を下りる女性がいる。両親共にパチンコが止められず、幼子を駐車場に停めた車に残すケースも後を絶たないまた、乳幼児を人ゴミの中で連れ回す人も少なくない。しかも手もちゃんと繋がずにさらに夜の居酒屋に連れて行く人もいるようだ(有名タレントが、そのことを悪びれる様子もなく公言していたりする)。何れにしても、乳幼児には酷な環境だ。事件・事故に巻きこまれる可能性は高いし、生活リズムが乱れて体調を崩したり、将来的には心身の成長に悪影響を及ぼす族能性もある。親として、ほんの数年や十年我慢すれば良いものを、その数年、十年を待てない人がいる。

もちろん大多数の親は日々子育てに真摯に向き合っているとは思うが、その人達にも意外な落とし穴があるようだ。先日、人気のとんこつラーメン店に行ったら、思いの外乳幼児連れの若い親が多かった。以前なら考えられなかったことだ。はっきり言って、幼児にラーメンは塩分が濃すぎる。ほんの少量であっても肝臓に負担がかかる。味覚の発達にも悪影響を及ぼす可能性がある。せめて我が子が小学校中学年になるまで待てないものだろうか?子供を守る為に、大人と子供の境界線はきちんと守るべきなのではないか?大人である親には何でもないことでも、幼い子供には害毒になることは沢山あるのだ。

今の親達にもし「自分の時間・大人の時間」がどうしても必要なら、欧米のようなベビーシッターが気軽に利用できる世の中になれば良いのかもしれない。実際、日中の一時保育制度やベビーシッター派遣ビジネスも普及しつつあるようだが、まだまだコスト的には高いようで、誰もが気軽に利用できるまでには至っていない(最近は親しいママ友同士で、子どもを預け合うことも多いらしい。ただ習い事や息抜きで出かけたい時には、やはり一時保育等を利用する方が気楽だろうか)

何れにしても目の前の我が子は、親である自分をこの世の中で最も頼りにしている、いたいけな存在だ。その我が子を守り育てる義務と責任が、親にはあると思う。

幼い時には目を離さず手も離さず、思春期には目を離さず心を離さず〜最低限、これだけは心がけてと、私自身の反省もこめて、若い親御さん達にはお願いしたい。

2012/4/3

台風&暴風中継  はなこのMEMO

どうして、海岸近くや川縁など、わざわざ危険な場所で中継するのか?

記者やアナが全身ずぶ濡れになりながら、水辺を背景に「今にも風で飛ばされそうです」と悲壮な表情でレポートする。その最中に高潮に襲われたら、ひとたまりもないと思う。

果たして視聴者は、そんな危険なレポートを求めているのだろうか?そもそも危険な場所でなくとも、わざわざ暴風雨の中で濡れ鼠になって中継する必要があるのか?


昨日から夕刻の暴風は予測できていた。午後を境に運行を取りやめる電車が増えて行った。大手企業が午前中から午後にかけて、社員に退社を促し始めた。同時に東京都は各鉄道会社に乗客の保護を求め(←昨年の震災時には、乗客を駅から閉め出したからね)、企業には一斉退社を抑制するよう要請した。

今、テレビはあまりの強風に傘をさすのを諦めて歩く人々や駅前でタクシーを待つ長い行列を映し出し、老女が強風に煽られて転倒し、大怪我を負ったことを伝えている。

災害に弱い都市機能。こうなることはわかりきっていたのに、なぜ混乱を回避できないのだろう?せめて最小限に止めるような方法はないものか?近隣の企業同士で予め非常事態での対応を決めるか、緊密に連絡を取り合い退勤時間が重ならないようにするとか、出勤する社員の数を絞るとか、出退勤について個々の社員の判断に任せるようにするとか、いろいろ手立てはありそうだ。

一極集中だからこそ、社会システムとしての非常事態への備えが必要だと思う。

2012/4/3

温帯低気圧がもたらす暴風は、台風(熱帯低気圧)よりタチが悪いらしい  日々のよしなしごと

先週の土曜日も台風並みの、家が壊れるのではないかと思うほどの横殴りの強風で、長時間、風のゴォーゴォーと言う音と窓枠がガタガタ揺れる音がうるさくて仕方なかった。この日は一部電車も運行を見合わせたほどだった。せっかくの週末だが、もちろん外出などせずに家でおとなしく過ごした。

昨日の夕方の天気予報では、今日(火曜日)はその土曜日以上の強風が予想されると言っていた。しかも午後6時から9時の帰宅の時間帯に。気象予報士は「傘は使えません。レインコートを着ましょう」とのたまう。全身ずぶ濡れの状態で電車やバスに乗れと言うのか…

正直言って、こんな日に不要不急の外出を控えるのは当然だし、業務上よほど切迫した状況でない限り無理して定時まで働く必要はないと思う(それでも働かなければならない職場、職場まで出向かなければ仕事にならない職種はやむを得ないとして…)。

幸い、夫の職場には在宅勤務制度があり、対外的(お客様)に迷惑のかからない範囲で、自宅での仕事が可能だ。と言うことで、夫は今日は在宅勤務。息子も新学期がスタートしたばかりで、昨日は大学で健診があったが、今日は特に予定はないので自宅で勉強。これで私も、無用な心配はせずに済む。

昼時の気象予報士の話によると、温帯低気圧は、強風域が台風よりも広範囲に渡るらしい。テレビでは「台風並みの暴風」を盛んに連呼しているが、単に低気圧が熱帯で発生したか、温帯で発生したかの違いで、名前が「台風」か「暴風」になるだけのようだ。今回の「暴風」が「台風」より"格下の強風"で穏やか、と言うことでは決してない。職場でも学校でも新年度がスタートし、就職戦線は本番を迎えたところで、この暴風が日本列島を引っかき回している。困ったものだ。しかし、人間の作為で、どうにかなるものでもない。

それにしても近年の気象は極端過ぎる。季節を問わず台風並みの強風。雨が降れば豪雨。雪が降れば豪雪。自然の猛威に、人間は為す術がない。昨年の大地震と言い、人間の無力さを弥が上にも思い知らされている。



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