2012/3/25

(無題)  携帯電話から投稿


今、山下公園に来ています。

空はあいにく厚い雲に覆われ、潮風が肌に冷たいです。

クリックすると元のサイズで表示します
1

2012/3/24

研修会のまとめ『学芸員の仕事』  ボランティア活動のこと

先日、ボランティア研修があり、美術館の学芸課長のレクチャーを受けた。以下はそのメモをまとめたもの。テーマは『学芸員の仕事』

学芸員は英語でcurator(キューレーター)と言う。これはラテン語のcurare(保護する)を語源とする言葉だ。curareは今日のcare(世話をする)やcure(治療する)の語源とも言われ、学芸員も、まさに作品や史料を管理し、保護する役割を担っている。

学芸員の仕事は様々あるが、今回は「展覧会の実施」と「文化財レスキュー」の2点について紹介。


1.展覧会の実施

通常、展覧会の準備は3〜4年前から始まるが、本日は展覧会直前の準備について。

@作品の搬入:学芸員の管理の下で、専門業者による搬送が行われる。
 各々の作品はクレートと呼ばれる箱に梱包された上で搬送され、美術館の収蔵庫に一旦保管される。

クレート(crate)外観(参考写真)
クリックすると元のサイズで表示します クレートは木製で作品より一回り大きく、内部は四隅にウレタン材が装着され、それに嵌め込む形で作品が梱包され、移動。
 その際、作品にはデータロガーと呼ばれる温湿度記録装置が装着される。これにより、貸し主の美術館は、貸し出した作品の置かれた環境を、記録データを元にトレースできる。
 またクレート表面には、搬送時のクレートの傾きをチェックするティルト・ウォッチや、衝撃をチェックするショック・ウォッチが装着される(写真を見たところ、シール状の物で、傾きや衝撃があった場合に、そのシールの色が変わるようだ)

 《着衣のマハ》のような特に重要な作品は、二重に梱包するダブル・クレートで搬送される。

 損傷や盗難等のリスク回避の為、作品は幾つかの便に分けて搬送される。

Aシーズニング:何もせずに、収蔵庫に24時間保管する。これは作品を新しい環境に慣らす為の措置。急激な環境(温湿度)の変化で結露が発生する危険性もあるので、それを予防する為でもある。

Bテーブルに乗せ、梱包を解く。

C貸し主の美術館から帯同したクーリエ(受け入れ先の美術館や民間委託の)修復家による作品の点検:作品の現状を記録したコンディションレポート(作品調書)を確認しながら、作品を細かにチェック。その際に損傷が見つかれば、クーリエが応急処置を行う(因みに「プラド美術館展」の際には、プラド美術館から5人のクーリエが帯同)

D作品を壁にかける:作品の額縁に釣り金具、壁面にフックを取り付け、作品を壁に掛けるが、その際、跳ね上がり防止リングも装着して、地震による落下や盗難に備える。

 「プラド美術館展」の際、出展されたゴヤ作《着衣のマハ》は低反射ガラス使用の為かなりの重量があり、パワーリフターを使用して作品を持ち上げ吊り下げただけでなく、重さ受けの台を壁面に取り付け、作品を下支えした。 

 版画・素描の展示では、展示室内の照度を抑える。その為、作品が鑑賞者には見づらくなる恐れもあるので、壁面の色を暗くするなどして、相対的に作品が明るく見えるよう工夫する。

 因みに通常美術館では、油彩画の場合、照度は100〜200ルクス以内、版画・素描は50ルクス以内に抑えられている。「プラド美術館展」ではプラド美術館側の求めにより、さらに油彩画が150ルクス、版画・素描は40ルクス以内に抑えられた。

 なお、日本の美術館では、展示室内の温度は20〜22度、湿度は50〜55%に保つよう管理されている。

 以上のように、作品の搬入及び展示において、学芸員は作品の安全を守り、その状態を常にチェックし、展示室の照度にも気をつけるなど、細心の注意を払う。


2.文化財レスキュー

「文化財レスキュー」とは、博物館や美術館の収蔵史料や作品が、天災や戦争等により危機的状況に置かれた際に、それを救済する措置である。これは文化庁の呼びかけで、以下に挙げたような様々な団体が協力して行う。
 
 ・国立文化材機構(国立博物館)
 ・文化財・美術関係団体
 ・全国美術館会議:60年前に発足した任意団体で、国内の約360館の公私立博物館・美術館が加盟。その事務局を国立西洋美術館に置き、会長を西美館長が務めている。

 文化財レスキューは、1995年の阪神・淡路大震災で実績を残した。1998年には災害レスキューの要綱を作成。これに則って、昨年の東日本大震災で被災した博物館・美術館の支援も行っている。

 東日本大震災では、過去の阪神・淡路大震災での経験を踏まえた地震対策のおかげで、地震による作品への直接の被害は少なかったが、津波による被害が甚大であった。

 地震発生直後から文化財レスキューは現地の被害状況の調査を開始した。

クリックすると元のサイズで表示します 津波による被害の大きかった宮城県石巻文化センター。被災前は周辺に民家が密集する地域だったが、現在は殆どの木造家屋が津波に流され、写真のような状態になっている。

 石巻文化センターには、地元出身の木彫家、高橋英吉の作品をはじめ、毛利コレクション、絵画、出土品などの考古資料、漁具や農具などの民俗資料などが収蔵されていた。

 一見無傷に見える石巻文化センターだが、地震直後の津波により1階部分のガラスは全て破損し、天井部分まで冠水した。さらに土砂と共に近隣の製紙工場からパルプ材も流れ込み、1階の収蔵庫や資料室に保管されていた収蔵品の多くが冠水し、泥とパルプ材が付着するなどして破損した。さらに、民具の一部は流出してしまった(2階の展示室にあった木彫作品等は幸いにも冠水を免れ、免震台の上に乗せてあった為、地震の揺れからも守られた)

 この窮状を救うべく、全国の公私立博物館・美術館33館から70人の学芸員が現地に赴き、地元東北の人々(東北芸術工科大の教員及び学生、民間修復家、東北大学のボランティア等)と共に収蔵品の救助活動を行った。

<活動状況>

4/20-22  がれきの撤去
4/26〜  収蔵庫の作品の取り出し
4/27-   収蔵品の記録・梱包・搬出
4/28   絵画・彫刻・素描212件、約700点を石巻から仙台へ移送
     宮城県美術館の機材倉庫で一時保管
4/30-5/28 応急処置:付着物の除去→
     油彩画は表打ち(油絵の具の剥離を防ぐ為に、薄めたヤマトのりでティッシュペーパーを画面に貼る)、裏面のクリーニング、殺菌・防かび剤の噴霧の後、6月まで乾燥させた。
     素描作品は急激な乾燥を防ぐ為、束のままラップで覆った。
     
その後、大学や国立西洋美術館で本格的な修復を行った。

クリックすると元のサイズで表示します 同じく被害が甚大だったのが、岩手県陸前高田市博物館である。ここは2階の天井部分まで冠水し、収蔵品の被害だけでなく、職員全員が死亡及び行方不明になる等、人的被害も大きかった。さらに、救済が遅れた為、収蔵品のカビ害が、他館以上に深刻であった。

 そこで岩手県立博物館を中心に、全国の公私立博物館・美術館19館、計404人のスタッフが、陸前高田市博物館の救援作業に携わった。

ナショナル・ギャラリー収蔵品が疎開したウェールズ採石坑
クリックすると元のサイズで表示します 文化財レスキューは古くは第二次世界大戦でも、ヨーロッパの主立った博物館、美術館で行われた。

 戦禍から収蔵品を守る為、ロンドン・ナショナル・ギャラリーはウェールズの採石坑(写真)に、ルーヴル美術館はロアール川沿いのシャンボール城へと避難させた。ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》は実に6回も場所を替え、避難させている。

 また、イタリアのアカデミア美術館では、移送が困難な大型彫刻作品をレンガのシェルターで覆った。国立西洋美術館の松方コレクションも、当時の管理人の日置コウ三郎が、パリ近郊のアボンダンに疎開させた。

以上

【感想】

 企画展実施直前の知られざる学芸員の仕事が垣間見えて興味深かった。梱包材であるクレートは一般に木枠で作られた物を指すようだが、貴重な文化遺産である美術作品を梱包する際にはより細心の注意が払われていることを、今回のレクチャーで改めて知った。

 展示作業でも、作品の保護に努めつつ、鑑賞者への細やかな心遣いも忘れないところに、学芸員が単に研究者としてだけでなく、作品と鑑賞者の橋渡しの役も担っているのだということを感じた。

 そして、その技量は「文化財レスキュー」と言う形でも発揮され、緊密な支援体制で被災した多くの収蔵品を救っていることに、感動を覚えた(ホント、思わず涙腺が緩んだ)。私達一般の人間も、募金と言う形でその支援に参加できる。今後、博物館や美術館で被災地支援の募金箱を見かけたら、できる限り寄付したいと思う。

 当初1時間の予定が1時間半近くに及ぶほど熱意のこもったレクチャーで、貴重な学びの機会を得られて良かった。感謝!

2

2012/3/23


最近はメールでのやりとりが主になってしまい、直筆での手紙のやりとりは少なくなってしまった。この傾向は、多くの人に見られるのではないだろうか?

年賀状でさえ、裏の定型の挨拶から表書きまで印刷で済ませてしまったりする(時々、表書きは毛筆で丁寧に書かれている方もいて、恐縮すると同時に、やはり数多ある年賀状の中でも印象が強く残る)。しかし、だからこそ、送る相手の顔を思い浮かべながら、ひとことでも手描きのメッセージを添えることが大事に思える。

その意味で、今年いただいた年賀状の中で特に印象に残ったのは、夫のかつての部下で、今は都立高校の教師として働く女性からの年賀状だ。既に彼女が転職してから何年も経っているけれど、年に1度の年賀状のやりとりだけは続いている。彼女は几帳面な筆跡で、

「お元気ですか?ますますご活躍のことと思います。私は何とか教師を続けています。○○(←会社名)時代、A(←夫の名)さんから教わったことが、どれほど役に立っているかわかりません。」

3行の中に私の夫への気遣いと自身の近況報告が過不足なく盛り込まれていて、上手いと思った。印刷の定型の挨拶文と家族写真と共に、2児の子育てをしつつ教職に励む彼女の日々の奮闘ぶりが伝わるようなメッセージだ。

そして、最後の一行には、妻として心を打たれた。転職してから何年も経って後の、この一行のさりげない感謝の言葉で、夫の仕事に対する真摯な姿勢が見てとれたと同時に、後進を育てる先輩としての役割をきちんと果たした夫の姿が目に浮かぶようだった。日頃、夫の仕事ぶりを目にする由のない妻の立場からすれば、こちらの方が感謝したいくらいだ。彼女にとって初めての社会人生活で、夫が先輩として伝えたことが、今もなお彼女の職業人生の中で役立っていることが何よりも嬉しく、誇らしい。

そして、こんなひと言を添え書きできる彼女も、その細やかな気遣いで自身が築いた素晴らしい人間関係の中で、きっと充実した人生を歩んでいる女性なんだろうなと思った。


最近、受け取った手紙で、これは印刷であったけれど、その内容に感銘を受けたものがもうひとつあった。それは40年来の友人からの「ご会葬御礼状」だ。

通常受け取る会葬の御礼状は、葬儀社が用意したであろう当たり障りのない定型文が多い。しかし、彼女から届いた御礼状は、父を早くに亡くし、母ひとり娘ひとりで育った彼女が、突然に逝った母への感謝と惜別の思いが詰まった手紙だった。彼女にしか書けない内容の御礼状だった。

それを目にした人々はおそらく、生前のお母さんの姿が鮮やかに思い出されたはずだ。それを読んで、哀しみと同時に温かな気持ちになれたはずだ。そして、そのような御礼状を書ける彼女の愛情深さと聡明さ、そんな彼女をひとりで育て上げた亡きお母さんの素晴らしさを改めて知ったはずだ。


私も今後どれだけの手紙を書くことになるかわからないが、拙いながらも、受け取る相手を思いつつ(その人にどんな言葉、思いを届けたいか真摯に考えて)、心を込めて、手紙を書き綴って行きたいと思う。
1

2012/3/19

国連常任理事国を中心とする大国に振り回される日本  はなこのMEMO

昨日3月18日(日)付日経朝刊2面のコラム《風見鶏》に、「日本が知らぬ大国の黙約」と題して、興味深い内容が綴られていた。筆者は編集委員の秋田浩之氏。

要約するとこうである。


核兵器開発を巡る米国の対応は、イランと北朝鮮とでは大きく異なる。その裏には、日本を外した、米欧中による「大国の黙約」の存在がある。

日本は米欧からの強い求めに応じて、原発が止まる中、エネルギー資源の確保に頭を悩ませながらも、イランからの原油輸入量を減らしている。しかし、最大のイラン原油輸入国である中国に対する米欧の態度は甘い。

その理由は、国連の常任理事国間の、特殊な「貸し借り関係」にあるらしい。常任理事国のみが持つ、国連決議への「拒否権」と言う特権を最大の武器に、彼らは正義や人道よりも自国の国益を優先させる。その為には互いに「裏取引」も辞さない。

米欧にとって目下一番の悩みの種はイラン問題であり、それは米国の盟友イスラエルの存亡もかかっている。一方、中国は北朝鮮が暴発し、その火の粉が自国に降りかかることを最も恐れている。そこで中国は米国に北朝鮮を追い詰めないよう強く迫り、先日、堂々と核兵器を作り、手放そうともしない北朝鮮に対する食糧支援まで約束させた。その代わりに中国は、米欧の求めに応じてイラン原油の輸入を削減する、と言う手はずだ。

しかし、米国の足下を見透かした北朝鮮は増長し、今度は長距離弾道ミサイルを打ち上げようとしている。米欧中連合の蚊帳の外にいる日本は、否応なくその脅威に晒されている。そんな日本は、イラン制裁に協力する見返りに、北朝鮮に厳しく対処するよう米国に迫るくらいのしたたかさがあってもいい。


結局、日本や他の国々が常に彼らの都合に振り回されている原因は、彼らが60年以上も国連で常任理事国と言う立場に居座って、国連を牛耳っているからだと思う。

そんな国連を日本が莫大な金額で支え続けている。日本の国連通常予算分担比率は2010年時点で12.530%。金額にして2億6500万ドル(約212億円)。22%の米国に次いで2番目の高さ。1国で「その他172カ国」の分担率13.545%に匹敵する高さである。この分担率は国の経済力に応じて定められると言うが(ずっと定率と言うわけではなく、3年に1度見直し。因みに2001年は、20%を超えていた)、常任理事国の英は4位で6.604%、仏は5位で6.123%、中が8位で3.189%、ロシアに至っては15位で1.602%である。

何だかね…別に金を出すから日本はもっと認められるべき、常任理事国入りすべきとは言わないが、常任理事国が第二次世界大戦の戦勝国で永久固定で、彼らの都合で拒否権行使されて、正しいことも行われない(親イスラエルの米国が拒否権を行使して、パレスチナの国連加盟を許さず、北朝鮮絡みでは常に中国が拒否権をちらつかせる…)、国際紛争も一向に解決されない(シリア制裁に対し、中露が拒否権行使)と言うのはもう馬鹿らしくて、国連なんていっそ解体して、また新しい秩序のもとに国際組織を作ってしまえば良いのに!とさえ思う。

となると、第三次世界大戦を待つしかないのか?昨今の世界的不況、世界各地で噴出する人々の不満、国家間の不和、キリスト教世界とイスラム教世界の対立、人種間対立、民族間対立、止まらない核開発、水やエネルギー資源を巡る国家間の争奪戦、度重なる天災等々、諸々の問題が、国々を、人々を戦争へと駆り立てているようで、近い将来、本当に戦争が勃発しそうで怖い。

戦争と言えば、昨日の朝のトーク番組の総集編で、今は亡き前田武彦氏が、「私の人生にロスタイムがあるとすれば、そのロスタイムを生じさせたのは戦争かな。」と言っていたのが印象的だった。「戦争はダメだよ。本当にダメだ」(カメラ側にいる若いスタッフに向かって)「君たちは戦争を知らないんだろう?幸せだな」と言ったかと思うと、戦争によって失われた歳月に思いを馳せるかのように、前田氏は視線を遠くに向けた。彼のように戦争を体験し、その不条理を訴える人がどんどんこの世を去り、戦争への精神的歯止めがなくなった時、戦争を知らない世代は臆することなく戦争に向かうのだろうか?

私は軍隊の存在そのものは否定しないけれど、戦争は嫌だな。
1

2012/3/18

頂門の一針〜自分が常に正しいとは限らない、と言う自覚  日々のよしなしごと

今日の午後、夫と2人で映画を見に行った。そして上映直前に、思いがけず斜め後方の年配女性に怒鳴られた。

その映画館は常にひとつのスクリーンにつき、2〜5席の空席が設けられている。以前、スタッフにその理由を尋ねたら、消防法の関係と答えたが、そのスタッフも詳しいことは知らないようだった。夫は、他のイスが壊れて使えなくなった場合の予備として確保している座席なのでは、と言う。何となく納得できる解釈である。

私は好んで、この空席の側の席(か通路側の席)を取るようにしている。理由は隣に人が座っていると緊張するからなのと(だったら映画館で映画なんか見るなよ、はナシね)、特に冬の時期はコートなど荷物が多いので、その空席に置きたいからだ。

もちろん、何がなんでもその空席を自分で独占したいと言う不遜な考えはなく、予約した座席が壊れた等の理由で使用する人がいるならば、快く自分の荷物をどける心積もりはできている。

ところで、私はネットで座席予約をすることが多いのだが、この空席の前の座席がいち早く予約で埋まることが多い。これは、おそらく後方の人が足を組んで腰かけ、足を組み替える時に前の座席の背もたれをついつい蹴ってしまうことが多いからだろう。背もたれに首を預けている前の座席の人間には、これは結構不快なことだ。だから、上映前のマナー啓発の呼びかけっでも、わざわざこの点について注意を促している。狭いスペースで、足を組むこと自体がいけないんだろうな。

それで最初の話に戻すと、私と夫はいつものように隣の2つの空席に荷物を置いていた。すると場内が暗くなった直後、斜め後方の年配女性が突然立ち上がって、彼女の前の座席(つまり空席)に置いてあった私の荷物をわしづかみにして、隣の座席に追いやり、自分のリュックをその座席の背もたれに掛けながら言い放った。

「座席を1人で3つも独占するんじゃないわよ。同じ料金しか払ってないんだから」

な、なんだ、このいきなりのケンカ腰?!それに有無を言わさず他人の荷物に手をかけた、その行為。無礼な人だなと思った(逆に丁寧な物言いなら、私もその場で彼女の言い分に耳を傾けたのかもしれない。今回のことは、自分の主張に耳を傾けて貰うにはどうしたら効果的なのか、改めて考えるきっかけにもなったかな)。

ここで、冷静に考えてみよう。

私が思うに、映画館において観客が注意すべきこと、必要最低限のマナーとして守るべきことは、「他の観客の鑑賞を妨げてはいけない」、この1点に尽きるのではないか?それが上映中の携帯電話の使用であり、声高なおしゃべりであり、不用意に音を立てることであり、前の座席を蹴ることなのだと思う。私が隣の空席に自分の荷物を置くことは、その何れにも当て嵌まらない。隣の空席に荷物を置くことは許容範囲なのではないか?

(他にマナーとしては、飲食後のゴミの後始末をきちんとすることだろうか?これは実際、映画館からも協力を呼びかけられていることだ。しかし現状は、自分が出したゴミを座席周辺に放置して帰ってしまう人が残念ながら少なからずいる。私は自分が床に落としたポップコーンは拾える限り拾うし、他の人が置き去りにしたカップなども、帰り際に自分のものと一緒に所定のゴミ箱に捨てたりしている。)

仮に他の誰かが空席の隣に腰かけていて、自分の荷物を空席に置いていたとしても、私は何ら不快には思わない。それは混雑していないバスの中で、自分が腰かけている2人席の誰も座っていないスペースに荷物を置くのと同じことなのではないか?結局、そうした行為を不快に思うか否かは、それを見た人の受け止め方の問題のように思う(この個々の好悪感覚の違いは、ネット上での発言においても、しばしば衝突を生む要因になっていると言えるだろう。そしてその多くが、不毛の言い争いになったりする)。

間もなく映画が始まろうとしているところで、突然の怒声に呆気にとられた私は、後方の女性を一瞥したもののどう対応して良いのかわからず、結局、何も答えずにスクリーンに目を戻した。すると、まだ何やらブツブツ言っている。聞こえよがしにガサガサと物音を立ててもいた。

そして、暫くしてまた「ひとりで3つも」と繰り返したので、振り返って「私は1人で来ているのではありません」と答えたのだが(←これはこれで、ちゃんとした答えにはなっていないかも(^_^;))、その年配女性の夫と思しき男性が女性の隣で、私に向かって手を左右に振って、その場をとりなしているように見えた。「相手にしないで」と言っている風に見えた。

映画が始まっても暫くは、この一連の出来事が気になって、私は映画に集中できなかった。せっかくの楽しい休日に、件の女性はどうしてこんな些細なことで目くじらを立て、自分自身や周りの人間を不快にさせるのだろう?そもそも、あまりにも寛容さを失うと、自分自身が息苦しくなりはしないのだろうか?

上映終了後にも何か言われるかと覚悟していたが、いつの間にか件の夫婦はいなくなっていた。私の夫も女性の怒声が耳に入ってはいたようだが、我関せずと言う感じで微動だにしなかった。「あなたは、この件についてどう思ったの?」と言う私の問いかけに、夫は「その人も自分の荷物を置きたかったから文句を言っただけなんじゃない?結局、自分のリュックを、前の背もたれに掛けたんだし。公正性云々の問題じゃないと思うよ」と答えた。

今回の一件で学んだこと。自分自身にも言えることだが(そう、自戒を込めて)、自分が声高に主張していることが、自分が信じて止まないことが、常に正しいとは限らないし、必ずしも万人に受け入れられるわけでもない。だからこそ、他者の言葉にはとりあえず耳を傾け、自分自身を省みる謙虚さは持ち合わせたい。傲慢に正義を振りかざす人間にならない為にも、自らの誤謬性の自覚は忘れずにいたいと思う。

帰宅後、その場にいなかった息子に一連の出来事について話すと、息子はにべもなくこう言って斬り捨てた。「そんな小さなことをいつまでも気にしているお母さんも十分粘着質だよ。そのおばさんと変わんない」
0

2012/3/17

やっぱりおいしい大阪みやげ♪  「食」についての話題

クリックすると元のサイズで表示します 2月、3月と2度、夫が大阪に出張。この時期の大阪土産と言えば、やっぱり高山堂(たかやまどう)のいちご大福です

 味は申し分ないです大福餅のモチモチとした食感の後に、粒あんにくるまれた旬のいちごの甘みが口の中で広がります。まさに旬を味わう贅沢

 幸せな気分になります

 しかし、昨年とパッケージが変わりましたね。昨年まではピンク色のしっかりとした作りの正方形の化粧箱?の区画割りされた中に、6個のいちご大福がきちんと収められていましたが、今年は簡易包装と言うか、ペラペラの長方形の紙箱に縦2列に収められ、味も素っ気もありません。おかげで、あの箱を開ける時の、「おいしいいちご大福ちゃんに対面できるぞ」と言うワクワク感がすっかり損なわれてしまいました。

 昔から「菓子折」と言われるくらいですから、これが本来のお菓子の箱なのかもしれませんが、以前のパッケージが和菓子を入れる箱にしては斬新?だっただけに、外見はすっかり並の土産物になってしまった印象が拭えません。

 やはりコスト削減なのでしょうか?それともエコ志向による簡易包装なのでしょうか?パッケージングを含めてのいちご大福ファンとしては、何とも残念なパッケージ変更であります。

 味は相変わらず申し分ないんですけれどね。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します


クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します


 それから今年は新顔登場!おそらく高山堂には以前からある商品なのでしょうが、我が家では初登場です。それは…きんつば

クリックすると元のサイズで表示します その名も高山堂の浪花きんつば「とっておき」。あずきにグラニュー糖を加えて炊きあげた粒あんを薄皮で包んで焼いた、素朴な昔ながらのお菓子。
 
 原料の十勝小豆の風味を生かすために甘さを控えたと言うその味は、看板に偽りなしのおいしさです

クリックすると元のサイズで表示します いちご大福と違って、こちらはおにぎりを包んだような素朴な包装が、きんつばの素朴な味わいにマッチしていて素敵です。

 紐をほどいて包みを開けると、出て来たのは3個の小ぶりなきんつば。指でつまんで、少しずつ口に含んでじっくり味わう。手づかみで行儀は良くないかもしれませんが、おいしくいただきました。お茶請けにピッタリ。

 いちご大福にしても、きんつばにしても、この時期、近所でも買えなくはないお菓子ですが、高山堂の味はやっぱり老舗の味。スーパーの量産品とはひと味違います。


 夫は日本各地に出張しますが、やはり喰い倒れで名高い大阪と旧城下町のお菓子はおいしいですね。今では会社の経費削減で出張では持ち出しが多く、出張貧乏の我が家ですが、その痛手を和らげる楽しみのひとつが、各地のおいしいお菓子と言えるでしょうか?


1

2012/3/16

ようやくテレビを買い換えた。  日々のよしなしごと

クリックすると元のサイズで表示します 地デジ化から5か月が過ぎた12月末、漸く我が家もテレビを買い換えた。地デジ化を機にテレビ自体とおさらばしようか、しまいか、散々悩んだが、ふたつの理由から買い換えることにした。

 ひとつは、視聴を続けたいテレビ番組が幾つかあること。もうひとつは、完全地デジ化の数ヶ月前からブラウン管テレビに地デジ対応チューナーを取り付けていたのだが、チューナーを取り付けたことで録画操作が煩雑になり、機能も限定的になってしまった。基本的に我が家はニュース番組以外は、1度録画したものを後日CM飛ばしで見る。この方法だと、ダラダラ視聴を防げるし、時間の節約にもなるからだが、だからこそ、録画操作の煩雑化はかなりのストレスになった。

 ネットや友人からの口コミを参考に、東芝のREGZA-Z2 37Vを購入した。液晶テレビは薄さを追求するあまりスピーカー性能を犠牲にしたと言うクチコミも散見されたので、併せて東芝イルトレーディング社製の3.1チャンネル対応のシアターラックも購入した(シアターラックの性能は、期待したほどでもないかな。価格相応なのかもしれないが、テレビ内蔵スピーカーよりはマシだと思う)。

 買って良かったと思う点は、やはり録画操作の簡単さ。テレビに表示される番組表で視聴や録画予約が簡単にできる(しかし、この機能によってテレビガイド誌は売り上げ激減?それとも、もうないのかな?)

 そして映像の美しさ。特に美術番組や紀行番組、映画で、その解像度と色の再現性に感動した。現在のテレビでは、それまでの25型のブラウン管テレビでは見えなかった細部まで、また微妙な色合いの違いまで認識することができる。地デジ移行後、フルハイビジョン大画面テレビ仕様になったせいか、小さなブラウン管テレビでは殆ど読めなくなってしまっていたテレビのテロップも、新しいテレビではちゃんと読めるようになった。

 購入価格もテレビとラックで8万円弱で済んだので、コスパは申し分なし。買い換え需要のピークと言われた一昨年の秋頃の価格と比較すれば、半額以下で済んだのではないか?

 直近のニュースでは世界的にテレビの出荷台数が減少した、とあったが、日本も地デジ完全移行による需要の先食いで、家電メーカーのテレビ部門は青息吐息と言われている。韓国メーカーが2台目、3台目の需要を狙って日本に再進出らしいが、それがトドメとなって採算が取れなくなった日本の家電メーカーはテレビ事業から撤退するのではないか、と言う声もある。そして世界は、次世代と目される、ネットワークと接続したスマートテレビの開発、量産化に向かおうとしているようだが、日本の家電メーカーは大丈夫なのだろうか?

 個人的には高機能の商品を安い価格で入手できたのは嬉しいが、日本の産業界のことを考えると、手放しで喜んではいけないことなのかなと思う。

0

2012/3/9


先日、1枚の葉書が届いた。ある美術団体の展覧会の招待状である。差し出し人はOさん。アーティストの彼女は70代の現在も、旺盛な創作意欲で活動に余念がない。

葉書には走り書きで、「早いものですね。もう1年ですね」とあった。Oさんとは昨年の東日本大震災がきっかけで、今もお付き合いが続いている。

当日、横浜美術館内にいた人々は、2度の激しい揺れに見舞われた後、美術館から有無を言わさず退出させられたものの、公共交通機関もストップして、帰るに帰れなくなった。その中にたまたま私達2人は居合わせたのだが、単独行動では心細かったので、他の数人と連れだって近くの横浜ランドマークタワーに避難し、そこで一夜を明かしたのだった。

帰宅困難者の為に開放された5階ホールで、私達は震災の詳しい状況も不明のままに、床にシートを敷いて魚寝に近い形で、不安な夜を過ごした。その間にも、深夜に再開した横浜市営地下鉄で帰る人や、車での迎えが来て帰る人が十数人ほどいたが、足のない私達はそこに留まるしかなかった。

都内にお住まいのOさんは、出身大学が偶然にも私と同じ。同窓ながら大先輩にあたるが、同窓のよしみとも言うべき心遣いで、震災の翌朝迎えに来られた息子さんの車に私も同乗させていただき、どうにか帰宅できた。

その時の御礼の気持ちも込めて、私のボランティア先の美術館の展覧会の招待状を後日お送りしたら、その後、暑中見舞い、自宅ギャラリーでのグループ展の案内状、年賀状と、何度もお便りを下さる。そのマメさに私は恐れ入った。私自身は人付き合いにそれほど積極的でない。どちらかというと、相手からの連絡を待つタイプだ。人嫌いと言うわけではないので、誘われれば快く付き合う。

しかし、そんなことではダメだと思い、自分なりにアクションを起こしたりするのだが、生来不精者なので、できた縁を繋ぎ止めることができない。例えば、何かの会合で知り合った人と、自分から言い出してメルアドを教えてもらいながら、結局メールを出さず終いのこともある

そんな私から見たら、Oさんの人脈作りの軽やかさは驚きだ。昨秋、彼女の自宅ギャラリーでのグループ展を訪れた際も、グループ展の参加者が、夏の美大でのワークショップで知り合ったばかりの人々だったのにはビックリした。積極的に様々な催しに参加し、そこで知り合った人々と1度できた縁は切らさない。そうやって彼女の人生で築き上げた人脈は、おそらく私の想像を遥かに超えて広範囲にわたるものなのだろう。

そもそも私のような不精者でさえ、彼女の”お便り攻勢(笑)”で、いつの間にか彼女のペースに巻き込まれた形だ。まさか、震災から一年を迎えようとする今まで、一夜の縁が続くとは思いもしなかったOさんの社交性には、私自身、学ぶべき点が多い。もう少し人との縁を大事にしなきゃね。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ