2011/9/26

旧古河庭園→六義園→巣鴨  散歩の記録

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                                 六義園

 23日(金)秋分の日、JR京浜東北線・上中里駅を起点に旧古河庭園六義園巣鴨へと至る街散歩に行って来ました。3年前の初夏以来の再訪です。

 あいにくの曇り空でしたが、やっと涼しくなり、長い距離を歩くにはちょうど良い日和でした。

クリックすると元のサイズで表示します 旧古河庭園の入口。

クリックすると元のサイズで表示します 明治から大正にかけて日本で活躍した英国人建築家で、あの日本画家河鍋暁齋の直弟子でもあるジョサイア・コンドルが設計した、石造りの洋館。園内の最も高い場所に建てられています。

 今年の2月に河鍋暁齋美術館を訪ねたこともあり、今回は新たな感慨を持って、この洋館を見ることができたように思います。

 「英国貴族の邸宅に倣った古典様式」で作られたこの洋館は、外壁を「伊豆真鶴産の新小松岩(安山岩)」で覆い、その赤茶けた色合いが、温かみのある雰囲気を醸し出しています。さらに全面に設えられた白い窓枠が示すように開口部の多い造りは、四季折々の庭の美しさを楽しむ為でしょうか?現在は(財)大谷美術館の管理下にあるようです。

 設計者ジョサイア・コンドルは鹿鳴館ニコライ堂三菱旧1号館岩崎邸など、日本近代建築史に燦然と輝く作品を手がけただけでなく、工部大学校(現在の東京大学工学部建築学科)で教鞭を執り、後に日銀本店東京駅の設計を手がけた辰野金吾を指導するなど、日本の近代建築の発展に計り知れない功績を残した人物です。そして日本画も本格的に学ぶなど、日本文化にも造詣が深く、単なる「お雇い外国人」の枠を超えた知日派だったようです。

クリックすると元のサイズで表示します コンドルは洋館の下手にある洋風庭園の設計も手がけています。約90種180株が栽培されているバラ園では10月15日(土)から秋のバラフェスティバル(←詳細はコチラをクリック)が開催されるようです。

 今は殆ど花もなく寂しい佇まいのバラ園ですが、10月半ば頃には辺り一面バラの香りに包まれ、色とりどりのバラを見ることができそうです。さぞかし華やかな雰囲気なんでしょうね。

 園内にはバラに因んだグッズ(バラの花びら入り羊羹や紅茶、香水他)を販売している売店もあり、今回、私はローズ・ルームコロンを買いました。

クリックすると元のサイズで表示します さらに下って行くと、心字池(「心」の字に似せて作られた池)を中心に据えた回遊式の日本庭園があります。

 この庭園は京都の庭師、小川治兵衛による作庭で、水を使わずに山水の景観を表現した「枯れ滝」や、絶妙なバランスで自然石を組み合わせた「崩石積」など、これまた意匠を凝らした名園です。

 また、園内の至る所で目にした石灯籠が、奈良の春日大社に因んだ(想を得た?)ものであることに、今回、初めて気がつきました。何か特別な意味でもあるのでしょうか?

 園内を見渡すと、木々の葉がほのかにく色づいているのが目につき、そこかしこに秋の気配が感じられました。

 思わず「小さい秋」をくちずさんでしまいました

 だれかさんが だれかさんが だれかさんが 見つけた
 小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた…


 さらに以前は渡れた橋、通れた小径が、3月の震災で倒壊し、通行止めになっているのが目につきました。それは次の目的地六義園も同様でした。直接の被災地から遠く離れた関東でも、震災の爪跡は震災から6カ月経った今も、生々しく残っています。

旧古河庭園から六義園へのルート:地図の通り、本郷通りをJR山の手線駒込駅方向に向かってひたすら南下すると、六義園に到着します。

 六義園に向かう道すがら、見かけたさまざまなものたち。

クリックすると元のサイズで表示します 木肌の模様が素敵な街路樹
クリックすると元のサイズで表示します 道端の彼岸花。
クリックすると元のサイズで表示します 「アンパンマン」でお馴染みの出版社「フレーベル館」

 写真は撮り損ねたものの、途中で見かけた昔ながらの庶民的な地元密着型マーケット。なぜか「エネルギー スーパー」と銘打っていました。もしかして「活気のある」店とでも言いたかったのかしら?実際、店頭は大勢のお客さんで賑わっていました。


 さて、六義園に到着です。徳川五代将軍・綱吉公に仕えた川越藩主・柳沢吉保が、今から約300年前に築いた大名庭園。園内は都心の中にいるとは思えない空気のおいしさ。樹木から放出されるフィトンチッド成分が辺り一面に充満している感じです。

 入場口付近の掲示板にあった、おそらく園を訪れる小・中学生に向けたであろう解説が印象に残りました。それは「公園」と「庭園」の違いについて言及したもの。

 「公園」の発祥は、産業革命で急激に都市化の進んだ19世紀英国ロンドンで、地方から多くの人々が移り住み居住環境が悪化した為、市民の息抜きの場として設けられたのが始まりだとか。それに対して日本の「庭園」の歴史は古く、平安時代にまで遡る。長い年月をかけて洗練され、その様式美が確立されたと言える。

 「公園」の歴史が意外に浅いものだったことに、今更ながら驚かされました(「公園」に代わる公共性の高い場所は古くからあったのかもしれません。例えば古代ローマのフォーラム<円形広場>や公衆浴場など)。その「公園」が広く一般市民に開かれた公共性の高いものだったのに対し、「庭園」は時の権力者が自ら楽しむ為に設けた閉じられた空間であったと言う違いが興味深いです。そこでは西洋の「庭園」についての言及はなかったのですが、権力者が自身(個人)の楽しみの為に贅を尽くした庭造りは、同時に、その権勢を象徴するものでもあったことは、容易に想像がつきます。

クリックすると元のサイズで表示します 心なごむ風景です… 
クリックすると元のサイズで表示します 六義園はとにかく松が見事!
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クリックすると元のサイズで表示します これ、実はトイレ。風流なり〜
クリックすると元のサイズで表示します が目に沁みるように美しい…

       庭園内を散策しているうちに、空も晴れて来ました
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 六義園を出て、時計回りに塀伝いを歩いて行くと、区画割の見事なお屋敷街に出ます。思わず見惚れるようなデザインの豪邸あり。厳重なセキュリティで固められた邸宅あり。そして、それらの敷地内に駐車中の車は軒並み高級外車か、国産高級車。その一角だけ、ハイソな雰囲気を醸し出しています。

 ただ、元の居住者が何らかの事情で土地を手放したのか、突如その場に似つかわしくない古代ギリシャ・ローマ神殿の柱を思わせる豪華で堂々とした石造りの列柱が姿を現したり(聞いたこともない宗教団体の施設でした。すべてとは言いませんが宗教団体って、本当に資金が潤沢なんですね宗教団体に配慮して非課税の措置をとっている国は税収不足で困っているのに…)、かつてはそれなりの邸宅であったはずの土地を切り売りしたであろう狭小なミニ住宅群もありました。

 時の流れには逆らえないとは言え、江戸時代から続いて来たであろう街並みの秩序が乱されてしまったようで、部外者ながら少し残念が気がしました。官民を問わず歴史的に美しい景観を維持・保存すると言う思想が、元々この国にない(つまり「民主主義」と同様に外来の思想なので、なかなか本質的な部分が根付かず、形骸化している)ことが問題なのかもしれません。それが証拠に、昔ながらの景観が維持されているのは、官の管理下にある六義園のような庭園や、寺社くらいなもので、民有地の変容には凄まじいものがあります。


クリックすると元のサイズで表示します 前回もそうでしたが、最終目的地の巣鴨に着く頃には日も陰ってしまいます。人波も絶えないのでプライバシーも考慮せざるを得ず、商店街で何枚か撮影を試みましたが、マトモに撮れたのは結局、左の1枚のみ。この写真を撮った直後に空は曇天に変わり、商店街の賑わいを写真に収めることはできませんでした。

 今回、街を散歩中、歩道での自転車の往来の激しさに注意せずにはいられなかったのですが、やはりここでも自転車のマナーが問題になっているのか、商店街入口にも「ひとにやさしい自転車マナー」のスローガンが掲げられていますね。

 人間はひとたび道具を得ると「虎の威を借る狐」よろしく、傲慢になりがちなのをもう少し自覚すべきだと思います。「乗用車」「自転車」「ベビーカー」対「歩行者」(「ベビーカー」が挙げられているのを意外に思う人もいるかもしれませんが、混雑した通りやショッピングセンターでのベビーカーは、使い方によっては、歩行者にとって凶器になります。私もこれまで何度ぶつけられ、車輪に足を踏まれたことか。ベビーカーの先端と使用者との間に、ある程度の距離がある為、他者との距離感覚が計りづらいのが原因かもしれません)

 特に過密な都市部では「そこのけ そこのけ ”私”様のお通りじゃーい」は通用しません。四者の力関係を見れば、歩行者が絶対弱者なのですから、他の三者は歩行者の安全性を最優先して、道具を用いるべきでしょう。利便性を享受する(パワーを得る)分、自己主張は控えめがちょうど良いのかもしれません。そして相手を思いやるマナーさえ遵守すれば、互いの共存はまだ十分可能なはずです。

 街散歩は私にとって楽しい娯楽のひとつですが、最近は車だけでなく自転車の脅威に晒されている印象が強く、のんびり景色を眺めながら歩くこともままならなくなったようで残念です。もちろん、地元に帰れば自分も自転車ユーザーなので、乱暴走行車を反面教師に、自らも安全走行を心がける必要があると思っています。



2011/9/24

巣鴨地蔵通り商店街に行って来ました♪  日々のよしなしごと

 実家の母が、先月75歳の誕生日を迎えました。私自身がもう50歳近いのですから、母がその年齢になるのも当然かもしれませんが、それでも改めて、もうそんな年になっているのかと、年月の経過に驚いている自分がいます。

 実は母方の祖母は足が悪くなり、認知症も大分進んで、孫の私のことを忘れてしまっていますが、100歳を超えて健在です。曾祖母も93歳まで生きたらしいので、長寿の家系だとは思いますが、父が突然あっけなく亡くなったこともあり、母との別れの日もいつか必ず来るのだと意識せずにはいられません。

 そう考えると、母が生きているうちに親孝行がしたいと思いたくなります。せめて母の希望をできるだけ叶えてあげたい。

 以前、母が「巣鴨の地蔵通り商店街で売られている赤い肌着が欲しい」言っていたのをふと思い出し、昨日、夫との街散歩のついでにそれを買って来ました。

 巣鴨はお彼岸ということもあってか、かなりの賑わいを見せていました。地蔵通り商店街は別名「おばあちゃんたちの原宿」と呼ばれていますが、昨日は老若男女で賑わっていました。

 その商店街に4店舗を構えて人気を博しているのが、赤い看板が目印のマルジです。その店オリジナルの、赤地の肌着の前身頃中心に小さな緑のカエルの刺繍を施した「若ガエル みどりちゃん」シリーズが、母の希望の商品のようです。真っ赤な肌着は、丹田に効いて身体に良いとのこと。実際の効能は定かではありませんが、母がそれを着用して、気持ちが若やぐなら、それで結構。

 足が少し悪く、最近耳の手術をしたばかり(ここ数年耳が遠くて会話も困難だったのですが、手術後、人工内耳のおかげで劇的に聞こえが良くなりました!)の母ですが、同居している弟一家と、できるだけ長く、仲良く、元気に暮らしてくれたら良いなと願っています。

 70代と言えば…母と同じ70代でも、こんなに若々しく、第一線で活躍されている方がいます。名倉加世子さんとおっしゃいます。彼女の鍛え上げられた肉体、ピンと伸びた背筋、豊かな黒髪、若々しい笑顔、そしてキビキビとした動作と受け答えに、彼女より20歳以上も年下であるはずの私でさえ圧倒されます。

 常に目標を持って生きている人の老化の時計はゆっくり進むのでしょうか?生涯現役を貫く人の多くは、おそらく常に自らの進むべき道に邁進している人なのでしょうね

 もちろん、そのような生き方は誰もができることではないのかもしれませんが…こうした人々の存在を励みに、私も自身の人生の後半に向かって行きたいです。下記リンクの映像を見る度に、元気をいただいています。

◆YOU-TUBE 映像:日本のジャズダンスの第一人者、名倉加世子氏のテレビ出演

2011/9/20

7泊8日トルコ周遊記(5)  海外旅行(旅の記録と話題)

トルコ1日目
 
 トルコ航空の機内サービスは、航空会社及び空港サービスの利用者評価の調査機関であるSkytraxにより、栄えある「ベストエアライン・ヨーロッパ 2011」に選出されているだけあって、他の歴史あるヨーロッパ系エアラインに何ら見劣りしないものだった。

 搭乗時にはスリッパやアイマスク入りのアメニティグッズが手渡され、エンタメ・メニューが充実したパーソナルモニターも完備で、長時間に渡るフライトの退屈さも難なく凌げた。機内食も水準以上のものだったと思うが、なぜか配られたメニューリストが往復路共に、実際のメニューとは違っていた。どうしてだろう? 

1日目の宿泊先、カヤ・ラマダ・プラザホテルのロビー
クリックすると元のサイズで表示します トルコ随一の商都イスタンブールにある、トルコ共和国建国の父アタチュルクの名を冠した空港に、私達を乗せた飛行機はほぼ定刻通りに到着。同時刻に到着した便が多かったのか、非トルコ人向けのパスポート・コントロールは大混雑だったしかし、入国に心配したほどの時間はかからず、空港内の銀行で日本円からトルコリラへの両替を済ませ、バスで宿泊先のホテルへと向かった。

 空港で特に戸惑ったのは、日本円から、使い勝手が良いとされる米ドルへの両替ができなかったこと。市中の銀行はともかく、空港内の銀行の出張所は米ドルへの両替を行っていないらしい。ツアー客の中には成田空港で米ドルへの両替を済ませていた人もいた。結局、米ドルがないからと言って、ツアー中に特段不便なことはなかったが…

 ほどなく1日目の宿泊先、カヤ・ラマダ・プラザホテルに到着。チェックインの手続きを待つ間、ホテルのロビーで寛ぐ。白い壁、天井にアクセントカラーの赤と金色が効いていて独当の雰囲気を醸し出しているライトスタンドのデザインも異国情緒が漂う。

 1日の大半を移動で費やした1日目は、翌日から始まる観光に備えて早々と寝た。

トルコ2日目

クリックすると元のサイズで表示します 朝食はビュッフェスタイル。ホットミールもコールドミールもフルーツもおいしくいただけた。特にトルコはパンがおいしいとの評判を耳にしていたが、確かにホテル自家製と思しきゴマをふんだんに使った丸い形のパンなど、香ばしく甘みがあって、とてもおいしかった。

 トルコは食料自給率が100%と、食材には事欠かない農業大国でもある。団体ツアーで提供される食事は大抵効率優先で不味いと相場が決まっているが、新鮮でバラエティに富んだ食材のおかげで、トルコのそれは概してそれほど悪くはなかったと思う。

 もちろん、トルコ人がおいしいと認めた本物の味、本来のトルコ料理の味とは言えないのかもしれないが、所謂トルコ料理の傾向、スタイルを知ることはできたように思う。文明の十字路に位置する国だけあって、薄味、濃厚な味、スパイシーな味と、遠く極東アジアから、ヨーロッパ、中東アフリカに至る様々な国々の料理が混在しているような印象だ。オリーブオイルをメディアに、肉・野菜・穀類・豆類・乳製品をバランス良く取り込む、ヘルシーな地中海料理にも近いだろうか?ただし、デザート・スウィーツの濃厚な甘さには閉口する。あれでは糖分の摂りすぎだ。

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 写真はホテルの客室からの眺め。早朝のイスタンブールだ。普段目にする風景とは、視界の広がりと奥行きや、街並みの色合いがやはり異なる。イスタンブールに来たことを改めて実感した。

 朝食を済ませて、7時半にはホテルを出発。バスで旅行最初の観光地、トロイ遺跡へと向かった。移動距離345km、途中何度かのトイレ休憩、昼食、カーフェリーでの移動を挟んでの約6時間のバス旅だ。この日の観光はなんとトロイ遺跡のみ

クリックすると元のサイズで表示します 写真は車窓からの眺め。バスは郊外を走っているせいか、人家が少なく、人の姿も殆ど見えなかった。菜の花畑と見紛う黄色い大地は一面のヒマワリ畑だ。これは食用油を採取する為のもの。私がかつて住んでいた中東でも、オリーブオイル以外はもっぱらヒマワリ油が食用油として流通していた。昨年スペインで見られなかったヒマワリ畑を、思いがけずトルコで存分に見ることができて嬉しかった

クリックすると元のサイズで表示します 最初のトイレ・ストップ。正面の土産物店の離れにトイレがあった。写真で見ると、向かって右手だ。入口付近にチップを受け取る管理人のおじさんが腰かけていて、50クルシュ(0.5トルコリラ=約25円)を支払ってトイレに入った。

 その後、各地で何度もトイレを利用することになるが、やはりチップを支払って入るトイレの方が管理が行き届いていたように思う。無料のトイレは紙詰まりを起こしていたり、水洗レバーやドアの鍵が壊れていたり、衛生面に問題のあるトイレが多かった。地方では未だ下水道設備に問題が多いのか、トイレットペーパーをトイレに流してはいけない所も少なくなかった。そこでは備え付けのゴミ箱に使用済みの紙を捨てるようになっていた。

 トイレ設備の良し悪しは、その国の経済的なゆとりを測る物差しのひとつだと私は考えているが、その点ではトルコはまだ発展途上にあるように思う。5年前に訪れた韓国も、首都ソウルはともかく慶州のような地方では、トルコの地方と同様に紙を流せない場所が少なくなかったことに驚いた記憶がある。

 どの国も首都や商都は国の威信をかけて社会インフラの整備をするものだが、末端の町や村々まで整備が行き渡るには、結局それ相当の国力の余裕が必要なのだろう。寧ろ田舎の公衆トイレにまでウォッシュレットのような装備が当たり前の日本が、世界では特殊なのかもしれない。とまれ、海外旅行での強烈なトイレ体験は、彼我の違い(つまり日本がどれだけ豊かな国なのか)を思い知る貴重な機会であることは間違いないと思う。

 ところで、写真中央に見える鮮やかな赤の地色に、白塗りで大きく湾曲する三日月と星を象ったものは、トルコの国旗だ。トルコ旅行の道中では、(嫌というほど)この国旗を至るところで目にした。まさにトルコ国民の愛国心の象徴とも言える。トルコ人は屈託なく愛国心を表明しているようにも見えた。

 この国旗を目にする度に、私は私自身や日本人の愛国心を問われているような気がして、少し心が疼いた。とかく日本では愛国心を口にすると、ある種の思想傾向の持ち主に見られるような気がするのだが、そもそも自分の生まれ育った国を愛することはごくごく当たり前のことで、自尊心の礎のひとつでもあると思う。それを蔑ろにして、果たして自分自身のアイデンティティは確立されるのだろうか?現代の日本人の多くはそこのところを曖昧なままにして、生きているような気がする。そんな状態で果たして、愛国心、愛郷心を強固なバックボーンとして生きている海外の人々と、対等に付き合えるのだろうか?日本人の国際社会における自己主張の弱さ、自信のなさは、そんなところからも来ているような気がしてならない。

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2011/9/19

7泊8日トルコ周遊記(4)  海外旅行(旅の記録と話題)

クリックすると元のサイズで表示します トルコ旅行から帰国して間もない8月上旬の日経新聞朝刊に、トルコ航空のカラー一面広告が掲載された。

 鮮やかなターコイズブルーを背景に、トルコ航空の真っ赤なロゴマークが全面を覆う、地球をイメージしたと思しき球体を手にした、美しいキャビン・アテンダントが、読者に向かって微笑んでいる。コピーは堂々「ヨーロッパのベストエアライン※、トルコ航空で世界180都市へ」とある。

 ※「トルコ航空、『ベストエアライン・ヨーロッパ 2011』アワード獲得」

 因みに日本経済新聞朝刊全国版の広告費一覧表をもとに、今回のトルコ航空の広告費を概算すると、15段(サイズ380.0×512.5mm)20,400,000円+カラー料金(多色)10段以上4,900,000円で、合計25,700,000円となる。

 この広告不況下で、日本ではまだメジャーとは言い難い外資系エアラインが、何とまあ思い切った販促キャンペーンを張ったものである。日経新聞の発行部数は公称約300万部(2010年7月〜12月平均 資料:日本ABC協会)。費用対効果はいかほどのものなのだろう?とまれ、これはトルコ航空の日本における顧客獲得への並々ならぬ意気込みが感じられる広告戦略である。

 日本では案外知られていないかもしれないが、豊かな観光資源と立地に恵まれたトルコは世界有数の観光立国である。2010年にトルコを観光で訪れた外国人は2,700万人で世界第7位、観光収入は208億米ドルで世界第10位となっている(世界観光機関調べ)

 因みに同年の訪日観光客数は861万人、観光収入は132億米ドルであり、特に訪問者の数でトルコは日本を圧倒している。しかも今年6月の外国人観光客数は前年同月比で6.7%増、観光収入は14.0%増と、震災の影響で大幅減を余儀なくされている日本を尻目に、トルコ観光は好調のようだ。

 『ウォールストリート・ジャーナル日本版』9月14日付記事でも、「イスタンブールのホテルの稼働率は欧州最高」と、その好調ぶりを伝えている。おかげでイスタンブールのホテルの宿泊代は前年比30超%増と、その高騰ぶりも世界一となっている。

 現在、日本では一部を除くトルコツアーが、現地の旅行関係者を嘆かせるような低価格競争に陥っているが(私はその恩恵に浴してトルコに行けたとも言えるのだが…)、中東・ヨーロッパからの観光客の流入が絶好調となると、不毛な日本人向け価格競争も早晩終わりを告げるのではないか?少なくとも、ショッピングとの抱き合わせで利益を上げると言ういびつな形は、トルコ観光の成熟と洗練に伴い、徐々に減って行くのではないかと思う。

 トルコ航空に話を戻すと、今夏の休暇旅行にトルコツアーを選んだ大きな理由のひとつは、ツアーが往復トルコ航空の直行便利用であったことだ。しかも利便性の高いフライトスケジュールであった。往路の成田出発が正午で、イスタンブール到着が18時5分。復路のイスタンブール出発は16時55分で、翌日の午前10時10分に成田到着と、団体ツアーにありがちな早朝出発や夜間到着はなく、ツアーの為に前泊や後泊をする必要もなかったし、心身にも負担の少ないスケジュールであった。

 さらにトルコ航空はスターアライアンス・メンバーなので、ANAのマイレージを貯めている者には好都合だ。チマチマ国内線でマイレージを貯めるより、実質国内線1往復の料金程度?で、その数倍以上のマイレージを貯めることができる。今回獲得したマイレージを国内線に換算すれば、東京、長崎間を5往復したのに相当するのではないだろうか?そのコスパは侮れない。

クリックすると元のサイズで表示します トルコ航空の広告戦略と言えば、近年、映像CMにも力を入れているようだ。

 2年程前に映画館109シネマズで、映画上映前に何の脈絡もなく登場したCMは、(覚えている限りでは)空港に着陸したトルコ航空の機体からクルーが降りて来て横1列に並び、観客に微笑みかけるというもので、「なぜ今、ここで、トルコ航空のCM?」と唐突感が否めなかった。

 今回の旅行直前に見たトルコ映画『蜂蜜(原題:Bal)』(右上写真。トルコの山岳地帯を舞台に、蜂蜜の採取で生計を立てる父と、その家族の物語。トルコの山岳地帯の自然の静謐な美しさをあますことなく映し出し、そこで暮らす質実で素朴な人々の姿を詩情豊かに描く。第60回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作品)の上映前に流れたCMもまた、なぜか機内のファーストクラスで、突然プロサッカー選手達がサッカーを始めると言う(←トルコでもサッカーは大人気のスポーツだからか)、常識ではあり得ない設定で、私を驚かせてくれた

 とにかく常に「意外性」で攻めて来る。トルコ航空よ、イロイロやってくれるじゃないか?トルコ航空の経営攻勢は、今まさに発展の上り坂を駆け上がろうとしているトルコと言う国の勢いを、そのまま体現しているかのようだ。


2011/9/17

ナスが大好き♪  「食」についての話題

 先日、「子どもはナスが嫌いだ」というアンケート結果を目にしました。この種のアンケートは調査手法や調査対象等により様々な結果が導き出されるものなので(先日も「ゴーヤが嫌いな野菜第1位」のアンケート結果を目にしたばかり…)、そのまま鵜呑みにはしないけれど、無類の?ナス好きとしてはやはり気になります。

 ナスは熱を加えることで甘みがグッと引き出される野菜です。油もよく吸うのでダイエット時には注意を要する野菜でもあるのだけれど、テフロンのフライパンなら、ごく少量の油で蒸し焼きにすることもできるので、夏の間は我が家で最も出番の多い野菜のひとつです。

クリックすると元のサイズで表示します 既に誰もが知っている、実践している方法なのかもしれませんが、ナスにおいしく火を通すコツをここに書き留めようと思います。もしかしたらナスの味噌炒めで、未だに油でナスを素揚げをしている人もいるかもしれないので。

@写真のようにナス1本を縦に切って、さらに三等分に切ったものに隠し包丁を入れ、しばらく水にさらす。

Aごく少量の油をひいたテフロン加工のフライパンで、水を切ったナスを、隠し包丁を入れた皮の部分から弱火〜中火で焼く。

B皮の部分に適度に焦げ目が付き、ナスがしんなりして来たら、裏返してフタをして、しばらく弱火で蒸し焼きにする。

クリックすると元のサイズで表示します この方法で火を通したナスは素揚げしたものよりカロリーは少なめで、味噌炒めに使えます。

 また、そのまま小鉢にあけ、大根おろしをのせて、小口切りのネギを散らし、味ぽんをかけたら、あっと言う間に副菜一品の出来上がり!ウチの息子はこの一鉢を、料亭に行ったこともないのに「料亭の味!」と絶賛?しました(笑)。

 さらに徹底したノンオイル料理レシピで有名な料理研究家、浜内千波さんの「油を一切使わない! 野菜の蒸し煮・ラタトゥイユ」も、ナスをおいしくいただけるレシピと言えるでしょうか?(レシピはNHKのサイト内にある「かんたんごはん」より)

【材料は2人分で、エネルギー78kcal/人、塩分2.0g/人】

なす       1本
たまねぎ     1個
ズッキーニ    1本
パプリカ(黄・赤) 各1/2個
トマト      1個

塩        小さじ1弱
コショウ     適宜

【作り方】

@ナスはへたを切り、5mm位の厚さの輪切りにする
Aズッキーニも5mm位の輪切りにする
Bタマネギとパプリカは食べやすい大きさに切る。
Cトマトは1cm位のさいの目切りにする。
D鍋に切ったナスを並べる。他の野菜も入れて、塩をふり、蓋をして中火で10分蒸し煮にする。※ナスの色が悪くならないよう、ナスを一番下に入れるのがポイント!
E10分経ったら蓋をあけて軽く混ぜ合わせたら、お皿に盛りつけ、コショウを振って出来上がり。

 通常のラタトゥイユと違い、わずか10分の蒸し煮、と短時間でできるので、気軽に作れるのが嬉しいレシピ。目にも鮮やかな色合いで、食欲をそそります♪

 本当は禁じ手なんだろうけれどオリーブオイルとニンニク好きの私は、少量のオリーブオイルでつぶしたニンニクを香りが出るまで炒め、一旦ニンニクを皿にあけた後、上記のレシピに従って野菜を鍋に入れ、最後にニンニクを戻す、と言うプロセスを加えて作ったりもします。これだと、コクが出るんですよね。

 
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 また、一口大に切ったナスとタマネギを少量の油で炒め、だし汁で煮立てた後、さいの目に切った半丁の木綿豆腐と味噌を加え、ひと煮立ちさせた味噌汁も、最後に小口切りのネギを散らしていただくと、ナスとタマネギの甘みが何とも言えないおいしさに仕上がります♪


2011/9/17

久しぶりに家族で水入らず  家族のことつれづれ

クリックすると元のサイズで表示します 夏休みも部活動で、大学に「皆勤賞」と言ってよいほど通い詰めていた息子。

 部活動の2大イベントのひとつである「ロボコン」も無事?終了し、久しぶりに時間に余裕ができたので、家族でドライブに行って来ました。車は新型ヴィッツ。もちろん、息子の運転でいやぁ〜車に乗せてもらうのは楽ちん楽ちんしかし、家族でこうして遊べるのもいつまでか…大学生ともなれば、やはり親より「友人」や「彼女」ですよね。我が家の息子は恋愛に奥手だった両親に倣ってか、いまだに女の子とは無縁のようですが…

 息子の運転は、往路は少々危なっかしい場面があったものの、徐々に慣れて来て、復路は都内の渋滞も難なく切り抜けて、安心の走りを見せました。

 最初に向かったのは、よこはま動物園ズーラシア(←詳しくはコチラをクリック)。この動物園、開園当時から気になっていたものの、横浜の奥まった丘陵地帯にあって、公共交通機関で行くにはアクセスが不便なため、今の今まで行ったことがありませんでした。

 地形をそのまま生かした広大な園内には、比較的ゆったりとした動物の展示ゾーンや、子ども達が思いっきり遊べるフィールド・アスレチックスを備えた広場、散策の森等があります。入口から出口までの中間地点にはリーズナブルな価格のレストランがあり、もちろん天気が良ければ屋外で青空の下、お弁当を広げるのもまた楽し♪さらに園内の至る所にベンチや休憩所もあり、家族連れが安心して1日中遊べる場になっています。 

ズーラシア・マップ(←詳しくはコチラをクリック)

 今年はGWに大阪の天王寺動物園に行ったこともあり、つい比較して見てしまいますが、サービス精神の旺盛だった天王寺の動物たちと比べると、ズーラシアの動物たちは、どの動物も檻や展示スペースの奥で背を向けたまま動かず、なかなか顔を見せてくれません。大挙して人々が訪れたであろう夏休みが終わったばかりで、動物たちも疲れているんでしょうかね?

 それに私達が訪れた日も残暑が厳しく、私自身、立ちくらみを覚えるような蒸し暑さだったので、動物たちも暑さにグッタリしていたのかもしれません。特に本来、亜寒帯に棲息する動物たちには酷な環境のような気がする。私は「亜寒帯ゾーン」の看板を見つけて思わず走ったのですが、考えが甘かった亜寒帯ゾーンと言っても、その一帯が冷気に包まれているわけではありませんでした。動物たちは、どうやってこの暑さを凌いでいるのでしょう?(以前、テレビのニュースで、シロクマの水槽に氷塊を流し込む映像を見たことがありますが…)

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 あいにく最近携帯電話を買い換えたばかりで、まだ付属のカメラの操作に慣れていない為、今回はあまり写真を撮っていません。唯一と言ってよいほど、マトモに撮れた上掲の写真は、稀少な絶滅危惧種「インドライオン」の姿です。日本ではここと、上野動物園にいるのみだそうで、メスの4姉妹がちょうど餌遣りの時間で、昼前のまどろみから目覚めて起き上がったところでした(まあ、動物園のライオンは大抵狩猟本能を失って、地べたで寝そべる等ウダウダしているものですが…)

 飼育係の解説によれば、この4姉妹にもれっきとした序列があり、餌を食べる順序が決まっているのだそうです。また、インドライオンは腹部にその特徴があるらしく、腹部を見ればアフリカライオンと見分けがつくらしい。

クリックすると元のサイズで表示します 後発の動物園だけあって、老舗ながら大幅リニューアルで都市型動物園の先端を行く天王寺動物園と同様に、その展示方式は様々な角度から動物たちを見ることができるような工夫が随所に見られました。昔の動物園しか知らない人が昨今の動物園を訪ねたら、その変容ぶり〜進化〜に驚くことでしょう。

 ただ、今回実際に足を運んでみて思ったのは、この動物園を満喫するポイントは"季節選び"ではないかということ。動物にとっても、人間にとっても、暑さは身体に堪えるようです。どうせ行くなら、動物も人間も体調が万全な時期が良い!となれば…日差しの比較的穏やかな春や秋がオススメでしょうか?

 また、行楽地に欠かせない「土産物店」も品揃えが充実していて、品定めに迷うほどでした。私自身が特に拘る「ぬいぐるみ」も質の良い品揃えで大満足。今回は写真のキリン・クッションを思わず買ってしまいました2,000円以下と手頃な値段で、丁寧な作り。長く使えそうな1品です。早速、このキリンを「ジーラ」と名付けました

 それにしても、息子の幼い時にこの動物園に出会っていたなら、もっともっと楽しめたであろうにと、無邪気にはしゃぐ園内の親子を見て、正直羨ましく思いました。家族連れに混じって若いカップルの姿も多く見かけたので、次回、息子がここに足を運ぶとすれば「デート」でしょうか? (年頃の息子を持つ親としては)…そうであって欲しい(笑)。

 この日はとにかく暑くて、私達は2時間足らずで早々とギブアップ。昼食後には動物園を後にして、次の目的地、川崎市の生田緑地内にある 岡本太郎美術館(←詳しくはコチラをクリック)へと向かったのでした。

クリックすると元のサイズで表示します 以前、生田緑地を訪ねた折に、その外観だけは写真に収めたものの、入館したのは今回が初めて(右写真は「太陽の塔」になった私。ぷっ)

 今年は岡本太郎生誕100年に当たる年で、東京国立近代美術館では大回顧展が開催されました。

 実は私は彼の美術作品よりも、彼の著作から彼のファンになった人間で、その人間的なスケールの大きさ(←彼が出会った人々は、歴史にその名を残すような錚々たる面々これは太郎もまた、相応のレベルの人物であることの証でしょうか?)、豊富な読書量に裏打ちされた「鋭い洞察力」「豊かな発想力」、そして「卓越した文章力」に惹かれて、彼の著作を続けざまに読み、美術館のスクールギャラリートークでも、中高生達に、特に「青春ピカソ」を薦めたりしています。

 川崎市岡本太郎美術館は、太郎とその両親、岡本一平かの子に縁の深い川崎市に、太郎の作品や生前の蔵書が寄贈されたことから、開館しました。太郎の作品はもちろん、彼の蔵書、映像資料、彼が遺した言葉を通して、さらに父一平や母かの子の来歴にも触れながら、世界的なアーティストである太郎の核心に迫っています。

クリックすると元のサイズで表示します 館内には太郎がデザインした?ポップなイスやソファも展示され、実際にそれに腰かけられるのが嬉しい♪

 そもそも美術館の設計自体がユニーク前半はあえて床に高低差をつけたり、作品の見せ方にも小技が多用されており、後半にはひとつの大きな空間を囲むように「書斎」「大衆」と言ったテーマ毎に幾つかの小部屋が用意されているなど、最後まで遊び心満載の、趣向を凝らした展示で、楽しませてくれます。「岡本太郎ファンには堪らない空間」であることは間違いないでしょう。

 写真は、館内で無料頒布されていた『岡本太郎のいる場所〜TARO MAP 首都圏版』と言う小冊子ですが、パブリックアートとして首都圏で見ることのできる岡本太郎の作品群を、過不足ない解説付きで紹介しています。その内容の充実ぶりに、「岡本太郎の素晴らしさを、できるだけ多くの人々に伝えたい」と言う、当美術館の並々ならぬ意気込みが感じられる力作です美術館訪問の折には、是非手に取って見ていただきたい1冊!

 大満足のうちに美術館を出た後、息子の運転するヴィッツは思いがけず東名高速に入ってしまい最短区間で都内の一般道に出た後一路、川崎市の東扇島へと向かいました。いえね、ちょっと海を見てみたかったのです。

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 今回初めて知ったのですが、一大工業埋立て地である東扇島には意外にも3つの公園があり、今回行った中公園には、人工の浜辺やサッカーグラウンドやバーベキュー場やドッグランがありました。また、羽田空港に向かって降下する飛行機も間近にみることができました。

 自動車でピンポイントに移動できたおかげで、なかなか充実した内容の楽しい休日となりました


2011/9/8

鬼門?(>_<)  日々のよしなしごと

 つい先ほどのことです。郵便局の帰りに、小学校脇の1車線の道路を通過しようとしたところ、前方から自動車1台に続いて自転車数台が向かって来ました。道幅が狭く、自動車と自転車が併走するのは危ない道です。

 仕方なく自動車が通り過ぎたら車道に戻るつもりで、私は緊急避難的に、段差が設けられたタイル舗装の歩道に自転車を乗り上げました。

 すると前方から向かって来た見知らぬ自転車の老人(男性)に、すれ違いざまに「自転車は車道を走りやがれ」と怒鳴られました。

 たまたま歩道に人がいなかったのをいいことに、歩道上で一瞬でも自転車を走らせた私もいけなかったのかもしれませんが、老人もいきなり頭ごなしに怒鳴ることはないだろうと思います。

 前方から来た自転車群は、自動車に付き従った形でグングン向かって来ましたが、車道は彼らに占拠された形なので、こちらは車道を通れません。こんな場合、彼らが通り過ぎるまで、道路の入口で待つしかないんですかね?

 怒鳴られた直後、歩道の前方から老女がひとり向かって来られたこともあり、私は自転車から一旦降りて1段下の車道に戻ったのですが、言い捨てて去った老人に反論する機会もなく、釈然としない思いで家路についたのでした。

 実は、この通りでは以前、他の自転車とぶつかったこともあります。建物の陰から出て来た自転車との出会い頭の事故でした(自転車がよろけただけで、双方にケガはなし)。

 今回のようなこともあるし、道幅に十分な余裕がないにも関わらず、自動車や自転車の通行が絶えないこの通りは、私のような運動神経の鈍い人間は、利用を避けた方が無難なのかな。

 そもそも住んでいる地域は昔からの古い街並みで、下町の住宅密集地を縫うように狭小な道路が縦横に走っています。バス通りも、歩道のない一方通行路。近隣には消防車も入れない露地もあり、地震による火災等の2次災害が懸念されます。

 今更嘆いても遅いですが、もう少し慎重に住む場所を選ぶべきでした。



 改めて思い返してみると、件の通りは一方通行路で、私から見て対向する方向からしか車は進入できません。とすれば、私はそもそも、その道に入ってはいけなかったんですね。道路交通法に則れば、私の望む方向へは、小学校を挟んで反対側にある道路まで迂回して、行かなければならないわけです。しかし実態として、商店街により近い件の道路を、多くの自転車が双方向に往来しているので、本来自転車も私が入った側から侵入してはいけないことに、今の今まで気づきませんでした。

 私自身、今頃になって気づくとは、つくづく「おバカ」な話ですが、老人の「車道を通れ」も、この場合、適当ではないわけで…郵便局から我が家への経路としては、何かと便利な道路なのですが、今後はそこを通行しないことにしました。



 さらにさらに近隣の地図を頭に思い描いてみると、一方通行だらけなので、自転車で道路交通法を生真面目に遵守すると、何処に行くにも、とんでもなく遠回りを強いられることに気づきました。戦後長きに渡り、やっつけ仕事で済ませて来た道路行政のツケが、こんな形で市民を困らせることになろうとは…年度末の度にアフファルトの舗装と引き剥がしを繰り返す道路工事が象徴するように、この国の都市計画や道路行政には何の計画性もありません

2011/9/4

環境大臣、本気でそんなこと言ってるの?  気になったニュース

 今日、下記のニュース映像をテレビで見て、目を疑った

【細野大臣 最終処分場は県外で】

原発事故で放射性物質に汚染されたがれきや土壌の最終処分場について細野環境大臣は4日の会見で「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮だ」と述べ、福島県以外に設けたいという考えを示しました。

これは4日行われた就任会見で、細野環境大臣が明らかにしました。原発事故で放射性物質に汚染されたがれきや放射性物質を取り除く除染作業で出た土壌などの処分をめぐっては、先月、菅前総理大臣が福島県の佐藤知事に対し、一時的に管理する中間貯蔵施設を県内に整備する方向で検討していることやその施設を最終処分場にすることは考えていないという意向を伝えています。

4日の会見で細野大臣は、中間貯蔵施設について「具体的な場所や保管しておく期間については地元の理解がなくては進めることができない」と述べ、施設を設ける場所などについては今後、地元と十分話し合ったうえで決めたいという考えを示しました。

また、最終処分場については中間貯蔵施設とは別だという認識を示した上で、「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている。福島を最終処分場にはしないということは方針としてできる限り貫きたい」と述べ、福島県以外に設けたいという考えを示しました。

http://www.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6055362251.html



 放射性物質は拡散を防ぐ為に、事故現場で封じ込めるのが、世界の常識のはずだが…細野環境大臣と言う人は、チェルノブイリのことを知らないのだろうか?

 「痛みを分かち合うべき」と言うが、その方法が間違っている。日本全土で放射性物質を分かち合って被曝しろ、と言うのだろうか?これでは風評被害も相俟って、日本の農産物はおろか、工業製品でさえ、世界に輸出できなくなる。汚染大国として、早晩、日本と言う国が世界から抹殺される(たまたま昨日見た米国ドラマは、殺人ウィルスが漏出した研究所を、国家の安全の為に、所内のスタッフごと焼夷弾で焼き尽くす、と言う展開だった。このままでは日本に対して、他国によって、現実に同様のことが行われかねない)

 何よりまず放射能障害から子どもや若い人達を守る為に、一刻も早く福島県の当該地域から避難させることが重要なのではないか?昨日の別のニュースでも、専門家(東大教授)が、この件について、深刻な面持ちで警鐘を鳴らしていた。そして、今後何年かかるのか分からないが、国と東電の責任で当該地域の除染作業をきちんと進めるべきだろう。

 また、去る2日(金)の「5時に夢中!」(東京MXテレビ。一見ふざけた番組だが、他の局では絶対取り上げないような情報を真摯に伝えてくれる)では、フリージャーナリストの岩上安身氏が、3月11日の震災以来、福島第一原発から放出された放射性物質(ここではセシウム)の量が、実に広島型原爆の168発分に相当し、それはチェルノブイリ(広島型原爆の90個分)の1.5倍であると伝えた。

 しかも、この情報は岩上氏が3カ月前から、政府や東電に質問し続けていたにも関わらず、今になって議会質問で明らかにされたものらしい。いったい、どこまで隠蔽体質?!

 さらに彼は先日、チェルノブイリ原発事故被害の実態を描いた中編ドキュメンタリー映画「チェルノブイリ・ハート」の上映会を実施する為、福島県郡山市入りした際に、福島県の当該地域において、児童生徒に発熱、下痢、鼻腔からの出血等、放射能障害が疑われる身体症状が既に出ていると言った。

 映画「チェルノブイリ・ハート」では、チェルノブイリから80km離れた町で、事故後生まれた新生児の8割に何らかの障がいが発生しているとの報告がなされているそうだ。その事実を踏まえて、岩上氏は未来ある若者や児童生徒の、当該地域からの避難を、早急に官民挙げてサポートすべきだと訴えた。

 この番組を見た翌々日に、上掲の細野発言である。私は驚きと恐怖と落胆で、しばし呆然としてしまった。この国には、マトモな政治家はいないの?

 因みに、この細野氏。確か、お騒がせタレント(女子アナ?)山本モナ嬢と(妻子がありながら)堂々「路チュー(路上でキス)」していたところを写真週刊誌にキャッチされ、この一件で、山本嬢はレギュラー入りしたばかりのニュース番組「ニュース23」を降板している。昔から「英雄、色を好む」とは言うが、感情論で政策を進めるような冷静さを欠いた政治家には、満身創痍のこの国を任せられない。他に賢明な政治家はいないの?



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