2011/8/25

いやはや…  日々のよしなしごと

 このところIEのトラブルが多く、頻繁にネットが使用できなくなったりするので、ブログ更新もままなりません。今朝もそうでした。OS(VISTA←これ、かなりの駄作らしく、早々とサポートを終了させる予定だとか。短命です。先発のXPの方が、まだ利用価値が高く、サポート期間も長いようです)との相性の問題ではないかと、専門家?の夫が申しております。

 この2、3日でビックリしたのは、タレント島田紳助の電撃引退です。ゴールデンタイムに5、6本の冠番組を抱えている売れっ子が、その全てを投げ出しての突然の引退。稼ぎ頭のタレントをあっさり手放した所属事務所。その理由が、既に何年も前から「公然の秘密」であった反社会的勢力との交際。多くの人々が訝っているように「何を今更?」「どうして、そんなにあっさり?」〜どうも腑に落ちません。

 これは喩えるなら、「夜逃げ」ですね。取る物とりあえず、慌てて逃げた感じ。

 一体、何から逃げたのでしょう?

 しかし、テレビ業界に大きな影響力を持つ?タレントとは言え、その扱いが大きすぎる。ワイドショーのみならず、一般のニュース番組でも多くの時間を割いて報道がなされたとか。なんと日経の社会面にも登場。何か事件を起こしたわけでもなし。亡くなったわけでもなし。

 確かにビックリはしたけれど、それは何の前触れもなしに、彼があまりにも無責任に仕事を途中で放り出したことへの驚きであり、何より「開運なんでも鑑定団」で、いつも通りの彼を見た直後だったからです。

 芸能界において、彼が抜けた穴は大きいと言っても、それも一時のことで、また誰か新しい人が出て来る。長いスパンで見れば、新陳代謝に過ぎないのです。


 まさか、何か別の重大事の目眩ましに使ってはいないですよね?

 震災後、世の中全体が浮き足立っていますね。もっと冷静になるべきではないでしょうか?これでは全てのことに正しい判断ができなくなったり、ムードに流されて誤った選択をしてしまいそうです。それが一番恐ろしいのではないでしょうか?

2011/8/23

夏休みのお昼ごはん  「食」についての話題

クリックすると元のサイズで表示します 私なんぞ、日中1人で自宅にいると、ついつい麺類でお昼ご飯を済ませてしまうのですが、前夜のご飯の残りを、簡単なおかずと合わせて、混ぜご飯にしてしまうこともあります。

 混ぜご飯に野菜サラダとスープで、ボリューム満点のお昼ご飯の出来上がり。我が家の息子もお気に入りのお昼ご飯です

 例えば、写真のニンジンとツナの混ぜご飯。作り方は至って簡単。

 ニンジン中1本をスライサーを使って薄く千切りにし、オイル漬けツナ缶のツナと合わせて炒めます。その時、少し多めの油で炒めるのがコツ。ニンジンがしんなりしたら、塩コショウ、醤油で味付けし、小口切りにしたネギを適宜(私はたっぷり)加え、電子レンジで温めた前日の残りご飯と、しっかり混ぜて出来上がり♪

 侘びしい前夜の冷やご飯が、ニンジンとネギの彩りでチョット変身ニンジンのほのかな甘みがおいしい1品です。


2011/8/21

テレビ局の弱体化  はなこのMEMO

 某民放テレビ局が、特定の国家に肩入れし過ぎだ、偏向的だと(特にネット上で)批判を浴びている。利潤追求を旨とする民間放送局とは言え、公共の電波を、総務省の許認可を受けて使用している以上、利潤追求と公共性のバランスを取ることは必要だろう。そのバランスを著しく欠くからこそ、視聴者からの批判が起きていると思う。

 こうした事態になった背景には、視聴率至上主義で番組の価値判断をするようになったことも一因のようだ。番組の質の良し悪しは2の次で、とにかく視聴率を取る為に、ドラマでもバラエティでも、固定ファンを有する有名タレントやアイドルを起用する、或いはセンセーショナリズムに走るで、目先の利益を追い続けて来た。

 その結果、制作現場では創造性に富んだ人材が育たず、自前で優良なコンテンツを創り出すことができなくなっている。広告代理店主導の視聴率至上主義では、視聴率が取れなければ広告収入が減少し、制作予算は削られ、現場の士気は下がり、番組の質は低下する。その悪循環に、殆どの民放が陥っている。そして近年、某局は自局のコンテンツ創造力の低下を、某国のコンテンツ頼みの番組編成で凌いでいる。しかも子会社が某国の楽曲の版権を所有し、制作する音楽番組では、その宣伝活動に余念がない。その身も蓋もない儲け主義に、開いた口が塞がらない。

 実際、いつの頃からか、テレビはつまらなくなってしまった。テレビから発信される情報も、鵜呑みにできなくなっている。我が家は今夏クール、民放ドラマを一切見ていない。ニュース番組も殆ど見ていない。そして、私の知る限り、若者はテレビを殆ど見ていない。その理由は、テレビのコンテンツが質的に、時代の先端にいる若者の感性を捉えるレベルに達していないからだろう。

 どんな時代にも、創造性に富んだ人材は一定割合存在するはずだが、今、テレビ界には集まっていないようだ。そもそも上述のような状況では、創造性に富む人間にとって、全く魅力の感じられない業界だろう。今なら、そうした人材の行く先は漫画やアニメやゲーム業界だろうか?

2011/8/21

世襲制  はなこのMEMO

 ついさっき見たBSジャパンの番組で、脳機能学者の苫米地氏が興味深い話をしていた。日本の政治の改革を妨げているのに国会議員の世襲率の高さがあるが、苫米地氏が計算したところ、世襲議員の当選確率は、一般人の1万〜4万倍だそうだ (はなこの政界進出を妨げているのは、まさにこの格差なのね・笑)

 現在のような時代の変革期には、できるだけ広範囲から優れた人材が出て来て欲しいものだが、世襲議員が跋扈する政治の世界では、それがいかに困難なことであるかを、この数字がいみじくも示しているのではないだろうか?

 また、勝間氏と苫米地氏曰く、女性議員の比率が極端に低い国は、軒並み財政赤字だそうだ。それは社会が保守的であるが故に、女性の社会進出が遅れており、そのような社会では、制度改革もなかなか進まないということらしい。日本は儒教思想の影響が強いのではないかと、苫米地氏。

 両者は女性議員の増加を促す方策として、政党助成金拠出の条件に、議員候補者の30%以上を女性にするよう義務づける等のアイディアを出していた。面白いと思った。

 他に、時限立法的に、東北地方に道州制を導入し、大胆な税制を敷くなどして、東北被災地の復興を推進すべきではないか、との意見が出た。はてさて、既存の政治家は、一体どのような方策を練っているのだろう?今のところ、「増税」しか聞こえて来ないのだが…ホント、能がないね

 道州制は、まさに州が国家並みに立法権・行政権を持つ行政区分であるが故に、権限の弱体化を恐れる中央官庁が絶対に受け入れがたい制度らしい。確か昔、大前研一氏が提唱していたよね。結局、既得権益にしがみつく人々を陵駕する、強力なリーダーが登場しない限り、東北の復興は遅々として進まないし、日本と言う国は世界の変化の荒波にうまく対応できずに、ジリ貧の一途を辿ることになるのだろう。

 出(いで)よ、現代の坂本龍馬、勝海舟、福沢諭吉

 ホント、この国のどこかに、優秀な人材はいると思うんだよね。隠れていないで、早く出て来て欲しい!

2011/8/21

すべては為すがままに…  はなこのMEMO

クリックすると元のサイズで表示します 今日、たまたま息子が、「なんくるないさ」のフレーズが印字されたTシャツを着ていた。沖縄土産のTシャツで、「なんくるないさ」は沖縄の方言で、「(物事は全て)どうにかなるものさ」と言う意味。

 「あれこれ悩んでも仕方ない。物事はなるようにしかならないもの。」と、南国ならではの大らかさで物事を受け止める、沖縄人気質がよく表れた言葉だと思う。

 生真面目一本の日本の主流は「為せば成る」で、南国沖縄の「なんくるないさ」は少数派だと思うが、世界を見回せば、寧ろ「なんくるないさ」的意味合いの言葉が日常的に使われていて、こちらの方が主流のように見える。

英語:"Whatever Will Be, Will Be"

スペイン語:ロ・ケ・セア・セラ "Lo que sea, será"

フランス語: セ・キ・セラ・セラ "Ce qui sera, sera"

イタリア語: クウェル・ケ・サラ・サラ "Quel che sarà, sarà"

ポルトガル語:オ・ケ・セラ・セラ "O que será, será"

アラビア語:イン・シャ・アッラー "ان"شاء الله"


 十年来、家族ぐるみでお世話になっている美容師さんに髪を切ってもらいながらの会話で、乳幼児2人を抱える美容師さんに、「原発事故による放射能汚染は心配じゃありませんか?」と聞いた私に、30代半ばの美容師さんは一呼吸置いて、「まっ、なるようにしか、ならないですよね。もう起きてしまったことだし…」と答えた。

 その一言に、質問を投げかけた私も、妙に納得したのだった。

 震災と原発事故から5カ月。私も、不安がることや、心配することに疲れてしまったみたいだ。

 繁華街で行き交う人々を見ても、まるで何事もなかったかのように、日常を取り戻したかに見える。やや薄暗い照明の下、エアコン使用控えめの室温の中で、例年にも増して、老若男女問わず、肌の露出度が高い軽装が目立つことを除いては。

 いつ起こるとも知れぬ災害への備えをしつつ、同時に「すべては為すがままに」と覚悟を決めることが、今のような時期には最もストレスを軽減する方法のひとつなのかなと思う。

 結局、物事はなるようにしか、ならないのだろう。もちろん、最初から諦めるのではなくて、「人事を尽くして天命を待つ

 自分でやれるだけのことをやったら、後は為すがままに。


2011/8/18

要注意!猛暑は身体に負担をかけている  日々のよしなしごと

 このところの猛暑は、私達が自覚している以上に、身体に負担をかけているのだと思う。盛んに注意喚起されている熱中症だけでない。元サッカー日本代表の命を奪った心筋梗塞等の心疾患や、脳疾患等、注意が必要だ。

 先日、夫の部下に当たる60代の嘱託社員の男性が、出張先で突然倒れ、意識が戻らぬまま亡くなられた。脳疾患だった。ご家族の衝撃と悲しみはいかばかりかと思う。心から、ご冥福を祈りたい。

 今回の出来事は、とても他人事とは思えない。誰にでも起こり得る事態ではないだろうか?身体に変調を来したのは、このところの猛暑も一因ではないか、との疑念が拭えない。


 トルコ旅行から帰った翌日から、夫は通常通りの出勤だったが、いきなりの残業で、しかも帰宅後、慌ただしく会社の人と電話のやりとりをしていた。私が「どうしたの?何かあったの?」と訪ねても、「うん、ちょっとトラブルがあってね」と夫は応えるだけだった。

 そして、翌日昼には、職場の夫から「明日から名古屋への出張が急遽決まったから、準備をよろしく」とのメールが入った。あのハードな旅行から戻って日も浅いのに、猛暑の名古屋へ出張だなんて…と私は訝りながらも、夫の2泊3日の出張に備えた。

 帰宅後、夫から聞いた話は、私にも衝撃的だった。夫の部下に当たる男性が、主張先で倒れ、意識不明の重体なので、当初その方が行く予定だった名古屋へ、急遽夫が赴くことになったと言う。

 結局、その方は、緊急手術の甲斐無く、金曜日に亡くなれられてしまった。翌週には上司として、夫はその方の葬儀へ。通常通り出勤後、少し早めに仕事を切り上げ、夕方からの通夜の手伝いをし、深夜に帰宅。もちろん、翌日は通常通りの出勤である。

 夫にとっては怒濤の10日間だったことだろう。身体の疲労もさることながら、心労が辛かろう。


 このところの猛暑続きで、多くの人々がいつも以上に疲労感に襲われていると思う。寝苦しい夜も続いて、疲労の回復もままならないだろう。

 だから、どうかけっして無理をしないで欲しい。

 自身の身体の声に耳を傾けて、

「疲れたら身体を休める。とにかく横になって目を閉じる」
「喉に渇きを覚えたら十分な水分を取る」
「エアコンの使用を躊躇わない」

 こと
が大事なのではないか? 

 猛暑は、私達が思っている以上に、私達の身体にダメージを与えているだろうから…
 とにかく…

 疲れたら、休もう!

2011/8/13

いつ来るとも知れぬ災害への覚悟と備え  はなこのMEMO

 11日で東日本大震災から5カ月となった。いまだ被災地では87,063人の人々が避難生活を余儀なくされていると言う。津波による甚大な被害と福島第一原発事故のダブルパンチに、自らの保身しか頭にない(と思われる)政府が十分な対応策を取れていない上に、原発事故による電力供給不足が足枷となって、被災地を支えるべき他の地域も身動きが取りにくい状況に陥っている為に、復興が遅々として進まないのではないか?

 特に、原発事故と言う人災が、放射能汚染〜放射線による外部被曝と放射性物質による内部被曝〜で、日本全土を混乱に陥れている。政府の情報隠蔽体質と被災地支援の遅れに、皮肉にも流通システムの発達が後押しする形で、日本全土への「放射性物質の拡散」の危険をもたらし、その結果、被災地と非被災地、東日本と西日本の間に不毛ないがみ合いを生みだしている。

 この非常時に、国民が一丸となって立ち向かわなければならない国難の時に、なぜ国民同士がいがみ合わなければならないのだ?

 その責任は、第一義的には国策として原発設置を進めて来た政府にある。天然エネルギー資源に乏しい我が国において、原発推進がやむを得ない選択であったとしても、設置した責任者として、その維持管理、老朽化への対応を怠って来た政府及び電力会社の過失責任は重大だ。国民同士でいがみ合うのは筋違いというものだ。そもそも、いがみ合っている場合ではない。

 たまたま今まで無事だった場所も、いつ何時、災害に見舞われるか知れない。今、こうしている間にも地震は各地で起きている。地震以外の天災も油断できない。第2、第3の原発事故が起こらないとも限らない。阪神・淡路や新潟中越地方や東北で起きた出来事は、けっして他人事ではないのだ。日本列島に住んでいる限り、私達は、天災や人災は"忘れる間もなく"やって来るのだと、覚悟すべきなのかもしれない。その覚悟が、災害に備える知恵として結晶化したのが、"減災"と言う考え方なのだろう。

 私達は甚大な被害を受けた東北の復興を推し進めつつ、いつ起こるとも知れぬ災害に備えなければならないのだと思う。

 災害への備えに役立ちそうな記事が、新聞や雑誌にあったので、以下にまとめておきたいと思う。

1.現金

外出時に常備:財布に当座をしのぐ為の現金2〜3万円身分証明書

 →身分証明書があると、仮に通帳や印鑑を紛失・消失しても銀行預金を引き出すことができる

非常用持ち出し袋に常備小銭や千円札をまぜた現金を数万円×家族の人数

 →小銭は10円玉や100円玉を。公衆電話は災害時、無料で使える場合もあるが、機種によっては10円玉を入れないと動かないことがある。

2.家族の銀行口座と加入保険の一覧(常に携帯すると共に、非常用持ち出し袋に常備)

銀行預金名義別に銀行・支店名を記入。しかし、防犯の為、口座番号は書かないこと。
 ※災害で家族が離ればなれになった時、お金を下ろしに行く銀行に印をつけ、家族で認識しておく。

 →今回の震災では、消息不明だった家族が地元の銀行で出会えたケースもあった。

保険証券を紛失・流失すると加入保険がわからなくなる為、絶対に作成しておきたい
加入保険の一覧表保険の対象、「誰に(人)」「何に(モノ」)別に表にまとめる

 →災害時に請求漏れを防げるし、リスト化することにより保障の重複を発見して、保険を見直し、過剰な保険料支出を減らすことができる。
 
 他に記入項目として、保険会社名電話番号証券番号

 →保険は原則として受取人が指定されているし、実際の保険金支払いまで段階があるので、銀行口座の口座番号ほど神経質に考えなくとも良い。

 一覧表を作ったら、家族で情報を共有するのが何より大事。1人暮らしの人は、離れた家族と最低限の情報共有を。

(以上、2011/07/19付日経夕刊7面、FP深田晶恵さんの「家計力向上ゼミ」より)


非常持ち出し品リスト

水と食料品

 災害発生時、まず人命救助が最優先で、物資や給水等の救援体制が整うまでに約3日、72時間かかると言われている。その間、停電・断水でも困らないように、家族の人数に応じた3日分の飲料水・食料の確保が大切だ。

1.飲料水1日1人3リットル×3日分

2.非常用缶詰・レトルトパック
 少量でも腹持ちの良いパンや乾パン、プルトップ式や缶切り付きの缶詰。
 煮物、カレー等、常温で食べられるレトルトパック。

 →非常用の缶詰は保存期間が3〜5年と長い。
 1年に1度、賞味期限、中身の点検を。

3.お菓子:保存がきく飴・ようかん等

【緊急用品1】防災用品

4.アルミマントレインコート
 
 →アルミマントは軽量・超薄型で、防寒、防水効果が高く、身体に巻き付けると温かい。

写真は我が家の充電ラジオ"CUTEBEAT"(東芝エルイートレーディング)。背中のハンドルを1分間に120回まわして充電すると、ラジオが約30分間使えます。他に携帯電話の充電機能(機種による)やライト、サイレンも備えているスグレモノ。乾電池使用の場合は、単4乾電池2本で。ラジオの感度もなかなか良し♪
クリックすると元のサイズで表示します 5.携帯ラジオ・懐中電灯:AM,FM両局入るもの。携帯電話手動充電器、ライト付も便利。

6.予備の乾電池:手持ちのラジオ、懐中電灯の電池の種類を確認して、予備を持つ。

7.
 →声が出せない時も、笛があれば居場所を伝えたり、人を呼ぶことができる(私は携帯電話に小さな笛を取り付けている)

8.ローソク、マッチ
 →災害用の長時間(24時間)点灯するもの、安定感のあるものを常備。マッチ、着火ライターも。

【緊急用品2】身の回りの物で防災用に転用できるもの

9.サバイバルナイフ
 →小型ナイフ、ハサミ等がコンパクトに収まっていて便利

10.古新聞、風呂敷
 →新聞や風呂敷を服の間に入れたり、身体に巻いたりして保温。
  新聞紙を何枚か重ねて断熱マットに。
  食器代わりに→新聞紙で紙皿を折り、ビニール袋やラップでくるんで使う。
  風呂敷は包帯、止血帯、マスク代わり。
  棒に結んで旗として。
  授乳や着替えのちょっとした目隠しに。
  重い物を運ぶ時にも…と幅広い用途!

11.タオル
 →何枚か重ねて落下物から頭を保護。

12.ラップフィルム・割り箸等
 →ラップフィルムで食器を覆いながら使うと、水が使えない時に便利。
  絆創膏や包帯が足りない時は応急処置として、傷口を水で流してから、ラップフィルムを巻き、包帯の代わりに。
  骨折した時にも、固定する棒をあて、救急用三角巾の代わりに。
  強度があるので、ロープや紐の代わりにも使用可。

13.ポリ袋・ゴミ袋
 →大きめのゴミ袋は顔と腕を出す穴をあけてかぶると雨具に。
  簡易トイレとしても使用可。
  腕を負傷した時の三角巾代わりに→手提げ用ビニール袋の両脇を切って腕を入れ、手提げ部分を首からかける。
  ペットボトルやポリタンクがない場合に、手提げ用ビニール袋を二重にし、水を入れて運ぶ。
  大きいゴミ袋を段ボールにかけて、バケツ代わりにも。  

【保健・衛生】

14.絆創膏、常備薬、衛生用品、使い捨てカイロ、歯ブラシセット、マスク(←埃対策)等 

15.ウェットティッシュ、ポケットティッシュ、トイレットペーパー

【貴重品】 

16.健康保険証コピー:家族分 

17.テレフォンカード

18.筆記用具と布製のマジックテープ
 →避難場所や伝言をガムテームにマジックで書いて、家族が立ち寄りそうな場所に貼る。粘着力が強い為、外壁等にも貼ることができる。
  ガムテープは物の補強、また怪我の応急処置の道具が何もない時に、大きな傷口等を防ぐ止血材に。

クリックすると元のサイズで表示します19.家族の写真(安否確認と心の支え)

20.住所録

21.防災手帳

衣類

22.軍手

23.帽子(ヘルメット)

24.下着

25.運動靴 (室内でもガラス等が散乱して危なかったりするので、すぐに履けるように、非常用持ち出し袋と一緒に保管)

26.ソーイングセット

 他にお子さんのいる家庭は、母子手帳夫の名刺(裏に緊急連絡先)、着替えおむつおんぶ抱っこひも粉ミルクほ乳瓶ベビーフードおもちゃぬいぐるみお絵かきセット

高齢者家庭は、診察券服用中の薬3日分緊急連絡先等。

(以上、『婦人之友』9月号より抜粋。一部はなこによる補筆あり。本誌の「地震に備える」特集は時機に適った有用性の高い内容であり、講読をオススメする。なお、記事中で貴重品として、銀行口座控え、印鑑、印鑑証明コピー等もリストに挙がっていたが、先に掲げた記事での指摘<防犯上の問題>もあり、それらを非常時用持ち出し品として常備するか否かは、各自の判断で。)

 ポケットティッシュや軍手をはじめとして、今ではいろいろな物が100円ショップで調達できるので、それほど金銭的負担がかかることなく、殆どの物が用意できると思う。

 また、今回の震災報道で気になったのがメガネだ。震災でメガネをなくしたり破損して困っている人が多く、あるメガネ店が中古のメガネを緊急措置として提供したとの報道を目にした。私の夫や息子もかなりの近眼で、万が一メガネが使えなくなったら、途端に生活に支障を来してしまうだろう。メガネなしで生活ができない人は、非常時用持ち出し袋に、是非予備のメガネを用意しておくことをお勧めしたい。



2011/8/9

7泊8日トルコ周遊記(3)  海外旅行(旅の記録と話題)

ツアーはイスタンブールを出発点に、バスを駆って反時計回りに観光地を巡り、アンカラから寝台特急でイスタンブールへと戻った。

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 周遊記3回目の今回は、ツアー・スケジュールについて。初回に書いたように、今回のトルコツアーは、正味6日間で日本周遊に相当する距離を見て回る、所謂"強行軍の欲張りツアー"(笑)であった。ホテル到着は噂ほどの遅さではなかったが、朝は7時半ホテル発が当たり前の慌ただしさだった。余韻もへったくれもない(苦笑)。やっぱりスケジュールには無理がある?!

 それを裏付けるように、ネットで調べてみると、「トルコ周遊なら最低でも10日間は欲しい」と言うコメントが、旅行のプロやツアー参加経験者の間でも圧倒的だ。但し、私の利用した旅行社だけが、このような無理矢理な日程を組んでいるというわけでもない。

 今回のトルコツアーは以下のようなスケジュール(予定)であった。

第1日:正午発、トルコ航空直行便で空路イスタンブールへ。同日夕方イスタンブール着。ホテルへ。

第2日:バスに乗ったままカーフェリーでダーダネルス海峡を渡り、途中で昼食をとった後、トロイ遺跡で1時間ほど観光。その後、バスで宿泊先のアイワルクへ。

第3日:バスで古代ローマ遺跡エフェソスへ。途中、アルテミス神殿跡でフォトストップし、トルコ石を扱う宝飾店に立ち寄り、さらにレストランで昼食後観光。その後、バスで宿泊先のパムッカレへ。途中、革製品の店に立ち寄る。

第4日:バスで一路、パムッカレの石灰棚へ。1時間ほど滞在し、足湯体験やアンティーク温泉プールの見学。その後、次の観光&宿泊先であるコンヤへバスで移動。途中で昼食。コンヤ着後、外壁の装飾が美しいインジェ・ミナーレでフォトストップした後、旋舞で有名なイスラム教の一派の創設者、メブラーナを顕彰する博物館へ。

第5日:奇岩で知られるカッパドキアへ。途中、シルクロードの隊商宿キャラバンサライトルコ絨毯工場へ立ち寄る。昼食は洞窟レストランで名物のマス料理。慌ただしく観光後、アンカラへ。駅構内のレストランで夕食後、22:30発の寝台特急アンカラ・エクスプレスでイスタンブールへ。車中泊。

第6日:朝から休む間もなく、イスタンブール市内観光。ブルーモスクアヤソフィアリュステムパシャモスク、イスタンブール随一の目抜き通りイスティクラル通り散策。OP申し込みの人は、夜、ベリーダンスショーへ。イスタンブール泊。

第7日:出発まで自由行動、となっているが、OPとしてボスポラス海峡クルーズ有り。正午前にOP参加者とそれ以外のツアー客が合流し、レストランで昼食。その後、グランバザールを見学。その後、空港へ。夕方発のトルコ航空で帰国の途へ。機中泊。

第8日:午前10時過ぎに成田空港着。

 
クリックすると元のサイズで表示します 現地トルコ人ツアーガイドも言っていたが、トルコで催行される日本人向けツアーの約9割は、日本人向けツアーを専業とする現地旅行代理店D社が、バス、現地日本語ガイド、ホテル等の手配を一手に引き受けている。つまり、日本で申し込んだ旅行社がたとえJTBでも、近ツーでも、HISでも、阪急でも、タビックスe.t.c.でも、トルコ側の受け入れ先が1社なので、旅程は似たり寄ったりなのだ。

 その証拠に、日本出発日が同じならば、観光地でも、移動中の立ち寄り先でも、昼食をとるレストランでも、ホテルでも、ほぼ毎回、他社催行のツアー客と鉢合わせとなった。遠路はるばるトルコに来たのに、どこに行っても日本人だらけ、と言う笑うに笑えない状況だ。それは特に地方廻りで顕著だった。さらに最近の傾向なのか、中国人、韓国人のツアー客との鉢合わせも少なくなかった。

 
 ことレストラン&土産物店に関しては、アジア系御用達の店でもあるのだろうか?もしかしたら、同じ時間軸で動いているアジア系 (←短期間に効率的に観光地を巡る。来日する中国人団体ツアーも同様の傾向があることから類推するに、欧米のようにゆったりバカンスを過ごす習慣が元々なく、職場で長期休暇の取得もままならないアジア系では、特にその傾向が強い?)ゆえに、受け入れ先も限られていて、鉢合わせになってしまうのかもしれない。

 
 下写真はトロイ遺跡に行く前に昼食をとったレストラン兼土産物店「アゴラ」。周りに何もない田舎に突如現れた、真新しく瀟洒な建物(つまり、どう見ても観光客向け)。まだオープンして間もない店らしい。しかし、レストランでは蠅がブンブン飛び回っていて、私達の食事を狙い撃ち最初は驚いたが、昼食会場はどこもそんなものなので、そのうちに慣れてしまった。開口部を開け放しているので、どうしても蠅が入って来てしまうのだ。レストランには韓国語や中国語の表記もあったので、アジア系団体ツアーの利用が多い店なのだろう。他にビュッフェ・スタイルのレストランもあった。

クリックすると元のサイズで表示します 沿岸部のリゾートホテルや温泉で目にした白人系の旅行者の殆どは、旅行記初回でも登場したロシア人だった。ツアーガイドの話では、ロシア人は夏の間、特に地中海に面したリゾート地アンタルヤのホテルを拠点に長期滞在し、そこからトルコ各地の観光地へ小旅行すると言う。

 因みにトルコを訪れる外国人観光客で最も多いのは、トルコから多くの移民を送り出し、経済的にも繋がりの深いドイツからの観光客らしいが、ロシア人も堂々上位に食い込んでいる。アジアからは、日本人が年間約15万人(注:ガイド談、因みに駐イスタンブール日本総領事館調べでは、昨年度は「トルコにおける日本年」で190にも及ぶ関連行事が実施され、過去最高の19.5万人がトルコを訪問したらしい)で、唯一ベスト10にランクインしているらしい。ツアーガイドはフランスを訪ねる日本人の数(約60万人/年)と比較して、もっと多くの日本人に来て欲しいと言ったが、トルコがフランスほど知名度が高くない中で、15万人と言う数字は想像以上に多いと個人的には思った。

 もちろん、トルコの観光資源の質と量を以てすれば、さらなる飛躍は可能だろう。ただひとつ懸念するのは、一部?観光業者が日本人を金づるとしか見ていない点である。今後も「気前良くお金を落としてくれるから歓迎する」と言う態度なら、トルコと言う国に魅力を感じ、再訪したいと感じた人ほど、(観光を通じて出会った一部トルコ人の印象から)トルコ人に対し、全幅の信頼を寄せることに躊躇するだろう。

 地方では(おそらくお互いに)うんざりするほど日本人と鉢合わせた一方で、夏のバカンスシーズンとあって多くの観光客でごった返す、商都イスタンブールの歴史的景観地区では、聞き分けることが出来ないほど様々な言語が飛び交い、多くの国々から観光客が訪れていることを実感した。せっかくの機会とばかりに、入場待ちの列で一緒になったポーランド人や、イギリス人と英語で話したり、施設内の英語ガイドやイタリア語ガイドに聞き耳を立てたりした。

クリックすると元のサイズで表示します 確かに流ちょうな日本語ガイドで細かな解説が聞けるのは便利なのだが、いかんせん外国に来たと言う実感が乏しく、今ひとつ旅の醍醐味に欠ける(←だったら最初からツアーなんかに参加するなよ、と言う話になりそうだが、参加してみての実感なのだ。ガイドの日本語が上手過ぎて不満とは、何て皮肉な話だろう)。実際、前回のイスタンブール滞在は個人旅行だったので、何から何まで自分でやらなければならず、それなりに大変ではあったが、その分異国に来た実感があった。次回は機会があれば、是非個人でイスタンブールとカッパドキアを訪ねてみたいと思う。

 
 さて、今回私が参加したような、ピンポイントで主だった観光地を巡るツアーのことを、さる経済評論家は「額縁ツアー」と呼んでいた。駆け足で巡るゆえに、それぞれの観光地をじっくり味わうことなく、とにかく足を運び、雑ぱくに捉えただけのツアーを揶揄したものだろう。しかし、この額縁ツアー、「現役時代、長い休暇は取りづらい、でも海外旅行をしてみたい」と言う日本人の切なる願い?を叶えたコスパに優れたツアーには違いないのである。

 冒頭で「トルコ周遊なら10日間は欲しい」と言うコメントを取り上げたが、今回、同日に日本を出発した10日間のツアーは、私が見た限りでは殆ど70代のリタイヤ世代だった。一方、日曜出発、日曜帰国の私達のツアーは、週日の5日間だけ休みを取れば良いこともあって現役世代が多数を占め、夏休みを利用した学生のグループもいて、ツアー参加者の年齢が適度にばらけていてた。もちろん、リタイヤ世代もいたが、この老若男女がバランス良く揃ったことで、特に中高年世代にとっては、厳しい日程の中でも、溌剌とした若い世代の姿に元気づけられる副次効果があったようだ。

 1週間を越えるパッケージツアーでは、案外これは軽視できない要素のような気がする。10日間のツアーの方々とは途中までずっと一緒だったのだが、終始ベテラン添乗員がツアー参加者を気遣って、お節介なくらい話しかけていたのが印象的だった。その一方で、私達のツアーは世代を超えてツアー参加者同士での交流が盛んで、若い女性添乗員がべったり参加者に張り付くような場面は皆無だったように記憶している。

 ところで、私が参加したツアーは所謂格安ツアーであったが、サーチャージを加えても20万円に満たなかった。通常、夏休み期間のトルコ8日間ツアーの価格相場は25万円前後である。それにサーチャージを加えれば、10万円近い差額がつく。

 この差はどこから来るのかと言えば、まず、最少催行人数の違いであったり(つまり薄利多売の法則で安い分ツアーの参加人数が多い)、ホテルのグレードにさほどの違いはないが立地が街の中心部か郊外か、バスがゆったりした3列席(VIPバス)か通常の4列席かの違いであったりする。また、同じ観光地でも訪問場所の数が違ったり、細かなところでは入場観光か外観を見るだけの下車観光か、オプショナルツアーなしで全ての観光をカバーしているか、一部OP(格安ツアーの場合、OP価格が相場より高く設定されている印象)対応かの違いも出て来る。そして客単価で差がつけやすい食事の質&量と、トルコの場合、アンカラからイスタンブールへの移動を寝台特急にするか飛行機にするか(移動時間短縮でカッパドキアの洞窟ホテルに宿泊可能)等、細かな要素の違いの積み重ねで、結果的に大きな価格差が出て来るようだ。

 今回、ツアーを選ぶにあたって数社のツアーを比較検討したが、おざなりなカッパドキア観光に多少不満はありつつも、格安ツアーながら往復直行便利用であること(通常、格安ツアーは仁川やモスクワでの乗り換え便であることが多い)と、主だった観光地は一応殆ど押さえていることから、このツアーを選んだ。

 唯一の懸念は、観光途中に立ち寄る3つの特産品店だった。ショッピングを抱き合わせることによってリーズナブルなツアー価格を実現していることは知りつつも、正直3店は多過ぎると思った(もっとも通常価格のツアーでも、3店の内何店か組み込まれているようだ。JTBは行く行かないを選択できるらしい)。各店の滞在時間が、観光時間と同等かそれ以上なのにはやはり閉口した。

 店のドアは固く閉じられ、窓のない部屋で、店員が客に張り付いて執ように商品を勧める。もちろん、店外に出ようと思えば出られるのだが、店の立地は周辺に何もない孤立した場所で、買い物に興味のないツアー客には実質逃げ場がない状態だ(少なくともヨーロッパではそんなことはなかった)。今まで数多くの国内外のツアーに参加した私でも、こんな経験は初めてであった。

 幾らその土地の特産品とは言え、一品数万〜数十万円、物によっては百万円以上もする品である。元々それが目当てでツアーに参加したのならともかく、その場の雰囲気で、つい買ってしまった人も中にはいたのではないか。衝動買いにしては随分高い買い物である。その時の店員の説明も、帰国後、私なりに真偽を調べてみると、疑わしいものがあった。帰国後、あやかしの魔法から覚めて、「ちょっと高い買い物だったかな」と軽い後悔をした人々の姿が、目に浮かぶようである。

 ただ、ものは考えようで、こうした店での買い物は「ツアー価格を抑えて、旅の思い出となる品が入手できて」「現地独特の価格交渉に慣れていない、しかも時間も限られたツアー客には好都合」とも言える。それで十分満足している人に、わざわざ「あなたはまんまと騙されましたね」と言うのも、意地が悪い話だろう。

 結局、ツアーに何を求めるかは人それぞれ。買い物にあまり興味のない私はトルコ商法に辟易したが、ツアー価格(夏休みでサーチャージ含めて20万円弱)からすれば、この程度のことは我慢しなければならないのかもしれない。世界三大料理のひとつにも数えられるトルコ料理とは俄に信じ難い(笑)侘びしい食事にも文句は言えまい。何より、私が最も期待した「トルコの観光資源の豊かさ」は、疑いようのない事実だったのだから

 次回は個人で、何度訪ねても飽きることのない華やかな商都イスタンブールと、今回のツアーでは見足りなかった奇観のカッパドキアを再訪してみたい。


2011/8/8

7泊8日トルコ周遊記(2)  海外旅行(旅の記録と話題)

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 上掲地図の通り、トルコ共和国〜通称トルコは、アジアヨーロッパにまたがる国で、国土の北は黒海、南は地中海・エーゲ海に面し、西はブルガリアギリシャ、東はグルジアアルメニアイランイラクシリアと接している(地図を見て、夫が一言。「トルコって、きれいに横長の枠に収まるんだねえ…」確かに)

 西の隣国ギリシャとは未だにキプロスの領有権を巡って対立しているし、東の隣国群は政情不安な国々が多く、そこから、思わぬ火の粉が降りかかって来るやも知れない危険性を孕んでいると言えるだろうか?日本も隣国との関係には常々頭を痛めているが、トルコは国境を接しているだけに、日本以上に緊張を伴うものなのかもしれない。

 実際、私達の旅行中、トルコにおいても不穏な空気が流れていたように見えた。詳細は不明だが、イスタンブールでは反政府デモが行われたようだし、軍幹部がクーデーターを画策したかどで逮捕されたのをきっかけに、陸・海・空軍を統括する将軍辞任(←トルコではかなりの影響力を持つ実力者らしい)のニュースが、現地の英字新聞の一面トップを飾り、BBCやCNN中東版ニュースでも大きく取り上げられていた。海外に行くと、こうした現地ならではのニュースに接することができるのも、旅の醍醐味のひとつと言えるだろうか。

 先の震災と原発事故以来、日本のマスコミ報道(特にテレビ・ジャーナリズム)は、時間の多くを、震災と原発関連に割いている。世界は、否、この日本でさえ、刻一刻と動いているのに、マスコミの時間はまるで震災のあの日から止ってしまったかのようだ。

 もちろん被災地のことを蔑ろにしても良いとは言っていない。要はバランスの問題で、被災地の現状をレポートしつつ、同時に「日本の将来を方向づけるような重要法案が十分な議論も尽くされぬまま可決されはしないか?」「震災・原発事故以外に、日本の根幹を揺るがすような重大事故・事件・現象が看過されてはいないか?」「我々が国内問題だけに目をやっている間に、世界の大きな変化を見過ごし、国として打つべき手を打たずに、将来に禍根を残すことになってはいないか(特に政治家が政局争い、権力維持に奔走する余り、しかるべき政策を実行しないのは大問題だ)?」、マスコミは常に監視し、適切な情報を適時、国民に伝えるべきだと思う。しかし現状は、震災・原発関連のニュースでさえ、国民の知るべき情報が正しく伝えられているのか、その信頼性に疑問符がつく。

 実は、海外に一時でも我が身を置くことで、世界における日本の現在の位置づけについても、否応なく考えさせられるのだ。海外で接触する諸外国の人々とのコミュニケーションを通じて、日本が、日本人が海外でどのように見られているか、評価されているかの一端を肌で感じることができる。それは必ずしも心地良い実感ばかりではない。

 海外旅行は、少なくとも私にとって、ただ「楽しい」「面白い」「おいしい」だけでない。母国日本から一旦離れることで、母国を冷静に客観視する機会が与えられる、とでも言おうか。そして、母国を相対化して見ることは、様々な事象・現象の本質を冷静に洞察することに応用できるではないか。その意味で、私の海外駐在体験は、私自身にとって、思索を深める上でのターニング・ポイントだったように思う(しかも赴任先が英米のようなメジャーでなかったことも、世界をより多角的な視点で捉えるという意味で、私には良かった)。



 些か脱線が過ぎた。トルコに話を戻そう。

 トルコ語による正式国名は、Turkiye Cumhuriyeti(テュルキエ・ジュムフリイェティ←言えない!覚えられない!)通称 Turkiye(テュルキエ)。公式の英語表記は、Republic of Turkey

 現在の共和国体制になったのは、第一次世界大戦後の1923年。それまでは15世紀以来、約470年間、オスマン帝国として繁栄し、最盛期には中央ヨーロッパ(今のハンガリー)から中東アフリカ(今のモロッコ、エジプト、イエメン)までを手中に収めて、一大帝国を築いていたらしい。さらに遡れば、紀元前は海岸地帯からギリシャローマが進出して都市を築き、その後コンスタンチノーブル(イスタンブール)を拠点に東ローマ(ビザンチン)帝国が幾度かの没落・再興を繰り返しながら、オスマン帝国に滅ぼされるまで続いたと言う。

 トルコの民族構成は大きくトルコ人クルド人に分けられると言うが、これがまた複雑。現在のイスラム教徒トルコ人がトルコに来たのは11世紀頃らしい。彼らは中央アジアから流れ着いたと言われているが、一口にトルコ人と言っても、歴史的に周辺諸国からの流入が相次いだので混血化も進み、中央アジア系ヨーロッパ系アラブ系原種?のトルコ人系と多岐にわたり、容貌で「これぞトルコ人!」と言う典型を見いだすのは難しいようだ。クルド人にしても、出身地によりトルコ系イラン系イラク系アフガン系がおり、一様でない。さらに、黒海沿岸にはどちらにも属さない少数民族が存在すると言う。

 確かにトルコ人の容貌はさまざまだ。トルコ航空のクルーやレストランで働く給仕を見ても、金髪碧眼のヨーロッパ系、親しみを覚えるのっぺり顔の中央アジア系、黒髪に太眉の目鼻立ちのハッキリとしたアラブ系等、人種が入り乱れていた。肌の色も白人に近い人から浅黒い人まで、いろいろ。特に世界各国からの観光客でごった返すイスタンブールでは、大都市イスタンブールがそれだけ世俗化が進んでいることもあるが、トルコ語をしゃべらない限り、トルコ人とは見分けがつかない人が多い。

 アラブでは一般にやはりシルクロードの発展で混血化が進んだ、レバノンシリアが美人の産地として有名だが、トルコもその意味で美男美女が多いお国柄なのかもしれない。

 これだけ人種のるつぼであるトルコ。長い年月の間に様々な人や物が行き交うことで、トルコから世界に発信された物も多いようだ。トルコ発祥の物を以下に挙げてみる。

クリックすると元のサイズで表示します 一番有名なところでは、チューリップの花。トルコを代表する花であり、トルコの名産品である皿や絨毯やタイルにもモチーフとして使われているほどだ(右写真は、イスタンブールにあるリュステムパシャモスク内壁を彩るタイルの一部)。 

 チューリップはトルコ語で「ラーレ」と呼ぶらしいのだが、チューリップをヨーロッパに伝えたと言われるオーストリア大使が花の名前を尋ねた時に、その場にいた男性のターバンのことを聞かれたと思ったトルコ人が、誤ってトルコ語でターバンを意味する「チュルバン」と答えてしまったことから「チューリップ」と言う名前で広まってしまったらしい。

 チューリップはヨーロッパでも人気を博し、海運大国として富を欲しいままにしていた17世紀オランダでは、チューリップの球根が投機の対象にもなり、チューリップ相場はバブルを引き起こしたと伝えられる。その後、オランダに定着したチューリップは品種改良が進められ、今ではその一大生産地として、原産国のトルコよりオランダの方が有名になってしまったようだ。

 日本では「ブルガリア」が代名詞とも言えるヨーグルトも、実はトルコが発祥の地と言われている。トルコ語で「撹拌する」を意味する「ヨーウルマック」が変化して、トルコでは「ヨーウルト」と呼ばれているらしい。トルコとトルコ以外のヨーグルトで際立った違いと言えば、トルコで人気の「アイラン」と呼ばれるヨーグルトドリンクは塩味なところだろうか。

クリックすると元のサイズで表示します 他にドネル・ケバブ。ドネルとはトルコ語で「回転する」の意。羊肉などを回転する機械に取り付け、じっくり炙る料理だ。ナイフで表面をこそげ取るように肉を薄くスライスして、バターライスと共に食べる。これは中東で広く普及していて、ヨルダンでもよく見かけた。最近は日本でも時々見かけるようになった。今回のツアーでも昼食に出された(右下写真)

クリックすると元のサイズで表示します ピデと呼ばれる、薄い生地にスパイシーな味付けの挽き肉と野菜のペーストを付けて焼いたものは、ピザの元祖と言われている。

 楽器のシンバル。これもトルコ発祥。なんでも15世紀頃、オスマントルコの軍隊が敵を威嚇する為に金属板を打ち鳴らしたことが始まりらしい。

 種々の絵の具を水に垂らして、かき混ぜ、それに紙や布を浸すと、美しいマーブル模様が出来上がる。これはトルコでは500年続く「エブル」と呼ばれる伝統芸術なんだそうだ。トルコ女性のおしゃれに欠かせない色鮮やかなスカーフも、この技法で作られたりするらしい。確か、息子が小学生の時に、「マーブリング技法」と称して絵画教室で作品を作ったことがあったなあ。トルコの伝統芸術が一般化した好例だろうか。

クリックすると元のサイズで表示します さらにトルコ人が「世界に誇る我が国の伝統工芸品」と胸を張るのは、言わずと知れたトルコ絨毯。そもそも絨毯はトルコが発祥で、トルコ人がペルシャ人や中国人に、その技法を教えたと力説する。しかも、ペルシャや中国が縦糸1本に色糸を結ぶシングルノットで織り込んでいるのに対し、トルコは縦糸2本に色糸を結ぶダブルノットで織り込んでいるので、堅牢性に優ると言う(左写真は絨毯工場での1コマ。織子は床に胡座居になって織機に向かい、殆ど手を休めることなく、規則的な動きを目にも止まらぬ早さで繰り返し、ひたすら糸を織り込んで行く。集中と忍耐を要する作業だ。)

 ツアー途中カッパドキアで絨毯工場に立ち寄って、実際の製作工程や商品を見せて貰ったが、織りの繊細さ、デザインの美しさ、手触り、光沢等、素人目にも素晴らしい物だった。織子の女性達が気の遠くなるような時間と労力を費やして仕上げる手織りの絨毯に、幾ら何でも粗悪品はなかろう(でも買う、買わないは、また別の話写真はシルクの絨毯の一部分。目が詰まっており、角度によって色合いが微妙に違って見える)

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 私達が知らないだけで、トルコ生まれの物が、私達の身近には結構あるようだ。


2011/8/6

息子の"ヘラ絞り"技法(金属加工)体験  家族のことつれづれ

クリックすると元のサイズで表示します 昨日、息子がロボコン実行委員会からの誘いを受けて、町工場の見学に出かけた。その手土産が写真の金属器である。なんと工場の職人さんから直接手ほどきを受けて、息子が自ら手がけた"作品"だった素人目には、初めてにしては素晴らしい出来映えだが、本人曰く、「表面がザラザラしてイマイチ」らしい。

 これは「ヘラ絞り」と呼ばれる金属加工技術を用いて作った物だ。身近なところでは灰皿やタライやビアマグ等が、この技法を用いて作られていると言う。

 「ヘラ絞り」と言っても、素人には何のことやらさっぱり見当もつかないが、資料映像を見る限り、要するに、元は平らな金属を、機械に装着して回転させながら、ヘラを巧みに用いて様々な形に加工する、金属加工技術のひとつのようだ。まさに職人技の世界である。百聞は一見にしかず。you-tubeに投稿画像があったので、興味のある方は下記のリンクでご覧あれ。

"ヘラ絞り"金属加工技術映像1
"ヘラ絞り"金属加工技術映像2

【解説】ヘラ絞りとは(ウィキペディアより)

 訪問先の工場には、毎年ロボコンの優勝トロフィーを制作していただいている縁で、今回の見学が実現したようだ。この工場はパラボラアンテナのベース製作を得意としており、過去にテレビ制作会社の依頼を受けて、バラエティ番組の罰ゲームで上から落とされるタライを作ったり、最近ではペプシコーラのCMで、小栗旬らタレントと並んで置かれた巨大なボトルを特注で仕上げたことがあるそうだ。金属加工技術では結構名の知られた会社のようである。

今野工業株式会社
 金属加工の川崎マイスター鍵屋清作氏

クリックすると元のサイズで表示します 息子は月末のロボコンに向けて、ほぼ毎日、平日、土日に関係なく朝から晩まで、大学の部室に籠もってロボット製作に熱中しているが、その合間を縫って部長としての仕事をこなし、こうしたイベントに参加しているようだ。ロボット製作に関しては既に尻に火が点いた状態で、イベントどころではないはずなのに、内心の焦りを隠して参加した工場見学。現場に行ってみると、学生で参加したのは息子だけらしい。

 本人は「時間が足りない」としきりにボヤクが、私は大学に入学してからの彼が、こうしたイベントへの誘いと言い、部長就任と言い、何かに導かれるように、様々な学びの機会を与えられているような気がしてならない。親の知らない世界に、どんどん足を踏み入れて行く彼が、日々経験知を蓄えて行く姿に、頼もしさを感じるのだ。

 本人にしてみれば確かに今は大変なのかもしれないが、経験するすべてのことが彼の血となり肉となり、彼の将来を方向付けて行くような気がする。これからも忙しさにへこたれることなく、与えられたチャンスに果敢に挑戦し続けて行って欲しいと思う。

 まっ、外野が「頑張れ」と言うのは簡単だが、当の本人にすれば迷惑この上なく、「ウルセー言われなくても頑張っているわい」と、息子からは怒られそうだ

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2011/8/6

7泊8日トルコ周遊記(1)  海外旅行(旅の記録と話題)

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 先週、7泊8日の旅程でトルコに行って来た。限られた日数で効率的に周遊したいと思い、昨年のスペインと同様、旅行社提供のフルパッケージツアーに参加した。

 トルコは再訪である。中東駐在時、現地の宗教行事に因む休暇を利用して、イスタンブールに数日間滞在したことがあった。当時2才だった息子は、今回大学の部活動で忙しく(ロボコンに向けてロボットを制作中)、残念ながら同行していない。

 トルコはアジアの西端に位置し、東西文明の十字路と言われたイスタンブールでヨーロッパ大陸と接している。エーゲ海沿岸部には古代ギリシャ・ローマ遺跡群、内陸部には、白い石灰棚の連なりが美しいパムッカレ温泉郷、奇岩で知られたカッパドキア等、観光資源に恵まれ、見どころが盛りだくさんな国だ。

 実のところ周遊ツアーとは言え、今回は東西に横たわるトルコの西半分しか観光していない。それでも日本全土に匹敵する広さなので、正味6日間で北海道から沖縄まで観光したに等しく、まさしく駆け足の強行軍であった。けっして大げさな話ではなく、1日の大半をひたすら移動に費やし、観光できたのはたったの1時間、と言う日もあった。

 周遊ツアーの何が一番辛い(面倒)かと言えば、毎夜のパッキングである。今回は連泊が一切なかったので、まさに連日連夜、移動と観光でくたくたになった身体に鞭打つように(笑)、パッキングに明け暮れた。さらに、そんな弱った身体と神経に追い打ちをかけるように、折しも旅行中トルコには、南方から熱波が襲い掛かっていた。ヒェ〜(>_<)。

 しかし、そんな中でもトルコ行脚を楽しんでいる自分がいた。何より目にするもの、耳にするもの、口にするもの、すべてが興味深く、私の飽くなき好奇心をそそるのだ。また、現地トルコの人々との触れあいを通じて、彼我の違いを感知したことは、好悪の感情もひっくるめて、貴重な異文化体験であったと思っている。


パムッカレ最高!

クリックすると元のサイズで表示します 今回の旅行で最も感動した場所は、パムッカレであった。パムッカレとは「綿の城」を意味し、当地がかつて綿の産地であったことに由来すると言う。豊かな自然の恵みもあって古くから栄えた地域らしく、古代ローマ時代の都市ヒエラポリス遺跡が隣接してあるが、今回はその遺跡を横目に、一路パムッカレの石灰棚へと向かった。

 小高い山の頂上から麓に向かって棚田のように連なる石灰棚。棚の窪みには温泉を湛えている。雲一つない晴天の下、空の青さを映し出すように、温泉水はその清澄な青さで、石灰の白さと美しい対照を見せていた。窪みに溜まった温泉は、刻一刻と変化する空の色を映し出すらしい。できることなら日がな1日留まって、その移ろいを見てみたかった。

 私達観光客は、頂上で靴を脱ぎ、裸足になって、石灰棚を下って行く。さながら歩きながらの足湯体験だ。水の流れていない部分には砂利が溜まり、足裏を容赦なく突き刺す。片や水の流れている部分は浸食で地肌が滑らかになっており、緩やかな傾斜も相俟って足下が滑りやすくなっている。何れにしても慎重に足を運ばなければならない。遠近の景色を見遣りつつ、足下にも注意する〜これが結構難しいのだ

 片道20分は要しただろうか?時間の制約もあって、ツアー客の殆どはここまで来ない。しかし、来ただけのことはある。眼前に広がる石灰棚(正式名称:温泉石灰華段丘。小規模の物は鍾乳洞内でも見られる現象らしい)の連なりは、まさに自然が作り出した優美な奇観だ。長い年月の間に、流れ出る温泉水に含まれる石灰分が、山の斜面に沈殿後堆積し、棚を形成した、と言えばそれまでだが、人間の作為を越えた自然の営みのスケールの大きさには圧倒されるばかりだ。目前に無人の景色を見ながら、その雄大な眺めを独り占めしたような気分に浸った(因みに、麓から登って来る見学ルートもあるらしい)

 なお、パムッカレは、隣接するヒエラポリスと共に世界遺産に登録されている。残念なことに観光地化が進んだのに伴い、近年は温泉量が減少し、温泉水が流れなくなった場所は石灰岩が酸化してしまったのか、茶色く変色してしまっている。これ以上の環境悪化を防ぐ為、石灰棚への土足での立入を禁じたり、温泉水の取水制限を行う等して、現地の人々も保全に努めているようだ。個人的にもパムッカレは、今回のトルコの旅で最も印象深い場所だっただけに、その保全は気になるところだ。

クリックすると元のサイズで表示します ところで、日本からトルコ・イスタンブールへと向かう機中で、航空路の軌跡をパーソナルモニターで確認していた時に気づいたのだが、トルコとロシアのモスクワは思いの外近い。その為か、トルコの暑い夏を楽しむロシア人の姿を、リゾート地で数多く見かけた(写真はアンティーク温泉プール。水底に古代遺跡が沈んでいる。ロシア人で大賑わい。そこかしこでロシア語が飛び交い、果たしてロシア人以外いるのか?と言う印象)

 パムッカレでも、近くにある温泉プールから石灰棚の温泉に向かうロシア娘が、大胆なビキニ姿で闊歩している姿に出くわし、こちらの方がドギマギしたくらいだトルコ共和国建国の父、アタチュルク初代大統領の発案のもと政教分離が徹底し、他のイスラム国からは「享楽的」とも揶揄されるトルコだが、それでもイスラム教徒のトルコ人男性には、些か刺激が強すぎるのではないかと、老婆心ながら心配になったほどもちろん、そんなことなどサラサラ気にも留めない風の、イケイケなロシア娘達であった




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