2011/2/28

今年(2011年)の米アカデミー賞には正直がっかり  映画(今年公開の映画を中心に)

 『英国王のスピーチ』は良質な作品だとは思うが、米アカデミー賞作品賞に値するか、と問われたら、私は首を傾げざるを得ない。理由はレビューで書いた通り。

 それ以上に、トム・フーパー監督賞受賞と言うのが憤慨もの。彼のどこに全候補者の中で抜きんでた演出力があったと言うのだろう?今回は、クリストファー・ノーラン監督が『インセプション』でノミネートされていなかったことにも違和感があったが、デビット・フィンチャー監督が監督賞を逃したことにも納得が行かない。

 常に斬新な演出で映画ファンの予想を良い意味で裏切って来てくれたフィンチャー監督が、新たな地平を切り開いたのが「ソーシャル・ネットワーク」だと私は思う。今と言う時代を、現代の人間の在りようを的確に表現した「ソーシャル・ネットワーク」は、「時代を映す鏡」としての映画の役割を見事に果たしている。それに対して、新味に乏しい、オーソドックスな評伝映画である「英国王スピーチ」がこの1年を代表する映画と言うなら、映画界の保守化、否、停滞を感じずにはいられない。

 まあ、平均年齢57歳の方々が選んだ賞だからね。WOWOWの特別番組出演者も、半ば憤慨、半ば落胆の表情で指摘していたように、映画界の未来を見据えた英断よりも、ここ何年かのスパンで、今年は「革新性、先進性」を選ぶか、「懐古趣味」を選ぶかのバランス感覚が働いたのだろう。この結果を受けて、若手映画人のチャレンジ精神が削がれなければ良いが…

 ちなみに個人演技賞に関しては特に文句はないが、個人的にはアネット・ベニングに主演女優賞をあげたかったな。彼女の過去に何度もノミネートを受けた卓越した演技力が、そろそろ結実しても良いはずだ(今回、ノミネート対象にはならなかったが『愛する人』の演技も素晴らしかった)ナタリー・ポートマンも好きな女優なんだが、彼女の受賞の瞬間、両手を高く挙げて拍手していたアネットの胸中を思うと、何だか泣けて来た(とにかく知的で品があり、立ち居振る舞いがエレガントだ)。WOWOWの番組中で、「(感情表現が豊かな演技に比べて)抑制した演技はなかなか認めて貰えない」とゲストの記者が言っていたのが印象的だ。

 米アカデミー賞は、日本在住の私にとっては、未公開作品の見本市のような側面もあって、今回ノミネートされた作品の中では『ザ・ファイター』と『キッズ・オールライト』に食指を動かされた。

2011/2/27

(2)英国王のスピーチ(原題:The King's Speech,2010,英,豪)  映画(今年公開の映画を中心に)

クリックすると元のサイズで表示します 前評判がすこぶる高い本作を、昨日、家族で見て来た。

 感想を結論から言うと、「確かに見るに値する佳作だが、期待したほどではなかった」前評判に煽られて、私が期待し過ぎたのがいけないのか、或いは、私の感性やtasteの問題なのか…

 主役級の3人(コリン・ファースジェフリー・ラッシュヘレナ・ボナム・カーター)の演技のアンサンブルは申し分なく、現代映画界を代表する名優の競演を堪能できた。おそらく、3人の内の誰かは、確実に米アカデミーの演技賞を獲得するだろう。背景に流れる音楽も美しい旋律で、格調高く物語を盛り上げ素晴らしい。

 しかし、何か物足りないのである。ピンポイントで胸にジーンと来るシーンがあるにはあるのだが、見終わった後の余韻はあまり長くは続かなかった。帰る道すがら、映画の印象的なシーンを反芻するでもなく、家族で熱く感想を語り合うでもない。家族で安心して見られるが、あまりにも優等生的な作りで、無難過ぎて、良くも悪くも心に引っ掛かるものがない、とでも言おうか。

 さらに若手監督が作った割には、清新さが感じられない(30代の若い監督なのだから、もっと冒険や荒削りな面があっていいはず)。実話に基づく作品であり、しかも英王室を描いたと言う制約(英王室に遠慮している?)のせいなのか、映画としての作りは凡庸で、俳優陣の名演に大きく救われている、と言う印象が拭えない。本作が下馬評通り米アカデミー賞作品賞を獲得したら、いよいよ私は米アカデミー賞を見放すかも(笑)。

 先ほど、WOWOWの特別番組でLAの映画評論家?オズボーンおじさんが、「『ソーシャルネットワーク』は旬の映画だから今もてはやされているが、時が経てば忘れ去られる。それに対して『英国王のスピーチ』は息の長い作品になるだろう」と本作を強力にプッシュしていた。しかし、私は思うのである。その年を代表する作品を選ぶのなら、「息の長い」作品が何ものにも優先する評価基準ではないはずだ。例えば、ロングセラー曲は必ずしも、発売年にその年を代表する曲として選出されていないように。もし「息の長い作品」のみを選ぶのであれば、米アカデミー賞を毎年開催する意味はないだろう(賞を選考する米アカデミー会員の平均年齢が57歳と聞いたら、やっぱり映画界の未来を見据え、次世代の映画ファンを獲得する為にも、そろそろ会員の若返りが必要なんじゃないかと思う)

クリックすると元のサイズで表示します 現女王エリザベス2世の父君、ジョージ6世の知られざるエピソードは、確かに興味深い物語だった。国王夫妻の夫婦愛と家族愛、国王とオーストラリア人言語療法士ライオネル・ローグの身分差を越えた友情と信頼によって、幼い頃から自身の吃音に悩んで来たジョージ6世が、一王族から国王となるまでに幾多の困難を克服し、国王としての自信を得る〜と言った一連の流れは、品良くユーモアも交えて描かれている。

 ただ、そうした国王の苦難と努力の物語を際立たせる為なのか、第二王子であるヨーク公がジョージ6世として王位に就くきっかけとなった、兄エドワード8世の退位にまつわるエピソードの描写は、エドワード8世と「世紀の恋」の相手シンプソン夫人に対して冷淡なものに見えた。つまりは、あくまでも王室目線で描かれた物語なのだ。しかし、このような単純な善悪の対立構図で描いては、物語のリアリティと深みを損なうと私は思う。尤も、それだけ王室と(元々身内であるエドワード8世はまだしも)シンプソン夫人の溝は深いということなのかもしれないが。そして、その真相を映画で描くことは未だタブーなんだろう。

 英国を描くなら英雄伝(エリザベス1世の活躍を描いた『エリザベス』も英雄伝のひとつ)か、庶民の暮らしぶり(先日見たケン・ローチ監督の『エリックを探して』は面白かった)を。英王室を描くなら、『ブーリン家の姉妹』 のような、既に関係者がこの世におらず、何の制約もなく自由に物語を膨らませることができる歴史ドラマの方が、よりドラマチックでインパクトがあって、見応えを感じるのかもしれないなあ…

 以下はネタバレにつき、映画をまだご覧になっていない方は注意されたし。


クリックすると元のサイズで表示します 劇中、ライオネルは「生まれつきの吃音者はいない」と言った。当時は言語療法士の養成システムが確立されていたわけではなく、学位もなかったライオネルは、度重なる戦争で心身共に傷ついた多くの兵士達への治療を通してその腕を磨いてきた、言わば叩き上げのプロだ(それだけに治療方法もユニーク)

 そのライオネルがジョージ6世との初対面で看取したのは、ジョージ6世の心の傷。そこで治療に当たって彼が国王に求めたのは、国王である前に、ひとりの人間であることだった。互いをファーストネームで呼び合い、信頼を深めて行くにつれ、ジョージ6世はライオネルに対して心を開き、彼の吃音の原因が次第に明らかになって行く。自身のあるがままを受け入れられず、あらゆる制約と圧力によって、ひとりの人間の心が萎縮した結果のひとつが「吃音」であることに、子どもを育てた親のひとりとしては胸が痛む。

 そう言えば、主演のコリン・ファースも、インタビューでその役作りについて聞かれ、「国王と言うより、ひとりの人間の葛藤をどう表現するかを考えた」と言う主旨の返答をしている。
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 王族は、制限された自由の下でしか生きられないという意味で、気の毒な存在なのかもしれない。ましてや実効権力がなく、国民の統合の象徴としてのみの存在では、息苦しいばかりだろうな(自由に振る舞ったら振る舞ったで、「王族としてあるまじき」と非難の的になるし)

『英国王のスピーチ』公式サイト


2011/2/25

銅版画技法を学んでいます  お知らせ

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 実は今、某所で銅版画技法を学んでいます。昨年、芸大で1日制作体験講座を受講しましたが、今回は週1回2時間半、計8回の、基礎から丁寧に学ぶ銅版画制作講座。殆ど初心者なので、複雑?な工程がなかなか覚えられず、工程をひとつ飛ばす失敗をやらかすなど、少々情けない思いをしつつも、しかし夢中になって制作に取り組んでいます

 無から何かを創り上げる作業は、やっぱり楽しいです。日常の細々とした面倒臭いことを忘れて無心になれる。創作活動は、ストレス解消にはもってこいの方法ですね

 上掲の画像は、今日完成した作品第1号です。左が完成品で、エッチングとアクアチントとドライポイントの技法を使っています。右は一番最初の試し刷りで、この段階ではエッチングのみ。そこから、幹と葉のトーンに変化を持たせる為に、葉の部分にアクアチント技法を用い(なにぶん画像は携帯電話のカメラでの撮影の為不鮮明ですが、葉の部分はグレーがかった色みになっています)、幹の木肌模様と輪郭線の線描の違いを出す為に、輪郭線をニードルで彫って(←ドライポイント技法)強調しました。左右を見比べると、やはり完成作品の方が、トーンの違いが際立ち、線にメリハリがついているように見えませんか?

 …自画自賛ですが

 私は子どもの頃から、樹木が大好きでした見るのも、触るのも。全てのものを温かく包み込むような、たおやかな生命力を感じるんですよね。

 そして、作品のモチーフとしては、堂々たる幹の存在感や、意匠的な木肌模様や、個性的な葉の形状が、「線描」が生命線である(と私は思っています)エッチング等の銅版画にうってつけの素材なのではと考えています。まあ、あくまでも私個人の考えですが(他の受講生の皆さんの作品も、様々な技法を駆使しておられ、個性的で素晴らしいものばかりです拝見するだけで勉強になります。)

2011/2/25

地震被災者の救出を祈る  お知らせ

 このところ、自宅の築年数の経過に伴う、自宅内で使用する設備機器の老朽化で買い換えやら、定期点検やらが続き、落ち着かない日々が続いている。やっぱり業者とは言え、知らない他人を自宅に入れるのは神経を使う。特にリフォーム業者なんて、無遠慮に室内をじろじろ見回し、隙あらば、次の商談(あっちが壊れている、こっちが壊れかけとか言ってさ…)に持ち込もうと手ぐすね引いているように見える。おかげで凹んでいる。



 NZのガーデンシティ、クライストチャーチで、ランチタイムに発生した直下型地震で、数多くの人々が被災し、重症を負ったり、行方不明になっていることには胸が痛む。しかも、行方不明者の1割近くが日本人と言うから驚きだ。それと言うのも、行方不明の日本人学生が語学研修を受けていた語学学校の入居するビルが、原型を殆ど止めないほどに倒壊しているからだ。市内全体で300人前後と言われる行方不明者の内、実に120名が、地震発生時そのビルにいたと目され、瓦礫の下に閉じ込められているらしい。ただただ不運としか言いようがない。地震発生から72時間が人命救助のタイムリミット(この時間を境に、大きく生存率が低下するらしい)と言われているため、日本から駆けつけた災害救助隊による、夜を徹した救助活動が続いている。

 最近は、若者の内向き志向が進み、留学熱がかつてほどではないと言われる中、せっかく活躍の舞台を世界に広げる為、英語を身につけようとの志に燃えてNZに来た学生達が、今回のような天災に巻き込まれてしまったことは、返す返すも残念だ。行方不明者は息子と同年代の若者が多いだけに、親の目線で動向を注視している自分がおり、ひとりでも多くの学生が救出されることを祈っている。

 すぐ近くにほぼ無傷の状態で難を逃れた建物が少なくないだけに、そのビルの被害の甚大さが余計に際立つ。NZは地勢的に日本列島と同じ状況下にあり、地震多発国だと言う。その自覚もあって、NZは80年代までは、耐震建築において世界の最先端を行っていたそうだ。倒壊したビルは1960年代に建てられたもので、倒壊前の写真を見る限り、窓を大きく取った2面ガラス張りが印象的なモダン建築だ。

 建築構造の専門家によれば、6階建てのビルは、比較的堅固な構造のエレベータ部分だけを残し倒壊していることから、ひとつのビルに堅固な構造と脆弱な構造が併存していた為に、地震の負荷が脆弱なフロアの部分に一極集中した「偏心」現象が起きて、今回のような倒壊を招いたのではないかということらしい。

 そもそも耐震構造では、太い柱と十分な面積の壁と筋交いが重要だと聞いている。その要件に照らして見れば、倒壊したビルは見てくれは良いものの、柱が細く、壁面積が不十分で、いかにも脆弱な印象だ。現地での語学学校校長の会見によれば、9月に起きた地震の後、当局によって耐震診断を受け、問題なしとのお墨付きを受けたので、今回の倒壊は予想だにしないことだったと言う。しかし、どう見ても、今回はビルの耐震強度が明暗を分けたとしか思えない。

 しかも、ガラスを多用したモダン中高層建築は、比較的地震の不安がないヨーロッパ(イタリアを除く)を中心にもてはやされたデザインである。空恐ろしいことに、地震大国日本のメガロポリス東京の中高層建築も、全面ガラス張りはけっして少なくない。構造的には世界の最先端を行く日本のビル建築とは言え、割れたガラスの雨が地上の人々の頭上に降り注ぐ事態があり得ることは想像に難くない。

 同じ地震多発国に住む国民のひとりとして、けっして他人事とは思えない、今回のNZの地震だ。本当に恐ろしい。 

2011/2/20

財)河鍋暁斎記念美術館に行って来ました(2)  文化・芸術(展覧会&講演会)

クリックすると元のサイズで表示します 山口静一先生からいただいた資料を読むと、河鍋暁斎への関心がさらに深まったので、思わず2冊の本を買い求めてしまった。
 
 京都国立博物館で暁斎の肉筆画展が開催されたのを機に発刊されたムック本『別冊太陽 河鍋暁斎』(平凡社、2008)と、明治期に「お雇い外国人」として来日し、日本の近代建築の礎を築いた英国人建築家で、暁斎の愛弟子でもあったジョサイア・コンドルの著作『河鍋暁斎』(岩波文庫、2006)である。

 前者(左画像)は暁斎の豊富な図版、評伝、絵日記、人脈から、ひとつの枠に収まらない画家暁斎の全貌に迫る"暁斎入門書"と言った趣。とにかくカラー図版が豊富で、それらを見ているだけでも楽しい。今回、山口先生からいただいた資料『回想 暁斎作品海外探索記』(山口静一先生執筆)も、この本からのコピーであった。

クリックすると元のサイズで表示します 後者(右画像)は、建築家でありながら暁斎に弟子入りし、画号「暁英」で画家としても才能を発揮したジョサイア・コンドルが、師、暁斎の生涯、暁斎から学んだ日本画についての詳細な解説、さらには彼自身の暁斎作品コレクション解説を綴った力作だ。白黒ながら図版も豊富で、日本画の技法解説が素人にも分かりやすいものになっている(表紙の絵柄は暁斎の美人画からの抜粋らしい。鮮やかな色彩、優れた意匠性が目を引く)

 建築家コンドルが、ここまで日本画に造詣が深かったとは、本著で初めて知って驚いた。暁斎とコンドル、二人の強固な信頼関係〜コンドルが師、暁斎をいかに尊敬していたか、そして暁斎が英国人の弟子、暁英をいかに熱心に指導したか〜が、本著の充実ぶりを見れば瞭然である。

 その翻訳を手がけられたのが、誰あろう山口先生なのである。山口先生による巻末の訳註、暁斎・コンドル略年譜、コンドルの日本研究に関する解説は、本著の理解を助ける丁寧な仕事ぶりで、先生の研究者としての誠実さが伺える。


2011/2/11

財)河鍋暁斎記念美術館に行って来ました(1)  文化・芸術(展覧会&講演会)

住宅街の中にある河鍋暁斎記念美術館、外観
クリックすると元のサイズで表示します 先日、美術館ボランティア・スタッフ有志で、埼玉県蕨市(最寄り駅:JR西川口駅)にある(財)河鍋暁斎記念美術館(カワナベ・キョウサイ・キネンビジュツカン)に、行って来た。

 河鍋暁斎記念美術館は、JR西川口駅西口を出て徒歩15分の、住宅街の中に慎ましやかに佇んでいる、白亜の三階建てだ(展示室は1階のみ。写真には写っていないが、建物左側にはミュージアム・ショップがある。アクセス方法は冒頭の美術館名をクリックして、美術館公式HPをご覧下さい)

 今回の訪問はボランティア・スタッフMさんの発案で実現したもの。美術館では、Mさんご夫妻と旧知の仲であられる元日本フェノロサ学会会長で河鍋暁斎研究家の山口静一先生と、河鍋暁斎記念美術館学芸員の方に懇切丁寧な解説をいただき、大変勉強になった。この場を借りて、御礼を申し上げたい。ありがとうございました。

クリックすると元のサイズで表示します 河鍋暁斎は幕末から明治前半にかけて活躍した画家で、生前は特に庶民の間で人気を博し、それこそ多彩な作品を遺しているのだが、特に第二次世界大戦以降、久しく世間から忘れ去られた画家であった。

 そこで暁斎の画業を顕彰し、その一門の活動を広く知らしめたいとの思いで、暁斎の曾孫に当たる河鍋楠美氏が、当初は河鍋家に伝わる画稿、下絵類をコレクションの核に、1977年11月に自宅を改装して開館させたのが、河鍋暁斎記念美術館なのである。その後、徐々に肉筆画のコレクションも加え、1986年には財団法人の認可を受けている。こぢんまりとした美術館だが、館長以下スタッフの暁斎への真摯な思いが、鑑賞者の心に響いて来るような美術館である。

 河鍋暁斎は幼い頃から周囲を驚かす画才を発揮したらしく、3歳にして蛙の絵を描き、7歳から約2年間、浮世絵師、歌川国芳に学んだ後は、10歳から狩野派の絵師、前村洞和、狩野洞白陳信に師事し、19歳の時に「洞郁陳之(トウイクノリユキ)」の画号を得て、その修行を終えている。8歳の時には、川上から流れて来た生首を引き上げて、夢中になって写生したと言うエピソードも伝えられる、なかなかの強者である(笑)(今回、後年暁斎が描いたと言う、その時の場面を描いた絵をスライドで見せていただいた)

 当初は自らを狂斎と名乗ったようだが、これはどうも生涯を画業に捧げ、偉大な足跡を残した葛飾北斎を私淑してのことらしい。北斎は生涯に30回も画号を変えたと言われているが、そのひとつに「画人」がある。まさに自らを北斎になぞらえて、画家として生涯を生きようとの、暁斎の決意の表れのような気がする。後に「暁斎」と画号を変えた時も、読み方は「きょうさい」に拘っている。因みに正式には惺々暁斎(セイセイ・キョウサイ)と名乗ったようだが、名前の「惺」と「暁」は、共に「悟る」と言う意味があるそうだ。

クリックすると元のサイズで表示します 訪問時の展示作品は、初春に因んでテーマを「初春めでた尽くし」とし、今年の干支の兎や七福神を描いた十数点であったが(2月25日(金)まで)、2カ月毎にテーマを設定して展示替えを行い、暁斎のひとつの枠に収まらない多彩な画業を紹介されているようだ。画像は『新富座妖怪引幕』(部分) 

 因みに、昨年9〜10月にかけては、「暁斎一門の描く妖しき世界〜幽霊図、妖怪画」展であったらしい。昨年、NHK朝の連続ドラマで話題となった水木しげる氏も、かつて暁斎の妖怪図を参考にしたと伝えられる程、その描写は真に迫るものであると同時に、どこかユーモアを湛えたもののようだ。

 とにかく、暁斎の画才には驚嘆すべきものがある。注文があれば、ジャンルを問わずに何でも描いたようである。精緻な仏画、目の覚めるような美人画、愛らしい動物画、「目を背けたくなるような残酷場面」「笑いを誘う風刺画」と、なんでもござれのサービスぶり。そして、その何れもが巧みな筆致で魅せる。彼が画家として独り立ちしたのは"幕末"と言う時代の変わり目。最早、武家社会を後ろ盾とした狩野派絵師として生きることが難しかった時代背景が、彼を変幻自在な画家に仕立て上げたのかもしれない。

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【作品タイトル、左上より】
「観世音菩薩図(部分)」「大和美人図屏風」「閻魔大王浄玻璃鏡図」
「達磨図」(河鍋暁斎の肖像写真)「美人観蛙戯図」

※筆者注:上掲の作品は何れも河鍋暁斎記念美術館所蔵ではありません

 ひとりの画家の1本の腕から生み出されたとは思えない、それぞれの作品の多様な持ち味。並べて見れば、一目瞭然である。まさに「狩野派、浮世絵に限らず、伝統的な土佐・住吉派、円山四条派、琳派、文人画、中国画、西洋人体図等々、学べるもの全てを嚢中した暁斎だからこその画業であった」(←「」内リーフレットより抜粋)

クリックすると元のサイズで表示します 一度は風刺画で咎めを受け入牢するも(不敬罪?思想犯と同等の扱いを受けたらしい)、彼の才能は誰もが認めるところであったのは間違いなく、1876年にはフィラデルフィア万国博覧会に肉筆作品を出品し、1881年には第二回内国勧業博覧会で「枯木寒鴉図」(右画像)が最高賞を獲得している。期を同じくして、欧州圏の人々とも交流を深め、彼の作品は欧州でも知られることとなった。

 にも関わらず、彼がいつしか忘れ去られた存在になったのはなぜか?前述の山口先生は以下のように推察する。「暁斎は当時の明治政府、文明開化を嗤うことで、旧幕臣を中心に人気を得た。しかし、時が経ち、文明開化世代が社会の中心となった時代には、そうした暁斎の作風が、古くてつまらないものと厭われたのではないか?」

 つまりは"流行作家"としての宿命であろうか。江戸の浮世絵がそうであったように、その時代の風俗や思潮をテーマとした作品は、その本質的価値に関係なく、"同時代性"にまず価値が見い出される。まさに"旬"だからこそ、もてはやされる。そして、それは"次々と生み出され"、"消費されるもの"でもあるのだ。だからこそ、その存在はいつしか軽んじられ、"浮世絵"も海外向け輸出製品である陶磁器の"包み紙"として使われたりしたのだろう。

 しかし、暁斎もまた"浮世絵"と同様に、その価値が改めて海外の人間によって見い出され、"復権"することになるのだ。
 
つづく


2011/2/4

2月の雑感  はなこのMEMO

この10日間に、ちょっと感じたことあれこれ…

■アジアカップで決勝ゴールを決めた李忠成選手を巡る報道

アジアカップはカメルーン戦辺りから見始めて、すっかり嵌ってしまい(笑)、スポーツ観戦嫌いの夫が出張で不在なことを幸いとばかりに、深夜に一人で見ていた。

日本-オーストラリア両者共に、なかなか点の入らない決勝戦。延長戦での、長友選手の弾丸クロスから、李選手の鮮やかなボレーシュートで1点入った時には、思わず手を叩いて喜んでしまった。どんなスポーツであれ、個人競技なら選手の国籍に関係なく選手を応援できるのに、国別対抗戦になると、なぜかナショナリスト?になってしまう私。スポーツって、どうしてこうも血潮を熱くたぎらせるんだろうね?

そんでもって、決勝ゴールを決めた李選手が元在日韓国人四世で、代表選手としての要件を満たす為に帰化申請をして日本国籍を取得した人と言うことで、何やら話題になっているようだ(った?)

李選手は日本生まれ日本育ちで、小学校までは朝鮮学校に通い、中学からは日本の公立中学、高校で学んだ人である。一度は韓国代表を目指したようだが、夢叶わず、今回日本代表として、アジアカップ出場を果たした。

そもそも人は誰も出自を選べないんだよね。そして、出自や、自分を取り巻く環境に否応なく影響される。

李選手も日本生まれ日本育ちとは言え、そのルーツの誇りは、曾祖父から連綿と受け継がれて来たに違いない。出自の違いゆえに、何かと移住先の社会との摩擦が絶えない移民にとって、それは当たり前のこと。自分のアイデンティティ、尊厳に関わることだから、建前はどうであれ、自らのルーツに誇りを持たずして、人が生きることなど困難だ。李選手が一見して、その出自がわかる名前で通しているのも、その思いの顕れなんだろう。

かつての移民は、祖国で不遇をかこつ人々が、他国に新天地を求めたケースが多かった。つまり祖国には戻るに戻れない事情を抱えた人々が、まさに背水の陣で移住先へと赴いたのである。北米、中南米の日系移民も、その殆どが、そうだったのではないか?祖国を愛しつつも、移住先の国にできるだけ早く馴染みたい。その国の国民になりたい。その葛藤に苦しむ移民の心の支えは、やはり出自の誇りだったのだと思う。

だから、誰にも出自の誇りを否定される言われはないのである。しかし、同時に自分を育んでくれた第2の祖国への感謝も忘れないで欲しい。そうして、2つの祖国を持つ人間として、堂々と生きて行けば良いのではないか(これは混血の人にも言えることだと思う)

先年のノーベル賞受賞者の南部氏も、既に米国に帰化した米国籍だったにも関わらず、日本では「日本人の受賞」と喜んだ。韓国でもこの度の李選手の活躍を「我が同胞の活躍」と讃えているようだ。在日韓国人は日本でも韓国でも差別の対象と聞いたことがあるが、だからこそ余計に、自分の出自を意識せざるを得ない部分があるのだろう。そして差別される悔しさが、さまざまな活動の原動力にもなっているのかもしれない。世間の一部に未だ残る差別意識は、自身の「活躍(移住先の社会への貢献)」で跳ね返したら良いのだ。活躍(貢献)すれば、差別する方が社会で嘲笑される。

サッカーに話を戻せば、「ストライカーはエゴイストでなければ大成しない」とも聞いた。人に「何だ、コイツ!」と思わせる位の強気の発言、自らを鼓舞するような自賛の発言ができるような、負けん気の強さは、ストライカーに必要な気質なのだろう。その意味では、李選手は正しくストライカー向きの性格なのかもしれない。


■何やら世間(実はマスコミだけ?)が騒がしいが…

私は「斎藤佑樹」も「韓国産アイドル」も「大相撲」も興味ない。

まだプロとして活躍もしていない選手に、未知数の期待だけで熱狂する人の気が知れない。マスコミが煽るのも不快。

昨年はマスコミで「K-POPブーム」と盛んに喧伝していたが、どこでそんなブームが起きていたの?少なくとも私の周囲には、韓国産アイドルに夢中になっている人は皆無だ。どういった人々が彼ら、彼女達のファンなの?毎日、ワイドショーならともかく?、朝夕のニュース番組で逐一取り上げるほど、アイドルと事務所の間に起きたトラブルは価値のあるニュースなの?そんなに多くの日本国民が、韓国産アイドルの動静を気にしているとでも言うの?

もう「大相撲」がどうなろうが、知ったこっちゃない(とは言え、これでも千代の富士が活躍した時代はよく見ていた。大相撲に幻滅したのは若貴ブームの頃からかな?)。「大相撲」を巡る醜聞にはもう飽きた。モンゴルから来て、生真面目に相撲に取り組んでいる白鵬には気の毒だが…タニマチとか言う、庶民には意味不明な支援体制が整った日本の「伝統文化」には、そこに携わる人間をスポイルする土壌があるのだろうか?

もっと報道すべき大事なことがあるのではないか?

その大事なことから、国民の目を逸らそうと必死なように見えるのは、私の気のせいなのか?

2011/2/1

(1)ソーシャルネットワーク(原題:The Social Network,米国,2010)  映画(今年公開の映画を中心に)

クリックすると元のサイズで表示します 年頭から、時代に斬り込む映画のダイナミズムを感じさせるような、勢いのある作品の登場である。(米国では2010年9月公開)。現代の世相を描き、人間の不完全さゆえの葛藤を描き、知られざる名門大生のキャンパスライフ(笑)を描いて、見応えがある。

 今や全世界で利用者が5億人とも6億人とも言われる世界最大のソーシャルネットワークサービス(SNS)、フェイスブック。その創業者マーク・ザッカ−バーグが、ハーバード大学在学中にフェイスブックを立ち上げた経緯を、虚実交えて描いたのが本作だ。

 デビット・フィンチャー監督と言えば、CM製作でキャリアをスタートさせただけあって、その独特の映像センスが光る監督だが、今回は過去の作品とは異質の、濃密な会話劇を創り上げ、新境地を開いて見せた。

クリックすると元のサイズで表示します とにかく冒頭からエンジン全開のトップスピードでまくしたてるマーク。場所は大学近くの、とあるパブ。マークと、そのガールフレンドでボストン大生のエリカが向かい合って腰かけている。忙しなくまくしたて、目まぐるしく話題を替えるマークに、エリカは困惑し、不機嫌な表情を隠さない。終いにはボストン大生である彼女を見下したかのような発言で、彼女を本気で怒らせてしまう。

 この冒頭のシーンで、マークの特異なキャラクターが印象づけられたと言って良い。頭の回転がもの凄く速くて、自分の言いたいことだけ言って、相手の話には殆ど耳を傾けない。…噛み合わない会話。

 何だ?!これって端から見れば典型的な自己中じゃん!或いは、シャイで、男性としての自分にイマイチ自信のもてない非モテ男の不器用さの顕れなのか?…にしても、相手と会話のキャッチボールをまともにできない、と言う意味では、コミュニケーション能力に明らかに難ありの人物である。

 同時に彼は天才的なハッカーで、コンピュータの前では並外れた集中力を発揮する。所謂コンピュータ・オタクである。

 その彼が、世界有数のコミュニケーション・ツールを創り上げた、現代の奇跡。何と言う皮肉。

クリックすると元のサイズで表示します しかし、まあ、何だね。けだし天才たる者、古今より、どこかバランスを欠く存在であった。一点に集中する余り、その他のことがおざなり(と言うか、人並み以下)になってしまう。常識人としての欠落ぶりには、痛々しささえ感じられる。昔から「天才とナントカは紙一重」とも言われて来たが、あらゆるモノを(そう、人生で大切なものでさえ)斬り捨てながら、並外れた集中力を発揮するがゆえに、凡人がなし得ない業績を残して来た、と言えるのだろうか。

 しかも、どんな分野であれ、天才と呼ばれる人々はその多くが20歳前後で頭角を顕し、後々語り継がれるような何かをなし得ている。凡人の尺度では到底測り得ないのが、天才と言う存在なのだろう。

クリックすると元のサイズで表示します そして、天才は天才を知る。互いの魂を求め合うようなところがある。それが、本作では、マークとナップスターの創設者、ショーン・パーカーの関係なのだろう。しかし、その関係は古今東西の天才たちの物語が示しているように、往々にして長続きしない。どちらも強烈な個性の持ち主だけに、衝突が避けられないのだ。

 さらに本作においてショーン・パーカーの登場は、常に現代ビジネス・モデルの先端を行く米国経済界のダイナミズムを垣間見せて、観客を圧倒する。巨額マネーを自在に動かす投資ファンドは、起業のプロセスを根本から変えたようだ。そのアイディアにビジネスチャンスがあると見れば、起業家のビジネス経験、年齢など関係なく、億単位の金をスピーディに投資する。本作では、一見遊び人風ながら、難なく巨額の投資を取り付けるショーンと、生真面目に、旧来型のスポンサー探しに奔走するマークの学友エドゥアルドの対照が鮮やかに描かれているのが印象的だ。

 もちろん、本作では天才ばかりが圧倒的な存在感を見せつけるわけではなく、世界に名だたる名門大の秀才も相当に強かな一面を見せている。一握りの天才がなし得たアメリカンドリームと共に描かれているのは、誰の目にも共和制民主主義の牙城であり、多民族から成る移民立国でもある米国に、厳然と存在する階級社会の様相なのである。例えば、劇中でマークと対立するウィンクルボス兄弟のような、圧倒的な富と、優れた容姿・頭脳・運動能力を兼ね備えた人物は、ザッカーバーグのような天才に嫉妬することはあっても、その絶妙なバランス感覚と財力と階級ネットワークで、米国社会の中枢に君臨し続けるのだろう。

 そういう「頭の良い人達」の淀みない会話に、観客としては全神経を集中させなければ、途端に物語から置いてけぼりを喰うことになる。その緊張感で、見終わった後は暫く脳が興奮状態で、どうにも落ち着かなかった。本作について、誰かにしゃべらずにはいられなかった(笑)。

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