2010/10/30

台風避難(9)パプリカ栽培179日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します 台風14号の関東最接近に備え、ベランダのパプリカを室内へ避難させました。思い返せば、昨年は夏頃に2回プチトマトを避難させましたが、今年、もう冬支度も近いこの時期に台風が来るとは、思いも寄りませんでした。過去にないわけではないにしろ、珍しいことなんでしょうね。

 昨年のプチトマトは背丈が2m近くあったので、ベランダから室内へ運び入れるのもひと苦労でしたが、今回のパプリカは小さめなので、その点は楽ですね。

 屋内の灯りの下で見るパプリカの葉は青々として、いかにも元気そうです。案外、寒い屋外から暖かい屋内へ避難して、パプリカは喜んでいるのかもしれません

 虫害の多かった夏だと、虫付きのパプリカを屋内へ入れるのは躊躇したかもしれませんが、今なら大丈夫。その意味でも、この季節外れの台風は、パプリカにとっては不幸中の幸いだったと言えるでしょうか?

 黄パプリカにもそろそろ実がつきそうな気配。季節は確実に寒い冬へと近づいていますが、パプリカの盛りはまだ続く…

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ここからは日記。

↓展覧会チラシより…
クリックすると元のサイズで表示します 去る月曜日は、火曜日から始まった『アルブレヒト・デューラー版画・素描展』の開会レセプション&内覧会へ行って来ました。西美でボランティアを始めて7年になりますが、こうした会に招待されるようになったのは、ここ1年のことです。

 レセプションには、マスコミや美術界関係者が一堂に会していました。普段、平々凡々な日々を送っている主婦にとって、このような場に立ち会えるのは、いろいろな意味で良い刺激になります。おかげさまで心地良い緊張感を味わえました。他の出席者に失礼にならないよう、それなりの格好で臨んだのですが、普段は履かないヒールで、実は足が痛かった(恥ずかし)。

 今回はオーストラリアのメルボルンにあるメルボルン国立美術館からの105点を中心に、西美所蔵の49点、さらにベルリン国立版画素描館からの3点を加えたデューラーの版画・素描が出品されています。

 ドイツ人画家・版画家の世界有数のコレクションが、南半球のオーストラリアにあるのは意外に思われるかもしれませんが、英国ゆかりの国だけあって、元は英国貴族トーマス・D・バーロウ卿のコレクションであったものが、寄贈という形で美術館所蔵となったようです。

 西美も、明治大正期に活躍した実業家・松方幸次郎氏が独自に収集した西洋絵画・彫刻のコレクション〜松方コレクションが、館の所蔵品の礎となっています。

 こうした篤志家の厚意が、世界中の美術館を支えているんですね。今般の日本の実業家の中にも、その名をコレクションに残すような、気概を持った大人物が現れてくれたらと願います(その為には、寄付文化を後押しするような税制の整備が必要なのかもしれません)

 レセプションでは、展覧会の為にオーストラリアから来日した美術館館長と、駐日オーストラリア大使のスピーチを拝聴しました。実はオーストラリア英語のきちんとしたスピーチを聴くのは、今回が初めて。印象としてはイギリス英語に近いですが、最後の最後で「トゥダイ」を耳にして、「お〜、やっぱりオージーの英語なんだ!」と納得。

 近年、オーストラリア人俳優(今すぐ思い浮かぶだけでも、ラッセル・クロウ、ヒュー・ジャックマン、ニコール・キッドマン、ケイト・ブランシェット、ナオミ・ワッツと豪華な面々…)の活躍が世界的に目覚ましいですが、今回のスピーチでふと思いついたのが、オーストラリア英語がイギリス英語に近いことのメリット。

 このメリットにより、オーストラリア人俳優は、それほど違和感なく英国人を演じることができるのではないでしょうか?米国人俳優がイギリス英語のアクセントをマスターするより容易に、彼らはイギリス英語をモノに出来るはずです。実際、ケイト・ブランシェットは、見事にエリザベス女王を演じて見せました。確かな演技力とオージーらしい大らかさを兼ね備え、世界進出に積極的な彼らは、ハリウッドでは本場の英国人よりも重宝され、主役級の英国人役で起用されることが多いような気がします(最新作ではラッセル・クロウがロビン・フッドを演じています)

 ついつい脱線してしまいました話を展覧会に戻しますが、近くの東京芸大美術館でもデューラー関連展を同時開催しており、今年は上野でデューラーの精緻な作品世界を存分に堪能できそうです。興味があれば是非、足をお運び下さいね 
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2010/10/29

「”おばさん”になる」と言うこと  日々のよしなしごと

 先日、友人が昼食を共にしながら、頬を紅潮させて言うことには、「今、気に入った新進気鋭の若手音楽家がいる。その人を応援して行きたい」。これから頭角を顕すであろう若手(もちろん、男性)の追っかけをしようとしているらしい。

 また、美術館のギャラリートークを終えた後、これまた同年配のボランティア・スタッフが「トークを担当したグループの中に美少年がいた。将来が楽しみなハンサムね」と頬を緩めていた。

クリックすると元のサイズで表示します かくいう私も、若手俳優の岡田将生の美形ぶりに見惚れている(美女の陰に美男の父あり。美男の陰に美女の母あり。きっと岡田クンの母君はさぞかし美しい方なのだろう)。整った顔立ちに美肌で長身と来れば、容姿は完璧!さらに彼は年の頃は我が息子と殆ど変わらないが、この1,2年の間に「重力ピエロ」の謎の次男坊、「告白」の無駄に熱血な教師、「雷桜」の美しくも病弱な若殿様と、様々な役を巧みに演じて、若手注目株の一人である。   映画『雷桜(ライオウ)』より。斉道(岡田将生)と遊(蒼井優)

 まだ青く、成熟しきっていない、伸び盛りの若者の姿にときめきに似たものを感じるのは、我が子を見守る思いとはまた少し違う、年甲斐もなく「異性」として彼らを意識している自分がいるのか?自分の中でもビミョーなのである。心は少女時代に戻ったような、若やいだ感覚もあるのだが、同時に気恥ずかしさを感じている分別のある大人の自分がいる。少なくとも、こういう複雑な感覚に襲われるのは、自分が「おばさんになった」証拠なんだろう。

 古今東西の映画やドラマでも、若い”つばめ”を囲う年増女が何度となく描かれて来た。寵愛する若者に対してパトロンとして君臨し、年を重ねたことで自分が失ってしまったもの(若さや美貌)を、経済力や影響力の行使で埋め合わせようとするステロタイプな人物造形。それは、叶わぬ恋に身をやつす年増女の哀れさを強調するかのようだ。そして、そうした年増女は、ある種、嘲笑の対象でもあった。

 韓流スターにうつつをぬかす所謂「韓流おばさん」に、正直なところ少し呆れている私(→そんなにお金を外国人に上納するくらいなら、もっと日本人や日本の為に使って欲しいと思っている)も、岡田将生に胸ときめかせているとなれば、若い女の子達から見ると「”おばさん”が年甲斐もなく何ときめいてんの?きもっ!」と言うことなんだろうね

 もう、立派な「おばさん」です(笑)。

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2010/10/24

黄パプリカの花が咲く(8)パプリカ栽培173日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します秋深し 我がパプリカは 花実着け
(しかし、寒くないのかな)
 

 思いがけず1週間ぶりのブログ更新となりました。外出の予定があった上に、夫がお腹を壊して会社を休んだり、息子が風邪で発熱したり(いきなり39度の高熱を出したのにはビックリこのところ課題レポートに追われ、毎日夜中まで起きた疲れでしょうか?幸い、翌日には平熱に戻りました)と予想外の出来事に振り回された一週間でした。

 しかし、まあ、二人が病気で寝込んだのはほぼ2〜3年ぶりで、まずはこれまで健康に過ごせたことを感謝すべきなのですよね。(言うまでもなく)家庭を預かる主婦としては、家族の無病息災こそ一番の願いです。特に個人的な事情と言いますか、幼い頃ではありますが、すぐ下の妹を交通事故で亡くしたこともあって、家族が出かける時は、その後ろ姿を見送りながら「何事もないように」と祈る毎日です。出がけのケンカは厳禁ですね。慌ただしくて気が急く朝ですが、できるだけ笑顔で送り出すよう心がけたい。

クリックすると元のサイズで表示します おかげさまで、第2開花期の赤パプリカ1号は、今のところ順調に育っていますすっかり形もパプリカらしくなり、長さも4.5cmになりました。今朝、水遣りをした時には、そのすぐ近くで新たな実がなっているのを見つけました。
 
 我が家のパプリカは正確に言うと、デルモンテ社が提供しているパプリコットという品種で、通常のパプリカに比べるとだいぶ小ぶりです。おそらく、あと1〜2cmほど大きくなったら、その後は1カ月ほどかけて赤く色づいて行くことでしょう。

クリックすると元のサイズで表示します 赤パプリカ2号も順調そのもので、3.5cm近くまで大きくなりました。今朝はその近くに花と、花が枯れ、これから膨らもうとしている新たな実も見つけ、思いがけず3ショットが実現頑張れ頑張れパプリカ

クリックすると元のサイズで表示します さらに黄パプリカにも花が咲いています(右写真)。ここしばらく花さえ咲かなかったのに一気に3輪も(残念ながら3ショットならず)

 共倒れにならないよう、固まってついている蕾は一つだけを残して、間引きしたのが功を奏したのでしょうか?赤パプリカのように無事に実がついてくれたらなあ…と祈るばかりです。思えば、8月中旬辺りから次々と花が咲くのに一向に着果せずヤキモキしていましたが、街路樹の葉が色づき始めたこの時期に第2収穫期を迎えようとしています。

 パプリカは収穫時期が長いと聞いていましたが、それにしても我が家のパプリカはマイペースそのものマイペースにもほどがある私の育て方に問題があるのかもしれません何しろ私の周囲にパプリカを育てている人は皆無で、ブログを見渡してもプチトマトほど育てている人は多くなく、圧倒的に栽培に関する情報が乏しいので、手探り状態で(と言うか、適当に)育てている、と言うのが実情なのですから。

 我が家のパプリカ君はあとどれくらい生きて、あと何回収穫できるのでしょう?昨年度のプチトマトの記録(今年の3月上旬まで生き抜きました)を果たして破れるのでしょうか?心配なのは、年末年始は1週間ほど、例年通り九州に帰省するので、その間の水遣りをどうするかなんですよね。水大好きのパプリカは2日位は水無しでも我慢できるかもしれませんが、1週間だと枯れてしまうかもしれません。それ以前に、これからの寒さに耐えられるかどうかも問題ですね。自己流で簡易温室(←単にゴミ袋で覆うだけですが…)でも作ろうかな

クリックすると元のサイズで表示します


 やはりパプリカの栽培は難しいのですね。下記のサイトはパプリカ農家の方のブログです。パプリカがピーマン等より売価が高いのは、栽培コストが高い(=虫害が多く、栽培に手間と費用がかかる)からと言う記事に納得です。

サラダ日和

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2010/10/17

実と花(7)パプリカ栽培166日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します 今のところ、順調に育っています

 第2期開花以降、我が家のパプリカは着果しても育つことなく落下してしまうことが多かったのですが、先週見つけた実(右下写真、10月10日撮影)は今のところ、順調に育っているようです

 第1期の時は丸っこい形の実ばかりだったのですが、これは一般に見られるようなやや細身。黄・赤2本あるうちの赤パプリカです。もう少し大きくなったら、今度は1カ月ほどかけて、赤く色づくことでしょう。立派に(笑)育つまで、気長に待つしかありません。

クリックすると元のサイズで表示します もう1本の黄パプリカは花は沢山咲いたのに、第2期以降、未だ実はひとつも育っていません。どうしたのかしら?背丈も赤パプリカに大分差をつけられてしまいました。10cm近くは低い。

 先日、テレビ番組に歌手・俳優の井上順が出演し、面白い話をしていました。彼の家には長寿(樹齢20年以上)のゴムの木が2本あるらしく、以前の家から今の家に引っ越す際に、この2本の木を新居に持っていけるかどうか悩んだらしい。すると、ゴムの木は彼の言葉を聞いてショックを受けたのか、翌日からみるみるうちに葉が黄変し、次々と落ちてしまったそうです。

↓今朝もうひとつの実を発見!さらに花も咲いています!
クリックすると元のサイズで表示します そこで驚いた井上氏。「すまなかった。ふたつとも新居に連れて行くから」とゴムの木に謝ったところ、翌日からゴムの木は回復したと言うのです。この一件以来、彼はそれまで名前のなかったゴムの木に、それぞれ「ミミ」「メアリ」と名付けたそうです。これ、ダジャレなんですよね。「壁にミミあり、障子にメアリ」ちゃんと人の話に聞き耳立てているゴムの木は侮れない、と言う意味なんでしょうか。茶目っ気のある人だなあ。

クリックすると元のサイズで表示します 以前から、植物にクラシック音楽を聴かせるとよく育ち、実をつけると言う話もありますが、私はその話を信じる以前に、生き物として接しているうちに自然に話しかけるようになっていました。植物や動物を育てている人は皆さん、そうなんじゃないでしょうか?種が違うだけで同じ生き物なのだから、心を通わせることもできるような気がします。そういうわけで、今、順調に育っている実だけでなく、未だ実のつかない黄パプリカも忍耐強く励まし続けて行こうと思います。忍耐強く励まし続ける、と言うのは、子育てに通じるものがありますね。

 不思議な話繋がりで、もうひとつ。私はクマのぬいぐるみを10体近く持っているのですが、特に気に入っている1体は、他のものと比べて顔つきがかわいらしく、いつまでも古びれません。そんなに高価なものではないし、買った当初は皆、同じような顔をしていたはずなのに、何年か経つうちに違いが出て来ている。お気に入りは触れる回数が多い分、他のものより汚れそうなものですが、まめに洗浄しているわけでもないのに一番きれいです。毎日話しかけている言葉が、生き物でないぬいぐるみのにも届いているのか?「かわいい、かわいい」と言い続けていたら、本当に顔立ちが買った時以上にかわいらしくなっているようです(←親バカに近い情が入っているので、話半分に聞いて下さい)

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2010/10/12

アラビアのロレンス  映画(今年公開の映画を中心に)

或る一人の男が歴史を変えようと奮闘した。
しかし、歴史は変わらなかった。
変わったのは男の運命だった。


クリックすると元のサイズで表示します 現在進行中の名作映画リバイバル上映プロジェクト『午前十時の映画祭』で、アラビアのロレンスを見て来た。実は映画史上に残る傑作と誉れ高い本作を、全編を通して見たのは今回が初めてだった。

 本作の日本公開は1963年2月。その後も何度かリバイバル上映されたとは言え、その何れもタイミングが合わず、その後ビデオやDVD化されても、「見るなら映画館の大きなスクリーンで」と言う思いで今まで来てしまった。今回、やっと望みが叶ったことになる。

 本作は期待に違わぬスケールと重厚感で私を圧倒した。そして、100年近く前の史実を描きながら、当時と殆ど変わらないアラブの現状を図らずも照射して、絶望感にも似た苦い後味を残したのだった。欧米を中心とした列強の支配と、アラブ部族社会の団結力の欠如は、今もなおアラブ社会を苦しめている。パレスチナ問題然り。イラク問題然り。

クリックすると元のサイズで表示します 右写真は現在のアカバヨルダン唯一の交易港で、言わば海の玄関口であり、また、海浜リゾート地としても名高い。

 西にイスラエル、東にサウジ・アラビアとの国境が接している。紅海に面し、海を隔てた南側にはエジプトが控えている。その立地から軍事及び交通の要衝としての価値が高く、この地の領有権を巡って、歴史上、行く度かの争いも起きた。そのひとつが、本作で描かれたロレンス率いるアラブ軍による、オスマン・トルコ支配下にあったアカバ陥落である。

 背後に迫り来る山々の裏側に、広大な渓谷ワディ・ラムが控えている。因みにワディとはアラビア語で「枯れた川」を意味する。


 縁あって、私は今から十数年前、本作の舞台となった中東に約3年間駐在する機会を得た。当時は本作未見であった為に、もっぱら休暇の地として過ごしたアカバや、アカバに向かう途上、横目に見ながら通り過ぎただけのワディ・ラムについて、今回の鑑賞を機に、私は感慨を新たにしたと言えるだろう。

クリックすると元のサイズで表示します アカバはヨルダンの首都アンマンから、デザート・ハイウエイを約300q南下した地点にある。いよいよアカバも近い、となった所で、右手にワディ・ラムの広大な風景を望むことができる。私が駐在していた頃にも、ワディ・ラムでベドウィン(砂漠・土漠の遊牧民族)のようにテントを張って一夜を過ごすツアーがあった。視界を遮る建物も、街明かりも一切ない土漠で見る満天の星は格別らしいが、当時、私は乳幼児を抱えていたので、残念ながら参加できなかった。

 アカバ湾は、ナポレオンフィッシュの生息地として知られる紅海に面している。海は透明度が高く、私達家族もガラスボートに乗って、その豊穣の海の中を覗き込むなどして、南国リゾートの休暇を楽しんだ記憶がある。そうした長閑な記憶とは全く違った、アカバの歴史的に複雑で数奇な一面を、私は本作「アラビアのロレンス」で知るに至ったのである。 

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 4時間近い長尺の、壮大で複雑な物語を簡潔にまとめるには、私は明らかに力不足だ。それでも敢えてまとめるとするならば、以下のようになるだろうか?

クリックすると元のサイズで表示します 時代は第一次世界大戦の最中(さなか)。敵国ドイツについていたオスマン・トルコに打撃を与えること、そのトルコの支配下にあり、その牙城の一角であるアラブをつき崩し、自国の領土とすることが、当時の英国の謀略だったのだろう。そこで英国陸軍の情報将校であったロレンスは、アラブ情勢を探るべく、エジプトの英国陸軍司令部より、アラブへ派遣される。

 しかし、ロレンスはアラブ人達との信頼関係を深めるにつれ、本国の思惑とは違った方向へ思いを巡らせ始める。それはアラブの主権の確立、即ち独立だった。その端緒となるはずだったアカバ陥落の後、ロレンスは軍功を賞賛されるも、その運命は意外な方向へと転換するのだった…

クリックすると元のサイズで表示します アラブの土地はアラブ人に、と言うロレンスの考え方はフェアで、理想だ。主権は、本来その土地に住む者に与えられるべきだ。ところが大国の欲望は留まることを知らない。英国は後に「三枚舌外交」(フサイン・マクマホン協定、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言)と皮肉られた手法で、アラブの土地を欧州列強で分割、支配下に置くことになるのである。

クリックすると元のサイズで表示します ここで考えたいのは、ロレンスの人物像だ。彼は初登場シーンから、軍人らしからぬその異質さを見せている。語学が堪能で、博識で、考古学者としての一面を持つだけでない。身のこなしが柔らかく、足取りも軽やかなのだ(走り方もナヨナヨしている)。一般的な軍人のキビキビとした動作とはほど遠いのだ。それは彼のある性向を暗にほのめかしているのだろうか。

 彼は劇中で、貴族の婚外子であることを自ら告白するが、そうした出自も、彼を異端児たらしめているように見える。ここで言う異端児はけっして悪い意味ではなく、思想的にリベラルと言うことだ。アウトサイダーだからこそ権力にも盲従せず、アラブ人の立場で現状を観察することができ、その不条理に気づいたのだと思う。

 もちろん本作は史実を下敷きとしながらも、映画として劇的効果を高める為にフィクションが加えられ、一部史実とは異なるようだ(反乱軍を率いていたのはロレンスではなくファイサル王子。トルコ軍はジュネーブ条約を遵守し、捕虜に対して残虐行為を行うことなどなかった等)。アラブ反乱におけるロレンスの位置づけも、これまで二転三転していると聞く。それでもなお本作が見る者に感動を与えるのは、ひとつにはロレンスの波瀾万丈の半生を、雄大な砂漠の風景の中で描いたことにあるのだろう。少なくとも彼はアラブを理解し、アラブの為に戦い、アラブの人々も、そのカリスマ性を一時は信じたはずだ。同時に、本作では砂漠と言うロケーションもまたひとつの主役であり、雄大な自然の中で蠢く人間の矮小さが印象的だった。思わずつぶやいたものだ。「人間ってちっぽけだなあ…」と。 

 「撮影隊ではなく、探検隊」とデビッド・リーン監督をして言わしめた苛酷な砂漠での撮影は、砂漠の美しさと冷徹さをあますことなくスクリーンに映し出している。当時のメイキング映像には、「ロケーションの探索にジープ数十台と飛行機を駆使し、撮影場所となった砂漠ではスタッフ・キャスト用に百以上のテントを設営する」様子が残されていると言うから、その苦心惨憺が偲ばれる。この空前絶後のロケーションを可能にしたのは、常に「(困難を伴う)新しい道を歩むことを心がけた」監督のチャレンジ精神なのだろう。

クリックすると元のサイズで表示します そして、その撮影を陰で支えたひとりが、他ならぬヨルダンの故フセイン前国王であったことを、今回初めて知った。実は本作に登場するファイサル王子は、故フセイン前国王の祖父、アブドゥッラー国王の弟君に当たる。現ヨルダン・ハシミテ王国建国にも、本作で描かれたアラブの反乱は少なからず関与しているというわけだ。

 撮影当時、フセイン国王は自国の軍隊をエキストラとして貸し出すなど、撮影に協力を惜しまず、度々撮影現場にも足を運び、そこで後に二番目の妻となった英国人女性、アントワネット・アヴリル・ガーディナー(Antoinette Avril Gardiner)と出会っている。因みに彼女との間に生まれた長男が、アブドゥッラー現国王である。(写真はヨルダン駐在時、夫が故フセイン前国王と謁見した時のもの)

つづく
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2010/10/10

やっと着果!(6)パプリカ栽培159日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します 「第二開花期突入か」と書いたのが8月23日。それから2カ月近く、次々と蕾が膨らんでは花が咲き(その数20個以上!)、を繰り返して来た我が家のパプリカ。それが一向に実をつけずヤキモキしていました。

 ところが、今朝の水遣りの時に、とうとう膨らんで来たを発見たった1個ですが、これは確かに育っている姿。今は”小指の先”大の大きさですが、これから徐々に大きくなって行くことでしょう。

 このところ、街路樹の葉も色づき、気温もグッと下がって、すっかり秋めいて来ましたが、パプリカはいまだ青々とした葉を繁らせつつ、新たな実をこの世に送り出そうとしています。

 あ〜、この実が無事に育ちますように

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2010/10/9

不況は人々から楽しみを奪って行く  日々のよしなしごと

金曜日、友人と六本木の国立新美術館で『陰影礼讃展』を見て来た。何でも開館時から数えて来館者が一千万人を突破したそうで、その記念に新美の建物(建築家、黒川紀章氏の遺作)をさまざまな角度から撮った絵はがきセットを貰った。ラッキー

展覧会は、国内にある4つの国立美術館(国立西洋美術館、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立国際美術館)のコレクションの中から、”陰影”をテーマに新美の学芸員が選りすぐった作品を展示していた。ジャンルとしては版画や写真が多かった。どちらも表現媒体としては、光と影のコントラストで対象を表現するものが多いからだろうか?

友人とは夏休み前の約束が流れてしまって、久しぶりの再会だったせいか、ついついおしゃべりが弾み(小声を心がけたが、他の鑑賞者には迷惑だったかも。ホント、ごめんなさい) 、肝心の作品鑑賞がおざなりになってしまったような気がする。友人も海外から帰国したばかりで、新美訪問自体が初めてだったこともあり、来たことだけで満足している風だった。

友人がスパニッシュ・フレンチのレストランに予約を入れておいたと言うので、新美は1時間弱で切り上げ、地下鉄で表参道へと向かった。予約時間にはまだ間があったので、しばし表参道界隈を散策の後、隠れ家的雰囲気のある、地下のそのレストランへと入った。名前は「TESORO」。スペイン語で「宝」を意味することば。口語で、「愛する人」と呼びかける時も、この言葉を用いるらしい。

私が最近スペインに行ったと聞いてのチョイスだ、と友人は言った。友人曰く、表参道という立地の割にリーズナブルでおいしいコース料理が楽しめ、かつ、店員の接客態度が素晴らしいらしい。確かに懇切丁寧な接客で好感が持てた。今回は奮発して、パエリアランチとサングリアを注文した。

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旬の食材を用いて、彩りも美しく、程よいボリュームで、味も申し分のない料理の数々だった。楽しいひとときを過ごして、「ねっ、素敵なお店でしょう?」「そうね。また是非来てみたいお店だわ」と友人と賞賛していたのだが、程なくして、この店が来月の半ばには閉店するという残念な知らせを耳にしてしまった。せっかく今回知り得たのに

私達の来店時、店内は満席で活況を呈していた。それなのに閉店?なぜ?某大手化粧品会社が経営母体と言うこの店の閉店は、昨今の不況の影響か、社の経営方針が本業に軸足を置くことに伴うレストラン事業の撤退と言うことらしい。

一見、どの繁華街も人波が絶えず活況に見えるが、さまざまな企業が倒産、もしくは不採算事業を撤退、縮小しているのもまた事実。撤退の判断は企業の損得尽くでなされ、消費者の支持・不支持とは関係ないことも少なくない。かくして、誰かのお気に入りがひとつ、またひとつと消えて行くのだ。不況はじわじわと忍び寄って、人々から容赦なく楽しみを奪って行く。

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2010/10/9

一言が足りない!  日々のよしなしごと

「一言が足りない!」人が、しばしば見受けられる。

今日も遭遇した。駅前の商業施設で満員のエレベーターに乗っている時、途中階で降りる人がいた。

それはそれで当然なのだが、まあ、一番奥に乗っていたのも仕方ないとしても、

降りる時に

「スミマセン、降ります。」の一言はないのか?

途中で他人の衣類に手持ちの傘が引っ掛かっても、他人の足を踏んでも意に介さず、無言でグイグイ他人を押しのけて行く。今回は60代と思しき男性だった。

「ああいう人が長生きするんだろうね」
と、エレベーターの奥から、男性の吐き捨てるような台詞が聞こえて来た。

一言が足りないばかりに、人と摩擦が起こる。逆に一言あれば、多くの人は快く通り道を開けてくれるはずだ。その方が絶対スムーズに降りられるはずなのだ。

一言は効果絶大なのである。社会の中で生きていく以上、私達人間はコミュニケーションの努力を怠ってはいけない。

自らの怠慢で、社会を世知辛いものにしてはいけない。

自戒を込めて。
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2010/10/7

親の自覚と責任  はなこ的考察―良いこと探し

 我が家は子供の帰宅時間にうるさい。特に夫が口うるさい。大学生とは言え、基本的に授業のある週日は十時まで(遅くとも日付が変わる前)に帰宅するべきと言う不文律がある。帰宅があまり遅くなると生活リズムが狂い、翌日に差し支えると言うこともあるし、昨今の治安の悪化で犯罪に巻き込まれる懸念もあるからだ。どうしても遅くなる時は理由と帰宅時間を明らかにし、帰路も携帯メールで途中経過を報告するよう、息子に口酸っぱく言い聞かせている。

 息子は両親の厳しさに不満げだ。「他の家はそんなに厳しくない」と。しかし私達に言わせれば、ヨソはヨソ。ウチはウチ。少なくとも親のスネをかじっている間は、子供が親の管理下にあるのは当然のことだと考えているし、こんなに厳しいのも息子のことが心配だからだ。大事に思っているからだ。

 逆に息子のことがどうでも良いのなら、私達は彼が何時に帰って来ようが、何をしようが、一切関知しないだろう。携帯電話を持たせて「連絡がないのは元気な証拠」と安穏に構えているだろう。

 誰が何と言おうと、彼のことを心底愛しているからこそ、親として彼に時には厳しく当たるのだ。最終的に彼が独り立ちできるよう、その時が来るまで全身全霊で彼を守り、サポートする。それが親の務めと信じている。

 実は私の場合、自分の親を反面教師にしているところがある。私の親は子育てに無関心だった。長患いで気持ちが荒んでいたこともあるが、父の関心は自分自身のみにあった。子供のことなど眼中になかった。そして母は我が侭な父にただ従うだけだった。おかげで私は勉強が好きだったのに大学進学は許されず、高校を卒業したら公務員になれと言われ続けた。4人兄弟の一番上の責任感から公務員試験は2度合格を果たしたが、結局公務員にもなれなかった。

 自分なりに将来の夢があり、その為に大学に進学したかったにも関わらず、当時両親はおろか、周囲に誰もサポートやアドバイスをしてくれる人がいなかったことが、返す返すも哀しい。同級生の中には、担任教師の説得で進学に反対していた親が翻意して、大学進学を果たした友人もいたし、後の職場の先輩の中にも、伯父の経済的援助で大学を出た人がいたのだから。その後、私は紆余曲折を経て、自力で大学に進み今に至っているが、子供時代の辛かったことや、大学進学前に、学費捻出の為に一時籍を置いた職場で受けた屈辱は、今でも忘れられない。せめて当時、知恵を授けてくれる大人が身近にいたならば、もう少し要領良く生きられたような気がする。

 もちろん、どんなに環境に恵まれていたとしても、自身の能力だけでなく、しばしば運も左右するから、自分の進路希望が叶うとは限らない。寧ろ自分が希望した職業に就けた人の方が少ないだろう。それでも私の場合、長子と言う理由だけで、まだ子供であったのに親に頼られ、その我が侭に振り回されたことは、今でも親子関係にわだかまりを残している。当時の私の苦境を知らない年の離れた弟妹達とも、今ひとつ心を通わすことができないのも、そのせいなのかもしれない。(私のようなケースは、昔ならいくらでもあったのかもしれないが、当時の私の友人達は恵まれた家庭の子ばかりだったので、彼我の違いに、尚更自分が惨めに思えてならなかった)

 だからこそ、我が子には自分と同じ轍を踏ませたくない思いが人一倍強いのかもしれない。最後は彼自身の力と運次第であっても、彼が巣立つ日まで、彼から助力を求められたら、親として出来る限りのことはしてあげたい。息子から時には疎まれても、無用な危険から彼を守りたい。それが息子をこの世に送り出した親としての最低限の務めだと思っている。

 ニュースで子供を巡る痛ましい事件を見聞きする度に、私は親としての責任を痛感する。親のもう少しの「親としての自覚」「我が子への愛情」で、救えた命はけっして少なくないのではないか、と思う。

 ”幸運にも親になれた”(そう、子供は授かりものである)世の親ごさん達には、我が子にありったけの愛情を注いで欲しい。責任をもって、その自立を最後まで見届けて欲しい。単なる甘やかしでなく、我が子の自立を促すことを前提とした愛情なら、注いでも注ぎ過ぎることはなく、その愛情は我が子の自尊心を育て、将来に渡って我が子の生きる支えになると思うから。
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2010/10/5

日中対立の解決策 by ジョセフ・ナイ氏  はなこのMEMO

 このところの尖閣諸島を巡る日中対立について、国内外でさまざまな意見が出てはいるものの、個人的に納得の行く意見には出会えないでいたが、漸く冷静な分析に基づく見解を目にすることができた。

 下記のリンク記事は、私が抱いている幾つかの疑問に、ひとつの明確な答えを提示してくれて参考になった。フリー・ジャーナリスト・瀧口範子氏による、ジョセフ・ナイ元米国防次官補・現ハーバード大学教授へのインタビューである。このような見解が日本国内の知識人から出て来ないのが何だか残念で、かつ心配である。

『日中対立の本当の解決策(ジョセフ・ナイ元米国防次官補インタビュー)』
(DIAMOND online 特別レポート、第90回、2010/10/01配信)

 ネット上のリンク記事は時間の経過と共に見られなくなる可能性が高いので、以下に抜粋(一部要約)を記しておく。

 ジョセフ・ナイ氏はカーター政権及びクリントン政権下で要職を務めた米国を代表するリベラル派の学者であり、知日派。1937年生まれの73才。

 クリントン政権下で、米国が東アジアとの関係を深めて行く中で対日関係を再評価するきっかけを与えた「東アジア戦略報告」(1995、通称・ナイ・イニシアティブ)、

 同じく知日派として知られるリチャード・アーミーテージ元国務副長官らと超党派で、台頭する中国への対抗策として日米同盟を英米同盟と等しく深化させるべきと説いた「政策提言報告書」(2000年代)をまとめあげた。

 国の競争力について、ハードパワー(軍事力や資源)ソフトパワー(文化的・政治的影響力)を組み合わせた「スマートパワー」の重要性を提唱。

今回のような中国の行為は長期的に見て中国の近隣諸国との関係を悪化させる。

■そもそも中国が謝罪を求めること自体が間違っている。船長が釈放された時点で謝罪と賠償を取り下げるべきだった。

尖閣諸島については、日中両政府が領有権を主張しているが、日本がずっと領有(in possession)してきた経緯がある。基本的に現在の状況は、日本が領有しているというものだ。

アメリカの立場は、日中両国と良好な関係を保ちたいというものだ。アメリカは中国との友好関係を保持することを希望する一方で、日米安全保障条約の同盟国としての日本をサポートする。漁船の衝突問題や領土問題の解決には乗り出さないが(←君子危うきに近寄らず。米国外交一流のバランス感覚?)同盟国としての日本が尖閣諸島を領有しているという事実を認識しているということだ。

中国の国内政治は最近、国粋主義に傾いている。加えて、(リーマンショック後)世界が経済危機に陥った中で、経済的に成功したことに高いプライドを感じている。それが、国際政治において積極的な行動に出させている。

■つまり、(今回の威嚇行為は)日米関係が悪化していると見たからではなく、最近の中国の典型的な行動と言える。同様の領土問題は、尖閣諸島だけでなく、南シナ海や北ベトナムでも起きている。

最良の解決策は、中国が賠償要求を取り下げ、日中が直接協議のテーブルに戻ることだ。そして、日中両政府が合意している東シナ海のガス田共同開発プロジェクトを開始することだ。このプロジェクトは、日中が友好関係を深めて行くために重要な役割を果たす。この当初の路線に戻るのが良策だろう。

■(「中国の権力中枢では、一体何が起きているのか?」の問いに対し)

理由はふたつある。ひとつは国内での国粋主義の高まり。ブログやインターネットの投稿、人民解放軍高官の態度にもそれが出ている。

もうひとつは、2010年に予想される指導部の交代だ。現首脳(温家宝首相や胡錦濤国家主席)は、次期指導部がトウ・ショウヘイ(故人)の敷いた注意深い外交政策を引き継いで行くことを望んでいるが、中国共産党の若い世代には、もっと強い中国を目指す傾向がある。これが表面化している。

■(中国と北朝鮮の関係についての質問に答えて)

中国は、北朝鮮との関係でふたつの目標を持っている。ひとつは核保有を制限すること。もうひとつは国家崩壊を防ぐことだ。北朝鮮の崩壊による難民のなだれ込みを防ぎたい中国としては、北朝鮮に対して厳格な態度に出て来られない。逆説的だが、北朝鮮はその弱者的な立場国家パワーとして利用している(←これ位の強かさが日本外交にあったらなあ…)。

中国は、北朝鮮が国家崩壊を免れるためには中国的な経済改革を推進することが必要だと見ているが、北朝鮮にはその意思がないという状態だ。

■(中国の周辺諸国との領土問題についての質問に答えて)

2002〜2003年に遡れば、実は中国はASEAN諸国に対して、南シナ海の領有問題でより穏やかな立場で臨むというソフトパワーを使っていた。ところが、ここ数年で態度が硬化してしまった。経済的成功を背景に、若い共産党員の態度も強気になり、近隣諸国が中国の言い分を聞き入れるべきだと考えるようになったのだろう(←ビックリの3乗)

中国は元の路線に戻るべきだ。アメリカは、アジア地域で中国が融和的姿勢を保つことが、中国、アメリカ、日本を含めたすべての国の経済発展にとっていいことだと見ている。

■(中国の硬直化した現状を憂う声に対し)

ゲームには、双方が負けるものと、どちらも勝つ(WIN & WIN)ものがあるが、我々は後者を探求すべきだ。対立状態は何も生産しない。外交交渉こそ何ものにも勝る。中国にもそう考えてもらうしかない(←あらら…結局、中国の改心に期待するしかないのか…)

 
【感想】

 この記事を読んで個人的に特に印象に残ったのは、国策としての教育の重要性だ。中国は天安門事件(1989)以降、共産党独裁体制維持の為に、愛国主義教育に注力して来たと言われている。その教育を受けた世代が政権中枢で活躍する時代に入った現在、国粋主義が台頭し、その独善的思想が国を誤った方向へと導きかねない事態に陥っている。

 人間であれ、その人間が形成する国家であれ、単独では生きて行けない。周囲との調和を図りながら共生の道を探る、つまりナイ氏も提唱する他国とのWIN&WINの関係が、結局自国の長期的繁栄をもたらすことを、中国の若い世代は気づくべきだと思う。

 それは我々日本人にも言えることで、対立からは未来志向は生まれず、憎悪だけが募るばかりだ。特に日本人(政府)はいい加減口下手をどうにかした方が良い。以心伝心が通用するのは日本国内だけで、国際社会では主張して初めて、耳を傾けて貰えるのだから。自分(日本)の立場を国際社会できちんと主張できなければ、心に鬱憤(国民の不満)が溜まる一方だ。そして、私が何よりも恐れるのは、その溜まりに溜まった鬱憤のエネルギーが暴発することだ。論戦を交えることなく、いきなり武器で戦いに挑めば、日本は確実に孤立する。

 武器を持って立ち上がる前に、まずは論を尽くさなければならない。自国だけで立ち向かえない相手であれば、国益(主張)を同じくする仲間を集めて集団で立ち向かえば良い。経済関係は一国への集中依存を止めて、リスク分散に努めるべきだ。自国を守る為には知力を尽くして、時にはずる賢く立ち回る術も身につけた方が良いだろう。今回の騒動で、日本は実に多くのことを学んだはずだ。災い転じて、福と為すだ!

 そして、今の日本の一番の問題は、国家としての理念が明確でないことではないか?日本と言う国が長期的にどのような国家を目指すのかの理念が確立されていない為に、国家を形作る国民像も今ひとつ明確にできず、その結果、教育政策も一貫性を欠く事態となっている。もちろん中国のような体制維持の為の政策などもっての外で、もっとスケールの大きな理想像を描いて欲しい。例えば「国際社会で尊敬される国家と国民」とかね

 その為には、柔軟な思考を持ち、あらゆる点でバランス感覚に優れ、論破できるディベート能力を備え、語学力に長け、心身共に健康な人材を、できるだけ数多く日本は育てるべきだと思う。それは自国にとって有益であるだけでなく、国際社会が求めている人材でもあり、私自身、もう一度生まれ変われるのなら、そのような人間に育てて貰いたい。ひとりの人間としても、これならサバイバル能力は相当高いと思うぞ!

 かつて、安倍元総理は『美しい国へ』(文春新書)と言う著書で、自身の理念を示した。結局、力不足で看板倒れに終わってしまったが、その試み自体は間違っていないと思う。理念なくして道標なし。このことは、いみじくも迷走を続ける現政権の在りようが物語っている。

長々と失礼しました
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タグ: 日本 外交 教育

2010/10/4

喫煙者にお願いしたいこと  はなこのMEMO

報道を見聞きする限り、10月1日のタバコ一斉大幅値上げを巡る喫煙者の動きは、さながら集団ヒステリーの様相を呈していた。値上げを見越して買い溜めする為にたばこ販売店に殺到する。果ては、窃盗、強盗に走る。店頭でテレビのインタビューに半ば困ったように、半ば嬉しそうに答えていた人、テレビに映って舞い上がっていたのかもしれないが、その実、世間に「私はニコチン中毒です」って喧伝したようなものだと思うんだよね

今回、大幅値上げと言っても、他の先進国の1箱の値段に比べたら半額位で、まだまだ安い。これを機に喫煙を止めると言う人も一部いるらしいが、大半の人は懐具合を気にしながらも止められないでいる。「権力の横暴に従いたくない」と嘯いても、結局ニコチン中毒なのである。意思に関係なく身体がニコチンを求めるので、喫煙が止められないだけなんでしょう?

受動喫煙防止条例の施行により、神奈川県内にある私の行きつけの店は、殆ど店内禁煙になった。条例は、分煙が徹底できる施設ならば喫煙を認めているが、殆どの飲食店は店舗面積が狭小であったり、改装コストの問題で、全面禁煙に踏み切っているようだ。おかげで、嫌煙派の私にはすこぶる快適な空間になった。何と言っても空気が不味くない。料理が美味い。

だからと言って、全喫煙者を全施設から駆逐したいとまでは思っていない。そこまで傲慢でも、嫌煙原理主義者でもない。最低限、棲み分けができれば良いのだ。或いは、喫煙者には、けっしてニコチンの奴隷にならず、あくまでも自らの主権者として自らの行動を制御して欲しいのだ。つまり禁煙場所はもちろんのこと、子ども達やたばこの煙や匂いが苦手な人の前での喫煙を控え、たばこの吸い殻をポイ捨てせず、自分や家族の健康と将来(貯蓄等)の為に喫煙本数を減らす努力をする。

果たして、どれだけの喫煙者が、自分をコントロールできているのだろう?おそらく、大半の人はコントロールできていると信じたいが、これは過半数ができれば良し、と言う問題ではなく、すべての喫煙者がそうであって欲しい、そうあるべきなんだと思う。もちろん自分を含め、人間はそんなに意思が強い人ばかりではないことを承知の上で書いているが、逆に「自らの意思で努力すること」も人間だからこそできることなはずだ。

今や、世界の知識階級では喫煙をしないのがスマートだとされている。たばこのCMも多くの先進国では大っぴらには流せない状態だ。映画でも有名俳優らがこぞって喫煙するシーンを映し出し、一般の老若男女もチェーンスモーカー状態だった1950、60年代からすれば、何とまあ大きな変わりようである。そして、先進国のたばこメーカーは、自国内でのの売り上げ減少による損失補填の為に、アジア・アフリカ・中南米地域への輸出攻勢をかけている。自分達さえ儲かれば、他国の(しかも、その何れの国々も貧しいか、発展途上にある)国民の健康被害などどうでも良いと言わんばかりだ。

日本は一応先進国の看板を掲げながら、国際的潮流に逆らうかのように、女性の喫煙が漸増傾向にあると言う。どうしてなんだろう?女性の社会進出や晩婚化と関係があるのか?(私が尊敬する独身のキャリア女性も喫煙しているんだよなあ…それで即、彼女に対する尊敬の念がなくなったと言うことはさすがになかったが、少し哀しかったのを覚えている。ブルータス、お前もか、と言う感じ)

少なくとも、赤ちゃんや幼児連れの母親が子どもの前で喫煙している姿を見ると、同じ女性として幻滅(軽蔑?)する。子どもは受動喫煙の被害から、自分で自分を守れないからね。喫煙ママは、自分が幼児・児童虐待をしているに等しいことを分かっているのかな?親が我が子を守れなくてどうする?もとい、親が我が子に対して加害者になってどうする?って話だ。言わずもがな、父親も我が子の近くでの喫煙は厳禁でござる

【追記】喫煙者の中には「過去は喫煙率が高かったにも関わらず肺がんの罹患率は低く、現在は喫煙率が低くなっているにも関わらず肺がんが増えている」と主張する人がいるようだ。しかし、冷静に考えてみて欲しい。現在、肺がんが増えているのは、過去のチェーン・スモーカー世代が老壮年期を迎え、長年の喫煙習慣の結果、肺がんを発症しているに過ぎないのだ。おそらく工業化社会や車社会の進展による大気汚染も影響していると思われるが、それならなおのこと、個人レベルで呼吸器に負担をかけない生き方を選択した方が、より賢明と言えるのではないだろうか?

◆参考サイト:禁煙外来の費用
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2010/10/1

クールな日本  はなこのMEMO

今朝の『ズームイン SUPER』で、元NHK記者&『週刊こどもニュース』のお父さん役、現在はフリージャーナリストとして活躍中の池上彰氏が、外国人から見たカッコイイ日本についてレポートしていた。外国人が高く評価する日本の長所が、フリップにベスト10としてまとめられていたが、短時間のレポートだったので、辛うじてベスト5だけがメモできた。以下に記してみる。

外国人から見て、カッコイイと思う日本

1.礼儀正しさ、親切(←正しくは「サービス」) 
2.日本食
3.ファッション
4.街が清潔
5.神社・寺

他に8位(←正しくは9位)に「交通機関」とあったような気がする。

【追記】6位以下がわかりました。6.メード・イン・ジャパン、7.ポップ・カルチャー(アニメ、マンガ、音楽等)、8.自然、9.交通機関、10.コンビニ

ここ何年も、経済不況、それに伴う失業者の増大、少子・高齢化社会の進展で懸念される社会保障制度の崩壊、揺らぐ政治や官僚への信頼、さらに諸外国との関係等、国内外で山積する問題で、私達日本人はともすれば自信を喪失しがちである。そうした元気のない国民を励ます意味もあってか、メディアではしばしばこのような客観的な日本のイメージ、日本に対する評価を明示している。自己評価が辛口な日本人気質を考慮しての、言わば応援歌のようなものか?

1位に、日本人そのものを高く評価する項目が挙げられていることに注目したい。国の全体的イメージを問う設問で、その国を形成する国民についての高評価が筆頭に来ると言うことは、その国の民度や精神性が高く評価されていると言うことであり、誇るべきことだと思う。久しくMADE IN JAPAN(つまりモノ)が国内外で高い評価を受けて来ただけに、今回モノよりヒトが高く評価されたことは、日本人にとっては嬉しい誤算ではないだろうか?

「あなた方は素晴らしい。日本人の皆さん、ご自分にもっと自信を持って下さい。」と外国人から励まされているようなものなのだ。

もちろん、多くの外国人が自国で日本人に接したことがなく、(自国に輸入された日本製品によってMADE IN JAPANの優秀性は知りながらも)日本人そのものはあまり知らないままに来日、或いは、国策教育によって日本人に対するネガティブなイメージを植え付けられた上で来日し、直接日本人に接して、彼我の違いに驚いたり、予め抱いていたイメージとのギャップに驚いての高評価である可能性は否定できない。

それでも、外国人を感心させた礼儀正しさは古来からの良き伝統であり、日本社会の秩序を支えるものだから誇っていいし、これからも大事にすべきだろう。親切心も、温暖な気候風土で「自然」が人間にとって脅威ではなく共生すべき存在であったと言う恵まれた環境や、農耕文化が育んだ相互扶助精神等、日本人として日本に生まれたからこその気質だろうから、これからも失って欲しくない(失ってしまったら、どんなに世知辛い社会になるか…)。何につけても日本人は自己アピールが下手だが、日本人の良さを理解してくれる外国の友人を今後はできるだけ多く作ることが、日本人が世界で生き残る唯一?の道だと思う。

注)正しくは「親切」ではなく「サービス」であった。おそらく店員等の接客態度を指すのだろう。確かに海外で接する店員の態度は無愛想であったり、ビジネスライクで冷たい印象を受けることが多い。しかし日本も近年は人件費削減で非正規雇用が増えたせいか、社員教育が徹底しておらず、礼儀やもてなしの心を欠く接客態度も散見されるようになった。

また、流動的な雇用の中でサービスの平準化に腐心し、マニュアル遵守を徹底し過ぎるあまり、店員が自らの頭で考え臨機応変に対応することができないケースも増えているようだ。何れにしても、接客態度の根底にあるのは心の在り方である。相手を思いやる気持ち、即ち親切心があって初めて、「クール!」と賞賛されるような接客ができると言うものだろう。

そして言うまでもなく、親切心は普段の生活でも、人間関係の潤滑油として欠くことのできないものである。


2位の日本食は世界的な健康志向がその支持の背景にあるのかもしれないが、海外の食文化を寛容に受け入れ、自国の食文化に巧みに融合させる日本人の器用さ、別の言い方をすれば雑食性(笑)が、外国人の舌を唸らせる豊かな食文化を育んで来たことは間違いないだろう。先日の報道によれば、最近、日本のカレーライスラーメンがアジアや欧米でも人気だそうだ。何れも海外発祥の食文化を移入して日本流にアレンジどころか、日本人ならではの凝り性で独自に進化・深化させて来たもの。一方で、地産地消の地方色豊かな、伝統的な食文化も大事に残して行きたい。

下記のリンクサイトは、日本のラーメンに惚れ込んで4年前に来日し、現在は英語教師をしながら日本のラーメンを紹介している米国人が運営するサイト。因みに来日外国人にダントツ人気なのは、濃厚な味わいのとんこつスープだそうだ。

Ramen Adventures

3位のファッションの充実は、戦後の経済発展が後押ししたものなのかもしれないが、先の上村松園展の感想でも言及したように、豊かな和服文化等、その文化的素地は昔からあったと言えるのかもしれない。興趣に富んだ色合わせ、柄あわせは、日本人の得意とするところではないか?特に今の若者はバブル世代に比べて海外ブランド礼讃色は薄く、自分達の身の程に合った素材を工夫して着こなすのがとても上手い。これこそ、本当のおしゃれだと思う。何よりモノに頼らず(バブル世代は未だに”持ち物”で勝負するようなところがあると思う)、自分達のセンスで勝負しているところが小気味良い。まあ、そうせざるを得ない若者の懐事情なのかもしれないが、逆に分不相応に小金を持ったりすると拝物主義に陥ることもまた確かなのだ。

4位の街が清潔は、日本にいたら当たり前すぎて、案外気づかないものなのかもしれない。ファッションの都パリが今や犬のフンだらけで、足下に気をつけなければならないのは有名な話。そもそも、オスマン主導による大改造の前まで、パリは糞尿まみれの不衛生な街だった。アパルトマンの窓から、平気で路上に糞尿を落としていたのである。『パフューム』と言う映画を見れば、当時の様子がイメージできるだろう。一方、同時代の江戸では、町屋から出される糞尿を農家の肥やしとして利用するシステムが確立され、海外から訪れた外国人が驚嘆するほどの清潔な街並みであったと言われる。残念なことに最近は、故意に人目に付く場所にゴミを投棄する輩も少なくない。目立つのはタバコの吸い殻や空き缶やペットボトル、プラスチック製の弁当箱や袋や包装紙。これを見たら、ご先祖様が泣くぞ。まったく…

5位の寺・神社は、散歩をするとよく目につくものだ。市街地の高い場所から街を俯瞰すると、こんもりと緑が繁茂した一画は、公園以外では寺や神社であることが多い。常に掃き清められた境内は清々しいものだし、暑い夏には豊かな緑陰を提供する場となる。他の宗教圏の外国人から見れば、緑の中に佇む木造の宗教施設は殊の外エキゾチックな趣を感じるものなのだろう。私にとっても、寺や神社は街散歩の休憩地として身近な存在だ。

交通機関も、都市部に限って言えば充実している(地方や郊外は基本的に車社会だものね)。ただし、諸外国に比べて割高感は否めない(特に円高の昨今)。当然、割引パスを使う等して工夫すれば、観光に便利な足となるだろう。何より運行時刻が正確で、比較的安全なことが自慢できるだろうか?もちろん、仕事や急用でない限り、ラッシュアワーは避けたい。

時間を殆ど違わずして、裏番組の『やじうまプラス』が今日を以て最終回と言うことで、レギュラーコメンテーターが最後に贈る言葉として「外へ」とフリップに手書きして、以下のようなことを述べていた。「内向きでなく、外に目を向けてみる。外から日本を眺めてみる。そこで改めて日本の良さが見えて来るかもしれません」別番組ながら、奇しくも同じことを言っていた。マスコミ人が発する、現代日本人へのメッセージなのか?昨今、マスコミの偏向報道に懐疑的な私だが、これは建設的な意見として傾聴に値すると考えている。
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