2009/12/30

こむらさき本店  携帯電話から投稿

熊本に着いて早々に、熊本ラーメンの老舗『こむらさき』本店で、看板メニューの王様ラーメンを食べたのですが、寒かったせいかスープがぬるく、さらに味も今ひとつ物足りない上に、麺も心なしかのびていました。チャーシューも薄くて固い(-_-)。

かなり前に横浜ラーメン博物館で食べた時は、おいしいと思った覚えがあるのですが、どうしたのでしょう?私の味覚が一時的におかしかったのか?今回の熊本日帰り旅で、楽しみにしていたことのひとつだったので、残念です。

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2009/12/30

32年ぶりの熊本  携帯電話から投稿

近いからいつでも行けると思っていたら、32年経ってしまいました(^_^;)。

28日に高速バスを利用して、日帰りで行って来ました。長崎から片道約3時間の道のりです。

写真は熊本城です。昨年の4月に本丸御殿の一部を復元して人気を博しているらしく、日本各地にある城跡で、昨年度は入場者数日本一を記録したそうです。

天守閣の外観は勇壮、御殿内部の設えは豪華絢爛と、なかなか見応えありましたよ♪

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2009/12/30

江山楼の皿うどん♪  携帯電話から投稿

去る27日、前日に合流した夫と家族3人で墓参りの帰り、新地中華街の江山楼で、昼食を食べて来ました♪

夫と息子はちゃんぽん、私は皿うどん。何度も言いますが、ここのちゃんぽんと皿うどんはおいしいですよ♪皿うどんは揚げ麺が特に美味♪♪

長崎においでの際は、是非ご賞味を♪

ごみつさん、ちいちゃん、SirCryさん、コメントをありがとうございます。

実家にはPCがないので、コメントを公開する手続きができません。携帯電話も、私のものはネットに接続できない設定なのです。

コメントを寄せて下さった皆さま、ご縁あって当ブログにお越し下さった皆さま、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

なお、コメントの公開、コメントへの返信はできませんが、時間の許す限り、携帯電話からの記事投稿は続けたいと思います。読んでいただければ幸いです。


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2009/12/24

長崎に到着♪  携帯電話から投稿

『長崎空港特製ちゃんぽん』が、出迎えてくれました(^O^)。

具材が丸ごと入っています。デカイです(@д@)

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2009/12/24

良いお年を♪  お知らせ

こんにちは。

私は息子と共に、一足先に九州に帰省します。

皆様にとって、来年が良い年となりますように。


はなこ

2009/12/22

北の丸公園界隈  散歩の記録

クリックすると元のサイズで表示します久しぶりに「くに」のハンバーグステーキが食べたくなって…

 ただそれだけの理由で、日曜日に市ヶ谷まで行って来ました(笑)。息子の大学入学式の帰り以来の「炭火焼きステーキ くに」のビーフ・ハンバーグです。やっぱりおいしかった

 食後にトイレを利用したら、壁に雑誌の切り抜きが貼られていました。おそらく、おいしいハンバーグステーキの特集記事からだと思うのですが、1ページに大写しの写真で「第4位」とありました。知る人ぞ知る、おいしいハンバーグ・ステーキなんでしょうか?
 
 とにかく、この店オリジナルのオニオンソースでいただくのがオススメ。季節毎に付け合わせの野菜も異なり、ボリュームもたっぷりで、いつも大満足の味です。

 「くに」での食事を終えて、靖国通りを九段下方面に向かい、田安門から北の丸公園へと入場しました。武道館前を通ると何やら慌ただしい様子。よく見ると「矢沢永吉」の武道館ライブが5日間に渡って開催されているようでした。

 周辺に、いかにも「永ちゃんファン」らしき男女の姿が何人も。いわゆる「ガテン系」の人が多い印象。ヤンキーっぽい人も。年代的には40〜50代の人が多かったような。矢沢永吉と共に青春期を過ごし、今に至っているのでしょうか?

 何十年にも渡って好きなアーティストが第一線で活躍しているのは、ファンにとって嬉しいことだろうし、日々の生活の糧にもなるのでしょうね。年に一度の「武道館詣で」なのかもしれない。中には肩をいからせて、有名な「E. YAZAWA」タオルを首から提げて、既に戦闘、もとい、観覧モードに入っている男性がいました(たぶん開演は、その4、5時間後位)

クリックすると元のサイズで表示します 次なる目的地は東京国立近代美術館工芸館だったのですが、途中で明るい陽射しに照らされる銅像を見かけました。まるで新品のような銅光です。近づいて見てみると、なんと「吉田茂像」でした。しかし、実際に鋳造されたのは昭和56年。今から30年以上も前のようです。年末と言うことでキレイに汚れを落としたのかもしれません。屋外の銅像には珍しい赤銅色が印象的でした。

 作者について調べてみたのですが、詳細は不明。北村光雲と言う説もあります。なにぶん散歩の途中に偶然、その存在に気づいたものだったので、どこかに解説ボードがあったのかもしれませんが、私や夫はそれを見つけることができませんでした。

クリックすると元のサイズで表示します ほどなくして、東京国立近代美術館工芸館に到着。歴史的風情のある洋風建築です。敷地内の解説ボードによれば、元は近衛師団司令部の建物だったとか。明治43年(1910)年3月築と言いますから、来年の3月には建築100周年を迎えるんですね。

 ある方からいただいた所蔵作品観覧チケットを持って行ったのですが、元々官庁舎だったところを美術館として使用しているせいかスペースに余裕がなく、企画展開催時は所蔵作品は見られないそうです。

東京国立近代美術館工芸館 建築の紹介(東京国立近代美術館公式サイト)

クリックすると元のサイズで表示します 仕方なく工芸館を後にして、ふと右手を見ると、大木の影に隠れるようにして、威風堂々とした銅像がありました。馬にまたがる北白川能久(よしひさ)親王像です。北白川公も、作者の新海竹太郎も、近衛師団ゆかりの人物ということで、旧近衛師団司令部である工芸館近くに銅像が鎮座しているようです。

 本作を見て、まず目に飛び込んで来たのは、今にもいななきが聞こえてきそうな躍動感溢れる馬の姿です。この造形は実に見事と言っていい。作者の新海氏が作家として初めて手がけた作品も馬だそうで、彼が最も得意とする造形だったのかもしれません。

 偶然ですが、最近テレ東の「なんでも鑑定団」で、この新海氏が取り上げられたばかりで、その時の解説では、この像を正面から見た時に、馬が前足を高くあげた造形であるため、銅像の主たるモチーフである北白川公の顔がよく見えないことが、建立時、問題視されたそうです。しかし、後世の私達から見れば、軍人銅像の定番である騎馬像の中でも、迫力ある傑作のひとつと言えるでしょうか?周囲の緑と銅像の緑錆?とが溶け込んでいて、撮りづらい被写体ではあります。 

クリックすると元のサイズで表示します この後は、最寄りの北はね橋門から皇居東御苑へ入場しました。雲一つない澄み切った青空を見上げると、都心のオアシスとも言える広々とした空間で、思わず深呼吸したくなるような、そんな気分になりました。

 写真奥に見えるのは、本丸跡です。ここにいつも来る度に感心するのは、手入れの行き届いた庭の美しさです。簡素で端正で品が良い。さすが、かつては将軍のお膝元、現在は帝のお庭でござりまする。

クリックすると元のサイズで表示します 最後に三の丸尚蔵館に寄って、大手門から退場しました。三の丸尚蔵館では、天皇皇后両陛下ご成婚50周年、天皇在位20周年を記念して、これまでに各都道府県から献上された各地の特産工芸品が展示されていました。値段のつけられない工芸の粋が一堂に会した、贅沢な展示でした。

 三の丸尚蔵館は大手門口近くにある、こぢんまりとした展示室ですが、散歩の終わりを締めるにふさわしい見応えのある皇室コレクションを無料で見られます。開館中なら、これを見ない手はありません。

「花鳥ー愛でる心、彩る技〈若冲を中心に〉」(2006年の三の丸尚蔵館についての本ブログ内レポート)

 天気の良い日には散歩にでかけましょう♪気分転換と運動にはもってこいですよ。


2009/12/19

日本酒の危機  はなこのMEMO

 今朝の「ウェークアップ・ぷらす」で、日本酒の危機と、それに立ち向かう地方の造り酒屋の奮闘が伝えられていた。

 日本酒の消費量1975年の167万キロリットルをピークに年々減少し、2007年には約3分の1の66万キロリットルにまで落ち込んでいると言う。それに伴い、酒蔵の数も減少の一途を辿り、1995年に4021場あったのが、12年後の2007年には1845場と半減したらしい。

 その理由のひとつは、消費者の嗜好の多様化である。今では後発のワインやビールや発泡酒に押され気味なのだ。さらに今年は、ウィスキーを炭酸で割るハイボールが、若い頃を懐かしむ中年層だけでなく若者にも人気だそうで、居酒屋での「手始めにビールを一杯」が、ハイボールに取って代わられたとも聞く。ウィスキーも久しく不振が伝えられていた中で、気軽に楽しむ方法をCM等でPRして、復活の兆しを見せたと言えるだろうか。

 ボランティア仲間のMさんのご実家も、明治から続く造り酒屋だそうだが、最近、取引先の問屋が潰れてしまったそうだ。それで販路が途絶することはないだろうが、商売の痛手になることは間違いない。

 このままでは日本酒業界はジリ貧である。しかし、一部の地方の造り酒屋では、さまざまな起死回生策を講じて、果敢に危機に立ち向かっている例もある。

 現地レポートは、京都伏見の、とある造り酒屋で行われた「蔵開き」から始まった。新酒の試飲を求めて人々の長蛇の列。そのフレッシュな味わいに人々は舌鼓を打つ。まろやかな水質の水で造られる京都伏見の酒は「女酒」、硬質な水で造られる兵庫灘五郷で造られる酒は「男酒」と呼ばれるらしいが、酒造組合を組織して、一人前になるのに10年はかかると言われる杜氏の育成を共同で行ったり、震災で機械設備が壊れたのを機に、すべて手作業に切り替え、より質の高い酒造りを目指していると言う。

 日本最大のネット・ショッピングモール「楽天市場」には、日本酒ジャンルグループと呼ばれる販売企画部門が存在し、季節毎に日本酒の楽しみ方を提案する等して、日本各地の日本酒の販売に力を入れている。地方の造り酒屋は、こうしたネット販売を通して自社の酒を広く知って貰い、販路の開拓に成功しているらしい。造り手も送り手も、日本酒を日本文化のひとつとして捉え、自らをその文化の担い手として自負して止まないところが印象的だった。

 日本酒復活のキーワードはふたつ。「女性」と「地元密着」。

 復活を目指して、日本酒業界では、女性をターゲットにした商品開発が進む。古酒をかけて食べる「清酒アイスクリーム」(伏見夢百衆)。酒粕を使って練り上げた生地で「こしあん」を包んだ「醸まん」(腰掛庵)。しゃれたパッケージ・デザインの発泡性日本酒「咲」(出羽桜酒造)。日本酒を使った化粧品「モイストムーン」(月桂冠)。

 番組では、地元に拘った酒造りに力を入れる地方の造り酒屋を紹介していた。「地元密着」で「世界一」になった酒蔵である。山形県天童市の老舗「出羽桜」は、国内で最も権威のある鑑評会で、12年連続、金賞を受賞。さらに去年、国際コンテストで「チャンピオン・サケ」に選ばれた。世界20カ国に輸出するなど、売り上げも順調に伸びていると言う。「出羽桜」は、多くの蔵で作業の機械化が進む中、一本一本、職人の手作業で造り、精米から貯蔵まで徹底したこだわりを見せる。

 「地元のお米、水、風土、人で作ったのが、本当の地酒。そして地元の人に飲んでもらうことをまず誇りとして、自信として、県外・海外にお届けする」(出羽桜酒造 仲野益美社長)

 全体的に沈滞ムードが漂う中で、着実に業績を伸ばしている酒造メーカーもあるにはあるのだ。その成功の秘訣は、王道の酒造りへのこだわりであったり、周到なマーケティングであったり、現代社会システムの変化を捉えた、積極的な販路開拓であったりと、創意工夫に溢れた、「攻めの経営姿勢」にあるようだ。とても興味深いレポートだった。

2009/12/19

最近ハマっているもの  日々のよしなしごと

 今年の9月からKDDIのひかりONEサービスの利用を始めて以来、地上波のテレビ番組より、光ファイバーケーブルで配信される番組を見る機会が増えている。特に米国製テレビドラマを見ると、その重層的なプロットに引き込まれて、日本のものが貧相でつまらないものに見えてしまう。日本のサスペンスドラマなんて、大抵冒頭で犯人はわかってしまうし、ストーリーも想像がついてしまうからね(サスペンス性を重視するか、事件を巡る人間ドラマを重視するかの、ドラマとして目指している方向性の違いなのかもしれないが…)。

クリックすると元のサイズで表示します 「アメリカン・アイドル」と言う新人発掘オーディション番組の評判は以前から聞きつけていたが、そのダンス版の「アメリカン・ダンス・アイドル」が先週から毎夕放映されているのを殆ど欠かさず見ている。これがとても面白い。息子と殆ど同世代の若者が、全米人気ナンバー1ダンサーを目指して、約3カ月に渡って自らの専門外のジャンルのダンスにも果敢に挑戦し続ける趣向だ。

 全米各地でのオーディションで、4000人以上の応募者の中から、トップ20に選出された男女各10人がクジ引きでペアを組み、ダンスバトルを繰り広げるのだ。毎回の課題ジャンルもクジ引きで決まる。全くの経験がなくても、わずか5時間半の指導、2日間の練習でモノにしなければならない。しかもただ振り付けを覚えるだけではダメで、振り付け師が考えたストーリーの主人公になりきって演技し、かつ自分の個性も表現しなければならない。審査員が次代を担うダンサー達に求めるレベルはかなり高い。

 踊り終わってほっとする間もなくダンサー達は、手厳しくも的確な審査員の講評を受けることになる。実はこの講評の時間が、個性豊かな審査員の発言で、会場も大盛り上がりなのだ。英国人らしいウィットに富んだ表現のナイジェルと、陽気なアメリカ人らしい豊かな感情表現(この人、時々絶叫するのだ・笑)が特徴のメアリー。この2人は常任らしく、3人目の審査員は週替わりで顔ぶれが違う。高名な振り付け師だったり、演出家だったり…。そしてMCのキャット・ディーリーの巧みな進行には感服する。彼女のダンサー達との軽妙かつ心のこもったやりとりや、毎回惜しげもなく披露してくれる脚線美も魅力的だ。先発の「アメリカン・アイドル」を下敷きに、演出もよく練られ、洗練された番組だと思う。

 そして毎回、全てのペアが踊り終えた後に、視聴者からの電話による人気投票が行われ、次回の番組冒頭で下位3組が発表されるのだ。残念ながら下位3組に選ばれてしまったダンサー男女6人は、敗者復活をかけて、得意のソロで勝負する。そこで男女それぞれ1人が、3人のプロの審査員によってふるい落とされる、と言う仕組みだ。これがTOP10に絞られるまで続くらしい。現時点で、20人から14人に絞られた。ペアの相手がふるい落とされたダンサーは新たな相手と組んで、次回に臨むことになる。面白いことに、これまでプロの審査員に酷評されたペアが、視聴者の人気投票で残ったこともある。

 一口にダンスと言っても、そのジャンルが幾つもあるのに素人の私は驚いた。モダンバレエ、ジャズ、タンゴ、サルサ、ディスコ、ワルツ(社交)、ブロードウエイ、コンテンポラリー、ヒップホップ、ブレイク…さらにアフリカン・ジャズなんてものもある。やはりダンサーとジャンルの相性というのもあるので、前回では絶賛されたダンサーが、一転して酷評されることも珍しくない。

 この番組の何が魅力かと言えば、一流を目指して凌ぎを削る、若きダンサ−達の直向きさである。回が進むにつれ、彼らがライバルを蹴落とすと言うより、互いに高め合う関係を築いて行っているのが見て取れる。今回もバトルに敗れ、ステージを去って行く仲間の頑張りを讃え合う姿は実に清々しかった。また、回を追うごとに、ダンスがどんどん上手くなっているのが素人目にもわかってワクワクする。そして、さまざまなバックグラウンドを持った若者が屈託なくペアを組み、力を合わせて課題に取り組む姿が、多民族&多文化国家である米国を象徴していて印象的だ。今回はカザフスタン共和国からの移民の青年もいる。彼はまさに身ひとつでアメリカン・ドリームを体現しようとしているのだ。

 まだまだバトルは続く。私がお気に入りのペアは、審査員からも高評価を得て勝ち進んでいる。トップ10に絞られた時点で審査は審査員の手から離れ、視聴者投票で決まるらしい。技術では甲乙付けがたいトップ10ダンサーの中から選ばれるナンバー1ダンサーは、視聴者を引きつける”何か”を持ったダンサーと言うことなのだろう。番組自体は米国で昨年放映されたもので、結果は既に出ているが、彼らの優れたダンス・パフォーマンスは見逃せない。

「アメリカン・ダンス・アイドル シーズン4」公式サイト



2009/12/17

人間って、そんなに立派じゃないよね…  はなこ的考察―良いこと探し

 マイケル・ジャクソンやタイガー・ウッズを巡る醜聞でつくづく思うのは、名声や富と引換えに彼らが背負った偶像の重さである。彼らがそれぞれの分野でたとえスーパースターであっても、人間である限り完全無欠ではあり得ないはずなのに、「世間」は、彼らが長所と欠点の両方を持ち合わせた1人の人間であることを許さない。

 世間に発するパワーが強大であればあるほど、彼らが世間から受ける過大な期待は、プレッシャーとなって彼らの精神を圧迫する。もちろん彼らは自分の立場を弁えていて、世間の期待に応えるべく最大限の努力をする。しかし、そうした状況の下で、1人の人間としてその精神の均衡を保つのは、けっして容易なことではないだろう。それがマイケルの桁外れな浪費や不可解な行動、そしてウッズの常軌を逸した、数多くの女性との浮気なのかもしれない。確かにその一連の行為は褒められたものではないが、1人の人間としての弱さが垣間見えて、寧ろ人間味が感じられるのではないか?

 そもそも幼い頃から、ショービジネスやスポーツの世界で、ひたすらその道に精進して来ただけの彼らに、「世間」の常識を求めるのは酷な話ではないのか?「世間」のモノサシで、スーパースターは測れない存在と言えるのではないか?彼らの才能に驚嘆し、感動し、十分楽しませて貰って来たはずの「世間」は、「世間」が創り上げた「偶像」から、彼らが僅かでも逸脱することを許さない。過ちを謝罪しても許さない。反省して、やり直す猶予も与えない。なぜ?それで、「自分」にどんな実害が及ぶと言うのか?これはどう見ても、「世間」の身勝手だ。彼らの才能から受けた「恩恵」を、「仇」で返す行為に等しい。

 その才能の素晴らしさを、「失ってから」気づくのでは遅過ぎるのである。 

2009/12/14

およそ10年ぶりに絵を描いた?!  ボランティア活動のこと

 昨日はボランティア研修で、東京芸大において、銅版画制作をしました。やはり単に情報として知っているより、実際に作品制作をし、一通りの制作工程を知っておいた方が、ギャラリートークでも、より説得力を持って銅版画作品について語れるのではないでしょうか。その意味で、今回の研修は得難い経験でした。今回、素案を企画立案して下さった、ボランティア・スタッフのIさんに、心から感謝したいです。

 ここで銅版画についてミニ知識をば。銅版画はその名の通り、銅板を版として用いる版画の技法のひとつです。銅版に刃先が三角刀に似た?ビュランやニードル等で線描し、銅版表面の線描の溝にインクを充たして、紙に写し取るのです。銅版画はさらに、刷る前の銅版をどう処理するかによって、エングレーヴィング、ドライポイント、エッチング、アクアチント、メゾチント等に細かく分類されますが、今回、私はレンブラントが好んで行ったエッチングとドライポイントの技法を用いて作品を作ってみました。

クリックすると元のサイズで表示します 銅版画の起源は1430年頃にライン河畔のドイツに生まれた凹版画と言う説が有力ですが、それ以前に、甲冑に文様を刻む装飾金工技術が、銅版画の生まれる素地となったと言えるでしょうか。この為、当初は銅板ではなく、鉄板が用いられたようです。

 そもそも当初は無署名の職人芸としてスタートした銅版画ですが、マルティン・ショーンガウアー(独1430-91)によって技法的に綜合されてのち、アルブレヒト・デューラー(独1471-1528)によって芸術の高みへと押し上げられた、と言われています。そして、レンブラント・ファン・レイン(蘭1606-69)が、銅版画の技法のひとつであるエッチングの、表現技法としての可能性を大きく広げました。その後はスペインの画家、ゴヤピカソが印象的な銅版画作品を多数残しています。

 銅版画家としてはやはりデューラーが圧巻で、彼が得意としたエングレーヴィングという技法は、上述のビュランと言う道具を使って、銅版に線を刻んで行くのですが、今回、試みにビュランを使わせていただいたところ、素人は直線を引くのさえおぼつかない。銅版に対してビュランの刃先が、どの傾斜角度で入るのかが、どうもポイントのようです。彼の代表作《メランコリア》(右上画像)では多彩な線描及び点描技法が用いられていますが、今回の先生の解説によれば、ビュラン1本でこの作品を仕上げたのだそうです。まさに超絶技巧と言えるでしょうか。


 さて私にとって、銅版画制作は、もちろん初めての体験です。実は絵をひとつの作品として描くのも、美大1年の時、授業で油彩を描いて以来。絵を描くのは(自分で言うのもなんですが)子どもの頃は割と得意な方で、小学校から中学校にかけて、校内や県レベルのコンクールで20回前後入賞したことがあります。中学生の時には、版画(ドライポイント)作品が、県のコンクールで特選を受賞しました。しかし、中学の半ばから高校にかけては文学に傾倒したので、絵を描くことへの興味が急速に失われてしまいました。特に絵画技法に関して専門の指導を受けたことはないので、描画はあくまでも自己流です。

 もちろん、美大に入学してみたら、同じ美術史専攻の学生の中でも、私よりずっと絵の上手い人は幾らでもいました。小論文2つと面接のみの社会人入試と違って、一般入試では実技試験でデッサンも試験科目のひとつなので、一般入試を経た他の学生達は、予備校等で指導を受けていたということもあるのでしょう。それに”現役”バリバリの、ついこないだまで高校生だった子達ばかりでしたしね。美大に入学するまで絵筆を20年近く握ったことのない私とは大違いです。

 しかし、今更そんな言い訳めいたことを言うのもみっともないかな。本当に絵が好きならば途中で何があっても描き続けていたであろうし、この、自らが興味を持った事柄に対して、初期の情熱を長きに渡って継続できることこそ、一種の才能とも言えるのではないでしょうか。凡庸と非凡を分けるのは、ひとつには、この資質を持っているか否かなのかもしれません。 

(1)下絵を描く
クリックすると元のサイズで表示します 今回は、予め下絵を準備してくるようにとのことだったので、お気に入りの、樹齢4000年とも言われる屋久杉の写真を描写してみました。屋久島で長らく風雨に耐えて生き抜いて来た、節くれ立った老大木の生命感が表現できればなと思いつつ描きました。
 
 しかし、難しい!すべて線描で行う陰影表現はもちろんのこと、複雑な表情を見せる木肌や何百とある葉の描写をどうするか悩みました。実は銅版画はすべてを「線描」で表現する為、「線」が命なのです。後に、この「線」で私は、少し後悔することになります。

(2)下絵をトレーシングペーパーに転写する
クリックすると元のサイズで表示します 下絵をトレーシングペーパーに転写することになりましたが、ドジな私は指定されたサイズを間違えていて、下絵は銅版よりかなり大きめ。そこで一部を割愛することになりました。

 どうしたら、作品の持ち味、老大木の生命感を損なわずに、限られたスペースに描き込むか?画面が小さくなる分、モチーフが画面の中で、より大きく描かれることになるので、指導して下さったS先生は、「意外に、その方が迫力が出るかもしれませんね」と仰って下さいました(ここからが私のドジ・ストーリーの始まり)。
   
(3)トレーシングペーパーから銅版へ下絵を転写する

(4)転写された下絵に従って、ニードルを使って、銅版を彫り込んで行く

(5)銅版を塩化第二鉄溶液に漬け込み、腐食させる(45〜60分間)

クリックすると元のサイズで表示します 左写真は、(3)〜(5)の工程を終えた段階の銅版。

 作業としては、下絵の銅版への転写の下準備として、銅版のクリーニングとグランド塗布が必要です。まずエコウオッシュという溶液をふりかけ、テッシュで拭き取った後、中性洗剤をふりかけ、筆でブラッシングし、水道水で洗浄します。次に、水分を拭き取った銅版の表面に、グランドと呼ばれる、アスファルト、松ヤニ、蜜蝋を主成分としたものを塗布します。グランドが銅版上で伸び易いように、ウォーマーと呼ばれるテーブル状の機械の上に銅版を乗せ、しばらく温めた後、ローラーを使って万遍なく塗布します。

 この後グランドを銅版に固着させるために水道水で一気に冷やすのですが、私はここでドジ2連発。1発目は、熱でかなり熱くなった銅版を、大きめのコテに乗せて水道の蛇口まで移動する途中で、銅版を落としてしまいました。これで銅版のクリーニングからやり直し。2発目は、落とすまいとしてティッシュを手にした片手で支えたら、銅版の表面にティッシュが付着してしまいました。これで、また最初からやり直し。先生には「またぁ…?」と呆れられてしまいましたホント、恥ずかしいよね。この2度に渡る作業のやり直しで、私は他の研修者に大きく遅れをとることになりました(そもそも他の人々より細かい描写の下絵なのに…)。 

 そして、(「やっと」と言うか…)いよいよ、トレーシングペーパーから、銅版への転写です。できるだけ割愛する部分が少なくなるように、斜めの構図で描くことにしました。銅版の上にカーボン紙を乗せ、その上に、(版画は左右反転するので)表裏を返して、斜めにずらしたトレーシングペーパーを重ね、トレーシングペーパーの描画に沿って鉛筆を走らせます。これも、私の下絵は描写が細かいだけに時間がかかりました。他の人の進度が速いので、焦る焦る

 下絵の銅版への転写が済むと、今度は転写した描線の通りに、ニードルで銅版を彫って行きます。この後、銅版を塩化第二鉄溶液に45〜60分間浸すのですが、これが腐食の工程に当たります。浸している間、グランドで皮膜されている部分の銅版は、グランドによって腐食を免れますが、線描で銅版が剥きだしになった部分は、溶液で溶け出し、線描によって出来た溝がより深くなります。つまり、浸す時間の長短で、溝の深さを調節することができるのです。

 一定時間、塩化第二鉄溶液に浸した後、銅版を引き上げ、これ以上の腐食の進行を止めるために、銅版を数秒重曹液に浸して中和させ、水で洗浄し、さらに醤油を銅版全体にかけて、再び水で洗浄します。何でも醤油に含まれるアミノ酸の働きで、腐食の進行に止めを差すらしい。

(6)1回目の刷り(試し刷り)
クリックすると元のサイズで表示します 銅版に残った水分をウエス等で拭き取った後、再びウォーマーで銅版を温め、今度はローラーで銅版の表面にインクを伸ばします。線描の溝にインクを押し込めるよう意識して。

 次にカンメンシャ?と呼ばれる目の粗い固い布で銅版の表面を円を描くように荒拭きし、さらに紙で拭いて、余分なインクを取り除きます。さあ、いよいよプレス機で、最初の試し刷り。版画紙は前日のうちに水で濡らしておき、刷る直前に乾いた紙2枚の間に挟んで余分な水分を取り除いた後、プレス機の上に乗せた銅版の上に重ね、フェルトカバーをかけてプレスします。

 プレス機のフェルトカバーを持ち上げ、版画紙をひっくり返す瞬間は、果たしてどんな仕上がりかとドキドキワクワクしました。まるで我が子の誕生の瞬間に立ち会うかのよう。実際、「作品」は世界にふたつとない、私自身の創造物と言えます。

 自分のイメージ通りに刷り上がっているのかどうか…刷り上がった作品をチェック。陰影表現等物足りない点があれば、ここでニードル等を使って加筆します。試し刷りの時点で、私の作品は鉛筆での下書きと比べると線描の量が少なく、何となく物足りない印象。特に木肌の材質感が全然再現できていないように感じました。

 さらに、線描の雑なこと。これは刷って初めて気づいたことでした。エッチングは「線」が命だからこそ、1本1本の線描を疎かにしてはいけないのです。最初にニードルを銅版の上に乗せた時から最後まで、緊張感を保った状態で線を彫る。最後に気を抜いてしまうと、何とも締まりのない線になってしまう。特に今回私が描いた屋久杉は威風堂々とした佇まいが持ち味とも言えるので、締まりのない線の存在はそれだけで、モチーフの本来の魅力を損なってしまいます。その意味で、線描の雑さが悔やまれます

(7)再試し刷り

 再試し刷り、と行きたいところですが、時間が押していて、私はこの後、2回刷って、作業を終わりとしました。加筆後は、最初に彫った部分の溝の腐食を防ぐ為にマジックインキで皮膜して保護した上で、銅版を再び第二酸化鉄溶液に、今度は20分浸しました。そして2度目、3度目の刷り。指導に当たって下さった院生の方のアドバイスで、ルーレット?を用いて加えた点描が木肌の質感を思いの外巧く表現し、試し刷りの時より、作品に深みが出たように思います。

(8)本刷り
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【感想】

クリックすると元のサイズで表示します  作業工程が複雑で、一度やっただけでは、私など、とても覚えられそうにありません。しかし、7時間(2時間は講師による作業工程の実演と説明、残り5時間が銅版画制作演習)と言う時間があっと言う間に過ぎてしまったほど、慌ただしくも楽しめました。自分の手で無から有を生み出す「創作の醍醐味」を久しぶりに味わったように思います。他の参加メンバーも作業に集中して、それぞれに個性的な作品を生み出していました。今回、芸大で版画の非常勤講師をしておられるS先生と3人の院生の方にご指導いただきました。殆ど初心者の私達に忍耐強く指導して下さり、心から感謝を申し上げたいと思います。「この道30年」と仰ったS先生。確かに、銅版画の世界も奥深いようです。機会があれば、是非また挑戦したいですね。


 長文記事を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。




2009/12/13

すっかり冬の装い  携帯電話から投稿

クリックすると元のサイズで表示します前回は、黄金色の衣を纏ったかのように見えた、上野公園入口のユリノキ。

今朝見ると、すっかり落葉し、幹と枝のみを残して、寒々とした姿で佇んでいました。

もうすっかり冬の装いです。

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2009/12/11

荒木経惟氏ふたたび…  はなこのMEMO

クリックすると元のサイズで表示します 荒木経惟氏が、今日、NHK昼の番組「スタジオパークからこんにちは」に出演していました。

 あいにく見たのは途中からだったので、詳細は残念ながらここではご紹介できませんが、聞いた限りでは、写真を撮る際に氏が最も大切にしていることは「現在性」とのこと。対象の、今、生きている、或いは存在している、この瞬間の姿を捉えたい。それを写真に残したいと思ったら、否、頭がそう思うより先に、勝手に指がカメラのシャッターを押しているんだそうです。そこにも氏の命への畏敬の念と言うか、生命賛歌、人生賛歌の思いが見て取れます。おそらく氏の写真家魂に染みこんだ思想とも言うべきもの。

 「今撮りたい女性は?」と言う視聴者からの質問に、(スタジオの観覧者に視線を向けて)「この人達を撮りたいね」と答える荒木氏。にわかに色めき立つ観覧者達。60代前後の女性達でしたが、確かにそれぞれの生き様が刻まれた皺が、活き活きとした表情を形作っており、キレイはキレイなんだけれど、誰もがセオリー通りの同じようなメイクアップの若い女性に比べたら、皆さん個性的で、被写体としては魅力的かもしれません。

 面白いのは、死ぬ間際どころか、死後棺桶に入って、自分の葬儀に来てくれた人々の顔も、棺桶の小窓?から手を伸ばして写真に撮りたいなと言う、氏のカメラ小僧魂。茶目っ気たっぷりで、元気いっぱいで、氏と言葉を交わしただけで、氏の話を聞くだけで、こちらまで元気になる、あのパワーは凄いですね。昨年、前立腺がんを患って生還された氏ですが、このパワーには病も恐れをなして退散するでしょう。しかし、がん再発予防の為に(ザクロは女性ホルモン様の物質を分泌することから)ザクロを食べ過ぎたせいか、最近胸に腫瘍が出来たとかで、前日、除去手術を受けたのだといきなり上着を捲ったのにはびっくり。胸には手術痕を覆う大きな白いガーゼ?が貼られて、見るからに痛々しかった。

 写真は御年22歳、人間ならば優に100歳を超えるのではないかという愛猫チロの話題に及んだ時のもの。チロは夫人ご存命の頃から飼っている猫で、夫人が撮られたという、ソファに寝そべる荒木氏とチロの写真も紹介されました。「凄くイイ写真だよね」と荒木氏。「僕より長生きしそうなんで、(愛猫のチロに)弔辞を仕込んでいるところなんだ」「僕はエロからチロに変わったね」と氏の口からはダジャレも飛び出す始末(笑)。本当に愛すべきキャラクターの天才アラーキーです。


2009/12/10

山手線命名100周年記念車両  はなこ的考察―良いこと探し

クリックすると元のサイズで表示します 実は去る10月22日の写真です。リンク先のごん太さんのブログで、これが貴重なショットであることを知りました。なんでも山手線命名100周年を記念しての塗装で、期間限定で(12月4日で終了)、かつ11両1編成のみだったとか。だから見ようと思っても、なかなかお目にかかれないものだったのです。

 そんな貴重な車両に、思いがけず上野駅で午前9時半頃遭遇しました。その時は、この車両が特別なものだとはつゆ知らず、ホームに滑り込んで来たところを、「変わった色味の山手線だあ〜」と思って、携帯電話のカメラでちゃちゃと撮ったもの。明治製菓が協賛してくれたようですね。昭和30年当時を復刻したチョコレート色の山手線です。50年前には、こんな色の山手線が走っていたんですね。明治ミルクチョコレートの包装自体、昔から変わっていないせいか、レトロな感じがします。

◆参考記事:『チョコレート色の山手線?!』(マイコミジャーナル)


2009/12/8


先々週、行きつけのクリーニング店に向かう途中で、大事なポンチョをなくしたわけですが、実はその日、定休日でもないのに行きつけのクリーニング店は閉まっていました。イレギュラーな休みなら通常貼り紙などをしているのですが、それもない。それで仕方なく別の、初めて行った店でクリーニングを頼んだのでした。

そして、今日になって、私は知ったのです。最近、その店が廃業したことを。結局私がその店に行った最後となった日に、おじさんは、そんな素振り(つまり近々店じまいすること)は全然見せていませんでした。もう5年以上の付き合いで、いつも行く度に、いろいろ話をしていたのに。

最近はクリーニング店も大手チェーンが幅をきかせていますが(そう言えば、私の住む街でも乱立ぎみ)、その店は個人経営でした。その店の奥で実際に作業をしているので、預けた翌日の夕方には仕上がる。少々料金は高くても、仕上げも丁寧だし、急ぎのお願いも融通がきくし、おじさんとのおしゃべりも楽しかったので、私はこの店を結構気に入っていたのです。しかし、何の断りもなく、おじさんは店を閉めてしまった。

私の自宅の近所には昔ながらの商店街がありますが、ここ数年、空き店舗が目立っています。10年前には毎年息子のバースデイケーキを買っていたケーキ屋さんが、数年前には行きつけの書店が閉店してしまいました。昨年も、全国各地の地酒を扱っていた酒屋さんが店じまいしてしまいました(さらにはかかりつけ医も、老医師の引退で、新たなかかりつけ医探しを余儀なくされました)。

馴染みの店がどんどん消えて行っています。近くに大型スーパーができたのが一因なのかもしれません。確かにスーパーマーケットは、1カ所でさまざまな用が済ませられる便利さはありますが、殆ど無言で買い物が済んでしまうこともあり、味気なさを感じます。人づきあいはあまり得意でないし、好きでもない私ですが、時々、人恋しくなることがあるんですよね。勝手知ったる馴染みの店には、いつもおじさんやおばさんの笑顔があったのに、閉店されたら最後、もうおじさん、おばさんに会うことは殆どないのです。

この地に越してきて10年以上が経ち、やっと自分自身も根付いたと思ったのに、街自体がどんどん変わって行く。寂しいですね。

2009/12/6

神戸ルミナリエ2009  家族のことつれづれ

クリックすると元のサイズで表示します 夫の神戸出張が丁度「神戸ルミナリエ」開催と重なり、仕事帰りの週末、大勢の人で賑わう開催場所へ出向いたそうだ。そして、お土産に、クリアファイルと絵葉書と携帯ストラップを買って来てくれた。

 思いがけないプレゼントに驚いたもちろん、とーっても嬉しいこれらの「神戸ルミナリエ」グッズは、その売り上げの一部が、翌年の開催費用に充当されるらしい。阪神淡路大震災の犠牲者の鎮魂と、神戸の1日も早い復興を願って1995年に始まった「神戸ルミナリエ」。その開催の一助になるなら、見学者はできるだけグッズを買った方が良いよね。入場無料だが、「100円募金」運動も実施中のようだ。

 下のちょっと(どころじゃない?)ピンボケ写真は、夫が神戸の現場から送ってくれた携帯のカメラで撮影した写真。夫の名誉の為に弁明するならば、けっして夫の写真の腕が悪いわけではなく、本人が言うように、「携帯のカメラの機能が今ひとつ」なのだ。たぶん

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クリックすると元のサイズで表示します 右の写真は絵はがき。1ケース5枚セットで、ケースが葉書スタンドとしても使える。せっかくだから早速スタンドにして、パソコンデスクの脇に飾ってみた。絵はがきの写真は、クリアファイルとほぼ同じ。繊細な電飾の煌めきが漆黒の夜空に映えて美しい。

 この不況下で開催費用の捻出も大変だろうが、「神戸ルミナリエ」は単なる歳末の客寄せ行事とは違って、神戸の人々の切なる思いが詰まった行事なのだろう。事実、開催期間中、会場となる通り一帯の商店やデパートは、多くの見物客でごった返す為に、売り上げは寧ろ減ってしまうらしいが、存続に街をあげて努力している。

 電飾があやなす、精緻なペルシャのモザイクを思わせる光の紋様の連なりは、震災の悲しみを乗り越えて、その先に希望を見いだそうとする、神戸市民の心意気そのものなのだと思う。




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