2009/10/31

自然礼讃〜プチトマト(29)栽培171日目  やさい栽培観察日記

下の写真は10月23日(金)撮影
クリックすると元のサイズで表示します深まる秋のプチトマト
 
 台風が来る毎に朝夕の寒さが厳しくなり、さすがにプチトマトもその寒さに凍えているのか、幹や葉も黄変し、かつての生気がなくなって来ているように見えます。

 特に目に見えて分かるのが葉の数の少なさと小ささ。生長著しかった頃の青々として大きかった葉とは比べるべくもありません。今度こそ、いよいよ別れの時が刻一刻と近づいているのを覚悟しなければならないようです。

 この2週間に撮り溜めた写真を以下にUPしようと思います。

クリックすると元のサイズで表示します 右写真は、10月25日(日)に収穫したプチトマトの写真です。やはり盛りの頃と比べると、実が十分大きくならないうちに、育たないうちに熟してしまうプチトマトが増えたような気がします。それに茎が弱くなっているのか、十分育たないうちに、ちょっとした衝撃で落果したりする。

 それに人間も寒さで思わず身を縮めるように、プチトマトも実を堅くしているのか、以前より皮が固くなったような食感があり、やや苦みも出て来ました。かつてよりは確実に味が落ちています。ちょっと残念だなあ…。見た目にはまだまだ色艶もあり、十分美しいのですけれどねしかし、常時まだ50個前後の実がついてはいます。これから大きくなるであろう小さな実も幾つか見えます。さらに僅かではありますが、花も咲いています。

クリックすると元のサイズで表示します 我が家のプチトマトは生食向きなのか、先日ミネストローネの中に入れたら、苦みが出てしまって、あまりおいしくはありませんでした。やはりサラダの具にしたり、マッシュポテトに添えたりして、加熱せずに食べた方が、このプチトマトの甘みが生きるようです。一口にプチトマトと言っても、さまざまな種類がありますからねえ…

 左写真は、今日収穫のプチトマト達。既に、我が家の胃袋に収まってしまいました。

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 そう言えば、今日はハロウィンの日ですね。今日、映画を見に川崎チネチッタに午前中行き、映画が終わって外に出たら、チネチッタ周辺はエライことになっていました。道路に溢れんばかりの人、人、人。しかもコスプレ集団が…例年、3,000人を集め、界隈をパレードするようです。写真はあいにく撮り損ねてしまいました。昨日は前夜祭として、『13日の金曜日』新旧2本の特別無料上映があったようです。

よっ、太っ腹

◆詳しくは、こちら→川崎チネチッタのハロウィン

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2009/10/29

希望の帽子Wishing Cap〜がん治療に伴う脱毛に悩む人々に朗報  はなこ的考察―良いこと探し

クリックすると元のサイズで表示します 折に触れて、今年の初夏にがんで逝ったSさんのことを思い出す。8年もの不妊治療を経て授かった一粒種の息子さんを残しての旅立ちは、さぞかし心残りだったと思う。常に笑みを絶やさず、物腰が柔らかく、彼女が、例えば怒りの感情を露わにした姿など見たことがない。本当にいつも周囲に穏やかな空気を湛えた、たおやかな女性だった。それだけに、残されたご家族の悲しみも深いものだろう。わずか6年の付き合いだった私でさえ、彼女を失った喪失感が、彼女の思い出と共に蘇っては、私を気落ちさせるのだから(そんなことを言っていてはダメなんだけれど…)

 今朝のNHKのニュースで、元がん患者の女性が考案した「希望の帽子〜Wishing Cap」についてのレポートを見た。去る9月29日〜10月1日に東京ビッグサイトで開催された「第36回国際福祉機器展」にも出展されたらしい。

 昔から「髪は女の命」と言われて来たように、髪の毛は女性にとって欠くことのできない、大事な身体の一部である。髪の毛は女性の顔の輪郭を縁取り、容貌の印象を大きく左右する。男性以上に多彩な女性の髪形のバリエーションが、そのことを如実に物語っている。だからこそ、治療に伴う副作用による脱毛は、がん患者の女性にとって、さぞかし辛いことだろう。

 おしゃれなSさんが、息子達の卒業式の時にかつらを装着していたことも、後日、電話でお話した時に知ったことである。その時は、あまりの衝撃に私は返す言葉がなかった。そして通夜の席で、ご主人が「一時は治療で髪の毛がなくなったんだけれども、最後はかなり生えて来て良かった…」と仰っていたことを思い出す。

 そのSさんと同様の体験をされ、幸いにも生還された東京都の伊佐美佐さんが、自らの体験を踏まえて開発したのが、「希望の帽子〜Wishing Cap」なのである。握力の弱った患者の為に帽子とつけ毛をスナップで着脱しやすくしたり、素材は伸縮性のあるジャージーを使用し、脱げにくいようにサイズ調整ができるゴムも付けたり、頭部が蒸れないようにメッシュ仕立てにしたりするなど、経験者ならではの工夫が随所に施されている。

 レポートでは開発に着手してから6年、販売を始めて4年で、今では600人の利用者がいると伝えていた(←数値は聞き間違いがあるかもしれません。悪しからず)。自らががんと知って一時は死を覚悟したという伊佐さんが、退院後、「希望の帽子」の開発・販売を通して、それまで知り得なかった人と出会い、生き甲斐を見いだしている。今後は、販売後に改めてその需要の多さを知ったと言う、子供用の帽子の開発にも力を注ぎたいと語る伊佐さん。「必要は発明の母」と言うが、体験者ならではの発想から、その仕事はさらに広がりを見せようとしている。人間の心の強さとしなやかさを改めて感じる話だ。素直に「素晴らしいこと」だと思う。伊佐さんの明るく前向きな生き様に、普段「人間、死ぬ時には死ぬ。人生、なるようにしかならない」とうそぶいている自分が何だか気恥ずかしくなった。

 そう言えば、若くして白血病で逝った女優の夏目雅子さんの遺族も、がん患者の為の「かつらレンタル」事業を行っていたように記憶している。人々の善意がさまざまな形で社会を照らす一灯となっているのを知ることは、暗いニュースが多い中で、心励まされることだと思う。

◆参考サイト:がん患者のために…(MSN産経ニュースより)

 リンクの記事は、時間が経てば削除されることもあるので、以下に問い合わせ先を記しておきます。必要とされる方のお役に立てれば幸いです。

ISAMISAデザイン・スタジオ(電話):042-584-1053
◆ホームページ:Wishing Cap

【追記 09.10.30】

今日、偶然にも東京都の広報番組で、医療用つけ眉毛についての紹介がありました。それを製作しているのはカトリと言う会社で、ヘア関連商品で幾つもの特許を持つ会社のようです。

◆ホームページ:カトリの本物志向のつけまゆげ

【追記 09.11.01】

がん検診 向上しない受診率

過去2年間にがん検診を受けた人はわずか3、4割にとどまり、受診率が殆ど向上していないことが31日、内閣府の世論調査(有効回答:成人1935人)で分かった。国は2012年までに受診率50%以上を目指しているが、、検診を受ける習慣は浸透していないようだ。各がんの受診率は以下の通り。

肺がん:42.4%(前回2007年調査比 +3.2)
胃がん:38.1%(+0.6)
子宮がん:37.2%(▲1.8)
大腸がん:34.6%(+2.2)
乳がん:32.3%(▲0.1)

(以上、記事抜粋はサンケイ・エクスプレス紙より)


2009/10/26

初めてのLA(6)〜搭乗手続きで  LA旅行(2009年初秋)

 LA行きと釜山行きの便が重なったせいか、平日だと言うのに、大韓航空のブースにだけ長蛇の列が出来ていて、搭乗手続きに思いの外時間がかかった。おかげで今回は空港内のVIPラウンジを利用できず終い。普段ゴールドカードの利点を実感できない夫がしきりに残念がっていた。空港到着直後は、長蛇の列が大韓航空の乗客のものだとは気づかずに、「わ〜、何?この長蛇の列。大変そうだなあ〜」なんて、対岸の火事のように思っていた我が家。旅行社のブースにまず立ち寄り、旅程表やEチケットを受け取って、大韓航空のブースを目指して初めて、自分達もその長蛇の列に加わらなければならないことに気づいた次第。おマヌケな話です

 そして我が家が並ぶ列に並行して、大学生の団体客と思しき行列も。後から来て、大韓航空の別のブースで手続きを開始したので、てっきり出発時刻の迫っている釜山行きかと思いきや、同じLA行きだった。団体ということで特別扱いだったのか?ヒマなので彼らをそれとなしに観察していたら、手続き開始後に男女を問わず何人もの学生が、搭乗手続き前に必要なESTA(電子渡航認証システム)を申請していないことが発覚。

 オイオイ、もうESTAの運用が始まって9カ月が経つんだよ。大学生(←一応、関西では有名な大学。集合場所に名前が明記されていた)なのにそんなことも知らないの?ニュース見てないの?なんて思ったが、果たして今回の旅行の手続きをすべて親任せの我が息子(←大学生)だって、そのことを理解しているのか怪しいものだ。しかし、学校の授業の一環で行くようだから学校でも事前に説明があっただろうし、親は関わっていないのだから自分で考えて準備するべきだろう。何より、ESTAの手続きを通して、それが生まれた背景について考えることも、米国の現状を知る手立てとなるだろうから。自分の意識の持ちようで、どんなことからも学ぶべきことは見つかる。

 息子やその同級生を見ても普段感じていることだが、イマドキの大学生、しっかりしているようで肝心なところがヌケている(私自身は息子の年齢で、バイトとは言え既にさまざまな仕事を経験していたし、多忙な母親の代わりに晩ご飯を作ったり、幼い弟妹のPTAにも出席していた)。幼い頃から机上の勉強ばかりさせていた、或いは部活ばかりさせていた親の責任も大きいだろうが、大学生ともなれば、主体的にもう少し社会の動きに関心を持って欲しいと思う。毎日、新聞はちゃんと読んでいるのかな?自分の半径1m以内ばかり見てやしないよね?しかし、このオメデタサは、彼らだけの責任とも言い切れないものがある(もちろん若い世代は彼らなりに、親世代にはない優れた面も持ち合わせてはいる)

 「経済的豊かさ」は人々の心に安寧をもたらすと同時に、感覚を愚鈍にする。経済の豊かな社会では社会不安も比較的少ないから、人々は日常の中で身の危険を感じることも少ない。現状への満足度も高い。そうすると、常に身を守る為に神経を尖らせ、周囲に目を配る必要性もなくなってしまう。そして関心は外ではなく、自分の内なるものへと向かいがちになる。一般に「オタク」と呼ばれる意識性向を持った人々の存在は、少なくとも生存への脅威がない豊かな社会の所産だろう。このことは海外に行けば、容易に実感できるものである。例えば、1ブロック違っただけで、通りの雰囲気が一変する米国のダウンタウンを歩いてみたらいい。所謂”危険地帯”と言われる場所へ足を踏み入れた途端、おそらく誰もが、視覚・嗅覚・聴覚・触覚が感じ取る尋常ならざるその場の雰囲気に、無意識のうちに筋肉は緊張して強ばり、危険を察知すべく感覚をさらに研ぎ澄ませて、自分の周囲を注意深く見渡すはずだ。

 日本は太平洋戦争終結から60年以上も戦禍と無縁だったこともあり、戦争を知らない世代が過半数を超え、本当の意味での窮乏を知る国民が少なくなっている。今、日本経済にも陰りが見えて来て、「格差社会」や「貧困率の高さ」が取り沙汰されてはいるが、それでも世界で言うところの「貧困状態」とはレベルが違う。その直中いるのが今の若い世代なのだ。国内に留まっている限り、世界の、まさに生存を賭けた厳しい現実を知ることはないだろう。その意味で、若いうちに海外の現状〜明るい部分も暗い部分も〜を、身を以て知ることは大事なことなのかもしれない。

2009/10/25

初めてのLA(5)〜エアライン(大韓航空LA直行便)  LA旅行(2009年初秋)

クリックすると元のサイズで表示します評判の割には…
 
 風邪をひいたりして、すっかり旅行記が中断してしまった。記憶が薄れないうちに書き留めておかなければ、と言うことで、今日はエアラインについて書いてみたい。私が利用したのはもちろんエコノミークラスである

 今回のツアーは「大韓航空創立40周年記念特別企画ツアー」と言うことで、利用エアラインは申し込みの時点で大韓航空のLA直行便であることは決まっていた。大韓航空の利用は、2年前の韓国ツアーで経験済み。その時の印象は「短いフライトで、よくもまあコマネズミのように働くものだ」と、キャビン・アテンダント(以下、CA)の着陸ギリギリまでの仕事ぶりに驚いたものだった。着陸間近だと言うのに、機内販売で狭い通路を行ったり来たりしていたのデスよ

 今回はさすがに往復共に10時間前後の長時間のフライト。機内の快適性はもとより、航行の安全性が気になった。それでネットのクチコミ情報を調べてみたが、過去の大韓航空機爆破事件の話もあって、あまり芳しくない。とは言え、ここ数年は目立った事故は起きていないはずである。

 それでは機内の快適性はどうか?私達が利用したKE001便は成田発と言っても、始発は韓国の仁川空港。成田は経由地で、既に座席は仁川からの客で一部埋まっているのである。ネットのクチコミ情報には5年〜10年以上前のものがあって、それには「機内にキムチを持ち込んでいる韓国人客が大勢いて、機内全体がキムチ臭かった」「韓国人客は騒々しくてマナーがなっていない」なんてコメントもあり、心配がなくもなかった(改めて考えてみれば、どこの国にも独特の匂いはあるもの。それが外国人には気になるだけの話かもしれない)

 しかし、実際乗ってみたら、一部の年配客に、勝手に席を移動したり(→往路はほぼ満席に近かったので、結果的に”おじさん”は本来の席へ戻ることになった)、何度もCAを呼びつけたりする人がいるにはいたが、全般的に見て、韓国人客のマナーの悪さはそれほど気になるものではなかった。10年も経てば誰だって旅慣れて、当初の舞い上がった気分も幾分落ち着き、その立ち居振る舞いも洗練されるものなのだろう。かつての日本人がそうであったように。

 機内装備は、韓国仁川からLAへ直行する便は、各座席の背面にパーソナルモニターを備えた最新鋭機が就航しているのだが、残念なことに成田経由便にはパーソナルモニターが付いていない(※注> 2010年よりパーソナルモニター装備の新型機が就航しているらしい。詳しくは→大韓航空公式HP)。8年前に利用したマレーシア航空でさえ、各座席にモニターは付いていた。当時小4だった息子は、それでテレビゲームに興じて、退屈な長時間のフライトを乗り切った(苦笑)。それほどみた目に古い機体という印象はなかったが、国内線並の装備なのはちょっといただけない。

 しかし、前回の搭乗経験で周知の通り、大韓航空のCAは働き者である。こちらが恐縮するくらい、忙しなくサービスに奔走している。乾燥した機内では特に喉の渇きを覚えるものだが、こちらが飲み物を要求するまでもなく、心憎いタイミングで飲み物を提供してくれる。おかげで、長期フライトに伴うストレスはかなりのパーセンテージで軽減されたように思う。

 また、ネットのクチコミで一部指摘のあった機内トイレの汚さも、今回のフライトでは問題なし。エコノミークラス症候群の予防や気分転換の目的(=身体を少しでも動かす)もあって、私は何度となくトイレを利用したが、単に清潔なだけでなく、ペーパーのセッティング等、常に完璧な状態だった。乗客へのサービス、機内コンディションの保全等、CAへの指導が徹底されているのだろうか?微妙な差ではあるが、CAの仕事量で日系エアラインは大韓航空に負けていると思う。

 ただし、夫も指摘していたが、狭い通路ですれ違う時のCAの対応に関しては、日系のCAに軍配を上げたい。クチコミで「大韓航空のCAはサイボーグのように…(この後「美形」と続く)」と言う記述があったが、通路ですれ違う際のCAの態度には、厳格なマニュアルの存在を窺わせる、「マニュアルに書かれていることは完璧にこなすが、それ以外ではあまり気を遣いたくない」とも言うべき”そっけなさ””冷たさ”を感じたのである。その割り切りようは正にサイボーグそのもの。

 乗客へ「道を譲る」と言った意識は毛頭ない印象だ。或いは譲るにしても、瞬間、気を抜いて激務の疲れをその表情に垣間見せる感じ。そこに笑顔はない。あの配膳時の、彼女達の美しい笑顔はあくまでも業務用で、常に見せてくれるものではないのだ。もっとも、やるべきことはシッカリやってくれているのだから、クレームをつけるほどのものでもない。あれだけ容姿端麗で、日本のCA以上にエリート意識もあるであろうCAは、内心エコノミー客など「カボチャ」扱いなんだろうな。こちらとて、たいした料金は支払っていないから、エラソーなことは言えない(笑)。何れにしても、大韓航空のCAのプロ意識はたいしたものである。昔乗った某米国系エアラインや某伊国系エアラインのCAとは比べるべくもない(その真の力量を問われるのは有事の際の対応か?)

クリックすると元のサイズで表示します 機内食は、機内食のコンテストで優勝経験もある評判の「ビビンバ」を食べてみたが、噂に違わず味はなかなかのものであった。辛みは別添のチューブ入りのコチジャンで調整できる。しかし、普段辛い味付けに慣れていないせいか、私はそれを食べた直後から腹痛に悩まされ始めた。ただし私の場合、かつて駐在した中東でもずっと腹痛に悩まされたように、その土地の水との相性がなかなか合わなかったりするので、旅行中ずっと私を悩ませた腹痛は、ビビンバのせいだけではないと思う。朝食に出たおかゆもおいしかったし、一般的な洋食もおいしくいただけた。口に合わなかったのは、韓国風ピクルス?だけである。今まで利用したエアラインの中でも、機内食はおいしい部類に入るだろう。写真のナムルを白いご飯に混ぜ、コチジャンで味付けして、ごま油で和えたら出来上がり♪ 

 当初はパーソナルモニターもなく長時間のフライトをどう過ごそうかと言う懸念があった。しかし、往路は現地に朝到着(日本時間の深夜1時)で、到着後すぐに市内観光に行く予定もあり、私は機内では食事の時間以外はできるだけ眠るように心がけたせいか、それほど退屈を感じなかった。飛行時間も強い偏西風に乗って、定刻より1時間近く早く現地に到着したくらいである。復路は復路で、旅の疲れも手伝って、機内ではぐっすり眠れたおかげで、往路以上の長時間(約11時間半)のフライトも大して苦にならなかった。

 結局、往復共に国際線搭乗の楽しみのひとつである映画は見ず終い。見逃して損した、と思うほどの映画でもなかったのが幸い。特に邦画なんて、それをたまたま見た外国人に、邦画の代表的な作品のひとつと思われたら、それで邦画のレベルを判断されたら堪ったもんじゃない、と言うレベルの作品だった。どうしてこんな作品を、大韓航空はチョイスしたりしたんだ?!

 と言うことで、多少の不満はありつつも、大韓航空での長時間のフライトは、私が事前に目にした評判を良い意味で裏切ってくれて、なかなか快適な空の旅であった。今回の利用を機に、我が家は大韓航空のマイレージカードを作ってみたが、コストパフォーマンスを考えれば「ヨーロッパへ行く際にも、仁川経由で大韓航空を利用するのも悪くないかな」と私自身、今回の利用で思ったくらいだ。

 ところで大韓航空と言えば、連想されるのが韓国の仁川空港*。ここ最近、前原国土交通省大臣の「羽田空港ハブ空港化」発言で俄然ライバル視されている仁川空港だが、NHK発の韓流ブームと共に、日本の地方空港からのアクセスの良さもあって、年間138万人もの日本人利用客がいると言われている。今や極東アジアのハブ空港としての絶対的な自信を持つ仁川空港は、日本の前原発言を巡る騒動を静観する構えを見せる余裕すらある。現実問題として、羽田空港の利便性を今後さらに飛躍的に高めないと、日本は航空競争でも中韓シンガポールの後塵を拝することになるのは確実らしい。それとも、既に今さらどうあがいても遅いのかな?

 今回の航空行政の一件に限らず、あらゆる分野において、日本の行政の「未来を見据えた戦略のなさ」「問題発生時の対応の拙さ」が目に付く。根本的に何かがおかしいのかもしれない。それが何なのか、システムの問題なのか、携わる人間の問題なのか、具体的にズバッと指摘できない自分のぼんくら頭がもどかしい。例えば、上に立つ人間に、大計を立てる為の長期的視野が欠如しているとか…もしそれが問題のひとつだとすれば、その原因は何なのか…エリート育成の問題なのか…

【仁川空港*】

国家戦略として、路線開設や便数を自由化する「オープンスカイ政策」で、アジアの拠点(ハブ)空港を目指している。ソウル市中心部から車で約1時間。就航している定期便は43カ国124都市で、アジアの空港ではトップクラス。日本とは28の空港を結ぶ。

2001年3月に開港。24時間運用で、昨年6月には3本目となる4,000m滑走路の使用を開始。発着回数は年間41万回と、羽田空港より10万回以上多い。ハブ空港を目指して着陸料を成田(80万円弱)の半分以下(20万円強)に抑え、新規路線を開拓。これは「朝鮮日報」曰く、政府、空港、航空会社〜3者の協力態勢の賜物

昨年以来、景気悪化や燃料費高騰で打撃を受けた航空業界だが、大韓航空やアシアナ航空は、国際線乗り継ぎが便利になるようダイヤ改正し、景気回復も手伝って、既に不況を克服。

4本目の滑走路建設計画を進め、将来的に国際線利用者数を2,956万人(2008年)から1億人に増やすことを目指す。さらに空港周辺で人口約51万人の新都市建設が進められ、今月19日には空港と新都市を結ぶ仁川大橋(全長21.27km)の供用が開始、アクセスが改善した。

【羽田空港ハブ化への課題山積】

羽田空港がハブとなるには、新滑走路で発着回数を増やすだけでは不十分。5本目の滑走路を整備する他、飛行機の安全運行の為に、米軍が管制業務を行う「横田空域」のさらなる返還が必要。  

4本目の滑走路が2010年に供用され、発着回数が11万回増の41万回になっても、羽田乗り入れを希望する航空会社は多く、発着枠の不足は解消できない。成田空港を併せても63万回がやっと。首都圏の航空需要は20年後には94万回に達すると予想され((財)運輸政策研究機構調べ)、大幅な不足が生じるのは明らかである。これに対応する為、羽田空港の沖合に5本目の滑走路を新設する必要があるが、技術的な観点からも、1兆円とも言われる工事費の財源をどこから捻出するかと言う観点からも難しい。

(以上、赤字部分は10月25日付サンケイ・エクスプレス7面記事より抜粋)




2009/10/20

杏ちゃんのニンジンサラダ  「食」についての話題

 先日、NHKの昼の番組で、モデルで女優の杏ちゃんが披露していたニンジン尽くしのメニューの中の一品を作ってみました。

クリックすると元のサイズで表示します 用意するのはニンジン中2本すりゴマ。ニンジンを千切りにし、適宜をまぶしてしばらく置いた後、たっぷりのすりゴマを和えて、サラダオイル大さじ1杯くらい、風味づけに醤油を小さじ1杯くらい加えて、よく混ぜ合わせて出来上がり。

 野菜のおかずを1品加えたい時に、いかがでしょう

 調味料は目分量で、自分の好みに応じて増減して良いみたいです。

 ニンジンのシャキシャキとした歯ごたえと、ほのかな甘みが美味。すりゴマとサラダオイルのコクも絶妙です。

クリックすると元のサイズで表示します 料理をあっと言う間に4品作ってしまう杏ちゃんの手際の良さと、ハキハキとした受け答えに、”利発な女性”と言う印象を受けました。「俳優渡辺謙の娘」と言う注釈が要らないくらいに、彼女は既にひとりの人間として、職業人として自立していますね。私が普段抱いている20代女性のイメージを良い意味で裏切ってくれる、素敵な女性です。これからの活躍が益々楽しみな、20代を代表する1人と言えるでしょうか。

You-tubeに、出演時の動画も投稿されています。画質は悪いですが、料理の分量、手順はこれでバッチリ分かります。

◆投稿された動画:杏のにんじん尽くし



2009/10/20

なるほど!  はなこのMEMO

日曜日はテレビを殆ど見ない日なのですが、先日、「エチカの鏡」という番組を、アイロン掛けをしながら見ました。何でも「エチカ」とは「生き方」を意味し、翌月曜日から始まる新たな1週間を、新たな気持ちで元気よく過ごす為のヒントを紹介する番組らしい。

そこに登場したマナー講師、平林都氏の迫力満点の接遇マナー講義に圧倒されました。あんまり凄すぎて、笑ってしまったほど。平林氏、細身で一見か弱そうにも見えるのですが、マナー講義では、にっこり微笑んだ次の瞬間、関西弁の怒声が飛んだりする。その独特の手法には異論反論もあるかもしれませんが、要は「相手の立場になって自分の頭でシッカリ考えて相手の笑顔を引き出すような接遇をせよ」と言うことのようです。

「一度会った相手に、もう一度会いたいと思わせるような接遇を心がけよ」とは、何も仕事として接遇するだけでなく、誰もが、日常のどんな場面でも、人と接した時に心がけるべき態度でしょう。

また、「病院はサービス業」と断言し、かゆいところまで手の届く接遇サービスを実践することで、平林氏が指導した前と後とでは、患者数が倍に増えたと言う四国の某病院の話で、平林氏が「病院で働く人は、誰から給料を戴いているのでしょうか?医師ではありません。病院経営者でもありません。患者様から戴いているのです。患者様が来られないことには、病院は経営が成り立たないのですから」と言っていましたが、これもまた、さまざまなケースに当てはめて考えることができるでしょう。誰に対して最も心を砕くべきなのか、自分の立場に照らして考えることが大事なようです。

脳科学に基づいたユニークな児童教育で知られる教育家、久保田カヨ子さんの教育談義も興味深いものでした。嘘をついた子どもに対する親の接し方など、過去に同様の経験をした私には目からウロコの落ちるような発想でした。

Q&A形式で、「嘘をつく子どもにはどう対処したら良いのか?」の質問に、久保田氏は以下のような具体例で答えました。

ある時、母親の財布から1万円が消えた。どうやら小学生の息子がくすねたらしい。しかし、すぐには咎めず、しばらく静観する。そしてある時、給食袋を持って来た息子に「あんたは金持ちだから、それくらい払えるよね」と皮肉まじりの言葉を投げかけるのです。その時の息子の驚いたような表情。咄嗟には何も答えられず、言い訳を必死に考えているような表情。実は、この経験が大事なんだそうです。言い訳を考えている間、子どもの脳みそはフル回転。こうした経験によって、前頭葉が鍛えられ、将来大人になって、時には必要となる「嘘も方便」的な対処法を身につけるのだと。私の浅慮の1歩も2歩も先を見据えた久保田氏の対処法に「なるほど!」と思いました。

何れのお話も、ポイントは「自分の頭で考えろ」でしょうか?マニュアルに頼らず、その時、その場で、最も相応しい対処方法を自分の頭で考える。まさに「臨機応変な対応」をせよ、と言うことのようです。これは、普段から意識的に習慣づけておかないとできないことです。つまり、普段から「考えて行動する」ことが大事なんですね。まさに「生きる力」「人間力」のひとつと言えるのかもしれません。

なかなか面白い番組でした。

2009/10/19

気になっていたことのその後  はなこのMEMO

先週の初め頃から体調を崩してしまい、いまだに微熱が続いているのですが、熱っぽくてだるいことよりも、咳が辛いですね。風邪をひいたら毎度のパターンではあります。我ながら情けない

さて、その時々に気になって当ブログに書き留めていたこと(記事中、青字部分)が、その後どうなったか、世の中の動きを見てみたいと思います。

酒井法子のお子さんのその後について、8月21日付の記事で、以下のようなことを私は懸念すると同時に期待していたのですが、どうやら、彼女の息子さんが通っている公立小学校には心ある親御さん方がおられるようで、報道によれば、息子さんをサポートする父母の会ができたようです。会を継続することはなかなか困難と忍耐を伴うものかもしれませんが、世の中、まだまだ捨てたもんじゃないなと安堵した次第です。酒井法子も我が子の為に、また我が子に救いの手を差し伸べてくれた多くの人々の善意に報いる為にも、1日も早く立ち直って欲しい。

まもなく学校は新学期を迎えるが、学校や周囲の人々は、どうやって彼を受け入れるべきなのだろう?薬物依存者の子どもだからと排除するのはもっての外だし、腫れ物に触るように扱うのも彼の為にはならないだろう。幸い、酒井容疑者はPTA活動は真面目に務めていたらしい。そういった面も持ち合わせていたのが、せめてもの救いだ。酒井容疑者が我が子の為に、親として真摯な面もあったことを認める親御さんが、酒井容疑者の子どもが通う学校にはいる。そこを突破口に、この難局を学校も乗り切って欲しい…
「世間?を騒がせている薬物問題で思うこと」(8月21日)



■去る9月8日には、買い物を通して感じた日本経済の危うさについて、以下のようなことを書きました。現実は私の懸念通りとなり、衣料の安売り合戦は、報道によれば、メーカーを業績悪化や廃業へと追い込んでいるようです。私達消費者は、自身の日々の生活防衛に目を奪われるあまり、日本全体のことについての思慮に欠けているのではないのか?「金は天下の回り物」とも言うように、お金が全体で循環しないと経済は息詰まってしまう。過ぎたるはなお及ばざるが如し。行き過ぎた節約志向は、結局回り回って、自らの首を絞めることになるのではと、心配でなりません。

日本経済全体が健全な形で回復するには、本当は商品が何でも際限なく安くなることは憂うべき事態で、作り手が物作りの喜びを感じられるような”適正な価格”と言うものが存在するような気がしてならない。消費者が低価格を要求するあまり、それに応えるべくコストダウンに汲々とする日本の物作り産業が、どんどん活力を削がれて行くようで心配だ。 
「質問してみる」 


苦境のジーンズ業界

長引く景気の悪化で強まる一方の消費者の節約志向が、流通各社を低価格競争に誘い込んでいる。反面、相次ぐ格安ジーンズの登場は、ジーンズ業界を苦境に追い込んでいる。某大手ブランドの売上高は前年同期比約20%減、カジュアル衣料小売り大手も巨額の赤字を計上。さらに国内ジーンズの老舗メーカー、ボブソン(岡山市)は、「ボブソン」ブランドを企業再生会社に事業譲渡し、子ども服の製造・販売に特化する。素材メーカーにも影響は及び、クラボウはデニム生地の糸を生産する岡山工場を6月に閉鎖した。(以上、10月18日付サンケイ・エクスプレス紙より)



「高速道路の無料化」は果たして火急の要件なんでしょうか?私は9月2日付の当ブログ記事に以下のような懸念を書き記しましたが、案の定、九州のバス業界は、高速道路料金値下げの影響で、営業利益の殆どを担っていた長距離バスの利用客が激減し、その利益によって赤字を補填していた路線バスの運行に支障が出かねない事態になっているそうです。

自動車利用を促すことにより、ただでさえ経営難が問題となっている既存の公共交通機関の経営を圧迫し、その一部が廃業に追い込まれでもしたら、結局、私達は移動手段の選択肢を減らすことになり、これは長い目で見れば得策ではないと思う(高齢者の移動手段は公共交通機関が安全確実である)。 
「今日の雑感〜いよいよ政権交代だよ」 


バス協会が高速無料化反対

日本バス協会は19日、来年度から段階的に始まる予定の高速道路原則無料化に反対する緊急要望書を前原誠司国土交通相に提出した。要望書は、前政権が地方圏を対象に始めた休日通行料上限千円の大幅割引に関し、旅客の減少や渋滞などによりバス事業者の経営悪化を招いていると指摘。さらに原則無料化となれば、バス、鉄道、マイカーによる役割分担が根底から崩れて公共交通体系を損なう恐れがあるなどとしている。(2009年10月19日(月)12時11分配信 共同通信)



一部マスコミでも既に懸念されているように「マニフェストを何が何でも実現させねばならぬ」と言う考えに拘泥した、民主党の「マニフェスト原理主義」とも言うべき姿勢は危険なのではないか?一度にすべてを実現させようなんて無理はせずに、数多あるマニフェストの中でも優先順位を決めて、現在の日本経済の体力に見合った形で、徐々に実現させて行けば良いのではないか、と素人ながらに思います。身体のあちらこちからから悲鳴を上げている日本に、無理は禁物です。メスを入れるにしても、最も深刻な部位1点にまずは集中すべきだと思うのですが…そんな悠長なことを言っていられないほど、日本の現状は切迫したものなのでしょうか?

ところで、マスコミ報道でよく家計に喩えられる日本の財政状況。年収400万円の家庭が8000万円の借金を抱えながら、900万円の支出で暮らそうとする無謀さを指摘する声が多いのですが、ここで疑問がひとつ。家計を語る時に、不動産や金融資産の言及がないのはおかしいのではないか?日本と言う国は不動産にしても金融資産にしても、国有のものがあるはずです。私が今思いつくだけでも官庁の土地建物(官舎も含む)、自衛隊基地、米軍基地として使用している土地、米国債等の債券e.t.c.、その総額を借金と相殺して初めて、国の借金云々については語れるのではないか?それとも”8000万円”と言う数字は、相殺した上での数字なのでしょうか?もし、そうだとすれば救いようのない話だけれど…既に名ばかりの経済大国でありながら、経済大国としての責任を国際社会で求められ続けるのも、貧する国民には酷なことですね。

日本の貧困問題

経済協力開発機構(OECD)2006年報告書によれば、「日本は7人に1人(14.2%)が貧困家庭に生まれ、子どもの貧困率*が先進国の中でも高い」。

貧困の背景には、親が賃金の低い非正規雇用として働くワーキングプアの問題がある。人件費圧縮の為、企業が正社員採用を抑制した結果、正社員とほぼ同じ仕事をしても賃金が低い非正規労働者が増加。厚生省のデータでは、2008年の賃金で正社員を100とすると、フルタイムの契約社員やパートなどは男性で65、女性で70にとどまった。

「低所得世帯やひとり親家庭への支援策が乏しい上に、先進国の中でも教育費の負担が重すぎて生活を圧迫してしまう」(湯沢直美 立教大教授)

セーフティネットの柱は「生活保護」だが、昨年秋以降、受給者は増え続け、7月には約172万人と1963年度以来の水準となった。しかし、以前から自治体が「働ける年齢だ」との理由で窓口で申請を拒む例も多く、ワーキングプアなど、保護の網の目からこぼれ落ちている人が多いとの批判も根強い。

生活保護費の拠出は国庫が75%、地方自治体が25%を負担している。国庫負担分だけで、本年度は2兆1千億円を超えている。ワーキングプア救済も視野にいれるとなれば、さならる財源が必要となる。財政難に喘ぐ国、地方共に、その財源確保に頭を痛めることになるだろう。

さらに貧困世帯の支援策のネックとなっているのは、省庁の縦割り行政である。失業者向けの住宅政策は国土交通省、低所得世帯の子どもの学習支援は文部科学省など、省庁ごとに対策が分かれている。「省庁を横断して貧困対策に取り組むべきだ」と既出の湯浅教授は訴えている。


以上は、10月19日付サンケイ・エクスプレス紙の記事を筆者なりにまとめたものですが、「民主党政権になって初めて政府として日本の貧困率について言及した」ことにまず驚いたし、長妻大臣の指示で厚生労働省が現状を踏まえて「生活保護」の指標の見直しを進めることには賛同しつつも、いまだに民主党政権が「子ども手当」を子育て支援策の切り札と考えていることに疑問を感じています。貧富に関係なく一律に「子ども手当」をばらまくよりも、本当に困っている子どもを重点的に支援することが大事なのではないか、と私は思うからです。

先日テレビ番組で、ある教育家も「子ども手当なんてお金をばらまくより、例えば核家族化で四六時中子育てに追われる母親に1週間に1回でも何時間か自由な時間を与えるとか、生活の為に働きに出たい母親の為に保育園を増設して待機児童を減らすとか、社会全体で子育てを支援するというシステムを整えることの方が大事」と訴えておられました。政治家も官僚も、支援を必要としている国民の声に、もっと真摯に耳を傾けて欲しいと思います。どうも打ち出す政策のことごとくが、国民のニーズとどこかズレているように思えてなりません。

貧困率*:全国民の中で生活に苦しむ人がどれだけいるかを示す指標。OECDの「相対的貧困率」を参考にするケースが多く、この場合は「所得分布中央値の半分未満の所得しかない人が全人口に占める割合」を示す。2008年データで日本は14.9%で、メキシコ、米国などに次いで4番目に高く、加盟30カ国平均(10.6%)を上回った。

2009/10/15

自然礼讃〜プチトマト(28)栽培155日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します大収穫

 今回は一度に18個収穫をできました!かなり色づいているものの、収穫にはまだもう少しと言う実も5〜6個あります。これだけの数だと、料理の中でも存在感を示すことができるかも夏じゃなくて、朝夕冷え込むこの季節に、「一度の収穫数の最高記録」だなんて、何だか不思議です。収穫したを見ると、丸々と肥えた物もあれば、豆粒くらいの大きさなのに真っ赤に熟してしまったものもあり、大きさは一様ではありません。収穫する際は、色みと共に触って、その弾力性を確認します。十分赤くなり、適度に弾力性があれば、大きさに関係なく収穫します。

 実は月曜から風邪ぎみで、3日間微熱があったので、市販の風邪薬を飲んで自宅に引きこもっていました。今日やっと平熱に戻ったのですが、今日は3カ月に1度の定期検診で病院に行く予定なので、ついでに風邪薬を処方して貰うつもりです。しっかり食事して、10時頃には寝ているのに、なかなか治りませんねえ…体力だけでなく、気力の問題ですかねえ…

 そんな中、プチトマトの元気いっぱいな様子には励まされます。

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2009/10/13

『古代ローマ帝国の遺産展』講演会〜アウグストゥスとローマ帝国の誕生(2)  文化・芸術(展覧会&講演会)

前項では、シーザーの時代から、オクタヴィアヌス・アウグストゥスによって古代ローマ帝国が成立するまでを書いた。実はレジュメには、「妻リビア」「アグリッパとマエケナス」さらに「植民都市の建設」や「親衛隊praetrianiの創設」「後継者選び」と言った項目も並んでいたが、講演時間が足りなくなって割愛された。講演終了時間を気にしながら青柳氏は、思いつくままに以下のようなことを述べられた。

クリックすると元のサイズで表示します地中海は日本海の約4倍の広さの波穏やかな海で、大量輸送が可能な海運に適していた為、地中海世界の交易は当時からかなり盛んであった。例えば、ヴァチカン市国のサン・ピエトロ広場に立つオベリスクは、第3代カリギュラ帝の時代にエジプトから移送したものである。その際には1800t(当時は現在のようなt<トン>ではなく、アンフォラと呼ばれる保存や輸送の為に使用された陶器製の容器を1単位として、それが何個積めるかで船の大きさを表現した)の巨船を使用し、バランスを取る為に船倉にエジプト特産のレンズ豆をバラスト(船を安定させる為の底荷)として積み込み、巨大なオベリスクを移送した。さらに使用後の巨船は海中に沈め、灯台の土台にしたと言う。これは現在も行われている工法のヒントとなった手法らしい。

古代ローマ帝国は特に都市のインフラ整備に驚異的な技術力を発揮した。下水道設備はもとより、当時既に上水道の供給能力は1,000リットル以上/人と、現在の東京都の3倍にも相当する高い能力を誇っていた。硬水質のヨーロッパにあって、上水道設備に付着する石灰分を除去するメンテナンスを欠かさず、水の衛生を保つ為のフィルターさえ備えていたのである。また優れた舗装技術で、古代ローマの舗装路は総延長約8万kmにも及び、その堅牢性は20世紀に入っても敵軍の戦車の重量に耐えられたほどのものであったと言う。剣闘士競技場のコロッセオは、45,000人の収容人員を誇り、フランス郊外には、アグリッパが陣頭指揮を取って建造した言われる三層橋が今も存在する。

《カノポスのイオ》、ポンペイ出土
クリックすると元のサイズで表示します古代ローマ帝国時代の市民生活の豊かさは、19世紀英国の産業革命を待つまで、どの市民社会も達し得なかった程の高いレベルにあった。例えば、今回の出展作品のひとつ《カノボスのイオ》中には、人物の足下にエジプトの風物であるワニが描かれるなど、当時既に「観光」が人々の娯楽であったことを示している。また、ポンペイ遺跡で多々見られるような噴水や色彩豊かなフレスコ画、貴石をふんだんに使用したモザイクなど、豪華な住宅や庭の設えも珍しくなかった。細工の凝った銀器や宝飾品も、その豊かさを象徴する物品である。

現代の国々の法律でさえ、その礎は古代ローマ時代の法律を参考にしていると言われている。市民の基本的な生活を尊重する、と言う古代ローマの理念は、現代イタリアの税制でも生きており、居住用不動産については固定資産税が課されない。以前は一切課されなかったが、近年、2軒目以降には課されるようになったと言うが、個人の住宅所有については固定資産税を、相続財産については相続税を課す日本とは、仕組みが大きく異なる。他に「貨幣の統一」も経済の安定に大きな役割を果たした。

成立後、約300年の繁栄を誇った古代ローマ帝国において、社会の活力を維持したシステムとして忘れてならないのは、階層間移動を可能にしたキャリアパス構造である。皇帝を頂点とし、その下に600〜1,000人の「元老院」、次いで「騎士」、「市民」、「選挙権を持たない自由民」、そして最下層に「奴隷」と言ったピラミッド構造からなる階層社会は、上下で隣り合う階層間での移動を可能にしている。例えば、最下層の奴隷から「解放奴隷」となり、「自由民」と同等の権利を得る者もいれば、その「解放奴隷」の子どもは社会貢献により「市民」に昇格することもできた。「市民」は戦功や社会貢献により「騎士」階層に召し上げられることがあったし、「騎士」はごく僅かながら、最上級の「元老院」階層に抜擢されることもあったのである。最盛期には人口5,000万人と言われた古代ローマ帝国は、この巧みなキャリアパス構造によって、その活力を維持し、未曾有の繁栄を享受したわけだ。ちなみにポンペイのような地方都市には、「元老院」階層に属する人間は皆無であったと言う。

こうした古代ローマ帝国の礎を築いたのが、初代ローマ皇帝、アウグストゥス帝なのである。さらに彼は、肖像彫刻や絵画と言った「美術」を、政治的プロパガンダに史上初めて利用した権力者であり、後のフランスのナポレオンやドイツのヒトラー等が、彼に倣ったと言われている。

講演会の冒頭で青柳氏は、「現代の我々は、古代ローマから学ぶべきことが多々ある」と言われた。青柳氏曰く、戦争において、空爆で圧倒的な破壊力を誇りながら、地上戦では苦戦する米軍を「空の帝国」、今から200年も前に、ヴィクトリア女王即位の祝電を、遠くフォークランド諸島から本国へ、僅か15分で送信できるほどの通信網と海運力を誇った大英帝国を「海の王国」、そして、陸上の戦いで圧倒的な強さを誇った古代ローマ帝国を「陸の王国」と称するそうだ。そして現代の米国は、陸の戦力において、古代ローマ帝国の強さをいまだ陵駕できていないであろう、と。それほどまでに、古代ローマ帝国は国家として完璧な強さを持っていたのだ。

【感想】

青柳氏の講演はよく通る声で、論旨も明快。とても分かり易い講演だった。高校時代から(かれこれ30年以上)さまざまな講演を聞いて来たが、その中でも上質の部類に入ると思う。

裏話としては面白いけれど文章としてまとめるほどの内容ではなかったり、話に脈絡がなくて簡潔にまとめようがなかったり、と言う講演は意外に多い。「聴いて損した」とまでは思わないが、記憶に残らない講演は少なくないのである。講演者はどのような心積もりで講演に臨んでおられるのだろう?

その点、今回の講演は講演内容が展覧会の展示内容に直結しており、講演者の青柳氏の熱意も伝わって来る素晴らしい講演だった。かなり鑑賞のモチベーションを高めてくれたように思う。

私はこの頃、記憶力にとみに問題があり、元々頭の回転も少々トロイので、その場で聴きながらメモし、それを自宅に持ち帰って改めて文章にまとめないと、講演内容を理解できないし、すぐに忘れてしまう。だから時間は多少かかっても、自分の感動をブログに書き留めると言う作業を通して、講演の内容をできるだけ記憶の中に留めたいし、「感動を幾らかでも他の方々と共有できたら」と言う思いで、今後も時間と体力の許す限り、講演会聴講記録を綴って行きたいと思っている。

やっぱり何と言っても「感動」が、聴講記録を書く原動力になるんだよね





2009/10/11

『古代ローマ帝国の遺産展』講演会〜アウグストゥスとローマ帝国の誕生(1)  文化・芸術(展覧会&講演会)

昨日の10日(土)、国立西洋美術館(以下、西美)にて開催中の『古代ローマ帝国の遺産』展に関連した講演会の第一回目を聴講して来た。以下は、その聴講記録である。講演中のメモを元に筆者(はなこ)が書き起こした。

講演者は独立行政法人国立美術館理事長であり、西美の館長でもある、青柳正規東大名誉教授。

日本における西洋古典考古学の先駆者であり、ポンペイ研究の第一人者である。近年は、東京大学ソンマ・ヴェスヴィアーナ発掘調査団のリーダーとして活躍されて来た。今なお発掘作業が続く、ヴェスヴィオス火山北山麓にあるソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡は、第二のポンペイとして、本国イタリアはもとより世界的に注目されている。ポンペイやソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡は、一説には「人類が最も幸福だった時代」とも称せられるローマ帝国時代の豊かな市民社会を、今に伝える貴重な文化遺産である。

今回の講演は、未曾有の繁栄を見たローマ帝国の成立について、白眉の執政官ジュリアス・シーザーから、彼の養子で、後に初代ローマ皇帝となったオクタヴィアヌス・アウグストゥスへと至るローマ帝国史を辿ることで、つまびらかにしたと言えるだろうか。

《皇帝座像アウグストゥス》
クリックすると元のサイズで表示します一般的に、初代皇帝のアウグストゥスよりもシーザーの方が知名度が高い。青柳氏曰く、その理由はシーザーがシェイクスピアをはじめとする作家の小説に度々取り上げられたことによる。知名度は小説でどれだけ取り上げられたか、その中でどのように描かれたかで決まると言う。

ローマの執政官(今で言う「首相」職)であったシーザーは、遠くはブリテン島まで到達した華々しい戦績で元老院に妬み疎まれ、政治的失脚を画策される。それを察知したシーザーは、他国との国境線であるルビコン川を武装解除することなく渡りきり、ローマへと凱旋した。それは当時としては違法行為で、反逆罪とも取られかねない大胆な行動であった。しかしこれにより敵対する元老院一派を撃破し、名実共にローマのトップへと上り詰めた。

当時、地中海世界は大小多くの国家がひしめき合い、ナイル川デルタ地帯、クレタ島、チュニジアと言った肥沃な土地の領有権を巡り、戦争が絶えなかった。過密な都市部が常に食糧不足の状態にあったのが原因である。そこで平和を希求したシーザーは、地中海世界を統一し、戦争のない世界を築こうと構想した。しかし、歴史が示すように、彼は道半ばで暗殺されてしまう。その構想の継承者としてシーザーが遺言状で指名したのは誰あろう、当時まだ17歳の青年であった甥のオクタヴィアヌスであった。亡きシーザーの養子となった彼は、シーザーが思い描いた構想を実現すべく、次々と大胆な改革を断行した。

そのひとつが、それまでのローマの伝統であった、対外拡張政策の中止である。ただし、エジプト、モエシア、ガラティア、カンタブリア、アストリア、アルプス、ラエティア、ノリクム、ユダヤ、パンノニア等を新たにローマ領とした。もちろん、その道のりはけっして平坦ではなかった。若きオクタヴィアヌスを補佐していたアントニウス・レピドゥスが反旗を翻し、エジプトの女王クレオパトラと手を組んで、オクタヴィアヌスへ戦いを挑んだのである。アントニウスらが率いるエジプト軍との海戦に代表されるような内戦に勝利した後、オクタヴィアヌスは、48軍団あった兵力を28軍団(約16万8千人)に削減し、軍務を解かれた兵士を市民として、新たな領有地へ派遣した。日本で言えば、北海道開拓団として赴いた屯田兵のようなものだろうか。

スーダンの高地を源流とする、全長6,700キロにも及ぶナイル川は、スーダンから流れ出る肥沃な土壌を、エジプトのデルタ地帯まで運ぶ役割を担っている。この為、デルタ地帯は古代より一大穀倉地帯として豊穣を極めていた。高さ133mを誇るクフ王のピラミッド建造も、想像を絶するエジプトの豊かさが背景にあった、と青柳氏は言う。これが「エジプトはナイルの賜物」と言われる所以である。アントニウス、クレオパトラ率いるエジプト軍との海戦の勝利によって、ローマはこのエジプトを手に入れたわけで、これはローマ帝国成立の大きな第一歩となった。

エジプトを掌握したオクタヴィアヌスは、強固な権力地盤を築くべく、元老院議員のエジプト入国を禁止した。当時、24の属州を持っていたローマは、オクタヴィアヌスと元老院とで、その支配を分け合っていた。しかし、その後元老院との巧みな駆け引きでオクタヴィアヌスは軍隊の全権を掌握。圧倒的な権力で以て、BC27年、属州を統合し、ローマ帝国を成立させたのである。その時、アウグストゥスの尊号を受け、彼は事実上「皇帝」となった。

オクタヴィアヌス・アウグストゥス帝は、「平和」「秩序」「理性」を尊重し、有能な家臣アグリッパと共に、平和の構築とその維持に努めた。後に「瓦礫の市街であった首都ローマを受け継いで、大理石の市街を残した」と賞賛されるように、彼はローマ帝国の黄金時代の礎を築いたのである。以上、述べて来た通り、彼の業績は以下の6点に集約される。

・平和の実施
・領域国家の樹立
・統治制度の確立
・軍指令権の掌握
・食糧供給の保証
・都市文明の繁栄

つづく…



2009/10/10

自然礼讃〜プチトマト(27)栽培150日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します実りの秋

 台風18号の列島縦断で天候が荒れた8日、首都圏は強風と横殴りの雨が通勤通学時間帯を直撃し大混乱を招きましたが、台風一過の午後は一転して雲ひとつない青空が広がりました。時折置き土産の突風が吹くも、つい、数時間前の荒天が嘘のような澄み切った空でした。いつもながらの光景ですが、その清々しさに、病院からの帰り道、何度となく空を見上げてしまいました。

 台風避難で室内に置いていたプチトマト。その日の夜も私の目を楽しませてくれました。息子や夫はたわわに実る様を見て、「プチトマトって夏の野菜なんじゃないの?なんで今頃、こんなに沢山の実をつけてんの?」と、些か意地悪な言葉を投げかけていました。しかしそんな物言いとは裏腹に、翌朝、夫は気をきかせて、「座敷プチトマ」をベランダに戻してくれました。アリガトね

 今朝は、そこかしこに色づいたプチトマトの姿がありました。まさに色とりどりと言った感じ。ひとつの房についた実の熟度が一様でないからこそのグラデーションです。プチトマトは、自然は、偉大なアーティストだぁ

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2009/10/9

初めてのLA(4)〜ホテル  LA旅行(2009年初秋)

着陸間近の機上から見たLAの朝焼け
クリックすると元のサイズで表示します格安ツアーの弱点は「情報収集」で補う

 ANAの出しているツアーは、今まで度々利用して思うに、大手旅行社の出している平均的ツアーよりはホテルのグレードが高く(エアラインの名が廃るような変なホテルは用意しない。たとえ中級ホテルでも、そこの最上の部屋があてがわれる)、割高である。

 当初行こうと思っていたANA主催の香港のツアーは、大手旅行社の似たようなツアーと比較検討した結果、やはり価格設定は高めだったが、(1)発着が羽田空港であること、(2)ホテルのグレード、(3)夕刻日本出発、深夜現地到着で、現地滞在時間が長いこと、と言ったアドバンテージで選ぶに至った。しかし、行き先が香港と言うことで、季節柄、台風への懸念が拭えなかった。また特段、香港への執着もなかった。香港と言えば、「グルメやショッピング天国」と言ったイメージがあったことも、私を躊躇させた。

 そもそもシルバーウィークに旅行を思い立ったのは、似た名前のゴールデン・ウィークとは比較にならないほど、ツアー代金に割安感があったからである。「どこに行きたい」以前に、「旅行に行きたい」が先立った今回の旅行だった。

 結局私はツアー予約を済ませた後も、まだ迷っていた。そして何気なしに覗いた旅行会社のオンライン・ツアーカタログの中で、今回のツアーをたまたま見つけたのである。まだ公開したてを意味する"NEW"の文字が、ツアー名の前に躍っていた。早速、ツアーの詳細を見てみると、日数は2日増えて6日間で、行き先も遥か遠いLAなのに、価格はANAの4日間のツアーと殆ど変わらない。前回の家族揃っての海外旅行も近隣の韓国だったので(ただし、夏休み期間中のハイシーズンに、全行程食事付きで、今回のツアーより、料金は3割高だった)、目先を変えてアジアではないところに行ってみたいという思いも頭の隅にはあった。そこで夫に相談。そして今回のLA初見参となった。

 しかし、安いのにはそれなりの理由がある。私は海外旅行で格安ツアーを利用したのは今回が初めてだが、格安ツアーの格安たる所以は、旅行会社がツアー催行のギリギリまで、安いエアラインとホテルの確保に腐心している点ではないかと思う。現に、今回はエアラインこそ最初から大韓航空のLA直行便と決まっていたものの、宿泊ホテルが決まったのはツアー出発の6日前だった。ツアー出発まで10日を切ったのに旅行会社からは何の連絡もなく、ヤキモキした私はとうとう自分から電話をかけてしまった。結局その翌々日にホテル決定の連絡が入った。その宿泊先と言うのが、正直言って、候補ホテル4つの中で一番選ばれて欲しくないホテルだった

 と言うのも、2週間ほど前から、今回のエアラインである大韓航空と、宿泊先候補ホテル4つのクチコミ情報を、ネットで散々調べ上げていたからである。情報源はもちろん日本語に限らない。特にホテルに関しては、英語、仏語、独語を、辞書を片手に読みまくった。その結果、最もクチコミ評価が低かったのが、今回宿泊先となったホテルだったのである。ホテル名を聞いた瞬間、そう、ほんの一瞬、私は絶望的になったが、すぐさま気を取り直して、そのホテルで、どうしたら少しでも安全に、快適に過ごせるか、そのホテルから、どうしたら少しでも安全に、効率的に観光地へ行けるか、小さな脳みそをフル回転させて考えた。

 ホテルのグレードは、その格式、設備もさることながら、やはり立地で決まる。さらにLAでは、他の先進国の大都市以上に治安の問題が前面に出て来る。

 例えば何度か訪ねたことのあるロンドンなどは、メトロやバスなどの公共交通機関が発達していて、しかも比較的安全で(もちろん、時間帯で雰囲気が一変する地域もある)、4年前に行った時も、ウエストエンドで夜ミュージカルを見終えて、午後10時過ぎにメトロに乗っても全然怖くなかった。日本の首都圏で利用する感覚にほぼ近い。駅に向かう途中も劇場帰りの客が他に大勢いたので、特に不安を感じることはなかった。やはり人通りが絶えないということは、大きな安心材料である。

宿泊先ホテルのロビー。一見広々として、重厚感があって、天窓からの陽射しも心地良いのですが…↓
クリックすると元のサイズで表示します ところが、今回宿泊したダウンタウン地域は、オフィス街とそれ以外の地域、日中と夜間とでは様相が一変するのである。宿泊したホテル周辺は、さすがに窓や出入り口に鉄格子を設えた店や住宅はなかったが(←こうなると、無知な旅行者が出歩こうものなら、何が起きても不思議ではないらしい)、日中でも人通りの少ない場所だった。日没前になると急ぎ足で歩く人の姿が目立った。クチコミでも何人もの人から指摘があったが、夜間に出歩くのは危険な地域だった。実際、夜間に外からはひっきりなしにパトカーのサイレンが聞こえていたし、一度、悲鳴のような声も聞こえたような気がした(一瞬、耳を疑ったが)

 ホテル周辺のうらぶれた雰囲気、2、3軒先にある飲み物等を売っているミニ商店の佇まいなどが、10年以上前に住んでいたヨルダンのアンマンにそっくりだと、夫が苦笑いをした。ホテル滞在中も、帰国してからも、夫は今回の旅を「米国の光と影の、影の部分をひたすら見た旅だったなあ…」としみじみとした口調で繰り返す。LAの強い陽射しに照射されて、影が色濃く投影されているかのように。光が強ければ強いほど、影の黒さが際立つように。先日、2週間遅れでケーブルテレビのチャンネルで放映された「エミー賞受賞式」を見ながら、夫はこうも言った。「そう、この華やかな光の部分を、僕はLAでついぞ見かけなかったんだ」 

 ただ、我が家は息子を連れていることもあって(今ではすっかり成長したが)、昔から海外では夜は不用意に出歩かない。早めに外出先で夕食を済ませるか、ホテル内のレストランで食べるか、デリで簡単な総菜を買って来てホテルの部屋で食べるかして、よほど勝手を知っている場所でない限り、日没前にはホテルに戻るようにしていた。幸いなことに、今回LAはサマータイム実施期間中で、午後8時頃まで明るかったし、ホテルに戻ればテレビは多チャンネルだったので、長い夜を退屈することはなかった。
 
 それなりのホテルだから設備にも期待はしていなかったが、冷蔵庫がないのは不便だった。希望すれば1日14$で貸し出してはくれるらしいが、1日14$とはねえ…4泊ともなれば56$。外で何か美味しいものを食べた方がまだましだと思った。今回のエアライン&ホテルのパックツアーで、ホテルのグレードがもうひとつ上のコースがあったが、そこで指定された3〜4ツ★ホテルも「冷蔵庫なし」、とクチコミ情報にはあったので、室内に冷蔵庫がないのはそれほど珍しいことではないのだろうか?夜間、何か冷たい飲み物を飲みたいと思って、エレベーター近くに設置された自販機で飲み物を買おうとしたが、壊れていて使えなかった。冷蔵庫を設置しないのなら、自販機くらい使えるようにして欲しいものだ。

 とは言いつつも、ホテル自体にはクチコミの酷評ほどには悪い印象を覚えなかった。あまりの酷評に覚悟を決めて、或いは何も期待しないで泊まったからなのか。また、チェックイン時に、ツアーガイドがホテル側と交渉して、フロアで一番広い部屋を用意してくれたことも良かったのかもしれない。古いホテルだけに、宿泊候補のホテルの中では最も部屋が広かったようだ(だから、このホテルが選ばれた?!)。カーテンがどういうわけだか開閉しづらいとか、浴室のシャワーヘッドが壁に固定式だとか、エアコンの温度設定の微調整が効かないとか言う多少の不便はあったが、壁紙や床の絨毯を張り替えたのか、クチコミで酷評されていたようなシミや穴はなかった。毎朝、ベッドメイキングもきちんとしてくれて、毎夕部屋に戻って来るとこぎれいに片付いていた。

 クチコミ情報は、ことホテルの全体的な印象に関しては投稿者の主観で書かれたものが多く、その投稿者の判断軸のようなものは、読み手には不明である。つまり投稿者が普段どんなグレードのホテルに泊まっているのかは知りようがないから、どのグレードとの比較対象なのかも読み手にはわからない。ホテルのクチコミ情報では、やはりホテル周辺の様子や観光地へのアクセス方法など、実体験に基づいた具体的事実を描写した記述が参考になる。そして書き手の属性(年齢や性別や利用目的など)が、自分により近いクチコミ情報の方が役立ったように思う。多少参考にはしても、そのまま鵜呑みにしない。それがクチコミ情報の利用方法だろうか?

 それからホテル周辺情報のイマドキのチェック方法と言えば、グーグルのストリート・ビュー機能もオススメ。ホテルの住所を入力すれば、現地の写真が表示され、自分があたかも現地にいるかのように360度周辺を見回すことができる。これも現代ならではの情報収集方法だと思う。他にロスアンゼルス警察の公式HPにアクセスして犯罪ハザードマップも見ようと思ったが、これはなぜか見られなかった。他に外務省の海外治安情報などもシッカリ読んだ。

 とにかくLAでレンタカーを借りずに、限られた予算で旅行を楽しみたいなら、観光地など、行きたい場所へのホテルからのアクセス方法はさまざまな角度から検討するに限る。ダウンタウンには見るべきものがないから宿泊先として勧めない、との声もあるが、格安パックツアーで用意されるホテルは大抵ダウンタンのホテルなのである。そして意外にも、公共交通機関利用を考える旅行者にとって、オフィス街への通勤の足であるメトロやバスが利用できるのは、ダウンタウンならではの利点だと思う。モノは考えようだ。

 いざ宿泊先が決まったら、宿泊ホテル最寄りのバス停、メトロの駅(さらに、どの路線が走っているか?)の位置は真っ先に確認するべきだし、タクシー(すぐに捕まえられるか?安全か?料金システムなど)や、現地ツアー会社が提供しているオプショナルツアーや定額タクシーの利用の検討など、さまざまなアクセス方法が考えられる。我が家も自分の手持ちの予算と相談しながら、目的地、時間帯に応じて交通手段を使い分けた。


2009/10/7

小石川後楽園界隈を歩く(2)  散歩の記録

 最初に小石川後楽園に行き、1時間あまり園内を散策した後は小石川後楽園を後にして、界隈を1時間あまり散歩した。一般道である。近隣に日中友好会館があるのを初めて知った。そこを通り過ぎて間もなく、後方から中国語が聞こえて来た。友好会館から出て来たのだろうか?わざわざ振り返ることもないが、途中の信号待ちで、その一群(と言っても年配男女とその娘2人と思しき家族連れ)が私達に追いついた。

 両親は風貌からすぐに中国人とわかるのだが、2人の娘は茶髪のサラサラロングヘアを風になびかせ、有名ブランドバッグを手に持ち、ミニスカートにロングブーツ姿と言った、日本の若い女性と殆ど変わらない出で立ちで、後ろ姿では一見して中国人とはわからない。最近、日本の銀座界隈でも、有名デパートでも、日本人以上に気前良く買い物するのは、中国から大挙して訪れている富裕層と聞いているが、目の前の人達もその中の1人なのかと思った。

 帰宅後見たニュースでも、来日中国人の間で最新の人気スポットは表参道で、街頭インタビューの「お買い物の予算額はお幾らくらいなんですか?」と言う質問に、失礼ながら見た目にはそれほど裕福そうでない中年女性が、涼しい顔で「150万円くらいかな」と即答していた。日本人なら一瞬躊躇するような質問に、寧ろ堂々と(自慢げに?)答えるあたり、拝金主義的な今の中国の風潮が窺えると言ったら言い過ぎだろうか。

 今日の夕方のニュースでも、中国は自家用車の爆発的普及により、二酸化炭素排出量が米国を抜いたと報道していた。イタリアの有名ブランド、ベルサーチが日本から一旦全面撤退する一方で、中国では昨年度中に一挙に10店舗がオープンしたらしい。経済的豊かさは明らかに日本から中国にシフトしているように見える。国の規模がそもそも違うのだから、総量が違うのは当然と言えば当然だけれど。

クリックすると元のサイズで表示します さて、行く道でやたらと目に付いたのが自動販売機。50mと離れていない所に何台もある。さらに隣り合った建物の両方の玄関先に似たような自販機があって、一方が所謂激安機だったりする。全く同じ商品が2mと離れていない場所で100円と150円だったりするのだ。

 1日24時間通電しているから、自販機設置コストも馬鹿にならないだろう。それにしても自販機の数、飽和を通り越して過剰である。自販機メーカーの販売利益ありきで、設置者の利益なんて2の次、3の次なのだろうか。米国LAの街頭ではまったく見かけなかったのとは対照的だ。街に溢れる自販機は、外国に行って改めて気づく日本の特異性のひとつだろう。(写真は、小石川後楽園内の小さな池。水位が低すぎて、水底と泳いでいる鯉の腹がスレスレのようにも見えた。大丈夫なのかな?)

 小石川後楽園で気になったことがひとつ。池の水位が低かったり、滝の水が止まっていたり…、夏の降水量が少なかったから地下水が干上がっているのか?それとも何らかの天災の予兆なのか?まさか、そんなことはないよね。そう言えば、雨の翌日だったからなのか、蚊が半端なく多かった。運悪くスカートをはいていたので、入園した途端、足下が蚊の一斉攻撃を受けた。しばらく痒みが治まらないほど、一度に何カ所も刺された。私はシュバイツアー博士ではないから、私の血を吸った蚊は許せないなあ。木立の中でも蚊がまとわりついて大変だった。それでも、小石川後楽園は一見の価値がある。今度行くときは長袖にパンツルックで防戦(笑)すれば良い話だし。


2009/10/7

自然礼讃〜プチトマト(26)栽培147日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します台風避難で室内へ

 強い台風が接近中と言うことで、ベランダのプチトマトを室内へ避難させました。以前と比べて枝がしな垂れている分、ベランダの掃き出し窓から比較的スムーズに入れることができましたが、やはり避難作業中に何個かの青い実が落果してしまいました。仕方ないですけれどね

 主のパキラとケンカしないように(互いの葉がぶつからないように)、プチトマトの配置に気を遣います。

 改めて見ても、実が沢山ついています。大雑把に数えても80個〜90個はあるんじゃないでしょうか?しかし、なぜか一度に沢山は収穫できないので、毎日チビチビ食べています。

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 明日は病院の予約が入っているのですが、この分だと無理かなあ…


2009/10/5

小石川後楽園界隈を歩く  散歩の記録

クリックすると元のサイズで表示します映画を見た翌日は街散歩へ

 土曜日は終映間近の仏映画『幸せはシャンソニア劇場から(原題:FAUBOURG 36)』を家族で見たのですが、翌日曜日に軽い腰痛が出た為、これは身体を動かした方が良いのかなと思い、趣味の街散歩に出かけることにしました。

 行く先はここのコメント欄でも先日話題に上ったばかりの小石川後楽園界隈です。小石川後楽園は、元々水戸徳川家初代藩主徳川頼房公が、その中屋敷として造ったもので(後に上屋敷へ)、テレビ時代劇『水戸黄門』で有名な水戸光圀公(2代目藩主)ゆかりの庭園でもあります。



クリックすると元のサイズで表示します 庭園の様式は「大泉水」と言う名の大きな池を中心とした「回遊式築山泉水庭」になっていますが、これは浜離宮恩賜庭園六義園と同じです。

 園内を散策すると驚かされるのですが、どの角度から見ても見事なまでに美しく、私も思わず写真を撮りまくってしまいました。この庭園は文化財保護法によって国の「特別史跡」「特別名勝」の二重指定を受けており、これは極めて珍しいケースで、全国的に見ても浜離宮恩賜庭園金閣寺など、その数はごく限られています。こうした国の”お墨付き”からも、いかにこの庭園が美しく、手厚く保護されるべき存在かがお分かりいただけるでしょう。

クリックすると元のサイズで表示します 造成に当たり、儒教を学んだ光圀公が、中国・明の遣臣、朱舜水に意見を求め、写真のような円月橋など中国趣味を多く取り入れたり、京都に特段の憧れがあったのか、渡月橋など京都の風物をモチーフにした造形も数多く手がけ、他にも全国各地の景観を巧みに組み込むなどして興趣豊かな庭園を造り上げており、見ていてホント飽きません。

クリックすると元のサイズで表示します また、数多ある大名庭園で、おそらく見られるのはここだけだろうという景観もあります。それは、元は光圀公が、彼の嗣子・綱条の夫人に、農民の労苦を教えようと造らせた田圃。他に藤棚や花菖蒲園など、ドラマ『水戸黄門』で描かれたエピソード(←実際の光圀公が諸国を旅することはなかったと言われる)を彷彿させる人間味溢れる、どこか温かみを感じさせる穏やかな田園風景が庭園の北側に広がっています。 
 
クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します 庭園情緒を深くする道具立てのひとつに石畳があります。一様でないその造成に、造園家の心意気を感じます。曲がりくねって木立の向こうに消える石畳は、「あの木立の向こうには何があるのか」と想像をかき立てる。 

 意外に目についたのが、震災や戦災の爪跡。かつてそこにあったであろう石像の台座やお堂の土台、狛犬、石灯籠等の遺物がもの哀しさを誘います。

 しかし、そうした遺物も長い年月を経て深山幽谷の中に溶け込み、往時の面影を幾ばくか残しつつ、静かに佇んでいるのです。その姿は厳かな雰囲気さえ湛えています。

クリックすると元のサイズで表示します つい最近、浅草寺界隈で景観論争が起きています。浅草寺のすぐ近隣で高層マンション建設の話が持ち上がり、江戸情緒を深く残す浅草寺の景観を著しく損なうものだとして、近隣住民が都に建設差し止めを訴えています。

 日本は戦後、「復興」のスローガンのもと、なりふり構わず経済成長を優先させて来ました。その過程において物心両面で失われたものは少なくないでしょう。しかしひたすら右肩上がりを求め続けて来た上昇志向は今、確実に曲がり角に来ています。これまではともかく、今後は価値観の転換が求められるのでしょう。一度失ったものを取り戻すのが容易でないことは、誰もが既に気づいていることです。

 美しい庭園の景色の間からのぞく無粋な人工物に、いささか違和感を拭えないのは、果たして私だけでしょうか?東京ドームそのものが無粋ではけっしてないのです。そのデザインの現代性が、小石川後楽園の古風な美しさにそぐわないのです。逆に東京ドームから小石川後楽園を見ると、素敵な借景に何となく得した気分になります。

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 近隣の文京区シビックセンター25階にある展望室から小石川後楽園を望む。その後隣接するラクーア内にある博多ラーメンの店「一蘭」で久しぶりにラーメンを食べたのですが、麺とスープは確かに高水準の味であると認めつつも、具が小口切りの青ネギと薄い(本当に薄い!)チャーシュー3枚のみで、790円は高い!その具の少なさは、ラーメンの旨味をシンプルに味わって欲しいと狙ってのものなのか不明ですが、ライバル・ラーメンチェーン店が軒並み営業損益を出している中、堅実に黒字を計上しているのを見ると、具材にお金をかけない分、利益率も高いのかな、などと勘ぐってしまいました。

 多少健康志向のある?私としては殆ど変わらない価格でラーメンを食べるのなら、厚切りチャーシュー1枚、味付け海苔1枚、江戸菜数本、たっぷりシナチクと長ネギの具だくさんな「麺屋 空海」の空海そばの方が好きです…なんてことを長々と書くと、食いしん坊なのがバレバレですね

クリックすると元のサイズで表示します 写真では見づらいですが、大泉水の真ん中に浮かぶ蓬莱島の楓が既に赤く色づいていました。園内には沢山の楓の木があり、紅葉の季節もさぞかし美しい景色を見せてくれることでしょう。

 封建社会は天と地ほどの格差があった社会でしょうが、一部に強大な権力と富が集中したからこそ、こうした贅を尽くした庭園が造られ、造園家が腕を競い合って、後世に残るような高度な技術も生まれたと言えるでしょうか。どんなことにも正負の両面が存在するものなのだなと思います。

【追記 09.10.08】

先日、テレビ番組「なんでも鑑定団」で、狛犬について取り上げられていました。狛犬のルーツは古代中東の獅子像で(一説にはインドが起源とも…)、シルクロードを通じて中国・朝鮮を経て、日本に渡来したらしい。琉球にはそのまま獅子像(シーサー)として伝わったのに、日本には朝鮮経由でまず「高麗(コマ)犬」として伝わり、その後「狛犬」で定着したようです。正確には口を大きく開けた阿形は「獅子」で、頭部に角の生えた、口を閉じた吽形は「狛犬」を意味し、獅子狛犬と言うそうです。

確かに、ヨルダンに住んでいた時に、寂しい村外れに、忘れ去られたかのように古代遺跡が残っていて、そこで立派な獅子像を見かけました。正確な名前は忘れてしまいましたが、アル・イラク・アミールと言ったかな?遥か彼方の文化が極東の島国まで伝わっているなんて、ロマンを感じますね。





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