2009/7/1

友を奪った憎き病  はなこのMEMO

クリックすると元のサイズで表示します 今は亡き友に思いを寄せて…
 
 実は昨日も朝からギャラリートークの為に美術館へ行っていました。今回は小学校4年生の良い子たち。4年生の来館というのは比較的数が少ないのですが、なまじ知識がない分、率直に作品と向き合い、作品に対して大人が驚くほどのアプローチを見せてくれました(引率の先生も、子ども達の鋭い洞察力や豊かな感性に本当に驚き、感銘を受けておられました)。その意味で今回のトークはスクール・ギャラリートークの原点を見るようで面白かったです。
 
 無事、ギャラリートークを終えた後、今月半ばに予定されている大人向けトークの準備もあって、そのまま美術館に留まり、私が自宅に戻ったのは3時半過ぎでした。すると私の帰宅を待っていたかのように携帯電話の呼び出し音がなり、時間的にも息子からの電話と思った私は、ろくに相手を確認もせずに呼び出し音に応えました。しかし、通話口から聞こえて来たのは聞き慣れない声。しかも小さくて聞き取りにくい。改めて誰なのか問い質すと、息子の中高時代の学友のお父様Sさんでした。
 
 まさか…?!嫌な予感が的中してしまいました。奥様であるY子さん(普段は名字のSさんでお呼びしていました)の逝去を告げる電話だったのです。彼女は乳がんでかねてから闘病中でした。しかも、最後に会ったのは息子達の卒業式の日。礼拝堂でのセレモニーを終え、各自の教室へと向かう生徒と保護者でごった返す高校校舎1階ロビーで、まさかこれが最後の対面になるとも知らずに、短く「じゃあ、またね。今度卒業祝いの食事会をしようね。連絡するから」と言って、彼女とは別れたのでした。

 それからほどなくして、約束通り彼女の自宅へ電話をした私に、彼女からの衝撃的な告白が待っていました。
 「はなこさん、私ね、実は乳がんなのよ。卒業式のあの日もカツラだったの。」
 
 思いがけない告白に、私は一瞬返す言葉が見つかりませんでした。驚く私をよそに、彼女はいつものように穏やかな語り口で、昨年の夏頃に自ら乳房にしこりを見つけたこと、10月から抗がん剤投与の化学療法を行っていること、過去の2回の投与が奏功せず、近々3回目の投与を行う予定があることを私に告げました。病院での初診の時点でしこりは直径2cm大になっており、抗がん剤でそれを小さくしようとの試みがそれまでなされていたようでした。

 「抗がん剤を投与するとね。髪の毛は抜けちゃうし、体力も落ちてしまって、あの学校の階段(息子達の学校は山の上にあり、中腹に小学校、頂上に中・高校及び礼拝堂が配置されています。頂上までは数百段の階段を上ることになるのです)はきつかったわ。やっとのことで上れたって感じ」と彼女は静かに笑います。私の頭は混乱のあまり、どう反応して良いのかも分からず、まさに思考停止状態に陥ってしまいました。

 しかし、告白された側の私が押し黙ったままではY子さんも困るでしょう。私は努めて冷静さを装い、食事会の予定の日時を伝えました。すると「あ…その前日が3回目の抗がん剤投与の日なのよ。」といかにも残念そうなため息が、電話の向こうから漏れ聞こえました。「抗がん剤の直後は食欲も落ちてしまうし…」〜こう言われたら、二の句が継げません。やっとの思いで「それじゃあ、Sさんがお元気になられてから改めて、皆で卒業祝いの食事会をしましょう。それまでは延期します!」と応えたのが精一杯でした。

 電話が切れてから、すぐさま二人の共通の友人に電話をしました。当然のことながら、彼女からも困惑の言葉が帰って来ました。「どうしよう…私からもお見舞いの電話をした方が良いかしら?」〜結局、「こちらから何やかんやと連絡を取っては、彼女に余計な気を遣わせてしまうのでは」「女性は自分の闘病中の姿を他人に見せるのは嫌よね」といろいろ理由をつけて、私達は昨日の昨日まで、彼女にコンタクトを取らなかったのです。

 ご主人からの電話の後、私はSさんの通夜の会場である葬祭場の場所を確認し、そこに到着するまでの道順と所要時間をサイトで調べてから、上述の友人に連絡。友人はちょうどパートの仕事を終え、帰宅するところでした。幸い二人の自宅は比較的近く、最寄り駅で待ち合わせて一緒に葬祭場まで向かいました。連絡を取り合ってから、僅か1時間半強の慌ただしいスケジュールでした。葬祭場までは電車を幾つも乗り継ぎ、思った以上に時間がかかったせいか、私達が最後の焼香者でした。とにもかくにも間に合って良かった。

 しかし、ご主人のお話を聞いて、後悔の念が心を覆いました。Sさんは亡くなる直前まで、自身の携帯に届いたメールへの返信を、病床から続けていたと言うのです。私は今になって自分の愚かさを嘆いています。メールと言う便利なツールを使わずに、ただただ心に気に懸けていただけなのです。もちろん、彼女の全快を信じていました。全快した彼女からの電話を待っていました。自分なりに彼女の体調や心情を慮っての自粛だったのですが、それは結果的に「何もしなかった」と同じことなのでしょうか?

 それでもSさんの携帯電話のアドレス登録を頼りに、ご主人が私に連絡を下さった。これはSさんが私を最後の別れの場に呼んでくれたのだと信じたいです。Sさんとは、息子達が中学1年で同じクラスになって以来のお付き合いで、彼らの中学時代には二人で連れだって部活の対外試合を見に行ったり、チネチッタでの試写会、武道館で行われたクリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』ジャパンプレミアにも行きました。その後息子達のクラスは違っても、PTAの会合の度に声をかけあって昼食を共にしたり、息子達の中学卒業を祝って食事会も開きました。だから私の中では当然のように、息子達の高校卒業を祝う食事会には、彼女も参加するはずでした。

クリックすると元のサイズで表示します 彼女は小柄でほっそりとして、面差しは女優の藤まり子に似た美人でした。そして神戸出身らしく都会的センス溢れた着こなしと、常に柔らかい物腰でエレガントな雰囲気を漂わせていました。女性が、女性として憧れるような存在でした。おそらく、多くの方々から愛され、慕われた女性だと思います。そんな彼女との思い出は尽きません。愛するご主人と、長い不妊治療を経て授かった一粒種の息子さんを遺して旅立つ気持ちはいかばかりだったことでしょう。私も夫と息子の3人家族なだけに、より一層身につまされます。心からSさんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。

 下記のサイトによれば、今や日本でも年間4万人もの女性が乳がんにかかり、そのうち1万人の方が亡くなられるそうです。しかし一方で、早期発見すれば、助かる確率の高いがんでもあると言います。また、欧米の患者は60〜70代のシニア層が多いのに対し、日本は45歳に好発し、55歳が最も死亡率が高い等、若年性が特徴のようです。つまり、Sさんや私はその範囲にドンピシャ当てはまる。サイトを読んで、自分自身があまりにも乳がんについて無知なことに、遅まきながら愕然としています。身近な友人がその病魔に冒されて初めて、関心を持ち、調べるようになったのですから。

 とにかく、その恐ろしさに気づいたその日から、乳がんに対して、何らかのアクションを起こすべきなのかもしれません。まず何より、自分も含め、ひとりでも多くの女性が定期的に乳がん検診を受けることがとても大切なんですね。この病魔によって、これ以上悲しい思いをする人が増えないように。 

◆サイト【Women's Healthcare〜乳がん】はこちら 




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