2009/7/31

ネットの恩恵に浴する〜美術作品に関するリサーチ  文化・芸術(展覧会&講演会)

 スクール・ギャラリートークでは、ボランティアはあくまでも児童生徒の作品鑑賞のサポーターとして、彼らが作品を見て感じた思いや考えに耳を傾けることに力を注ぎます。とは言え、西洋美術全般に関する基礎的知識はもちろんのこと、ツアーで案内する作品についても事前に調べて、トークに臨んでいます。

 調べる際に特に参考になるのは、美術館が発行している「年報」で、それには作品所蔵年度に担当学芸員による調査結果がまとめられています。しかしページ数にして2〜3ページなので、それで完璧というわけには行きません。やはり、それを基本にボランティアが自分で情報を集め、肉付けして行くことになります。どうしてもわからない場合は、教育普及室の担当者を通じて担当学芸員に質問も可能なのですが、立場上そう気易く尋ねることはできません。

クリックすると元のサイズで表示します さて、昨日ですが、先日こちらでも取り上げた、17世紀オランダの画家エドワールト・コリール作のヴァニタス画《ヴァニタス〜髑髏と書物のある静物》の中で、上述の年報記事でも言及がなく、かねてより不明であったモチーフについて、私なりに調べてみました。昨今のネットは便利ですね。世界中でマニアックな事柄についてまとめて、ネット上で公開して下さっている方がいます。おかげで、自宅にいながらにして世界中の資料に目を通し、調べることができました。今度ばかりはネット社会に感謝&感謝です。

クリックすると元のサイズで表示します 今回調べたのは、拡大写真の、ろうそく立ての手前にある細い筒状の容器に紐で繋がれた手前の黒い円筒形の物体と、その背後にある、筒状の容れ物にびっしりと詰め込まれた金属様(よう)の物。これらが何なのかについて、年報記事では一切言及されていないので、最初日本語で書かれた文献資料をいろいろと調べてみたのですが、答えとなるような記述は見つかりませんでした。ただ、ひとつのヒントとして、昨年、国立新美術館で開催された静物画の展覧会カタログに掲載されている、オランダの画家ピーテル・クラースゾーンの静物画《ヴァニタス》に類似した物体があったこと。しかも文献資料によれば、コリールは初期にこのクラースゾーンに影響を受けたとあります。以上のことから、下記の手順でアプローチして行きました。

1.ネット上で公開されているエドワールト・コリールの作品を検索し、片っ端から調べてみる

→西美にある作品と同様のモチーフを描いた作品はなかった。

2.ネット上で公開されているピーテル・クラースゾーンの作品を検索し、片っ端から調べてみる

→西美にある作品と同様のモチーフを描いた作品が以下の通り見つかった。

ピーテル・クラースゾーン作品1
ピーテル・クラースゾーン作品2

→該当するモチーフと常に一緒に「はねペン」が描かれている。キャプション(作品解説)でも、「筆記用具」と記されている。

3.17世紀以前の筆記用具について検索する

→17世紀頃の筆記用具の写真が見つかった。

筆記用具の写真

砂時計の傍らにあるこしょう入れのような容器は、インクの滲みを防ぐ為に、字を書いた直後に降りかけるイカの骨?(甲?〜みがき粉や鳥のえさにも用いられるようである)の粉を入れる容器らしい。今の時代にこのような筆記用具があるのだろうか?時代によって物の用途や形が変わるという点が実に興味深い。

4.該当する筆記用具が描き込まれた作品及び、その製作風景が描かれた作品を検索する

→主にオランダと近似の文化圏?であるドイツのサイトで、多数の作品が見つかった。

図版1
図版2
図版3
図版4

また、以下のようなイラストも見つかった。ペン先とはねの製品広告のようである。

図版5

以上の図版の数々から、西美所蔵のエドワールト・コリール作のヴァニタス画に描かれたモチーフで正体不明だった物体は、当時の筆記用具(a writing quill)〜インク壺(an inkwell or an inkpot (with an inkhorn?))とペンケース(a penner)〜であったと推察される。

【当ブログ内関連記事】

映画レビュー『椿山課長の7日間』
講演会聴講記録『フェルメールとオランダ風俗画』
嬉しかったこと




2009/7/31

初めて東京オペラシティで…  文化・芸術(展覧会&講演会)

クリックすると元のサイズで表示します 先日の29日(水)、京王新線新宿駅から一つ目の駅、初台駅に直結した東京オペラシティ・コンサートホールで、「千住真理子とイタリアの名手たち」と言う演奏会を聴いて来ました。

 プログラムの演目自体は、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集「四季」合奏協奏曲集「調和の霊感」など、20年以上前から持っているイ・ムジチ版で耳に馴染んだ曲等だったのですが、初台駅に降り立つのも、(当然のことながら)東京オペラシティ・コンサートホールで演奏会を聴くのも、さらに千住真理子さんの演奏を聴くのも、今回が初めてでした。

 初見参の東京オペラシティ・コンサートホールは、個人的に馴染み深い横浜みなとみらいホールよりは奥行き、幅共ややこぶりな印象ですが、とにかく吹き抜け空間が高い。よくこれで音が拡散しないなあと素人目には思います。私は、舞台袖に近い2階席の壁際で、演奏を聴きました。休憩時間に言葉を交わした隣席の女性(たまたま隣り合わせた見知らぬ方)は、「素晴らしい!あ〜、正面の席で聴くべきでした」と残念がられていました。やはり端の席だと音響を損なうものなんでしょうか?

 数カ月前に、横浜そごう美術館内で東京芸大生のヴァイオリン・ミニ・リサイタルを聴いた時にも、ヴァイオリンの生の音色には十分聴き惚れたのですが、今回はプロの演奏家として長年活躍して来られた千住真理子さんの演奏で、イタリアの銘器ストラディヴァリウス*の音色を初めて聴いたのです。

 その美しさたるや、特に高音部など、鳥肌が立つほどの響きでした。例えばイ・ムジチの演奏で聴き慣れた「四季、春」の、春の嵐を思わせる熱り立つような高音部は、私の想像を超える音域で奏でられる等、名器の誉れ高いストラディヴァリウスの器量と、演奏者千住真理子さんの技巧が織りなす音質で、身震いするほどの感動を覚えました。不思議なのですが、硬質で端正な高音部の音と、柔らかで丸みのある低音部の音が、ひとつの楽器から生み出されているのです。千住さんという名手を得て初めて引き出された、名器のポテンシャルなのでしょう。

 しかも演奏者の千住真理子さんが、かねてから尊敬していたと言うイタリアの名演奏家(ピエロ・トーゾ氏<ヴァイオリン>、ピエルパオロ・トーゾ氏<チェロ>、エルネスト・メルリーニ氏<チェンバロ>)を迎えて、ストラディヴァリウスの故郷イタリアの曲を演奏することに気持ちがかなり高揚しているのか、冒頭からロケット・スタートとも言えるテンションの高さです。かと言って、ひとり浮き上がるわけではなく、千住さんと客演者3人のアンサンブルは見事な調和をなし、曲の演奏が終わる度に4者で互いを讃え合う姿に、この演奏会の充実ぶりが窺えました。

 私の席からは、千住真理子さんの演奏する姿を、右斜め後ろから比較的間近に見ることができたのですが、ノースリーブの深紅のドレスから剥きだしの、二の腕から肩胛骨にかけての筋肉が美しく躍動していたのが印象的でした。ちょうどこの日は午前中に美術館で、小学生達と引率のお母さん達を対象にギャラリートークを実施し、ロダン彫刻の内面の情動がほとばしるような筋肉の表現について語ったばかりでした。1点に全神経を集中し躍動する筋肉は、やはり目を奪われるほどに美しいものです。

 演奏中にその表情を見ることは叶いませんでしたが、演奏前後に客席全体を見回す時の満面の笑顔が千住真理子さんの精神面の充実を物語っており、その演奏には幸福感が充ちていました。演奏会が終わりホールを去りゆく人々の表情を見ると、演奏者の幸福感が聴衆にまで伝播したかのように、満足感に溢れた穏やかな笑みを湛えていました。噂に違わず素晴らしい演奏会でした。

*愛器は1716年製ストラディヴァリウス。「デュランティ」の愛称で知られる。ストラディヴァリが製作してすぐにローマ教皇クレメンス14世に献上され、その後フランスのデュランティ家に約200年間所蔵されていた。次いでこの楽器はスイスの富豪の手に渡ったが、その約80年後の2002年にその富豪が演奏家のみを対象に売りに出した為、千住家が数億円で購入した。

約300年間誰にも弾かれずに眠っていた幻の名器とされている。(ウィキペディアより)


 「約300年間も誰にも弾かれずに眠っていた幻の名器」とは知りませんでした。楽器は弾かれてこそ、その存在の価値が認められる。紆余曲折があったとは言え、そのポテンシャルを最大限に引き出してくれるであろうパートナーに巡り会えたことは名器にとっても幸せなことでしょうし、常に最高の演奏を目指したい演奏家にとっても最高のパートナーを得て演奏意欲はますます高まり、その果実であるパフォーマンスを聴衆は享受できる。有り難いことです。

【今回のプログラム】
ヴィヴァルディ:トリオ・ソナタ ニ長調 Op.1-6
ヴィオッティ:2つのヴァイオリンのためのセレナード第3番 ト長調
ヴィヴァルディ:協奏曲集「調和の霊感」より 第8番 イ短調 Op.3-8
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」より”春” ホ長調 Op.8-1
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「調和の霊感」より 第6番 イ短調 Op.3-6
ヴィターリ:シャコンヌ ト短調
ヴィヴァルディ:ソナタ イ長調 Op.2-2
ヴィヴァルディ:協奏曲集「調和の霊感」より 第11番 ニ短調 Op.3-11


2009/7/27

自然礼讃〜プチトマト(16)栽培75日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します色づくトマトのグラデーション

 この色合いをご覧下さいと言っても一様ではなく、トマトらしい真っ赤な色合いもあれば、オレンジがかった赤もある。薄緑から黄味を帯びているもの。そこからさらに熟成が進んでオレンジに色づいたものもある。薄緑の中に、色づきを予兆させるまだら模様を見せるものもある。そして、いまだ生まれたてのように青い実もある。ひとつの枝の中にあるさまざまな色合い〜グラデーション。さらに、実のひとつひとつが艶やかな輝きを放ち、自然の絵筆が描く「植物画」は、生物としての瑞々しさと絵画的美しさで私を魅了します。その美しさにしばし見惚れて、思わず土いじりの手を止めてしまうほど。

クリックすると元のサイズで表示します 葉のは、まさにプチトマトのを際立たせる色です。17世紀オランダの静物画でも、瑞々しい果物の数々はブドウの葉などで輪郭を縁取られ、濃い緑色の背景が、果物の存在感を際立たせています。当時の画家達も、葉の緑と果物の鮮やかな色彩とのコントラスト効果を熟知して、絵に描いてみせたのでしょう。それにしてもきれいだなあ…携帯電話のカメラとは言え、どうせ撮るなら、できるだけきれいに写るようにと、アングルに凝る私ですこの瞬間は、いつまでも続くものではないのですから。プチトマトは1年草で、秋には枯れてしまうのです。来年にまた花を咲かせ、実をつけてくれるわけではないのです。今、この瞬間を愛でて、味わう。その意味で、この美しさは「滅びの美」でもあるのでしょうね。

クリックすると元のサイズで表示します 既に収穫間近いプチトマトがある一方で、次々と生まれる新たな果実。それらをひっくるめて大小30個近い実が、今我が家のプチトマトの木を彩っています。ごみつさんが言われた「プチトマ・サラダ」が我が家の食卓に上るのも近い

 その姿 「一期一会」と 念じつつ

クリックすると元のサイズで表示します 【参考作品】
 コルネリス・ド・ヘーム
 《果物籠のある静物》
 (国立西洋美術館所蔵)


【追記】

クリックすると元のサイズで表示します 本日、写真の通り、5個収穫しました。すべて晩ご飯で、家族3人の胃袋に収まりました第1号に比べたら小ぶりな5個でしたが、甘みも酸味もしっかりあって、おいしかったです

 プチトマ君達、どうもありがとう




2009/7/26

自然礼賛〜プチトマト(15)栽培74日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します収穫のとき 

 色が差し始めたと思ったら、それからは一気に赤く色づいて行くプチトマト。その、小さいながらも躍動する命に、ただただ感動です。

 一昨日、昨日と、美術館のボランティアの仕事が入ったせいか、朝から慌ただしく、プチトマト相手にゆっくり話すこともできませんでした。この、水やりをしながら、あるいは枯れ葉の処理をしながら、はたまた生長に合わせて支柱に紐で結わえるなどの作業をしながら、「話す」と言う行為が楽しく、かなり癒し効果が高かったりするのです。昨日も元気に育つプチトマトをうんと褒めてあげたかったのですが、写真を撮るので精一杯。まあ、写真を撮りながら、話しかけているんですけれど…

↑写真のトマト軍団。下のプチトマト達も表面の緑色がまだら模様になって来ました。これは色づく前兆?!

クリックすると元のサイズで表示します もうひとつのトマト軍団の1個もかなり赤く色づいています。そろそろ収穫も近い?!

 それにしても昨日は暑かったファミリー向けのワークショップを行ったのですが、今回は美術館の収蔵品ではなく、「建物」に焦点を当てたプログラムだったので、最初に前庭に出て、炎天下、美術館の建物の正面の外観を参加者全員で見たのです。いやぁ〜、クラクラするほど陽射しが強く照りつけていましたね

 一方、九州と中国地方はこのところの豪雨で、人的被害も出ている。特に夏場の自然災害の報道を耳にする度に、関東平野は(かねてより懸念される大地震はともかく)、自然災害の比較的少ない広大な平野だからこそ、昔から人口も多く、都市機能も集中していたのだろうなあと、改めて思います。

クリックすると元のサイズで表示します 写真手前のプチトマト兄弟の”兄”の方を、昨日、息子に食べさせました。モタモタしているうちに実が割れて来たのです。私の育てたプチトマトを食べた感想を息子に聞くと、
「まあ、普通のプチトマトの味だね」
とのこと。う〜ん、正直なところ、もう少し感動してくれると嬉しいんだけど。

 ウチの息子は誰に似たのか、普段から味や匂いにうるさく、私の料理の味付けにも逐一コメントするし(しかも、なかなか手厳しい)、食べる前にいちいち匂いを嗅ぎます。見ていると、特に鼻をクンクン言わせるところは動物的。夫はそんな息子を見て、「(私はなこの)飼っていた犬の生まれ変わりなんじゃないの?」と言います(苦笑)。もし、そうだとしたら、よほど私のことが好きだったんでしょうね(って、自分の息子を犬の生まれ変わりと認めるのか?ですよねありゃ、ありゃ…)


2009/7/23

自然礼賛〜プチトマト(14)栽培71日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します続々と色づくトマト達

 これまで1週間〜10日単位で変化を見て来たプチトマトですが、ここに来て続々と実が赤く色づき始め、目が離せない状態です。特に今朝は幾つもの実がうっすらと赤みを帯びていました。こうなると第○号なんて悠長にカウントもできなくなりそうですね写真のトマト兄弟も、もうじき兄弟揃って収穫する予定です。


クリックすると元のサイズで表示します トマト軍団の兄貴分達も色づいて来ました。一度に3個とは…まだ下の部分の実は豆粒くらいの大きさなのに。もしかして、上の3個を収穫した後に下まで十分な栄養が行き届くようになって一気に大きくなるのか?それとも摘果した方が良いのかなあ…それにしても表面が艶々として、とてもキレイです。まだ青い実もまだら模様のようなものが見えて来たので、色づくのも時間の問題かもしれません。
 クリックすると元のサイズで表示します 
 もうひとつの軍団の1個も赤みを帯びています。やはりひとつの枝に鈴なりになっているプチトマトは個々の実の大きさが小ぶりですね。本格的にプチトマトを観察するのは今回が初めてだし、いろいろ試してみた方が良いかもしれませんね。実のところ、プチトマトを見ながら「あーでもない、こーでもない」と考えること自体を楽しんでいます

クリックすると元のサイズで表示します 色づくトマト達が勢揃いその姿をただ眺めているだけで和むなあ

暑さ増し 色づくトマト 夏が来(き)ぬ







2009/7/22

文化講演会に出席  日々のよしなしごと

クリックすると元のサイズで表示します 今日は夕方、息子と連れだって地元の自治体とNHKが共催の文化講演会に行って来た。テーマは現在、東京国立近代美術館で開催中の『ゴーギャン展』に因んだもの。講演者は私が大学時代に現代美術を教授していただいたT美大のN先生。先生と言うと、マルセル・デュシャンの名が真っ先に浮かぶ。

 軽妙洒脱なトークで会場を沸かせた先生。そのツボを心得た話術は相変わらずだ。前々回『ゴッホ展』で講演を担当された時にも聴講させていただいたが、その時は帰り際に一言ご挨拶をした。先生は私のことを覚えておいでで、「また、授業に遊びにいらっしゃい」と仰って下さった。結局行けず終いだったけれど。今回は講演後、先生のお姿を見失ってしまったし、私の体調も今ひとつだったので、そのままご挨拶することなく、人波の流れに任せて私は帰ってしまった。

 いつものように、講演前に手渡されたレジュメにはびっしりメモ書き。これをできればまとめて、後日こちらに講演会記録としてアップしたいと思う。

 この講演会、素晴らしい先生方の講演を聴けることが嬉しいが、NHKの提供で展覧会のチケットもいただけるのが楽しみ。ダブルでお得なのだ。

 こうした講演会は初体験の息子。途中うつらうつらと居眠りをしたが、先生のユーモアたっぷりのお話に声を上げて笑っていた。先生が紹介されたゴーギャンの手紙の一節を「これは格好良い表現だ」とメモすることも。あら、意外にちゃんと聞いているのね。




2009/7/22

今日は世紀の天体ショー『皆既日食』の日だった!  日々のよしなしごと

写真は11時20分頃の硫黄島での皆既日食
クリックすると元のサイズで表示します 朝からテレビを点けっ放しで世紀の天体ショーの中継を注視していた。こういう時はミーハー精神を発揮するに限る!日本での皆既日食は実に46年ぶり。もちろん私は見たことがない。前回は1963年7月2日、北海道の網走で観測されたそうだ(以下、写真は全てTVより)

 当時高校1年生だった毛利衛氏は、兄に連れられて住んでいた余市から網走まで行き、皆既日食を目撃。この経験がきっかけとなり、科学者を志したそうだ。今回の皆既日食の観測で、毛利氏に続く次代の科学者が誕生するのだろうか?

クリックすると元のサイズで表示します 今回の皆既日食は、3000キロ以上にも及ぶ長い皆既日食帯(皆既日食が観測できる帯状の地域)に当たった中国で、実に3億人もの人が目にしたであろうと言われている。中国は天体も味方につけたのか?(笑)世界同時不況で喘ぐ国が多い中で、いち早く回復傾向を見せる中国は、こうした巡り合わせにも、その強運と勢いを示しているかのようだ。同様に、今回はインドでも広い範囲で観測できている(写真は中国・重慶の模様)

クリックすると元のサイズで表示します 今回、日本では鹿児島のトカラ列島での観測が早くから話題となり、島民人口わずか68人の悪石島に150人以上の観光客が押しかける事態となった。他にも宝島、そして近隣の奄美大島でも大勢の観光客が固唾を飲んで、世紀の天体ショーを待ち望んだのである。しかし、あいにくの荒天で、特に悪石島では大雨に見舞われ、ついにダイアモンドリングを望むことは出来なかった。しかし、皆既日食に入ると天はにわかに光りを失い、朝だと言うのに暗闇に包まれた。時間にして数分間。気温も数度低下したと言う(写真はインド・バラナシ)

クリックすると元のサイズで表示します 90%程度の部分日食が観測可能と言われた福岡や沖縄は、晴天とは行かなかったが、流れる雲に時折邪魔をされながらも、部分日食を観測することが出来た。一方で熊本や、私が住む関東地方は、厚い雲が太陽を覆い観測はならず。同じ日本でも明暗が分かれた格好だ(写真は沖縄那覇の部分日食の最大時のもの)

 トカラ列島での観測が思うように行かなかった人々には気の毒だが、一般人が立ち入ることのできない硫黄島は晴天に恵まれ、そこでの皆既日食の模様は、気象庁によってインターネット中継がなされたらしい。私はそれをテレビで見た。それが冒頭の写真である。

 今回のトカラ列島へのツアーは過疎の進む離島ゆえのインフラ不足とアクセスの悪さで、受益者負担の原則が適用され、ツアー料金は30〜40万円と高額であったと言う。それを敬遠して、10万円台でツアーが可能な中国上海を目指した日本人観光客は4000人にも及んだらしい。しかし、その上海も皆既日食が始まった当初は辛うじて雲の隙間から日食が観測できたのに、その後はどしゃぶりに見舞われてしまった。まさに悲喜こもごもの皆既日食狂想曲の様相を呈していたようだ。とは行っても、現地に赴き、皆既日食独特の暗闇と気温低下を体感したことは、貴重な経験だったのではないだろうか?これは行った人にしか分からない良さなんだろうなあ。

【追記 09.07.23】 

今朝の報道では、東京や神奈川でも11時頃に雲の切れ目から部分日食が観測できたそうだ。私はその時間にベランダへ出てみたけれど、厚い雲が遮っていた。う〜ん、諦めずに暫くベランダで空を見上げていたら良かったかな?

悪天候の為に島に上陸できず、船上で皆既日食の瞬間を迎えることになった辛坊治郎氏は「皆既日食を観測できなかったけれど、皆既日食を体感できた。徐々に暗くなって行く夕暮れと違って、皆既日食に入った途端真っ暗になった。1%でも太陽の光が差さなければ、こんなに真っ暗になるんだ。」と、その感動を語っていた。

人間の力の及ばない自然現象を体感することは、普段は神仏に頓着のない人間でも、敬虔な気持ちにさせてくれるのかなあ。大いなる自然現象の前に、人間が謙虚になる。これは自分が思う以上に貴重な経験なのかもしれない。




2009/7/22

2009年上半期 映画ミシュラン はなこ版(2)  映画(2009-10年公開)

◆当初の記事が長くなり過ぎたので、前編、後編に分割しました。以下は後編です。


なかなかの佳作(この辺りからは順位は関係なし、見た順)

★★★

写真は『ディファイアンス』より。ダニエル・クレイグ
クリックすると元のサイズで表示します11.永遠の子どもたち:哀しく切ないファンタジー。母の我が子への思いは永遠に…

12.禅〜ZEN:生真面目なまでに曹洞宗の開祖、道元の生涯を描く。

13.ディファイアンス:WWU時にあった、知られざるユダヤ民族の物語。ダニエル・クレイグ主演。地味だけれど見応えある佳作。

14.誰も守ってくれない:名子役、志田未来が加害者の妹を演じ、加害者家族の悲劇的側面を描く。マスコミの自己批判とも取れる内容に、あのフジテレビが作ったと言うのが意外。

15.ジェネラル・ルージュの凱旋:堺雅人の好演が、最後まで惹きつけてくれた娯楽作。

16.ザ・バンク〜墜ちた虚像:今更のように感じる、国際紛争が巨利を生むビジネスとして成立してしまうシステムの恐ろしさ。巨悪に立ち向かう個人の非力に慄然とする。強大な権力を得たかに見える組織の人間でさえ、すげ替え可能な部品(パーツ)に過ぎないのだ。

17.おっぱいバレー:これも実話に基づく作品。際どいタイトルとはミスマッチな青春賛歌。綾瀬はるかの清潔感が好ましく、後味爽やかな佳作。その際どいタイトルゆえに、マトモな観客を遠ざけ、ちょっと危ない観客を惹きつけたように見受けられるのが残念(制作側が期待したほど観客動員数が伸びなかったらしい。私が見た時は後方に変態オヤジがいて、上映中に奇声を発して大迷惑だった。本作は「タイトルで損した」と言う声が少なくない)

18.ニセ札:吉本のキム兄初監督作品。終戦間もない奈良の山里で起きたニセ札事件を描く。何より倍賞美津子が素晴らしい。顔に深く刻まれた皺を隠すことなく、演技力で魅せる彼女の代わりが、現在の邦画界に果たしているだろうか?(後に続く女優としては、『ディア・ドクター』でも好演した余貴美子の名が浮かぶ)

倍賞美津子インタビュー記事(産経新聞)

19.チェイサー:韓国の犯罪サスペンス映画。その残虐性、猟奇性は同種の米国映画を陵駕する。そこまで徹底して残酷描写できる冷徹さは理解不能。日本では絶対作れない映画。トム・クルーズがリメイク権を買ったらしいが(←夫からの情報)、おそらくクライマックス部分は内容を改変するんだろうなあ…トム・クルーズ的甘さで。スマートに描いたら、オリジナルの怖さは再現できないと思う。

20.天使と悪魔:ラングドン教授再登場。前作『ダ・ヴィンチ・コード』より分かり易く面白かった。イタリア観光名所をジェットコースターな展開で見せてくれる。同時に知られざるヴァチカン内部をのぞき見る面白さ。

21.レッドクリフ パート2:いよいよ物語は核心の「赤壁の戦い」に。とにかく中国ならではの人海戦術で見せる合戦シーンは大迫力。

22.チョコレート・ファイター:タイ発の本格アクション。しかも主人公は可憐な少女。テコンドーの名手らしいが、恐るべき身体能力で怒濤のアクション・シークエンスをこなす。エンドロールのメイキング映像で、撮影時の凄まじさが垣間見える。我が日本の阿部寛がヤクザ役で登場し、日本では絶対見せないであろう全裸シーンも交えて熱演。正直、ビックリした。

23.消されたヘッドライン:よくあるマスコミの不正追及ものと思いきや…どんでん返しに次ぐどんでん返し。いつもながらラッセル・クロウは巧い。名女優ヘレン・ミレン、今や中堅となったベン・アフレックが脇を固め、手堅い演技で魅せる。

24.ハゲタカ:数多あるテレビドラマの映画版にしては上出来な仕上がり?!大森南朋が主役を張って好演。経済ドラマと言えば、今や中国を無視できないと言うことか。しかし、国営?放送局発ドラマが、よくここまで中国を狡猾に描けたなあ…と驚く。

25.いけちゃんとぼく:幼い日の、”心の友”と言う存在のかけがえのなさ。大人は懐かしく、子どもはリアルタイムに共感するのだろうか?

番外編〜評価控え(これはもう私の”趣味”の問題なので、映画としての出来不出来は言えないと言うか関係なく楽しめた作品、順不同)

1.ザ・ムーン:アポロ計画に関わった宇宙飛行士へのインタビューと当時の映像を中心としたドキュメンタリー。今や70代、80代であろう彼らの若々しさ、格好良さには驚かされる。月面から見た地球の姿は必見だ。

2.マンマ・ミーア:アバの楽曲がすべて。些か雑な作りもご愛嬌。

3.ベンジャミン・バトン〜数奇な男の人生:実はブラピとケイト・ブランシェットの共演が見たかったのだ。ブラピの若返った姿は、昨今のCG技術の凄さを物語る。特殊メイクだって、年老いた姿より、若返った姿の方が技術的には難しいのではないか?

4.ターミネーター4:前作の壊滅的駄作ぶりからすれば、ファンは本作に救われたのではないだろうか?本作から新たに三部作ということらしいが、いよいよ「ターミネーター」シリーズも大河ドラマの様相を呈して来たようだ。

5.スタートレック:SFドラマの古典が、今をときめく才能によっって新たな命を吹き込まれた、と言う感じだ。本作の成功を受けて、早々と続編制作が決まったとかで、今から心待ちにしている。

クリックすると元のサイズで表示します6.トランスフォーマー・リベンジ:続編でさらにスケール、パワー共にアップした。日本生まれのおもちゃ「トランスフォーマー」。このおもちゃに纏わる我が家の思い出は尽きない。息子の部屋にはいまだにそのコレクションが幾つもある。今回はロケ地に懐かしのエジプトやヨルダンの遺跡が登場。ダブルに嬉しい作品となった。それにしても主人公が入学した東部?の名門大学、学費が年4万ドルだって?!ひぇ〜劇中、父親がさりげなく言っていたけれど、印象に残ったなあ…

◆上映中、殆ど爆睡してしまった作品

ブッシュ

◆2009年上半期映画ミシュラン はなこ版(1)へ戻る…





2009/7/21

自然礼賛〜プチトマト(13)栽培69日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します第3号も収穫間近♪

 今朝も曇り空。気温もだいぶ低いようです。第2号の様子を見ようとベランダに出てプチトマトを見てみたら、第2号の傍らの実も大分色づいていました。これが第3号になりそうですね。2個一緒に収穫できたら、夫と息子の二人に食べて貰えるのに…第3号が熟するのを待って、ふたついっぺんに収穫しようかな

クリックすると元のサイズで表示します 枝の伸び具合でベランダの壁にぶつかったりするようになったので、鉢を左右逆に動かしました。今まで左にあった第2号、第3号の実も右側に移動です。さらに茎の生長に合わせて、左側のプチトマトの木は支柱に結わえる茎も変更しました。今まで支柱に結わえていたもの(←以前、強風に煽られて先が折れてしまった方)を外して、伸び盛りの茎を支柱に結わえました。高さを測ってみると、117p。7月3日の計測では1mに少し足りないくらいでしたから、18日で約18p伸びたことになります。あれっ?と言うことは1日1p?!

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します 葉の黄変も落ち着いたようで、今朝見た限りでは黄変した葉はありませんでした。遠目に見ると葉がスカスカに見えるプチトマトの木ですが、クローズアップするとそれなりに青々とした葉が密に茂っています。また、2本の内、右側のプチトマトの木は一見上部だけ葉が茂っているように見えるのですが、実際は根元近くから新しい葉が育っています。土は1日経てばすぐに乾いてしまうようなので、毎日の水やりが欠かせません。

 一方、元々トマトは厳しい気候風土のアンデスを原産とするので、水やりは控えめの方が、却って”実”に甘みが増すとの説もあります。そう言えば、砂漠や土漠のイメージの強い中東も果物の種類が豊富で、旬がハッキリとしていて、その果実は甘みが強く、ジューシィでした。水が貴重だからこそ、植物は必死に土中の水分を自らに取り込もうとしているかのようでした。




2009/7/20

自然礼賛〜プチトマト(12)栽培68日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します第2号見参!

 ひとつの枝からふたつだけついている実の内の1個が一気に色づいて来ました。食べ頃も近いようです。第1号に比べるとやや小ぶり。拝見した別のブログには「一度に何個も収穫できた」「今週は十何個も収穫し、家族の胃袋に収まった」なんていう記述もありましたが、我が家のプチトマト君は実にのんびりしたもの。

 この第2号とその仲間。たわわに実った軍団より後で着果したように覚えているのですが、こちらの方が熟するのは早いようです。やはりひとつの枝に実が多過ぎると個々の実が育ちにくいのか?しかし、せっかく実ったものを私の手で摘果するのは気が引けます。それではいけないのかな?

 クリックすると元のサイズで表示します 第2号のすぐ上にあるプチトマト軍団。いつの間にか実が1個増えて合計10個になっています。その重みに枝もたわんでいますが、なかなか壮観な光景ですよ。上の部分の実はかなり大きくなり、徐々に色づき始めているようにも見えます。一番下の部分についたばかりの実は小さすぎて写真では見えませんが、生まれたての赤ちゃんという感じ。まさに10人兄弟

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
 他の枝についた実も順調に育っており、また次々と花も咲いて、花に混じって小さな実がついているのも見えます。曇り空のせいか写真ではくすんで見えますが、実際のプチトマトの葉はクッキリと濃い緑色で元気いっぱいという感じ。下葉は殆ど枯れてスカスカ状態である一方で、根元に近い部分から新たな葉も育って来て、栽培者である私の心配をよそに、プチトマト君は盛んに新陳代謝を繰り返しているようにも見えます。

クリックすると元のサイズで表示します 別の角度から第2号とその仲間やプチトマト第2軍団をパチリ 残念ながら第2号は写真右上にうっすらと見える程度。第2軍団は以前強風に煽られて右側部分が落果してしまったので、写真のような姿になっています。ちょっとアンバランスだけれど、残った実は、途中で落ちてしまった実の分までスクスクと育って頼もしい

 昨日、一昨日と記録的な猛暑でしたが、今日は曇り空で、人間もプチトマトもこれでひと息つけるでしょうか?



 

2009/7/17

2009年上半期 映画ミシュラン はなこ版  映画(2009-10年公開)

 光陰矢のごとし〜もう既に2009年も半分が過ぎました。そこで、私的な上半期公開映画の総まとめです。

 今般、「どんだけ上から目線?」と言う言い回しが流行しているようです。もちろん批判的ニュアンスを含んだもので、「そう言うアンタは何様のつもり?」と同義語のようです。そもそも「目線」と言うのは、映画・演劇・テレビ業界の用語らしいですね。それがテレビのバラエティ番組等でタレントらが多用するにつけ、広く一般にも使われるようになったらしい。

 個人日記で、あくまでも私見を述べているだけのブログ上での書き込みに対しても、最近は「どんだけ上から目線」批判が向けられるようです。ブログ上の書き込みなんて、殆どささやかな個人の行動や思索の記録でしかなく、書き手個人にとっては大事なログであっても、対外的には殆ど影響も及ぼさない人畜無害な、ある意味健全なガス抜き装置なのに、一部ではエライ叩かれようです。これは叩くべき相手を間違えていると思う。

 と言うことを踏まえて、はなこなりに「上から目線」で忌憚のない映画ジャッジをしたいと思います。

はなこ的に堂々【ベスト1】に推したいのは「グラン・トリノ」

クリックすると元のサイズで表示します 写真のクリント・イーストウッドの表情をご覧下さい。何と慈愛に満ちた表情でしょう?映画タイトルにもなっている「グラン・トリノ」とはかつて一世を風靡したアメ車で、アメリカの人々がモノ作りに励み、自国に何の疑いもなく誇りを持って生きていた時代の象徴であります。

 かつてマカロニ・ウエスタンでガンマンとして勇名を馳せ、ダーティ・ハリーで、向かうところ敵なしの豪腕刑事を演じたクリント・イーストウッドが、好々爺然とした姿で、慈愛に満ちた視線を向けている相手は、合衆国の礎を築いた白人の子孫でもなく、奴隷として強制移住を余儀なくされたアフリカ系アメリカ人の子孫でもなく、ネイティブ・アメリカンでもない。ベトナム戦争で米国側についた為に、ベトナム戦終結後、国外脱出をせざるを得なかった、アジアの少数民族モン族の少年です。
 
 ふとしたきっかけから、このモン族の少年やその家族と関わりを持ち始めた孤独な老人(クリント・イーストウッド)が、彼らとの交流を通じて導き出した、自らの人生の総決算は哀しくも胸を打つものです。余韻が深く濃く残る結末に、クリント・イーストウッドの老練な演出と演技を賞賛せずにはいられません。 

 1月1日から6月30日までの期間、試写会も含めて、はなこが見た新作映画の総数は48本です。内1本は、米アカデミー賞外国語映画賞受賞の凱旋リバイバル上映の「おくりびと」でした。月8本のペース。自宅近くにシネコンが3つもあるので、以前のように映画を見に渋谷、日比谷、銀座まで繰り出すことは殆どなくなってしまいました。どんなに楽しみなことでも無理をすると、それが楽しみでなくなってしまう。だから自分の体力や財布と相談して、無理な遠出は止めることにしました。それが試写会参加数の激減に繋がっているようです。遠出を止めることで、渋谷や銀座や六本木や岩波ホール等でしか上映されない映画は必然的に見られなくなりましたが、人間、諦めることも大事だと思うから、これでいいのだ!(って、天才バカボンのパパ風に(^^;))


まず、今年上半期見た中で、文句なく五つ星を上げたい3作品

★★★★★

1.グラン・トリノ

クリックすると元のサイズで表示します 2.ディア・ドクター:西川美和監督は、前作「ゆれる」で見せてくれた手腕を、本作でもいかんなく発揮している。何より1年をかけてじっくりフィールドワークを行い、その観察力と集中力と粘り強さで、その道のプロ(医師や看護師や医療問題ジャーナリスト)を唸らせるほどのリアリティ溢れる作品世界を構築したことに感嘆する。

 嵌り役の鶴瓶を主役に起用したのは、師匠?である是枝監督の薦めだったらしいが、鶴瓶の演技とも地ともつかない、つかみ所のない人物造形が、深刻な無医村問題の物語にユーモアを与えている。大事なことは、何もストレートに、まなじりを決して主張すれば良いというものでもないのだろう。どんなアプローチの手法であれ、人の胸に響き、その結果、人を動かせば良いのだ。

 そして本作でも冴え渡る監督の人間観察は、今回はその眼差しに、過ちを犯す「弱い存在」としての人間への優しさと寛容を内包するから、見ていてどこかホッとするものがある。前作『ゆれる』とはまた違ったアプローチで、人間の在りように迫って魅せた監督の力量は、まだその片鱗をチラリと見せているに過ぎないのではないか。そんな期待感を抱かせる会心の1本だと思う。

3.チェンジリング:これもクリント・イーストウッド監督作品。実話に基づく作品らしいが、子を思う母の強さに感銘を受ける一方で、自らの保身の為には個人の人権を平気で蹂躙する組織の冷酷さに戦慄を覚える。そして今日的だと思っていた犯罪が、既に当時存在していたことにも驚愕する。このことは、文明がいかに進歩を遂げようとも、人間の本質には変わりがないことを意味するのだろうか?アンジェリーナ・ジョリーの熱演が光る(彼女の今にも折れそうな細い身体と体当たりの熱演を見ると、公私共に全力投球の彼女が生き急いでいるように見えて、実は心配である)

 "changeling"とは、(民話で妖精が子どもをさらい、代わりに残す醜い[ばかな])取り替えっ子、転じて「すり替えられた子」を意味する(『ジーニアス英和辞典』より)。

上位3作に準ずる面白さ、感動を覚えた作品

★★★★

クリックすると元のサイズで表示します 4.愛を読むひと:「レボリューショナリーロード〜命燃え尽きるまで」と撮影時期が重なった為、一度はハンナ役をニコール・キッドマンに譲ったケイト・ウィンスレットだったが、ニコールの妊娠により結局ハンナを演じることになった。その曰く付きのハンナ役が、6度目のノミネートにして、彼女に米アカデミー賞主演女優賞をもたらしたのである。原作を読んでみると、ニコールよりケイトの方が作者が描いたハンナ像に近く、適役な印象を受けた。

 物語では15歳の少年の、21歳も年上の女性との恋を軸に、ナチの傷跡残る戦後ドイツの一断面が描かれる。人目を憚る二人の関係は一度は断たれたかに思われたが、数年後意外な場所で二人は再会し、その曰くゆえに一定の距離を保ったまま密やかに静かに続くのだ。自身のある秘密を守る為に、ナチ弾劾裁判で罪の加重も厭わなかったハンナ。その秘密を知る、かつてハンナとの恋で身を焦がし、その幻影に翻弄され続けて来たかに見えるマイケル。彼は今、法曹界に身を置き(原作ではミハエルで、法曹史研究者)、自らの立場と彼女への愛との狭間で苦悩するのだ。ハンナの不器用なまでの実直さを見るにつけ、時代、境遇が違えば、彼女にも違った人生があったであろうにと悔やまれた。

 スティーブン・ダルドリー監督の手堅い演出で、様々な障害ゆえに深く潜行する男女の愛の物語が、哀切を極めた上質な人間ドラマに仕上がった。さらに戦争を巡る世代間ギャップは、埋めがたい溝として両者の間に厳然と存在することを、見る者は収容所跡に言葉もなく佇むマイケルの目を通して、今さらのように思い知らされるのだ。心に深く余韻を残す1本だと思う。

5.レボリューショナリーロード〜命燃え尽きるまで:レオとケイトが「タイタニック」以来の共演で話題。それ以上に二人の俳優としての成長ぶりが、息詰まるような演技対決という形で見られる至福。詳しい感想はこちら

6.スラムドッグ$ミリオネア:本年度の米アカデミー賞作品賞ということでかなり期待して見たら、期待し過ぎたせいか、どうも感動や印象が薄まってしまったような…高水準には違いないけれど、本作の魅力はインドと言う舞台装置自身のもつ力に依るところが大きい。作品賞授与は、巨大マーケットを意識したハリウッドの宣伝活動でもあるのか?

7.重力ピエロ:伊坂幸太郎原作映画は「アヒルと鴨のコインロッカー」以来、嵌っている。主演の岡田将生の清潔感が母心をくすぐって(「こんな息子が欲しい」と誰しも思うだろう)、本作の「無理矢理な部分」を帳消しにするほど魅力的。描きたかったのはファンタジーでくるんだ”家族の絆”なんだろうなあ…

8.フィッシュ・ストーリー:これも、伊坂幸太郎原作。劇中歌が懐かしいノリで耳に残り頭の中でエンドレス。思わずサントラを買ってしまった。奇想天外なストーリー展開は織り込み済みで、○○話も、ここまで壮大に描いてくれれば、いっそ清々しい。

9.フロスト×ニクソン:感想はこちら

10.「チェ28歳の革命」と「チェ39歳の別れ」の2部作:ベネシオ・デルトロの熱演に、20世紀革命のカリスマの人間的側面を垣間見ることができた。チェの革命家としての原点を描いたガエル・ガルシア・ベルナル主演の「モーターサイクル・ダイアリーズ」と併せて見たい。

◆2009年上半期映画ミシュラン はなこ版(2)へ続く… 


 

2009/7/16

この国で長寿であること  はなこのMEMO

さきほどニュースで、日本の男女の平均寿命が史上最長を記録したとのレポートがありました。

男性79歳。女性86歳。

ニュースキャスターは「これは、めでたい」とコメントしていましたが、果たして、本当にめでたいことなのでしょうか?

今現在、この国の老人は幸せでしょうか?さらに私が老人になる頃も、現在のような社会保障制度を、国家は維持できるのでしょうか?

老人が過半数を超えた時に、「敬老」と言う概念は、果たしてこの国に残っているのでしょうか?

私は現状を見、未来を想像する限り、「長寿がめでたい」と手放しでは喜べません。

2009/7/15

これは役得?  家族のことつれづれ

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 息子は家庭教師のバイトが当初の2回から3回に増えた。それでも実働時間は1回90分と短いので、ひと月の収入は2万円くらいらしい。拘束時間は短いし、バンド練習に使う貸しスタジオ代の足しにはなるので(バイトが学費稼ぎの為だった私とは大違いだ。しかし、彼は彼なりに考えていて半額は親に渡したいと言っている)、彼にとっては理想的なバイトのようだ。

 昨日もバイトだった。9時頃、家庭教師先のお宅から帰って来た息子の手には大きな箱が。何でも「自宅に沢山あるから」とお裾分けしてもらったらしい。「お裾分け」にしては立派な立派なメロンである。ビックリだしかも2個

 毎回、息子は小テストを自分で作ってバイト先へ向かっている。元々真面目な子なので、きちんと家庭教師としての仕事はこなしているようだ。家庭教師先の親御さんは、お子さんに学習習慣が身につくことを期待しておられるようなので、小テストは効果的かもしれない。数学、英語共に積み重ね学習の教科なので、親御さんにはできるだけ長い目で見ていただけたらなと思う…

…って、やっぱり私は過保護かな?まさに、お母さんは心配性(←昔「お父さんは心配性」ってギャグマンガがありましたね♪)


2009/7/14

自然礼賛〜プチトマト(11)栽培62日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します悪条件にもめげず…
 
 このところ、強風、突風、30度を超える猛暑と続き、比較的育て易いとされるプチトマトも弱っているようで、葉枯れが目立ち、何とも貧相な姿になっています。例によってブログの観察日記や植物の解説サイトなどで原因を調べてみましたが、養分不足だとか、水不足と書かれていました。

 さて、最近芽を出した植物が、その葉の形状からどうやらプチトマトらしいことがわかったのですが、それが朝、水やりをすると、萎れていた葉が午後には回復しているのに気づきました。やはりこのところの猛暑で、コンクリートが剥きだしのベランダは想像以上に高温化し、水分の蒸発も激しかったものと思われます

クリックすると元のサイズで表示します プランター栽培なので、路地栽培と違って水分補給には特に注意を要するのかもしれません。今朝はたっぷりと水をやり、プランター周りのコンクリートにも打ち水をしました。こうすると、気化熱で幾らか熱気も和らぐらしい。

しかし、このところの悪条件下にも関わらず、プチトマトはたわわに実をつけています。もしかして悪条件だからこそ、種の保存法則に則って栄養分を最優先に実へと注ぎ、葉枯れを起こしているのでしょうか?素人なりの想像ですが…一方で受粉してせっかく結実したのに、途中で強風に煽られて落下してしまった実も少なくありません。一番上の写真のように、ひとつの枝に10個近い実をつけるなんて、私から見たら奇跡です

クリックすると元のサイズで表示します さらに左写真のように、新たに実をつけている枝を見つけました。ヘタに隠れた豆粒くらいの小さな実が何とも愛らしい。まだ生まれたばかりで、無事に育つかどうかわからないところに命の儚さを感じると同時に、無事に育って(私達家族の胃袋に収まって)欲しいなあと願います(あいにく携帯のカメラなので接写機能がついてないせいか、接写するとピンボケになってしまいますね)

クリックすると元のサイズで表示します 強風に煽られて右の木のてっぺん部分が折れてしまったので、これ以上の被害を防ぐ為に、支え木を紐でベランダの手すりに結わえました。他の部分も梱包用のビニール紐で結わえているので見てくれはかなり悪くなってしまいましたが、これでプチトマトが守れるならOKです。それにしてもひょろひょろと背丈だけ伸びて、葉はスカスカで、なんとも貧相な姿です。背だけ伸びて痩身の我が息子に似てなくもない



2009/7/13

嬉しかったこと  ボランティア活動のこと

クリックすると元のサイズで表示します 気が滅入る中にも一条の光のように、私の心を明るく照らす出来事はあります。昨日はボランティアとして美術館にいた時に、そんな出来事に出会えました。

 17世紀オランダのヴァニタス画エドワールト・コリール作《ヴァニタス画〜書物と髑髏のある静物》(←好きな絵なので、どうしても気になる)の前で、いかにも”イマドキの”と言った風情の女の子がひとり、作品に見入ってずっと立ち止まっていることに気がつきました。どうやら仲良し4人組で来館しているらしく、内2人はあまり絵に興味がない様子で、すこしつまらなさそうな表情で作品を見るでもなく、椅子に腰掛けていました。残る一人は、ヴァニタス画に見入る友人に導かれるように作品に歩み寄り、作品の横に掲示されたキャプション(解説板)の内容を携帯に打ち込み始めました。

 その様子を彼女達の鑑賞の邪魔にならないように、私は暫く背後から眺めていたのですが、あまりにも微笑ましいのでタイミングを見計らって話しかけてみました。

 「こんにちは。私はこの美術館のボランティアです。さっきからこの絵を見ているね。この絵が気に入ったの?見ているところに割り込んでごめんね。この絵を見てどう思ったのかな?って気になって…」

 すると意外にもあっさりと
「はい、すごく気に入りました。すごく虚しいなあって…感じがします」
という言葉が返って来ました。

 高校生くらいになると日常的に思索を深め、作品との関わり方も、鑑賞者自身の内面と作品とが深い部分で交感するようなところがあります。彼女もそんな瞬間を、このヴァニタス画で経験したのかもしれません。それは大人になりかけの、それでいて感受性が豊かなハイティーン期(←やっぱり大人は…彼女達に比べたら感受性は確実に鈍っていると思う)には、とても有意義で貴重な経験のような気がします。こうした経験の蓄積が、精神的成長、内面的成熟を促すと思うのです。

 おそらく彼女のような女性は遅かれ早かれ女子独特の”仲良し関係”から精神的に自立して、自らの内的成熟を促すような経験を自ら積極的に積むようになるのではないか〜そんな期待を込めて、そしてこれからいかようにも変身できる彼女を羨ましく感じながら、私は彼女の姿を見つめていたように思います。

 少しばかり言葉を交わした後、彼女が微笑みながら、
「わざわざ(ご説明を)ありがとうございした」
と礼を述べてくれました。あ…”わざわざ”って…もしかして、ちょっとお邪魔虫(古っ!・笑)だったかな?私!

◆ブログ内関連記事:エドワールト・コリール作のヴァニタス画について、ネットを使ってリサーチしてみる





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