2009/5/24

蔓延る「弱い者イジメ」  はなこ的考察―良いこと探し

先日、首都圏で初の感染者を出したということで、川崎市内の私立高校校長が謝罪会見のようなものを開いていた。その時、50代とおぼしき校長が涙を流しているのを見て驚いた。

これは「大の大人が人前で涙を流すなんて情けない」と言う類のものではなく、「おそらくよほど叩かれたんだろうな」と想像するに難くない事態である。学校に抗議の電話が殺到したり、ネット上で叩かれたり、生徒が直接嫌がらせを受けたり…実際、国内初の感染者と疑われた学校の生徒は、その制服姿で認識されるや、「ばい菌」扱いをされたこともあったそうだ。学校当局はそうした事態に遭遇した場合、学校に報告するよう生徒に通達したらしい。初の感染者を出した大阪府寝屋川市の高校でも同様の事態が起きたと聞く。

こうした風潮に、何だか嫌なものを感じるのは私だけではないだろう。誰も好きこのんで病気になんかなるまい。ただでさえ病気を患い、心身共にダメージを受けているのに、直接関わりもない第三者に責められる。或いは、同じ学校の生徒というだけで、嫌がらせを受ける。これって、どう見ても「弱い者イジメ」だよね。反論できない立場につけこんだイジメだよね。

こうすることで、世の中に何か役立つことはあるんだろうか?未曾有の経済不況で、ただでさえ重苦しい空気が社会に蔓延しているのに、それに拍車をかけるような行為だと思うんだけれど。苦しい時だからこそ、人間は助け合って、その苦境を乗り越えなければならないはずなのに、「弱い者イジメ」に自分の不満の捌け口を求める人間が少なくないことに愕然とする。

弱っている人を、追い打ちをかけるように責める人は、結局、社会の隅っこで燻っていて、だからと言って社会で認められるべく努力をするでもなく、ただただ自分の不遇を他人や社会のせいにし、自分より弱っている人を見つけたらその人を徹底的に痛めつけて鬱憤を晴らし、自分の情けない姿からは目を逸らし続けている、心の弱い人間なんだろう。

経済の専門家は口を揃えて言っている。「経済は人の気持ちで動く。つまり、マイナス思考に陥れば陥るほど経済も後退する。逆にプラス思考で行けば、経済は好転する」

経済不況を克服するには、世に蔓延るマイナス思考を一掃しなければならない。その筆頭が「弱い者イジメ」マインドだと思う。

弱い者イジメしている人に言いたい。弱い者イジメするヒマがあったら、苦しくても弱い自分に向き合って、自分の弱さを克服しなければダメだよ。さもなくば、いつまで経っても社会の片隅や底辺で燻ったまま、一度しかない人生を惨めな気持ちで終えることになると思う。自暴自棄になっても、あなた自身の身に何も良いことは起こらない。それって、すごく哀しいことだよね。

今回の新インフルエンザを巡る事態は、強毒性が危惧される鶏インフルエンザ蔓延のシミュレーションを国家規模で行った結果だけれど、今回の結果を踏まえて、特に疾病についての正しい理解を促すよう、政府の広報体制を見直して欲しい。新インフルエンザに対する偏見を助長したのは、政府の仰々しい警戒発令がひとつの原因なんだから。

2009/5/23

自然礼賛〜プチトマト(2)栽培10日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示しますこんなに育っています。青々と葉が茂っています。苗を2本植えたのですが、左側の苗が最初から大きくて、茎も太くシッカリとしていました。右の苗も頑張っているけれど、なかなか追い越せない。その健気さに、思わず「頑張れ!」と声をかけてしまう。もちろん、小さめの苗がダメだとは思っていない。実はこの個体差に、自然の素晴らしさ、あるがままの良さを感じたりします。

例えばひとつの袋に入っていたジャガ芋でさえ、煮てみると煮え具合に微妙な差が出る。同じ日に植え付けられ、同じ土壌で育てられ、同じ日に収穫されたであろうジャガ芋なのに。なぜかいつも夫が”固めの”ジャガ芋に当たってしまうのですが、その度に私は「自然のものだからね。工業製品ではないんだから、同じように煮ても煮え具合に差が出るんじゃない」と言っています(本当は単に煮方の問題だったりして…)

それ以前に”味”も違ったりするので(時々感動するほど美味いジャガ芋に出会うことがあります!なんと言ったら良いでしょうね…ホクホク感であったり、味の深みであったり…)、おいしいジャガ芋を口にすると、思わず「自然バンザ〜イ」と心の中で叫んでしまいます。

クリックすると元のサイズで表示しますちなみに右の5月14日(木)の写真と比べたら、その生長ぶりは一目瞭然天候にも恵まれ、グングン育っているなあ…(その生長が天候に大きく左右されるというのも、”自然の偉大さ”を感じる要素だったりします)。これだけ生長ぶりが分かり易いと、ホント愛着がわきますね。人間の子供の成長の見守りは時間がかかって、なかなか忍耐を要するものだけれど(だからこそ、”巣立ち”に感慨と寂しさもひとしお、なのかな)

プチトマト 励ましながら 励まされ




2009/5/16

東京芸術大学美術館  はなこのMEMO

東京芸術大学美術館を利用するたびに思うこと→全く利用者の利便性を考慮した作りになっていない。どうして?

芸大には建築学科があるんですよね。意匠の美しさを追求するのも良いですが(公式サイトを見ると上から見下ろした階段の写真が誇らしげに掲載されている。確かに美しいとは思いますよ。私も同じようなアングルで階段の写真を撮ったことがあります)、建築物は単なる飾り物でなく、人間の利用する器である以上、その用途に適った形でなければいけないのではありませんか?それとも大学の附属機関だから、実験的な作りになっているのかな?にしても、不親切な作り(あえて不便な作りにして自然との一体化を図る?周辺環境との調和を図る?安藤建築も知らなくはないけれど)。

美術館は作品の保存・修復・研究と言う機能を有すると同時に、一般市民に作品を公開し、文化的生活を提供する役割を担っていると思います。一般に展示室を公開するのであれば、見学者が快適に鑑賞を楽しめる環境を提供するのは当然の配慮だと思うのですが、違うのでしょうか?美術館は比較的建築家の趣味(建築家が理想と考える形?)を反映させやすい建築物だと思いますが、私たちのような一般利用者だけでなく、しばしば、そこで働く人々(学芸員など)の使い勝手とも合致しないようですね。その為にせっかく作っても使われない設備があったりする。

東京芸大美術館は何の意図があって、見学者を最初に階段で1階の入り口から地下の展示室1へと導き、次いでエレベーターで3階の展示室2へと移動させ、さらに帰りは階段で2階の出口へと誘導するのでしょうか?とにかく常に移動ポイントに誘導係を立たせないといけない作りになっている。係の人は常に声を張り上げて誘導している。実際に、車椅子の高齢者が右往左往する姿を何度も見かけています。バリアフリーを考慮することは、一般の人にも優しい作りになると思うのですが…もし明確な意図を持って設計したのであれば、設計コンセプトを来館者に伝える配慮があっても良いのではないかと思います。そうすれば動線の複雑さも納得できるのではないでしょうか?そこに教育的意義(一般市民を啓蒙?)も見いだせるわけですし。

また、私の公共建築物の個人的な評価基準のひとつに、トイレのクオリティがありますが、東京芸大美術館はこの点においても辛い点数しかつけようがありません。例えば「利用者数に見合った個室数を備えているか」は最低限の要件だと思うのですが、3階の女子トイレの個室はたったひとつ。常に行列ができています。個室の外で待つには手洗いスペースが狭すぎ。個室利用者の音がまる聞こえで、利用者、待っている人両者共、居心地の悪さこの上ない(イマドキ音姫もついていないなんて!無粋だと思って敢えて付けなかったのか?それともトイレの遮音性に問題があるからか?しかし私は使用音を消す為に水を流すのは良心が咎める派)。しかも個室の外壁は全面鏡貼りでトイレに入った途端、思わずのけぞりました。個室のドアと壁も見分け難い。個室は十分過ぎるくらいの広さですが、そのせいか便座からペーパーホルダーの距離が遠い。錠も甘くてシッカリ嵌め込まないと開いてしまいそう。いったい何なんだ、このトイレは?!

帰途見かけた2階のトイレも、外に待ち行列ができていました。

どう考えても、無粋です。

2009/5/15

みんなが幸せになる方法(ひとつの考え方)  はなこ的考察―良いこと探し

民主党代表選に出馬する岡田氏が会見で「国民が幸せになるよう後押ししたい」と述べた。結局スローガンだけで、具体的にどのような政策で国民の幸福を実現するのかについての言及はなかった。具体性のなさは対抗馬の鳩山氏も同じ。「友愛政治」って何よ?

すべての国民が、と言うのはかなりハードルが高いかもしれないが、多くの国民が幸せになる為にはどうしたら良いのだろう?本当は人任せ(例えば政治に期待するとか…)にしては、いつまで経っても実現しないのではないか?結局のところ、国民ひとりひとりの心がけにかかっているのではないか?

最近、「神の手を持つ」と賞賛される脳外科医、福島孝徳氏の本(『福島孝徳 脳外科医 奇跡の指先』(PHP文庫))を読んで感銘を受けた。何に感銘を受けたかと言えば、福島医師の仕事に対する姿勢だ。彼は「すべてを患者さんのために」と言う心構えで、脳外科医という仕事に全力で取り組んでいる。

1日も早く一人前の外科医になりたいと若い頃は率先して手術経験を積み、患者の身体的負担を減らすべく画期的な手術技法と様々な手術器具を自ら開発し、要請があれば世界各地へと赴く。しかも手術器具が整っていない国・地域には自腹で器具を持参し、術後には寄付。さらには、できるだけ多くの患者を救うべく、脳外科医育成財団を設立したり、自らの手術の様子をビデオ教材として提供し、後進の育成にも力を注いでいる。

そのすべてが「患者さんのために」というただひとつの目的に収斂される。そこに私利私欲は一切ない。彼が得た世界的名声は、彼の類い希な業績の結果に過ぎない。その名声さえ利用して、彼は脳外科学会、ひいては医学界全体の発展に尽くし、その成果を患者に還元しようとしている。その点に私は心を打たれた。

その型破りな言動は、日本の医学界の枠には収まりきらず、彼は40代で国外へと飛び出してしまった。今や独自に確立した「鍵穴手術」で、脳外科手術の世界的権威。世界をまたにかけて複数の大学の教授を兼任している。これは所謂「頭脳流出」ですな。世界の為には良かったが、日本にとっては大きな損失だったのではないか?こうした大器を生かす余裕が、日本の医学界になかったのがとても残念だ。

福島氏は近著で、日本の医療に対し率直な提言を行っているが、果たしてどれだけ理解され、受け入れられるのだろう?アメリカナイズされた合理性がそのまま日本の医療に適用できるとは思わないが、謙虚に耳を傾けるべき点は多々あると思う。なぜなら、彼の視点は一貫して「患者本位」だからだ。

福島氏についてさらに興味深い点は、「神の手を持つ」と賞賛されながらも自らの限界を自覚し、最後は「神」(福島氏は明治神宮の神官の家に生まれた)に患者の命を委ねる「謙虚さ」である。真の実力者はけっして驕り高ぶらない(逆に実力のない者ほど、自らを強く、大きく見せようとする)。自らが長年に渡って培った技術を惜しみなく後進に伝えるという姿勢も、彼の偉ぶらない人柄をよく伝えている。


人はそれぞれ「社会において」何らかの役割を担って、この世に生を受けたはずだ。ひとりひとりが私利私欲に囚われることなく自分の役割を誠実に全うすれば、社会は劇的に変わるのではないか?別に大それたことではけっしてないと思う。日本国民は日本国民として、親は親として、子供は子供として、職業人は職業人として、自分が今何をすれば最善なのか誠実に考えて、行動に移すだけのこと。

それが長年に渡って疎かにされて来たがゆえに現代社会は機能不全に陥り、そこで生きる多くの人々が閉塞感に囚われ、ひいては自らの人生に幸福を見いだせないのだと思う。つまり、人間は集団社会で支え合う存在だからこそ、ひとりひとりが社会における自分の役割を自覚し、それを全うする責任を果たさなければならないと言えるだろうか?その意味で、特に近年人々の間で蔓延する「自分さえ良ければ」と言う意識が、一番の問題かもしれないなあ…自分だけ良くても、やっぱりダメなんだよ。意識改革はまずは自分自身から。自戒を込めて。

2009/5/14

民主党の代表選  はなこのMEMO

一昨日の小沢代表の辞任を受けての次期代表選挙が、土曜日に国会議員の投票だけで行われるとは、安藤優子でなくとも、「拙速」の誹りは免れまい。こんな短期間に多様多彩な人材の立候補は望むべくもなく、各候補者の政策の吟味を十分尽くせるはずもない。

「小沢氏から鳩山氏への禅譲」と言う出来レースの様相を呈して、「蚊帳の外」の国民(民主党員も?)は白けるばかりだ。仮に民主党による政権交代が実現するとして、またしても総理は世襲議員かい?現状の自民と民主の二大政党政治って、どちらも選びようのない「究極の選択」と言う感じで、マジ萎える。

2009/5/14

「母の日」も忘れ…  家族のことつれづれ

私を愛して止まないはずの?孝行息子は、心配された「五月病」に罹ることもなく、勉強に、サークル活動に、バンド活動にと、精を出しているようです。なんせ、カリキュラムの都合上、大学は「みどりの日」も登校日だったため、彼にとってのGWは実質5月3(日)〜6日(水)の4日間でした。その4日間も、やれバンド練習だ、高校の友達と映画を見に行くだ、サークルの集まりだと毎日何かしらの予定が入っていて、家族で過ごした時間は皆無。両親にとっては寂し〜いGWでしたこれでは「五月病」に罹る暇(イトマ)もありませんね

そして翌日曜日の「母の日」もすっかり忘れられ、今年はな〜んにもない侘びしい「母の日」でした。皮肉なことに、外出時に乗ったバスの、前の乗客の女性は一輪の赤いカーネンションをカバンに差していたんですよ。あ〜羨ましい!

それにしても理系のせいか、息子の講義の時間割は結構タイト。月曜から土曜日まで週6日大学へ通います。隙間なくビッシリと講義が入っているわけではありませんが、大学にいる時間が長いので、放課後にアルバイトをする余裕なんて全然ない。長期休暇も予想したより短い。私の記憶が正しければ、私の大学の夏休みは丸々2カ月あったはずですが、息子の大学の夏休み開始は8月上旬。9月中旬には授業再開です。実質40日位しかない?!息子の通った中高は期末テストが終わると実質休みに入ったので(ホント!登校日数が少なかった!)、大学の方が夏休みは短いですね。親としては安くない学費を払っているのだから、熱心に指導してくれるのは有り難いです。

息子は小学生の時にたまたま出逢ったホンダの初代アシモに憧れ(握手したんですよ!)、おそらくそれが機械工学を志すきっかけになったと思うのですが、サークルも”ロボット工学へまっしぐら”で、ロボット製作のサークルです。これもたまたまですが、現在の理工学部の同窓会会長がホンダの社員で、そのつてもあってか、今回ホンダ社からサークルに対し、2足歩行ロボット(アシモじゃないですよ・笑)がプレゼントされることになったと、昨夜息子が嬉しそうに報告してくれました。まあ、私に似ておっちょこちょいな息子のことですから、本当にそのロボットが届くまでは信じ難い素敵なお話ですが、もし届いたら息子の喜びはいかばかりでしょう?

GW直前に、入学早々大学でキャリアガイダンスの一貫で受けたと言うテストの結果が届いていました。その中に自己認識度や将来の職業に対する理解度と共に基礎学力の項目があり、国・数・英の分野ごとの点数や学部内順位と3科総合順位が報告されていました。息子は数学分野が満点で理工学部約900人中1位、国語分野が意外に良くできていて30番台、逆に英語運用力が悪くて120番台、そして総合では35位でした(学部全体の平均は約5割の得点率だったようですが、息子は9割弱。夫曰く「他の学生が悪すぎるんじゃないか?」)。

その結果に「豚もおだてりゃ木に登る」と言ったら聞こえは悪いですが、思いっきり褒めてあげました。どんな形であれ、何か自信となるきっかけが掴めれば、人間は伸びる可能性が大きいでしょうから。いつも朝寝坊やグズなところや引っ込み思案を怒ってばかりなので、たまには褒めてあげないとね。逆にあまり褒め過ぎてもプレッシャーを与えるだけなので、子育てにおいて褒めることと手綱を締めることの塩梅は難しいですね

夏休みには高校時代の友人達と5人で北海道にサイクリング旅行に出かけるんだと意気込んでいます。2年越しの計画なんだそうです。果たして、それは実現するのか…?

2009/5/14

自然礼讃〜プチトマト(1)栽培1日目  やさい栽培観察日記

クリックすると元のサイズで表示します久しぶりにミニトマトを育ててみることにしました。苗や土がセットになっているのを、生協で購入。植木鉢は特に準備せずに梱包の袋をそのまま使うタイプなので気軽に始められる。見てくれは悪いですが、ちゃんと育ってくれれば私としてはOKです(^_^)。

今日はいつになく強風。南側に高い建物がないせいか、南風だとモロにベランダに吹き込んで来ます。洗濯物が派手に空を舞っているなあ…昔、引っ越して間もない頃に、この強引な南風で夫のパジャマの上着を紛失してしまったことがあります。以来、南風の吹く日は洗濯干しに気を使います。それでも床に落ちてしまうことが…東南角部屋の我が家、日当たりは抜群に良いのですが、これが玉に瑕かな。

ともあれ、水やりを忘れずに、大切に育てよう!

クリックすると元のサイズで表示しますトマトの苗を植える作業の間、強い陽射しを浴びたわけですが、その紫外線量の多さが、洗濯して干したUVカット手袋に如実に表れています。この手袋、花の刺繍糸に特殊な加工がなされていて、紫外線に反応して白糸が紫やピンクに色づくのです。

40代ともなれば肌のシミが気になるお年頃。顔はUVカット化粧品や帽子や日傘でシッカリ対処するのが常識になりつつありますが、手の甲も気をつけないとシミだらけになってしまうんですね。最近は手袋をしている女性も増えましたね。紫外線を多く浴びることが肌の老化を促進することから、人間の体の中で一番キレイな肌は、お尻の部分だそうです。逆に常に晒されているぶん、顔や首(←皮も薄いしね)や手の甲の肌ってダメージを受け易いんだろうなあ…






2009/5/10

定額給付金の申請書がやっと来た!  日々のよしなしごと

昨日、都内の中野区の友人と話したら、とっくに定額給付金を受け取ったと言う。

ウチは先日申請書が届いたばかり。おそーい(お役所も年度初めに仕事が増えて大変だったとは思う)。しかも、やっつけ仕事なのか、封筒に書類がぎゅうぎゅう詰めだし、書類に封筒の糊がくっついていて書類を封筒から取り出すのに一苦労したし、さらに申請書類の提出方法の説明文も整理されていなくて、申請時に同封の申請書以外に何が必要なのかが分かりづらい。

添付書類をコピーする為に寄ったコンビニの店頭には「定額給付金申請用の”身分証”と”預金通帳”のコピーを承ります」の貼り紙があった。恐らく、送付されたあの説明書では、年配者も混乱するだろう。コンビニの貼り紙は、そのことを如実に物語ったものなのだと思う。

トドメ?は、申請書を予め折られた通りの状態で返信用封筒に入れると、申請書が大きすぎて封が閉じられない、ことかな(^^;)。

もちろん、私の方で、折りなおしました。

おしまい。

2009/5/10

新型インフルエンザのこと  はなこのMEMO

人の行動範囲が国境を越えて広範囲に渡れば、人の移動と共に病原体も拡散し、伝染性の病気が世界的に流行するのはやむを得ないことなんだろうなあ。しかも現在は飛行機でひとっ飛びの時代だ。以前、米国で問題になった「ナイル熱」も、ウィルスを媒介する蚊が人間と共に航空機でNYに上陸したと言われている。

今回、メキシコを発生地とする新型(豚)インフルエンザは、人の移動が盛んな春期に爆発的流行を見せた為に、世界的混乱を招いている。日本国内初の感染者は大阪の高校生と教師の3人となったが、春休み明け以降GW前の時期は旅行コストが比較的低く、海外研修旅行を積極的に勧めている学校の多くが、この時期に短期留学や研修旅行を実施しているのが仇となった形だ。

この時期に米国大陸へ渡航した多くの学校は、果たしてタイミング的に、事前に研修旅行を取りやめ、もしくは延期することが可能だったのだろうか?今回、研修旅行の参加者が不運にもインフルエンザウィルスに感染してしまったのだが、今後そのことをあからさまに非難するような論調には傾いて欲しくないなあ。さきほどのテレビ放送では、大阪府から感染者が出たことを受けて会見を行った橋下知事の映像と共に、テロップで「怒り」の文字が躍っていてドキッとした。知事は至って冷静に感染の事実を受け止め、適切に対処すると語っていた。いったい誰が怒ってるの?マスコミは徒に不安や怒りを煽らないで欲しいな。

数年前に省庁再編で厚生省と労働省が統合して厚生労働省が出来たわけだが、この省はただでさえ「年金問題」「医療(医療費の増大や医師不足や救急医療体制等の)問題」「雇用問題」を抱えて大変なのに、それに追い打ちを掛けるように、今回の「新型インフルエンザ問題」だ。この仕事量は他省に比べて尋常じゃない。果たして統合は正しかったのか?

国民のひとりとしては、省のトップである大臣が「新型インフルエンザ問題」でテレビに登場する度に、「年金問題はどうなっているの?」「雇用問題はどうするの?」「医療問題の解決に向けて何ら進展はあるの?」と気になって仕方がない。私の周囲の人間も概ね同様の疑問を抱いている。大臣の仕事って何なんだろう?

WHOも前面に出て、その感染爆発を危惧している「新型インフルエンザ」だが、震源地のメキシコを除いて、感染者が確認されている国々での死者は幸いにして一桁台だ。当のメキシコも流行の峠を越えて、市民生活も落ち着きを取り戻しつつある。今回のメキシコにおける新型インフルエンザによる死亡の多くは、健康保険制度が整っていない国で医療費が支払えない為、感染者が初期段階に医療機関で適切な治療を受けずに重症化したのが主な原因とされている。日本のような先進国では、それほど恐れることでもないのではないか?寧ろ素人目には、感染を恐れるあまり国民を無菌状態の中に置くことの方が怖い気がするのだが、どうなんだろう?

もちろん爆発的に流行したら、国民生活は大きな影響を受け、経済活動も停滞することになるが…まさか日本民族が滅びたりはしないよね?とは言えウィルスも生き物。まさに今回は生き残りをかけたウィルスと人類の一大決戦だ。かつて多くの死者を出した「スペイン風邪」も中国で発生した直後は弱毒性であったのが、感染拡大の過程で進化し、強毒化したと聞いている。政府やマスコミが騒ぎ過ぎるのはどうかと思うが、油断は禁物と言うことなんだろう。

個人的には、それ以上に心配なのが戦争特需を目論んだ世界大戦の勃発なんだけどね。今回のインフルエンザ騒動が深刻な経済不況にさらなる打撃を与えたら、国家経済の立て直しを図る為に(←そのことを口実に?)、軍需に期待する国が出ないとも限らない。或いは、映画『ナイロビの蜂(原題:THE CONSTANT GARDENER)』や『ザ・バンク〜墜ちた巨像(原題:THE INTERNATIONAL)』で描かれたような「人の命を踏み台にして巨利を生み出す巧妙なシステム」が、「国家」という枠組みを超えたところで出来上がっているのが事実なら、無力な人々(おそらく人類の大多数)が常にその餌食になるのは、避けられないことなのかもしれない(今回の騒動にほくそえんでいる者が少なからずいる、と言ったら下種の勘繰り?)。



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