2008/8/31

人間生きていればいろいろある  日々のよしなしごと

今朝は駅で見かけたスポーツ新聞の見出しにギョッとした。まだ10代の、若手俳優の自殺未遂を伝える記事だ(芸能人とは言え、まだ10代である。こんなに大っぴらに報道されて気の毒だと思う。プライバシーに何の配慮もなく、センセーショナルに書き立てるマスコミの見識を疑う)。

夕方自宅に戻って、改めてネットで記事の内容を確認した。併せて、記事に関する世間の反応も見たくて、ブログ記事なども幾つか読んでみた。それぞれの記事はいろいろな原因を挙げてみたり、性急に結論づけてみたりしている。その論調になんだか違和感を持った。別に今日、明日にも答えを出さなければならない問題でもなかろうに。

人は生きていれば誰しも好不調の波に翻弄される。不調の波にもまれて、もがき苦しむことはそう珍しいことではない。そして、いつまでもそれが続くわけでもない。

不調の時は思考も悲観論の堂々巡りで、「この苦しみに終わりはないのでは?」と絶望感に打ちのめされそうになるが、実際は殆どの場合、乗り越えることができる。ほんの少しの堪え性さえあれば、大抵のことは時間が解決してくれる。

人生は長い。一度つまずいたくらいで、前途が閉ざされることはけっしてない。何度もつまずいては立ち上がる。人生はその繰り返し。その繰り返しの中で、人間として成熟して行くのだと思う。それぞれの早さで。

人生は散歩に似ている。焦ることはないのだよ。自分なりのペースで、着実に自分の人生を歩んで行ったらいい。誰のものでもない、自分の人生なのだから。回り道したってどうってことはない。とにかく1歩でも前に進んだらいい。

どうしようもないほど疲れたら立ち止まればいい。そしてしばらく休んで、周りの景色をゆっくり眺めでもしてから、また歩き始めたらいい。そうこうしているうちに、険しく思えた峠道は越えている。とにかく休むことはあっても途中で諦めないことだ。投げ出さないことだ。そうすれば、自分なりに納得の行く人生のゴールに辿り着けるはずだ。

そう信じて、私は私の人生を生きている。

2008/8/28

悲しみの涙、無念の涙、温かな涙  はなこのMEMO

名脇役で知られた女優の深浦加奈子さんが48歳の若さで25日に亡くなられたらしい。S状結腸ガンという病で、数年前から闘病中だったと言う。一度は克服したかに見えたガンは、彼女の体奥深くに巣くい、徐々に彼女の体を蝕んで行ったのだ。

いつも一癖もふた癖もありそうなキャラクターを”楽しそうに”演じていた。よく通る声で、目に力があって、そして何よりその確かな演技力で、どんなドラマでも存在感を際だたせていた。

同じく40代の若さで病死した叔母に風貌が生き写しで、ブラウン管の中の彼女を通して、私は亡き叔母の姿を追ってもいた。その深浦さんも亡くなられて、私はもう叔母を記憶の中でしか思い出すことができない。すごく寂しい。

もちろん彼女に代わる女優はいない。演劇界も希有な演じ手を失ってしまった。心からのご冥福を祈ります。

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■いまだ政情不安の続くアフガニスタンで、NGOの職員として農業指導に従事していた伊藤和也さん(31)が、武装組織タリバンに拉致され、無慈悲にも殺害された。私利私欲一切なく、ただただアフガニスタンの窮状を救うべく、現地の人々との信頼関係を大切にしながら、数年間に渡り農業指導に当たっていた伊藤さん。志半ばで暴力によって命を絶たれた彼のことを思うと、すごくすごく残念だ。無念だ。心からご冥福を祈りたい。

現政権転覆を企む武装組織タリバンは、現政権の治安対策の脆弱さを世界に知らしめる為に、近年ソフトターゲットである海外NGO団体を狙い打ちしている。先週も他国のNGO職員の女性3人が殺害されたばかりだ。

伊藤さんが所属していたペシャワール会はアフガニスタンで活動する海外NGOの中でも活動歴が長く、その実績は現地でも高く評価されている。しかも直接現地へ軍隊を派遣していない日本のNGOが標的になるとは殆どの人が予想していなかったことで、現地で活動する各国のNGOに与えた衝撃は大きい。

イスラム教原理主義を標榜する武装組織タリバンは、非イスラムを激しく憎悪し、暴力でそれを自国から排除しようとする。彼ら狂信者には、誠意も善意も通じない。日本の報道機関の電話インタビューに答えたタリバンの報道官は、日本も含めたすべての海外NGOを「西洋文化をアフガニスタンに持ち込む敵」と断罪し、「だから、我々は彼らを殺し続ける」と明言した。こうした、排他的で、頑迷で、意思疎通の困難な相手に対して、私たちはどう向き合えば良いのだろうか?(この種の人々は、どの社会にも一定割合存在するものだけれど)

◆アフガニスタンの複雑な情勢を描いた、お薦めの映画:君のためなら千回でも

◆ペシャワール会の現状認識の甘さを指摘する記事も:「いずれ狙われる…不安は的中した アフガン拉致・殺害」
→山本一太外務副大臣が会見で言葉を濁したのは、この記事に書かれたことと関係があったのか…?ペシャワール会の潤沢な活動資金を狙った金目当ての犯行?


■日テレの「24時間テレビ」。この類の番組はあまり好きではないのだが、今回、この番組のユニフォームTシャツのキャラクターモデルに選ばれた女性についてのエピソードに胸を衝かれた。その女性は生まれながらに知的障がいを持つ。現在20歳とのことだが、童顔で、はにかむ表情が愛らしく、「女の子」と言った方がピッタリな女性だ。その彼女がニュース番組「ZERO」で取り上げられた。

彼女の誕生に、当初母親はその将来を想い、途方にくれたそうだ。しかしある時、母親の頬を伝う涙を、無心に手で拭い続ける幼い娘の仕草に、母親は救われた。その限りない優しさに、これまでずっと母親としての幸福を感じて来たと言う。

「今ではこの子の為に、1日、1分でも長く生きていたいと思うんです」

私も叔母のひとりが、やはり知的障がい者だった。いつだったか、祖母が全く同じことを言っていたのを思い出した。それは我が子を愛する親としての切実な願いだろう。

親と子の出会いはどんな形であれ、かけがえのないものなんだなと、今更のように思う。ひとつとして無駄な命なんてない。すべての命は何らかの意味を持って、この世に存在している。その存在とどのように関わり、その関わりから何を得るかは、結局自分次第なのかもしれない。

2008/8/26

北京オリンピックの感想  はなこのMEMO

メダル獲得数で国力をアピールする時代はもう終わった、とはなこは思う(コメント欄も見てね!)

北京オリンピックが終わった。さる高名な予言者が以前、「北京オリンピックは開催できない」「翌9月に中国か日本に大地震が発生する」と予言していたそうだ。その話を私にしてくれた女性は「北京オリンピックが開催できなかったら、9月の地震のことを信じようかなと思っているの」と言っていた。果たして、いろいろな問題を孕みながらもオリンピックは開催され、無事閉幕した。今頃、彼女は安堵しているのだろうか?

個人的には今回のオリンピック、可もなく不可もなし、と言ったところ。選手の国籍を問わず、個々に心打たれた競技、選手の活躍はあったけれど、オリンピックそのものについて、昔持ったほどの感慨はない。オリンピックに限らず、さまざまなスポーツ・イベントへの関心が年々薄れているのはどうしてなんだろう?すべてのイベントが商業化の一途を辿り、華やかさが増す一方で、競技成績も金のかけ方次第のように見えるのが、白けてしまう原因なのか?また、今回は特に全体主義国家の国威発揚臭が鼻についたのもいけなかったのかも。あの名物オリンピックおじさんをして、「中国国体を見ているようだった」と評している。全体的評価も「(100点満点の)30点」と手厳しい。

例えばオリンピックと言えば、毎度のことながら日本人選手のメダル獲得数が取り沙汰される。今回は金9個、銀6個、銅10個の計25個。参加国中8位である。メダル獲得総数は前回アテネの37個を大きく下回るが、4位〜8位の入賞が50で、総入賞者数は75人となり、前回アテネの77人とほぼ同数。

JOCを通じて国が投じた選手強化費はアテネの翌年からの4年間で80億7000万円。アテネ前の4年間と比べ、約5割増だったらしい(正直、こんなもんか〜?と思った。だって道路整備に年間7兆円をかける国だよ!)。費用対効果で、今回のメダル獲得数はどうなのか?と言う意見もあるが、これも簡単には評価できないものらしい。4年後にオリンピックを開催する英国の躍進は、自国開催に向けての金に糸目をつけぬ強化策が実ったとの見方がある。国を挙げてのスポーツへの投資競争は激しくなる一方な中で、もし日本がアテネ並の強化費だったら、今回の結果はさらに悲惨になっていた、との見方もあるのだ。

私個人の印象では、今回の日本のメダル獲得数、入賞者総数共に、妥当なところではないかと思っている。そもそも大陸人に比べ、体格及び身体能力に劣る島国人が、それなりにお金をかけて体力をつけ、技術を磨いた結果がこれなのである。もちろん国が豊かになったことで栄養も十分に摂取できるようになったおかげで、体格はある程度大陸人に近づきはした。しかし皮肉なことに、国が、個人の暮らしぶりが豊かになったことで、日本人からはハングリー精神(闘争心、勝利への執着心)が失われてしまった。金メダルを獲得したからと言って、日本では報奨金でひと財産は作れないし、生涯エリートの道を保証されるわけでもない。選手のモチベーションはあくまでも精神的な充足感である。あまりにも高尚過ぎて、特に対戦(競争)相手と体格差や身体能力の差があまりない競技では、「貧困からの脱出」や「巨万の冨の獲得」と言った即物的な動機を持った相手に、最後のつば迫り合いでどうしても気力負けしてしまう。

自国開催で気を吐く中国のメダルラッシュ。その重要な担い手は9億人に及ぶ農民の師弟とも言われている。例えば、ウエイト・リフティング。中国勢が男女9階級のうち7階級に出場し、金メダル6個、銀メダル1個を獲得。圧倒的な強さを誇り、金メダル量産の一翼を担っている。その選手の殆どは農村出身である。中国の農村は機械化が遅れ、生産性が低く、その平均年収は1万元(16万円)にも満たない。ある金メダリストは10代前半の体育学校時代、月の生活費がわずか180元(約2800円)。体育館を清掃し、ゴミのペットボトルを売って生活費の足しにしていたと言う。そんな彼が今回の金メダル獲得で手にするであろう報奨金は500万元(約8000万円)。実に農民年収の500倍である。

また卓球女子金メダリスト、張選手は北京の貧しい家庭に生まれ、15平米の部屋に家族6人で暮らしていたと言う。前回アテネでも金メダルを獲得した彼女は、すでに22歳にして一家の暮らしの支え手であった。尤も中国でも、このところの経済発展は沿岸部から内陸部へと波及し、それに伴い、選手のモチベーションも徐々に変化しつつあるらしい。

もともと身体能力で劣る日本人が幾ら努力しても、技術力を磨いても、競技によっては太刀打ちできないものも少なからずあるだろう。シンクロナイズド・スイミングや新体操は、パフォーマンス以前に、選手自身の容姿の美しさ(特に手足の長さ)が明らかに有利に働くのが、何だか虚しい。またある競技で日本が強くなると、なぜかその後ルールや採点基準が変更されたりと、選手個人の力量とは離れたところで、スポーツ政治力学とも言えるものが働くのも腑に落ちない。

日本の競技団体自身の問題としては、例えばマラソン代表の選考方法や指導体制に疑問符が付く。オリンピックのマラソンは夏季に行われるのに、冬季に選考会。しかも何度にも渡って。本番は一発勝負なんだから、本番と同じ条件下で選手全員を一斉に競わせたら良い。定められた期日に万全の体制で臨めない選手が、オリンピックで良い結果を出せるはずがない。ここで勝負強さが問われるのだと思う。また本番直前のトレーニング中に故障するなんて言語道断。本番にピークを持って来られるよう、大会前は特に細心の注意を払って、練習量をセーブさせるのも、選手を指導する側の責任なんじゃないの?

そもそも日本は旧共産国並に国家を挙げて選手をバックアップしたり(←これは競技ルールを改正する場に、競技役員が積極的に参加したり、自国に有利に働くようロビー活動をすることも含めて)、メダリストを厚遇する体制ではないのだから、選手にメダル獲得を求める(期待する)のは酷なのかもしれない。あくまでも選手個人に、選手らを直接支えた人々に、その栄誉は帰すべきなんだと思う。一般のファンは、そのパフォーマンスで感動できたら、それで十分。メダル獲得の有無や色なんて関係ない。

最後に苦言。どんな条件下にあっても、プロはプロとしてのパフォーマンスを見せてこそ、プロと言えるのだと思う。プロはアマチュア以上に結果がすべて。だから高給が約束されている。そのことを、今回参加したプロ選手は忘れているんじゃないのかな。

2008/8/21

(22)アクロス・ザ・ユニバース(Across the Universe、米)  映画(2007-08年公開)

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60年代を駆け抜けた伝説的バンド、ザ・ビートルズの楽曲33曲に乗せて綴られる青春物語。初めに物語ありき、ではなく、既存の曲をつなぎ合わせて物語を紡ぐと言うスタイルは、数年前にロンドン・ウエストエンドで見た舞台ミュージカル『マンマ・ミーア』が記憶に新しい。本作は、NY・ブロードウエイでディズニーアニメ『ライオンキング』の舞台ミュージカル化を大成功させた気鋭の演出家ジュリー・テイモアが、初めて手がけたミュージカル映画らしい。テイモア監督は映画化に当たり、200曲以上に及ぶビートルズの楽曲全てを聴き込み、33曲を選び出したと言う。

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物語としては、若い二人の恋を中心に、彼らを取り巻く若者たちの群像劇とも言える。そこに60年代ならではの、ヴェトナム戦争反戦運動公民権運動と言う社会的背景が絡んで来るのだが、(ビートルズ自体は一切登場しないものの)その語り部として、ビートルズの楽曲が絶妙に嵌っている。しかも、ヒト、モノに惜しみなく予算を費やしたのが窺える、かなりゴージャスな作り。まずは是非、映画館のスクリーンと音響で見て貰いたい1本。

私は世代的にはビートルズの全盛期にドンピシャ当てはまるわけではないが、10代をビートルズを端緒に洋楽で過ごした人間だ。当時、私たちの世代の音楽指向はニューミュージックやフォークの邦楽系か、ポップスやロックの洋楽系に二分されたと記憶している。私のビートルズ指向は、中一の時に仄かに恋心を寄せていた男の子が、大のビートルズファンだったことがきっかけと言う不純なものだったけれども(笑)。実際はそれ以前に、一日中自宅のラジオから流れていた音楽で、ビートルズと意識することなしに、その楽曲の数々は耳に馴染んでいたと言える。

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冒頭、海岸で、画面からこちらに語りかけるように、ジム・スタージェスが"Girl"を切々と歌う。

"Is there anybody going to listen to my story. All about the girl who came to stay…”

この時点で、私の心は鷲掴みされてしまった…ははは。黒々とした眉とクッキリとした瞳が印象的なジム・スタージェスは『ラスベガスをぶっつぶせ(原題:21)』が初見だったが、実際は本作が彼にとっては映画デビュー作らしい。テープ審査で即起用が決まったと言う歌声は甘美で、少し舌っ足らずなところが魅力的だ。そう、物語は彼の恋の歌で幕を開ける。

繰り返し歌ううちに何となく覚え、口ずさんでいた楽曲の数々が、台詞として字幕に表示される。様々なアレンジで、様々な歌い手によって歌い継がれ、物語が進んで行く。恋の歌から、世相を反映した歌、思想的な歌まで。何と多様な仕掛けで、ビートルズの名曲が新たな命を吹き込まれたことだろう。私が考えていた以上に時代状況にリンクした歌詞にも改めて驚く。中年の黒人女性らによるゴスペル・アレンジの" Let it Be"なんて、鳥肌ものだ。そう言えば10年前のNY旅行では、ハーレムの教会でゴスペルを聴く機会があった。日替わりで歌い手が若者、少年少女、シニア層に替わると言う話だったが、私たち家族が聴いたのはシニア層で、それは齢を重ねた人々ならではの味わい深い歌声だった。ゴスペル版"Let it be"で、その時の感慨がふと蘇った。

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ヴィジュアル面でも、そのアレンジは際だっている。特にヴェトナム戦争の泥沼化に伴い、時代がいよいよ混沌として行く後半では、サイケデリックな色調とデザインが鮮烈さの度合いを増し、めまいを覚えるほどだ(当時蔓延したドラッグによる幻覚を表現した、との説がある)。それと反比例するかのように、歌詞は熱を帯びた愛の歌から、時代の熱気と距離を置いた冷静さで、その思考を研ぎ澄ませて行く。表題の" Across the Universe"は、その真骨頂だろう。

Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world


それからすると最後のオチは、"アノ歌"が持つ本来のスケールからすれば、ごく個人的なものに帰結させてしまうのは、矮小化と言うか、無理矢理こじつけた印象が否めない。あのシチュエーション自体は、ビートルズへのオマージュに他ならないだけに、ちょっと惜しいなあ…

【魅力的なキャスティング】
本作にも次代を担う若手俳優らが目白押し。”サラダボウル”を体現するかのように多彩な顔ぶれだ。ジム・スタージェスの恋人役のエヴァン・レイチェル・ウッド、その兄マックスを演じたジョー・アンダーソン、歌姫ディナ・ヒュークス、ギタリストのマーティン・ルーサー・マッコイ、そして薄幸の少女プルーデンスを演じたT.V.カーピオ。数年後にはそれぞれの名前を、さまざまなところで目にすることになるのだろう♪

2008/8/21

人に注意するのは、私も本当は嫌なのよ…  日々のよしなしごと

今朝、バス停でバスを待っていたら、私の前に並んでいる子連れの若いお父さんが、タバコを吸っていました。本当は煙が後方の私に向かって流れて来るので、この段階で私は十分不快なのですが、我慢していました。

しかし、バスの姿が見えた時、そのお父さんは何の躊躇もなくタバコを投げ捨てました。いつもやっているんだろうなあ…と想像できる自然さで。それで朝から人とこんな形では関わりたくないのですが、勇気を出して(内心、心臓バクバクよ)、そのお父さんに注意しました。

「ご主人、タバコの投げ捨てはいけませんよ。しかもお子さんの見ている前で」

実はこのバス停、住宅街の狭い道幅の一方通行路にあるのです。以前はご近所の方が空き缶を灰皿代わりに置いていたのですが、健康増進法が施行されてからバス会社がバス停を禁煙と定め、灰皿は撤去されています。

だからと言ってバス停での喫煙がなくなるわけもなく…バス停付近はタバコの吸い殻が散乱。それを誰が片付けているかって?バス会社は灰皿を撤去しただけで、その後のことは関知しない。結局バス停近くに位置するお宅の奥さんが、毎朝掃除されています。たまたま自宅そばにバス停が設置されているが為に、毎朝他人様がポイ捨てした大量のタバコの吸い殻を掃除。毎日掃き清めても、毎日大量のタバコの吸い殻。奥さんが気の毒この上ない。

今朝、件のお父さんに注意している最中に、たまたまその奥さんが自宅から出て来られました。

「ご存じですか?いつもバス停に散乱しているタバコの吸い殻をあの奥さんが片付けておられるのですよ。毎日毎日。私は気の毒でなりません。ご主人はどう思われますか?」

それに対して、件のお父さんは

「いやね、いつもは吸わないんだけどね。今日はつい…」とバツの悪そうな返答。言い訳は結構です。あなたの足下にある、そのゴミをどうにかして欲しいのです。かみ合わない会話に落胆しながら、私は言いました。

「で、拾わないのですか?」

それに対して彼は案外素直に反応して、自分が投げ捨て、足で踏みつけたばかりの吸い殻を拾って、自分のバミューダパンツのポケットに入れました。しつこいかなと内心思いつつも私はさらに

「タバコを吸うのはまだしも(まあ、百歩譲って。だって本当はバス会社が法律に基づいて禁止しているのですから)、吸い殻の投げ捨てはいけないですよ。せめて携帯灰皿を持ちましょうよ。あの奥さんが気の毒ですから」

と言い募りました。今思うと、その男性に対して「私の言葉に耳を傾けてくれてありがとう」の一言くらいあってもよかったかな…でもまあバスが来てしまったし…

きっとしつこい女だなあと思われたでしょうね。注意すると逆ギレする人も中にはいるので、この男性はまだ良心の欠片が残っている人なのでしょう。そもそも2人の幼いお子さんを連れて、これからプールにでも行こうという出で立ちでしたから、子煩悩な優しいお父さんに違いない。しかし、父親だからこそ、しっかりして欲しいと思います。できるだけ親として恥じない振る舞いをして欲しい。子供は親の背中を見て育つものだから。

本当は私も人に注意するのは嫌ですよ。そういう形で人と関わるのは不快だし、疲れるし。でも、目の前で明らかに間違っている行為を看過できない。それによって毎日苦労されている人のことを思うと、注意せずにはいられないのです。

以前、日経土曜版で「マナー違反に対して注意するか否か」というテーマについてのアンケート結果が紹介されており、

マナー違反を目の前にして不快に思っても注意する人は少なく、また赤の他人から注意されるのはいい気がしない、とありました。

でも私は思うのですよ。人間は「朱に交われば赤くなる」で、そもそもマナー違反をする人の周りの人は同類なので互いに注意しあうことなんてないんじゃないかと。だから他人に注意されて初めて、自分のマナー違反を自覚できるのではないかと。大人になると面と向かって注意される機会は殆どなくなるので、注意されることは実は有り難いことなのだと思う。もちろん基本的なマナーは、子供の頃に、家庭で、身近な家族から躾けられることが理想でしょう。

ただマナーも、その妥当性が問われるとは思います。例えば「エスカレーターでは右側を歩行する人の為に空ける」と言うマナーは、本来の用途や安全性において妥当とは言えません(エスカレーターの誤作動や故障、また事故に繋がる恐れがある為、エスカレーター製造会社も管理者も、エスカレーターでの歩行を禁じています)。だから仮にエスカレーターの右側に立っている人がいたとしても、それを以て、その人が誰かに注意されたり非難される筋合いはないわけです。

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2008/8/16

上高地・飛騨高山と白川郷3日間の旅(6)  上高地・飛騨高山(2008年夏)

永平寺で心が平安に包まれたところで(笑)、私たちツアー一行を乗せた北陸バスは、北陸自動車道で一気に石川県は金沢市へ。いよいよ最後の訪問地、日本三名園*のひとつ、兼六園に到着です。兼六園は元々加賀藩主前田家の、金沢城外郭に設けられた庭で、江戸時代の代表的な林泉回遊式庭園の特徴を今に伝える名園です。ここには過去に何度か訪れたことがありますが、真夏の訪問は初めて。

日本三名園*:後楽園(岡山)、偕楽園(水戸)、兼六園(金沢)

時刻は13時近く。炎天下に、現地ガイドさんの案内で約30分のハイライトツアー。日傘で強い日差しを遮ってはいるものの、炎熱地獄のような熱気が地面から迫って来ました。定番のことじ灯籠の解説に始まり、唐崎松霞ケ池明治記念之標根上松梅林栄螺山(さざえやま)、自然の水圧を利用した噴水と巡るうちに、次第に頭がクラクラして来て「もう限界だ!」と思ったところで、昼食場所の寄観亭へ移動となりました。

クリックすると元のサイズで表示します 唐崎松(カラサキノマツ)

その枝振りが優美な唐崎松は、13代藩主・斉泰(なりやす)公が、琵琶湖畔の唐崎からわざわざ種子を取り寄せて実生から育てたと言う黒松です。11月1日に、この松から始まる北陸発祥の造園技術である雪吊り作業は、北陸に冬の訪れを告げる風物詩になっています。斉泰公はこの他に、霞ケ池を掘り広げ、曲水の新たな取り入れも行い、以前からあった蓮池庭(レンチテイ)との調和を図るなど、作庭に熱心な主君だったようです(因みに雪吊りの松は、冬季に都内でも浜離宮などで見ることができます)

ガイドさんの話で特に興味深かったのは、廃藩置県後、一般に無料開放された兼六園では園内の草木の盗難や損壊の被害が相次ぎ、その対策として入園料を徴収することにしたところ、被害が激減、かつ、入園料収入は庭園の維持と一層の充実に役立っていると言う話でした。一般への無料開放が必ずしも良い結果をもたらさなかった一方で、入園の有料化(現在大人300円)が「不心得者を遠ざけた」と言うのは皮肉なものですね。人間の品性について考えさせられる話です。因みに兼六園の年間維持費は雪吊り費用を含め、現在約3億5千万円だそうです。

【兼六園命名の由来】

5代藩主前田綱紀公が造園した当初(1676)は蓮池庭(レンチテイ)と呼ばれていたが、大火による焼失、歴代藩主による復興、拡張を経て、12代藩主の斉広(なりなが)公が、奥州白河藩主・白河楽翁に庭園の命名を依頼し、楽翁は中国・宋の時代の詩人・李格非の書いた洛陽名園記の文中から採って、名園の六勝宏大(広い)幽邃(景色が物静かで奥深い)人力(手入れが行き届いている)蒼古(古色を帯びて、さびた趣のあること)水泉(池や泉を有すること)眺望(眺望に優れていること)〜を兼備すると言う意味で「兼六園」と命名した。(参考:リーフレット)


クリックすると元のサイズで表示します 昼食は寄観亭の和会席

すっかり疲れてしまった私たちは、昼食を終えた後も出発時間ギリギリまで、冷房の効いた広間でゆったりと寛いで過ごしました。

金沢と言えば、今から20年前に、結婚間もない夫と二人で真冬の金沢を訪れた時のエピソードが忘れられません。夫と金沢城近くを歩きながら「金沢に知り合いっていたっけなあ…」と言う話になり、高校の同級生のN君が金沢大の博士課程に在籍していることをふと思い出した私の目の前に、そのN君が突然現れたのです。彼が大学から帰る途中の、思いがけない再会でした。お互いとても驚いたことが、昨日のことのように思い出されます。N君は今頃どうしているんだろう?

その後、私たちツアー一行は、金沢駅から15時過ぎ発の特急で越後湯沢まで行き、そこから上越新幹線に乗り換え、帰路につきました。上高地以外の地では猛暑に悩まされた旅でしたが、それなりに充実した旅だったように思います。(終)

クリックすると元のサイズで表示します 稜線を背景とした田園風景は日本の原風景…?

2008/8/16

上高地・飛騨高山と白川郷3日間の旅(5)  上高地・飛騨高山(2008年夏)

2日目の宿泊は、石川県の奥座敷山代温泉にある旅館雄山閣。予めネットで調べたら、初日のひだホテルプラザが好評なのに対し、こちらは接客の評判があまり芳しくなかったのですが、実際、部屋の急須に先客のお茶が残っていたりしてガッカリ。さらに大浴場がなぜかギリシャ神殿風の作り。浴場に入るといきなりギリシャ彫刻もどきが出迎えてくれて笑えました。加賀と言ったら前田家百万石のイメージが強いので、そこにギリシャ風はチグハグな印象を覚えます。ともあれ、温泉利用者としては、泉質が良くて清潔感さえ損なわなければ良いのですけれど。

夕食は大広間で和洋中華取り揃えのバイキングでした。しかし椅子席ならともかく、座布団席で立ったり座ったりは結構難儀なことです。しかも座席から食べ物までの場所は遠いし…軽く運動しながら食べている、と言う感覚でした。気楽と言えば気楽なのですが、どうも落ち着かない。

翌日は帰りの電車の関係もあり旅館を早めの出発なので(そうでなくても猛暑の中での観光で疲労困憊状態!)、この日は旅館周辺を散策することもなく、入浴後は早々と就寝しました。

【3日目】いよいよ最終日!

ツアー一行は7時50分にロビーに集合し、一旦石川県とは別れを告げ、福井県随一の景勝地、東尋坊へと向かいました。東尋坊と言ったら2時間サスペンスドラマでお馴染みの場所ですね。いよいよ追いつめられた犯人が崖近くで犯行を告白するシーンを何度見たことか。しかし実際にこの目で見るのは初めてです。
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左)遊覧船乗り場。紺碧の海が美しい 右)海側から見た東尋坊の姿形。切り株みたい

あいにく私はサンダル履きだったので、ゴツゴツとした岩肌の崖近くまでは行きませんでした。足下の心配以上に、かつては年間100人近くの自殺者を出したと言う場所へ近づくのが怖かったからです。現在では公衆電話の設置や地元の人々の細かな目配りによって、自殺者は激減したと言われています。もっとも、私たちが訪ねた朝の爽やかな時間帯は眼前に美しい大海原と天空が広がるばかりで、爽快な景色を見る限り、そうした暗い一面は微塵も感じられませんでしたが。東尋坊は晴れた日の午前中に訪ねるに限りますね!

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続いて、同じく福井県にある永平寺へと向かいました。福井県は日本における仏教の上陸地。初期仏教の面影が色濃く残る土地柄です。大学時代には「古美術研究」という授業で当地を訪れ、数多くの仏像を見学しました。しかし永平寺は今回が初めての訪問となります。

永平寺は神奈川県横浜市鶴見区にある総持寺と並び、曹洞宗の大本山です。配布のリーフレットによれば、今から約760年前の寛元2年(1244)に、道元禅師によって開かれた座禅修行の道場とのこと。三方を山に囲まれた境内に、大小70余りの建物が並んでいます。

ここでは、雲水と呼ばれる平均年齢23歳の修行僧が全国各地から集い、最短でも1年間、長い人では数年以上(現在は最長8年の、過去には13年の修行僧が存在)、畳半畳分だけを寝る場にあてがわれ(このため布団を縦半分に畳み、それを紐で結んでその間に寝袋のようにして修行僧は就寝)、夏は3時半、冬は4時起床、肉食一切なしの質素な精進料理を食しながら、座禅、朝課、行鉢、作務、と言った厳しい修行に明け暮れるのだそうです。もちろん、私たち一般参拝者も襟を正して参拝するよう、最初に通された部屋で概説に立たれた雲水に促されました。

寺内は撮影自由ですが、修行僧の撮影は禁止。御仏に仕える身に対して、それは当然ですね。しかし、修行僧は皆さん(男性への形容としては相応しくないかもしれませんが)楚々として美しく、被写体としてはとても魅力的でした(もちろん撮ってません!)。興味深いのは、寺院正面中央に位置する山門は、通常貫首のみが出入りを許される門で、雲水は生涯に入門と出門の2度だけ、その門をくぐることを許されるのだそうです。ここまで徹底しているからこそ、修行に値すると言えるのかもしれません。何かとケジメのないご時世にあって、この厳しさはいっそ清々しい。

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今まで数々の寺社を訪ねて来ましたが、永平寺が他の寺と構造的に違うのは、各建物が縦横に張り巡らされた渡り廊下(階段)で結ばれていることです。参拝者は玄関で履き物を脱ぎ、山の斜面に沿って建てられた各所を、屋根付きの階段を伝って訪ね歩くと言う形になります。これなら雨が降ろうが、雪が舞おうが、建物間の移動は容易ですね。しかし、とにかく階段が多い。この日は階段の昇降で汗だくになっての参拝でした。それ自体がまさに修行と言えるのかもしれません。

☆おことわり☆
上高地で感動のあまり写真を撮りまくり、デジカメのメディアのスペースがあっと言う間になくなってしまったので、このページから写真は携帯のカメラによる撮影となります。その為、肝心の永平寺の内階段がフラッシュ撮影禁止なので撮影できませんでした。高感度のデジカメなら、フラッシュなしでもキレイに写ったことでしょうね。その写真があれば、”修行”の臨場感がお届けできたものを(笑)。

2008/8/15

上高地・飛騨高山と白川郷3日間の旅(4)  上高地・飛騨高山(2008年夏)

14時頃、白川郷へ到着。白川郷の正式名称は「世界文化遺産 国指定 重要伝統的建造物群保存地区 荻町合掌造り集落 白川郷」と言うのですね。実際に当地を訪れる前は「山間の静かな集落」と言うイメージでしたが、今回は特に観光シーズンということもあって、「ここは祭り会場か?」と思えるほどの賑わいで、見事なまでにイメージは覆されました。世界遺産登録(1995年)から13年が経過し、当地はかなり観光地化されていて、観光客相手の飲食店や土産物屋を営む合掌造りの家が数多くありました。

集落へは庄川に架かる吊り橋であい橋を渡って行きます。庄川は元々川幅はかなり広いようですが、夏場で水量が少ないのか、干上がった河原が広がっていました。かつては川や山に守られた集落だったのでしょうね。

クリックすると元のサイズで表示します 庄川に架かる「であい橋」。前方奥に集落が…
クリックすると元のサイズで表示します 「であい橋」から庄川を望む

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白川郷では50分の見学時間が与えられました。集落内を一通り散策した後、せっかくなので、家屋内部が一般公開されている中でも、集落内で最大と言われる長瀬家を見学しました。入場料は大人300円。外からはわかりづらいですが、総床面積は約600坪にものぼり、5階建構造らしい。1階は主な生活の場、2階は使用人の寝床等、3〜5階は養蚕等の作業場であったようです。私たちは1階から4階を見学しましたが、現在3、4階には多数の農耕具等が納められており、さながら博物館の民具展示室のようでした。

気になったのは天井高がまともに人が立てないほど低く作られた使用人の部屋(本当に寝るだけの部屋!)。雇い主に頭が上がらないようにとの考えから、こうした造りになっているようですが、人の主従関係の冷酷さがあからさまで、あまり良い気持ちはしませんでした。もちろん、このような主従関係は今や過去の話。おそらく現時点では、日本ほど雇い主と使用人の身分差が小さい国はないのでしょうか?しかし世界の大多数の国では、今もなお旧態依然とした身分差が存在しているのです。

1階の囲炉裏端         3階部分
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クリックすると元のサイズで表示します 茅葺きの裏。"ねそ"と呼ばれる灌木で支える
クリックすると元のサイズで表示します 3階の窓から外の景色を望む

合掌造りとは】

茅葺きの屋根が掌(てのひら)を合わせたような急勾配の山形をした建築を言います。白川郷では屋根の両端が本を開いて立てたような形の『切り妻合掌造り』と呼ばれる様式で、当地の重く多い積雪に耐え風土に適した構造です。建築材の接合には木製のくさびや、ねそ(マンサク)などが用いられ、金属の釘やかすがいは使われていません。ねそで締めた屋根の骨格は風雪に強く、年月とともに強度を増すという、風土に生きた先人の知恵が込められています。

長瀬家の合掌造りは白川郷最大級の5階建て合掌造り家屋。長瀬家五代目当主民之助が建造し、明治23年完成した。約11mの一本柱(合掌柱)が、屋根の勾配の上から下までを貫き、大きな屋根を作る。柱材には樹齢150年以上の天然檜を用い、そのほか樹齢300年を超える桂、栃、欅等が随所に使われている。3年がかりの大工事で、総工費は当時の金額で800円、そのほか米800俵、酒十一石八斗を費やしたと伝えられる。

平成13年、村人や全国からのボランティア500人以上により、長瀬家80年ぶりの屋根の葺き替えが行われた。平均的家屋の約2倍、片面12,000束の萱を使った大規模な屋根葺きの様子はNHKで放映され、大きな話題を呼んだ。(以上、長瀬家リーフレットより)


この後、同じく世界遺産の五箇山へ移動。白川郷よりはかなり規模が小さな集落で、合掌造り家屋は10棟足らず。しかし、それが幸いしてか観光客も疎らで、静かな佇まいを残しています。バスガイドさんの話によれば、近年はプロのカメラマンも、好んでこちらの方を、合掌造りの里として被写体に選んでいるのだとか。しかしながら集落への近道にエレベーター1基と地下道まで作られたと言うことは、ここも世界遺産登録で確実に観光地化が進んでいると言うことでしょう。

クリックすると元のサイズで表示します 長閑な佇まい
クリックすると元のサイズで表示します 幸運なことに屋根葺き作業中の家屋に遭遇!

2008/8/15

上高地・飛騨高山と白川郷3日間の旅(3)  上高地・飛騨高山(2008年夏)

【2日目】

飛騨高山は朝市が有名ですが、それを考慮してか、ホテル出発は10時と遅め。しかし夫が部屋でゆっくりしたいと言うので、結局朝市を見ることは叶わず。次回の楽しみと致しましょう。

ホテルを出発後は隣町の飛騨市古川町へ。ここは高山市飛騨高山祭と並び称される飛騨古川祭で有名なところらしい。絢爛豪華な屋台は両者共通です。バスガイドさんの解説によれば、こうした屋台の制作費は一台3億円にも及ぶとか。飛騨地方は懐が豊かなんですね。まずは飛騨古川祭(4月19、20日に開催)の資料館であるまつり会館を見学。3Dシアターの映像で初めて目にする祭と、その初日深夜に行われると言う勇壮な「起こし太鼓」は迫力がありました。

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こうした屋台は手工芸技術の粋を集めた芸術作品とも言えますね。

そして飛騨の屋台と言えば、からくり人形〜写真は面被り人形
通常は背後で人間が糸で操りますが、これはコンピュータ制御

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その後猛暑の中、地元のボランティア・ガイドさんの案内で、町内を40分程散策。江戸幕府成立の頃、高山城主であった金森氏によってその基礎が築かれ、数年前にはNHK朝の連続ドラマの舞台にもなったと言う、風情ある町並みを巡りました。しかしあまりの暑さに汗が止まらず、ガイドさんの話にも今ひとつ集中できませんでした。木陰で、どうにか一息つけるという感じです。

「起こし太鼓」〜五穀豊穣を願い、櫓上のこの太鼓をめがけて
裸男の集団がぶつかりあう、勇壮な深夜の奇祭で有名らしい。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します見事な赤松
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瀬戸川沿いに続く白壁と柳が美しい。  瀬戸川を泳ぐ鯉は皆丸々と太っている。

昼食は町内のホテルで在郷料理定食をいただきました。山菜ソバはもちろん、何分もかけて揚げたと言うごぼうの天ぷらや、珍しいところでは写真左端のよもぎ豆腐がおいしかったです。

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この後、さらに暑さが増す中、合掌造りの集落で有名な山間の里白川郷へ向かいました。

2008/8/15

上高地・飛騨高山と白川郷3日間の旅(2)  上高地・飛騨高山(2008年夏)

上高地バスターミナルを15時20分過ぎにシャトルバスで出発。バスターミナルは、帰りのシャトルバスを待つ人でごった返していましたが、炎天下行列を作ってバスを待つ彼ら一般客を尻目に、私たち団体ツアー客は(添乗員が既に予約していたのか)行列に並ぶこともなく、すんなりシャトルバスへ。団体ツアーの便利さをまざまざと感じた瞬間でした。

再び沢渡で北陸バスに乗り換え、私たち一行はホテルへ。旅の初日は飛騨高山駅近くにあるひだホテルプラザに宿泊です。ひだホテルプラザは高層ビル3棟から成る大型ホテルで、低層建築が建ち並ぶ古い町並みが売りの飛騨高山にはおよそ似つかわしくない都市型ホテルでした。そのキャパシティからやはり団体客利用が多いようです。

この日はホテル内でも、ホテル到着後2時間ほど散策した市中心街でも、多くの外国人観光客を目にしましたが、どうやらスペイン人の団体ツアーが当地に来ていたらしい。耳にした言葉でイタリア人かスペイン人かとあたりをつけて、エレベーター内で偶然乗り合わせた外国人に思い切ってイタリア語で「すみません。あなたはイタリアの方ですか?」と話しかけたら、「スペイン人です」との返答でした。すかさず勉強中のスペイン語で「アスタ・マニャーニャ」と返した私です(笑)。

飛騨高山と言ったら、高山らーめん

夕食付きのツアーなのですが、ご当地ラーメンには目がない私たち。「な〜に、夕食時間までまだ間があるし、食べた後に街を散策すれば腹も減るさ」と、ホテルのスタッフにお薦めの店を尋ねて、ホテルにほど近いやよい橋のたもとにある老舗やよいそばに行って来ました。

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やよいそば店舗外観と店の看板、中華そば

店はおかみさんとその息子さんで切り盛りしている様子。縮れ極細面は私好みのコシでした。スープは鰹?ダシのきいたしょうゆ味。濃い見た目とは違って味はあっさりとしたもの。具は口の中でとろけるチャーシューにシナチクと長ネギ。これで650円は少し高いかなと思いましたが、総合的に見て味はまあまあ(麺とチャーシューが◎)、合格点といったところ。

クリックすると元のサイズで表示します 弥生橋から宮川を望む
クリックすると元のサイズで表示します 風情ある古い町並み
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朱色が鮮やかな中橋、背景の緑との対照も見事 本町通りで見かけたレトロな看板
クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します 国分寺境内
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川柳が美しい楷書で書き込まれたあんどんが、国分寺通り沿いに沢山掲げられていました。なかなかエスプリの効いた川柳をひとつひとつ読みながら、ノンビリ通りを歩きました。”夫婦関係の妙”を詠んだ川柳がとても多かったのが印象的。自分たちにも絶妙に当てはまるのを見つけては、思わず苦笑いでした。夫は(うろ覚えですが…)「宝くじ 買い続けるも 早定年」にとても感じ入ったようでした。夢は叶わないから夢なのか…

さて、ホテルに戻って晩ご飯。旅行前に和食・洋食(フレンチ)、中華から予めチョイス。我が家は和食を選びました。団体ツアーですが、今回は一斉に大広間で食べるのではなく、決められた時間内に所定の場所に行けば良いので気が楽でした。写真のメニューで終わりかと思ったら、後でまた幾つか出て来て胃がパンクしそうでした。ご当地メニューの飛騨牛のせいろ蒸しと白和えがおいしかった!

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お風呂は人工温泉で地下と高層階に大浴場があるのですが、展望露天風呂で夜空を見たかったので高層階の風呂を選びました。雲ひとつない空でしたが、あいにく星空は見えませんでした。残念。客室も比較的手狭でしたが、寝るだけなのでそれで十分でした(新館の皆美館は広くてきれいなようです)。

◆参考リンク:飛騨高山市内 観光地図

2008/8/15

上高地・飛騨高山と白川郷3日間の旅(1)  上高地・飛騨高山(2008年夏)

3日間の日程で、上高地(長野)を起点に飛騨高山(岐阜)、飛騨古川(岐阜)、白川郷(岐阜)、五箇山(富山)、東尋坊(福井)、永平寺(福井)、兼六園(石川)を巡るツアーに参加しました。1日目の上高地は天候にも恵まれ、高原の涼しさの中、自然を存分に満喫できて最高でしたが、他所の観光は、正直言って猛暑との消耗戦とも言うべきもので、結構疲れました。とは言え、初めて訪ねる場所も多く、十分見応えがありました。

【1日目】
旅行社企画の周遊型ツアーは、限られた期間内で効率的に各地を巡るのに便利な一方で、すべてスケジュールで動くがゆえに、ツアー中は常に時間に追われるのが難点であります。集合時間も早朝が多く、我が家も初日は5時起きで、6時過ぎには自宅を出ました。

今回は夏休みらしく、ツアー参加者が老若男女勢揃いで38名。添乗員の話によれば、通常このテのツアーの参加者数は20名以下とのことなので、今回はその倍、ということになります。ベテランと思しき男性添乗員さんも、少し緊張した表情で旅の始まりを告げました。さて、ツアー一行は8時過ぎに新宿駅を出発して、特急「あずさ」で一路松本へ。

松本駅へは11時頃到着。そこで北陸交通のバスが私たちを出迎えてくれました。中堅?と思しきバスガイド嬢はさん。茶髪に目力を強調した今風のメイクが印象的。これから3日間、お世話になります。

上高地で癒されて…

お盆休みも近く、日曜と言うことでかなりの混雑が心配されましたが、バスは比較的スムースに走行。ピーク期に当たる為、一旦沢渡で北陸バスを降りて、シャトルバスに乗り換え。そこでも心配された渋滞に遭うことはなく、13時頃、上高地の入り口、大正池付近に到着。清涼な空気が私たちを出迎えてくれました。

私たちが歩くのは、大正池を起点に、まず田代池に寄り、その後梓川に架かる田代橋を渡って対岸にあるウエステン・レリーフ(日本山岳会を設立した英国人登山家の顕彰碑)を見た後、ケヤキでできた全長30mの吊り橋、河童橋を渡ってバスターミナルへと至る、よく整備された自然研究路を歩く散策コースです。今回で2度目ですが、前回はまだ所々雪の残るGWの頃で、雪解け途中のぬかるみに悪戦苦闘したのが記憶に新しい。 

クリックすると元のサイズで表示します 《上高地地図》 

クリックすると元のサイズで表示します 大正池からの雄大な眺め
クリックすると元のサイズで表示します 散策路ではウグイスの清澄な鳴き声に聞き惚れ…
クリックすると元のサイズで表示します 池の美しさにも見惚れ…
クリックすると元のサイズで表示します 梓川の清い流れに心洗われ…
クリックすると元のサイズで表示します 田代橋からは穂高連峰を望み…
蝶と花にしばし見とれ… クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します いつの間にか河童橋に到着

時間が経つのを忘れた2時間半の散策でした。季節によっては大勢の人が行き交う観光地となってしまった上高地ですが、その圧倒的な自然の美しさと漲る生命感に、何度も足を運びたくなる場所です。次回は秋の上高地を訪ねてみたい…
 
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2008/8/11

白川郷に来ています!  携帯電話から投稿

暑いです!なんたって気温35度です!!でも素晴らしい!!!

昔ながらの集落を、これだけの規模で遺して行くのは、大変な労力がいることでしょう。
コスモスも咲いていました♪クリックすると元のサイズで表示します

2008/8/10

突然で恐縮ですが…  携帯電話から投稿

現在、私は上高地に来ています。クリックすると元のサイズで表示します

2008/8/9

北京オリンピック開会式  日々のよしなしごと

それは中国ならではの拘りで、2008年8月8日中国時間午後8時と言う、中国で縁起の良いとされる数字”8”並びで始まった。

まさに中国の国家の威信をかけた壮大なスペクタクルだった。中国映画界を代表するチャン・イーモウ監督が2年以上の歳月をかけて構想しただけのことはある。中国4千年(欧米の展覧会では5千年と表記されることも)の歴史を、あらゆる分野で世界の先駆けであり続けた歴史を、これでもか、これでもかと見せつけた。相当力が入っているね。

中国映画お得意の人海戦術で(他国では絶対無理なスケール!)、空前絶後のマスゲーム(特に波打つような「漢字」の活版!)を展開(あの中で少しでも動きがズレるとすごく目立つんだね!)。何百人、何千人というパフォーマーが一斉に演舞する姿は壮観だ。会場周縁、床に設えられた巨大スクリーンに映し出される映像と、無数のLED電球を体に巻き付けたパフォーマーから発せられる色彩のコラボレーションも鮮やか。さらに中国アクション映画には欠かせないワイヤーアクションを駆使して、重力を無視したかのように、パフォーマーが会場内を縦横無尽に駆け巡る。まさに中国映画の制作手法と技術の集大成と言う印象。

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京劇や伝統舞踊の演者の容姿や衣装の美しさにも惚れ惚れした。中国13億人選りすぐりの美男美女の競演である。テーマソングの歌唱に、英国の歌姫サラ・ブライトマンが登場したのには驚いたけれど。

通称”鳥の巣”と呼ばれる会場の内外(万里の長城でも?!)で打ち上げられる何万発にも及ぶ花火の音と光のイリュージョンにも圧倒された。

豪華絢爛絵巻もそろそろ食傷ぎみかなと思い始めたところで、いよいよオリンピックの真の主役である選手達の入場。今回の北京オリンピックには、オリンピック史上最多の204カ国・地域から選手・役員合わせて約1万6000人の参加らしい。今回の入場順は、オリンピック発祥の地ギリシャの先頭と開催地中国の最終登場以外は、中国の漢字表記で最初の一文字の画数が少ない順からと言うことで、私たちには予測のつかない順序で各国選手団及び役員が登場した。

国名の中国語読みのアナウンスが興味深い。どうせなら、中国語表記の国名もテロップに流すか、各国先頭のプラカードを大写しにして欲しかった。入場国数の表記もないので、入場がいつまで続くのかさえの見当もつかない。今回のNHKは、明らかに準備不足ではないの?それとも中国当局が事前情報を出し惜しみしたために、こうならざるをえなかったのか?(結局、放送終了予定時間も大幅にオーバー<午前0時半が1時10分過ぎまで>しての終了。さすがのNHKも予測のつかない展開であったのか?)

会場内で、選手の行進を盛り立てる役目らしき白いユニフォーム姿の中国人女性らの隊列が気になった。終始ジャンプしたりダンスしたりと体を動かし続けているが、入場行進が延々と続くので彼女たちも大変だ。中国選りすぐりの美女だと思うが、次第に疲れも見えて来た。思わず「頑張れ」と応援した。

今回選手団は総勢約1万人だそうだ。出場国の中には選手より役員の数が多い国も。そんな中で他国を圧倒する大選手団は米国とロシアと開催国の中国。この三国で1700人余り(中国639人、米国596人、次いでロシアが約500人)。実に出場選手の2割近くを占める。5人に1人は中国選手か米国選手かロシア選手。選手の数でもメダル争いでも、三国は他国を圧倒しそうだ。

さて、開会式も中国卓球女子選手による選手宣誓を終えて、いよいよクライマックス。最終聖火ランナーは中国往年の体操選手らしい。この日までトップシークレットだった聖火台への点火。観衆が固唾を飲む中で聖火ランナーは空中高く舞い上がった。そして会場をぐるりと囲んだ、360度に展開する巨大スクリーンの壁を勢いよく駆け巡り始めた。背景のスクリーンには各国を巡って来た聖火のこれまでの道のりが映し出されている。そしてランナーが1周し終えたところで、いよいよ姿を現した聖火台。それは聖火トーチと全く同じ形状の、細めの逆コーン形をしていた。導火線を伝って聖火は最終ランナーから聖火台へ。そして点火。夜空を背景に勢い良く燃えさかる聖火は、誇らしげな中国そのもののように見えた。こうして16日間に及ぶ熱戦の火ぶたは切って落とされた!!

オリンピックの主役はあくまでも選手なんだろうけれど、開催地中国の自己顕示欲は相当なもの。これをさらなる発展の礎にしようとの意識が強く、強く感じられるセレモニーだった。開会式に先立って、迎賓館で各国首脳(これも史上最多らしい)を迎えてのレセプションが行われたらしいけれど、胡錦涛国家主席に挨拶すべく列を成す各国首脳の姿に、主席は世界の頂点に立った陶酔感を味わったのだろうか?やっぱり、いろいろな意味で中国はすごい。したたかだ。

2008/8/8

形も大きさもさまざまな野菜が語るもの  「食」についての話題

ボランティア仲間のMさんから、時々野菜をいただいている。既に会社を定年退職されたご主人と共に、近所の農家から借り受けた家庭菜園で種や苗から育てておられる無農薬野菜だ。農薬を一切使わないとは、さぞかし手間暇がかかることだろう。雑草をこまめに抜いたり、傷んだ葉や害虫を取り除いたり…その労力を想像しながら、有り難くいただいている。

トマトはそのまま冷やして食したり、キュウリと共に冷やし中華の具にしたり、ざっくり切って薄切りベーコンとコンソメスープの素でサッと煮込んでスープ仕立てで食したり。シシトウガラシはしょうが焼きの最後の残ったタレで絡めてサッと火を通し、付け合わせに。さやいんげんは煮物や、みそ汁の具に。ピーマンは夏野菜カレーの具にと、すべて私たち家族の胃袋に収まった。

家庭菜園の収穫物は選別されることなく、全て人々の手に。だからその形も大きさもさまざまだ。それが、スーパーマーケットや八百屋で販売されている規格揃いの野菜を見慣れている目には、自然のありのままの姿を改めて思い起こさせられ、敬虔な気持ちになる。工業製品と違って、その年の降雨量や日照時間、気温、害虫の発生など、人間のコントロールが及ばない、さまざまな自然の要因に、味も生育の具合も収穫量も大きく左右される。農業ほど、自然の営みの偉大さを思い知らされるものはないのかもしれない。

久しく農業から遠ざかっている大多数の日本人は、案外、この自然の営みの偉大さを忘れてしまっているのではないか。すべては人間によってコントロールできると尊大になってはいないか。個人的には、例えば一部の生殖医療の現状に、人間の不遜さを感じたりする。一方でまた、1人として重複する存在のない人間の個性に、説明のつかない神秘性を感じている。

人智の及ばない領域が、この世界にはまだまだあるのだということを、形も大きさも不揃いの野菜たちに、私は教えられているような気がする。



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