2008/6/30

薄っぺらい友情  日々のよしなしごと

日曜日、息子の発案で友人4人と予備校のラウンジで勉強を教え合おうということになり、雨の中、息子は朝9時半過ぎに家を出て行きました。午後3時半には家族と映画館ロビーで待ち合わせです。

約束の時間に映画館に現れた息子。しかし心なしか元気がない。話を聞いてみると、結局友人は誰ひとり約束の時間に待ち合わせの場所に来なかったそうです。仕方なく彼は一人予備校に行き勉強して来たらしい。

実は先週半ば、息子は予備校の授業を受ける前にファーストフード店で食べた物で食あたりを起こし、翌朝には39度の熱を出し学校を休んでいます。体調が万全ではないので、日曜日にわざわざ予備校まで出向いて勉強などせずに、ゆっくり自宅で休養しなさいと言ったのに、彼は「友達との約束だから」と待ち合わせ場所に向かったのです。

4人の内、2人からは当日の朝に行けない旨の連絡を貰ったようですが、他の2人からは何の連絡も貰わず仕舞い。聞いていて腹が立ちました。息子は連絡のない二人が来るものと思って、おそらく何分か待ち合わせ場所で待ったはずです。本人はそれ以上話したくないそぶりだったので(私以上に本人が傷ついているはず)、納得は行かなかったものの気持ちを切り換えて映画(息子のたっての希望で「奇跡のシンフォニー」)を見ました。思わず「付き合う友達は選べよ」と言ってしまいましたが…

何しろ約束を反故にされたのはこれが初めてではありません。別の友人ではありますが、映画の試写会に行く約束をしたのに当日になってキャンセルされたこともあります。さらにイマドキの子供達は携帯を持っているせいか、「●分遅れる」とメールさえすれば遅れても構わないと思っている様子。人を待たせることが、人の時間を奪うことだと思っていないらしい(その点、私は完全無欠な人間ではありませんが(__;))。

私自身は今まで生きてきた中で、このような経験は殆どない(思い出せないくらい)ので、息子と彼の友人達との”薄っぺらい友人関係”にはガッカリだし理解不能。そもそも約束したなら、雨が降ろうが、風が吹こうが、待ち合わせの時間に、その場所に行くべきでしょうが(どうせ雨が降ったので外出するのを面倒がったに決まっています)。考えれば考えるほど腹が立つ。とは言え、息子にはこれに懲りず(めげず)に、人に対しては常に誠実であって欲しいと思います。いろいろ大変だろうけれど。

【追記】さきほど帰宅した息子の話によれば、4人は互いに「まさか誰も行かないとは思ってもみなかった」とか。なんだかなあ…ホント、めげないでね、息子よ。

2008/6/29

旧古河庭園→六義園→巣鴨とげぬき地蔵(高岩寺)  散歩の記録

お気に入りの1枚〜《自然が描いた点描画》
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6月最後の土曜日、天気予報では終日曇り空で蒸すとのことでしたが、柔らかな日差しでなかなかの散歩日和でした。JR京浜東北線上中里駅を起点に、旧古河庭園、六義園、巣鴨のとげぬき地蔵(高岩寺)を巡り、JR山手線巣鴨駅へと至るルートを約2時間半かけて散歩。公園の木々の緑や花々の色彩が、目にも心にも染みいるような美しさで、癒されました。因みに総歩数は、door to doorで16,417歩でした。

以前訪ねた時は冬で、バラ園はヒッソリとした佇まいでしたが、今回は花の盛りは過ぎたとは言え、たくさんの品種のバラが咲き競い、辺り一面に甘い香りを漂わせていました。

クリックすると元のサイズで表示します 旧古河庭園入口
クリックすると元のサイズで表示します 英国人建築家ジョサイア・コンドル設計の洋館
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クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します バラ園
クリックすると元のサイズで表示します 世紀の歌姫の名を冠したバラ、マリア・カラス

美しい木立、樹下に漂うヒンヤリとした空気 クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します 名庭師、小川治兵衛の手になる京風庭園
写真上)絶妙なバランスで積まれた、崩れそうで崩れない”崩石積”
これに美意識を感じる日本人って、やっぱり凄いと思う…

旧古河庭園案内サイト


六義園(りくぎえん)は、五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が元禄15(1702)に築園した「回遊式築山泉水」の大名庭園。中央に広大な池を配し、その周囲を巡りながら、四季折々の景色を楽しむことができる庭園です。明治には三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎の別邸となりましたが、昭和13年に岩崎家から東京都に寄付され、昭和28年には国の特別名勝に指定されています。春は桜、つつじ、秋は紅葉が美しいようですね。今の季節は新緑が眩しく、庭園の雰囲気も雄々しく感じられます(写真を撮りそびれましたが、紫陽花もまだまだきれいでした)。

クリックすると元のサイズで表示します 六義園正門入口
クリックすると元のサイズで表示します 七夕飾りの短冊に願いを込めて
広大な庭。木々と芝生とつつじと クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します 存在感のある松
滝見の茶屋から千鳥橋を望む クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します 澄んだ小川に無数の水澄ましの姿も

六義園案内サイト


クリックすると元のサイズで表示します あら、こんなところにアンパンマン像?!
六義園正門向かい側には、発行元のフレーベル館があるのですね。なんと意外な所に。

六義園正門を出て右手を塀伝いに歩くと、本駒込のお屋敷街へと出ます。意匠を凝らした建築が続きます。庶民の私から見たら豪邸ですね。敷地面積では田園調布には及ばないけれど、それでも十分な広さ。後で地図を見ると、そこの区画割だけが整然としていて、元は柳沢公の家臣の屋敷街だったのかなと想像される。

クリックすると元のサイズで表示します いよいよ、おばあちゃんの原宿、巣鴨(地蔵通商店街入口)へ
とげぬき地蔵がある高岩寺、現在本堂を改修中らしい クリックすると元のサイズで表示します

せっかくなのでとげぬき地蔵をお参りしました。おばあちゃん達に混じって列に並びました。待っている間にお参りの仕方を観察。そこで水をかけた後御身を拭くタオルがないことに気づき内心慌てましたが、そこはちゃっかりしたもので、ちゃんとタオルの売り子(男性)がいます。1枚100円也。かなり利幅の良さそうな商売ですね。地蔵の背景には占いの店の看板も見える等、ここに集まるおばあちゃん達をターゲットにした商売が花盛りであることを覗わせます。

おばあちゃんの原宿は宵の訪れが早いのですね。4時頃には露店も店じまいです。

結構な歩数を稼ぎましたが思ったより疲労感はなく、それだけ充実した、楽しい散歩だったと言えるでしょうか?秋に再訪してみたいですね(写真はすべて携帯のカメラによる撮影です)。

2008/6/28

舞台挨拶  日々のよしなしごと

今日は是枝監督の最新作「歩いても 歩いても」の初日で、有楽町シネカノンをはじめ各地で監督、出演者らによる舞台挨拶が行われるようです。映画自体、神奈川県では川崎チネチッタと港北ニュータウンのワーナーマイカルのみの上映で、チネチッタで午後に舞台挨拶が予定されているのですが、既にその回はチケットが完売。チケットが買えなかった夏川結衣ファンの夫は不満げです。しかしチケットピアで先行抽選販売で、2000円プラス手数料かあ〜舞台挨拶という付加価値がついているとは言え、毎回夫婦50割引で映画を見ている私たちからしたら、かなり高いぞよ!(ファンだったら、それくらいの出費は惜しむなってこと?…かもね(笑)まあビンボーでケチなファンも中にはいるわけで(笑・笑))。

2008/6/27

身辺雑記  日々のよしなしごと

■昨日は所用あって上野に赴いたのですが、昼食を食べにバンブーガーデンビルの土古里(トコリ)へ向かう途中、「井上雄彦 最後のマンガ展」開催中の上野の森美術館前に、12時半の時点でかなり長い行列ができているのを目撃しました。私が行った先週の金曜日(2時頃)は列も短く、ものの10分位で入場できたのに、昨日のあの長蛇の列では1時間以上待ちだったのではないかと推察します。評判が評判を呼んで、多くの人々を集めたのでしょうか?閉会も迫っていますからね。しかし押すな押すなの混雑では、細部を観察したり、じっくり見返すことも叶いますまい。あの列の中の果たして何人が、作品の世界観を満足の行くほど堪能できたのでしょうか?

「井上雄彦 最後のマンガ展」の感想


■先日、我が家を訪ねて来た小学校教師の友人曰く、秋葉原無差別殺傷事件を起こしたKは、やはり一番には親子関係に問題があったのではないかとのこと。Kのように周囲の人間と真の意味で信頼関係を結べない人間は、幼い頃から良好な人間関係の結び方を学んで来ておらず、その原因のひとつとして親が学力偏重主義で体裁ばかりを気にして、ひとりの人間としての在るべき姿を十分に子供に教育しなかったからではと分析しています。

友人が小3クラスを受け持って観察するに、親子関係のうまくいっていない家庭の子供は概して学校でトラブルを起こしがちで、親は親で子供の真実の姿を直視しようとしない傾向が強いらしい。ある厳しい家庭の子は性格の裏表が激しく、大人の前では良い子ぶる一方で、同じ年頃の子供達の前では態度も表情も一変して恐いくらいだそうです。友人が彼の問題点を率直に親に進言しても、親は「ウチの子は本当は良い子なんです。何かの間違いです(つまり相手が悪い)」と言って譲らない。我が子の非を認めようとしない。そこそこ成績は良いものだから、友人とのトラブルがあっても意に介さない様子だと言います。

既に周りの親も子供達も、その子の実像を見抜いていて、その子とは距離を置いているようです。”知らぬは親ばかりなり”で、子供は孤立を深めているのです。友人は親の考え方が変わらない限り、その子は将来Kのようになりはしないかと心配しています。親は我が子を信じることも大切だろうけれど、周囲の忠告に耳を貸すくらいの余裕(謙虚さ?)を持たないと、結局我が子を追い詰めることになるのでは?親自身が何らかの(心の?)問題を抱えている可能性も多分にあるけれども…一教師が、一生徒の家庭内の問題に対して、どこまで踏み込めるかは難しいところであります。しかも教師が責任を負うのはその子ひとりではなく、クラス全員の子供達に対してなのです。そのジレンマで友人は体調を崩しかけたらしい。私の口からは溜息ばかりが出ました。

2008/6/24

(16)ぐるりのこと  映画(2007-08年公開)

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人は人によって傷つけられ、人によって救われる

私たち夫婦とほぼ同時期に結婚生活をスタートさせた一組の夫婦の、10年間に渡る絆の物語。それは必ずしも順風満帆なものではない。新たな家庭を築く過程での心を通じ合えないもどかしさや(それはそうだ。元々異なった環境で生まれ育った他人同士なのだから)、埋めようのない喪失感に心を病む苦しさや、その苦しみや哀しみを分かち合う優しさ、そして固い絆によって立ち直る人間の心のしなやかさが、丁寧に、繊細に描かれている。ひとつひとつのエピソードが、二人の台詞が、その表情が心に染み入るようだった。思わず自分たちの10年と重ねて見入ってしまった。見終わった後、自分自身の”平凡な日常”に愛おしささえ感じた。

被告の罵詈雑言に思わず絵筆が止まるカナオ… クリックすると元のサイズで表示します

映画は、法廷画家を生業とする夫の目を通して、その10年の間に起きた様々な凶悪事件の公判の様子も伝える。すべてフィクションの体裁を取りながら、実際に起きた事件を容易に連想させる描写になっていて、改めてそれぞれの事件の不条理に愕然とさせられた。

並行して描かれる、ある夫婦の10年と凶悪事件が次々と起こる世相の10年。原作・脚本・編集・監督を一手に担った橋口亮輔監督の意図するところは、世の中でどんなことが起ころうとも、どんなに荒んだ状況にあろうとも、個人のささやかな営みはそれらに影響されることなく連綿と続くものであって欲しい、と言う願いなのだろうか?

人は弱くて強い…一見矛盾するようで、実は人の在りようを言い得ているような気がする。その弾力性に富む心は、たとえ人に傷つけられ一度は閉ざしたとしても、再び人を受け入れ、再生する。その力を信じたい。そうした希望を託したこの作品は、世の荒みに恐怖する人々を癒し、励ます存在になると思う。6年間のブランクを経て(この間、監督の身にはさまざまなことが起きたようですが、それが血肉となった結果の本作ですね。人間転んでもタダでは起き上がりません(笑)。監督自身にとっても本作の制作は「再生の物語」だったのでしょう) 、橋口監督はとても素敵な贈り物を世の人々に届けたものだと思う。感謝。

クリックすると元のサイズで表示します 再び絵筆を取る翔子

【ぐるり】自分の身のまわり、自分をとりまくさまざまな環境

【俳優陣のこと】
これが映画初主演と言う木村多江とリリー・フランキー。二人の演技とは思えない自然体が、普通っぽさが、作品を我がことに引き寄せて見られる効果を生み出しているように思う。この二人を主演に起用した時点で、この映画は8割方(って数値には根拠はないです)成功したと言って良いのかもしれない。木村多江の清楚な、”和”な美しさ(特に二の腕が美しい)は得難いものだよなあ…最近の報道によれば、2月に第一子を出産した彼女は、切迫流産の為に8カ月もの間入院したのだとか。プライベートでは大変な思いをされていたのだね。どうぞ、お大事に。またリリー・フランキーの近年の活躍には眼を見張るものがある。「ココリコ・ミラクル」では下ネタ、エロ・ジョーク連発で、どう見てもヘンなオヤジだったが、その実、撮影中監督を最も励まし、支えた人物と橋口監督が告白したこともあって、私の中でリリー株は上昇中(笑)。脇を固める倍賞美津子や寺島進、榎本明、寺田農らベテラン勢もいぶし銀の演技で、映画の質を高めてくれたように思う。

【自分に引き寄せて考えると…】
生真面目さ、几帳面さは、周りの人間に圧迫感を与えるだけでなく、時として自らを必要以上に縛り、行き過ぎると自らの首を絞め、自らを追いこんでしまう。「もっとゆる〜く生きようよ」「もっと大らかに生きようよ」と、リリー・フランキーの存在自体(それはあくまでもコチラが勝手に抱いているイメージなんだけれども)が、演技を超えて語りかけて来るような気がした。ねぇ、聞いてる?Yちゃん。

何があっても壊れない絆… クリックすると元のサイズで表示します

「ぐるりのこと」公式サイト

2008/6/23

想像を巡らす〜どんな人が…  日々のよしなしごと

昨日は雨の中、息子が通う予備校の保護者会へ。友人(ママ友)といつものようにルミネ前で待ち合わせ、まずは腹ごしらえ。場所は横浜シァル6Fにある和食処「菜な」。

クリックすると元のサイズで表示します 鶏肉の石焼きに青菜のお浸し、卯の花和え、赤出し、漬け物

ランチは8種類くらいあったでしょうか?どれもおいしそうでした。「おばんざい」と銘打っていることから京由来の店か?横浜駅隣接ビルにあるとは思えないほど静かで、落ち着く空間です。店員の接客態度も丁寧で好感が持てる。午前11時からの開店も嬉しい。

保護者会は満員盛況と言ったところ。今年度の入試結果を踏まえた次年度の入試傾向分析なのですが、説明者は立て板に水の如く1時間半あまりしゃべりまくり。お疲れさまでした。メモを取る私も疲れました。

帰りはそごうに寄るという友人と別れ、私はひとり電車へ。あいにくの雨でウォーキングは断念(それでも歩数は7,000歩弱!)。帰りにコンビニへ寄ると、レジカウンターに岩手・宮城大地震の被災地への募金箱が置かれていました。既にこうした運動は定着した感があります。誰もが参加しやすく、信頼できる(横浜の街頭で募金箱を持った若い人を見かけたのですが、見るからに怪しげでした)と言う点で素晴らしいことだと思います。

それにしても昨日は思わず目を疑ってしまいました。通常こうした募金箱にはおつりの端数の1円玉や10円玉、100円玉などが目につくのに、なんと真新しい1万円札が入っていたのです。いったいどんな人が募金したのだろう?庶民の街にはおよそ似つかわしくない1万円札でした。被災地ゆかりの人なのでしょうか?何にしても、思いが詰まった1万円札に見えました。

2008/6/20

おふくろ太郎と「井上雄彦 最後のマンガ展」  文化・芸術(展覧会&講演会)

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最近、オーナー店舗の閉店に伴う、大阪道頓堀名物、”食い倒れ太郎”の動向がいろいろ取り沙汰されていますが、散歩(ウォーキング)の帰り道に、気になる”人物”がいたので写真に納めました。なんでも本人曰く「食い倒れ太郎のマブダチ」なんだそうです。一体神奈川の外れで、いつ食い倒れ太郎と友達になったんだよ?って感じですが、”食い倒れ太郎”と同じく、食べ物屋さんの店先に鎮座しています。”食い倒れ太郎”より”オッサン度”高めですね!日本全国にいるのかな?”太郎”の友達。

今日は授業が午前中で終わる息子と一緒に上野の森美術館で開催中の「井上雄彦 最後のマンガ展」を見て来ました。美術館外壁に大迫力の武蔵の壁画が展示されています。多くの人が写真を撮っていました。私達もミーハー気分でパチリ♪

クリックすると元のサイズで表示します 壁画with息子

展覧会は見応えがありました。マンガと言う2次元世界を、美術館という3次元の展示空間でいかに表現するかに工夫が凝らされた展示構成でした。井上氏は空間デザイナーとタッグを組んでの仕事だったようですが、それが功を奏して、スケールの大きな作品の世界観を実現できたように思います。私達鑑賞者は、あたかも作品世界に入り込んだかのような錯覚さえ覚える。

冒頭から、筆の走った、燃え立つような武蔵像が鑑賞者を出迎えます。ここでいきなり「バガボンド」ファンは心臓を鷲掴みされるでしょう。その後はその眼で、武蔵の晩年の物語を辿ることになります。その間(かん)、井上氏の優れた描画力に感嘆し、大きく空間をとった日本画独特の画面構成を井上作品の中に見いだしては感銘を受け、支持体としての和紙の質感と作品との見事な調和に感じ入り、今回画材として多用された墨の静謐さと力強さに圧倒されるのです(少なくとも私はそうでした)。

単に過去の作品を展示するのではなく、全編書き下ろしと言うのも、井上氏にとっては大きな挑戦だったに違いない(展示作品を収録した図録がまだ刊行されておらず予約販売というのが、いかにも”出来たてホヤホヤ”と言う感じです・笑)。通常の美術館の展覧会とはひと味違った、脳の、通常とは違う部分が刺激されるような、興味深い展覧会と言えるでしょうか?日本が誇るべき文化のひとつである「マンガ」の、ひとつの到達点を見たように思います。展覧会タイトルの「”最後の”マンガ展」と言うのが意味不明なのですが…”もうマンガ家としてやり尽くしたので筆を置く”と言うことなのか、それとも”究極の”と言うニュアンスなのか?

因みに過去に開催されたマンガ関連の展覧会で、「鳥山明展」は、開催した川崎市民ミュージアムの観客動員数歴代1位を記録しています。今回の「井上雄彦 最後のマンガ展」は果たしてどのような記録を打ち立てるのでしょうか?


ネット情報では午後遅くには当日券が売り切れの可能性もあるとのことだったので、私は1時頃までに当日券を入手。3時以降には入場口にかなり長い行列ができていました。じっくり見るなら平日の午前中、遅くとも2時頃までには入館した方が良いのかもしれません。土日はとんでもなく混んでいるのでしょうね。それにしても高校生以上1500円なんて入場料は高過ぎる。学生主体の観客構成とは言え、大学生以上はともかく、高校生に1500円は気の毒。イマドキ映画館だって3人集まれば1000円で入れる時代です。何を根拠に、このような入館料設定にしたのでしょう?これだけが玉に瑕?!

「井上雄彦 最後のマンガ展」公式HP FLOWER 

2008/6/19

改めて気付いた自分の気質  はなこのMEMO

私は目の前のことに全力投球するタイプの人間のようだ。端から見たら張り切って見えるらしい。

先日のクラス懇談会でのこと。担任の先生がB5用紙を配り、それに自分の話を聞きながら3つの項目について書き込んで下さいと言われた。無記名で、とのこと。確か、受験に臨む子供達に親として伝えたいこと、受験に関しての疑問・不安、残り少ない高校生活を子供達にどう過ごして欲しいか、だったと思う。その用紙を何に使うかはその時点では知らされなかった。私は昔から講演会のメモ取りをしているので、人の話を聞きながら、考えをまとめるのはお手のものだ(講演会では講師の話を聞き取りつつ、その内容から瞬時に要点だけを取り出し、自分の頭の中で再構成する作業の繰り返しだ。ブログへの日々の書き込みで、文章を書くことが億劫でないことも理由かな)。私は10分程の間にすべての項目にびっしりと文章をしたためた。

その後先生は記入用紙を回収し、3つのグループに分れるよう指示された。そして回収した用紙を適宜シャッフルして、それぞれのグループに手渡し、それを読みながら懇談するよう提案された。他の父兄の書かれたものを読んで驚いたのは、1,2行しか書いていない人が殆どなこと、しかも漢字の書けない人が多いことだ。もちろん私のように文章をつらつら書けば良いというわけではなく、箇条書きに簡潔にまとめられたものもあった。おそらく利用目的が明確であれば、私もそれに合わせて書き方を変えただろうし、他の方ももう少し真剣に書いたと思う。ただ、このことで、自分がいかに過剰なまでに目の前の課題にエネルギーを注ぐのかが分ったのは確かだ。

先日のワークショップでグループに付いた先生にも、他の父兄が遠慮がちに意見を述べる中、ひとり活発に意見し、作業を進める私に「Aさん、張り切っていますね」と言われた。自分ではそんなつもりは毛頭なく、ただ時間内に何をすべきか考えたら、勝手に口も手も動いただけだ。私からしたら、おとなしい他のメンバーを見ていてもどかしい。能ある鷹が爪を隠しているように思えて。私の場合、ボランティア活動でディスカッションの場が多く、人前で意見を述べる(戦わせる?笑)能力が鍛えられていることもあるのだろう。

ワークショップでは伸び伸びやらせてもらった一方で、クラス懇談会ではグループの司会の方が黒一点の父親に気を使って、その人にばかり話を振るので、正直物足りなさを感じた。私としては、帰宅時間が遅く子供との接触が少ないという父親の話を聞くより、他のお母さん方の話をもっと聞きたかった。限られた時間内で、できるだけ多くの人から、有意義な話を引き出すのは難しいことなのかもしれないけれど。

こんな私がボランティア活動を辞めたら、エネルギーのもって行き場がなくて大変かなあ…有能だったら次のステージに向けて着々と準備を進めているはずだろうけれど、いかんせん中途半端なのである(__;)。

クリックすると元のサイズで表示します 私のオアシス・スポット♪

2008/6/18

散歩しながら…考えること  日々のよしなしごと

クリックすると元のサイズで表示します 食事&ウォーキング記録ノート

入院手術の一件以来、心を入れ替えて健康管理に気をつけています。今まで健康について何も考えなかったわけではないのですが、知識を詰め込むだけで、実践に欠けていました。現在は1日の摂取カロリー1,300Kcal、1週間の歩数70,000歩を目標に、日々努力しています。

摂取カロリーはなかなか目標を達成できず、200Kcalをオーバー気味ですが、それでも過剰だった炭水化物の摂取量を確実に減らしているし、栄養のバランスもかなり意識するようになりました。少し食べ過ぎたかなと思ったら、ウォーキングの歩数を増やしています。

歩数は1日一万歩と定めてしまうと挫けそうになるので、本に書かれていた内容を参考に、少し幅を持たせて1週間で70,000歩としたら、気も楽になったせいか、先週達成できました!食事&ウォーキング(と言うより散歩に近い(^_^;))ノートを付けて28日目で2KGの減量です。それでもまだ立派なデブですが…(^_^;)。

駅から自宅まで徒歩で往復1時間20分ほど。ちょうど12,000歩ぐらいになりますか。先週は3往復しました。1日の内、1時間20分をウォーキングに費やすのは結構大変というか、読書時間を減らすしかないのですが、一汗かく爽快感は格別。知人にも最近顔の色つやが良いと褒められました。新陳代謝が活発に成った効果でしょうか?

ウォーキングしながらの観察は楽しいですね。先日はポカポカ陽気の下、道端で寝そべっている猫がとても愛嬌たっぷりだった。雨の日、ある住宅の出窓の真ん中にちょこんと座り、外を眺めている猫も絵になるような愛らしさだった。逆に犬はたいていリードで繋がれて飼い主と一緒なので、お行儀が良すぎてあまり面白みがないですね。自由な猫の生態の方が観察のしがい?があります。

住宅街の歩道もないような道を歩いていると、路肩は水捌けを良くするために斜めになっているところが多く、歩きづらいですね。道路の真ん中を歩きたーい。でも自動車の往来が多くて、それは無理。歩道が整備されている所は、自転車の往来が激しくて危ない(暴走自転車は多いし、最近は携帯を使いながらの走行も多い。危険運転では自動車に負けていない)。人間が安心して歩ける場所って、意外に少ないんですね。

これから本格的な夏がやって来ると、ウォーキングは難しいのでしょうか?うーん、せっかく気持ちも乗って来たのに。今日は朝から美術館でトークの仕事が入っていたので荷物が多く、往復バス利用になってしまいました。それでも駅の階段の昇降や美術館で歩数を稼いで、帰宅後確認したら8,000歩にはなっていました(結局、自宅で”その場ジョギング”をして最終的には11,207歩になりました)。

2008/6/16

日本は昔も今も格差社会(2)〜しかし世界を見渡せば…  はなこ的考察―良いこと探し

私は日経夕刊1面の「あすへの話題」というコラムが好きで、そこに書かれたことに触発されていろいろ考えたり、調べたりすることが多い。最近は特に、金曜日担当の五百旗頭真(いおきべ まこと)防衛大学校長のコラムが私の脳みそを刺激する。名前にわざわざふりがなを付けているように「五百旗頭」という姓は難読で、実は私もつい先日まで読めなかった。以前から気にはなっていたが読めずにいたところ、土曜日のワークショップで、机にインク痕がつかないように下敷きに使われた古新聞に偶然五百旗頭氏の顔写真と氏名が掲載されていた(読めないが、そのお名前は新聞等で何度もお見かけしたような気がする)。いやぁ〜気に掛けていると、情報が向こうの方から飛び込んで来るもんですね(笑)。私が古新聞を見てすかさずメモを取るところを、傍らの先生が不思議そうに眺めておられたが、つまりは、こういうことなんです(笑)。

前回の表題記事では日本の現状を嘆げきつつ、現状を打破する為に「こうしたらどうか」という自分なりの提案もしたつもりである。その中には、もしかしたら私の不勉強で既に実施されている案件もあるのかもしれない。それはさておき、どうして冒頭で五百旗頭(”ごひゃく はたがしら”と打ち込んでいる。もしかして名前の由来はご先祖の地位?)氏の名を出したかと言えば、13日付コラムに、氏が「珍プレー特集」と言うタイトルで、日本社会があたかも凶悪犯罪が多発する暗黒社会であるかのように喧伝するばかりのマスコミ報道の現状を憂いておられたからだ。つまり氏は、誰もが認める米大リーグの最高水準の中でたまに起きる”珍プレー”に、日本社会で起きる凶悪犯罪をなぞらえ、ネガティブキャンペーンばかりを張るマスコミに対し、「そんなに日本社会はどうしようもない水準の社会なのか?」と反論されたわけだ。

言われてみれば、なるほどそうだ。近視眼的に日本国内ばかりを見ていると、マスコミの事件報道攻勢もあって、日々の暮らしでさえ不安になる。しかし、世界に眼を転じてみれば、我が身の明日をも知れぬ紛争地域もあれば、途方もない格差になす術もなく、過酷な状況を運命として受け入れるしかない国もある。自由な発言が許されない国もある。世界のどこかには、干ばつで深刻な水不足に陥り、不衛生な状態で下痢に苦しむ子供たちがいて、中には命を落とす子供さえいる。学校の給食でかろうじて命を繋いでいる子供たちがいる。さらには学校で学ぶことすら叶わない子供たちがいて、紛争地域では兵士として駆り出される子供たちもいる。

私は会社員時代に官主導の国際協力事業に関わったことがある。私が帯同した夫の海外赴任も実はそれ絡みだった。それゆえ、開発途上国の現状を、一般の人々よりは多く見聞していると思う。例えば、開発途上国において、通常治安の問題もあって駐在員は現地の高級住宅街に住むことが多い。私たち家族が住んだ地域もそんな地域だった。

アパートの大家は自国で機械工業を営むだけでなく、米国のカリフォルニアとテキサスでも手広く事業を営む実業家だった。空き地を挟んだ隣家はビール会社経営者の邸宅で、3階の我が家からは、2階建ての広大な屋敷に、巨大なパラボラアンテナ、プール、バスケットコート、そしてスリランカから出稼ぎに来ている数人の使用人が住む為の離れの家が見えた。しかし、そこから100mと離れていない道路の脇には、ブロックを雑に積み上げただけのみすぼらしい家に、羊飼いの家族が住んでいた。

毎朝、その父親と幼い息子たちが、我が家とビール会社経営者の邸宅の間にある空き地へ、雇い主所有の羊十数頭を引き連れてやって来る。空き地に自生する雑草を餌として与えるためだ。すぐ近くに公立の小学校があるのだが、その息子たちは学校には通っていないようだった。一方で、アパートの大家の娘や息子は海外の大学に留学している。さらに大家家族は季節によって、自国、米国、スイスの別荘を頻繁に行き来していた。

こうした具体例を出すまでもなく、海外を見渡せば、日本とは比べものにならないほどの格差が存在する。そこでは貧民は容赦なく人間以下の扱いを受けていたりする。絶え間ない紛争で多くの国民が命を落とし、他国との政府間交渉も行えないような無政府状態が20年近くも続くソマリアのような国もある。そして紛争下で過酷な生活を強いられている国民が多数いる一方で、財力を武器に海外へと脱出する一握りの富裕層が存在する。

翻って日本では「餓死」はニュースになる。学校での「いじめ」や「不登校」が社会問題になる。自宅への「ひきこもり」が問題視される。経済成長が止まっただけで大騒ぎになる。失業率一桁台でも、前年より上昇すれば問題視される。子供を産む、産まないが女性の権利として語られる。食糧自給率40%で、60%を海外からの輸入に頼っていながら、飽食の国である。こんなに平和で、自由で、贅沢な国はそうそうないだろう。

「自分はいかに生きるべきか」と悩めるのは、もの凄く恵まれた状況にあるからできることなのだ。人間の欠点のひとつは、自らが置かれた環境に慣れてしまうと、それを基準にして物事を考えがちになってしまうことだと思う。短所は幾らでも挙げられるだろうが、それでも私たちが住む日本という国は世界でも希有な、文化水準も生活水準も高い国なのだ。そんな国に住む国民が「絶望」してはいけないのである。悪いところがあれば、まだまだ正せる力を持った国であることを信じよう。

2008/6/14

修養会と「インディ・ジョーンズ」と  日々のよしなしごと

今日は10:00から17:00まで息子の学校PTA主催の修養会へ参加の為葉山へ。その後地元の映画館で家族と合流し、「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」の先行ロードショーを見て来ました。

「修養会」では、礼拝と講演会と講演会の内容を踏まえたワークショップが行われました。礼拝では心厳かになり、講演会では日常生活の中にあるものから目聡く研究対象を見つけた講師の着眼点と論理構築力に感心し、ワークショップでは通常実施する側の自分が、参加する側に立つという貴重な経験ができました。このところ疎遠だったママ友のNさんとも久しぶりに語り合う機会が持て、とても充実した時間を過ごせました。感謝!

さすがに朝から出ずっぱりだったせいか、疲れで集中が途切れがちでしたが、19年ぶりの「インディ・ジョーンズ」は、お約束のジェット・コースター的展開、シリーズを通じての遊び心満載で、熱烈ファンとしては楽しめました。しかし、我らがインディも寄る年波には勝てず、かつての精悍さはなくなっていました。もっと早くスクリーンに戻って来て欲しかったなあ…

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電車で移動中だったせいか、今朝、東北地方で発生した地震には全然気づきませんでした。と言うより、修養会中は世の中と隔絶された状態だったので、夕方、夫に言われるまで地震のことを知りませんでした。横浜もかなり揺れたようですね。

2008/6/13

日本は昔も今も格差社会〜現代格差社会の問題点  はなこ的考察―良いこと探し

近年、マスコミでも盛んに「格差社会」が喧伝されている。格差社会がもたらす弊害が、各メディアでも何度となく取り沙汰されている。私も三浦展著のベストセラー『格差社会』は読んだ。

しかし、格差社会は今に始まったことではない。日本は遙か昔から天皇を頂点とする階級社会であり、身分差、経済格差は確実に存在していた。それが戦後、国土が焦土と化したどん底の状態から立ち上がろうと、国を挙げて経済成長に邁進した結果、国民経済全体の底上げが実現し、一時的に格差社会の”格差が縮まった”(かに見えた?)為に、それほど問題視されなかっただけのことだと思う。


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2008/6/13

昨日は芸大美術館の『バウハウス・デッサウ展』へ  文化・芸術(展覧会&講演会)

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昨日はボランティア仲間のMさんと共に、午前中に上野の芸大美術館で開催中の『バウハウス・デッサウ展』を見て、午後はボランティア先の美術館で次回ワークショップのトライアルと例会に参加して来ました。

バウハウスとは言うまでもなく、20世紀初頭に美術・工芸・建築の分野に大きな足跡を残したドイツの美術学校のことです。後世のクリエイターに大きな影響を与えたこの学校が、実は14年間という短い活動期間であったことを今回初めて知りました。そして、その終止符を打ったのがアドルフ・ヒトラー率いるナチスだったことも。


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2008/6/9

自分を信じて!簡単に人生を諦めないで!  はなこ的考察―良いこと探し

<font>”絶望感”という魔物に心が浸食されそうな人に、伝えられるならば伝えたい。

自分の人生が今ダメダメなのは、誰のせいでもない。世の中のせいでもない。何より自分のせいです。どんな社会であろうと、どんな環境に置かれようと、結局は自分の心の持ち方の問題です。どうか、そのことに気付いて欲しい。


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2008/6/9

蔓延する絶望感〜秋葉原で通り魔事件  はなこのMEMO

午後3時頃、ふとテレビを点けたら思いもよらない緊迫した映像が眼に飛び込んできた。

午後0時半頃、大勢の人で賑わう秋葉原の歩行者天国で、トラックが次々と人を撥ねた後、トラックを運転していた男がトラックから降りるやサバイバルナイフで次々と歩行者を襲ったと言う。その結果17人が病院に搬送され、午後10時の時点で7人が死亡、10人が重軽傷の、過去10年では最悪の通り魔事件となっている。


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