2007/12/5

ささやかなレジスタンス  日々のよしなしごと

 最近夫と示し合わせて、エスカレーターでは歩くことを止めて二人横に並んで立っている。歩いて上ろうとした後方の人は怒っているかもしれない。だから後方を振り返らないようにしている(エレベーターは複数機あるので利用者に選択の余地はある)。しかし私達は本来のエスカレーターの利用方法を実践しているに過ぎない。いつの間にか浸透した現在の利用法に敢えて反旗を翻すのにはそれなりの理由がある。理由は三つある。

 ひとつは全体の効率性の問題だ。最近エスカレーターを利用する時、大勢の人が利用するにも関わらず、右側を開けるために左側に馬鹿馬鹿しい位長い待ち行列ができている。ある日、長い待ち行列の最後尾でふと思った。「これって却って効率が悪いんじゃないか?」と。本来のエスカレーターの機能である「できるだけ大量の人を効率良く運ぶ」という意味では、あの長い左側の待ち行列を見る限り、右側をまるまる開けることは非効率的な利用方法と言えるのではないだろうか?

 二つめの理由は、現在の左右使い分けは利用者の多様性に適っていないシステムであるということだ。利用者は一様ではない。年齢層も幅広く、皆が健常とは限らない。寧ろ身体的にハンデキャップを持った人に、こうした機械(乗り物)は優しくあるべきだろうし、存在意義も見出せるものだと思う。左半身の不自由な人に左の手すりを掴むのは難しかろう。年配者は若い人ほど身体の自由はきかない。長年の習慣で右手で手すりを掴むのが安心な人もいるようだ。幼い孫を連れていたら尚更である。さらに幼い子供連れの親子は手を繋いで左右に並んで立つ方が、特に乗降時にはより安全なはずだ。

 3つ目の理由は、機械の品質保持の観点からである。元々エスカレーターは、現在のような左右使い分けを前提とした設計にはなっておらず、人間が立つプレートの右側(大阪では左側)部分も、人間が足早に駆け上がる際の負荷を考慮した作りにはなっていないはずである。にも関わらず常に右側部分だけ余計な衝撃を不規則に受け止めているわけだ。これは十分に故障の原因になるだろう。さらに製作者の想定外の使用方法によって、耐用年数も短くなる可能性だってある。また、仮に緊急停止などの誤作動が起きたとしたら、歩行者はバランスを崩すなどして転落し、大ケガに繋がる危険性も高い。

 現在のような左右の使い分けは、「個人の効率性」を追求した結果だろうか?「1分でも早く駅のホームに辿り着きたい」というように。しかし、これは考えてみたら個人のワガママである。1分でも早く目的地に辿り着きたいのなら、エスカレーターのような機械でチマチマ時間短縮するんではなく、もっと早く家を出るべきである。もっと早く出発するべきである。エスカレーターで立ったままでいるのが我慢できないなら、併設の階段を一気に駆け上がれば良かろう。もし、施設運営者がサービスの一環としてそうした個人の要求に応える意志&余裕があるならば、歩行者専用の幅の狭いエスカレーターを新規開発し、別途設置するという方法もあるだろう。さらに次善の策として、「左右使い分け」は「通勤時間帯のみ」に限定する、というやり方もできるはずだ。そうすれば、ふたつの問題点に関して多少なりとも改善されるように思う。

 「これは慣例だから」「みんながしているから」と何も考えずに従うのはナンセンスだと思う。そこに合理性が認められないのなら、従わなくても良いのではないか?夕方のニュースではキャスターやコメンテーターが「もう定着しているのに今更」なんてことを言っていたが、現状のままで本当に良いと彼らは思っているのだろうか?問題があれば正す方向で検討するのが当然だろう。 

2007/12/5

ひとり言  はなこのMEMO

★藤原紀香のパーフェクト・ボディを支えているのは「エステ」なのか?それとも今話題の「加圧式トレーニング」なのか?何れにしても、美の維持には多大なコストがかかるのは間違いなさそう。女優にもいろいろなセールス・ポイントがあるとは思うが、彼女には本業の演技力にも”磨き”をかけてもらいたいものだ。残念ながら今のところ「彼女(の演技)見たさに出演ドラマを見たい」という気にはなれない。その点、菅野美穂には大いに食指を動かされるのに…表現者として優れているか否かは、「どれだけ人々の記憶に残る『代表作』を世に送り出せたか」に係っていると思う。『ただひとつ』を出すだけでも大変なことだろうね。

☆映画を撮らない映画監督なんて…いつも「●●監督」と呼ばれているこの人の代表作って何なんだろう?見たことないし、名前さえ知らない。今も映画に何らかの形で関わっているのならともかく…「看板に偽りあり?」

★ファミリー向け自動車のCMで酒井法子と共演している佐々木蔵之介。チャーミングな奥さん、可愛い子供達に囲まれて、とても幸せそうな表情を浮かべている。あれは演技じゃないんだろう。きっと!彼のその表情を見たさに、そのCMを見ている。

☆外国人を受け入れた時点で、力士に神事を起源とする国技を担う者としての品格を問うのが難しくなったのは当然ではないか。(国技?それとも組織?)存続の為に、客を呼べる強い力士を求めた結果が、外国人力士の受け入れなんだろうから。現に朝青龍に辛口だった関係者が彼の帰国後は手のひらを返したように甘口に。彼が参加した九州巡業のチケットは飛ぶように売れている。どうやら「建前と本音」という日本文化は確実に継承されているらしい。

★紅白歌合戦ってまだ続けるつもりなの?新たな顔ぶれに「歌」の看板を下ろして欲しくなったのは果たして私だけだろうか?1年の流行り歌の総決算の場であったはずが、いつの間にか聴いたこともない歌のオンパレードに。もっとも結婚してからは、「嫁」の仕事で忙しくてじっくり番組を見たことはないけど。「変質」しても「続けること」に意味があるのか?

☆巷で目にする辛口コメントを支えているのは発言者の、自らを厳しく律する心の強さか?或いは厚顔無恥なオメデタサなのか?人を非難するのは簡単なようで難しい。何より自分を省みることになるから。人を責める前に、そう言う自分はどれほどの人間なのかと。非難の言葉はそのまま自分に返って来る。それに正面から向き合える自分でありたい。私のオメデタ度は…ヒミツ(^_^;)。

2007/12/5

健全なる精神は健全なる身体に宿る…じゃなかったの?  気になったニュース

 学生ラグビーでは強豪と言われる関東学院大で、2人の控え選手に端を発した大麻草栽培・吸引事件が、昨日の時点でレギュラー選手を含めた計14人の大麻吸引が確認される事態にまでなっている。それを受けて、一代で大学チームを強豪に育て上げた名将春口廣監督が辞任した。春口氏は2日から狭心症で入院中。これだけの不祥事ならショックで狭心症にもなるだろう。

 以前、春口氏の講演会を拝聴したことがある。氏はとても小柄な男性でハイトーンボイスの持ち主。そのソフトな語り口は、ガッシリとした体格の男性が”知的肉弾戦”を繰り広げる印象の強いラグビーにはおよそ似つかわしくない雰囲気を醸し出していた(もちろんグラウンドでは違った一面を見せるのだろうけど)。ご自身、その小柄な体でラグビー選手として活躍したこともある、ラグビーをこよなく愛する一人だ。その氏が、このような形でラグビー界から去るのは本当に残念なことだと思う。

 報道によれば、関東学院大ラグビー部は常時150人の部員を抱える大所帯でありながら、ここ10年は春口氏の後継者と目されたコーチ陣が次々とチームを去ったらしい。有能なスタッフを失ったことが選手管理の不備に繋がり、今回のような事態を招いた原因のひとつではないか、という指摘がある。チームの詳しい内実は部外者には知る由もないが、あの春口氏の下をコーチが次々と去った理由が気になるところではある。

 そもそも青少年育成の一環として、特に体育会系の部活動を奨励するのは、ひとつには「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という有名な言葉(古代ローマの詩人ユウェナリスの『風刺詩集』が出典)にもあるように、スポーツを通じて健康的な身体作りをすることによって、精神的成長を促すことを期待してのものだろう。しかし、チームが強くなればなるほど「常勝」が至上命題化され、特に私立校ともなれば学校のPR活動の中に組み込まれるなどして、指導者への成果要求圧力が強まる。このことによって結果的に部活動の本来の主旨がないがしろにされる傾向も強まるようだ。所謂スポーツ名門校と言われる学校は社会的注目度も高く、より一層の自制が求められるから、指導者も目配りが大変だろう。

 何かと指導者の不徳ばかりが取り沙汰されがちだが、最も悪いのは事件を引き起こした選手達である。ハッキリ言って情けない。言葉は悪いが、「頭が悪い」と思う。「自分の軽率な行為がもたらす結果に想像が及ばない」という点で。報道で「遠征先の英国で大麻の種子を入手」とあったが、たとえ気軽に種子が入手できる状況下にあっても、自分の行動がもたらす結果を考えて自制するのが当然だろう。若者ならではの好奇心があったとしても、大麻の吸引が法律で認められていない日本の国民である以上、自分の心にブレーキをかけるべきである。そんな忍耐強さも持ち得ない彼らの精神構造に、「スポーツで(おそらく何年にも渡って)心身を鍛えたことは無意味だったのか」と哀しくなってしまう(息子の同級生を見ていると、部活を頑張っている子は心もシッカリ育っている子が多いんだけどね。学業も優秀な文武両道の子も多い)

 だいたいバレナイとでも思ったのか?悪いことをしたら、やっぱりバレルもんだよ。現に彼らの寮のご近所の人々は、毎晩のようなどんちゃん騒ぎを不審に思っていたのだから。大抵の悪事は白日の下に晒される。寧ろバレタことは彼らのこれからの長い人生を考えれば幸運だったのではないか。つまずいたとしても、若ければ若いほど挽回する機会は多く与えられるのだから。これからの改心次第では、いつか「若気の至りだった」と周囲や社会から許される時が来るかもしれない。

 もちろん「バレナケレバ何をしても良い」なんてことはあり得ない。「悪事を働いてもバレナイこと」はけっして幸運とは言えない。なぜなら一旦悪事に手を染めた者はバレナイ限り、外部からの抑止力が働かない限り、延々と悪事を続けるハメになるのだから。そして精神がどうしようもなく蝕まれて行く。たぶん、それは「生き地獄」。人生の最後に待っているのは「後悔の念」だろうか。

 自分が置かれた環境の中でいかに自分が振る舞うべきか、善悪の基準に照らして判断できる人間に育てること。これはスポーツの世界に限らず、子供達を取り巻く身近な大人、社会全体の責務なのだと思う。”さまざまなアプローチで”精神的に強い人間を育てることは、時代を超えて求められている教育目標のひとつと言えるだろうか?ここでもまた大人の生き様が問われているのだろうね。大人がグラグラしていたら、子供に「心を強く持て」なんて教示できやしない。



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