2007/10/30

我が家全員がお気に入りの『肉豆腐』  「食」についての話題

生協商品を使ったレシピです。今回はパル豚バラ鍋物用スライス徳用
近所のスーパーの精肉商品は色が変だし、匂いもきつく、味も今ひとつ。
つまりは「新鮮でない」ということでしょうか?消費期限の書き換えが心配。
実際系列店では消費期限の誤魔化しが報道されたばかり。
肉は断然生協のものがおいしいですね。夫曰く
「生協の肉が特別おいしいのではなくて、これが肉本来の味なんだよ。」
確かにそうなのかも。
最近は「食の信頼」を揺るがすような出来事が次々と明らかになり、
供給者の責任感と人間性を疑うような話が多くて悲しくなりますね。
「自分自身や自分の家族が安心して口にできるものなのか」
という気構えで食品は扱って欲しいものです。


元々ネットで見つけたレシピですが、我が家なりのアレンジを加えました。
最近、料理の達人グッチ裕三
「男性は僕のレシピに忠実に作ってくれるんだけど、
女性は勝手に変えちゃうんだよね。それで『マズイ』って文句言うんだから」
とぼやいていました。具体例として挙げていた、彼が「塩は要らない」と言ったのに、
塩を加えて「しょっぱかった」と文句を言う話は確かにお門違いかもしれない。
しかし、あり合わせの食材で代用してしまうのは家計を預かる主婦としては当然のことです。
(彼を含め)男性のように、レシピに忠実なあまり、
普段使わないような高価な調味料をわざわざ買ったりなどしません。
聞けばグッチ氏は自宅に食材用の冷凍庫・冷蔵庫を何台も持ち、
電気代だけで月に25万円だと言うではありませんか?
そんなの一般家計の実態に即していないので、真似できません。
彼の料理は大胆な発想が楽しい料理が多くて好きなのですが、
やっぱり「男の料理」ですね。
主婦としては取り入れられるところだけ取り入れるのは当然です。
彼に聞かれたら、思いっきり怒られそうだけど(笑)。
それではレシピです。

【材料】(4人前)材料はすべて生協で調達

もめん豆腐(300グラム)              …1丁
パル豚バラ鍋物用スライス徳用(310グラム) …1パック
茹でずに使える緑豆春雨(15グラム)      …2〜3袋
長ネギ                         …1本
(お好みで)生椎茸                  …2〜3枚                    
<煮汁>
だし汁  …600CC
酒    …大さじ3
砂糖   …大さじ3
みりん  …大さじ3(生協純米本みりん)
しょうゆ …大さじ4〜5

【作り方】
@豆腐は12〜14等分に切る。ネギは1p厚さの斜め切りにする。椎茸は細切り。
A鍋にだし汁600ccを火にかけ、煮汁の材料を入れて煮立て、
 豚肉と緑豆春雨と椎茸を入れる。
B材料に火が通ったら、肉と春雨を端に寄せ、豆腐を加えて弱火で10分煮る。
 適当なところで(豆腐を入れてから5分後位?)ネギを全体に散らすようにのせる。
 8割方フタをして蒸らすような感じ。
C火を止めて5分ほど煮含める。

【ポイント】
豆腐の切り方(大きさ)はお好みで。市販の豆腐を使う時はボリュームが違うので、
分量を適宜加減して。煮る時間も様子を見て調整して下さい。
元のレシピからアレンジしたのは、牛肉の代わりに豚バラ肉を使用すること、
しらたきの代わりに春雨を使用すること、長ネギ増量(20p→1本)。椎茸を追加。
ダシ汁の量(400cc→600cc)、ダシ汁増量に伴う調味料の増量
(しかし、砂糖としょうゆは増量せず。砂糖は大さじ2でも?
しょうゆは味が足りなかったら最後に適宜加えても)
長ネギはその甘みが何とも言えずおいしいので、緑の部分も含め1本使い切ります。
春雨が汁を吸いやすいので、それが嫌な方はしらたきで。

特に味にうるさい(←誰に似たのか?・笑)息子が絶賛してくれた味。
煮物が一際おいしく感じられる季節になりましたねえ…
今晩のおかずに迷った時には、どうぞお試しあれ♪

2007/10/30

気になるニコール・キッドマン  映画(2007-08年公開)

 ニコール・キッドマンはどんな基準で出演作品で決めているのだろう?彼女がブレイクする前から数多くの出演作品を見て来たが、初期はともかく、アカデミー賞受賞後の出演作でさえ良質揃いとは言えないのが気になる。出演作が引きも切らない割には、見終わった後に何とも言えない違和感が残る作品が少なくない。そのせいか、彼女の熱演も空回りしている印象が否めない。アカデミー賞レースでも、このところ彼女の名前はご無沙汰ではないだろうか?レニー・ゼルウィガーキャサリエン・ゼタ=ジョーンズが比較的評価の高い作品で手堅い演技を見せ、彼女たち自身の評価を高めているのとは対照的である。

 改めて考えるに、一見作品選びはシリアスドラマ系だが、仕上がった作品を見ると、どの作品もニコールを見せることに重きを置いた演出になりがちなのかな、とも思った。その結果、全体のバランスが崩れて作品自体の出来に影響してしまう。これはニコール・サイドの戦略に従った結果なのか、或いは監督が彼女の美しさに幻惑されて彼女を描くことに夢中になってしまったからなのか?彼女自身キャラが立ち過ぎて、役になりきるのではなく、誰を演じてもニコール、と言う事態にもなっている。ニコール見たさに映画を見る人はそれで満足かもしれないけど…

 著名な大学教授を父に持つ育ちの良さも、彼女の女優としてのキャリアの邪魔をしているのかもしれない。演じる役柄もアッパークラスの知的女性に偏りがちのような気がする。

 今のような路線で行けば、彼女はシャーリーズ・セロンのような評価は得られないだろう。敢えて美しい容姿を醜くする勇気はないように見える。最新作の『インベージョン』では不眠不休で闘う母であったにも関わらず、その眼の下にはクマさえなかった。『めぐりあう時間たち』の不格好な付け鼻が、彼女としては精一杯の変容だったのだろうか?

 かといって、このままではメリル・ストリープのような押しも押されぬ大女優になれるとも思えない。メリル並みのレベルを目指すならば、役の幅を広げる努力が不可欠だろう。汚れ役も甘んじて受ける気概が必要か?その意味では『ドッグヴィル』の謎の女性役はイイ線行っていたとは思うけど。

 現時点で既に彼女が、輝くばかりの美貌と存在感を持つ大スターであることは間違いない。しかし年齢的に微妙な時期に差し掛かっており、今後は出演作選びに苦慮するように思える。ジョディ・フォスターが近年、作品に今ひとつ恵まれないように。

 その辺りのことは女優ロザンヌ・アークエットが手掛けたドキュメンタリー映画『デヴラ・ウィンガーを捜して』に詳しい。数多くの有名ベテラン女優にインタビューを重ね、彼女達を取り巻く映画界の厳しい状況をつまびらかにしている。ジョディは『パニック・ルーム』『フライトプラン』も往年?の輝きを知っているファンとしては納得の行かない出来だった。才能豊かな彼女は女優業に留まらず、監督、プロデューサーとその活躍の場を広げてはいるけど。

 彼女のキャリアについてあれこれ意見するのは大きなお世話とは知りつつも、今後が気になる一ファンの独り言であります。

2007/10/29

もう、うんざりだ。最近のマスコミ報道!  日々のよしなしごと

 取材対象へのマスコミの一極集中砲火は今に始まったことではないけど(マスコミがおかしくなり始めたのは”地下鉄サリン事件”がきっかけなのかな?それに先立つ米国のO・J・シンプソン事件報道から学習したんだろうけど。悪い意味で日本は米国の後追いをし過ぎ(>_<)ヽ )、最近は特に酷いと思う。幾ら取材対象に何らかの非があるとは言え、全マスコミがそこに群がり、バッシングの嵐である。まさに”集団ヒステリー状態”である。普通の人間なら耐えられないぞ。

 しかも、比較的短いサイクルでその”獲物”は変わる。マスコミこぞって「次の獲物は誰か」と手ぐすね引いて待ち構えていて、その毒牙にかかったら最期、根こそぎ食い尽されるような状態ではないだろうか?大抵有名人がその対象だが、有名税にしては高くつき過ぎている。壊滅的ダメージを与えるまで容赦しない。不思議なことに、それはもっぱら個人に対しての徹底攻撃であって、巨悪に対してではない。

 マスコミがやるべきことは、個人を血祭りに上げることではないはずなのに。個人はマスコミが大袈裟に騒がずとも、駄目なら自然淘汰されるものではないか?実力がなければ、それぞれのフィールドから姿を消すまでだ。それよりも国民の利益(日本国民として憲法で謳われた権利の保護)に関わる事柄について(マスコミ人だって国民の一人なんだから)、一般国民個々の力では知り得ない情報を地道な取材活動で公けにし、組織に不正があればそれを糾弾し、国民世論を形成して圧力をかけ、正しい方向へ軌道修正させる役割を担って欲しいと思っているんだけど。私って間違ってる?

 現状を見る限り、特に大手マスコミは巨悪に対する圧力装置としては全く機能していないと思う。末端はともかく、トップは裏で巨悪と手を結んでいるのかしら?

【ブログ内関連記事】
◆昨年からマスコミの無責任さには腹が立っていました⇒
 本当にこれでいいのかな?亀田興毅選手(2006.8.1付記事)

2007/10/28

(41)インベージョン(THE INVASION)  映画(2007-08年公開)

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ニコール・キッドマンは美し過ぎる…

 宇宙からの謎の侵略者に人類はじわじわと侵されて行く。「感情」を奪われた人間は、その時点で人間でなくなるのか?「感情」があるが故の人間社会の悲喜こもごも。それでも「私」は「感情」を捨てたくない。息子を「愛すること」を止めたくない。―その為に闘う母の物語。

 過去に何度も映画化されたSF小説「盗まれた街」(1955年)が原作。新たにPCや携帯等の現代的ツールを小道具に加えての再映画化。果たして現代の「盗まれた街」はどのように描かれたのか?

 もしかしたらニコール・キッドマンは、ほぼ完璧に近い容姿が災いしているのだろうか?本作でも他の俳優らとの絡みのシーンやその他大勢の俳優・エキストラに混じってのシーンでは、彼女の人間離れした容姿が際だっていた。透き通るような白磁質の肌、輝くような金髪(敢えてその輝きを強調する為に、周囲にはダークカラーの髪の人を多く配置していたようにも見えたけど)。整い過ぎたその顔立ちはまるで人形かSF映画に登場するサイボーグかロボットのよう(もしかして、左右対称?)。そして9等身はあろうかというスレンダーボディ(出るべきところは出ています!)。しかも、どんなに過酷な状況にあっても、その美貌はけっして崩れることがない。か…完璧すぎるっ!クール・ビューティ、ここに極まれり!!―そのせいか、体温が感じられないのである。

 今回は幼い息子を持つ母親役だったので、「母の愛は強し。母は無敵。」という点が強調された演出だったが、実生活でも2人の養子を育てているにも関わらず、母親としてのリアリティが殆ど感じられない。生活感が無さ過ぎるのが致命的(彼女が子供の泥汚れの服を洗っていたり、料理をしている姿なんて、想像できないでしょう?)。それもこれも、彼女が美し過ぎるからだ!!!

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 我が身を外敵から守る為に、感情を表に出さないという設定で無表情に振る舞うニコール。それが益々彼女から、人間としての体温を奪っていた!正当防衛とは言え、その過激なアクション?は血も涙もなかったぞ。本作の登場人物の中で最も異質で、宇宙人的で、恐怖を誘ったのは、実はニコール・キッドマンその人、その大きく見開かれただったのかもしれない。

 ところで、結局、ダニエル・クレイグは何だったんだろう?”2大スター競演”と言うには、あまりにもダニエル的に不完全燃焼な役回りだったのではないか?寧ろジェフリー・ライトがおいしいところを掠っている印象。

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 監督は、本作がハリウッドデビューとなる、ドイツのオリバー・ヒルシュビーゲール。ドイツ時代の作品では『ヒトラー 最期の12日間』が記憶に新しいところ。

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以下はネタバレにつき… 
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2007/10/19

(40)クローズド・ノート  映画(2007-08年公開)

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せっかくの熱演を自ら台無しにすることないのになあ…
騒動の展開を見るにつけ、自虐的ともとれる沢尻エリカの言動に
何だか痛々しささえ感じる。



 主演の沢尻エリカの舞台挨拶での不遜な態度が物議を醸し、映画評論家からの評価も芳しくない本作ですが、私は見て良かったと思っています。

 物語の展開に多少甘さがあろうとも、また、この物語に2時間超は冗長感が否めなくとも(笑)、ロケーションの魅力(京都他の情緒溢れる風景と登場する建物のレトロな味わいなど)、映像の美しさ、各キャストのキッチリとした仕事ぶり、単なる恋愛ドラマに留まらない、ひとりの人間の成長物語としての清々しさなど、十分見応えがありました。

 絵画・彫刻作品がそうであるように、作品と鑑賞者の関係は個別のもので、そのふたつの間に他者の客観的評価が割り込む隙はなく、創作物としての欠点も気にならない程その作品に感銘を受けたのであれば、その作品は鑑賞者にとって「評価に値する作品」であり、「心に残る作品」でもあるのかな。本作はそんなことを感じさせた1本でした。

《キャストについて》
 竹内結子の希有な清潔感は、彼女以外に「伊吹先生」役は考えられないことを印象づける。伊勢谷友介は彼の全ての出演作でその存在感を見せつけ、次回作への期待を膨らませる。永作博美は地味な役柄ながら、要所要所で印象的な言葉を放つ。彼女の絶妙な「間」があっての、際だつセリフの生命感。味のある女優になったなあ…。沢尻エリカは厚化粧を落とした方がずっと美しいと思う。顔も心も余分なものをそぎ落として、そのド根性で「女優道」に邁進して欲しい。

真摯で清楚な輝きを放つ竹内結子 クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します 得難い個性の伊勢谷友介、要注目

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2007/10/17

陶芸体験教室 その3  文化・芸術(展覧会&講演会)

クリックすると元のサイズで表示します 皆さん素晴らしい出来映えです!

 9月14日(金)から3回(4回の予定が台風で1回中止に)に渡って行われたPTA主催の陶芸体験教室の作品が完成しました。想像したのとは違っていましたが、割れなかっただけでも良かったと思っています。しかし、テーブルに並べられた他の方々の作品に比べると見劣りするような…(T.T)。

「大ぶりのモノより、これ位の大きさが一番使いやすいですよ。出番も多いはず。」
「ガーゼを使っての(文様の)刻印はあまり深すぎると、そこに汚れが詰まり易くなるから浅めに。」
「絵付けの部分を際だつようにするには淡色系の釉薬を使った方が良いですよ。」
 と言う先生のアドバイスに従って作ったのですが、完成したものを見てみると、無難で面白みに欠けるかなあ…と言ったところ。まるで私そのものだわ(^_^;)。名は体を表わす、文は人なり…作品は作者を表わすなり…ですか。でも、楽しかったなあ♪懲りずにまた来年も挑戦するなり(^_^)。

クリックすると元のサイズで表示します この解像度では、せっかくの文様が見えません…(T.T)

【ブログ内関連記事】
陶芸体験教室 その1
陶芸体験教室 その2

2007/10/14

パネルクイズ「アタック25」予選会に行って来ました♪  日々のよしなしごと

クリックすると元のサイズで表示します 予選会参加賞の番組名入ボールペン&シャープペンシル

成長につれて段々と知識も蓄積されて来たせいか、最近息子は興味深げにクイズ番組を見ています。私も一緒に見ては、テレビの前で、テレビの中の出場者と張り合っています(笑)。

その様子を見た息子は、
「そんなにクイズが得意なら、出場者募集しているから応募すればいいじゃん」
と私をけしかけましたが、なんとなく面倒くさくて放置していたら…息子が内緒で応募したらしく、私宛に、先週予選会への案内のハガキが届きました。「多数の応募者の中から抽選で」とあったけど、実際どうなんだろう?

「おーい、そんなの聞いてないぞ。一体どう対処したらいいっちゅうねん?」
勉強しなきゃと思いつつ、他にやることはあるし…ということで、結局昨夜になって初めて2時間ばかり集中して、ネット上でクイズマニアの方が作られた過去問?を交えた予想問題集を解いてみました。
「ガ〜ン。できてもせいぜい5割?!難しいぞ〜。」

自信喪失のまま予選会に臨みました。最初に細々と履歴書のようなエントリーシートに記入。その後、地理、歴史、文学、美術、音楽、科学、時事問題といった多岐に渡る分野の設問30問(意外にも、求める解は違っても、ネットで紹介されていたものとパターンがほぼ同じ問題が数問出ていたでしょうか?私の場合、既出の予想問題集で山を張り、直近の情報を仕入れるなどして対応しました。勉強はしてみるもんだ(^_^)v)を8分で解くペーパーテスト。20分ほど待たされて、その場で結果発表。で、私。

見事、突破しました〜!テストが終わった後、やたら元気な隣の男性と、思い出す限り答え合わせして、結構合ってはいたのですが、番号を呼ばれるまでは心配でした(実際のところ、思い出す限り7つは間違っていたかも(^_^;)。その内3つは全然見当がつかず、残り4つは分かっていたはずなのに焦ってケアレスミスしてしまった感じ)。合格者の番号はアトランダムに呼ばれました。もしかして成績順?私は結構後ろの方だったかな?だとしたら、すべりこみセーフといったところ?この段階で、約100人から25人に絞られた模様(と言っても、今日だけで予選会は少なくとも10,12,14,16時の4回は行われたと思われるので、80人以上は面接を受けたのかな?)。残ったメンバーは多士済々。銀行マン、SE、研究員、クリエイティブ・ディレクター、落語家、ラーメン店主等々(因みに隣の元気な男性も揃って突破し、面接で彼が国会議員秘書であることが判明したのでした)。

その後8人ずつの集団面接。質問は「あなたの仕事について」。関西のテレビ局なせいか、関西人に対しては結構ローカルネタで盛り上がりました。出身高校はどこか?だとか…タイガースのこととか…そして「笑わせてナンボ」と言うような雰囲気。当意即妙な”返し”ができないと、プロデューサーと思しき男性に好印象は与えられないのでしょうね。

クソ真面目な私はココで撃沈じゃ〜、たぶん

最終結果は合格であれば、2週間以内に通知するとのこと。期待しないで待つと致しましょう。たとえ合格したとしても、あくまでも出場候補者名簿に載っただけなのです。しかも有効期間は1年限り(似たような経験、以前にもあったな。国家公務員試験で(T.T))。しかし初めての経験、面白かったですよん♪ ”(試験のような)適度な緊張状態に置く”と言う意味で、普段刺激に乏しい私のボケボケの脳にとって、格好の脳トレにもなったように思います。

2007/10/12

『ベルト・モリゾ』展に行って来ました  文化・芸術(展覧会&講演会)

クリックすると元のサイズで表示します 展覧会チラシ、作品は《コテージの室内(ジャージー島の室内)》

 新宿・損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の『ベルト・モリゾ』展(原題:Berthe
Morisot A Retrospective;直訳すると「ベルト・モリゾ回顧展」ですね)
を見て来ました。この展覧会は本邦初の本格的なベルト・モリゾの回顧展であり、個人蔵の作品を中心に約60点を展示と言いますから、この機会を逃すともうなかなか見られない作品が多数あることでしょう。その意味で、印象派を代表する女流画家でありながら、これまで巨匠らの陰に隠れて顧みられることの少なかった彼女の画業を展観する貴重な機会と言えます。

エドゥアール・マネ作《ベルト・モリゾ像》 クリックすると元のサイズで表示します

 ベルト・モリゾエドゥアール・マネの弟ウジェーヌの妻で、マネが描いた彼女の肖像画は有名ですが、"上流階級の女性"が職業を持つことなど許されなかった時代、ましてや職業画家として活躍することなど夢のまた夢だった近代フランスにおいて、理解ある家族のサポートもあって結婚後も画業を続けることが出来た(同じく絵を学んでいた姉は軍人との結婚を機に筆を折っている)希有な印象派の画家なのです(ベルト・モリゾに先立つ18世紀に活躍した女流画家の一人マリー=ガブリエル・カペは非上流出身者だからこそ許されたのでしょう)

 実際に彼女の作品を見てみると、彼女ほど印象派の画家らしい画家はいないのではないかと思えるほど、一時期、彼女の軽快で伸びやかな筆致は印象派の特徴を明晰に備えていました。展覧会では家族を描いた作品が多く、その明るい色彩の幸福感に溢れた世界がカンヴァスに広がっている。しかも彼女は第一回印象派展から、愛娘出産の翌年を除き、全ての印象派展に都合7回参加しているんですよね。モネ(5回)やルノワール(4回)よりずっと多い。

クリックすると元のサイズで表示します 姉エドマ・モリゾが描いたベルト・モリゾ像、印象深い作品。

 展覧会場に入って最初の部屋には姉エドマが描いた、ベルト・モリゾ像があります。その作品を見る限り、姉も才能豊かな女性だったようです。にも関わらず、彼女は軍人の夫との結婚を機に絵を描くことを断念。それは映画『ミス・ポター』でも描かれていたように、当時英仏を問わず、上流階級の女性を取り巻く環境は前近代的で、キャリアを築くことが困難であった時代を象徴するものでした。この作品を見ると切ない思いがこみ上げて来ます。一方妹のベルト・モリゾは夫亡き後も友人達の支援を受け絵を描き続けることができたらしく、その幸せな画家としての人生が、展覧会会場の作品のひとつひとつに感じられました。

 この美術館では以前から図録の他に、安価(350円)のジュニア版ブックレットを販売しており、今回のブックレットも図版が豊富で、その内容はスクール・ギャラリー・トークの参考になりそうなものでした。「図録はちょっと」とその購入を躊躇う人にも、このブックレットはオススメ。コンパクトで子供向けながら、内容はけっして妥協していません。今回は(?)一般の女性をターゲットにしたと思しきA4サイズ大の数ページからなる冊子(500円)もあったのですが、その中に”ベルト・モリゾが描いた風景画に見るセレブな生活”というような見出しで彼女が描いた風景画が数枚紹介されたページがありました。こういう作品へのアプローチの仕方ってどうなんでしょう?何だかいかにもミーハーな感じで、私はあまり魅力を感じないなあ。もし作り手に”女性はセレブが好き”という思いこみがあるのだとすれば、それは誤りだと言いたい。鑑賞者はもっと純粋に(素直に?ストレートに?)ベルト・モリゾの作品世界を楽しんでいると想像するから。もし図録とブックレットの中間を目指すものなら、もっと内容に深みを持たせた方が、大人の鑑賞に耐え得るものになると思います。現状の内容では、コストパフォーマンスの点から見てもブックレットを選ぶ人が多いのでは?これは同行していた夫も同意見でした。

クリックすると元のサイズで表示します ジュニア版ブックレット表紙 

 会期は11月25日(日)まで。一般観覧料1000円です。

 因みに常設展示はゴッホの《ひまわり》、ゴーギャン《アリスカンの並木道、アルル》、セザンヌ《りんごとナプキン》でした。

2007/10/6

私の”郵政民有化”初体験  日々のよしなしごと

数日前のことですが、送金手続きの為に民営化したばかりの郵便局へ行って来ました。
送金金額は1、200円。夏休みに開催された夫の中学の同窓会写真集の代金です。
送金先が同窓会幹事の郵便局にある個人口座だったのです。

従来の感覚で窓口で手続きしようと送金用紙を捜したのですが見つからないので、
近くにいた案内係と思しき男性に
「送金をしたいので、その手続きの為の用紙が欲しいのですが」と聞くと、
「お幾ら送金なさいますか?今回民営化にあたって送金手数料が変更になったのです。
3万円以下なら525円…」と説明を始めました。
その金額のベラボーな高さに思わず彼の言葉を遮って
「え〜、525円もするんですか?!」と声を上げてしまった私です。するとすかさず、
「あ、でも口座をお持ちでしたら、無料なんですよ」と案内係の男性。
「郵便局の口座間でしたら、送金手数料は無料になるんです。
カードが通帳をお持ちですか?それならATMで」と、ATMまで案内されました。
 
あ〜、郵貯のカードを持っていて良かった。口座にお金が入っていて良かった。
1、200円送金するのに手数料を525円払うなんて、こんな馬鹿馬鹿しい話はありません。
幾ら利用者を取込む為とは言え、銀行より安かった送金手数料を大幅に引き上げるなんて、
利用者サービスが退行していませんか?
仮に郵便局に口座を持っていない人が郵便局の口座への送金をしなければならなくなった場合、
有無を言わさず上記の高額な手数料を支払わなければならないのですよ。
おそらく従来は郵便局の送金手数料の安さから、
郵便局の口座への送金を指定していた人も少なくないはずです。
民営化に至っても競争原理が働かないなんて、おかしな話だと思います。

最近都市銀行では、富裕層の顧客とそうでない顧客に対するサービスの差別化を
鮮明に打ち出している所も少なくありません。
せめて郵便局くらい、庶民の味方であって欲しいなあ…
これからおいおい様々なサービスが改善されると願いたいです。

◆参考サイト:「郵便局の民営化」で何が変わる?(5)手数料

2007/10/5

余命を生きるということ〜渡部成俊(しげとし)さん  日々のよしなしごと

 昔は自らの病気を知らされないまま亡くなる人が殆どだったと思うが、最近は余命宣告を受けて、残された人生を病院のベッドで過ごすのではなく、自分の生きたいように生きる、自分の生を貫き通す生き方を選択する人も少なくないようだ。ここで紹介する渡部成俊(しげとし)氏もそのひとり。

 昨日、偶然夕方のニュースで氏の存在、活動を知った。東京都江戸川区在住の氏は余命宣告を受けた当時、児童生徒の自殺が相次いでいた世相を憂い、ガン末期患者である自らの体験を通して命の尊さを訴えるべく、地域の学校への出前講演を思い立った。その講演の評判は徐々に広がりを見せて、これまで2万人を越える子供達に、氏のメッセージは伝えられて来た。すでに医師が告げた余命を氏は生き延びた。

「私はいじめられて不登校で死にたいと思ったこともあった」
「私は自殺未遂をしたことがあります」
子供達から届く感想文には率直な思いが綴られている。そんな心の痛みを抱えた子供達に、氏の講演は大きな励ましを与えているようだ。と同時に8千通を越える児童生徒からの感想文は、病気の進行が止まらない氏にとって、何よりのカンフル剤となっているようだ。人が人を生かし、また生かされていることを実感させる氏と子供達の関係だと思う。

 しかし氏の癌はもう骨にまで転移して、胸の痛みが止まらない。モルヒネで辛うじてその痛みを緩和させている状態だ。主治医にも入院のタイミング(終末ケア)をいつにするか聞かれるほど。この頃は講演活動も辛くなって来た。それまでマイクも使わず、椅子に腰掛けることもなかったが、とうとうマイクと椅子を用意して貰った。演壇に立つ寸前まで、氏は自分の体力が講演の終わりまで持つかどうか自信がなかった。ところが演壇に立つと、子供達の姿を前にすると、不思議と力が漲ってくる。いつものようにマイクを使うことなく、椅子にへたり込むこともなく、無事講演を終えることができた。終わって帰宅すると、また病魔による苦痛と疲労感が襲って来る。その様子の一部始終がテレビの中で映し出されていた。

 氏は講演のクライマックスで力を振り絞るように声を大にして訴える。

「そんな軽い命なら、私にください!」   

 その叫びを受け止める子供達の顔は真剣そのものだ。自らの死期を知ってからどう生きるのかで、その人の、人としての器が示されるのだろうか。社会的地位も名誉も資産の有無も関係ない。もちろん、誰もが渡部氏のように思い立ってすぐに行動できるものではないだろう。氏は病を得るずっと前からコミュニティで地道にさまざまな活動をして来た人なのだ。その生き様の総決算が、命の尊さを訴える講演活動なのだ。掛け値無しに凄い人だと思う。何だか、先週見た映画の主人公がちっちゃく見えるなあ…

「余命1年半」生の尊さ説く(asahi.com)

命の授業は人生最後の仕事(ヨミウリ)

命の出前講演(ヨミウリ・ジュニア・プレス)

2007/10/5

(39)試写会『自虐の詩(じぎゃくのうた)』  映画(2007-08年公開)

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阿部寛演じるイサオの「ちゃぶ台返し」は、本作の見どころのひとつ?!

堤幸彦監督は、公開中の『包帯クラブ』、本作と精力的に活動していますね。
昨年の渡辺謙主演の『明日の記憶』もそうでしたが、
人の心に寄り添うような、見終わった後に心が温かくなるような作品を次々と手掛けています。

本作の主演は中谷美紀(ケイゾク、嫌われ松子の一生)、阿部寛(トリック、結婚できない男)。
脇を固める俳優陣も個性豊かで、それぞれの持ち味を発揮。

中谷美紀は、『嫌われ松子の一生』でのエキセントリックな演技の印象がいまだ強く、
本作のヒロイン幸江の、夫イサオへの一途な思いも、
「嫌われ松子」にどこかオーバーラップするところがありました。

ちょっとしたことでちゃぶ台はひっくり返すし(食べ物がもったいない(T.T))
毎日働かずにブラブラし、パチンコに負けては幸江にお金をせびる
”現在の”イサオを見た限りではとんでもない夫に見えますが、
物語が進み、夫婦の”過去”の経緯が明らかになるにつれ、
彼が幸江にとってかけがえのない夫であることが理解できるようになります。

イサオを演じる阿部寛(通称”阿部ちゃん”)は本作で、
3通り(ヤクザ時代、ヤクザから足を洗った頃、現在)の彼を見せてくれます。
現在のパンチパーマの彼もインパクト強烈ですが、ヤクザ時代の彼も必見(笑)。
やっぱりパロってる?一粒で三度おいしい?!阿部ちゃんです(笑)。

脇を固めた中では、遠藤憲一が、まさに”自虐”的な幸江への献身で
愛すべきキャラクター「あさひ屋のマスター」を好演して印象深い。
他にアパートのオーナー?を演じるカルーセル麻紀のおばちゃんっぷりも良いですね。

舞台が東北の気仙沼と大阪の通天閣界隈、というのも味わい深いなあ…
通天閣は今年の5月に行ったばかりなので記憶に新しい。また行きたくなりました。

よく見ると、本作に登場するキャラクターは皆、ブザマで自虐的、
格好良い人なんてひとりもいやしない。しかし、なぜか愛おしく感じられる。
自分の中に彼らと同様の弱さ、みっともなさがあることに気付かされると同時に、
人間の強さ、優しさ、健気さを、彼らの生き様に見ることができるからでしょうか?
ちょっと風変わりだけど、夫婦愛と友情と人情を描いて、後味”まろやか”な作品です。

他の作品はさておいても本作は映画館で、と言うほどでもないですが…
そこは、「中谷美紀の熱演」や「阿部ちゃんの3変化」を見たいか、
或いは「業田良家原作漫画の熱狂的ファン」であるか、に係ってくると思います(笑)。
ただし原作(特に小説)の熱狂的ファンの場合、
自分の中で作品に対するイメージが既に出来上がっているので、
映画化作品への評価は辛口になりがちですが…果たして本作はどうなのでしょう? 

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2007/10/2

幸福観は人それぞれ、だから人は生きて行ける  日々のよしなしごと

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 2006年WHO調べで、日本女性の平均寿命は86歳で単独世界一だそうである。それからすると、私はもう人生の折り返し地点を過ぎたことになる。因みに、厚生労働省大臣官房統計情報部が出している統計資料「平成18年度簡易生命表(女)によれば、私の年齢の平均余命は42.81歳。これまで生きて来た歳月より、残された人生の歳月が少ないことが分かる。まあ、あくまでも統計上の数字だけど。実際、これだけの歳月を果たして自分が生きられるのだろうか?生まれて来た時には既に世の中に溢れ返っていた高添加物、高カロリー、高脂肪の食品を口にして来た自分が、現在の高齢者ほど生きながらえるのかどうか、正直なところ自信がない。同世代の友人達も同様の意見である。このことはさておいても、人生の折り返し地点前後のここ数年は、自分のこれまでの生き方を振り返ったり、現状を省みたり、今後の人生について考えたりすることが多い。

 人生観、幸福観は人それぞれではあるが、私の場合、現状にほぼ満足している。一般的に、人生の成功の指標と言われるような社会的な「地位」も「名誉」も、そして「資産」も持ち合わせていないが、愛する家族に囲まれ、好きなことをして、穏やかな日々を過ごせていることに、この上ない幸せを感じている。自己実現を社会的評価の指標で測ろうと日々努力している人から見れば、私は何の野心もない、つまらない人間に見えるのだろうか?だとしても、私は生きている。日々、多少の起伏はあろうとも、概ね幸福感に充たされて。

 特に私にとっては夫との出会いが、ひとつのターニング・ポイントであったように思う。少なくとも夫と出会う前の私は、あまり幸福ではなかった。人生のバランス・シートで喩えるならば、生まれてから夫に出会うまでずっと赤字続きだった。友人関係には恵まれたが、自分が歩もうとする道には常に越えがたい障害が立ちはだかって、前に進むことができなかった。人より遠回りして、夢?も諦め、現実と折り合いをつけながら生きていた。夫との出会いによって人生が好転するとは、他力本願もいいところかもしれないが、それによって人生をリセットし、常にプラスになるようには努力して来たつもりだ。夫と出会って22年、結婚して20年近くになるが、私達夫婦に倦怠期というものは存在しない。息子がある程度成長したこの頃は、夫婦二人でデートする機会も増えて楽しい。だからこそ、家族の心身の健康には感謝する毎日だ。「元気があれば、人間なんでもできる」と言うアントニオ猪木の言葉を、今しみじみと噛みしめている。

 努力してもどうにもならないことはある。若い頃はそのことに納得できなくて随分と悩んだ。哲学者の中島義通氏も言われるように「運」も味方しないことには叶わないのが夢なのだと思う。自分の努力と才能と同様に、否、それ以上に、どんな時代に生まれたか、どこで生まれたか、どんな家に生まれたかが重要で、それによって受けられる教育、バックアップ、世に出るチャンスは大きく異なって来る。だから、「社会的成功」「職業的成功」を勝ち得た人は常に少数派である。自らの才能だけでのし上がる人間など、ほんのひと握りに過ぎない。職業の世襲化が良い例である。特に難関であれば難関であるほど、その出自が問われている。世の中の大多数の人間は、「社会的成功者」という意味では敗者なのである。「運」に抗って、自分の能力だけを頼みに成功を納めようとすれば、結局無理を重ねることになる。焦って、所謂「危ない橋を渡る」ということになりかねない。それによって「時代の寵児」ともてはやされた人物が、いざ勝負に出た時に、既得権益を守りたい支配層から容赦ない仕打ちを受けて挫折したのを、これまで何度目撃したことか。

 「身の程知らず」という言葉は今も生きている。戦後の高度経済成長で底辺層の底上げが為されたために一見平等化したかに見えたが、実際には過去にも、そして現在も日本社会には身分差が厳然と存在している(実はそのことをボランティアのメンバー間でも感じている)。それが社会的成功を夢見る庶民の前には大きく立ちはだかるものなのだ。その壁に果敢に挑戦するには並外れたパワーが要る。そして常に戦い続けなければならない。社会の活性化にはそういう人の存在も必要だが、そうした生き方はさまざまなことを犠牲にしなければならないのも事実。だからこそ、私のように目の前のささやかな幸福を守り育てることを選択する人が殆どなのだろう。どんな生き方であれ、その人が自ら選択し、自ら納得の行く人生ならば、それは十分幸福な人生だったのだと私は思いたい。たとえ、他人から賞賛されるような社会的成功など納めなくとも。

 ハハハ…こんなこと書くと、”負け犬の遠吠え”って言われるかな。或いは諦観?、諦念?…でも本当にそう思うんだ。最近。時代を覆う空気もそうなんじゃないか?行き着く先が見えるから、自らを叱咤激励することに、大多数の人間は虚しさを感じているんじゃないか?



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