2007/9/29

(38)試写会に行ってきました…(ネタバレ注意!)  映画(2007-08年公開)

 試写会に招待していただいて言うのも何ですが、先日見た映画はわたくし的には今ひとつでした。何でも新聞連載小説の映画化らしく、主演俳優らと共に原作者も舞台上に登場(しかし完成披露試写会にしては珍しく監督の姿はなし)。上映が終わって帰る際には、その原作者自ら出口付近に立ち、知り合いと思しき業界関係者らと握手しながら、来場の感謝を述べていました。

 原作者の今回の映画への思い入れの深さは、その振る舞いから十分窺える。我が子同然の小説が映画という形で”成長”したことへの喜びを隠しきれないのだろう。でもなあ…、この作品(小説)って作者のマスターベーション以外の何ものでもない。映画後半で男性のすすり泣く声も後方から聞こえてきたけど、男性の側からすればそれほどまでに主人公に感情移入できるものなのだろうか?

 女である私から見たら、物語の展開は”笑える位男性本位”の”ご都合主義”にしか見えない。大手不動産会社の管理職として仕事をバリバリこなし、瀟洒な一戸建てに住み、美しい妻と一男一女に恵まれた上に、若く美しい愛人までいる。愛人は昔のようなベッタリ依存型ではなく、自立したキャリア女性だから、お金もかからない。同期入社と思しき同僚もライバルというより良き理解者である。そもそも肺ガンになったのは終始タバコを手放さないチェーン・スモーキングが原因と思われる。自業自得である。信じられないのは肺がやられてしばしば酷い咳と呼吸困難に襲われながらも、主人公がタバコを最後まで手放さないことである。一緒に映画を見た元医療関係者の友人もこれには首を傾げていた。「リアリティがない」と。これも主人公の言う「生きること、死ぬまで生き続けること」のひとつなのか?

 主演の役所広司は最終的には10sの減量までして、末期の肺ガンで余命半年と宣告された主人公を見事に演じきった。相変わらず達者で安定感のある演技だ。さすが日本を代表する演技派俳優だと思う。その息子・娘役の若手俳優の演技も初々しくて好感が持てる。

 しかし、20年ぶりの映画出演が話題になっている歌手兼女優はどうだろう?今回の物語の設定上、劇中の彼女はあまりにも美し過ぎた。完璧なファッション、艶やかなロングヘア。その表情にはやつれも疲れも殆どない。日々衰え行く夫の看病で、肉体的にも精神的にもキツイ状況にあって、果たして、その美貌を保ち得ることができるものなのだろうか?既出の元医療関係者である友人は、仕事柄多くの患者の家族を見て来ている。その彼女曰く「あり得ない」と。

 女優は今回の妻役を演じるに当たって、患者家族に関するリサーチなど、役作りをきちんと行ったのだろうか?あまりにも”話題作りの為の配役”に見えて、彼女の起用は物語のリアリティを著しく損ねていると思う。彼女の立派な舞台挨拶のスピーチも映画を見終わった後には空疎なものに思えて来た。しかも最後の最後に夫の裏切りを知ってもなお、美しい妻は夫を恋慕う。もし、これが仮に原作通りの、原作の主旨に忠実なヒロイン像だとすれば、これは作者の幻想、願望に違いない。「僕は君を裏切って愛人まで作っちゃったけど、僕のこと、許してね。どうか耳元で”愛している”と言ってくれ」―私だったら絶対許さないけどな、こんなオトコ!

 愚の骨頂、ここに極まれり―と思わず引いてしまったのは、兄に若い愛人への分骨を頼むシーン。まだ未来あるうら若き?(30代前半と思われ…)女性に遺灰をプレゼントするなんて、オトコの自己満足以外のなにものでもないし、受け取る女性にしてみれば大迷惑な話だと思う。井川遥演じるキャリア女性は、どう見ても過去を引き摺るような女性には見えない。しっかり前を向いて歩き続ける女性だろう。こんなに自己陶酔に彩られた物語に、世の男性は、会場ですすり泣いた男性のように感情移入できるものなのだろうか?もしかして、泣いていた男性は自身に心当たりでもあるのだろうか?

 とにかく、物語を貫く主人公(作者?)の自己愛の強さと深さに、私はびっくらこいたのでした。原作者は時代のトレンドを巧みに掴んで、これまで大きな挫折を味わうこともなく来た人なのでしょうか?けっして悪い人ではないと思いますが、彼が描く人物像はおしなべて底が浅いですね。人生ってこんなに単純でキレイなものではないはずです。その意味で彼が、同じく作詞家として偉大な足跡を残し、珠玉の小説を遺した阿久悠氏を越えることは難しいかもしれません(彼自身は自分以外の”誰か”に憧れるとか、”誰か”のようになりたい、とは更々思っていないようですが)。

現実にはこんな生き方もある〜命の出前講演を続ける渡部成俊氏

ワンクリックいただけたら嬉しいです(*^_^*)⇒
0

2007/9/28

陶芸体験教室 その2  文化・芸術(展覧会&講演会)

 昨日は、試写会が主催者の不手際(段取りの悪さ)で1時間遅れの上映開始となり、おかげで帰宅したのは午後11時半近くでした。あまり眠れないまま今朝は5時半頃起床して、家族を送り出した後、陶芸体験教室へ行きました。

クリックすると元のサイズで表示します 素焼きの段階の作品たち

 今日は素焼きの作品に釉薬をかける日です。自分の作品を見るまでは「割れてはいないか?」「反ってはいないか?」「ヒビが入ってはいないか?」と心配でなりませんでした。ドジな私のことですから、作業工程のひとつやふたつ抜かしていてもおかしくないのです。

 しかし、そんな心配は幸いにも杞憂に終わり、2枚の丸皿の内1枚は微妙に楕円がかっていますが、まあご愛嬌の範囲内(笑)。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
 左から@土で形成(2週間前)、A素焼きの状態、B施釉した状態です。AとBの違いは、この解像度では分かりづらいですが(苦笑)。施釉の前に絵付け(下絵付け)もしました。それぞれの皿に呉須(ごす/酸化コバルト⇒青い発色)とベンガラ(酸化第2鉄⇒茶色い発色)を使って、「笑門」「来福」と書き込みました。

 施釉とは、さまざまな釉薬(10種以上!)の中から好みの色合いに仕上がる釉薬を選び、それが入ったバケツに3秒ほど素焼き状態の陶器を浸す作業です。私は絵付けの字が映えるように、ペールカラーの「松灰(マツハイ)」と「土灰(ドバイ)」を選びました。釉薬は細かい灰を水に溶かしたものなので、ちょうど水溶き片栗粉のような状態になっています。放っておくとすぐに灰が底に沈殿するので、棍棒で攪拌してから使用します。陶器の底の部分についた釉薬はきちんと取り除かないと焼成の時に台の部分に陶器が貼り付いてしまうので、台所用スポンジを使って水で丁寧に余分な釉薬を取り除きます。

 反省点としては、絵付けの際にもっと大胆な筆運びで字を書けば良かったな、ということ。こういうところでセンスのなさ、小心者なのがバレる(^_^;)。陶芸には幾つもの工程がありますが、細心の注意を払ってしなければならない工程が多いかと思えば、時には大胆さも必要とされる点が面白いなと思いました。そして焼成の段階では作り手の力の及ばない偶然性?も加味される。10月15日以降に焼き上がりの予定ですが、どんな作品に仕上がるか、今から楽しみです。

クリックすると元のサイズで表示します 施釉を終えた作品たち。個性的な面々です(^_^)

【ブログ内関連記事】
陶芸体験教室 その1
陶芸体験教室 その3
0

2007/9/26

(37)めがね  映画(2007-08年公開)

クリックすると元のサイズで表示します

舞台は前作の清く涼やかな空気のフィンランドから、一転常夏の与論島へ。
荻上直子監督・脚本、小林聡美・もたいまさこ出演の癒し系?ムービーです。

物語に特にこれといった展開はありません。
ある宿に集った面々の、島でのゆったりとした暮らしぶりが淡々と綴られています。
全員で食卓を囲むシーン。季節限定?海の家でかき氷を食べながら海を眺めるシーン。
そんなシーンが思い出されます。
空はどこまでも青く高く、海はどこまでも青く静か。
途中、心地よすぎて睡魔に襲われるほど(笑)。

就職して間もない頃、GWにどこか行きたいなあと思いつつもぐずぐずしていたら、
めぼしい観光ツアーは全て予約でいっぱいで、辛うじて残っていたのが与論島ツアーでした。
たぶん、与論島が観光地としては今よりもひっそりとしていた、ウン十年前の話です。
同じくツアーからあぶれた友人との二人旅でしたが、映画で描かれていたように、
特にこれといった観光名所はなく、滞在中はただただ平坦な島を自転車で周回して、
ひたすら海辺で遊びました。海岸でウニを拾っては、海水で洗って食べましたねえ。
おかげで人生で最悪の日焼けをしてしまいました。ははは…
その時にできた背中のシミは今でもうっすらと残っています。

あんなに日に照らされているのに、小林嬢の美肌は日焼けもせず、不思議でありました。
もたいまさこ女史は、相変わらず”もたいワールド”で、観客を煙に巻いていました(笑)

タイトルは集うメンバー全員が「めがね」をかけていることから来ているようですが、
小林嬢演じる主人公にとっては、日常のしがらみのようなもの?心の鎧のようなもの?
クライマックスのシーンでそんなことを感じました。

合い言葉は「皆さん、たそがれませんか〜」 

クリックすると元のサイズで表示します

見終わって、まず感じたことは、
こうした映画が作られ、受け容れられるということは、
みんなよっぽど「お疲れ」なのかなあ、ということ。

そして、荻上監督のようにオリジナリティ溢れる作家の存在は、
邦画界では貴重だな、ということ。すでに一定のポジションを獲得していますね。

エンドロールのスナップ・ショット集は前作の『かもめ食堂』でも印象的でしたが、
凄くセンスの良いショットですね。荻上監督自身によるものなのでしょうか?
もたいまさこ女史のショットなんて、彼女”らしさ”が滲み出ています。

■結構面白いです⇒映画『めがね』公式サイト

【改めて考えたこと】
何をするでもなく日がな一日のんびり過ごす彼らのスタイルは、
南欧のバカンスの過ごし方に近いのかなあとも思います。
忙しく名所を巡る”観光”ではないんですよね。あくまでも”バカンス”。
日本の現行の就業システム上、長期は無理だから、”プチ・バカンス”。
いっそのことフランス並みにバカンスを制度化すれば良いのにとも思いますが
(フランス人は1年のうち、連続して5週間もの長期休暇を取るのです!)
ある調査によれば「先進国で日本は最も労働生産性が低い」とかで
(逆に5週間の長期休暇が取れるのはフランス人の労働生産性が高いからとの説も)、
これをまずクリアしないといけないかもしれません。
それではなぜ日本人は労働生産性が低いのだろう?
時間をかけている割に仕事の成果が上がらない、と言うことでしょう?
能力の問題とは思いたくないのですが…何が原因なんだろう?
その前に何を以て労働生産性の高低を決めているのか、調べるべきかしらね。

ワンクリックいただけたら嬉しいです(*^_^*)⇒
0

2007/9/24

(36)ミルコのひかり(原題:Rosso Come Il Cielo、伊)  映画(2007-08年公開)

クリックすると元のサイズで表示します

 私はイタリアが大好きだ。芸術文化を入り口に、今ではその風土も、人も、言語も、食文化も。だからそれらが詰まったイタリア映画は見逃せない。

 本作のクライマックスで私は涙が止まらなくなった。劇場の端の席で本当に良かったと思った。一緒に見た夫は「お涙頂戴の映画はあまり好きではないなあ」と感想を述べていたけど。「お涙頂戴」とはちょっと違うのではないか?鑑賞者の涙を「狙った」作りではなかったように思う。自分の経験に照らして、心の琴線に触れる部分が涙を誘ったのだと思う。

 主人公の少年ミルコは実在の人物で、現在はイタリア映画界でサウンドデザイナーとして活躍するミルコ・メンカッチ(Mirco Mencacci)氏である。映画はその彼が10才だった頃の、彼の”現在”に繋がる”物語を描いている(もちろん演出上、多少の脚色は加えられている)

 70年代、ミルコ少年はトスカーナ地方で、けっして経済的には豊かではなかったが、両親の深い愛情の下、伸び伸びと少年時代を過ごしていた(特に父親が彼に映画を見る楽しみを教示したのは、彼のその後の人生の大きな支えになっている。親の愛情は時として意外な形で、我が子を守るものなのかもしれない)。しかしある時、不慮の事故で彼は視力を失ってしまう。当時のイタリアの法律では、視覚障害者は一般の学校での修学を許されず、ミルコも両親や友達からひとり離れ、ジェノバにある全寮制の盲学校への転校を余儀なくされた。

 親は我が子が健やかに成長し、将来的には親から自立して、自らの人生を全うして欲しいと願うものだろう。それなのに健常者として生まれながら、不慮の事故で障害者となってしまったミルコ。私自身、ひとりの親として、ミルコの両親の悲嘆はいかばかりかと胸が痛んだ。だからと言って「可哀相だ」と嘆いてばかりもいられない。親の責任として、我が子の自立への道筋を改めて考えなければならない。泣く泣くミルコを手元から離し、遠く離れた盲学校へと送り出した両親。思わず、親の視点でミルコの姿を追う自分がいた。同時にひとりの人間の成長の物語として、過去の自分自身と重ねたりもした。

 ミルコは突然に光を失い、暗闇の世界に置かれたが、そこでいつまでも足踏みをするような子ではなかった。天性の明るさと積極性で、それまでの人生経験を踏まえつつ、残された感覚を研ぎ澄ませて、新たな人生を踏み出したのだ。ここから、彼の”ひかりの物語”が始まるのである。

 当時の視覚障害者に対する社会の認識と障害者自身の自己認識は、視覚障害イコール知的能力の欠損と捉え、彼らの社会における活躍の場を限定的なものにしていた。それを受けての盲学校の"手に職をつける"職業訓練校的色彩の濃い教育方針の下、ミルコの”視覚障害者の新たな地平を切り開く冒険”はさまざまな波紋を呼ぶ。波紋は社会を巻き込んだ形で、周囲の人間(特に盲学校の生徒達)や盲学校の在り方を変えて行ったのだ。

 とは言え、本作では中途視覚障害者の少年が”障害を克服する”様子を描くと言うより、ひとりの少年が”夢中になれるもの・こと”に出会い、自らの興味の赴くままに、周囲をも巻き込んで突き進む姿が小気味良く描かれている点が印象深い(それを究めた結果、ミルコは後に名声を獲得するのであるが、映画はそこまでは描いていない。彼のその後の人生は、観客のイマジネーションに委ねられている)。その普遍的な”生きる悦びの物語”に、本作を見る人は”ひかり”を感じるのではないだろうか?障害の有無に関係なく、多くの人にとって、自らの”生の充実感”を得るのはそんなに簡単なことではないのだから。

 時には本作のような映画で、素直に晴れやかな涙を流すのも良いなと思った。

 因みに原題の"Rosso Come il Cielo"は「(夕焼け)空のような赤」(或いは「(夕焼け)空のように赤く」←イタリア映画祭ではこの邦題で上映されたらしい)を意味している。詩的で素敵な原題だけど、邦題の「ミルコのひかり」もなかなか良いと思う。

【裏話】
 ミルコや盲学校の生徒達は皆オーディションで選ばれた子供達で、健常者・視覚障害者が半々だったと言う。今回の撮影を通して、”何か”を掴んだ子供も少なくなかったのではないだろうか?人生を豊かにするチャンスは、私達が思っている以上に、さまざまなところに転がっているのかもしれない。

 イタリア語を多少なりともかじった私にとって、子供達の会話は聞き取りやすかった。小学校(幼稚園?)からイタリア人として人生をやり直したくなった(笑)。
          
                     トスカーナのひまわり畑 
           クリックすると元のサイズで表示します

ワンクリックいただけたら嬉しいです(*^_^*)⇒
7

2007/9/23

横浜山下公園に  散歩の記録

来ています。桟橋にピースボートが停泊しています。その名は知っていても、実物を見るのは初めて。大きいですね。

空は下手なベタ塗りを施したような灰色の雲に覆われています。風も強く、湾内の海も波が荒い。それでも、海景の開放感は心地よいです。2時間ばかりベンチに腰掛け、のんびりと海を眺めて過ごしました。

さて、「世界一の肉まん」を買って帰ると致しましょう。
クリックすると元のサイズで表示します
0

2007/9/22

『ワーク・ライフ・バランス』という発想  日々のよしなしごと

 昨日新作映画レビューの中で、ドイツ映画『マーサの幸せレシピ』が米ハリウッドでリメイクされた背景のひとつとして、米国のワーキングマザーの意識の変化があるのではないか、との推察をしました。するとそれに呼応するような記事が、昨日(21日)の日経夕刊15面に掲載されました。何てタイムリーなのでしょう。以下にかいつまんでご紹介。青字部分が記事からの抜粋引用です。

『少子化対策 これが足りない―日経ワーキングマザー会議から』

 安倍首相の辞任表明による政治空白で、政府の少子化対策が停滞する懸念が強まっている。しかし、少子化対策の強化は待ったなしの状況だ。働く母親約400人が参加するモニター組織、日経ワーキングマザー会議のメンバーに新内閣に望む対策を聞いた。

政府の少子化対策の現状:「少子化社会対策大綱」「子供・子育て応援プラン」「新しい少子化対策について」など、過去数年に一連の対策を策定・実施。現在はこうした施策を深掘りしようと「子供と家族を応援する日本」重点戦略を策定中。

日経ワーキングマザー会議で9月上旬に実施したアンケートの結果:
政府の少子化対策に「不満」「どちらかと言えば不満」と答えた「不満派」は94%にも上った。
「国の対策と、家庭や職場で起きていることにはいつもズレがある」(東京、会社員、44才)

政府:出産費用の負担軽減、児童手当など経済的支援に重点を置きがち

当事者(ワーキングマザー)ニーズ(多い順に):

@労働時間の短縮等、仕事と生活の調和のとれた働き方(ワーク・ライフ・バランス)の実現に向けた環境整備
 「男女とも長時間労働をなくす、減らすための施策を」
 「男性の働き方が変わらない限り、何も変わらない。男性社員のワーク・ライフ・バランス実現の為の啓蒙や強制力のある制度の制定を希望」
 「企業に理解させる為にも、具体的な指標を示すべき」

A放課後対策の充実
 「両親と同居していないので、子供2人が小学校に入ってからの放課後の対応が不安」
 「学童保育は自治体により充実度にばらつきがあり、自治体の財政難でむしろ縮小している。小学校入学以降が、親の就業を妨げる状態になっている」
 
 制度・施設の整備に加え、
 「安心して子供を産み、育てることができる社会形成への理解を深める」
 「子育てには”お金”も必要だが、それ以上に”手”や周囲の理解が必要。社会全体が理解して、支援してくれる環境作りが大切」

他に、『児童手当の拡充』『小児医療体制の充実』など、さまざまな意見が挙がった。


 アンケート結果に対し、専門家(武石恵美子・法政大キャリアデザイン学部教授)は以下のようなコメントを寄せていました。

政府の子育て家庭への経済的支援策に対し、働く母親が求めているのは労働時間の短縮など、より柔軟な働き方だ。共働き家庭にとっては働き続けることが家計の支えとなり、その条件を整えることは、少子化対策としても、国の財政にとってもプラスに働くはずだ。現行の制度の枠組みの中で対応できることは多い。”在宅勤務”や”短時間勤務制度の拡充”など、職場レベルでより柔軟な働き方のメニューを増やして行く必要がある。まず先進企業が新しい働き方を実現し、国に制度化を促すことが、効果的な少子化対策になる」

 首都圏では、ワーク・ライフ・バランスの疎外要因として、長時間労働の他に通勤時間の問題もあると思います。さらに地方出身者に至っては、親兄弟からのサポートを受け難いという不利な面も(←身近なワーキングマザー達を見る限り、自身の親世帯の近隣に住み、残業時の我が子の保育園の迎え、その後の食事や入浴等の世話を親兄弟にお願いしているケースが多い)

 ワーク・ライフ・バランスという言葉は初耳でしたし、その概念自体以前からあったとは知りませんでした。これは「人間は何の為に働くのか?」という労働の本質にも迫る概念だと思います。女性の就労やキャリア形成は、ともすれば経済的自立の側面からのみ語られがちですが、それからさらに一歩進んで、ひとりの人間の人生の中での「働くということ」の位置づけが問われる段階に来ているのかなと感じました。何かを得る為に何かを犠牲にするのではなく、両方を手に入れる為にはどうすれば良いのか。そう考える女性が増えている証でしょうか?男性以上に結婚・出産等、それぞれのライフステージで生き方の変化を迫られる女性は、より柔軟な発想で「働くということ」について考えられるのかもしれません。その意味でも、女性が積極的にイニシアチブを取り、社会を動かす原動力になり得る課題だと思います。

 厚労省系研究機関も以下のような特集を組んでいるようです。
特集『ワーク・ライフ・バランス』(独立行政法人 労働政策研究・研修機構公式サイトより)
0

2007/9/20

映像作品のリメイクの効用って…  日々のよしなしごと

第1一に、
「そうだ、そういう名作があったっけなあ」という名作の再発見を促すものであり、

第2にリメイク作品のあまりの出来の悪さに、
「オリジナルってこんなもんじゃなかったよなあ」と
オリジナル作品を再び見るきっかけになることでしょうか?

名作映画のテレビドラマ・リメイクは、どうしてああも酷いのでしょう?
特にビデオ映像の質感がとんでもなくチープに思えてなりません。
旧作の鮮烈なイメージを陵駕するだけのパワーがないというか…

それに数十年前の物語を現代に置き換えても、
テーマの普遍性をうまく現代の中で表現できずに、
結果的にそれは、とてもチグハグな、現実感の乏しいものになっている。

「よほどの自信がない限り、名作に手を出してはいけません」
そんな声がどこからか(天から?)聞こえてきそうです。

ごく最近放映された、名作映画をリメイクしたテレビドラマを見ての、正直な感想です。
0

2007/9/20

(35)試写会『幸せのレシピ(原題:No Reservations、米国)』  映画(2007-08年公開)

クリックすると元のサイズで表示します

 AOLの試写会で一足早く見て来ました。当初気付かなかったのですが、2001年製作のドイツ映画『マーサの幸せレシピ(原題:Bella Martha,英題:Mostly Martha)』のリメイクなんですね。最近その『マーサの幸せレシピ』がNHK-BSでも放映されたのだとか。5年前、オリジナル作品を公開時に見た覚えがあるのですが、内容の細かいところまでは覚えていません。邦題はオリジナル作品の邦題を受けてのものでしょうが、原題には、ヒロインに降りかかる”想定外の出来事の数々”と言う意味が込められているようです。

 この数年、ハリウッドはリメイク流行ですが(邦画界、日本のテレビ界も人のことをとやかく言えませんが)、その原因は良質な企画、シナリオの不足にあります。因みに日本のテレビドラマ界では漫画を原作としたドラマのオンパレード。先日日経新聞で、「確実に高視聴率が見込めるから」という制作者側の安易な姿勢が指摘されていました。その場凌ぎの仕事をこのまま続けて、果たしてテレビドラマ界に未来はあるのか?と言いたいところですが、まあ、そこは視聴者が自ずと審判を下すことでしょう。

 さてリメイク作品にはガッカリさせられることが多いのですが、本作『幸せのレシピ』はキャスティングの魅力もあって、チョッピリ期待して見ました。見ての感想は「それほど悪くない」ですね。

 ハリウッドはまさに世界をマーケットに作品作りをしていますから、万人ウケするようアレンジ(翻訳?)するのが得意ですよね。今回はハリウッド流アレンジがプラスに作用していて、リメイクは成功と言えるでしょうか?
 
 舞台はドイツからニューヨークへ。キャリア女性の活躍の場としてはピッタリです。オリジナルとの違いを出そうと腐心したのか、BGMではオペラの楽曲をふんだんに使い、これが結構、強烈に耳に残っています(トウーランドットの「誰も寝てはならぬ」が頭の中でendless状態!(笑))

 オリジナルに劣らぬハート・ウォーミングな仕上がりは、主演のキャサリン・ゼタ=ジョーンズやアーロン・エッカート(←この人も近年頭角を顕わしていますね)や子役のアビゲイルちゃんの熱演&チームワークの良さに負うところが大きいのかも。
 
 アビゲイルちゃんは『リトル・ミス・サンシャイン』での演技でオスカーにノミネートされ、一躍注目を浴びた子役(初出は2002年の『サイン』)ですが、その情感豊かな演技が、先行するダコタ・ファニング嬢の理詰めの演技とは対照的で、さまざまなタイプの俳優の活躍が映画界を活性化させるという意味でも、今後も要注目の一人であります。
      幼いながら、達者な演技を見せてくれます… クリックすると元のサイズで表示します

 キャサリン・ゼタ=ジョーンズは良い年の取り方をしているなあ、と本作を見て感じました。演技にたおやかさが出て来たような。私生活の充実ぶりが反映されているのでしょうか?そして容貌は彼女の持ち味である伸びやかな肢体が、2児の母とは思えない美しさでした。それを包み込む、黒を基調としたプライベートのパンツ・スタイルはいかにもキャリア女性という雰囲気。一方、全身白のシェフ姿も、仕事モードへの切り換えの儀式なのか、ウエストで腰ひもをキュッと締める仕草がクール!でたまりません(笑)。

実生活では料理はあまりしないらしいですが、名シェフぶりが板についていました!
インタビューによれば、今回の役を演じるにあたって料理の猛特訓を受け、腕を上げたのだとか…

クリックすると元のサイズで表示します 

 昨夜のテレビ・ニュースで、米国の最新事情として、ワーキング・マザーの家庭回帰が取り上げられていましたが(具体的には医師などの専門職であってもフルタイムからパートタイムへと切り換え、我が子との時間を優先するワーキング・マザーが増加しているのだとか)、そうした女性の意識の変化も、この映画の製作を後押ししたのでしょうか?なかなか興味深いレポートでした(ブッシュ政権のプロパガンダ情報ではないと思う)

 仕事やプライベートのさじ加減ひとつ(=要領?バランス感覚?)で、人生は味わい深くもなれば、逆に味気なくもなる、ということでしょうか?

■ブログ内関連記事:『ワーク・ライフ・バランスという発想』

【参考リンク】
■本作のオリジナルであるドイツ映画:『マーサの幸せレシピ』公式サイト
■映画情報(allcinema onlineによる):『マーサの幸せレシピ』
クリックすると元のサイズで表示します

ワンクリックいただけたら嬉しいです(*^_^*)⇒
1

2007/9/18

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(9)  韓国周遊旅行(2007年夏)

クリックすると元のサイズで表示します

 3日目。旅も後半に入った。実はこの日から天気に恵まれず、終始雨に祟られた。屋内見学は皆無だったので、ずぶ濡れになりながらの観光だった。正直なところ観光どころではなかった(苦笑)。

 儒城のホテルでの朝食は一般的なビュッフェ・スタイル。久しぶりに朝食で牛乳やフルーツジュースを飲んだ感じだ。ずっと伝統的な韓国料理が続いていたが、ここで一休み。キムチもお休み。何となくお腹がホッとした(笑)。出発前にロビーで寛いでいたら、軍服姿の男女が数人集まって来た。多国籍だ。風貌と言葉から韓国人とフィリピン人と米国人か。合同軍事演習か会議でも行ったのだろう。長閑な温泉地にはおよそ似つかわしくない軍服だが、朝鮮半島が南北に分断されて以来、軍事的緊張はずっと続いているということなのだろう。

 さて今日は大田市から一気にソウルまで北上だ。午前中に水原華城、華城行宮、韓国民俗村、午後に江華山城観光というスケジュールになっているが、時間は移動に殆ど費やされて強行軍は目に見えている。それに追い打ちをかけるように降ったり止んだりの雨。亜熱帯地方のスコールを思わせるような雨は日本でも珍しくなくなったが、韓国も同様なのか。地球温暖化の影響を感じずにはいられない。

 高速道路を2時間余り走っただろうか?やっと最初の目的地水原華城(スウォンファソン)に到着。ここは18世紀末に李氏朝鮮22代正祖(チョンジョ)王が築いた、周囲5.7qに及ぶ城塞だ。正祖王は、政争に敗れ非業の死を遂げた父(荘献世子)の為に、その陵(墓)を楊州から水原郊外に移した。その後、父の眠る場所に近い、八達山の麓にあたる現在の地への遷都を目指したが、完工直後に王が病死した為遷都計画は中止され、華城は幻の都となってしまったらしい。

 華城の建設には、高名な学者2人の尽力と37万人もの労力と17年もの歳月が費やされたと言う。ヨーロッパの建築技術を取り入れた設計で、城郭の築造に石材とレンガを併用している点が特徴的だ。朝鮮戦争時に一部が破損・焼失したが、1975年から5年の歳月をかけて修復・復元され、築城時にあった48カ所の建築物のうち、現在も41カ所を見ることができるらしい。

 1周するにはゆうに2〜3時間はかかるとされる華城を、悲しいかなパッケージツアーの私達はさわりの部分を見るだけである。しかも雨で足下も悪く、その優美な風景を堪能するにはほど遠い状況だった。「それでも来た記念に」と写真を何枚か撮るので精一杯。以下はその貴重?なショットの一部。
城壁沿いに空心墩と呼ばれる建築物 クリックすると元のサイズで表示します 
空心墩とは、兵士が中に入って敵を見渡せるように作られた望楼の一種で、は華城の最も特異な建築物のひとつと言われる。内部通路は螺旋状になっており、その構造から「サザエ閣」とも呼ばれるらしい。 
■いつかはこの方のようにゆっくりと観光してみたい(*^_^*)⇒水原(スウォン)観光

クリックすると元のサイズで表示します 城壁から遠くに市街地を望む

韓国の国花ムクゲ。日本でも庭木や生垣で見かける身近な花? クリックすると元のサイズで表示します 

クリックすると元のサイズで表示します 水原華城全体図(リーフレットより)

 実は雨と同じ位手強かったのが中国からの団体ツアー客だった。たまたま居合わせると彼らの口角泡を飛ばす勢いのおしゃべりで、ガイドさんの解説も何度となく中断を余儀なくされるほどだった。見学中の人の前を遠慮会釈なしに団体で横切るなど、とかくマナーの悪さには閉口した。昨年末に長崎のハウステンボスでも同様の憂き目に遭ったのを思い出した。中国は改革開放路線の結果、富裕層が100万人から200万人に倍増したと言われる。その彼ら新興富裕層が海外旅行を楽しむ時代が到来したというわけだ。そうした経緯もあって、彼らの旅先での振る舞いは、洗練にはまだ程遠いのだろう。かつての日本もそうであったかもしれないから、このことで彼らのことは笑えないが…にしてもなあ…(涙)。
0

2007/9/16

高尾山に行って来ました  日々のよしなしごと

クリックすると元のサイズで表示します

 土曜日の昨日、「3連休だから中日の日曜はどうしようか」という話になり、思いつきで「高尾山ってどうかなあ…行ったことないよねえ」と言ったら、何と今朝の日経朝刊の一面コラム「春秋」で高尾山のことが取り上げられていた。

 「フランスの格付け本ミシュランの日本旅行ガイドによると、東京郊外の高尾山は最高の三つ星観光地である。(中略)ケーブルカーやリフトを使い、少し歩くと、標高約六百bの山頂に着く。(中略)秋の連休である。散歩のつもりで高尾山に出かけてみようか。(中略)汗を流し、山頂で味わうビールには軽い達成感がある。ソフトクリームもおいしい。」

 これも何かの縁だろうと、夫の強いイニシアチブで高尾山へ行って来た。家族3人でのハイキングは久しぶりである。自宅から高尾山口駅までバス・電車を乗り継いで2時間の道のりだったが、交通機関の連絡もスムーズに行き、天気にも恵まれ、とても楽しいハイキングとなった。そのあまりにも完璧なハイキングの道程に、「これは高尾山に呼ばれたのだ」と思った(笑)。

 後日改めてハイキングの記録として、こちらに記事をアップしようと思う。
0

2007/9/15

陶芸体験教室 その1  文化・芸術(展覧会&講演会)

芸術と言うにはおこがましいけど…

 昨日は朝から陶芸体験教室へ行って来た。息子の通う学校はPTA活動が結構盛んで、年間を通じて親向けにさまざまなプログラムが用意されているが、これもその中のひとつである。場所は大学の陶芸棟。

 私は元々モノを作るのが好きだが、久しく創作からは遠ざかっていた。3年前に利き手の親指の付け根を道路で転倒した際に骨折したせいもある。今でも天候不順の時や書き物をし過ぎた時には親指全体がズキズキと痛む。酷いときにはモノをつまむのも苦痛なくらいだ。それでも「何か作りたいなあ」という創作の欲求?が頭をもたげて来て、今回思い切って申込んでみた。

クリックすると元のサイズで表示します
3sの信楽の土を使って、”たたら作り”という手法で形成した皿。
直径20p、高さ25p位の円筒形の土を横に倒して、
徐々に伸ばし広げながら思い描いた形に作り上げて行く。
私は直径24pの型で2枚の皿を作るので(焼成を繰り返すうちに15%は縮小するらしい)、
2枚分の厚み+上下捨てる分(皿の表面を平らに仕上げる為)の厚みになるまで
土を伸ばすのだ。これを糸を使って(!)、2枚の皿に切り分ける。
この後、講師の先生及びスタッフの方々によって焼成作業が行われる。
2週間後の金曜日、素焼き状態の皿に釉薬をかけて焼き上げる予定。

カメラの解像度が今ひとつなので画像が不鮮明だが、
皿の表面を緩やかな線で2つに区切っている。
片方にガーゼで繊維の編み目を刻印した。
焼成すると、その模様がくっきりと浮かび上がってくるらしい。
素焼きの段階で割れなければ良いけど…


 参加者は20人くらいだろうか。講師やスタッフの方々が懇切丁寧に教えて下さったおかげで、陶芸は全くの初心者の私でも写真のような皿を二つ形作ることができた。あ〜それにしても自分の物覚えの悪さには悲しくなるばかりだ。講師の先生がユーモアをまじえて丁寧に手順を説明して下さったにも関わらず、その5分後には忘れている(^_^;)。

 講演会の内容など知識に関してはすこぶる覚えが良いのに、作業手順と言った技術的なことは昔から人より覚えが悪い。ただし、他の人が飽きてしまった後も一人黙々と作業を続けることは厭わない性格なので、最後には曲がりなりにもそれなりの水準の作品を仕上げることができるようにはなっている。こういう人間だから、短期決戦〜短期に成果を上げなければならない仕事や単発の仕事〜や、絶えず新しい技術を学ぶことを要求される仕事は苦手だ。飛び込み営業のセールス・ウーマンやIT技術者向きではないなあ。

 ずらりと並んだ作品たち。中には形や文様の美しさが玄人はだしのものもある。しかしどんな出来であれ、店で売られる商品とは違って、ひとつひとつが作り手にとっては世界でただひとつのかけがえのない作品だ。形のいびつささえ愛おしく味わい深い。そこが陶芸の面白さかもしれないなあ。とにかく全ての作品にヒビなど入りませんように。割れたりなどしませんように。焼成までの2週間が待ち遠しいと同時にこわくもある。

陶芸教室内部の様子 クリックすると元のサイズで表示します

これは自作の収納棚。下部にキャスターと観音開きの扉をつけた。 クリックすると元のサイズで表示します

ワンクリックいただけたら嬉しいです(*^_^*)⇒

【ブログ内関連記事】
陶芸体験教室 その2
陶芸体験教室 その3
0

2007/9/14

(34)『長江哀歌(チョウコウエレジー)』(中国)  映画(2007-08年公開)

クリックすると元のサイズで表示します

 2006年ベネチア国際映画祭審査委員長を務めた仏の大女優カトリーヌ・ドヌーヴはこの映画を次のような言葉で賞賛している。

シネマトグラフィーの美しさ、
物語のクオリティ、
感動的な登場人物…
とても心動かされました。
これは私達にとって
特別な映画です。

 映画に深い造詣があるわけでもない、単なる一映画ファンの私は、この作品に対して、とてもそこまでの心酔には至らない。結構冷めた視線で、現代中国社会の一断面を切り取った作品として捉えた。

 この作品は少なくとも3つのタイトルを持っている。原題の『三峡好人』、邦題の『長江哀歌』、そして英題の『Still Life』。この物語の舞台となった三峡は長江(揚子江)の景勝地で、2000年の歴史を持ちながら、ダム建設によって水没する運命にある古都らしい。そこで繰り広げられる人間ドラマ。と言っても派手な展開はなく、急速に経済発展を遂げる中国社会から見捨てられた人々の悲惨な生活と、離散した2組の夫婦の物語が淡々と綴られているのだ。

 見終わった後に感じたのは、なぜあえて邦題を付けたのだろうということ。長江は6300qに及ぶ大河であり、この物語の舞台はその一部の地域に過ぎない。寧ろ原題の方が、三峡という舞台で息づく名もなき人々への監督の温かい眼差しが伝わってしっくり来ると思った。

クリックすると元のサイズで表示します

 孫文の発案から紆余曲折を経て、実に一世紀近くをかけて完成に至る予定の「三峡ダム建設」という中国の一大国家プロジェクトの影で、一説には200万人にも及ぶ人々が移住を余儀なくされたと言う。しかも個々の補償は不十分なままに。

 住み慣れた故郷を離れたものの、今後の生活の目処も立たず困窮する旧住民。立ち退きを迫られても、老い先短い老人に行く当てなどない。水没予定の建築物の解体作業を請け負って、辛うじて食いつなぐ男達。一方で、大都会の北京や上海では、1日に億単位の金を動かす20代のデイ・トレーダーもいるのだ。その格差の激しさに愕然とする。しかも時代から取り残された三峡の人々の間では、未だに人身売買も公然と行われているのだ〜発展に沸く中国の片隅に厳然とある、苦い現実を垣間見たような気がした。

 社会の底辺で這いつくばうように生きる彼らでさえ、今や文明の利器の象徴とも言える携帯電話(以下、携帯)を使いこなす。日々の生活にも事欠くような粗末な身なりの人々の手に、真新しい携帯という対照(アンバランスさ)が何だかとても奇妙で印象的だ(定住場所もない人々にとっては携帯が存在証明になるのかな?携帯によって辛うじて誰かと繋がっていられるのかも)。先進的な携帯を使いながら、彼らの心を悩ますのは相変わらず「不誠実」や「裏切り」と言った人間の業や、明日をも知れぬ貧困なのである。文明の発展に、人の心が追いついて行けていないのか。と言うより、幾ら文明が発展しようとも人間の心は変わりようがないのかもしれない。

 ダム開発により失われつつある風光明媚な風景への惜別ともとれる、主人公と風景のツーショットも心に残った(後々、映像や画像でしか見られなくなるかもしれないなあ…)。また、何気ないシーンでありながら、一枚の絵画を思わせるような静謐で美しいアングルに驚かされることもあった。過酷な現実の物語と美しい映像と―、このごった煮感はなんだろう?かつての日本ならともかく(一昔前の日本なら似たような状況はあったのかもしれない)、もはや今の日本では作れないテイストの映画かなと思った。

ジャ・ジャンクー監督作品。

参考サイト:三峡ダムってどんな所?(「アクマリ旅行記」より)

ワンクリックいただけたら嬉しいです(*^_^*)⇒
1

2007/9/12

安倍首相辞任に思うこと  気になったニュース

最近の覇気のなさ、声の力のなさに何となく感じるものはあったけど、今日の辞任は驚きだった。やはり臨時国会が始まったばかりというタイミングが解せない。結局最後まで”間”の悪い人だったね。

「かわいそう」という街の声があるけど、一般人と公人とでは職責の重さが違う(職責の重さに応じた権力を与えられているわけだし)。そこのところを理解せずに政治家を選ぶ人がいる限り、日本の政治は良くならないと思う。精神的にも肉体的にもタフな人でないと国政は任せられない。しかし、次は誰かと考えても、適任者が思い浮かばない。それが国民としてはとても寂しい限り。
0

2007/9/10

(33)試写会『ミス・ポター(Miss Potter)』(英・米)  映画(2007-08年公開)

クリックすると元のサイズで表示します

 試写会で見て来ました。

 物語の舞台、取り上げた人物、キャスト(監督は愛らしい豚の物語『ベイブ』を手掛けたクリス・ヌーナンからかなり期待した作品だったのですが、まず上映時間の短さに「?」。通常評伝映画は主人公のエピソードをたたみ掛けるように紹介するものが多いので2時間超も珍しくない。それがたったの1時間33分なんて、ハリウッドのお手軽アクション映画より短いくらいです。これで、あのピーター・ラビットの生みの親であるビアトリクス・ポターの何を伝えられるんだろうと心配していたら、やっぱり見終わった後に物足りなさが残る脚本と演出でした。

 レニー・ゼルウィガー(今回は製作総指揮も!) 、ユアン・マクレガーエミリー・ワトソンと芸達者を揃えながら、この出来映えは本当にもったいないと思いました。余計なシーンを削ればもっと素敵になるのにと思う作品が多い中で、本作は逆にもっと話に肉付けが欲しかった、個々のエピソードに膨らみを持たせて欲しかった作品と言えるでしょうか。特に彼女の人生の転機ともなった、ナショナル・トラスト運動へと繋がるエピソードはあっさりと終わり過ぎ。おかげで、今ひとつ感情移入ができなかった。

 20世紀に入ってもなお英国では封建的な空気が支配し、上流階級の女性は職業を持つことが許されなかったらしい。ポターはその中で上流出身のキャリア・ウーマン(自立した女性)の走りと言えます。しかし物語の中では生まれも育ちも申し分のない、仕事の面でもそれほど苦労なく成功を納めた女性として描かれている(事実とは少々異なるようです)。彼女のキャリア形成において、これといった敵役、憎まれ役も登場しません(強いて言えば●●)。そういった平板な人物描写も、ヒロインへの共感を乏しくさせたのでしょうか?事実に即して、ヒロインの人物造型にもっとクッキリとした陰影を付けたなら、より魅力的な作品に仕上がっていたのではと思います。けっして駄作ではないのですが…

 興味深かったのは、英国人の階級意識。裕福な家庭に育ったミス・ポターが経験する初めての恋。それを阻むのは身分差なのですが、ポターと相手の男性の間にどれだけの差異があるのか?多くの召使いを抱えるポター家だって、それほど由緒ある家柄でもないのに。結婚を巡る身分問題に、小さな差異を殊更大きく捉えて他者より少しでも優位に立ちたいという心理が透けて見えて、人間の嫌らしさ、狭量さを感じました。本当に馬鹿馬鹿しいけど、人間に内在する本質のひとつなのかもしれない。

 主題歌の優しいメロディーは印象的でいつまでも耳に残る。湖水地方の美しい佇まいとミス・ポターの上品で純粋な人柄にピッタリのイメージ。

 舞台となった湖水地方については”素晴らしい”の一言!10年以上前に一度行きましたが、風光明媚な所ですね。ベビーカーに乗せていた3才の息子をある湖沿いの遊歩道に下ろしたら、喜び勇んで駆け出した光景が今でも印象鮮やかに脳裏に焼き付いています。子供には、あの地方に漲る生命感が鋭敏に感じ取れるのだろうなあ…

 ロンドンからはエライ遠かった覚えが…宿泊予約もなしに現地へ行って、観光案内所で宿を見つけてもらいました。滞在中、ミス・ポター自宅跡に出来た記念館にも行きました。レンタカーを借りて、そこからブロンテ姉妹の記念館まで足を延ばすつもりが、道に迷ってリーズまで行ってしまったり…結局、目的地には辿り着いたのですが、ブロンテ姉妹の記念館は閉館した後でした。しかし車窓から見える美しい風景に『ジェーン・エア』や『嵐が丘』の作品世界は堪能できました。英国のカントリーサイドは本当に美しい!その美しさ、豊かな自然が長年に渡って維持されているのは、ナショナル・トラスト運動の賜と言えます。

  (アンダーライン)部分をクリックすると関連項目へジャンプできます。

ブログ・ランキングへの参加を始めました。
ワンクリックいただけたら嬉しいです!⇒
1

2007/9/6

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(8)  韓国周遊旅行(2007年夏)

クリックすると元のサイズで表示します

 海印寺(ヘインサ)見学でこの日の観光は終了。一路今夜の宿泊先大田市儒城温泉地区(テジョン市ユソンオンチョン地区)へと向った。

 韓国有数の温泉地・儒城を抱える大田市は韓国のほぼ中心に位置し、以前から交通の要衝として知られ、韓国を南北に走る幹線はここを基点に半島の西南や東南に分かれて行く。古くは「ハンバッ(大きい田んぼ)」と呼ばれた田園地帯であったらしいが、地の利のおかげで近年は韓国の科学技術の中核都市として発展し、93年には科学万博も開催された。現在ではソウル-釜山間を結ぶ新超特急線(KTX)や地下鉄が開通し、ソウルにあった政府機関の一部も市西北部に移転するなど、人口150万人を擁する韓国有数の大都市となっている。2002年の日韓共催サッカー・ワールド・カップで熱戦が繰り広げられた公式スタジアムで、その名を知っている人も多いのではないだろうか?
クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
大田サッカー・スタジアム         儒城地区   (何れも移動中の車窓より)

 市街地の西に儒城温泉、鶏龍山(ケリヨンサン)、南部に高麗人参の名産地・錦山(クムサン)大田市に向かう途中、車窓から高麗人参の畑を数多く見かけた。) 、北東側に清州、俗離山(ソンニサン)と言った観光スポットが控えている。

 その大田(テジョン)市の奥座敷として栄えているのが儒城温泉(ユソンオンチョン)である。ここには、百済の末期、翼に傷を負った鶴が温泉の水溜りに翼を浸して傷を治したのに倣い、ある母親が新羅との戦争で傷を負った自分の息子を温泉に入れたところ傷が全快したという伝説が残っている。泉質はカリウム、カルシウムなどを含む単純ラジウム泉で皮膚病に効果があるらしい。街は近年きちんとした都市計画の下に開発されただけあって道幅も広く整然として(後日行ったソウルとは対照的である。東京もヨソのことを言えた義理ではないが…)、かつ温泉地らしい華やぎが感じられる。この日の宿泊先は儒城温泉の中でも有数の観光ホテルのようだ。しかし、ホテルに向う前にまずはレストランで夕食。

クリックすると元のサイズで表示します 食の日韓共催?サンチュしゃぶしゃぶ

 ホテルにほど近い(車で5分程度)韓食レストラン・マンナ。こざっぱりとして清潔感溢れる店だ。この店オリジナルの料理サンチュしゃぶしゃぶを頂く。品書きによれば、韓国伝来のサンチュサム(韓国レタス?)と日本のしゃぶしゃぶを融合した料理らしい。”日本式の”かつおダシで牛肉をしゃぶしゃぶしてから、味噌、ピーナッツ、マヨネーズで作った特製ソースを付け、サンチュサムでくるんで食べる、というもの。牛肉を焼かずにしゃぶしゃぶというのが新しいのかな?盛りつけも美しく牛肉の桜色とサンチュサムの緑が鮮やかで目にも楽しい。定番のキムチやナムルなどの小皿料理も幾つか出ているが、”都会”に来たら途端に皿数も減ったような…?!ソースは甘口でゴマだれに近い。私や息子はおいしくいただいたが、夫は今ひとつお気に召さなかったらしい。残ったダシで韓国式そばを食べるというオプションもあったが、我が家はサンチュしゃぶしゃぶで満腹になってしまった。同行のS夫妻はそばも楽しまれたようだ。旺盛な食欲だなあと驚いた。ちなみに店名のマンナ(manna)は、旧約聖書の「出エジプト記」の中のエピソードに由来する。どうやら店主がクリスチャンらしい。そう言えば、韓国はアジアでもクリスチャンが多いことで知られている(一説には、仏教徒、クリスチャンがそれぞれ25%。残りは無宗教。数値は資料により違う)

 宿泊先のホテルはHOTEL SPAPIA。名前のスパピアとはスパ(温泉)のユートピアと言う意味らしい。目抜き通りに面した高層ホテルで、大田市でも最大の客室数を誇る。大浴場を備え、客室、スタッフのサービス共に、今回宿泊した中で最も快適なホテルだった。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します ホテル外観と大浴場

クリックすると元のサイズで表示します 1?階の客室からの眺め
2



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ