2007/8/30

(32)『シッコ(Sicko)』で描かれた医療問題は他人事ではない  映画(2007-08年公開)

クリックすると元のサイズで表示します プログラムのおまけについていたシール。さて、どこに貼ろう…(笑)
 
 米国は世界第一位の経済大国でありながら、先進国で唯一公的健康保険制度を持たない国である。国民は高額な医療費に対して民間の医療保険で備えるしかないが、国民の6人に一人は無保険で、毎年1.8万人が治療を受けられず死んで行くと言う。問題はそれだけに留まらない。「医療保険」さえ米国では当てにならないのだ。本作はその問題点をレポート。

米国の医療体制に見捨てられた人々クリックすると元のサイズで表示します
(中央のマイケル・ムーア監督と共にキューバへと向かいます)

 保険会社は、「治療は不要」と診断した医師に対し「(保険会社の)支出を減らした」と報奨金を与える一方で、加入者には難癖をつけて保険料の支払いを拒否。政治家には多額の献金で自社に都合の良い法律を作らせ、挙げ句は保険会社の手先となった政治家が公的医療保険制度の成立を「社会主義への第一歩だ」と阻止する。まさに金の亡者が、国民の命をないがしろにしている。愛国者マイケル・ムーア(彼は体制側の痛いところを衝いているだけで、その実、米国を愛して止まない愛国者だよね)は、そうした米国の現状を正すべく、彼なりの手法で金の亡者らを糾弾する。

 『ボーリング・フォー・コロンバイン』『華氏911』と見て来たが、本作が一番胸にズシンと来た。なぜなら米国の無慈悲な医療制度を通して見えてくるのは、人間の尊厳を巡る問題だからだ。人の命さえ金次第という資本主義の在り方は果たして正しいのか?許されるものなのか?国民の必要最低限の権利保護の問題において、資本主義だの社会主義だのとイデオロギーを持ち出すのはいかがなものか?それこそ原理主義的な見方が本質を見誤らせているとしか思えない(殊更イデオロギーを持ち出すのは、単に既得権益を守りたいが為の方便なのかもしれない)

 その米国とは対照的なパラダイスとして描かれているのが英国、フランス、キューバ、そして隣国のカナダである。これらの国々では、医者は「患者を治療する」という自らの職務を全うし、国民は生命の危険も生活不安も感じることなく、必要十分な医療サービスを受け人生を謳歌している。その描写は”礼賛一辺倒”でいささかキレイゴト過ぎるきらいはあるが、これくらい彼我の違いを際立たせなければ、(非支配階級の)米国民は自分達の置かれた境遇の不合理性に気づかないのではないか。所謂マイケル・ムーア流のショック療法なんだろう。

クリックすると元のサイズで表示します英国では出産費用も無料
 「英国はVAT(付加価値税)率が高いから、これだけの社会保障が可能なのだ」との反論が出るかもしれないが、どんなに高い税率でもそれが正当に国民に還元されるのであれば国民は納得するはずである。一方、日本では納めた税金が湯水の如く無駄遣いされて国民に正当に還元されないから、財源不足を理由に税率アップと言われても国民は納得が行かないのだ。

 ところで、最近気になるのが平日の昼間にやたらと多い医療保険のCM。平日の日中に在宅でTVを見ている老人を主なターゲット(他に専業主婦など→私だよ!)「保険で安心」を売り込んでいる。それが殆ど外資の保険会社なのだ。本作『SICKO』を見終わってからは、この状況に何だか不気味な予兆を感じた。これは何を意味するのか?何の前触れなのか?

 今年から我が国は団塊世代の大量退職時代を迎えている(所謂2007年問題ですね)。1000万人はいると推定される団塊世代が社会保険料を支払う側から受給する側へ。「年金」「健康保険」と言った社会保障制度は、増える支出に収入が追いつかない、本格的な少子高齢化社会の到来で破綻寸前だ。特に老年層の増加に伴う医療費増大を踏まえて、政府は医療費の大幅削減、介護医療の民間委託を積極的に進めている。それによって国民個々の医療費負担は増え、医療や介護サービスの地域間&階層間格差拡大、或いは質の低下が危ぶまれている。その行き着く先には何が待ち受けているのか?…本作にはその一端が描かれていると感じた。

 そんな折も折、奈良県では昨年に引き続き、救急患者のたらい回しで死亡事故が起きた。昨年は妊婦だったが、今度は胎児である。奈良県の問題はひとり奈良県だけの問題ではなく、医師の都市部への偏在など、国の医療体制そのものの問題でもある。「命に地域間格差があってはならない」というのが、公的医療制度の根幹ではないか?増大する一方の医療費も「一切対処のしようがない問題」というわけではなく、過日テレビで紹介されていた夕張市や、本作で取り上げられたキューバにおける予防医学の見地に立った医療の実践により削減が可能なはずだ。

 何事も諦めてはいけないのだ。自身に悪い点があれば、他者の良いところを謙虚に見習えば良い。マイケル・ムーアも本作でそのような主旨のことを述べていたのが印象的だった。

◆参考サイト:日本の医療を正しく理解してもらうために

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2007/8/28

遊んでください  日々のよしなしごと

 プロバイダーのAOLが不定期に提供しているテンプレートの最新版に変えてみました。今回はあぶくが次々と現れる動画付き。今日気付いたのですが、タイトルの上にあるスペースでカーソルを滑らせると、その動きに反応してあぶくがブクブクと発生します。お試しあれ♪
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2007/8/27

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(7)  韓国周遊旅行(2007年夏)

 さていよいよ海印寺(ヘインサ)である。門前町へ向かう車中でガイドの韓さんが「海印寺の駐車場へは一般の車は入れません(地元タクシー業界の要求に従ったものらしい)。しかし門前町から海印寺へは結構な道のりです。歩こうと思えば歩けないこともないですが大分時間がかかるでしょう。だからタクシーを利用される方が多いです。皆さんはどうなさいますか?」と聞いて来た。我が家は個人旅行なら断然”歩き派”(なんせイスタンブールでは、ボスポラス海峡を横切るあのガラタ橋を渡ってアジア地区とヨーロッパ地区を往復6時間かけて踏破した家族である)なのだが、今回はスケジュールがきっちりと決められたパッケージツアー。ガイドさんは表向きこちらの意向を伺う姿勢ながら、「タクシーを使え」と言う空気が車内に漂う。S夫妻は「じゃあタクシーで」と即答。ここは空気を読んで我が家も「タクシーで」と応えた。もちろんあくまでも”ガイドさんの提案”なので料金は別途支払うことになる。

 往復で1万ウォンとはこれいかに?韓国上陸2日目でまだウォンの貨幣価値がピンと来ないせいか、その料金が妥当なのかどうか分らない。門前町からさらに登坂する海印寺へはタクシーで往復10分もかからなかっただろうか?道路は蛇行した上り坂なので暑い中歩くのは大変だったかもしれない。ガイドさんに言われるままに復路で1万ウォンを運転手に手渡した。運転手の喜びようを見ると、結構な収入なのだろうか?円換算式はウォン÷100×14(←この数値はレートによる)だから、1万ウォンは1400円となる。このところの円安のせいかもしれないが実感としては日本と殆ど変わらない。ガイドブックには「タクシー料金は格安」とあったから日本人価格だったのかもしれない…まあ、これは海外の観光地ではよくあることで韓国に限らないことだけど。

 海印寺(ヘインサ)は華厳宗の十大寺院のひとつで、寺自体は802年、長年中国に留学していた僧、順応(スヌン)と利(理?)貞(イジョン)によって創建され、以後度重なる火災・戦災で建築物は焼失しては再建が繰り返されて来たらしい(やはりここでも秀吉の朝鮮出兵が関わって来る…(__;))。現在の本堂は1971年、朴政権下に再建されたものである。1995年、世界遺産に登録された。この寺院を有名にしているのは、ここに保管されている高麗八万大蔵経である。

 大蔵経とは仏教の経典・論書などを総集したもの。海印寺にある『高麗八万大蔵経』は仏教聖典が一式すべて揃っていることから、現存する大蔵経の中でも最高峰のものとされている。仏教を建国の理念とし、仏の加護で北方遊牧民族(蒙古)の侵略から国を守ろうとした高麗が全精力を傾けて作成したものらしい。これは紙に書かれたものではない。経文を”縦が約24cm・横が約70cm・厚さが約4cmの白樺でできた版木”の上に精巧な技術で彫り込んだものなのだ。つまり印刷の為の版木。その数8万1258枚に上る。しかも現存するのは第二版で、1011年から1087年にかけて作られた最初の版木は1232年に侵略者によって破壊され、それから4年後に再び15年の歳月をかけて完成されたものなのだ。一字一句の間違いも許されない正確さで進めなければならなかった作業。想像するだけでも当時の人々の熱意と努力には頭が下がる。

 そんな貴重な高麗八万大蔵経は、境内の高所に建てられた4つの倉庫(大蔵経板閣)の中に収められており、簡単ながら効果的な換気システムにより保全されているらしい。もちろん倉庫の中には入れないが、小割りの窓から版木の一部を見ることができる。版木に刻まれた文字を目の当たりにすると、その精緻な仕事に改めて感動した。この版木から印刷された大蔵経は室町時代に日本に持ち込まれ、現在増上寺(東京都)と大谷大学(京都府)が所蔵しているらしい。また高麗八万大蔵経に関連して、以下のような興味深い記事もあった。ハングル版だけでなく漢字版も残してほしいなあ…
韓国の世界遺産 高麗八万大蔵経を銅板に

クリックすると元のサイズで表示します 山門。帰り道に撮影。深緑が美しい。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
写真左:九光楼、1817年に再建。     写真右:特別法要で護摩が焚かれたようだ。 
                          帰途につく多くの信者と参道ですれ違った。

本堂の大寂光殿。創建当時の仏像が鎮座する。
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クリックすると元のサイズで表示します 大蔵経が収められた大蔵経板閣
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2007/8/25

『ブラッド・ダイヤモンド』―その後  映画(2007-08年公開)

 今朝のサンケイ・エクスプレス紙に映画『ブラッド・ダイヤモンド』の舞台となったアフリカ・シエラレオネ共和国の近況レポートが掲載されていた。以下は私なりに情報を付加してまとめたもの。

 10年以上続いた内戦が2002年に終結して以来、同国のダイヤ輸出は順調に伸びて来ているらしい。輸出額は内戦終結前の5倍を超え(01年:2800万ドル<約32億円>⇒05年:1億4200万ドル<約160億円>、慢性的な貧困状態からの脱却を目指す同国にとっては頼みの綱である一方、NGO「国際危機グループ」(本部ブリュッセル)は密輸の増加(注1)を警戒していると言う。

 シエラレオネは人口約550万人(2005年推定)、面積7万平方qの西アフリカの小国。世界最貧国のひとつで(注2)、一人当たりの国民総所得は2005年調べで年間僅か220ドル(約2万5000円)。因みに日本は3万6610ドル(約416万円、2003年調べ)でシエラレオネの実に166倍である。また国連によればシエラレオネの失業率は80%。一攫千金を夢見て失業中の若者が首都フリータウンから車で約6時間のダイヤ鉱山に集まって来ると言う。しかしダイヤ採掘は甘くない。映画でも描かれていたように、土砂を堀り、水ですすぎ、ダイヤを見つける。毎日がその繰り返しなのだが、数ヶ月見つからないのもザラというのが現実のようだ。

【注1】05年の生産額輸出額1億4200万ドル<約160億円>約3倍にあたる4億ドル<約456億円>と推計され、差額の2億5800万ドル<約300億円>相当が闇に消えているということか?

 まさにザルから漏れ放題のシエラレオネの富。いったい誰がその富を横領しているのだろう?酷い話だと思う。

【注2】世界銀行は国連加盟国191カ国を、一人当たりの国民総所得(GNI)によって細かく分類している。因みに2003年の基準では、一人当たりの国民総所得が765ドル以下の国を低所得国とし、アフガニスタン、カンボジア、エチオピアなど61カ国が分類されている。766ドル以上3035ドルまでが低中所得国で、ブラジル、フィリピン、トルコなど56カ国、3036ドルから9385ドルまでが上中所得国でアルゼンティン、マレイシア、サウジアラビアなど37カ国、9385ドル以上が日本、アメリカ、韓国などの高所得国である。(出典:英国通信vol.36)

■ブログ内関連記事:映画『ブラッド・ダイヤモンド』レビュー(1)
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2007/8/24

夏の甲子園、県立佐賀北高の優勝で思ったこと  はなこのMEMO

 島田洋七氏の『佐賀のがばいばあちゃん』以来、佐賀の方言”がばい”が一人歩きしているようです。島田氏は”がばい”を”すごい”という意味合いで使っているようで、それに倣ってテレビや新聞などでは「がばい佐賀北」なんて書いていますが、”がばい”とは、確か「とても、非常に」という意味なんですよね。だから地元では”がばいすごか”(とてもすごい)とか”がばいうまか”(とてもおいしい)というような使い方をする。

 テレビに映し出された地元商店街の横断幕には「すごか佐賀北」とありました。間違っても「がばい佐賀北」とは言わないでしょう。島田氏の本によって佐賀が有名になったので、今さらとやかく言うことでもないのでしょうけど(笑)(…と思ったら、誤用に怒っている佐賀県人がいました) 。

 実は久しく甲子園の高校野球は見ていません。もう郷土意識が薄れてしまったのかなあ…高校野球って、なぜか郷土愛を喚起するものなんですよね。正直なところ、最近は高校野球偏重なところが少し嫌いになりました。他にも頑張っている部活は沢山あるのに、野球ほど取り上げられないのがフェアじゃないと思う。

 いささか引いた目で見たら、今回の佐賀北の優勝には、伸び盛りの若者達の”集中力””学習能力”の高さを感じました。まさに試合に勝ちながら強くなって行った佐賀北。聞けば進学校と言うではありませんか。”学習能力”は何も机上の勉強だけでなく、さまざまなところで発揮されるものなんだろうなあ…

 以前、神奈川有数の進学校の先生から伺った話では、高3の夏休みまでキッチリ野球部の部活を続け、引退後本格的な受験勉強を始めた主将が、短期集中型の猛勉強で見事東大現役合格を果たしたそうです。野球に限らず、何かひとつのことに青春を賭けた、無我夢中になった経験を持つ生徒というのは、”集中力”が素晴らしいのでしょうね。

 あと”粘り強さ””根気強さ”ですかね。TOEICでほぼ満点近いスコアを出した友人は「私は別に頭が良いのではなくて、ただただ”粘り強さ”だけでここまで来たのよ」と言っていました。勿論彼女の発言には謙遜も含まれるのでしょうが、何につけ成果を上げる為には”粘り強さ”は必須の資質でしょう。

 こういった資質は生まれながらのものなのか?幼い頃から意識的に育まれるものなのか?後者だったら息子に対して責任を感じるなあ…
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2007/8/24

『自画像の証言展』(東京藝術大学陳列館)  文化・芸術(展覧会&講演会)

 今週はギャラリートークの仕事が2回入って埼玉と千葉の中学生達と出会いました。このところの猛暑のせいか、子供達も元気がなかったですね。仕方ないかな(それでなくとも、中学生はムツカシイ年頃だと思う。警戒心が強いですね。必要以上に他者からの攻撃を恐れているのか?とにかく自意識過剰なまでに、周りの目を気にしているように見える。自我形成において欠かせないプロセスなんだろうけど。私自身が通って来た道でもあるんだろう。今ではすっかりそのことを忘れがちだけど)

 帰りにボランティア仲間と東京芸大で開催中の展覧会を見て来ました。以前は資料館として使用していた建物「陳列館」で開催中の芸大卒業生の自画像展。芸大では黒田清輝を出発点に(一時中断はあったものの)卒業制作として自画像を描くことが慣例となっているらしく、以来、学生らが描いた青春の自画像は今や5000点近くにも上るそう。

 今回はその中から160点が展示されています。世界や日本の画壇に名を残す錚々たる面々の自画像から、将来性が未知数の若手の自画像まで。それらの作品群からは巨匠の若き日の姿、有名作家の原点、時代を経るにつれての自画像表現の変化(多様化?)、名だたる才能を輩出した芸大の歴史など、さまざまな要素が読み取れます。

 もちろん無名作家の自画像にも心動かされるものがあります。自画像には、画家自身の自負心、或いは逆に自己の才能への不安が反映されたりするものなんだろうなあ…私も大学の夏休みの課題で自画像を描いたけど、鏡に映し出された自分を見つめながら、何度も何度も描いては消し、消しては描くを繰り返し、幾重にも色を塗り重ねたり…結構夢中になって描いたような覚えがある(”自分大好き”がバレバレ(笑))

 建物自体、芸大の歴史を物語っているような味わいがあって…入場無料というのも嬉しいですね。会期は9月17日まで

■参考リンク:東京藝術大学創立120周年企画 「自画像の証言展」
(サイトに掲載の自画像は青木繁ですね)

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2007/8/21

(31)『トランスフォーマー』だよ〜ん♪  映画(2007-08年公開)

クリックすると元のサイズで表示します ひぃぇ〜 な、なんじゃ、こりゃあ〜

 ”誰か”と関わることは自分のチャンネルを増やすことなんだなあとつくづく思う。自分単独であれこれ考えても関心の幅は限られてしまう。おばさんの私がなぜ、まさに男の子向け映画である『トランスフォーマー』を楽しめたかと言えば、それはひとえに息子のおかげである。

 彼が小3の頃、テレビ東京で『ビーストウォーズ』 というアニメが放映されていた。タカラ社製の変型おもちゃが米向け輸出で人気を博しアメコミ化されるなどして後、カナダでアニメ化(この画像がまた結構COOLだったのよ!アニメでは初のフル3DCG?)されたものだ。それが逆輸入という形で日本で放映されたらしい。息子は忽ちそのアニメに夢中になった。以後、息子の誕生日&クリスマスプレゼントはしばらくの間タカラ社製の変型おもちゃが続いた。

 このおもちゃ、とにかく凄い。どうもうまく表現できないんだけど、細かい部位を折り曲げたり、中に入れ込んだり、はたまた中から引き出したりすることでロボット⇔動物に変型できるのだ。考え出した人の脳みそって一体どうなっているんだろうと感心することしきりだ。折り紙文化のなせる技なんだろうか?

 製作総指揮を務めたスピルバーグも我が子のおもちゃに自分自身が夢中になり映画化を決めたのだと言う。童心に返って子供と一緒に夢中になるのは誰にでもあり得ることだと思うが、そこからさらに一歩進んでそれをビジネスに結実させてしまうと言うか、自分の表現様式でそれに新たな命を吹き込んでしまうところが、やっぱりスピルバーグの凄いところだと思う。

 劇中、日本製品への敬意ともとれるセリフが登場する。日本人としては誇らしい限り(最近、日本製乾電池の不具合など、その信頼性も揺らぎがちだからね。我が家なんて、★ONY製品がすべて1年前後で壊れてしまったよ…ショートした僅か500円のチップの交換の為に、出張費+技術料で軽く1万円越えだよ。しかもおつり用の小銭くらい用意しておけよ!まったく(`_´プンプン))

 作品はあくまでも映像に拘っている。いかにCGの粗を隠してトランスフォーム(変型)をスムーズに見せるか?宇宙から飛来した悪玉トランスフォーマーとそれを迎え撃つ米軍のと戦闘を迫力あるものに見せるか?に全神経を集中させている感じだ。この際ストーリーの緻密さや整合性は置いといて(笑)。また映画ではトランスフォーマーはロボットから動物ではなく、米産業の象徴とも言える車へと変型する。その意味で”ちゃっかり米国礼賛?”と取れなくもない。

 脳が蕩けそうな猛暑は、冷房の効いた映画館で、こんな映画を見てスカッとしたいもんです。しばし猛暑を吹き飛ばす映画という意味では今夏、『ダイ・ハード4.0』と並ぶ双璧でしょう。それなりにツッコミどころもあるのですが、これは肩の力を抜いて、頭を空っぽにして見ましょう!(笑)。

 なお本作に関して、本ブログでリンクさせていただいている『超映画批評』のレビューが参考になった。このテのジャンルのレビューはこの批評サイトに限る!

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2007/8/21

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(6)  韓国周遊旅行(2007年夏)

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【左写真】韓国世界遺産地図:石窟庵→海印寺   【右写真】海印寺に向かう途中(車窓から)

 午後は3つ目の世界遺産 「海印寺(ヘインサ)」へ。海印寺は伽耶山南麓にある。石窟庵から約2時間車を走らせ、その門前町に到着。途中のトイレ休憩の間に、ガイドの韓さんがどこかで小ぶりの”どら焼き”様のお菓子を買って来てくれた。杏味の甘酸っぱい餡が挟まれている。家族皆「おいしい。おいしい」と頬ばった。
クリックすると元のサイズで表示します  おいしかった”どら焼き”。生菓子だから日本に持ち帰れないのが残念!

 門前町到着直前の山肌を縫うように走る道路の左手には、青森県の奥入瀬を思い起こさせるような美しい渓流が続く(右上写真)。運転手が車をガンガン飛ばすので、なかなかシャッターチャンスを捕らえられない(T.T)。もっとゆっくり走らせてくれ〜。

 さて海印寺観光の前に腹ごしらえ。ちょっと遅め(午後1時過ぎ)の昼食は、門前山菜料理定食だ。皿数の多さにも慣れて来た(笑)。ウチのガイドの韓さんからは詳しい説明はなかったが、たまたま隣り合わせた他のツアーのガイドさんの説明によれば、地元産の人参のキムチが特に滋養強壮に効果があるのでお薦めらしい。一口食べてみたが「おいしい」というより「身体に良いから(味の良し悪しは別にして)食べよう」という感じだ。パクパクと頬張れるものではない。独特の食感があった。比較的おいしかったのは川魚の唐揚げとニラのチヂミとキノコと野菜の炒め物、そしてゴボウの煮物だろうか。青菜のお浸しもサッパリといただけた。

 皿数の多さから言えば、韓国料理はかなりヘルシーだと思う。そう言えば韓国では肥満体の人は殆ど見かけなかった。以前ある人が家族で韓国に行った時に、小児肥満の息子が現地で大変珍しがられたと言う話も聞いたことがある。韓国料理に多用される唐辛子の成分カプサイシンの脂肪燃焼効果の賜なのだろうか?道行く女性にも美肌のスレンダー美人が多かったような…

 ここも店の構えは食堂だが、”素朴な山間の食堂”という感じで、私は嫌いじゃない。帰りに「ごちそうさま」の意味で「カムサハムニダ」と言うつもりが、「アンニョンハセヨ」と言ってしまった。「失敗した!」と思ったら、店の人も「アンニョンハセヨ」と笑顔で応えてくれた。さらに地元の人も帰り際に「アンニョンハセヨ」と言い、それに対して店の人も「アンニョンハセヨ」と応えているのを聞いて初めて、「アンニョンハセヨ」がイタリア語の"Ciao"(チャオ)と同じように、出会いにも別れにも使える便利な挨拶言葉だと知った。因みにイスラム圏では道端で知り合いに会ったら、”アッサラーム・アライコム””アライコム・アッサラーム”と言葉を交わす。”アラーの神のご加護がありますように”というような意味合いだったと思うが、それぞれの土地ならではの挨拶には文化的背景も窺えて非常に興味深い。

クリックすると元のサイズで表示します 辛味だけでなくサッパリとした味も…
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2007/8/17

ハード・キャンディ(2005年・米)  映画(2005-06年公開)

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 WOWOWで放映されたのを見た。日本では昨夏単館系で公開されたようだ。公開時のキャッチ・コピーは「赤ずきんが仕掛ける狼へのゲーム」。出会い系サイトで出会ったロリコン趣味の32才の男と14才の早熟な女子中学生。しかしその出会いは偶然ではなく、少女が仕掛けた巧妙な罠だった…という話です。男性諸氏にとっては身の毛もよだつ展開だと思う。

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ロリコン男を懲らしめる?14才の少女役を演じたのは、
撮影当時19才のカナダ出身の新鋭エレン・ペイジ
ベリーショートの髪型のせいもあるかもしれないが、
彼女の表情、仕草を見ていると、なぜか大竹しのぶがオーバーラップして…(笑)


 紹介記事によれば、日本で実際にあった女子高校生による「おやじ狩り」をヒントに、米のCMやPV界で活躍する監督が初めて手掛けた長編映画なのだとか。殆ど2人だけの密室劇に近い。いかにも低予算で作られたアイディア勝負の作品という感じだ。それだけに主演2人の演技力は重要なファクターだったと思うが、これは見事にクリアー。サンドラ・オーがチョイ役で出演しているが、結構存在感がある。

 個人的には、もしこの作品を映画館で見たら、損した気分になったかも。DVDで十分かも。
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2007/8/16

(30)試写会『ヘアースプレー』  映画(2007-08年公開)

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 10月公開予定と言うので、感想をこの時期に書くのが躊躇われた作品。最初に映画が作られ(これは公開当時カルトな人気を博したらしい) 、その後ブロードウェイの舞台版が大ヒットし、今回は映画のリメイクということになるのだろうか。舞台版の成功は良い意味で本作に新たなパワーを注いだのかな?オリジナル映画が未見なのでそこのところが判らない。7月末から8月上旬にかけてブロードウェイ版の舞台公演が東京で行われたのに合わせて、今回は一足早く試写会が開催されたらしい。
1988年オリジナル映画『ヘアースプレー』(ジョン・ウォーターズ監督)クリックすると元のサイズで表示します

 タイトルだけでは何のことか分かりづらいけど(実はタイトルに使われたヘアースプレーは小道具・大道具として大活躍なのだ・笑)、物語の舞台は1960年代前半の米国東部の都市ボルティモア。60年代と言えば公民権運動が盛り上がりを見せ始めた時代である。そこにひとりの太った女子高校生がいた。お世辞にも美人とは言えず、いろいろイジワルをされたりもするが、彼女はそんなことなどお構いなし。いつもヘアースプレーでバッチリ髪型を決め、両親の深い愛情の下、楽しげに毎日を過ごしている。そんな彼女の底抜けの明るさ、自らが正しいと思うことを貫く強さが、保守的な白人社会に風穴を開けてゆく…

 外見による差別、人種差別など、テーマは意外に真摯なものだけど、ミュージカル仕立てで、のっけからノリノリな音楽が物語を盛り上げる。これは最後までテンションを下げることなく貫かれるのだから、そのパワーたるや心臓バクバクもんです。心地よい高揚感で映画館を後にすること間違いなし。今回はエンドロールで誰からともなく拍手が沸き起こったほど。

 オリジナル映画、舞台版、そして本作を通じて、主人公の母親を演じているのは男性(正確にはオリジナル版はドラッグ・クィーンのディヴァイン)。今回はあのジョン・トラボルタである。彼は若い頃『サタデーナイト・フィーバー』『グリース』などでミュージカル映画スターとして脚光を浴びたが、その後ミュージカルとは無縁のキャリアを重ねて来た。噂ではリチャード・ギアが演じて興行的にも成功した『シカゴ』『シャル・ウィ・ダンス?』の役を断ってトラボルタは心底後悔したとか。でもだからと言って、巨漢の、でも愛らしい母親役でミュージカルにカムバックなんて、ちょっとアナタ凄すぎる!

 脇を固めるクリストファー・ウォーケン(個人的には最初に見た『ディア・ハンター』でのベトコンに取り囲まれて”賭けロシアン・ルーレット”をする切ない姿がいまだに印象が強烈に残っているけど。次いで『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の父親役も良かったな)ミッシェル・ファイファー(彼女を最初に見たのは『グリース2』で、オリビア・ニュートンジョンの後を継ぐ形での登場だったけど、この時はまだ未知数な若手女優という感じだった。彼女はやっぱり『ファビラスベーカーボーイズ』の時の二人の男を惑わすセクシーなシンガー役が最高!)、そしてクィーン・ラティファ『タクシーNY』のオネーチャンね。今回いきなり母親役でビックリ)もいい味出してます(笑)。おそらく本作に出演の若手俳優の何人かが今後スターとして次代を担うんだろうね。その意味でも楽しみな作品です。

『ヘアースプレー』公式サイト

試写会場で貰った特製のうちわ クリックすると元のサイズで表示します  
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2007/8/16

8月15日―62回目の終戦記念日に思ったこと  はなこ的考察―良いこと探し

 来年の「歴史」の教科書から、沖縄の集団自決に関する記述が変わると言う。軍の関与はなかった、ということになるらしい。何を以て関与があったのか?あるいはなかったのか?それを判断するのは難しいことだと思う。果たして指令文書のような物的証拠がなかったら「なかった」と断言できるのか?「生きて辱めを受けず」という当時の教育は人々を死に追いやったとは言えないのか?

 私は集団自決後の凄惨な場面を写真で見たことがあるが、それはまさに地獄図と言うに相応しい。くぼみに累々と横たわる老若男女の死体。中には人間の形を留めていないものもある。そこで親が子を、兄が妹を、若者が老人を殺したのである。誰が好き好んでそんな地獄図を現世で再現してみせよう?(→参考写真へリンク:<注>ショッキングな画像なので心臓の弱い方はご遠慮下さい。ご覧になった方は、自分自身が、自分の肉親や友人・知人が、こんな目に遭うなんて想像したくもないでしょう?)私はまた、地元でガマと呼ばれる避難壕にも入ったことがある。何十人という人々が息を潜めていたというそのガマは暗く湿った独特の匂いが漂う空間で、私など10分と居られない場所だった。そんな避難壕では、泣き声がうるさいからと赤ん坊が窒息死させられたことも多かったらしい。 

 先日、深夜のニュース番組ZEROではリポーターの知花くららさんが、慶良間諸島出身の祖父とその郷里の島を訪ねて、祖父の集団自決体験を聞くというレポートがあった。米軍の上陸に際して集団自決が多発した島で、通常縄として用いる山野に自生する草の葉を首に巻き付けて自死しようとした祖父。実際に草を首に巻き付けてみせて当時の体験、心境を語る祖父の目からは止めどなく涙が溢れていた。

 「生き残ったことが(死んでしまった人々に対して)申し訳ない。だが、もし私があの時死んでいたら、くららはこの世に存在しなかった。は繋がっているんだよ。だから亡くなった人の分まで一生懸命生きようと思った」―くららさんの頬にも涙が伝った。

 今回の教科書書き換え問題で、沖縄では辛い戦争体験についてこれまで口を閉ざしていた高齢者達が一斉に語り始めているという。戦争体験を語り継がなければ反戦の思いは風化し、また日本は戦争への道を歩み始めるかもしれないという危機感からだ。

 日本武道館での戦没者追悼式に出席された中で最高齢(101歳)の女性も、絞り出すような声で「戦争はやってはいけない…」と言われていた。

 戦争で悲惨な体験をされた人々は、誰しも二度と戦争は嫌だと思っておられると思う。自分の子や孫に同じような体験は絶対にさせたくないと思っておられるはずだ。戦争を知らない世代は、その思いをきちんと受け継がなければならないと思う。せめて3月10日(東京大空襲)、6月23日(沖縄戦終結)、8月6日(広島へ原爆投下)、8月9日(長崎へ原爆投下)、8月15日(終戦記念日)と言った日々を覚えておきたい。もちろん自分達の被害体験だけでなく、他者への加害についても忘れてはならないだろう(逆に戦争を厭わない人は、戦時に悲惨な目に遭わずに済んだ人々〜特権階級?、戦争によって利益を得た人々の子孫なのだろうか?或いは身近な親族が辛い戦争体験に口を閉ざしているが為に、戦争の悲惨を知らないだけなのだろうか?)

 ”戦争”はこの地球上でおそらく絶えたことがないだろう。常にどこかで大小の紛争、戦争が起きているはずだ。そして今やそられの戦争がたとえ日本以外で起きていようと、日本は無関係ではいられない。必ずどこかで繋がっており、何らかの関わりがあり、「対岸の火事」と済ませられない現実がある。そんな状況だからこそ、私達日本人は「平和」について考えなければいけないのだと思う。現在の日本の「平和」は過去の多大な犠牲のもとに成立しており、だからこそそれを守る義務が現代を生きる私達にはある。安穏と享受していられるほど「平和」は容易く保たれるものではない。「平和ぼけ」ではいられない。

 戦争には狂気が存在する。普通の人間を鬼に変える。戦争は一旦始めてしまったら、それを終わらせることは難しい。これまで起きた全ての戦争がそのことを示している。戦争を回避する為にこそ、”智慧”は絞るべきである。 

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2007/8/14

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(5)  韓国周遊旅行(2007年夏)

 次に訪ねたのは世界遺産(2)「石窟庵」。仏国寺、石窟庵共、海抜754mの吐含山中腹に築かれた寺院である。ほぼ同時代(8世紀半ば)に何れも時の宰相、金大城が創建に関わったとされる。中国の石窟寺院に倣ったものだろうが、実際は自然石を形成して人工のドームを築いた後に土をかぶせて自然の洞窟のように見せかけたものである。なぜわざわざそのような造りにしたのだろう?

 内部は四角い空間の「前室」と丸い「主室」に分かれており、奥の主室に本尊仏の釈迦如来像が鎮座し、その本尊仏を守るように菩薩や弟子像、十一面観音像などがあり、前室の彫刻も含めれば計38体のレリーフ(浮き彫り彫刻)が現存している。

クリックすると元のサイズで表示します 仏国寺エリアの地図

 ”統一新羅の宗教的情熱の結晶”であったはずの石窟庵は時代と共に忘れ去られ(李朝時代は廃仏政策がとられたしね)、20世紀初頭には崩壊寸前であったと言う。日本統治時代に修復工事がなされたが(1913-21)その工事が杜撰であったために今では仏像の本来の位置や石窟の正確な構造を知ることができなくなったと韓国は主張しているらしい(さらに通風も悪くなったという説もある)

 崩壊寸前であったものを救うべく行われたはずが、綿密な保全策を検討する間もなく行われたのだろうか?例えば「絵画」の修復作業は、昔は見てくれ重視の補筆一辺倒だったのが、現在は保全重視の原状回復を目指すものになっている。時代と共に「修復」の概念及び方法論も変わって来ているが、下手にいじると却って劣化を早めてしまう危険性は十分あると言えよう。

 地図を見れば分かるように、仏国寺から石窟庵までは山肌を縫うように蛇行する道路が続く。5月に訪れた六甲山の道を思い出した。道幅もそんなに広くはないので、カーブを曲がるたびに対向車が気になり緊張した。そんな私の不安などお構いなしに運転手は慣れた手つきでハンドルをさばく。仏国寺からは30分ほどで石窟庵に到着。

山門―立派な屋根を支える柱が結構華奢なのに驚く クリックすると元のサイズで表示します 

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写真左:本尊仏、釈迦如来座像。もっと近くからじっくり見たかったな…
右:1930年当時の石窟庵内部(『日本地理風俗体系 朝鮮編上巻』新光社より)
日本による修復後でこの状態だから、修復前はどんな状態だったのか…


 実は石窟庵は今回の旅で最も楽しみにしていた訪問地のひとつだった。新羅仏教美術最高峰の石仏と誉れ高い釈迦如来座像。私は大学での専攻は西洋美術ではあったが、大学の「古美術研究」の授業で仏教美術の宝庫〜福井、京都、奈良を訪ね、数多くの仏像を目にした経験がある。以来、仏像にも関心があって寺院や展覧会によく足を運んでいる。特に渡岸寺の『十一面観音像』(国宝)には東博の『仏像展』でも再会したが、その優美な佇まいは何度見ても惚れ惚れする。それだけに石窟庵の石仏への期待も大きかった。

 しかし、石窟庵訪問後の印象はいまひとつ薄い。その理由は慌ただしい旅程であったことと、石窟庵内部が保全のためにガラス越しに、しかも遠目にしか見られなかったからである。感覚的には、混雑した美術館の企画展で流れ作業的に作品を見た、というのに近い。山門から緑深い参道(帰り道リスにも遭遇!)を20分ほど歩き、さらに石段を上ってやっと辿り着いたかと思ったら、ものの数分で見学は終了だったのだ。諸事情で仕方ないとは言え、かなり消化不良な感じだ。
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2007/8/13

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(4)  韓国周遊旅行(2007年夏)

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慶州市観光地図。

 朝食後、慶州ワールド隣接のホテルから、まずは世界遺産(1)「仏国寺(プルグクサ)」へ。車で朝早めに出発したおかげか道路も空いていて30分弱で着いた。仏国寺は、長きに渡って勢力争いを続けて来た高句麗、新羅、百済の三国が、中国・唐との同盟関係を結んで軍事力を補強した新羅により統一されてから約200年後の8世紀半ば、景徳王(キョンドクワン)の時代に金大城(キムデソン)によって創建されたと伝えられている。しかし、豊臣秀吉の領土的野心による2度の朝鮮出兵(1592年文禄の役、1596年慶長の役)の時に放火され、一部石築だけを残して焼失してしまったと言う。

 いきなり朝鮮出兵かあ…韓国仏教が国家統一の精神的支柱としての大乗仏教とは言え、他国の宗教施設への攻撃は褒められたものではない(そもそも戦争は敵方への敬意もへったくれもないクレージーな側面があるものだけど)。ガイドさんはどんな思いで加害者の子孫に対して、被害の歴史を語っているのだろう?聞いている私の方は心境複雑だった。

 その後廃仏政策の李朝下でも荒廃が進み、1969年の発掘調査を元に、自国文化の見直しで国家の誇りの復活を目指した朴大統領政権下の1970年代にやっと復元されたらしい。しかし文献資料も十分でなく、残念ながら完全復刻とはならなかったようだ。一度失われた物を元の状態に戻すのは誰の手をもってしても至難の業である。戦争の愚かしさを示す一例と言えるだろう。

 ただし歴史の解釈もさまざまである。秀吉による朝鮮出兵は”中国(明)の侵攻を止めるために進軍した時の通り道だった朝鮮に攻撃されたので抗戦したというのが真相であり、しかもその被害の大半は朝鮮人自身の「焦土作戦(日本軍の補給線を絶つためだけに同胞を殺し 食料を燃やす)」によるものである。”という説もある。(韓国は『なぜ』反日か?より)(←このサイト自体「嫌韓色」が強いので内容の全てを鵜呑みにはできないが、「こんな歴史解釈もあるのか」という驚きはある。そもそも誰もが納得しうる歴史解釈は成立するものなのか?どんな国家も自国の都合の良いように歴史を解釈しているだけなのでは?と最近「歴史」の普遍性に疑問を感じるようになった。だからこそ、歴史認識の違いで、後世の人間が争うことの不毛を私は感じるのだ。) 

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「仏国寺」ユネスコ世界遺産登録記念碑の前にて

仏国寺山門。堂々とした門構え クリックすると元のサイズで表示します

土台の石組みの見事さが目を引く…石の文化 クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します 石組みの上が仏国、下が現世を意味するらしい
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2007/8/11

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(3)  韓国周遊旅行(2007年夏)

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2日目の朝食。ホテルすぐ近くの大衆食堂で食す。やはり皿数は多い(笑)。
万国共通かもしれないが、”都会度”が増すにつれ皿数は減り、味は洗練されて行く。
以後毎食、自家製のキムチが登場するが、これらは全てそれなりにおいしい。さすがは韓国。
グツグツと煮立った鉄鍋で供された「ミソチゲ」は日本で言えば「みそ汁」か。
エビのダシが利いているが、元々私はエビが苦手なので味は好みとは言えず。
唐辛子も入っているので、タイの「トム・ヤム・クン」にも似た味わい。
旅行社のパンフの日程表には「市内のレストランで朝食」とあったが、
店の看板は「大衆食堂」。看板通りの雰囲気と味でした。


クリックすると元のサイズで表示します 息子は一晩で元気回復!
「大衆食堂」店内の様子。なぜか壁面にはヨーロッパの街並みを描いた壁画が…
およそ店の雰囲気に似つかわしくない風景画が、却って「大衆食堂」らしいかも。
食後、店外のトイレに行ったら、個室のゴミ入れに高さ1m以上の
使用済みの(トイレット?)ペーパーの山。当然のことながらそれが異臭を放っていた。
その衝撃的な光景に圧倒されてトイレに入る気が失せた。
今回訪韓3度目というS夫人から、
「トイレが詰まりやすいのでペーパーを流さない習慣がある」と後で聞いた。
流せないのは仕方ないとして、もっとマメに清掃すべきでは?


 さて、いよいよ韓国にある七つの世界文化遺産を巡る旅のスタートである。実際のところは混雑を見越してスケジュールを前倒しして、前日の夕食前に世界遺産ではないが、慶州市を代表する文化遺産、古墳公園「大陵苑(テヌンウォン)」の訪問は済ませていた。以下は前日「大陵苑」を訪ねた際のレポート。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
写真左「天馬塚」、右「夫婦塚」:仲睦まじかった夫婦が一緒に埋葬されている古墳
 「天馬塚」は被葬者不明。その名の由来は、出土した副葬品の中にあった天馬図による。その「天馬塚」がある「大陵苑」は慶州市内の中央に位置し、約12万5400坪の敷地に新羅1000年の古墳23基が散在する公園。「天馬塚」は内部が公開されており、古墳の造成を内部から見ることができる。さらに博物館に収められた、5〜6世紀頃のものと見られる副葬品のレプリカも展示されている。何処にも墓荒らしがいるらしく、豪華な副葬品がごっそり盗まれた古墳も少なくないのだとか。そのガイドの解説にエジプトのピラミッドのことを思い出した。確か墓荒らしに手を焼いた王家はピラミッドを造ることを止め、「王家の谷」にミイラや副葬品を埋葬したのだよね。

当時の金工技術の素晴らしさを今に伝える「金冠」(「奈良博」で来日)の造形は見事なものだ。純金の冠に彩りを与えている勾玉の玉(ギョク)は慶州では産出せず、中国から伝来のものらしい。
クリックすると元のサイズで表示します 数ある出土「金冠」の中でも特に立派なもの(写真は一部)
「天馬塚」の名の由来となった天馬図 クリックすると元のサイズで表示します
白樺の皮を幾重にも重ねて作られた「あおり」(障泥:泥よけの馬具。下鞍の間に差し込んで馬腹の両脇を覆う。後には飾りとなり晴天にも用いた。以上『広辞苑』より)に描かれた天馬の図。
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2007/8/11

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(2)  韓国周遊旅行(2007年夏)

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ガイドの韓(ハン)さん曰く「慶州は日本の奈良・京都」らしいけど…
見どころの数の多さは京都・奈良に遠く及ばない印象。
逆にどこをとっても絵になる、見どころ満載の
奈良・京都の凄さに改めて感嘆する。
世界中捜してもあんな所はないと思う。
写真は慶州の高速道路入り口の立派な門構え。


 1日目は午後便で釜山到着が4時過ぎ。殆ど移動で終わると言って良いと思う。今回のツアーで成田から釜山に向かったのは私達家族のみ。しかし、釜山で名古屋から釜山入りしたSさんご夫妻と合流。見たところ団塊世代のご夫婦。ジーンズにTシャツ姿のカジュアルスタイル。名古屋発便は午前到着らしく、既に釜山半日観光を済ませたらしい。私達家族は釜山に降り立っただけで、そのままガイドさん、Sさんご夫妻と共にワゴン車で慶州へと移動。

クリックすると元のサイズで表示します 乗り物酔いですっかりお疲れ気味の息子
 宿泊先ホテルへ向かう前に別のホテルで夕食の「韓定食」を食す。本格的な「韓定食」は大きなお盆ごと種々の小皿料理が運ばれるらしいので、正確にはこれは「韓定食」”風”か。地方であればあるほど食べきれないほどの量の料理を出すのだとか。それが歓待の印らしい。別のツアーのガイドが「全部を無理して食べる必要はありませんよ。遠慮なく残しても良いですから」と言っていたのが印象的だった。

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ホテルのサービスで披露される韓国民族舞踊。
韓国美女達がにこやかに舞うのを見ながらの食事。まあ楽しいものです。


 一泊目のホテルはCOMMODORE CHOSUN HOTEL。客室の窓からは湖が一望できた。設備の整ったリゾートホテルらしいが、今回は翌日の朝食も外で取る予定で、ホテルではただ寝るだけだったので特にこれと言った印象はなし。韓国もサマーバケーション・シーズンなせいか、この日も近隣の広場で野外コンサートが催されていたようで、夜遅くまでビートのきいた音楽が響いてなかなか寝付けなかった。
一泊目の宿泊先:COMMODORE CHOSUN HOTEL クリックすると元のサイズで表示します
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