2007/6/24

Open Society という考え方  文化・芸術(展覧会&講演会)

クリックすると元のサイズで表示します 大成した投資家であり、慈善家でもあるジョージ・ソロス氏

 偶然に興味深い番組を目にしたので、ここに要旨を書き留めておく。NHK−BSの「未来への提言 投資家ジョージ・ソロス〜国家なき政治家は訴える」というものだ。現在76歳になるジョージ・ソロス氏は最も成功をおさめた投資家のひとりであり、総資産は1兆円を超えるとも言われているが、同時に慈善家としても20数年のキャリアを持つ。番組はかねてより懇意にしている日本の民間シンクタンクの理事長とジョージ・ソロス氏の対談の形をとり、慈善家としてのソロス氏に焦点を当て、その思想、哲学をつまびらかに紹介することを試みている。

 ハンガリーに生まれ育ったユダヤ人のソロス氏は、13歳の時にナチス・ドイツによるユダヤ人迫害に直面するが、著名な弁護士であった父の機転で、彼の家族と周囲の人々は父が用意したニセの身分証によって難を逃れる。戦後彼は英国ロンドンに渡り、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び、そこで出会った科学哲学研究者カール・ポパー教授(『開かれた社会とその敵』)の思想に多大な影響を受け、彼の慈善事業の母体である財団名にも、ポパー教授の提唱した社会の理想的な在り方を示す言葉、"Open Society"を採用しているほどだ。

 Open Society〜開かれた社会とは何か?彼曰く、それは(いかなる原因・理由によっても)誰もが生命を脅かされることなく、自らの力で活路を見出せる民主的社会である。言うまでもなく、その対極にあるのはナチス・ドイツの全体主義や、共産主義社会に代表される、社会体制への批判が一切許されぬ閉ざされた社会である。さらにソロス氏は国家の貧困と荒廃の原因は”悪い政府”にあると断罪。豊かな天然資源を有しながら、独善的な悪政によって紛争の絶えない国々の政府(アンゴラ、スーダン、コンゴ等)を名指しで非難する。

 ソロス氏は”開かれた社会”の実現を目指して、50代に自ら立ち上げた財団 Open Society Instituteに、年に4億ドル(480億円)という莫大な私財を投じ、援助活動を展開。当初は母国ハンガリーに大学を設立、ロシアの医療設備の充実のために5億ドル(600億円)、ウクライナに教育費用として100億円相当など、ルーツである東欧諸国への援助やその民主化支援が主だったが、徐々にフィールドを広げ、今ではアフリカ、東南アジア等世界の貧困地域に1500人のスタッフを擁し、世界で感染者が4000万人を超えたAIDSをはじめとする感染症対策、貧困撲滅に力を注いでいると言う。これまでに財団が活動のために投じた金額は総額7200億円にのぼるらしい(桁が大き過ぎて庶民の私には今ひとつピンと来ない…(^_^;))

 ソロス氏の行動哲学は明快である。師の思想を踏襲し、「人間はけっして完璧な存在ではなく、人間の行うことに間違いはつきもの。その誤謬性を自覚し、常に”自分は間違っているかもしれない”と自己批判を忘れないことが重要だ」と説く。これは慈善活動、ビジネスに共通して氏の行動の指針になっていると言う。だからこそ、9.11直後の米国社会の在り方には懐疑的だった。”テロとの戦い”のテーゼの下、それに異を唱えることを許さない空気。そうしようものなら”愛国心に欠ける”と非難された、あの閉ざされた社会の空気。

 氏は言う―イラク戦争は誤りである。米国はそれを認めて是正すべきだ。軍事力があれば、自分達の考え方を押しつけられると考えるのは間違っている。国際関係とは軍事力のみに頼るのではなく、国際協力によって築かれるべきものである。同様にビジネスの世界でも、市場原理主義は危険だ。現状は全てが市場に依存し過ぎであり、それを監視する仕組みさえない。要はルールやバランスが大切なのだ。何事も行き過ぎは不均衡をもたらす。

 現在我々が直面するHuman Security〜人間の安全保障に関わる問題への対処にも、国際協力が欠かせない。AIDS感染拡大問題しかり、地球温暖化しかり、核兵器拡散しかり…しかしまた、そうした困難が、国際協力を推進する原動力にもなるのだと思う―”(競争”ではなく”協調・協力”の社会へ、今、国際社会は方向転換を迫られているのかもしれない。日本はその逆を行っているように思えてならないのだけど…)

【ユダヤ系ハンガリー人つながりで…】
ピーター・フランクル氏講演会抄録
ピーター・フランクル氏講演会抄録(2) 

2007/6/23

(26)ダイ・ハード4.0(原題:LIVE FREE OR DIE HARD)  映画(2007-08年公開)

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 文句なく面白い!息つく暇を与えない怒濤のアクション・シークエンス。die-hardな男ジョン・マクレーンにかかれば、ヘリコプターや戦闘機だって形無しってもんだい(笑)。前作から12年経って、どんな物語を見せてくれるかと半ば期待、半ば不安を持って公開を待っていたが、見事に今日的な題材で以て還って来てくれた。デジタル(ハッカー)とアナログ(ジョン)の見事なコンビネーションは、シリーズものにありがちな失速感もどこかに吹き飛ばしてくれたよ!過去の成功にあぐらをかくことなく、”あくまでも攻め続ける”製作者の姿勢は表彰もの!!

 もちろんユーモア溢れるぼやきが特徴のマクレーン節も健在(笑)。大袈裟な大義名分もなく、もったいぶった動機付けもない、ただ目の前の敵に、満身創痍になりながらも立ち向かう我らがジョン・マクレーン。シリーズに一貫する、そのシンプルなヒーロー像が、この作品の最大の魅力と言えるのかもしれない。

 脚本、キャラクター、アクションと3拍子揃って、今年見たアクション映画の中では出色の仕上がり☆今夏、イチオシのアクション巨編と言えるだろうか。できるだけ大きなスクリーン素晴らしい音響設備の映画館で、die-hardアクションの凄さを体感して欲しい。その凄さと言ったらもう…これはSF映画かとみまがう(見粉ふ)ばかりの、現実では絶対あり得ないことばかりだから(笑)。

 逆に、本作が描くサイバーテロ犯罪は、電気・ガス・水道のライフラインから、行政・経済・金融に至るまで、全てコンピュータ制御されている現代社会の脆弱さを衝いて現実味を帯びているのだから、背筋が寒くなるような恐怖を覚える。マジ・ヤバイですよ。これは。

    クリックすると元のサイズで表示します  今回の”相棒”はオタッキーなハッカー

 今回の”華”はアジアン・クール・ビューティのマギーQ クリックすると元のサイズで表示します

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【サイト内関連記事】

『ダイ・ハード 4.0』余聞(少々ネタばれあり)

小粒だけど『ダイ・ハード 4.0』のもう一人の主役

2007/6/22

(25)試写会『シュレック3』  映画(2007-08年公開)

クリックすると元のサイズで表示します  6月19日(火)、一ツ橋ホールにて

 シュレックの物語の何が一番良い(=心地よい?)かと言ったら、やっぱり”自己肯定感”だろうか?主人公のシュレックフィオナも”一般の美の基準”からは大きく外れた自分自身の外見を肯定的に受け止め、互いの(もちろん外見だけでない)ありのままを認め合っている。人間誰しも自分自身の理想像と現実の自分とのギャップに悩んでいるだろうから、この作品を見ると心の重しを下ろすようなホッとした思いにかられるのでは、と思う。さらにフィオナを取り巻くおとぎの世界の美女達〜白雪姫、シンデレラ、眠りの森の美女〜よりも、そのウィットに富んだ語り口からフィオナの方が何倍も魅力的に見えて来るから不思議だ。

 そして幸せの在り方はひとつではない、という明確なメッセージ。今回は、おとぎの国の王位を巡る争い(陰謀?)にシュレックとフィオナが巻き込まれる。豪奢な城に住み、おとぎの国の王として権力を手中に収めることよりも、シュレックとフィオナが望んだものとは…?二人の選択に上昇志向の強い人はハッとさせられるのでは?

 所詮おとぎ話―と受け流すなかれ。今ひとつ幸せを実感できない人に欠けているのは、この自己肯定感と多様な価値観に目を向ける広い視野なのかもしれないのだから。

同じくDREAMWORKSが手掛けた"ANTZ"(1998)
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 映像表現の素晴らしさは言うに及ばず。かつて水の表現に革新をもたらしたとされるアニメ『アンツ』から、この『シュレック』に至ってひとつの到達点に行き着いたと言えるだろうか?登場するキャラクターの動きも実に滑らかで、実写映像と変わりない。
【追記】
 6月30日放送のテレビ番組『王様のブランチ』では、アニメーターにインタビュー。それによれば、『シュレック』の場合通常とは逆で、人間の台詞にアニメの動きを合わせるのだそうだ。その為に、なんと3秒のシーンを作るのに1週間を費やすらしい。番組ではその”衝撃の事実”に、リポーターのりりこが思わずひれ伏していた(笑)。そういう想像を絶する綿密な作業によって、あの映像表現が可能となったのだ。

 家族で楽しむアニメ映画から、大人だけでも楽しめるアニメ映画へ。『シュレック』シリーズがその筆頭であることは間違いないと思う。


2007/6/22


知性も見識も感じられない、弛みきった我が国の首相の顔をテレビ・ニュースで目にするたびに、吐き気を催します(大袈裟でなく、本当なんです。どうしようもないくらいに)。彼の口から出る言葉も何ら説得力がなく、上滑りですね。本当にこの国の行く末について真剣に考えているのか?国民のことを思って政(まつりごと)を行っているのか?私には国会の会期延長の必然性がどうしても理解できない。このことによって、各方面に多大な迷惑が及ぶのですよね。誰も彼の暴走を止められないのか?ただただ嘆息…

人間40歳を過ぎたら、生まれ持った造作より、人相です。人相。如実に生き方が顔に出ます。

2007/6/17

今日(6月17日、日曜日)は父の日  家族のことつれづれ

 我が家では朝の「おはようございます」と夜の「おやすみなさい」の挨拶は必ずするのがルールだが、朝寝坊の息子は特に休日はなかなかベッドから起きあがらずにグダグダしている。今日も10時頃までリビングに姿を見せないので、彼の部屋まで行って私は怒った。「目が覚めているなら、さっさとベッドから起き上がって挨拶しなさい」。すると息子は何やら口をもごもごとさせて不満げな表情を見せた。あ〜いつもの”ちょっと遅めの反抗期”か、とたいして気にも留めなかった私だが、実はそうではなかったようだ。

 夫は日曜日、しかも父の日だと言うのに、午後から大阪へ出張である。身支度を終えリビングのソファに腰掛けた彼が、改めてしみじみとした表情でこんなことを言った。
 「今朝、出張の準備で玄関の方に行ったら、突然○○(←息子の名前)が珍しく起きて来て、僕に言ったんだ。『お父さん、父の日おめでとう(この日が”おめでとう”と言うべき日なのかは別として…)。いろいろ(仕事も)大変だろうけど、身体に気を付けて頑張ってね』と」。しかも夫の左肩に手をやって(笑)。
 「そう言われて嬉しかった?」と聞くと、夫は静かに頷いた。「こんな時に、やっぱり子供っていいなあ、って思う?」とたたみ掛ける私に、再び夫は頷いた。
 子供は親が考えている以上に親思いなんだろうなあと、思った瞬間である。何日も前から私に「もうすぐ父の日だけど、お父さんに何をプレゼントしたらいいんだろう」と何度も言っていた息子。モノじゃないんだよね。その親を思う気持ちが嬉しい。

2007/6/13

(24)しゃべれども しゃべれども  映画(2007-08年公開)

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 まず見終わって、寄席に行きたくなった。これ、夫婦共通の思い。(結構年季の入った)ジャニーズ系アイドル?の国分太一がかなり頑張って、主人公の二つ目の落語家を生真面目に演じている。たぶん寄席や独演会で生の落語を聴いたことのない人から見れば、その噺家ぶりは十分満足の行くレベルに達していると思う。素人の国分がよくぞここまで、と感心することであろう。

 しかし生の落語を何度も聴いた者には、最初から最後まで肩に力が入った彼の一生懸命さが、「ちょっと違うんだな」ということになる。やっぱり落語には”遊び”がなきゃ。飄々として掴み所のない”軽さ”がなきゃ。でもまあ、この作品は落語の出来不出来を問う話ではないからね。

 何と言ってもこの作品は、ひょんなことから落語教室を開くことになったうだつの上がらない二つ目の落語家と、それぞれに悩みを抱えた3人の”教え子”との交流を描く東京の下町を舞台にした、落語を肴に展開する人情物語ですから、あくまで(と言っても、見方によっちゃあ、落語もまた主役と言えるんですけどね。もちろん、国分さんの頑張りは認めていますとも!あ…よくよく考えてみれば、国分さんはそれで良いんですね。彼が巧い噺家だったら、そもそもこの物語は成立しない)

 ”遊び”という点では子役の森永悠希くんが上手(うわて)ですね。彼は噺を自分のものにした上で自分自身も楽しんでいる。オーデションの段階で、唯一人「まんじゅうこわい」をそらで覚えていたのがこの森永くん、という逸話が残っているほどだから、只者じゃない(笑)。とにかく一席演じる彼の、さも楽しそうな様子に釣られて笑ってしまう。微笑ましいとでも言おうか。設定では、大阪からの転校生ということになっているが、その実バリバリの浪速っ子らしい。ここでも大阪弁独特のリズム、軽妙さが生きている。劇中、彼が落語のお手本にしたのが、今は亡き桂枝雀いささかオーバーアクションの、在りし日の彼の一席が、映画の中でちょこっと拝めるのは何だか得した気分。同時に上方落語が彼を失った哀しさ、寂しさも感じて切ないよ。 

噺の面白さは天下一品!英語落語にも果敢に挑戦した桂枝雀 クリックすると元のサイズで表示します

 映画には”華”もなきゃ、と言うことで、モデル・女優としても活躍する香里奈(←ちなみに彼女の映画初主演作『深呼吸の必要』も良いよ♪)が出演。クール・ビューティな彼女が、口の利き方を知らないぶっきらぼうな美女を演じて、結構楽しい。周囲からは高飛車だと誤解されがちな、こういう美女、案外身近にもいそうだ。ただ口下手なだけなのに。仏頂面の松重豊も、不器用な男の代表としては、やっぱり必要な存在だろう。そして主人公の祖母と師匠を演じて脇をキリリと固め、若手演者を助けるのが、ベテランの八千草薫伊東四朗。この二人がいなかったら、この映画は締まらなかっただろうな。その存在感と手堅い演技はさすがだ。正に人生の酸いも甘いも噛み分けた人ならではの包容力で、不器用な若者達を温かく見守っているという役柄にぴったり。

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 本作は、97年度『本の雑誌』ベスト10 第一位に輝いたという小説(佐藤多佳子作)の映画化。原作者の佐藤さんはこの小説を書くまで、もっぱら落語を読物として楽しんでいたというから意外だ。落語は、噺家によって初めて”生命(いのち)”を与えられるものだと私はずっと思っていたから(もちろん、あくまでも私見)。監督は平山秀幸。平山監督と言えば、原田美枝子主演の『愛を乞う人』(←この作品は見応えがあった)を撮った監督だ。本作は傑作とは言わないまでも、見終わった後に心が温かくなるような珠玉の一品だろうか。そして思わず寄席に行きたくなってしまう、落語の魅力を伝える一品でもある。

 蛇足ながら、やはり噺家は落語を耳から覚えるようだ。だから言葉(の意味)は知っていても、その漢字は書けなかったりするのだろう。 

■なかなか見応えあります:映画公式サイト

2007/6/9

息子は中国で何を学んで来たか  家族のことつれづれ

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 息子が無事中国旅行から帰って来た。彼が旅行で家を空けている間、心配性な私は常に旅程表を見遣りながら、「今頃、天安門広場ね」「今は雑伎団を楽しんでいるところかしら?」「もう万里の長城には着いたかな」などと想像を巡らせては、「交通事故に遭いやしないか」「何か危険な目に遭っていやしないか」と彼の身を按じてばかりいた。まったく…我ながら親バカである(^_^;)。

 とは言え、彼が帰国した日、私はあいにく午後から、美術館で今夏実施予定のワークショップに向けての研修で家を空けており、彼を玄関先で迎えることはできなかった(今や共働きの家庭も多いのだから、普段出迎えられること自体が恵まれているのだろう)。予定通りなら、5時頃には自宅に着いているはずである。細身であまり体力があるとは言えない息子の体調が気になりながらも、私は5時近くまでトライアル後のミーティングに参加していた。

 すべての研修スケジュールを終え、(所在不明だったので)息子の携帯に電話してみると、息子はいつになく疲れた声で応答して来た。まさに疲労困憊といった感じだ。一応無事帰宅したことを確認できた安堵もあって、私はすぐに電話を切った。その後地元へ向かう電車の中でメールを打った。「何か買って来て欲しい食べ物はある?」―すると間髪を入れず、「お母さんだけでいい」と返信が来た。なんちゅーこと言うねん。歯の浮くような台詞。受け取ったこちらの方が気恥ずかしくなるような台詞だ。もしや誰かに見られてしまったのではと、思わず車内を見回してしまったよ。

故宮の屋根の連なりを公園から望む クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します 人民大会堂

 帰宅後、落ち着いてから旅の感想を聞いてみた。「何が一番印象に残った?」すると帰って来た言葉は「北京には物売りやホームレスがいっぱいいた」。街を歩くと、帽子や北京オリンピックのマスコット人形(おそらく今問題になっている無許可製造販売品)や磁石のおもちゃなどを手にした物売りが、しつこくつきまとって離れなかったらしい。彼の心を捕らえたのは、中国の悠久の歴史を感じさせる万里の長城でも、中国ならではのスケール感を持った人民大会堂や故宮博物院でもなく、必死に露天で行商する人々の姿だったのである。

 最近中国に関する報道が引きも切らないが、無許可でコピー商品を製造販売している人々の存在に当局が頭を痛めているとの報道もあったばかりだ。当局としては著作権問題で対外的に不味いとは判っていても、そうした人々の殆どが中国社会では最下層の貧しい人々で、一網打尽に取り締まると彼らの死活問題になりかねない、ということらしい。また先日一人っ子政策を厳格に適用して厳しく産児制限を行った農村部で死者が出るほどの暴動が起きた、という報道もあった。その地域の平均月収は約3万円だと言う。今回息子に持たせた小遣い(2万円)とあまり変わらない金額だ。そういう話もした上で彼を中国へと送り出したこともあって、彼はことさら中国社会における貧富の差や彼我の違いを肌で感じたのだろう。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します 胡同

 日本の観光地ではあまり見慣れない光景に、彼は内心ショックを受けたようだった。「それで、○○(←息子の名)はそれを見てどう思ったの?」と彼の心情を確かめてみると、息子は「可哀相な、気の毒な気がした」と言いながら、なんと涙ぐんでいる。感受性の豊かな子であることは幼い頃から見て来ているから承知しているが、それにしてもなんという慈悲深さ?!仏様の生まれ代りかい?!彼は将来、何らかの形で社会的に成功を収めたら、潤沢な資金を費やしてそうした社会的に恵まれない人々の手助けをしたいのだと言う。

中国人民抗日戦争記念館―心境複雑… クリックすると元のサイズで表示します 

 彼は本気でそう考えているようだから、それを茶化すのは大人としては慎むべきことだと思う。その立派な志を全うできるよう励ますのが親の役目だと思ったので、「○○が世の中の為になることをしたいと考えているのなら、それを実現するためにはいろいろと努力しなきゃね。まずはそれ相応の能力を身に付けないと。いろいろな能力があるとは思うけど、今の時期は基礎学力・一般常識(特に言葉を知らない、漢字を読めないのは恥ずかしいよ!言葉は思考の道具なのだから。もちろん行動倫理は言うに及ばず!)、体力、そしてコミュニケーション能力をしっかり身に付けることが大事だと思うよ」大人になって何をするにつけても、彼が今、学校で学んでいることが、あらゆることの基盤となるはずである。「まずは目の前にあることをひとつひとつきちんとやり遂げること」―なんてことを今さらのようにアドバイスしたのだが、イマドキの高2に言う言葉ではなかったかな(^_^;)。

2007/6/6

(23)『パッチギ! LOVE&PEACE』を見て思ったこと  映画(2007-08年公開)

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 夫が日曜日の午後に出張で石川県へ、息子は月曜日早朝に修学旅行で中国へと旅立った。それぞれ水曜日と木曜日には帰って来るので、火曜日だけ丸々1日、私はひとりということになる。こんなことは、おそらく息子が生まれて以来初めて。月曜の朝、息子を玄関先で見送った後、自分ひとりの時間であるこの日をどう過ごそうか(はとバスの日帰りツアーで遠出しようかとか、友人を誘って寄席か展覧会に行こうかとか…)と少々ワクワクしながら考えてみたが、いざ当日になってみると、意外にも気持ちが萎えてしまって腰が重くなってしまった。私はやっぱり家族が大好きなんだなあ…

 結局午後からモソモソと動きだし、まずは駅前の銀行で用事を済ませ、その後貯まりに貯まった映画のマイレージポイントを使って、映画『パッチギ! LOVE & PEACE』を見て来た。以前夫を誘って断られたが、夫が一緒でなくて正解だった。夫が嫌いなタイプの映画だと思う。私自身、前作と比べると、今作は今ひとつ心にフィットしなかった。しかし見るべき価値はある映画だと思う。

 ”無知”が”偏見”を生み出すからね。日本人は、この日本に住む異郷の人々についてもっと知った方がいい。なぜ彼らが日本に来たのか?なぜ今も住み続けているのかを。けっして広くはない国土で、異質な者同士の共存は難しいのかもしれない。摩擦や衝突は避けられないのかもしれない。しかし互いに歩み寄り、理解しあう努力の中で、幾つかの妥協点は見出せるはずだ。

 時に歴史の荒波は容赦なく人間を巻き込む。人は、個人の力ではどうすることもできない力によって、その人生を翻弄されることがある。与えられた運命の中で、必至にもがき苦しみながら、懸命に生きて行く。そうした人の生き様に、人種や国籍の違いなんて関係ない。他者を蔑む人は、大抵その人自身が何らかの屈折を心に抱えていることが多いんだよね。もし本当に幸せなら心が充たされているので、わざわざ他者を卑下したり貶めることで自分の立ち位置を確認する必要などないのだから(その意味では、本作で描かれた日本・在日両者、似たり寄ったり(T.T))

 冒頭から激しい両者の喧嘩のシーンで驚かされるが、確かに70年代にはそんな熱気があったと思う。寧ろ今の若者が去勢されたかのように、世の中にどんな不正があろうと、それによって自分達が将来不利益を被ると判っても、何のアクションも起こさないのが不思議なくらいだ。怒りのエネルギーさえ枯渇してしまったのか?世間との齟齬を感じたとき、それに異を唱えるのではなく自室に引き籠もってしまう若者がいる。自らの殻に閉じこもってしまう者もいる(ご丁寧にも携帯電話・携帯音楽プレーヤー、ゲーム、PCと、その為のツールも揃っている)。そうかと思えば、”断定口調”の勢力?に簡単に絡めとられてしまう若者もいる。優等生、落ちこぼれに関係なく、だ。

 この記事を書いた後に偶然Yahooの映画レビュー板を見たら、かなり低い評価と激しい?批判が殆どなのに驚いた。確かに前作ほどの完成度とパワーは感じられないが(パワーの方向性が違ったかなとは思う)、そんなに酷い作品ではないと思うのだが。しかし大量のレビューを見る限り、この作品が人の心を(いろいろな意味で)揺さぶる作品であることは間違いないようだ。確かに後味が良い作品は幸せな気分にさせてくれるが、たまにはこんな作品を見るのも良いと思う。さまざまなテイストの作品があっての全体の繁栄だろうし、そこで問われるのは見る側の見識だろうから。私達は映像で描かれていることをそのまま鵜呑みにするほど愚かではないはずだ。

2007/6/1

関西旅行はおいしい&楽しい(6)  関西を楽しもう♪

 前のページ(『関西旅行はおいしい&楽しい(5)』)で『STOMP』("STOMP"は、…を踏みつける、足を踏みならすの意。転じて、足を踏みならして踊るダンスやその曲を指すようにもなった)について少し触れたが、ここで補足説明を(”語り過ぎ”な感がなきにしもあらず(^_^;)ははは…)

 映画本編上映前に毎回流れる、映画館で使用中の音響システムの紹介CM。映画館に足を運ぶ方にはすっかりお馴染みのものだろう。主役の”迫力ある音響”と共に、”濃霧の中を走り出す蒸気機関車””エジプトの遺跡内部に差し込む一条の光””壮大な宇宙空間”など、趣向を凝らした映像が数バージョンある。これらのCM、私にとっては”現実世界”から”映画の世界”への切り換えスィッチのようなものである。

 かつては、ヨルダンの古代遺跡ペトラに通じる、切り立ったふたつの断崖に挟まれるようにしてある細道〜シク〜を想起させるような映像もあった。ちなみに私の一番のお気に入りは宇宙空間の映像。暗闇の中にくっきりと浮かびあがる満天の星々が重低音の効いたBGMと相俟って雄大・荘厳な雰囲気を醸し、これから始まる本編への期待感も否応なく高まる、といった感じ。

 そのCMの中でもお馴染みの『STOMP』の公演を旅先のロンドンのウエストエンドで見た。ロンドン・ソサエティが運営するレスタースクエアの当日券アウトレット売り場で、たまたま半額券が手に入ったのだ。会場では、上演前から常連客と思しき最前列の若者グループがハイテンションな盛り上がりを見せていた。

 モップが、掃除ブラシが、ゴミ箱の蓋が、ドラム缶が、迫力ある楽器に変身する。何気ない日常的な動作や掃除道具などから繰り出される音が、卓越した演者のリズム感と身体能力でパフォーマンス・アートへの変貌する。そうした日常の、ややもすると耳障りな騒音や人間の動作に着目し、鑑賞に耐えうるアートとして昇華させたアーティスト達は、掛け値なしに「凄い!」と思った。個人芸がぶつかりあう緊張感とストリート感覚の遊び心。この絶妙なバランスにも感服した。

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 そろそろ話を吉本に戻すと…先日夫が出張帰りに買って来た週刊誌には、最近巷間を賑わせている「吉本創業者一族と現経営陣との対立」の記事が掲載されていた。経営をその手に取り戻したい創業者一族と、新たな経営戦略で旧来の収益構造からの脱却を着々と進めている現経営陣の間の溝は深い。政治の世界もそうだが、お金が絡めば人間の本性の醜い部分が露わになる。キレイゴトだけでは済まされない役割を一身に負う者も出て来る。双方共にネガティブ・キャンペーンの応酬で、吉本のお笑いを愛するひとりとしては悲しくなる。
 
 それにしても記事中の”近年は、収益源が大阪から東京へと移る”という記述には驚いた。確かに吉本所属の芸人は、今や関西文化圏出身者に限らない。その出身地は、北は北海道から(タカ&トシ)、南は沖縄(ガレッジセール)までと全国区になりつつある。よって東京キー局で活躍する吉本芸人の中には関西弁を使わない芸人も珍しくない。”大阪のお笑い文化”は、東京への本格的進出で、”変質”を余儀なくされるのか?それとも全く別ものとして楽しめば良いのか?創業者一族の苛立ちは単にお金だけの問題ではなく、こんなところにもあるのかもしれないなあ…



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