2007/4/29

(17)映画『ボンボン』とは何ぞや  映画(2007-08年公開)

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 アルゼンチン映画なんて滅多に見る機会もないので、近隣のシネコンで上映されたのをこれ幸いと見てきた(と言っても、2週間も前に(^_^;))。一言で表現すると不思議な味わいのある映画だった。特に劇的な展開があるわけでもない。宣伝のキャッチコピーは「アルゼンチン版わらしべ長者」らしいが、別に日本の昔話のような成功物語でもない。ただ、物語の舞台となった、日本から最も遠い国のひとつ南米アルゼンチンの南部に位置するパタゴニア平原にそこはかとなく漂う寂寥感や大陸の乾燥を伝えるような画質のざらつき感、そこで生活する人々の暮らしぶりの描写やそこに流れている悠久の時間が、不思議な感覚をもたらしてくれる。私は大抵映画に非日常感を求めているが、その要求は十分に充たしてくれた。自分が普段目にすることのない風景、感じることのない雰囲気を、この映画では楽しむことができた。
 
チョット情けないボンボンクリックすると元のサイズで表示します

 タイトルのボンボンとは犬の名前である。スペルを見るとBombonだから、あのウィスキーボンボンやチョコレートボンボンのボンボンと同じ。ドゴ・アルヘンティーノという、アルゼンチン独特の犬種、しかも武骨な狩猟犬によくもまあ、このようなsweetな名前を付けたものである。日本で言うと、その外見が持つ雰囲気は土佐犬に近いか。しかしボンボンは、その立派な血筋に似合わず臆病でとぼけた味わいを持った犬だ。長年働いていたガソリンスタンドをクビになった主人公フアン・ビジェガスが、このボンボンと出会ったことで、ささやかな幸せを得て行く。その変化の控えめさ加減がまた愛おしく、切ない。
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 驚いたことにキャストは主人公を含め殆どが素人だと言う。しかも実名で出演していたりする。自分とは違う他人を演じながらも、キャストは自分自身を演じてもいるわけだ。演じている他人は、実際の彼らとかけ離れた人物でもないらしい。どこか違って、どこか似通っている。これは監督が当初から意図したことなのか、役柄と自分自身の間を行ったり来たりしている意識の”揺れ”が、絶妙な味を醸し出しているように見えた。特にそれまで10年1日の如く殆ど変化のない日々を過ごしていたはずのフアンの、思いがけない展開の連続に戸惑う表情が、何とも言えないおかしみを感じさせる。彼を取り巻く状況にはアルゼンチン社会の厳しい現実も透けて見えて…「おーい、しっかりしろよ」と見ているこちらは思わず言いたくなるのだが、そんな彼に監督の演出はあくまでも温かい眼差しを送っているように見えた。

 舞台背景、登場人物―まさにアルゼンチンでだからこそ作り得た作品なのだろう。他のなにものでもない個性の輝きを放つ珠玉の1品だと思った。

【チョットひと言】
ドッグ・ショー審査のあっけなさにビックリ?!
一瞥しただけで、その犬の良さがわかるものなの?

映画『ボンボン』公式サイト 




2007/4/29

GWって…  日々のよしなしごと

 今年のGWは最長9連休取れるわけだが、果たしてどれだけの人がそんな長い休みを取っているのだろうか?って辺りを見回したら、すぐ近くにいた。夫だ。しかしGW明けには(本人曰く)地獄のような日々が待っていると言う。私の大学もGW期間中は特別休業期間になっていて、その長い休みを利用して国内外の旅行へ行く学生が少なくなかった。その代わりGW明けに課題レポートを提出しなければならない。息子は?というと、5月1、2日が普段通りの登校日だ。せっかくのGWも分断されては意味がない。1年中で最も快適な観光シーズンに、机に向かって勉強もないだろうと思うのだが…
 
 しかも、カレンダー通りに行けば今日は最初の3連休の中日だというのに、私達家族は自宅にいる。こともあろうに、今日はマンションの管理組合の総会と防災訓練の日となっているのだ。せっかくの3連休だというのにウチのマンションの住民の中で旅行に行くような人はいないのか?息子もこれから予備校のテストがあるし、なんとなく味気ない休日である。これではあまりにも侘びしいので、今日は(体調も万全ではないが)『バベル』を見に行くぞ!息子はテスト帰りに『コナン』らしい。結局”庶民の娯楽”を選択する我が家であった。

 まっ、そもそも「GW」は、この時期が盆や正月よりも興行成績が良いという意味から映画業界が付けた名前である。それからすれば我が家の行動は理に適っていると言える。

2007/4/28


 食料品は少々価格が高めでも主に生協で調達し、足りない分をスーパー・マーケットで週に1〜2回まとめ買いしている。玄関ドアの内側にA4サイズの白いマグネットシートを貼ってあり、何かが品切れするたびにホワイトボード・マーカーでメモするようにしている。4〜5品目溜まったら、スーパー・マーケットに買い出しに行くのだ。買い出し時にはちゃんと買い出しリストを紙に書いて持って行く。そうすると幾らか無駄使いが減るような気がするから。でもあまり几帳面にリストに従って買い物すると却ってストレスになるので、心持ちユルメに。お菓子なんぞを1〜2品買ったり…

 今日は久しぶりにスーパー・マーケットに行った。このところ体調不良だったので外出を控えていた。久しぶりだったせいか、いつもより品数は多め。レジの順番待ちをしていると、私の後ろに両手で3品ほどを抱えた50代と思しき女性がやって来た。こんな時、私は順番を譲ってあげることが多い。今日もそうしようかと思った。でも止めた。なぜなら、その女性が手に持っていた食料品をレジ台に投げ捨てるように置いたから。食べ物をぞんざいに扱う人には譲ってやんないよ。たまにコンビニなどで、お金をレジ台にほうり投げる人もいる。男女問わずだ。そんなことしたら、お金に嫌われてしまうぞ、と思う。

2007/4/24

まあ、日々いろいろありますが…嬉しかったこと  家族のことつれづれ

 このところ天候が不順。そろそろ青空が恋しい。南からの強風が続いた日には、洗濯物もベランダに干せやしない(現在のマンションに住んで間もない頃にパジャマの上着を紛失。突風に乗ってどこへ飛んで行ったんだか…)。そしてガタイ(チビ・デブ)の割には病弱なので自分なりに健康管理には気を付けているつもりが、家族の誰かが外から病原菌を運んで来る。というわけで、今、風邪をひいて体調は今ひとつ。最近の流行りは喉風邪らしい。喉(気管支?)がゼーゼーする。今年は”はしか”の流行の兆しも見えるらしい。大人が罹ると症状が重く出るらしいから気を付けなくては。

 昨日、息子が先日行われた県下一斉テストの答案を持ち帰った。結果は100点満点!おそらく名だたる進学校ならそう珍しくもない満点だろうが、満点は満点。何百人いようが、県で一位である。こういうことは人生でも滅多にないことだと思うので、ここに記しておこうと思う。

 息子もさすがに嬉しそうだった。何事もスロースターターで、なかなか結果が出なかった。やっと昨年の秋辺りからエンジンが温まって来たようだ。親譲り(T.T)の運動神経で運動は苦手。中学の時はそれまで一切やったことのない野球部で殆ど休まず3年間頑張ったが、試合には練習試合でさえ一度も出られず終い。高校になって始めたエレキ・ギターの腕は発展途上。”好きこそものの上手なれ”で今後に期待するとしよう。

 ごく一部の万能人間を除いて人間誰しも得手不得手はある。できないことを数え上げるより得意な分野を伸ばせば良いのだと思う。親は努力する姿を褒め称える役回り。最近は漫画家にでもなるつもりなのか、漫画の人物描写に余念がない。ちょこちょこ描いては、人体バランスはどうか、表情描写はどうかとアドバイスを求めに来る。その意味で、先日見たダ・ヴィンチ展では、レオナルドの解剖学まで追究した科学的な描画に感動したらしい。

 あ…親バカ全開モードに陥っている
ウチは夫婦共に親バカである。息子と一緒にいられるのも後数年。せいぜい親バカでいたい。

2007/4/24

(16)夫婦50割引♪と『ホリデイ』  映画(2007-08年公開)

 先週のある日、夫は50回目の誕生日を迎えた。その誕生日の1カ月以上前から、誕生日プレゼントに何が欲しいのかと夫に尋ねたが、物欲がまるでない夫は「何も要らない」と繰り返すばかり。あれこれ候補の品を挙げてみたが、すべて要らないと言う。「困ったなあ、どうしよう」―何も決まらないまま、夫の誕生日を迎えてしまった。

 ところが、誕生日当日の昼休みの時間に、職場の夫からメールが届いた。「今日は仕事帰りに映画が見たい。それが誕生日プレゼント」「本当にそんなものでいいの?」「いい。夫婦50割引を使って見てみたい」―何度かのメールの往復を経て、急遽駅前のシネコンで『ブラッド・ダイヤモンド』を見ることになった。高校生の息子も誘った。初「夫婦50割引」映画としては十分見応えのある作品で、夫は至極ご満悦。「今日のチケットは記念に取っておく」といって、大事そうに懐にしまった(結局、モノとしては、長崎のハウステンボスで昨年末に夫へのサプライズ・プレゼント用に買っておいた、トリッキーな絵で有名なエッシャーの図柄のマジック・マグカップを後でプレゼントした)

 「夫婦50割引」とは、夫婦の何れかが50歳であれば、夫婦で2000円の入場料という特別割引制度だ。期間限定で設置された制度だが、好評につき一度は期間が延長された。その期間延長も今年の6月末まで。「夫婦50割引」新米夫婦としては、期間がさらに延長されることを願いたいが、さてどうなるのだろう。延びたらいいなあ。

「夫婦50割引、3年間のキャンペーン好評につき制度化へ」

 夫婦50割引に味をしめて、日曜日にもまた映画を見て来た。今度は夫婦ふたりきりで、作品は『ホリデイ』。前回の『ブラッド・ダイヤモンド』とはうって変わって、軽いラブコメと言った感じ。LAとロンドン郊外に住む二人のキャリア・ガールが、クリスマス休暇の2週間、互いの家を交換(Home Exchange)したことで二人の身に起きるさまざまな出来事を綴ったもの。LAの陽気とロンドン郊外の雪景色、モダンな豪邸と小さなカントリー・ハウス―まず舞台設定の対照が楽しい。そしてイギリスとアメリカを代表する美女二人(ケイト・ウィンスレットとキャメロン・ディアス)の違いと共通点、二人に絡む魅力的な男性達(ジュード・ロウにジャック・ブラックに、そして老脚本家アーサー!)、登場人物達のウィットに富んだ会話―と言った細部を味わうことになる。デート・ムービーにはピッタリだろう。でも、映画館を出た後には楽しかった”気分”だけが残っている―そんな映画だった、かな(笑)。

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2007/4/23

全ての子どもに居場所を  はなこのMEMO

 子育て中は、親同士の助け合い、情報交換が欠かせない。先日は中学の時のPTA役員活動を通じて親しくなった母親同士のランチ会に出席した。かつて中2、中1だった子供達も今では高2、高1である。自ずと自分達の時代とは全く変わってしまった大学入試についての話題が中心となったが、皆で一致した意見は、今の時代、子育てに頑張る親とそうでない親、教育熱心な親と無関心な親の二極化が顕著ではないか、ということだ。

 出席者のひとりが、ある少年院の院長の講演会を聞いたそうである。その講演の中で彼女を愕然とさせたのは、その少年院に入院している少年達を調査したところ、全員が物心ついた頃から自宅で朝ご飯を食べたことがない、という驚くべき事実だった。飢餓で苦しむ地でもなく、紛争地でもない日本で、子どもがまともな朝食も食べずに成長するとは一体どういうことか?

 近年、夜間に特に何をするわけでもなく、外でたむろする少年達の姿も目立つ。本来ならば自宅で家族と団らんしているか、そうでなくても自宅にいるべき時間に、彼らはなぜ外にいるのか?夜間に我が子が自宅にいなくても平気な親。せっかくお腹を痛めて産んだ子供(古めかしい表現だが、しかし事実だ)なのに、大事には思わないのか?私なんか、いつもより遅い時間まで息子が帰宅せず、連絡も取れなかったら、心配のあまり息子の友達の家に電話をかけまくるぞ。それでも分からなかったら、警察に通報するかもしれない。

 食事にしても、家庭の団らんにしても、子どもが家庭の中で大事な存在として位置づけられているか、家庭の中に子どもの居場所がちゃんとあるのか、ということを意味するものだ。そのどちらも当てはまらない子どもは、寂しい心を抱えて、自分の居場所を家庭の外に求めるしかないのではないか?その結果が非行であり、少年院なのではないか?

 この世に生を受けた子ども達が皆等しく、温かい愛情のもとに育って欲しい。子どもが欲しくてもなかなか授からず不妊治療を受けている人がこの日本には140万人もいる。一方で、せっかく授かった命をないがしろにする親がいるとは、なんという矛盾だろう。産んだからには、もちろん人によってできることは違うが、精一杯の愛情を親として注ぐべきだ。それが親になった者の義務だろう。たとえ不器用でも、けっして経済的に豊かでなくても、子どもに真摯に向き合う親の姿は、深い愛情として子どもに伝わるものだ。できるだけ多くの(できればすべての)親がそうすれば、きっと少年非行も激減するだろうに。

2007/4/23

長崎市長選の結果に  気になったニュース

 正直、ホッとした。伊藤一長市長が凶弾に倒られたのは気の毒だが、だからと言って、亡き市長の娘婿と言う理由だけで、長崎での行政経験もなく、伊藤前市長の傍らで市政を間近に見て来たわけでもない、(長崎での勤務経験はあるようだが)現在は東京で新聞記者をしている人にすんなり市長になられてはそれこそ市長職の世襲化である。世界を見渡せば、国家単位で政治体制の世襲化は幾らでもあるが、市民の生活に直結する市政で、それはやっぱり困る。

 選挙結果を受けて、敗れた娘婿の横尾氏が敗戦の弁を述べた後で、娘さんが「これまで長崎の為に尽くして来た父がこんな形で(長崎市民に)裏切られようとは…」と言って倒れた姿を今朝のテレビニュースで見た。お父さんを不条理な形で亡くされたことには同情するし、お父さんの遺志を継ぐべく、ご主人と共に必死な思いで選挙戦を戦ったこともわかるが、今回の選挙結果を、”市民の市長への裏切り行為”と受け止めるのは間違っていると思う。”市長が志半ばで亡くなられたこと”と、前市長亡き後、”市政を誰に託すべきなのか”は別問題である。長崎市長選において最も重視されるべきは、(長所も問題点もひっくるめて)長崎市をよく知る、行政手腕に優れた人を選ぶこと、であったと思う。そうすることが、結果的に伊藤前市長の遺志を引き継ぐことにもなるのではないか。

 ただし、今回は投票日まで3日間という超短期決戦で、それぞれの政策浸透も不十分で市民にも戸惑いがあったと聞く。投票用紙に「伊藤市長ありがとうございました」と記した人や白票を投じた人も少なくなかったらしい。選挙期間中に何が起ころうと、まずスケジュールありき、という選挙制度に再考の余地はないのだろうか?素人考えながら、投票日延期という選択肢もあってしかるべきだと思う。

 私自身、長崎とは縁のある人間で、毎年長崎へは帰省している。今回市長に当選した田上富久氏が長崎市役所で長らく観光行政に携わり、昨年実施された観光イベント「ながさくさるく博」の企画にも携わったことを、今回の市長選報道で初めて知った。長崎市活性化の鍵はやはり”観光”が握っていると思う。鎖国時代に唯一海外に対して開かれていた街として、どこよりも早く時代の変化を受け入れて来た街、長崎。その特異な歴史・風土をもっとアピールし、日本有数の観光地として発展して欲しいものである。併せて、広島と共に被爆地として平和学習のメッカとしての役割も果たして欲しい。その意味でも、田上新市長の行政経験は長崎市にとって大きな力となるはずである。期待していますよ。田上市長。

2007/4/21

ブラッド・ダイヤモンド(BLOOD DIAMOND) (3)  映画(2007-08年公開)

【映画館で】
 これだけ見応えのある作品なのに、通路を挟んで左斜めのカップルが上映中何度も携帯電話を取りだし、バックライトが眩しくて仕方がなかった。あまりにも腹が立ったので上映終了後に口頭で注意した。しかしカップルは生返事をするばかりで謝りもしない。しかも自分が飲んだ飲み物のカップは座席に置いたまま帰って行った。

マナーのなっていないヤツは映画館に来るな〜
集中力のなさ、携帯へのあまりの依存には
呆れかえるばかりだ!

たった2時間ぽっちも我慢できんのかー

 トイレでは二人の女子高校生が「はぁ〜長くてマジ疲れたぁ〜。途中で寝ちゃったよぉ〜」とぼやいていた。オイオイ、あれだけ緊迫感溢れる作品に没入できないのかー。”レオ”目当てであったとしても、それを入り口にこの作品から学べることは沢山あるだろう?同じ年頃の、アクション映画一辺倒のウチの息子でさえ、「アフリカではあんなにヒドイ形で多くの人が殺されたんだね。可哀相だ」と感想を言っていたぞ。同じものを見ても感じること、学ぶものは感受性次第。特に若い子には、もっと豊かな感受性で作品から発せられるメッセージを受け止めて欲しい。あまりにも作品理解に深みが無さ過ぎる(涙)。せっかく縁あって映画館まで足を運んだんだから、映画から何かを学んで、楽しんで、しっかりモトを取ろうネ、若者諸君! 

【自宅で】
 映画にかなりインパクトを感じたせいか、自宅に帰ってからもつらつらと考え続けた。芋づる式にいろいろと思い出も蘇り…

 やっぱりユダヤ系の映画会社が映画業界のタブー(同じユダヤ系であり、映画界の大スポンサーでもあるダイヤ業界の暗部を描く)に斬り込んだのは、ダイヤ業界がかつてほどの権勢を失い、力関係に変化が生じたからだろうか?それとも自虐ネタを使った新たなキャンペーンなのか?(笑)←だとしたら、かなりの高等戦術だぞ。
 
 化学成分としては炭素の塊でしかない石に、ルビーやサファイヤより算出量の多い石に、高価値を与えているのは、D社の市場コントロール、イメージ・コントロールに他ならない。他にも誰かが「これはインクの沁みに過ぎない」と言った紙幣に価値を与えているのは、それを発行し、その貨幣価値を保障している国家であり、株取引をしない人間には単なる紙切れでしかない株券に資産価値を与えているのは、それを発行する会社であり、株式市場である。ついでに言ったら、”地価”なんて一番頼りない。まず何より、いざという時に持ち出せない。これらすべてのものは、ある種の約束事によって、その価値を認められているに過ぎないのだ。

 実は世界のあらゆる処で、階級差にあまり関係なく、ダイヤよりも紙幣よりも株券よりも、資産価値を認められているのは「金」なんだろうね。中華圏では嫁ぐ娘に親類縁者がありったけの金の装飾品をプレゼントすると聞くし、アラブ圏に行くとゴールドショップだらけで、中流以上の家庭婦人は金のアクセサリーをじゃらじゃら(もっと品良い表現が使えたら良いが、あいにく今は思い浮かばない)身に付けていたりする(ついでに言うと、中流と上流の境目はアクセサリーのデザインの洗練度と数か。中流は身に付けている数で勝負(^_^)。上流は数は控えめにして、デザインの良さや一個一個の大きさで勝負しているという感じだ)

 レオの現在の彼女バー・ラファエリは周知の通りイスラエル人である。先日レオはイスラエルを訪れ、彼女の実家を訪ねたり、イスラエル首脳陣と会談している。イスラエルと言えば、ベルギー、米ニューヨークと並び、ダイヤモンド取引のメッカである。少なからず紛争ダイヤに手を染めていると考えられるこの地に対して、現在の立場ではレオも当たり障りのないことしか言えないんだろうな。事実、イスラエル首脳との会談では、環境問題が主な話題だったようだ。
    
 そう言えば以前駐在先で、日本大使館職員の妻がホームパーティの席で、「このあいだイスラエルに行って、このダイヤのネックレスを買って来たの」と自慢げに話していた。その様子を見て私の頭にすぐさま浮かんだのは、「日本人はダイヤ業界からすれば”お得意さま”なんだろうなあ」ということだ。”お得意さま”は、別の言い方をすれば、”カモ”である。日本人って(ダイヤに限らず)、懸命に稼いだ金をせっせと海外に貢いでいるんだね(残念ながら、自分も含めて(^_^;))。

(ブログ内関連記事)
ブラッド・ダイヤモンド(1)

ブラッド・ダイヤモンド(2)

2007/4/21

ブラッド・ダイヤモンド(BLOOD DIAMOND) (2)  映画(2007-08年公開)

 今にして思えば、神様はアフリカに対して残酷な贈り物をされたものだ。象牙、石油、ゴールド、そしてダイアモンドと言った豊かな天然資源は、アフリカの人々を幸福にするどころか、それが生み出す富を巡る争いの渦中に人々を巻き込んでしまった。しかも富に群がる者達は、アフリカの人々から豊かな恵みを搾取する構造を巧妙に作り上げてしまったのだ。これは既出の『ナイロビの蜂』でも描かれたように、人の命を踏み台に一部の人間が巨万の富を得る極めて不公正なシステムの中に、アフリカが組み込まれてしまったことを意味している。そして15世紀に始まった欧州諸国によるこうした搾取構造は、欧州の列強がこぞってアフリカの土地を奪い合った帝国主義時代に強化されたのだ。そして第二次大戦後には搾取する側に米国も加わった。

 ”彼ら”欧米の列強がアフリカに対して行って来た仕打ちの一端は、負の遺産としてアフリカの人々に継承され、本作のそこかしこに散見される。資源を不当に搾取するのも”彼ら”。紛争に使用される武器を供給するのも”彼ら”。本作には政府軍の抵抗勢力としてRUF(革命統一戦線)が登場するが、腐敗しきった政府へ反旗を翻すレジスタンスが、必ずしも国民の味方とは限らない。これは政府軍も同様で、内乱末期にはそれぞれの軍によって国民の殺戮が行われたと伝えられている。劇中、RUFがのどかな漁村を襲撃し、捕らえた住民の片腕を情け容赦なくナタで切り落とした後に放った言葉は辛辣だ。「これ(恐怖支配の一環として、見せしめに一部の人間の腕や足を切り落とすこと)はベルギー人が始めたことだ」。           

 今もなお世界に数十万人はいると推定される”少年兵”の描写も心をえぐる。RUFは年端もいかない子供達を無理矢理親元から奪い去り、残酷な手法で洗脳し、殺人マシーンへと仕立て上げて行く。襲撃する村々で、女・子供・老人関係なく銃撃・殺戮を繰り返す少年兵ら。その表情には一瞬のためらいも窺えない。戦闘の合間にはアメリカのヒップホップ音楽をBGMに酒を飲み、タバコを吸い…特に子育て中の親の目には衝撃的なシーンが続く。これはけっして誇張ではなく、ほぼ実態に即したものだと言う。しかも少年兵はアフリカだけの問題ではない。世界の紛争地域の至る所で、彼らの姿は目撃されるのだ。例えば中南米の少年兵の悲劇は、エルサルバドルを舞台にした映画『イノセント・ボイス〜12歳の戦場』 に詳しい。

少年兵について クリックすると元のサイズで表示します
 
 家族からRUFによって無理矢理引き離され、ダイヤモンド採掘の強制労働に駆り出された漁師のソロモン・バンディー(ジャイモン・フンスー)。そのソロモンがRUFの監視の目を盗んで隠したピンクダイヤの横取りを狙う、傭兵上がりのダイヤ密売人ダニー・アーチャー(レオナルド・ディカプリオ)。そして紛争ダイヤの真相を世界に向けてスクープしたいジャーナリストのマディ・ボウエン(ジェニファー・コネリー)。ソロモンが偶然見つけた時価数億円相当のピンクダイヤを軸に、3人の思惑が交錯する。ところが共に紛争地でサバイバルの旅を続けるうちに3人の間には信頼関係も生まれて行く…

 家族の絆を何よりも大切にする生粋のアフリカ人ソロモン、悲惨な過去を持つアフリカ南部出身の白人ダニー、世界の紛争地で取材を続けるタフなアメリカ人ジャーナリスト、マディ。3人の人物造型と相関関係はアフリカの歴史や現在のアフリカにおける力関係を反映して興味深いが、商業映画である以上多少の美化がなされているのかもしれない。現実は映画で描かれている以上に複雑で過酷だろうから。

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 本作はさまざまなメッセージや情報が凝縮された濃厚な味わいで、主要キャスト3人のの熱演も光り、かなり見応えのある仕上がりとなっている。近年のハリウッド映画の中でも最も上質な作品のひとつと言えるのではないか?今年度米アカデミー賞作品賞を受賞した『ディパーテッド』を完全に陵駕していると思う。映像的には、凄惨な内乱の描写とアフリカの美しく雄大な自然との対照に胸を衝かれた。「この美しい大地を血塗られた場所へと変えたのは誰だ?」と詰問されているかのようだった。惜しむらくは、クライマックスの30分はいかにもハリウッドらしいまとめ方であったこと。とは言え、今年見た中では心を強く動かされた1本には違いない。

 なお本作を見るに当たり、映画批評家・前田有一氏のネット映画評『超映画批評』が参考になった。数多ある映画評とはひと味違う、背景説明が作品理解に役だった。

【参考リンク】
エドワード・ズウィック監督からのメッセージ

(以下のブログ内記事につづく…)
ブラッド・ダイヤモンド(3)

(前の記事)
ブラッド・ダイヤモンド(1)

2007/4/20

(15)ブラッド・ダイヤモンド(BLOOD DIAMOND)  映画(2007-08年公開)

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是非、できるだけ多くの人に見て欲しい1本!

 映画界は近年”アフリカ”ブームである(本作プログラム解説中にもその指摘があった)。私が見ただけでも、『ザ・インタープリター』『ナイロビの蜂』『すべては愛のために(Beyond Borders))』『ダーウィンの悪夢』『ロード・オブ・ウォー』『ラストキング・オブ・スコットランド』そして『ホテル・ルワンダ』と、アフリカが抱える問題を真正面から捉えた、或いはアフリカを舞台に繰り広げられる凄惨なドラマが目白押しだ。

 これは何を意味するのだろう?近現代国際社会の歪みが最も端的に顕われているアフリカの地が、ドラマ的要素を多分に持っていることの証明なのか?或いはアフリカから搾取を続ける側の良心の疼きが、世界にアフリカの惨状を伝えずにはいられないのか?それがせめてもの罪滅ぼしのつもりなのか?正直言って『ラストキング・オブ・スコットランド』まで見たところで食傷感が否めず、もう”アフリカもの”はしばらくはいいかなと思ったくらいである。ところが本作は、そんな私の心を再び揺さぶったのだった。全編2時間23分という長尺を感じさせない緊迫感で、終始私の目を釘付けにした。 

 タイトルの『ブラッド・ダイヤモンド』とは別名”紛争ダイヤ”とも言われ、アフリカの紛争地帯において革命軍等の軍費調達の手段として利用されているダイヤのことを指しているのだそうだ。その出自を隠す為に複雑なルートを経て、正規ルートのダイヤの中に紛れて世界中で販売されて来たと言うから、自分の持っているダイヤモンドが紛争ダイアである可能性だって否定できない。仮にそうであれば、間接的ではあるにせよ、アフリカの紛争に加担したことになる(紛争のピーク時には市場に流通するダイヤの約15%が紛争ダイヤであったとの説もある)。2000年にはこの紛争ダイヤを世界市場から排除すべく、国連主導でキンバリー・プロセスという、流通するダイヤが紛争ダイヤではないことを証明する制度も設置されたが、今もなお紛争ダイヤは巧妙に市場に紛れ込んでいるらしい。

【参考リンク】
紛争ダイヤQ&A(アムネスティ公式サイト)

キンバリー・プロセスとは 


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 本作の主な舞台となったシエラレオネ共和国は、ギニアやリベリアに囲まれた大西洋に面した西アフリカの小国である。

 この記事を書くに当たってシエラレオネについてネット上(日本語のみ)で調べてみると、検索エンジンで「シエラレオネ」と指定してもあまり有用な情報が出て来ないのに対し、「紛争ダイヤ」ではいろいろ出て来た。シエラレオネという国が「紛争ダイヤ」問題を通して語られることの多さに正直驚いた。
 
 遠い記憶を辿ると、意外にもシエラレオネとは個人的な接点があったことを思い出した。もう20年以上も前のことである。当時仕事の関係で、ひとりのシエラレオネ人女性と出会ったのだ。彼女は当時のシエラレオネ政府から派遣された技術研修員。身の丈は180pはあろうかという、小柄な私から見れば見上げるような大柄の女性で、いつも色鮮やかな民族衣装を身にまとい、頭にも共布のターバンを巻いて世界各国からの研修員の中でも目立つ存在だった。自信たっぷりな言動で、快活に笑う女性だったように記憶している。彼女は2カ月後には日本での研修を終え帰国の途に着いた。その数年後にシエラレオネは長く凄惨な内戦状態に陥ったのである。今回の映画の舞台がシエラレオネと聞いて彼女の近況が気になるところであるが、残念ながら今の私には知る手だてがない。

シエラレオネ共和国について

世界一寿命の短い国

(以下のブログ内記事につづく…)
ブラッド・ダイヤモンド(2)

「ブラッド・ダイヤモンド」―シエラレオネの近況

ワンクリックいただけたら嬉しいです(*^_^*)⇒

2007/4/19

命の重さ  はなこのMEMO

人命は等しく尊い、地球よりも重いなんて嘘っぱち。
それは単なるキレイごと。

命の重さは明らかに違う。
人によって、その立場によって、民族によって、人種によって、
そして国(籍)によって…

米国で銃乱射事件により32人が殺害され、犯人も自殺。
日本では暴力団幹部により市長が銃撃され死亡。
そしてイラクでは爆弾テロで170人余りが死亡。

報道の頻度、人々の関心…
その死の扱われ方は、明らかに違う。
それは命の重さが違うから。

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2007/4/18

自らの主張を暴力で訴えるのは最低な行為  気になったニュース

 長崎市長選たけなわの長崎市で17日(火)夜、伊藤一長(いっちょう)現長崎市長(61歳)が暴力団幹部の凶弾に倒れ、翌日の午前2時28分に出血多量で死亡した。信じられない?!こんなことがこの日本で、長崎で起こるなんて!

 容疑者は”市役所との個人的なトラブル”が動機と供述しているらしいが、なぜ市長個人を?という疑問は拭えず、しかもこの時機を狙っての犯行、何かもっと裏があるのではと勘ぐらずにはいられない。今朝の報道では自民党の中川幹事長が「政治的立場の違いがあるからと言って、暴力に訴えるのは言語道断」とコメントしていた。やっぱり何か裏があるのか?最新の報道では、容疑者は本島等前長崎市長を脅迫した前科もあると言う。”個人的な恨み”以上の何かが、容疑者の凶行の動機になっていると思えて仕方がない。

 ついさっきまで精力的に遊説していた人が、元気に動き回っていた人が一瞬の攻撃で命を絶たれてしまう。やりきれない悔しさと憤りを感じる。離れた距離から不意打ちを狙って攻撃が可能な銃。人の命を何と軽く扱い、何と容易く奪う武器なのだろう。折しも前日には米国南部の大学で米国史上最悪の銃乱射事件が起きたばかりである。

 言うまでもなく日本は米国(2億8000丁もの銃が存在する銃社会!)と違って銃所持は非合法で、誰もが所持しているものではない(それでも一説には闇ルートで8万丁の銃が日本国内に流入しているとも)。そして非合法であるが故に、それを所持しているのは治安維持を司る警察などを除けば”ならず者”たちである。”ならず者”と”卑怯な武器”が合わさることによって起こる許し難い事件。人間に悪意が存在する限り、治安組織がどんなにガードを固めても、その監視の目をくぐって銃は国内に入り込んでくる。そして事件が起きてしまう。

 しかしひるんではならないのだ。諦めてはいけないのだ。日本をけっして銃社会にしてはならないのだ。1543年、種子島に鉄砲(火縄銃)が伝来した。以来、戦乱の世を経ても、日本は銃社会にはなっていない。これは奇跡とも言える。この奇跡は、日本が日本であり続けるために守り抜かねばならない。止まらない日本の米国化の中でも、銃社会化だけは絶対に阻止しなければならない(何でもかんでも無批判に、なし崩しに受け入れることが問題。今さら”米国的なもの”を有り難がる時代でもないだろう。もちろん良いところは見習うべきだろうが)
 
 自らの主張を暴力で訴えるのは、自らの思考停止をさらけ出しているようなものだ。人間が考えることを止め、対話による問題解決を放棄するのは、人間を辞めることに等しい。自らの存在を知らしめる為なのか、事件の当日テレビ朝日に届いた容疑者からの手紙には、「自分の行動の責任は取るつもりだ」と記してあったと言う。容疑者の死を以てしても贖えないほどにその犯した罪は重いのに、どうやって責任を取るというのだ!

 最後に、核廃絶の志半ばに凶弾に倒れた伊藤一長市長のご冥福を心から祈るものである。

【追記】
「行政対象暴力」

2007/4/16

蘇った思い出〜8ミリビデオテープのDVDへのダビング  日々のよしなしごと

 それほど熱心にビデオ撮りをして来たたわけではないが、我が子の誕生や幼稚園のお遊戯会、海外生活など、8ミリビデオテープに記録していたものが少なからずあった。ビデオカメラさえあればいつでも見られるとタカをくくっていたら、ここ何年も使っていなかったビデオカメラを取り出してみたところ、故障して使えないことがわかった。

 さあ、どうしよう?思い出はもうこの目で見ることはできないのかと、量販店に修理の問い合わせをしてみたり、中古カメラを捜したり、ダビング用機器を捜したり、ダビング専門業者を幾つも当たってみたりしたが、いずれもうまく行かず二の足を踏んでいた。量販店は結局修理より新製品の販売が主なのか、製造元でも修理の対応は無理でしょうと言われた。さすがに20年近く前の中古カメラはもうどこも扱っていないようだ。ダビング機器は8ミリビデオカメラを開発したSONYが受注生産で販売しているらしいが価格が6万円以上と高価。ダビング業者はネットで知った業者だと、大事なテープを託して大丈夫なのかという不安があるし、ダビング料金の妥当性にも疑問があった。結局何もしないまま2年が過ぎた。

 それが先日、ふと夫がIEのお気に入りサイト登録の見直しを思い立ち、たまたま登録してあったダビング業者のサイトを削除する前に念のために覗いてみたら、以前より充実した内容で、利用者からのコメントが多数掲載されているのを知った。そのコメントを見ると感謝の言葉が多く並んでいて、それを読んで夫も「この業者は信頼できそうだ」と思ったらしい。あれよあれよと言う間にネットで発注手続きをしてしまった。私は夫に言われるままにテープを梱包して業者に送った。するとテープを送って3日後にはDVDと共に戻って来た。仕事が早い!これには夫もビックリだった。

 おそらくテープの中身を目にするのは4〜5年ぶりくらいだっただろうか?予想以上に鮮明な画像がテレビ画面に映し出されて感激した。ビデオカメラは私の妊娠を機に夫が買ったもの。息子の誕生直後の映像もあった。久しぶりに見る、生まれたての息子は”赤ちゃん”というより何だか赤黒く、生まれたてとは思えないほど髪の毛が黒々としている。正直言ってかわいいとは言い難い。しかし、映像の中の私は息子との対面に泣いていた。泣きながら、生まれる半年前から夫が付けた名前で呼びかけていた(性別確認もしていないのに、夫は生まれて来る子が男の子だと決め込んでいた)。私の呼びかけに応えるように、差し出した私の人差し指を握る息子の小さな手。何とも言えぬ温かいものが心に広がるのを感じた。息子によって与えられた幸福〜妊娠を知った日から今まで〜を改めて教えられた思いだ。
 
 できるだけ自分の肉眼で見て、心の中に思い出として残したい主義の夫と私だが(運動会等で必死にビデオ撮りしている親御さんの姿には、ビデオ撮りに夢中になるあまり、その場での感動を十分に味わえないでいるのではと思えて仕方ないのだ)、数少ないとっておきの?思い出の映像記録は、これはこれでまた当時の懐かしさを呼び覚まし、しばし幸福感で心を充たしてくれた。もし、御自宅にビデオカメラの故障などで見られなくなってしまったテープがあるのなら、是非DVDへのダビングをお薦めする。今回の体験はまさに思い出が蘇る、という感覚だった。少なくともDVD化によって、映像のこれ以上の劣化は食い止められる。それこそ思い出が色褪せないうちに、お早めに。

■今回我が家が利用した業者:ダビング・リメイク・サービス「サウンド・スマイル社HP

 この業者だけでも年に2000〜3000件の取り扱いだと言う(ただし他の理由によるダビングも含む)。これは何を意味するのか?メーカーの製造責任とは何なのか、改めて考えて欲しいと思った。新製品を開発することだけがメーカーの仕事ではないはずである。一度世に送り出した製品の、それを買ってくれた消費者のアフターケアは、最後まで責任を持ってすべきだと思う。一業者だけで年に数千件もの仕事を請けている現状(全体では一体どれだけの数に上るのか…)は、メーカーのサービス怠慢の象徴以外のなにものでもない。

【追記】
因みに今回かかったコストは、30分以内のテープ×1本、30分〜1時間以内のテープ×4本、1時間以上のテープ×1本で、計9000円也(5000円以上は送料無料)。業者によって料金には差があるようなので、価格と信頼性などを比較検討した上での発注をお薦めする。

2007/4/13

人間はどこまで”我儘”になれるのか?  はなこ的考察―良いこと探し

 近日公開の『サンシャイン 2057』では、寿命が尽きようとする太陽に核爆弾をブチ込んで再生させようと、科学者を中心としたクルーが太陽へと向かう。そうしなければ地球は凍り付いて、地上の生命は殆ど息絶えてしまうのだ。とは言え、この作品の主眼はそのミッションの遂行そのものより、そこに至るまでの、宇宙という特殊な舞台ならではの、或いは宇宙船という密閉空間での、クルー達の精神的・肉体的危機をサスペンス・タッチで描くことにあるようだ。

 映像的には、画面いっぱいに映し出される太陽の紅炎がド迫力で、灼熱感が視覚的に迫って来る。しかし映像の完成度の割にはプロットが雑で、矛盾点や疑問点が多々あり残念なところ。真田広之は宇宙船イカロス2号(なぜ2号なのかが、実はこの作品のミソ)のキャプテン役を知的に演じてはいるが思ったより露出が少なく、英国の鬼才ダニー・ボイル監督との仕事と言う意味では貴重な経験であったとしても、彼の代表作にはなり得ない作品だろう。

 私自身はこの作品の主題とは離れたところで、自然の摂理(太陽の滅び)に抗う人間の作為に興味を持った。他のところでも触れているが、生殖医療も「自然の摂理」と「人間の作為」のせめぎ合いのひとつと言えるだろうか。新しい生命の誕生とは、かつては人間の思うままにはできない神秘の領域であった。それがこのところの目覚ましい医療技術の進歩で、ある程度は人間による操作が可能になっている。生殖医療の進歩が、子供を望みながらも恵まれなかった夫婦に、我が子誕生のチャンスを広げているのは確かだ(それでも”100%ではない”というところは、やはり侵してはならない神の領域なのか)。これに関連して、先頃興味深いニュースがあった。

 高田延彦・向井亜紀夫妻の、代理出産で誕生した双子の男児の出生届け受理を巡る裁判の結果である。最高裁まで審理されたこの裁判は結局、高田・向井夫妻の敗訴となり、米国において米国人女性による代理出産で誕生した、事実上夫妻の双子のお子さんは、日本の法律の上では夫妻の子としては認められず、米国籍のまま、夫妻が保護責任者として養育する形となった。彼らは3年に一度在留届けを日本政府に提出せねばならず、日本人として、また夫妻の実子としての権利を何ら保障されない。特に双子のお子さんにとっては気の毒な結果になってしまった。

 幸いにして?このブログはマイナーなブログなので忌憚なく私見を述べさせてもらうが、私は双子のお子さんの境遇には同情しても、高田・向井夫妻に関しては共感できる部分とできない部分の両方がある。夫妻は裁判の敗訴を受けて「高い社会勉強代となったが得るものは何もなかった」とコメントされた。勉強代が高くついたのは当然の結果だと思う。こうした裁判を含め、お子さんの国籍問題も含め、諸々のリスクを覚悟の上での、日本では認められていない米国での代理出産という選択であったのだから。この日本に140万にはいると言われている不妊治療者の中の一体どれだけの人々が、夫妻のような選択をできると言うのか。おそらく殆どの人がリスクを負うだけの経済力は持っておらず、そしてやむなく出産を諦め、新たな道を模索している人も少なくないはずだ。私の身近な友人にもいる。

 一方で、代理出産で誕生していながら、夫妻のように公言せずに出生届を提出し受理されたケースも年に10件以上はあると推定されている。それと比較して、高田・向井夫妻を「正直者が馬鹿を見るケースだ」とコメントした識者もいた。夫妻は公人としての露出度が高く、代理出産を秘密裏に進めることは最初から無理だったろうし、それならば自分達が矢面に立って代理出産の是非を公の場で問おう、という気概を持って臨んだのかもしれない。今回の裁判後の会見でも、単に代理出産だけでなく生殖医療全体についての見直し―公的援助の必要性を訴えていた。その意味では、夫妻の果たした役割はけっして小さくないと思う。

 ただどうしても、他人のお腹を借りて行う「代理出産」には、人間の不遜を感じてならないのだ。母体となる女性は金銭の代わりに、生命の危険という大きなリスクを負うことになる。そこにたとえ「人助けをしたい」「妊娠・出産は尊い行為」と言った高尚な言葉が並べ立てられようとも、(財力を)持てる者と持たざる者の社会的格差が見え隠れしている。また、ある程度の努力をしても子供が授からないのは、そこに”何らかの意思”が働いているのではとも思うのだ(哲学の国フランスでは「代理出産」は法律で禁じられている。米国でも州によって認めている州とそうでない州がある。それだけ議論の余地があるということなのだろう)

 子供が欲しい人にとっては残酷な運命なのかもしれないが、「諦めること」「運命を受け入れること」も、人間には必要なことではないかと、最近の人間社会全体の在り様を見て思う。「人間の叡智を以てすれば不可能なことはない」「自然は征服すべきもの」と言った傲慢な思いが今確実に人間社会を支配していて、それによって様々な問題が生み出されているのではないかと思えて仕方がない。果たして、人間の我儘はどこまで許されるのか?

2007/4/12

カナダ・アニメ・フェスティバル特別試写会  文化・芸術(展覧会&講演会)

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 先日、ある方から譲っていただいた招待券で、青山在カナダ大使館で開催された「NFB(カナダ映画製作庁;カナダは国を挙げて映画制作を支援しているんだ!) 黄金の70年代特集」の特別試写会に友人と行って来た。アート系の短編5作品48分の上映。

プログラムは以下の通り。

『死後の世界』(イシュ・パテル)
『ストリート』(キャロライン・リーフ)
『バラブロック』(ブジェチスラフ・ボヤル)
『イヌ先生が教える、自宅の安全策』(レス・ドリュー)
『flutter』(Howie Shia)


さらにDVD発売記念として、世界で最も権威のあるアヌシー国際アニメーション映画祭グランプリ作品

『ハッピーエンドの不幸なお話』 

の特別上映も行われた。

 日本製やハリウッド製のカラフルな商業アニメを見慣れた目には”目からウロコ”な作品ばかりだった。版画のようなタッチや子供時代に描いたような懐かしいタッチ(意外に大人になると描けなくなってしまうもの)の作品、社会風刺がピリリと効いたメッセージ性の強い作品、アート系ながら人物の動作表現は明らかに日本製アニメの影響が色濃く見える作品など、それぞれが個性的で、美術館にある絵画作品のようでもあり、なかなか見応えがあった。

 来る4月28日から6月1日まで、下北沢にある短編映画館トリウッドで、このカナダ製アニメをはじめとする海外のアートアニメーション
69作品が一挙上映される。

詳細は下記のサイトまで。

海外アートアニメーション at トリウッド

【追記】
 試写会が行われたカナダ大使館地下のホールは、その名も「オスカー・ピーターソン・シアター」。カナダが誇る名ジャズ・ピアニストの名前を冠している。私は夫と共に彼の日本最終公演を聴きに行った。新進気鋭の若手、上原ひろみとのジョイント・リサイタルだった。いぶし銀の演奏と才気走る演奏のコラボは聴き応えがあった。最初で最後の新旧の天才の共演。貴重な機会だった。
 シアターは天井に夜空の如く星(ライト)が瞬く幻想的な雰囲気。それほど大きな収容力ではないが、スタジアム形式の座席配置で前の人の頭を気にすることもなく演目を楽しめ、大使館附属の施設とは言え、必要十分な機能を揃えた立派なシアターである。ロビーに出ると左手にカナダ・アルバータ州特産のアンモライト(アンモナイトの化石を研磨して出来る宝飾品らしい)の博物館も。
 青山の一等地に一際目立つ白亜?の建物。正面玄関には一流ホテルかと見まごう車寄せを備え、出入り口にはドア・ボーイが立っている。日本の在外公館で、こんな瀟洒な設えはあるのだろうか?在ロシア日本大使館の施設が贅沢過ぎると批判を受けるようなお国柄(私が住んでいた国の日本大使館は貧相なものだった)では、それはあり得ないような気がする(と言っても、在米・在加日本大使館を見たことはない)。カナダの豊かさ(同時に日本の貧相さ)を感じた、今回の大使館訪問だった。



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