2015/1/15

今、世界で起きている出来事について思うこと〜シャルリ・エブド襲撃事件  はなこのMEMO

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            ブリューゲル作《バベルの塔》

 乱れた世を一掃する為に神が起こした洪水から、信心深いノアとその家族は、地上のあらゆる種と共に箱舟によって生き長らえた。その後、神はノアの子々孫々に世界の土地を与え、散らばるよう命じたが、彼らは神の意に背いてひとつの地に留まり、天に届かんとする塔を築こうとした。その不遜な態度は神の怒りを買い、彼らは神によって共通の言語を奪われ、互いの言葉が理解できなくなってしまった。かくして、彼らは神の意のままに、各地へと散らばっって行った。塔が遺された地はバベル(→聖書的解釈で"混乱"の意)と名付けられた。

 これが、旧約聖書の創世記1ー9節で展開する、バベルの塔に纏わるエピソードである。このエピソードに因み、空想的で実現不可能な計画は、しばしば「バベルの塔」と比喩される。


 さしずめ現代は、ダイバーシティ(diversity)と言う概念が、「バベルの塔」に当たるのではないか?その概念を実現可能にするはずであった国際連合(国連)は近年形骸化が著しく、世界を束ねる組織として、殆ど機能していないように見える。

 ダイバーシティの基本概念は、「個々の"違い"を尊重し受け入れ」「その"違い"に価値を見出し」「個々の能力を最大限に発揮させる」こととされる。現在は会社組織の生産性向上を目的に取り沙汰されることの多い概念だが、元々は社会学の中で取り扱われた概念で、社会的マイノリティの就業機会拡大を意図したものであったようだ。

 ここで言う"違い"とは、単に「性別や年齢、国籍など、外見で分かる属性」のみならず、「表面的には見えない個々人の生い立ち、価値観、性格などの異なった背景や状況をも含んだ」"多様性"を指すものらしい。(参照:サイト『アパショナータ』、「ダイバーシティ」の項)

 社会や国家と言う単位で捉えられる「ダイバーシティ」は、社会や国家を構成する市民の「民族」的、「文化」的、「宗教」的、「思想」的、e.t.c…(価値観の)多様性を認め、それを受容し、個々人のパフォーマンスを最大限に発揮させて、社会や国家をより豊かで快適なものにすることであったはずである。
 

 ところが、世界の現状はそのメリットを享受するどころか、多様性が人々の間に摩擦や軋轢を生み、犯罪を誘発するなど、そのデメリットな部分が社会不安をかき立てる様相を呈している。

 
 時々刻々と発信されるニュース映像や新聞&ネットの記事を読むにつけ、私の頭にはさまざまな疑問が浮かんで来る。

 「言論の自由」とは何なのか?「言論の自由」の権利の下に、どのような表現も許されるものなのか?そもそも「言論の自由」とは世界共有の概念なのか?自国内ならともかく、「言論の自由」より信仰が優先される社会に対して、「言論の自由」を錦の御旗に、信仰を毀損するような表現を主張し続けるのは、言論の暴力とは言えないのか?それこそ、個々人の思想信条、信仰の自由を踏みにじる行為ではないのか?

 「言論の自由」とは、その価値を認めている相手に対してのみ通じる概念ではないのか?「言論には言論で対抗せよ」とは、イスラム原理主義で頭が凝り固まった、そもそも「言論の自由」と言う概念を持たないイスラム過激派には通じない話で、今回の仏紙の風刺画は、彼らに「攻撃の口実」を与えてしまっただけではないのか?(後日、アルカイダが犯行声明を出したのを見て、なおさら、そう思った。)それで結果的に命を奪われてしまうことに、どれだけの価値があるのか?

 もちろん、暴力による言論の封殺は卑怯としか言いようがなく、今回のテロ行為に対して私も憤りを感じているのだが、同時に犠牲者の死の理由に今ひとつ納得が行かないのも正直なところだ。(最近、中野京子さんの著書『名画で読み解くブルボン王朝 12の物語』でフランスの近世史を多少なりとも囓ったので、「言論の自由」がフランス国民にとっていかに重要なのかは、ある程度理解できるのだが、今回の「言論の自由」の為の、まさに「殉教」とも言える死への違和感は、結局、彼らと私の"価値観"の違いに還元されるのか…まあ、私も「言論の自由」の保障の下に、この記事を書いているのだけれど…)

 さらに私を困惑させたのは、襲撃された新聞社が事件後の最新刊で、イスラム教の預言者(神の言葉を預かり、神に代わって、それを信徒に伝える人)ムハンマドの風刺画を載せたことである。しかも、今回はフランス国内だけでなく、世界25カ国で発行されたと言う。それがテロとは直接関わりのない、世界に15億人いると言われるイスラム教徒を侮辱し、穏健なイスラム教徒の反発も呼ぶとは思わないのだろうか?今回の事件で新聞社が風刺画を止めれば、「言論の自由」の敗北とも取られかねない中で、発刊を続ける気概は素晴らしいと思うが、風刺する対象を間違えているのではないか?弾劾されるべきはイスラム教ではなく、過激派武装組織ではないのか?

 果たして、「言論の自由」に不可侵な領域、タブーはないのか?タブーを持つことは許されないのか?その主張の根底に"差別意識"(欧米人の、自分達以外の人間に対する前時代的な優越感?)が存在していたとしても、それは「言論の自由」として死守されるべき価値があるのか?声高にその意義を唱えられるものなのか?「言論の自由」を行使することで、尊厳が傷つけられる人がいることを一顧だにしないほど、「言論の自由」とは高次な概念なのか?時のローマ法王でさえ今回の事態を憂慮して、「言論の自由は無制限ではない」と述べている。

 近代西欧社会が、それこそ数多の血を流して獲得した権利が「言論の自由」なのだが、それが世界全体で西欧社会と同程度に認められている権利と思うのが、そもそもの間違いではないのか?今や世界各地で、各々がアイデンティティに目覚め、それぞれの価値観の下で生きており、それが脅かされると知れば黙ってはいない。「言論の自由」に対する思い入れの深さ、その許容範囲も、国によってさまざまなはずである。最初から「言論の自由」の下、何でもありきで持論を展開するから、価値観を異にする人々の反感を買うのではないか?一方的な価値観の押しつけは、傲慢以外の何ものでもない。欧米社会はそろそろ、自分達の価値観が世界の規範になるとの認識は、改めるべきだと思う。

 風刺画とは何なのか?元々強大な権力に対する非力な庶民の抵抗手段として生まれたのであれば、その対象の選択や表現方法に、もっと熟慮すべきではないのか?単に他者を貶め、蔑み、茶化しているだけの風刺画に、良識ある人なら嫌悪感を持つこそすれ、面白味など感じないのではないか? (個人的にはサッカーの川嶋選手を描いて、原発事故被害を揶揄したフランスの週刊誌の風刺画<→放射能汚染による身体の異形化>は本当に不快であったし、それに抗議した日本政府への週刊誌側の対応の冷淡さも記憶に新しい。)

 国民の実に7%を占めると言われる、ヨーロッパで最大のイスラム社会を抱えるフランスは、今さら排外主義もへったくれもないのではないか?因果は巡るで、現在のフランスは、帝国主義時代の中東アフリカ諸国の植民地化以来、現在に至るまで、現地を蹂躙し続けて来たツケが今、回って来ているだけではないのか?現地の人々にフランス語教育を徹底したが為に、移民の障壁が低くなっているのは否めない事実だ。今朝の報道では、フランスにおけるイスラムの最高指導者が、現地のイスラム社会に対して「反応すれば、さらに騒動は大きくなる」と、冷静さを保つよう呼びかけている、とレポートしていたが、その抑制がいつまで効くのか?フランスは否応なく国内にも大きな火種を抱えているのだ。

フランスの移民問題の現状を描いた映画作品:『サンバ』
中東の複雑で困難な状況を伝える映画作品:『シリアの花嫁』

 日本も少子高齢化で、働き手を移民で賄おうと政府は画策しているようだが、例えば、東京オリンピックに向けて建設労働者を海外(おそらく近隣のアジア諸国)から受け入れたとして、オリンピック後はどうするのか?母国で仕事にあぶれて日本に出稼ぎに来ている人間が、契約満了ですごすごと帰国するとは到底思えない。今でさえ、不法滞在者が少なくないザルな管理体制で、外国人犯罪も増える一方なのに、オリンピック後に来るであろう景気の反動で、職にあぶれた不法滞在者が不良化し、社会不安を巻き起こすのでは?と言う、私の漠たる不安は無用な杞憂なのだろうか?(その不安の根底には、何事にも中途半端な対応しか取らない日本政府への不信感があるのかもしれない…)

 一方で、高度な技能を持った外国人の受け入れは、制度的な不備からなかなか進まないようだ。尤も、ここ日本でも、フィリピン人や中国・韓国・台湾人など、アジア系女性を中心に、国際結婚による移民は確実に増えている。日本も今後、欧米並みに多民族社会が進展して行くのか?もし、そうなれば、どのような未来が待ち受けているのだろう?

 昨日のNHKの報道番組「クローズアップ現代」では、近年問題となっているヘイトスピーチを取り上げていた。日本でも、コリアンタウン周辺を中心に各地で、反韓デモ行進が行われているようだ。その様子の一部が映像で紹介されていたのだが、女子高校生と思しき若い女性が、「韓国人を殺せ」と叫んでいたのが印象的だった。

 番組制作者の映像の切り取り方にもよると思うのだが(→テレビは映像の編集によって印象操作がいかようにも出来るメディアだ。しかも映像のインパクトは活字以上に強い。そのことに留意しながらテレビ報道を受け止める洞察力が、視聴者には必要だろう)、他の映像でも別人の声で「殺せ」と聞こえたり、プラカードにもギョッとするような文言が書かれているなど、李明博前大統領の竹島上陸に端を発した、ここ数年の韓国の日本に対する一連の挑発行為に不快感を持っている私でさえ、デモの主張は行き過ぎだと感じた。他者・他民族に対して、安易に「殺す」なんて言葉を口にすべきではない。平和ボケのあまり、人の死をリアルに感じられないからこそ、「殺せ」なんて軽々しく口にできるのか?韓国人に対して、そこまでの憎悪を、いかなる理由で、日韓の歴史的経緯を目の当たりにしたわけでもない若い世代が持てるのだろう?まさかネット言論が、憎悪感情の増幅装置の役割を果たしてはいないだろうね?

 ごく最近のフランスのデモ映像は、「言論の自由を守れ」の声の下、襲撃された新聞社支持一色だった。そのフランスで今、450万人のイスラム教徒は、息を潜めて暮らしている。一方、フランスの動きに触発されるように、反イスラムのデモが大規模に行われた隣国ドイツでは、反イスラムに異を唱えるデモも行われたらしい。果たして現時点で、どちらの社会が、より健全と言えるのだろうか?何れにしても、移民を受け入れた社会の、移民との共存の難しさを改めて浮き彫りにした、昨今の状況である。

 昨日、仏国会で首相が「テロとの戦争」を宣言したのをニュース映像で見たが、国家がテロリストとマトモに戦争などできるものなのか テロは宣戦布告なしに行われるものだ。テロリストには国際法も関係ない。しかも狂信的なイスラム過激派にはもはや血も涙もなく、彼らは「死」をも恐れない。そんな人間性を失った者を相手に、既存の軍隊は互角に戦えるのか?これまでの軍隊の戦法は通用するのか?空爆の効果は限定的で、地上でのゲリラ戦では、どう見ても過激派の方が地の利もあって優位である。

 シリア・イラクを中心に勢力の拡大を続けるイスラム国、イエメン・アルジェリアを中心に世界各地に拠点を持つアルカイダパキスタン・タリバン運動、ソマリアのアッシャバーブ、そしてナイジェリアのボコ・ハラムと、イスラム過激派武装組織は、年々その所業が悪辣さを増し、特定地域のみならず世界の脅威となりつつある(未確認情報ではあるが、イスラム国のサイトにある世界地図には、イスラム国に敵対している国しか掲載されておらず、日本列島に当たる部分には沖縄本島のみが掲載されているらしい。つまり、広大な米軍基地を有すると言う理由で、沖縄はイスラム国のテロの標的になり得る、と言うことなのだろう。日本もけっしてテロと無縁ではいられないのだ)

 そもそもイスラム過激派が生まれた背景には、イラン・イラク戦争当時の米国が深く関与しており、そのテロリスト達が使用している武器の殆どは、紛れもなくテロリストと対峙する強大な国家で作られたものだ。またぞろ「死の商人」がほくそ笑んでいる姿が、目に浮かぶようだ(参考映画作品:ニコラス・ケイジ主演『ロード・オブ・ウォー』。因みに今回の銃撃事件で使用されたのは旧ソ連が開発したカラシニコフ銃。映画の主人公もロシア人武器商人である)。因みに、フランスは2012年の時点で、武器輸出額世界6位で、5位のドイツとは僅差である(参照:世界ランキング統計局)。フランスと言う国にとって、戦争はビジネスとしての旨味があるのは間違いない。このマッチポンプ、どうにかならないものか?

 しかも厄介なことに、今ではインターネットの普及で、世界の出来事が瞬時に世界中に伝わってしまう。周知のように、テロリストもインターネットを巧みに利用して、犯行声明や宣教や新兵のリクルートを行っている。互いの動きが、良くも悪くもリアルタイムに分かってしまうのだ。それが「憎悪の連鎖」を生んでいるのは間違いないだろう。昔なら互いに存在を知ることもなく、価値観のぶつかり合いで両者の間に波風が立つこともなかっただろうに。しかし、今さらインターネットのなかった時代には戻れないのだ。フランスが意気軒昂にテロ打倒を叫べば叫ぶほど、世界のどこかで新たなテロリストが生まれる構図。何だか虚しい。

 高度な文明を築いては破壊を繰り返し(結局、度重なる戦争で、数多の王朝が国家財政を破綻させている)…何度戦争を経験しても懲りない人類は、ハッキリ言ってアホだな。こんなに高い知能を持ちながら、こんなに破壊行為が好きと言うか、好戦的な種って、過去にいたんだろうか?この分だとその愚かさで、人間はまた近い将来、神の怒りを買いそうだ。

 今、世界を見る限り、ダイバーシティなんて、絵に描いた餅。もしかして、私達は第三次世界大戦への道筋を、今、この目でリアルタイムに見ているのだろうか?或いは、世界的規模で同時多発的に紛争が起きているのが現代の戦争の在り方で、これぞまさしく"世界大戦"と呼ぶべき状況なのだろうか?



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