『エリザベスの友達』村田喜代子(新潮文庫)

認知症介護と戦争経験者の最晩年をについて考えさせられた小説。
中国からの引き揚げ者である97歳の初音さんは老人ホームで生活しており、二人の娘もわからないほどの認知症が進んでいた。朦朧とする初音さんの意識は、かつて暮らした天津の日本租界、きらびやかで女性たちが自由だった世界へ漂う。
●身につまされてつらい
基本的に優しくユーモアを交えたもので、筆致はあたたかい。のだが、自分が母の介護を始めている身としては認知症が進んだら親はこうなるから覚悟しろと言われているようで読むのが辛かった。ホームの老人たちを“漂着した昆布”に例えるなど形容が上手すぎることにえぐられる。
同時にベテラン介護士が幻覚に怯える初音さんへの接し方を「見えるものはあるものなの」と周囲に諭すなど、介護する側の心得のようなものが参考になる。どっちにしても諭されている気分というのかな。
●老人は過去と生きている
ラストエンペラー溥儀の妻、婉容については知らなかったことが多く興味深く読んだ。最後は悲惨な末路を辿った婉容だけど、天津では結婚後の人生で唯一自由で幸せだった時期として描かれていた。他にも戦時中の罪を謝る老人や若い介護士と日露戦争の話をするなど、史実の織り込み方がさり気なく、しかし必ずそれに触れるべきという意志も感じた。
読書会でも、「老人は過去から逃げることができない」という声があったように、初音さんは幸せな時期に行きつ戻りつ自由になったようでいて、すべてが幸せな記憶ではない。引き揚げ船で見た悲惨な光景の幻覚に怯えたり、婉容の無惨な晩年に立ち合ったりする。過去の記憶が蘇るとき、決して幸不幸を選んではくれないのだ。
●女が「おまえ」と呼ばれない世界
初音さんが度々戻っていくかつての租界(各国の占領都市)は、いわゆる「いいところの奥様」の集いだ。戦争の足音が間近にあって、真珠のネックレスや絹のドレスに身を包み、午後のお茶会を楽しむ贅沢なコミュニティ。
そのなかで、夫に「おまえ」と呼ばれない、嫌なことにはノーと言える、女性が自由だったと「覚えていて」と先輩奥様が言う場面が印象的だった。それじゃあそんな夫も日本に帰れば結局、男尊女卑を振り回す男になってしまうのか。それを知っている先輩奥様の切なさが胸に来た。