『ルポ 教育虐待 毒親と追い詰められる子どもたち』おおたとしまさ/ディスカバー・トゥエンティワン
2016年に小学6年生の男の子が、「勉強しないから」という理由で父親に殺された事件がありました。非常に衝撃的でよく覚えていますが、その後新聞で「教育虐待」という言葉を知りました。本書の中ではこう定義されています。
教育虐待とは、「あなたのため」という大義名分のもとに親が子に行ういきすぎた「しつけ」や「教育」のことである。2012年8月23日付けの毎日新聞に掲載された記事によれば、「子どもの受忍範囲を越えて勉強させるのは『教育虐待』とのこと。(p6)
この本は、見るに耐えないような教育虐待の事例をあげ、それをされた子どもの人生にどんな影響を与えるか、また子どもを追い詰める親もまた追い詰められている社会的な背景を汲み取りつつ、解決策や予防策を提言しています。
”子どもは親のために生きているわけではない”等、分かっていても見失いがちなことを色々と説いていますが、一番大切なことは、「子どもの人権を阻害しないこと」と分かります。加えて、スパルタ教育に耐えられるかはその子の器によって変わるので、世にあふれる「こうすれば頭が良くなる」式のコンテンツは害悪ですらあると警鐘を鳴らしています。
特に印象深かったのは、”「教育」と「人材育成」は違う、教育はその人らしく生きていけるよう知識や教養を与えること、人材育成は人を目的のために加工しようとすること。(要約)”といった後半の著者の言葉です。”「食材」「木材」など、「材」になった時点でそのものは死んでいる。人間は実際に殺されるわけではないが、生き様はなくなる。”など、目からうろこの指摘がたくさんあり、付箋だらけになってしまいました。
とはいえ、親ならば先々の不安が子どもの成績によって増して、どうしても子どもに勉強を強いてしまうのは私もよくわかります。親の収入によって子どもの教育環境に差が出て、先の見えない、正解のない時代と言われます。親も追い詰められているのです。そんな中、
子どもは親の思った通りには育たないが、それなりのものには必ず育つ。親がよほど余計なことをしなければ。(p184)
という言葉に、少し肩の力が抜けたような気がしました。
つまり、子どもを信じることが大事なんだろうなと。つい、口やかましく何か指示を出したくなってしまいますが、それをやればやるほど子どもの生きる力を削ってしまうというのは、『塾に捨てられる子どもたち』を読んだときにも思ったことでした。
日本は子どもの教育責任を親に負わせる面が大きく、親が子どもを“私物化”してしまいがちという指摘もありました。子どもは社会の宝であり、社会が子どもを育てる責任を大きく負うべきという主張にも共感です。その意味で、法律で体罰が禁止されたことはよかった。
ただ、国が子どもの教育コストを親に負わせる部分が大きいことは変わらず、教育虐待の根本原因はそこにあるといっても過言ではない気がします。とりあえず、個人的には自戒の意味でも読めてよかったし、広く読まれるべき本だと思いました。