『ぼくとベルさん−友だちは発明王』
1908年。今から110年前のカナダが舞台。まだディスクレシア(難読症)が認知されていなかったころ、読み書きができずに苦しむ10歳の少年エディの物語。
フィクションだけれど、発明家のベルさんやヘレンケラーが登場し、なんだかとても豪華。彼らとの出会いがエディの運命を変えていく。
難読症について理解する本でもあるし、生まれつきの障害は個性であり、人間苦手があれば得意もある、発想豊かな少数派が報われると希望を感じる話でもある。
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このお話はエディのお父さんの存在感がものすごく大きい。
前半は、エディが「eight」も書けないと絶望するお父さんが、あることで息子を誇りに思うようになり、後半は理不尽な扱いを受けた息子のためにある行動に出る。
気難しくて厳しく、恐れられる存在ながら、慎重で聡明な「大人」としての役割を果たしている。エディが自分に自信をつけていくのと、父親との信頼関係が深くなっていくのは同時だ。
終始エディの視点で語られる文章は、周囲の状況をつぶさに観察して描写しており、読者はとてもエディを愚かな子とは思えない。ただ、とても気の毒に思い、英語に苦戦している子は共感するだろう。
ここでは難読症という言葉は出てこないが、エディの症状は明らかに生まれつきでどうしようもないことのように思える。むしろ学校で同じことをやらなくてはならない理不尽を感じるくらいだ。
それでも、どうやってエディが人としての尊厳を取り戻していくかというところに引き込まれたし、何より左利きを無理やり矯正しようとする時代に驚愕した。
「少数派」は、多数派の「これが当たり前で、正すべき」という暴力に幾度もぶちあってきた。いまでは左利きを悪く言う人などいないけれど、たとえば発達障害やLGBTも、「左利き」みたいなものだとみんなが思えれば、とハッとした。
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お話としてはちょっと出来すぎの感もあるけれど、児童文学はあるていど、こういう希望に満ちた作りのほうがいい。思っていたよりもずっと読み応えのある内容でよかった。