竹宮惠子 著/小学館
迷ったけれど買って良かった。
「名作『風と木の詩』創作秘話」という帯だったけれども、一番読みたい所はこれから、というところで終わっていた。「こりゃ〜次巻が出そうだなー」が、この本を閉じた第一声です。2月1日発売だったので初版かと思ったら第2刷でした。反響大きかったのですね。
著者が二十歳で、新人でありながら連載を抱え過ぎてどうにもならなくなり徳島から上京してくるところから始まる。当時の神田、出版業界が活況を呈していた頃の描写がいい。
萩尾望都や、後に重要なブレーンとなる増山さんとの出会い、葛藤が描かれて、よくここまで赤裸々に心情を告白したなと思わずにはいられない。
3年ものスランプを経て、「ファラオの墓」でやっと物語をコントロールする醍醐味を知った部分が良かった。
「読者は作者の自己主張なんか押し付けられたくはないんだと気付けた」(P215)とあって、ここでは「自分(作家)が描きたいものと、売れる要素は違う」という論を思い出した。
今は作家が単独で発表する同人誌やネット等があるけれど、この当時は出版社に出してもらうしかないわけで、そういう葛藤を抱えたままの人は多かっただろう。ましてや、少女マンガなんて本当は良く分かっていない男性編集者ばっかりの業界だったころだ。それでも、売れることはイコール面白いものを描けているということだ。一部の鋭敏な人だけでなく、普通の人たちが共感するものを描けなくて、それを言い訳にするようならプロではない。竹宮さんは、増山さんというブレーンに恵まれ、苦しみながらも仕事を切らすことなく描き続けたのも良かったんだと思う。
「脚本術」に関する記述にも惹き込まれた。「感覚的にコマを紡いでいく」ことに重きを置いて、脚本を練ることをしなかったために苦労してしまったそうだ。言いたいことははっきりしていて、いいエピソードがあっても、演出というものが分かっていないとマンガとしては面白くならない。これは先人に学ぶべきだという。
――映画でも演劇でも小説でも様々な創作の分野において、「人はどこで感動しているか」とか「面白いと感じているか」の技術があり、そうした「感動」は作ることができるものなのだ。(P230)
売れている漫画や本、映画でもそうだけれど、面白いお話は「うまいなあ」と思ってしまう。人気のある創作物はおしなべてこの「人を楽しませるツボ」技術を心得ていると感じることを思い出した。そして、そういうお話の中から、
「もやもやした、突き止めたかった感情の大きな部分」(P233)があぶり出されれば、なおさら大きな読み応え、見応え”共感”につながるのだろう。
こうした成長があったからこそ、あの問題作、哲学的な思考を喚起する名作を描く実力が備わったのだろう。そしてこの本は、そこに至るまでの苦しみと、やっとライフワークに着手できたというところまでがじっくりと描かれている。
ご本人も「風木」に関して書けばまた1冊分になるとおっしゃっていたように、正直、読みたいところはそこだったけれど、この本を書かずして、また読者が知らずして、語ることはできないことだったように思う。