(ネタバレありです)
あらすじ:第二次世界大戦中、「大きな町」から田舎の「小さな町」の祖母の家に疎開させられる双子の男の子たち。母親と祖母の会話を盗み聞きして、二人が不和なことを知る彼ら。吝嗇で酷い祖母とえげつない大人ばかりの世界で、彼ら独自の「生き延びるための訓練」が始まる。それを日記に記す彼らの視点で描かれる物語。
映画「悪童日記」見てから原作も再読してみた。原作は10年前に読んで、ほとんど忘れていたけれど強烈な印象だけは残っていた。見る者を強力に惹き付けるくせに物凄く突き放したあの感じ。あの美しい双子を発掘したことと、原作の黒々とした強烈な雰囲気を再現して、映像化に成功していると思う。
ただ、映画を見ているあいだじゅう、いい気分にはならないしずっと不穏な空気で次にどんな酷いことが起こるかと緊張するし、決して美しい感動があるわけでもないしで、良い出来だとは思うけれど、それは観終わってその世界から離れて安心してから湧いてくる感情だった。
一番惹きこまれたのは双子がじっとまっすぐ相手を(カメラを)見つめ返す場面なのだけれど、二人並んでいるとどちらに視線を合わせていいか分からなくなる。見つめ返されているほうは、さぞかし不安定な気持ちになりそうだし、実際観客にもそういう効果があったのではないだろうか。
あの双子は、ハンガリーの貧しい村の出身で、家庭の問題で両親と姉と離れて暮らしているらしい。サース監督は、彼らを「厳しい肉体労働をして暮らす日常を送っており、過酷な生活とは何かを説明する必要はなかった」
「彼らが都会の裕福な家庭に育ち、演劇学校に通っているような子供であったなら、とても『悪童日記』の世界は表現できなかったであろう」(パンフレットより)
と語っており、美しいけれど何かを悟りきったような大人びたまなざしは、そういうところから来ているのだと分かった。もちろん、基本的な頭の良さと感受性のするどさもありそう。
映画のほうが目で見て聴覚にも訴えられて、感覚的に衝撃が強い気がしていたけれど、忘れていただけで、やっぱり原作のほうが残酷だし司祭館の若い女はもっと具体的にゲスなことをしていた。従卒やドイツ人将校も。映画は下品にならないように仕上げつつ、うまく演出しそれでも薄味にはしていなかったなと。
なぜ双子は祖母を選んだのか
内容は色々と残酷だけれど、戦時下の人心が荒れている様子がよく分かる。それよりもこの物語のすさまじさは、冷静過ぎるほど冷静にそれを受け止め、何にも取り込まれない彼らの姿勢、彼らだけの倫理観で冷徹に物事にあたるところだと思う。それは、彼らにひどい目にあわされた司祭館の女と、馴染むことはないと思われた祖母が最後には「母より祖母」を選択させるほどになったことの比較でよく分かる。
映画では、司祭館の女は彼らにとって制裁を加える人物だと分かったけれど、なぜそれほど祖母に親和したのか分かるエピソードに乏しいと思った。父親の違う妹を産んだ母親への反発かもしれないけど、それでも弱い。
彼らを風呂に入れてくれ、色んな意味で可愛がってくれた司祭館の女は、ユダヤ人が収容所に送られる列にパンを見せびらかして結局は渡さない。映画ではもっと残酷な仕打ちもしている。一方祖母は、彼らを「雌犬の子」と呼んで働かないうちは食事も与えず殴るばかりだが、原作では、連行されるユダヤ人の行列に誤って林檎をまき散らしたように見せて与えていた。毒キノコの見分け方を教えて、空襲時には防空壕に入ることなどせず3人で火事場泥棒していた。完全な共犯者で、双子が祖母の「正直さ」を肯定していった理由が、今回再読してみてよく分かった。
父親の存在
原作には父親は出てこないと思っていたら、最初のほうの回想で少し出ていて、この話の世界観を表すセリフを言っていた。
「二人で、まわりから隔たった、特殊な世界に生きている。彼らだけの世界だ。(中略)おれには不気味だ。いったい何を考えているのか、外からはまったく計り知れないんだからな。歳の割に、あまりにも大人びているよ。ものを識りすぎているよ」
そして、確認のために墓を掘り返すのも、最後に出てきて犠牲にされてしまうのも原作通りだった。
10年前の感想(続編含む)