ハンス・ペーター・リヒターの『あのころはフリードリヒがいた』を岩波少年文庫で読みました。
中学の教科書に一部載っていたし有名な作品なので知ってはいましたが、全部読んだのは初めてです。
ヒトラー政権になる少し前のドイツに生まれたユダヤ人少年フリードリヒ。次第に反ユダヤの世の中になっていき、どんどん困難な状況に陥っていく様が、同じアパートに住む幼なじみの少年の目を通して痛切に描かれます。
ナチスによるユダヤ人迫害の話というのは、『シンドラーのリスト』とか『アンネの日記』とか、『戦場のピアニスト』『ライフ・イズ・ビューティフル』等など色々思い出し、テレビでもドキュメンタリー特集などでどんなに酷いものか少しは知っているつもりでしたが、今まで私がふれてきた話のなかには詳細に描かれていなかった”ユダヤ人”がどういう民族なのか、注意深くこまやかに描かれていて、戒律や儀式を重んじ自分達の背負った歴史を嘆きつつも誇り高く生きる人々、ゆえに誤解や中傷の的となってしまう事がよく分かりました。
それだけではなく、ドイツ人少年の父親が失業者でもあり、当時の不景気困窮具合も見て取れて、単純に年表を見るだけでは解らない時代の雰囲気、ユダヤ人を追い落として自分達が救われたかったのだという切羽詰った気持ちも伝わってきました。
著者による細かな年表が巻末にあり、それと共に読み進むと今まで見てきた映画などは、隠れて暮らす窮状や、収容所とその前後で、収容所に行くのが一番ひどいことのように思っていましたが、酷いことはそれ以前からどんどんじわじわ速度を増してユダヤ人に襲い掛かっていて、そのむごい歴史がフリードリヒの短い人生そのままで、およそ考えられるあらゆる人権剥奪というか貶める法律をばんばん出していて驚愕してしまいました。
強制収容所行きは突然に行われたわけじゃなく、こういうものすごい迫害を何年も段階的に仕掛けていったのだと初めて思い知らされました。
こんな迫害を受けながら、国外に逃げなさいと忠告されても逃げなかったフリードリヒのお父さんは、「今は20世紀で、中世ならば命の危険もあったろうが、人間はもっと理性的になっているはず。もう二千年も前からある偏見はあきらめなくちゃならない。これは神が与えたもうた試練で、逃げずに頑張っていれば不安定なさすらいの日々に終止符を打てるかもしれない」というような事を言って頑張ってしまった。ユダヤ人なりの誇りと、この人の人間としての気質のよさがこの家族を陥れてしまったことが悲しい皮肉に感じました。命の危険を感じたときにはすでに国外には出られなかったでしょう。
それにしても、「いまは20世紀で、」という一語がひっかかります。人間はいつの世でも過ちを繰り返してしまうものなのだろうかと。こんな事いまの世の中で起こりえない、と思っていても、人間が集団でおかしくなっていくのを止めることは難しいのではないかと改めて考えさせられました。