自分で作ったジャンル「外国のコト」に1件も投稿がないため、ふと思い立ってHPに載せていた文章をココにも念のため置いておこうと思った。以上。


























第1話
ボンベイとサイババ君
インドに行ったのは、2000年12月10日から15日のたった6日間。会社の休みを利用しての本当に束の間の1人旅。でもこのたったの6日間が私の人生をかなり変えてしまうことになるのです。
インドに女1人で行くのはかなり奇妙なのかもしれない。それもツアーに参加するのではなくバックパック一つで。行き帰りのフライトのチケットは持っていたけれど、ホテルの手配は最終日のニューデリー一泊しかせずに行った。スタートから結構怖いもの知らずだったかも知れない。
出発の前から風邪を引くという最悪のコンディション。お医者さんからも「え!インド?今の体調では無理です」と言われていたけど、なんとか強引に1週間分の薬と万が一高熱が出たときの鎮痛剤・解熱剤などをもらい、いざ出発。
ボンベイ空港到着。全日空を使ったので、飛行機の中にはかなりの日本人がいた。はずなのに、飛行機を降り、両替を済ませてロビーに出ると日本人が誰もいない。なんで〜??もう夜の21時くらいだ。とりあえずタクシーに乗って、市街地に向かおう。
空港ビルから一歩出ると・・・。そこには数えられないほどのインド人タクシードライバーが私目掛けて突進してきた。殺される?犯される?今までの人生で見たインド人の数を全部合わせてもその100倍くらいはありそうな数だ。さぁどうする・・・。実際は考える暇などない。すると、1人の日本人男性が近づいてきた。そして「市街地までですか?一緒に行きましょう」と私を一台のタクシーのところに連れて行って、私はあれよあれよと彼と共にタクシーに乗ったのである。
タクシーの中で私たちは初めて自己紹介をした。彼は大阪でデザイナーとして働いているらしく、どうも今回の旅は「サイババ」に会いに行ったお兄さんを探しにいくためならしい。ありかよ、いきなり。サイババって、あのアフロのおじさんやろ?なんてドラマチックなことをしている人にめぐり合ったのだろう・・・。しかし今となっては彼の名前がどうしても思い出すことができない・・・。
私たちはムンバイ市街地を目指した。途中、タクシーの窓をしめても入り込んでくる異臭をタオルで鼻を押さえて我慢した。外を見ると川のほとりのスラム街を通過しているところだった。いったい何をどうしたらこんな臭いを作り出すことができるのだろうか??
タクシーを降りて、あたりを見回した。あぁこれがボンベイ。世界史で習った街ボンベイ。う〜ん。
街を一言で描写するならば、「昨日空襲に襲われたての街」。いたるところが、ぼろぼろ、ぼこぼこ、ぐちゃぐちゃ。
彼も宿の予約をしていなかったらしい。私たちは22時を過ぎたボンベイを歩いた。大きなバックパックをかつぐ日本人二人など格好のカモだ。いろんな人が着いてくる。もう寝る時間でしょ?家に帰って寝ろよ。と思いつつ彼らを無視しながら私たちはひたすら歩いた。私はもう疲れたし眠いから少々高くてもいいじゃ〜ん。と投げやり気分だが、彼は数ヶ月はインドに滞在する予定ならしく、満足する宿を探し続けている・・・。えらいめんどくさい奴と一緒になったもんだ。
なんとか彼のお眼鏡にかなう宿があり(一泊500円くらいだった)そしてそれぞれの部屋へ向かった。部屋に入ると、まあまあ、いいじゃない。とりあえずトイレトイレ。「??」穴があります。穴だけです。分かった。これがトイレだ。水、水、水・・・。おけに水が入っています。分かった。手動式だ。自分で流すんだ。トイレの中にもう一個ドアがあったが、怖くて開けなかった。
風邪気味だった身体がなぜかもうだるくない。治ったようだ。なんでだろう。
次の朝、多分5時ごろだろうか、気持ちの悪い珍獣のなく声が外から聞こえてくる。そして、お経のような音楽も。寝かせてくれよ、お願いだから・・・。
朝の9時に昨日の彼と待ち合わせをして、街を共に散策する。私は今日の午後ジャイプールに向かう飛行機に乗らなければいけない。だからボンベイの観光はたったの半日だ。とりあえずもっとお金を下ろそうと、アメリカンエクスプレスの両替所に行った。そしてUSドルをルピーに替えてもらったら、紙幣の厚さが5センチくらいになった・・・。札束だよ、これ・・・。もちろんお財布には入りきらない。その札束をカバンの奥底にしまい、私たちはインド門に向かった。
本当はボンベイからアジャンタに行きたかったけれど、時間が今回の旅なので、あきらめてボンベイ近郊の島、エレファンタ島に向かった。エレファンタ島は石窟で有名な島である。島までのボートに乗るとき、近くのうさんくさいおじさんが「今日は石窟は休みだよ〜ん」と声を掛けて来た。うざい。(注:インドで周りの人のいうことを全部鵜呑みにしていると、最終的には阿片窟のようなところに連れていかれちゃいますよ、きっと)。石窟なんて自然の中にあるものがなんで休む必要があるんだよ!うそつき!無視無視。とボートに乗り込み、揺られること1時間。船着場に降りて、おみやげ物屋さん通りを抜け、石窟の入口に着いた私たち。
門が閉まっている・・・。
本当に休みだ・・・。休みならボート出すなよ〜!逆切れの私たち。ふと周りを見ると、ぼうぜんと立ち尽くす日本人のおじさん1人と西欧人の男の人1人。私たちは苦笑いをしながら、みんなでぶらぶらと島を歩き始めた。日本人のおじさんは東京の大学の教授で成田さん。もう1人はオランダ人の大学生、リッキーさん。
エレファンタ島は石窟がないと、ただの小島。でも島を囲む海はとても美しかった。私たちは写真を取り合い、メールのアドレスも教えあったが、いまだに私は誰からもメールを受け取っていない・・・。
そして2時間ほど島を散策して、私たちはボンベイの街へ戻った。戻りのボートで彼は、「大阪にサイババの信者が集まる喫茶店があるから、日本に帰ったら顔を出してよ」としつこく私を勧誘する。もうもうもう!私は何も信じていません。私が信じるのはお金と私です。ノルマか何かあるのかしら?
別れ際に、彼は私にサイババのスナップ写真をくれた。インドの人はみんなサイババを信じているから、もし何か危険な目に遭いそうな時は、この写真を見せて「私はサイババの信者です!」というと身を守れるから、と・・・。まじで・・・。とりあえず、その写真をかばんに突っ込み、さよならをした。
なぜだか、私は今もその写真を大事にとってある。しかし未だサイババって何かわからない。
ところで、このサイババ君はインドでお兄さんに出会うことができたんだろうか・・・?

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