カレンダーの件ですが。
本日、製版に回して、明日から印刷にかかります。
戴いた修正に関しては、2回見直しました。
多分、大丈夫の筈です。
福来。への追悼文みたいなのを書きました。
福来。の簡単な一生を書いたのです。
限られた紙面なので、
どうしても書いておきたい事だけしか書けませんでした。
本館の「笑う門には<福来。>来る」の方には、
しっかりと書いてアップしようと、そう思っています。
ブログを読んで下さっている方には、
一足お先に、その文章を掲載して読んで戴こうかと思い、転載してみました。
2005年8月、大阪の、とある猫の餌場で、
野良猫さんが二匹の女の仔猫を産みました。
二匹とも白黒猫の八割れでした。
その仔猫達は親切な人々によって保護されたのでした。
猫の幼稚園という猫の一時預かりの場に、その姉妹は預けられ、
つばさちゃんとあかりちゃんという名前を貰い、仲良く暮らしていたました…。
血液検査をするまでは。。。
保護された猫は健康診断の為に血液検査をすることになっています。
妹のあかりちゃんは、血液検査の結果FeLV(猫白血病)で陽性反応が示され、
多くの猫を預かる猫の幼稚園では隔離されて生活することになりました。
多くの猫さんが自由に生活するのに、お姉ちゃんも自由に遊んでいるのに、
あかりちゃんは一人、ゲージの中。あかりちゃんはひとりぼっち。
「どうして?」あかりちゃんはゲージの向こうからジッと眺めています。
あかりちゃんが保護されて3ヶ月が過ぎた頃でした。
京都に住む和代さんはずっと前からあかりちゃんの里親希望でしたが、
初猫飼いである事や本当に自分が幸せに出来るのかと思案を巡らせ悩み、
やっと。やっと猫の幼稚園宛に里親希望のメールを書いたのです。
何度も悩みました。
一杯一杯、園長先生とお話しました。
そして決めたのです。この仔の里親になろう、と。
仮に、病気が発症して、他の猫さんより短い命であったとしても、
自由に延び延びと暮らし、他の猫さんに負けないニャン生であれば、
それはこの仔の幸せになるのではないか。そう思ったからです。
和代さんは辞書を片手にこの仔の名前を考えました。
字画も考慮して「福来。」(ふき)と名前をつけました。
「福」が「来る」と書くのです。
和代さんの苗字と併せて画数を考え、
最後に「。」をつけて幸せになる画数にしました。
早春の雨の日。あかりちゃんは福来。ちゃんとなって京都に行きました。
和代さんの元に行きました。
あかりちゃんはとても怖がりの猫さんでしたが、
福来。ちゃんになって家猫になって自信がついたのでしょうか。
それとも愛情一杯でお姫様生活をしていたからでしょうか。
段々、怖がり猫さんから、お嬢様猫さんになっていき、
自由に生活し、好きな物を一杯貰う毎日でした。
福来。ちゃんが京都に来て3ヶ月を前にしたある日。
避妊手術で動物病院に行った和代さんは、
そこで福来。ちゃんがFeLVを発症していることを知らさせます。
その日から、福来。ちゃんと和代さんの二人三脚の闘病生活が始まりました。
週に一度の抗癌剤投与。それ以外の日は、連日の点滴投与。
福来。ちゃんは、今まで和代さんと離れたことがなかったのに、
抗癌剤投与の日は、ほぼ一日、ひとりぼっち。
夕方に和代さんが迎えに来るまで、
福来。ちゃんは一人で頑張って抗癌剤投与に耐えています。
闘病生活が始まると、福来。ちゃんは今まで以上に甘えるようになりました。
いつも和代さんが見える所で寝て、
いつも和代さんが見える所に移動して、一日を静かに過ごしていました。
嘔吐、下痢など副作用があっても頑張りました。
嘔吐や下痢で部屋を汚しても和代さんは一言も怒らず、
黙って掃除をしてくれました。
黙って福来。ちゃんを撫でてくれました。
発症後18日を経過した日。福来。ちゃんの生活に終わりが来ました。
突然椅子から落ちて意識不明になりました。
福来。ちゃんの異常な状態に、
和代さんは命の終わりが来ているのを悟りました。
なので、病院に入院させず、自分の手で見送ろうと思い、
病院から連れて帰って来ました。
和代さんは福来。ちゃんをタオルにくるみ、大切に大切に抱っこします。
赤ちゃんをあやすように背中をトントンと叩きながら
福来。ちゃんと一杯お話をします。
もうすぐ自分から去っていく最愛の猫さんにお話します。
福来。ちゃんも、目に一杯涙を貯めながら、
自分に話しかけてくれる最愛の人ともうすぐお別れなのを知っています。
和代さん、おおきに。福来。は幸せやったで。ええ猫生やったで。
今度は丈夫な体になって帰ってくるしな。ちょっとだけさいならや。
静かに。
眠るように。
福来。ちゃんは和代さんの腕の中で永遠の眠りにつきました。
9ヶ月の命でした。
どの猫さんにも負けない幸せな猫生でした。
福来。ちゃん、待ってるで。和代さんの所へ、早よ、戻って来ぃや。
福来。2006年5月30日没 享年9ヶ月
校正をしながら泣きました。
涙はいつになったら枯れてくれるのでしょうか。

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