「星守る犬」  

クリックすると元のサイズで表示します

京介:クロはいつも夜になると星空を見上げていたんだ。

京介の祖父:星守る犬だな

京介:ん?

京介の祖父:いやね、決して手に入らない星をずっと眺め続ける犬のことだ。これ、高望みをする人を表す例えに使う言葉らしいよ。

京介:手に入らないものなんて眺めてるだけ無駄だよ。

京介の祖父:あのね、生きるってことはしょせん無駄だらけなんだ。君のように殻に閉じこもって生きるよりも高望みをし続ける人生の方がいいと・・・僕はそう思うよ。

2

 

「シッピング・ニュース」  

クリックすると元のサイズで表示します

嵐が吹いて硬い結び目が解けることもある。

嵐が過ぎ去り、頑丈だったはずの木造の家が跡形無なく崩れ去ると、そこには絶景が。

人はその頑丈なはずの家に立て篭り、目の前に厳然と広がっていた自然の温かな眼差しに気付いていなかっただけなのだ。

時の流れは全てを癒す。嵐が過ぎ去れば、そこには安住の地がある。

4

 

「空気人形」  

クリックすると元のサイズで表示します

人間関係に疲れ果て、人に期待をし、裏切られ、そして自分には価値がないと思い込んでしまっている貴方へ贈ります。人によって傷付いても、貴方を癒すのは人であり、そして貴方も誰かを癒せるのです。

『生命は自分自身だけでは完結出来ないようにつくられているらしい。花もめしべとおしべが揃っているだけでは不十分で、虫や風が訪れて、めしべとおしべを仲立ちする。生命はその中に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらうのだ。
 世界は多分、他者の総和。しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず、知らされもせず、バラまかれている者同士、無関心でいられる間柄。ときに疎ましく思うことさえも許されている間柄。そのように世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?
 花が咲いている。すぐ近くまで虻の姿をした他者が、光りをまとって飛んで来ている。私もあるとき誰かのための虻だったろう。貴方もあるとき私のための風だったかもしれない

24

 

「メッセージ そして、愛が残る」  

クリックすると元のサイズで表示します

過去に囚われ、今に価値を置けなくなった貴方。そして「死」という問題に苦悶している貴方へ贈ります。

人の死を予見することの出来るケイ医師が主人公ネイサンに語りかけた言葉。

『死後の世界のあるなしは重要ではありません。大事なのは死ぬまで生きることです。今日を、今を、精一杯。命の不思議は今ここにあります。そこに人はなかなか気付けない』

主人公ネイサンが娘にレストランで語りかける。乳児の息子を自分の過失で死なせてしまったと思い込み罪悪感を感じるネイサン。娘と死について語り合う。

『死んだらいなくなる、そうは思っていないんだ。他の場所にいる気がする。どうしてか分かる?ボートが見えなくなったら・・・ボートって水平線に消えるだろ?そうやってボートが見えなくなったら消えてしまう。でも、それはボートがなくなったってこと?(「ちがう」と娘が返事する)そうだろ?死ぬってそういうことなんだ。ボートは水平線に消えるけど、でもだからといって、いなくなるわけじゃないんだ』

自分の死を覚悟して、ようやく過去を解放し、今を生きることの大切さを知ったネイサンが娘に宛てた手紙を書く。

人生は豊かさにあふれてる。分かち合った言葉や笑いや喜びはみんな覚えている。幸せを育み、幸せを感じて生きて欲しい。それに何より、パパが死んでも取り乱したり、悲しんだりしないで。いつの日か、どうしようもなくパパと話しをしたくなったら、昔一緒に行った君が大好きな場所に行ってごらん。そうしたらパパとお話出来る。パパはそこにいるよ。忘れないで。大切な人には恥ずかしがらずに愛しているって伝えることを

11

 

「セントエルモス・ファイアー」  

クリックすると元のサイズで表示します

過去に雁字搦めになってしまっている貴方へ贈ります。

「父が何故あんなに私を嫌ってたか、昏睡状態の継母から聞きたかった」と訴えるジュールズ(デミ・ムーア)に対してビリー(ロブ・ロウ)が言ったセリフ。

『それは幻想だよ。”聖エルモの火”と同じさ。暗い空に突然現れる放電現象だ。船乗りはそれを道標にするが、火などない。彼らが作り上げたものだ。物事が辛くなった時、人は何かが必要なんだ。今の君の話しのように。やっていけるよ!みんな曲がり角なんだ』

6

 

「ナルコ!」  

クリックすると元のサイズで表示します
睡眠障害「ナルコレプシー」を題材にした映画。
自分に自信が持てない貴方、内なる愛を確信出来ない貴方へ贈ります。

『私は愛であり、愛されてもいる。愛はたった一つの言葉に過ぎぬ。私は愛だ。秘しても告げても。私は私以外の何者でもない。私は私を愛す』

3

 

「アイガー北壁」  

クリックすると元のサイズで表示します

この映画は台詞を挙げるより映像にこそそのメッセージが注ぎ込まれています。

「アイガー北壁」は世界3大北壁の一つに数えられるスイスの代表する山「アイガー北壁」へアタックする二人の男を描いた実話です。

「アイガー北壁」は世界的にも登頂が困難な死の山とされ、多くの死者を出しています。

ベルリン・オリンピックの開幕直前の1936年。ナチス・ドイツは国家の優位性を世界にアピールする為に「アイガー北壁」へのドイツ人初登頂を望み、成功した者にはオリンピック金メダルの授与の約束し、国内の登山家達へ挑戦を求めます。しかし「死の山」「殺人の壁」と登山家から恐れられる「アイガー」へのアタックを決める者はなかなか現れませんでした。国家のこの目論見を広報する立場である新聞社に勤務するジャーナリストの卵ルイーゼのかつての恋人トニーとアンディはナチスの訓練兵でいつも自分達の仕事に疑問を持っています。トニーとアンディは優秀な登山家としても知られていて、新聞社の首脳部は彼等に白羽の矢を立て、ルイーゼにアタックをそそのかす役目を与えて彼等の元へ向かわせます。一旦は断ったトニーとアンディですが、ある日「アイガー」への登攀を決め、訓練兵を除隊して名誉を勝ち得る為に挑むのでした。そしてそこから目を覆いたくなる壮絶な「殺人の壁」との闘いが始まります。

人は一生に一度も「命懸け」で何かに挑むことなしにその生を終えて行くものでしょう。どんなに無惨な終わり方をしたとしても、失敗したとしても自らの意志で「命を懸けて」何かに挑戦することは人間にしか出来ない特権であり、尊いものです。

これはただのパニック映画でもアクション映画でもありません。登山を始めて分かったことがあります。それは登山はスポーツではないということ。登山は哲学的行動であり所作だということです。人に責任を押し付ける、または周囲に責任転嫁し、言い訳をし、逃避するのが私達の住んでいるこの下界では当たり前。しかし登山をすると喜びも悲しみも全て自分が受け取り、引き受け、ダイレクトに味わうことになるのです。そこには自分との真正面からの語らいがあるんです。

自分との十分な語らいがあるからこそ、利他的になれる。人を思えます。この映画でもトニーとアンディは死の危険と格闘しながらも、共に登攀している仲間へと意識が注がれます。命を懸けるとはどういうことなのか、人間という存在とは何なのか、本当の愛とは、この映画で考える事はとても多い。得るものがある映画です。「登山映画か〜興味ないね」と視線を外す前に是非見て頂けたらと思います。特に自分に自信が持てなかったり、立ち止まっていたり、迷走している人にこそ観て欲しい!そんな映画です。

11

 

「暗いところで待ち合わせ」  

主人公の本間ミチルは父子家庭。大学生の頃に交通事故に遭って両目の視力を失ってから引き蘢りがち。そんな中、父が突然の他界。親戚からは施設に入ることを勧められるが、父の残り香がする家を離れられず、一人暮らしをする決意を父の葬式が終わった直後に親戚に告げる。

父が亡くなって、さらに心を閉ざして家から出ない日々が続いていたミチルの元に不意の来訪者が訪れる。彼は大石アキヒロ。中国と日本人のハーフで中国育ち、母親を中国に置いて出稼ぎに来ている。一年前に印刷会社に就職し、工場で懸命に働いている。いつも伏し目がちで、仕事に没頭している。人と接することが苦手で、酒の誘いもぶっきらぼうに断る。そんなアキヒロは周囲から孤立していた。そんなアキヒロを快く思わない同僚達は、陰質なイジメを繰り返す様になる。

そんな時に、ミチルの家の目と鼻の先にある駅のホームで事件が起きる。アキヒロをイジメていた上司の松永トシオがホームから落下して死亡したのだ。その背後にはアキヒロが。アキヒロは現場から逃走し、ミチルの家へ。目の見えないミチルはアキヒロが家にいることも知らず、普段通りの生活をこなしていく。そこからミチルとアキヒロの奇妙な共同生活が始まる。果たして松永トシオをホームから突き飛ばしたのはアキヒロなのか。

主演の田中麗奈の演技が素晴らしい。ピアノを弾くシーンでは、アイマスクをしてピアノを完璧に弾きこなす練習をしたそうだ。息を呑む設定についつい引き込まれる。

ラストシーンのアキヒロの台詞。
ずっと自分の居場所を探して。俺なんかには居ていい場所なんてないんじゃないかって思ったこともある。だけどやっと分かった。本当に必要なのは場所じゃない。必要なのは自分の存在を許してくれる人間なんだって

3



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ