寺田寅彦随筆集第四巻
好きな随筆:「鎖骨」「藤の実」「函館の大火について」「庭の追憶」
「ゴードン・スミスのニッポン仰天日記」
ウオーキング途上、隣町の新築公民館に興味半分で立ち寄り、図書室で、タイトルと沢山の写真や図柄に惹かれ、これまた興味半分で借りてくる。1898〜1907に3度来日した英人博物者の日本探訪記。百年前の日本を見るのは、見知らぬ外国を見るのと同じ感覚。百年前の写真や図柄は目に楽しく、日露戦争と重なる時期も興味を惹いた。
寺田寅彦随筆集第一巻
好きな随筆:「丸善と三越」「蓑虫と蜘蛛」「田園雑感」
自分の子供を小学校へいれてやると、いつの間にか文字を覚える算術を覚える、6年ぐらいはまたたくく間に経って、子供はいつの間にかひとかど小さい学者になっている。丁度エスカレーターの最下段に押して入れてやれば、後はひとりで少なくとも2階までは持っていってくれるのと同じようなものだ。(略)このごろは中学や高等学校の入学が大分困難になってきたが、それでも一度入学さえすればとにかく無事にせりあがっていくのが通例である。昔の人は不完全な寺子屋の階段を手を引いて貰ってやっと上がると、それから先は自分で階段を刻んだり、蔓にすがって絶壁をよじるような思いをしなければならなかった。それで大概の人は途中で思い切ってしまっただろうが、上り詰めた人の腕や足は鉄のように鍛えられたに相違ない。(「丸善と三越」)
「過去の産出物の内で、目に見られ、手に触れることのできる3つのもの」のひとつとして書物がある。そして書物に含まれているものは過去ばかりではなくて、大奥の未来の手根が満載されていることを考えると、これら沢山の書物のまだ見ぬ内容が蜘蛛のようにまた波のように想像の地平線上の上に湧き上がってくる。(同)
少年や幼年の読み物にしてもどれを開けてみても中は同じである。そして若い柔らかい頭の中から、美に対する正しい感覚を追い出す為にわざわざ考案されたような、いかにもけばけばしい、絵というよりもむしろ臓腑の解剖図のような気味の悪い色の配合が並べられている。このような雑誌を買うことのできない貧乏な子供があれば、その子は少なくもこの点で幸福であるかもしれない。(同、寅彦が今のTV雑誌界を見たら、気絶してしまうのでは・・・)
田舎の生活を避けたい第一の理由は、田舎の人の余りに親切なことである。人のすることを冷淡に見放しておいてくれない事である。(略)反応を要求しない親切ならば受けてもそれほど恐ろしくないが、田舎の人の質朴さと正直さはそのような投げやりな事は許容しない。それで受けた親切は一々明細に記録しておいて、気長にそしてなし崩しにこれを償却しなければならないのである。(「田園雑感」より・・・正にだね〜!

)
簡単な言葉と理屈で手早く誰にも分かるように説明のできることばかりが、文明の陳列棚の上に美々しく並べられた。そうでないものは塵塚に棄てられ、存在をさえ、否定された。それと共に無意味の中に潜んだ重大な意味の可能性は葬られてしまうのである。幾千年来伝わった民族固有の文化の中から常に新しいものを取り出して、新しくそれを展開させる人はどこにもなかった。(略)そうした田舎の塵塚に朽ちかかっている祖先の遺物の中から新しい生命の趣旨を拾い出す事が為政者や思想化の当面の仕事ではあるまいか。(同上・・・寅彦自身が、そして藤原正彦やJOGの伊勢正臣氏のような方が現れてきてくれ本当に嬉しく有難いこと

)
「十二人の怒れる男」(米1957)
印象的な言葉:
"Nobody knows him. Nobody quotes him.
So sad to mean nothing." (孤独な老人について)
「どんな場合も個人的偏見を交えず物事を考えるのは容易ではない。
偏見という眼鏡は物事の真理を見えなくしてしまう。」

0