「いのちの食べ方」という映画を知っていますか?音楽や言葉もなく映像だけで食べ物が生産される過程を描いた作品です。
少し前にこの映画を見ました。感想は・・・ちょっと息がつまる・・・。食べものは「命」ではなく「物」として扱われているように見えました。トマトもジャガイモも大きな機械の轟音と共に収獲され、魚もベルトコンベアーに乗せられ切り刻まれる。そして搾乳のシーンもありました。まさに牛乳生産工場でした。牛は乳を出す機械のようでした。
私は必死に命を追いかけて仕事をしているつもりですが客観的に見てこの牧場でも全く同じ光景が広がっています。牛はまさに機械のようだと気づきました。
日々の食事の中で目の前にある食べ物が命だと思うことは正直言ってあまりありません。命の現場で働く物として恥ずかしい話です。しかし、こんなにも機械化され大量生産されたのでは命のありがたみが薄くなるのも仕方のないことのように思います。
ショッキングな映像として心に残っているのは牛が肉になるために殺されるシーンです。死の恐怖に震える牛を私は忘れることができません。
肉牛として出荷される牛をたくさん見送ってきました。「肉牛出荷」というのは日々の仕事の一貫です。だからその痛みを見逃してしまいがちです。仕事だから必要以上の感情はいらないのですが、映画を見、その牛たちに近いうちに降りかかるであろう一瞬の恐怖を想うと私は怖くなります。
この映画をもう一度見たいとは思いません。笑えないし、感動しないし、キレイな音楽もないし、もしかしたら退屈してしまうかもしれません。しかし、一人の農業者として推さなければならない映画だと感じています。
今月の21日から福知山シネマで上映がスタートするらしいです。見てみませんか?

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