2020/10/14 | 投稿者: pdo

スペクテイターという雑誌のつげ義春特集を図書館で借りる。

冒頭の赤田祐一のつげ論にいたく共感。


私はつげ作品の“ヘビーユーザー”だ。つげ作品は、高度情報化社会という情報ジャングルの中で生きる自分にとって“治癒力”があり、読むと、効果が感じられる。読むと、昼間の仕事でザワついた神経を鎮静し、しみじみさせる。一種、デトックスのような作用が働くのだ。そんなことも手伝って、つげの本は“座右の書”として、大切にしている。

…つげ作品には、人の心の奥深い部分を揺さぶったり、エゴから解き放ったりする解毒作用があるのではないか。


赤田は、つげの作品の面白さを保証しているものはテクニックではなく「無意識」だと説明している。つげは作品の中で自己の無意識を表出している度合いが十分な強度を持っているから芸術足り得ている。赤田の言葉を使えば、「自分の内部にある風景が、自分に忠実に生み出されたことに感銘をおぼえる。」

スペクテイターに掲載されている初期の「おばけ煙突」もシンプルだが古典的で見事な作品である。

「ほんやら洞のべんさん」では娘の「とりッ!この鳥や」のコマで涙が溢れる。
この感覚は言葉では説明できない意識下の記憶と結びついている。
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2020/10/11 | 投稿者: pdo

1983年に発表されたものの、長らくお蔵入りとなっていた「つげ義春日記」が講談社文芸文庫から刊行されたので買って読む。

昭和50年から55年にかけて、長男が誕生し結婚して一家を構えたつげ義春が、妻の子宮癌の発見と入院、度重なる引っ越し、作品創作の苦しみ、生活の苦しさ、子育ての苦労、夫婦の葛藤といった生活苦の中で、不安神経症を発症し、文字通りもがき苦しむ様子が生々しく描かれている。

他人の日記や私小説を読むのが大好きと語るつげだが、この作品はそうしたジャンルの最高峰のものの一つといってよいのではないか。

不安神経症とうつ病に苦しむ描写はあまりにリアルで、菊池成孔が不安神経症を患った時期の日記の書籍化を控えているのと同じ理由から、取り扱い注意の書籍ともいえるかもしれない。

だが、今の時期にこの本を読む意味は小さくないのかもしれないとも思う。

今年の1月、フランスのアングレーム国際マンガフェスティバルで初の本格的原画展が開催され、人生初の渡仏を行い、息子の正助氏と共に、特別栄誉賞の授賞式に出席、健在な姿を見せたことは大きな励みになる出来事だ。

つげマンガの魅力については、もう語り尽くされている感があり、以前このブログにも書いたことがあるが、改めて稿を改めて個人的な感想をまとめてみたいと思っている。
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2019/10/20 | 投稿者: pdo

※『じゃりン子チエ』というマンガに興味のない方はスルーして下さい。

20年くらい前に、『じゃりン子チエ』について色々と妄想や考察めいたことを書き連ねたことがあるのだが、そのときに書き残したことを思い出したので忘れないうちにここに記す。

さて、ここで取り上げたいのは、『じゃりン子チエ』の中でも最も異質の挿話と言える、「レディー幕ごはん」のエピソード(単行本9巻)である。

レディー幕ごはんとは、チエのおバアはん、菊の幼馴染みの女性で、小学校の遠足でいつも幕の内弁当のような豪華な弁当を持ってきた彼女につけられたあだ名だ。実際の彼女の家庭は貧しかったのだが、親が見栄を張って豪華な弁当を持たせたのである。

彼女は少女の頃は菊らと一緒に不良のような生活を送っていたが、大人になって、日本舞踊やピアノやさまざまな技芸を身に着け、金持ちの世界に取り入るようになり、闇の世界に染まり、詐欺の罪で何度も服役するまでになる(その事実はエピソードの最後になって初めて明らかになる)。彼女は、『じゃりン子チエ』の世界の中でも、究極のアウトローであり、健全な市民社会を完全に踏み越えた存在である。

レディー幕ごはんは、数十年ぶりに西萩を訪ね、今度金持ちの男の金でハワイの別荘に移り住むことになったから、渡航記念パーティーを開くので菊やミツルの母に来てもらいたいと話す。

菊たちは、幕ごはんの過去の噂を知っており、躊躇しながらも、彼女の気持ちに応えようとパーティーに参加することを決める。チエも誘われてついていくが、花井やヨシ江に声がかかることはない。幕ごはんという人物に何となく異様なものを感じたチエは、ヒラメも誘わない。一方、テツは、幕ごはんに気に入られ、何度もホテルのレストランなどで食事をおごってもらうなど、かなり親しい仲になる。テツはカルメラ兄弟やお好み焼き屋のオヤジを引き連れてパーティーに参加する。

パーティーは、「今日は自分の好きなようにやらせてもらいたい」という幕ごはんの挨拶で始まり、テツたちの調子が出てくるにつれて、次第に常軌を逸したものになっていく。呆れた参加者たちは次々に帰っていき、最後に残ったのは、菊にミツルの母親、チエ、そしてテツの仲間たちだけだった。彼らが西萩小学校の校歌を歌いあげて、この奇妙なパーティーは幕を閉じる。

ミツルは、パーティーの冒頭に、幕ごはんから何かを耳打ちされ、ショックを受ける。彼はこの席には参加していないことにする、とチエに告げる。

パーティーが終わった翌日、幕ごはんこと咲村君代(前科24犯)が詐欺で逮捕されたと大々的なニュースが報じられる。グランドホテルで夢の大パーティーを開いていたところを、警察(ミツル)が踏み込んで逮捕したということになっていた。

このエピソードが、『じゃりン子チエ』の中でも異質な印象を与えるのは、レディー幕ごはんという、明確に一線を超えた反社会的な存在が、本質的に『じゃりン子チエ』の作品世界にそぐわない、という感覚を読者の中に呼び起こすからだろう。

『じゃりン子チエ』の作品世界にとって欠かせない「ヤクザ」という存在は、作品における「猫」と同じくらいに純粋なファンタジーであり、テツにいいようにどつかれ、金品を巻き上げられても、本気でドスや拳銃を持ってテツに復讐したり殺しに来たりはしない。つまり、『じゃりン子チエ』の世界では、ヤクザも最低限の社会性を踏み越えることのない存在として描かれている。

しかし、幕ごはんは、『じゃりン子チエ』の登場人物と関わりを持った、初めての「リアルな犯罪者」である。だから菊やチエは戸惑うしかなかったのだし、花井やヨシ江は関わることすらできなかったのである。テツと幕ごはんの関係性も、純粋なファンタジーであり、具体的に描写することも、作品の中で発展させることも不可能であった。

作者はなぜ、この異質なエピソードを描いた(描きたかった)のだろうか。一説によれば、レディー・マクグーハンという人物の実話を元にしたとか、そういう登場人物の出てくる物語があるとかないとか。ある種のオマージュだったのだろうか。

ともあれ、『じゃりン子チエ』の中で、真の「闇の世界」を垣間見せたのは、このエピソードだけだったといえるかもしれない。
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2019/10/15 | 投稿者: pdo

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この表紙に惹かれて購入。

『じゃりン子チエ』は自分にとって思い入れのあるマンガの一つ。

チエやテツやヨシ江はんやおばあはんや花井センセやヒラメちゃんは言うまでもないが、

中でも猫の小鉄はあらゆるマンガのキャラクターの中で一番好きかもしれない。


たぶん誰も共感してくれないと思うが一応書いておくと、

今をときめくTWICE(トゥワイス)の浪花三人娘ミサモを「じゃりン子チエ」の登場人物に当てはめると・・・

サナ=チエ

ミナ=ヨシ江

モモ=ヒラメちゃん

(ももりんのファンの方はごめんなさい。もちろんモモは最高に美人です)

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2018/1/13 | 投稿者: pdo

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久しぶりに『マカロニほうれん荘』を一気読み。

改めてきんどーさんが40歳(自分より年下)であることに衝撃を受ける。

きんどーさんには娘がいて、大学生の頃に当時同級生だったクマ先生と一緒に竹の中から見つけたのだが、大人になってから一度だけほうれん荘に会いに来て、UFOに載って去っていく。

トシちゃんの母親はカンガルーで、父親は金星人である。

個人的に一番好きな絵柄はコミックス単行本の第5巻から第6巻にかけて。話のクオリティもこの頃が一番高い気がする(初期のスピード感ももちろん素晴らしい)。

自分が二次元のキャラクターに本気で恋をしたのはこのマンガの姫野かおりさんだけである。

このマンガの素晴らしいレビューサイトを見つけた

このサイトは1〜2年間で閉じる予定だとのことなので、今のうちに保存しておくべし。
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