2020/1/23 | 投稿者: pdo

映画『寝ても覚めても』で共演した二人の話題が世間を騒がせている。

この映画の感想はこのブログに書いたが、登場人物に微塵も感情移入できずに何ともモヤモヤした気分で映画館を出たのを覚えている。

東出昌大が棒演技の好青年一本槍のキャラを払拭せんとチャレンジングな演技をしているのが印象的だった。ヒロインには魅力を感じなかった。

そんなことを思い出した。

とうぜんながら、自分はマスコミやネットの匿名諸氏が喚いているような断罪に与するものではない。愛人との不倫とか夫婦関係の破綻というのはあくまでも当事者の間で処理さるべき問題であって、犯罪のように扱われるべきではない。

芸能人の薬物問題や痴話ゴシップが世間的な大ニュースとなることはいつの時代でもそうだが、ここ最近の取り上げられ方(そして制作側・受け手側の反応の仕方)はちょっと異質なものになっているのではないかという気がする。
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2019/11/9 | 投稿者: pdo

神奈川近代文学館で、アピチャッポン・ウィーラセタクンの『トロピカル・マラディ』を観る。

画質があまりよくなかったのが残念だったが、森の映像はなんだかずっと心霊写真を見せられているような妙なリアリティがあった。

『中島敦展』の記念上映会ということだったが、中島敦とはほとんどまったく関係のない映画だったので(映画の冒頭に『山月記』からの引用があるというだけ)、半数近くの席を埋めていた近代文学愛好家の高齢者の皆さんがどんな感想を持ったのか、興味があるといえばあるし、ないといえばない。

「海の見える公園」の中にある文学館の建物とその周囲は幻想的なまでに美しく、映画終了後に歩いていると現実と夢と幻想の境界が曖昧になっていく感覚を少し覚えた。

彼の映画には繰り返し同じ俳優が出演しているので、ああこの人は『ブンミおじさんにも出ていたなあ」とか「このシーンはあの映画にも出て来たな」という所にまで目が行くようになると、さらに面白味が増す。

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2019/11/3 | 投稿者: pdo

東京都写真美術館でアピチャッポン・ウィーラセタクンの『ブリスフリー・ユアーズ』を観る。

その前に上映された監督の軽いドキュメントフィルムも観る。

アピチャッポン映画を観ることは一種の感覚のご馳走だ。

『トロピカル・マラディ』もやっていたのだが、そちらは別の機会に譲ることにする。

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2019/10/27 | 投稿者: pdo

家の近くの映画館でベルイマンの『野いちご』を観てくる。

78歳の医学教授(イーサク・ボルイ)が大学で名誉博士号を授与される日の一日を追ったドキュメントという体で、彼の意識・無意識の世界が夢や覚醒時の出来事を通して展開されていく。

ベルイマン映画をきちんと見るのは初めてだったので、例によって何の事前知識もなく臨んだ。率直な感想は、「スエーデン版小津安二郎?」というものだった。

老教授イーサクを演じる主役の俳優が実によく、40年間仕えている家政婦さんも実にいい味を出している。二人のやり取りだけで十分にいい気分になれるのだが、そんなのは映画のパンの耳の端っこにすぎなく、現代にも十分に通じる家族親戚四代を巡る人生ドラマが重厚に張り巡らされ、がっつりと提示されていく。

この頃の映画(1957年)は、日本映画もそうなのだが、俳優や女優の顔が本当に素晴らしい。主人公の息子の嫁を演じるイングリッド・チューリン、かつての婚約者サーラとヒッチハイカー娘の二役を演じるビビ・アンデションの二人は、見ているだけで幸せな気分になれる。後で調べたら、二人ともベルイマン映画の常連という(ビビは今年の4月に世を去ったそうだ。R.I.P)。

繰り返される悪夢や、不穏で陰鬱なシーンが多いにもかかわらず、気分の悪くなるような暗鬱さが終始感じられなかったのは、これら俳優の清新な演技によるものなのか、それこそがベルイマンの魔術なのか、未だ判然としないのだが、とにかく一瞬も見飽きることなく、見終えた後に深い余韻が残る、いい映画体験をさせてもらった。

タルコフスキーがオールタイム・ベストに挙げたというのも納得の名作。こういう映画をもっと見たい。
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2019/10/26 | 投稿者: pdo

早稲田松竹でタルコフスキーの『サクリファイス』を観る。

タルコフスキーの遺作であるこの作品を観るのは初めてだったので、なるべく先入観なしに見ようと思い、映画の解説や評論その他の媒体にはできる限り目を通さずに見に行ったのだが、それでも事前に聞いたことのあった「核戦争を防ぐための神との契約」といった仰々しい謳い文句が頭の片隅にあったせいか、意外と骨格としてはホームドラマにさえ思える物語には意外な気がした。

尤も、この映画に限らず、映画という表現形式に関してストーリーを過剰に解釈しようと努力するのは危険なことだろう。専ら映像美、そして映像に込められた「芸術的イデア」を感じることに徹するべきなのだろう。

そういう意味からすると、やれ4Kだデジタル・ハイビジョンだなどと画像の鮮明さを押し売りされている我々の趣味からすると、もう少し「鮮明な」映像が見れたら、と詮無き思いを抱く瞬間もないではなかった。

主人公が元舞台俳優で『白痴』のムイシュキン公爵を演じたことがある、というドストエフスキー要素も盛り込んである。タルコフスキーがこの映像と緊迫感でドストエフスキーを映画化すれば大変なものができただろう。実際『未成年』を映画化するプランも存在したようだ。

終始重苦しいトーンと緊張の連続に支配されているのだが、最後のあたりはドタバタ・コメディーにも見えて思わず笑ってしまい、これはいけないことなのか、と自問自答する。

これが遺作となってしまったが、タルコフスキーは疑いなく映画の未来を示すことのできる才能だったと思うので、『サクリファイス』以後のタルコフスキー映画が見れないのはひたすら残念である、との思いで館を後にする。


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