2020/11/17 | 投稿者: pdo

『プリンス回顧録』には、1982年頃にプリンスが書いた映画『パープル・レイン』の手書き草稿が載っている。

『1999』がヒットしていた頃で、その時点ではまだ「パープル・レイン」という曲はできていなかった。

この草稿に書かれたストーリーは、完成した映画にかなり近いものだが、映画よりもずっとダークで、設定も若干異なっている。

草稿の中で、彼がサウンドトラックに想定していたのは、次の曲たちだ。

Baby I'm a STAR
I would die for U
Moonbeam Levels
I can't stop this feeling I got
Too tough
Wouldn't U love to love me
I just wanna be rich
Bold Generation


これは「3人の夢と野心の物語」であるとプリンスは冒頭に書いている。

一人目の登場人物は、モーリス・デイ。容姿端麗でクールな22歳。音楽、金、女性を愛し、この3つの悪習の中で、ゲットーにはまりこみ、抜け出せずにいる。

二人目は、裕福な家庭の出身で、非常に魅力的な女性、17歳のヴァニティ。あまりに美しく、裕福で、潔癖なために、周囲の仲間に溶け込めずにいる。どこに引っ越しても、見せかけだけの「RICH BITCH」だと思われているが、「心根は愛情深い人物である。誰も彼女を手なずける辛抱強さを持っていないだけなのだ。」

三人目の登場人物は、プリンス―この物語の主役だ。彼は幼くして両親と死別した。彼が6歳か7歳の頃、彼の目の前で母が父を射殺し、自分も銃で命を絶ったのだ。この出来事は、彼の中で時折フラッシュ・バックし、狂気じみた行動を取らせる。彼は3人の医師から統合失調症と診断されている。

プリンスはステージの上でしばしば錯乱状態に陥り、バンドを動揺させる。それが演技なのか計算なのかは誰にも分らない。プリンスは成功を渇望している。名声と富を手に入れたいと思っていると同時に、音楽を通じて人々を助けたいと思っている。彼は何よりもまず、生きている間に何か価値のあることをしたいと思っていた。「つまり、神から点数を稼ぎたいのだろう。(Scoring points with God I guess.)」

この映画は、3人の登場人物が、人生の現実に直面する時期を描いている。

「何か欲しいものがあるなら、つかみ取りに行け! 寝ているだけの者には、夢しかやって来ない。(If there's something out there that U want--Go for it! Nothing comes to sleepers but dreams.)」

映画の基本的な筋書きは、プリンスのバンド(プリンス・アンド・ザ・レヴォリューション)とモーリス・デイのバンド(ザ・タイム)のバンド合戦と、ヴァニティを巡るプリンスとモーリス・デイの駆け引きだ。

クライマックスのバンド合戦では、ザ・タイムが勝利するが、これはプリンスがステージで錯乱状態に陥ったためだ。しかしヴァニティはプリンスのもとに駆け寄り、二人は結ばれる。

ラストはピストル自殺しようとしたプリンスが発砲音と共に目を覚ますという夢落ち。


このオリジナルストーリーのままでは、『パープル・レイン』の大ヒットはなかっただろう。完成された映画の方がはるかに洗練されており、大衆受けの良いものになっている。

草稿からは、プリンスが両親と自分との関係をいかに重要視していたかが伝わってくる。

優れたミュージシャンで、頑固者だが、信心深く、怒ると妻(プリンスの母)に暴力を振るう父親。

享楽的で、パーティーや派手な振舞いを好み、酒とセックスに溺れる母親。

両親はプリンスが幼い頃に離婚したが、プリンスは父と母を同じくらい愛していた。

両親との問題は死の直前まで彼の心を捕らえていた。2016年4月17日、亡くなる4日前に、自伝の共著者ダイ・パイペンブリングの携帯に真夜中に連絡してきたプリンスは、「細胞記憶と親の因果の関係」についてダンに詳しく語って聞かせた。

自分の血の中を流れる父と母の矛盾した性質の葛藤を眺めることが、生きるジレンマの一つだ、とプリンスは語った。

草稿の中では、プリンスはフラッシュバックによって精神錯乱に陥ると、父親と母親の両方の人格が乗り移ったようになり、回想シーンではプリンス自身が父と母の二人を演じることになっている。

80年代の後半にプリンスと付き合っていた女性の一人であるデビン・デバスケスは、回顧録の中で、プリンスは父親を愛していて、父のことについてたくさん話してくれたが、母親については何も言わなかったと書いている。

未完に終わった自伝の中では、プリンスは母に焦点を当てる予定だった。自伝の書き出しは、プリンスが生まれて初めて目にしたのが母のまなざしだったことについての記述から始まっている。

映画の草稿では、フラッシュバックの最中、プリンスは自分とヴァニティを自分の父と母だと思い込むという設定になっている。

彼がこれを書いたときに映画の相手役として心に描いていたのがヴァニティだったことは明らかだが、プリンスとヴァニティは別れ、結局、アポロニアが相手役を演じることになった。

デビン・デバスケスは回顧録の中で、ヴァニティとプリンスは瓜二つの人格だったと書いている。ヴァニティが2016年2月15日(ちょうどプリンスが亡くなる2か月前)に亡くなったとき、プリンスは「ピアノ・アンド・ア・マイクロフォン」の公演中に彼女を追悼している。

ヴァニティは90年代に腎臓病で余命3日を宣告されたが、イエス・キリストのビジョンを見て救済されたと信じるようになって以来、熱心なキリスト教伝道者として生涯の最後の20年余りを送った。

プリンスが2016年4月のアトランタ公演のときにジュディス・ヒルに「最近は死んだ友人たちと夢の中で会っている」と語ったのは、ヴァニティのことだったかもしれない。
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2020/11/15 | 投稿者: pdo

プリンスの死因は、よく知られているように、オピオイド系鎮痛剤フェンタニルfentanylの過剰摂取であった。フェンタニルは劇薬であり、ヘロインの50倍の強度を持つ。医師の処方がなければ入手できないが、偽造錠剤の形で違法なルートで取引されている。

彼の死亡後、自宅(ペイズリー・パーク)からは「ワトソン385」とラベルされた多量の錠剤が発見された。これはフェンタニルを示すラベルではなく、別の鎮痛剤ヴァイコディンVicodinに見せかけた偽造錠剤であった。プリンスは、自分が飲んでいるのがフェンタニルであるという自覚のないまま偽造錠剤で致死量を超えるフェンタニルを摂取していたと思われる。

死亡の前日にマイケル・シュレンバーグ医師Dr.Schulenbergのクリニックで行った検査ではプリンスの体内からフェンタニルは検出されていないことから、彼がクリニックを出た2016年4月20日の夕方から遺体が発見された21日の朝までの間にプリンスはこの偽装錠剤を飲んだと思われる。なお、4月初旬にシュレンバーグ医師はプリンスの側近カーク・ジョンソンの名義で鎮痛剤Percocetを処方しているが、これはプリンスのプライバシーを守るために行われたもので、フェンタニルの処方ではなかった。後に、シュレンバーグ医師は、カーク名義で薬を処方したことが違法な行為であったとしてミネソタ州当局に30万ドルの罰金を支払った。また、シュレンバーグ医師はプリンスの遺族からプリンスに対する過失致死として訴えられたが訴えは退けられた。

プリンスが病院でフェンタニルの処方を受けた記録はなく、偽装錠剤をどこから入手したのかを解明する手がかりとなる記録は一切残されていなかった。2年間の捜査の後、ミネソタ州検察当局は、フェンタニルの入手経路が特定できないため、刑事訴追を行わないことを発表した。

プリンスは自分の携帯電話を持たず、外部との交信には自宅の電話とEメールを使っていた。直近の数か月に彼が直接外部の人間とコンタクトして錠剤を入手していたことを示す交信記録は存在せず、側近の携帯電話の過去数か月分の通信記録にも手がかりとなる記録はなかった。当時のプリンスに最も近かったのは、側近のカーク・ジョンソンKirk Johnson、身の回りの世話をしていたメロン・ベクルMeron Bekure、プリンスのマネージャー、ファエドラ・ラムキンスPhaedra Lamkinsの3人であるが、3人とも遺体発見直後に刑事弁護人を雇い警察の事情聴取を拒んだ。

ペイズリー・パークに住んでいたのはプリンス一人であり、カークやメロンも夜には家(メロンはプリンスが近くに借りているホテルの部屋)に帰っていた。運転手や料理人も必要な仕事以外に来ることはなかった。彼の招きで滞在したゲストには直近ではジュディス・ヒルがいる。彼女はアトランタでの緊急搬送の時にもプリンスと共に行動していたが、プリンスの身体の痛みや薬物依存についてまったく気づいていなかったという。

カーク・ジョンソンは、ファエドラと話し合い、プリンスを薬物依存者のためのセレブ御用達の更生施設に滞在させることを計画していた。プリンスの死亡した日には、その施設長の息子アンドリュー・コーンフォールドAndrew Kornfieldがペイズリー・パークでプリンスと入所に向けた打ち合わせを行うことになっていた。4月21日の朝にプリンスの異変を通報するため救急病院に電話したのは、ペイズリー・パークに到着したばかりのアンドリューであった。プリンスの寝室には、日用品を詰めた旅行用バッグが置いてあり、彼自身リハビリ施設へ赴く予定であったことを窺わせた。

2008年から2014年までプリンスのマネージャーを務めたキラン・シャルマKiran Sharmaは、ファエドラとカークとメロンの3人がワッツアップWhatsAppというSNSで連絡を取り合っていることを警察の調べに応えて明らかにした。警察はその通話データを押収しておらず、キランからその情報を聞いてデジタル。アーカイブに問い合わせたときには、すでに過去の通話ログはアプリ会社によって削除された後だった。

キランは警察に対し、ファエドラとカークが、4月21日に警察の現場捜査の後でシュレッダーにかけた書類の入った8つの袋を持ちだしたという話を聞いたと告げた。キランの在職中にプリンスが薬物を常用していた気配はなかったと言い、一度プリンスが体が熱いと言って裸でペイズリー・パークの周囲を歩き回ったことがあり、それは彼が飲んだ薬に関係しているのではないかと思ったという。別の人物の証言では、それは2010年頃にプリンスが股関節置換の手術を受けたときに処方された鎮痛剤Percocetのせいではなかったかという。プリンスが鎮痛剤を大量に必要とするようになったのはこの手術がきっかけだったかもしれないという。

プリンスの部屋から大量の現金が発見されたという事実は、キランにとっては驚きだった。プリンスは家計の出費については倹約家で、現金を身の回りに置いたり持ち歩く習慣もなかったからだ。キランが聞いた話では、プリンスは亡くなる前の数週間、多額の現金をファエドラに持ってくるよう要請した。

2011年頃からプリンスのマネージメントに関わるようになったテオ・ロンドンTheo Londonは、2015年2月にプリンスの元を去るまでに、ツアー・マネージャーからお金の管理までプリンスから多くのことを任される立場にあった。テオとファエドラ・ランキンスはしばしばお金の使途などを巡って衝突し、あるときファエドラがテオを解雇して彼女の友人を雇おうとしていると聞いたプリンスは、それを阻止し、そのような権限をファエドラが持たないことをはっきりさせたという。

ファエドラはプリンスがワーナー・ブラザーズから「マスター(原盤)」の所有権を取り戻し、ユニバーサル・レコードと有利な条件で契約するのに手腕を発揮した。プリンスはその報酬に彼女にテスラを買い与えた。

テオは、ファエドラが4月22日にペイズリー・パークを封鎖したことを不審に思っていた。23日にテオがペイズリー・パーク内に入ったとき、カークが床にある何かを取り除かないといけないと言ったのが印象に残っている。テオはカークに、最後にコンピュータを使ったのは誰かと尋ねた。カークはPCのパスワード(プリンスがPeter Bravestrongという偽名で使っていたもの)を知っていたが、最後に使ったのはいつか思い出せないと言った。するとファエドラが、それは何とかなると言った。その言葉がテオには引っかかった。テオは、ペイズリー・パークでファエドラと一緒に働いていたとき、以前シリコン・バレーに住んでいたことがあり、知り合いに頼めばコンピュータをハッキングできると聞いたことがあった。

ファエドラはプリンスが亡くなった後のお金の支払いについて気にしていて、銀行に行く必要があると言っていた。テオはそれを聞いて、プリンスが死んだ直後にそんな話をするのかと思った。テオの在職中、プリンスは自分で支払いをすることはなく、すべてテオかファエドラに任せていた。ビジネスの資金管理をしていたのはファエドラだった。彼女はしばしばプリンスから命じられた支払いを拒むことがあり、例えばプリンスはジミ・ヘンドリクスの伝記映画の製作チームに10万ドルを提供しようとしたが、ファエドラは支払わなかった。

テオは4月23日にジュディス・ヒルと夕食を共にし、その席でプリンスの命を救う機会がなかったのかについて長いこと話し合った。ジュディスがファエドラに、アトランタの緊急搬送のときに医師がプリンスに至急医療的なケアが必要だと言っていたと知らせると、ファエドラは、プリンスはただ寝ていただけだと笑い飛ばしたという。

テオはプリンスのために菜食主義者のための栄養管理のできる料理人を雇い、プリンスに会いたいというメッセージの選別をする仕事もしていた。不適当な人物からのメッセージを伝えるとプリンスの逆鱗に触れるからだ。

テオが2015年に辞める決意をしたのは、あまりに多くの責任を負わされていると感じたからだという。あるときプリンスはテオにペイズリー・パークの修繕が必要な個所を案内して、建物管理をしてほしいと言った。プリンスは寝ないし、夜通しメールを送ってきた。彼が辞めることを知ったプリンスは激怒したが、もう肉体的にも精神的にも限界だった。

警察からカークについての印象を聞かれると、テオは、カークはファエドラの命令することを行っていただけだ、お金を管理しているのはファエドラだから、と答えた。彼は操り人形のようなもので、自分はカークが好きだし、誰もがカークを好きだが、彼自身は自分の考えというものを持っていない、と言った。

メロンについてはどうか、と聞かれると、テオは、プリンスとメロンは親密であり、彼が辞める直前に雇われたと答えた。

ラリー・グラハムについては、プリンスがラリーを友人として大切に思っていることは明らかで、彼の家を建てるためにいつでも100万ドルを用意してあると言っていた。ラリーがそのお金を受け取ったかどうかテオは知らない。

プリンスが何かを入手したいときに、彼が頼むとしたら誰か、という問いには、カーク、メロン、ファエドラ、とテオは答えた。

テオはペイズリー・パークのセキュリティについても話した。プリンスは誰かに見られていると感じるのが嫌で、自宅の監視カメラはすべて切られていた。電源を切らないと誰も携帯電話を持ちこんではいけなかった。彼はプライバシーを徹底して守った。

旅行するときには、自分のスーツケースはプリンスが自分で準備した、とテオは言った。出かける時には階段の下にある彼のスーツケースをただ車に運べばよかった。

プリンスは、自家用ジェットに乗っている時、自分のスーツケースを他人が絶対に開けないよう気にしていた。テオは、中にお金が入っているのだろうと推測していたが、中身を見たことは一度もなかった。

ジュディス・ヒルの証言では、アトランタ公演のときの自家用ジェットの中で、プリンスは自分のカバンの中からバイエル(ドイツの製薬会社)のラベルの付いたボトルを出していたようだという。カークは、飛行機の乗務員に、プリンスのカバンに触れないようにと念を押していたという。バイエルのボトルはプリンスの自宅からも発見された。そこにはフェンタニルの偽造錠剤が入っていた。プリンスはアトランタの緊急搬送先の病院で検査を受けることを頑なに拒んだ。ジュディス・ヒルがそのことでプリンスを問い詰めると、「ここで検査はできない」と答えるだけだった。

クリスタル・ゼヘトナーCrystal Zehetnerは、2010年にキランからの誘いでプリンスの料理人になったが、その後マネージメントに関わるようになった。今はファエドラが行っているような会計や著作権の管理やツアーの仕事や公私にわたる仕事を引き受けていた。

彼女が辞めたのは、プリンスの薬物のことが原因だった。

プリンスは股関節が傷み、ペイン・クリニックの治療を受けていた。彼は手、腰、足、背中、臀部のすべての痛みに苦しんでいた。クリスタルはしばしば自宅に医者を呼ぶように頼まれたが、彼が医者と話す時は必ずスタッフは部屋の外に出るように言われた。

プリンスは、尻が痛いとかB12(カンフル剤)を打ってほしいからと言っていたが、クリスタルはなぜ医者を呼ぶのか真の理由に気付いていた。

医者はLAでもミネソタでもツアー先でも呼ばれた。警察はクリスタルに、どの医者を呼んだのか教えて欲しいと再三訊ねたが、彼女は分かれば連絡すると言うだけで、とうとう連絡することはなかった。

クリスタルは、典型的な症状として、突然の体重減少、気分の落ち込み、「自分のいる場所がよくない」という気分などを挙げた。プリンスがペイン治療から離れることに成功した時期もあったが、それが長く続かなかったことで、彼女が辞める結果になった。彼の気分のムラについていけなくなったという。

このことはある程度の期間プリンスに関わった人なら誰でも知っているという。警察が調べないといけないのは、決して調べに応じないような人々なのだ、とクリスタルは言った。真実を知っているのはそのような人々であり、彼の周囲にいて、彼に「ノー」と言えない人々こそがそうなのだ。そのために彼は死んだのだ、とクリスタルは言った。

スタッフはプリンスを守ろうとしていた、と彼女は言う。しかし医者以外のところで手に入るのであれば、彼は直接連絡したと思う、と。

クリスタルは辞める時、ファエドラに、自分はプリンスの麻薬取引に関わるつもりはないとはっきり言ったという。プリンスが死んだとき、ファエドラは彼女に「今になってあなたの言っていたことの意味が分かった」と言ったという。しかし彼女はファエドラを責めるつもりはない。プリンスは一人の大人なのだ。しかし、周囲の人々が彼に何が起こっているかを知らなかったとは思わない、とクリスタルは言った。

カークについては、マネージメント能力に疑問はあるものの、彼はプリンスの古い友人の一人で、最も信頼されていた。カークはプリンスが鎮痛剤を使っているのを知っていたことは間違いないが、プリンスを守ろうと彼にできる最善を尽くしていたと思う。彼がプリンスのためにドラッグを入手していたとは思わない。

クリスタルは、4月20日、プリンスが死ぬ前の日にカークと交わした会話を覚えている。カークから電話で、彼女は事態の深刻さを悟った。カークはどうすればいいか分からないと訴えていた。プリンスはたくさんの問題を抱えていて、自分は最近までそれを知らなかったとカークは言っていたが、クリスタルはそれは信じられない、と答えた。

クリスタルは、カリフォルニアの何人かの知り合いに頼んでプリンスを施設に受け入れてくれるよう頼んでみると申し出たという。彼女は、プリンスをトルコかカイロに連れて行き、周囲の騒ぎが届かないようにしてほしいと言った。何よりも、今の家から連れ出すことだ大切だ、と話した。

その翌日にプリンスは死んだ。

クリスタルは、プリンスはあんな風に死ぬべきじゃなかった、彼にはもっとふさわしい人生があったはずだ、決してメディアや前面に出てこない人々こそ語るべきだ、と言った。

彼女は警察にそう話した1年後、ABCテレビの「20/20」に出演してプリンスのツアーでの生活や私生活について証言した。
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2020/11/13 | 投稿者: pdo

プリンスの自伝『The Beautiful Ones』を読み始める。

ちょうど2016年4月16日の、アトランタでの緊急搬送事件の直後の話から始まっていて、並行して読んでいる捜査報告書の内容と併せると彼のこの頃の心情が朧げに伝わってくる気がする。

捜査報告書の方は、専らプリンスの死にまつわる犯罪捜査という視点から彼の行動を追求するもので、それはそれで興味深い。

アトランタでのコンサートの帰路に飛行機の中で仮死状態になったとき、彼と一緒にいたのはカーク・ジョンソンとジュディス・ヒルだった。

ジュディス・ヒルは、プリンスの誘いで、4月12日にロサンゼルスからミネアポリスに飛び、ペイズリー・パークから一緒にアトランタの会場に移動している。

彼女は、その前年(2015年)にプリンスと一緒にアルバム『バック・イン・タイム』を製作しており、しばしばペイズリー・パークで彼と過ごしていた。ジュディスの名前が知られるようになったのは、マイケル・ジャクソンの最後の公演のリハーサルを撮影した『This Is IT』でステージに立つ様子が公開されたことだった。

アトランタの夜のショーは二回公演で、第一回目の公演終了後、控室で二人きりになった時、プリンスは他の人間には決して見せない表情を見せた。

以下はジュディスが、プリンスの死後に、捜査官の事情聴取において語った言葉である。

「私は彼のそんな様子を見たことがありませんでした。」

「彼は、最近は眠るのがとても楽しいこと、そして自分はこの世で行うべきことをすべて達成したような気がすると言いました。」


ジュディスがプリンスに、起きている時には生きているのが楽しいのかと聞くと、プリンスは即座に「ノー」と答えた。

「彼は、生きているのは『退屈だ、とてつもなく退屈だ』と言い、精神的に落ち込んだ状態にあるようでした」

二回目の公演は10時30分に始まり、ジュディスには、一回目の公演と同じくらい素晴らしいものに思われた。聴衆からエネルギーをもらったのか、ショーの直後のプリンスはいい状態にあるように見えた。

「ステージにいる彼の姿からは、彼の内心がどんなものかを知ることは絶対にできなかったでしょう。」

プリンスとジュディスが二人で話していると、控室のドアをノックする音がした。

プリンスの友人、CeeLo Greenが楽屋訪問に来て、明るいムードをもたらしてくれた。やがてジャネル・モネイも加わって、その日のショーについて15分くらい語り合った。ジュディスは、ジャネル・モネイのことを素晴らしいアーティストであり、プリンスの良き友人であると捜査官たちに語った。

二人が去ると、またジュディスはプリンスと楽屋で二人きりになった。

「彼が、二回目のショーの途中でほとんど寝落ちしそうになったと言ったのを覚えています。それを聞いてとても変だと思いました。ステージの彼からは決してそんな印象を受けなかったし、彼の性格的にも、そんなことを言う人ではなかったので」

続く会話の中でプリンスは、ミュージック・ビジネスについての不満を口にした。それはかつてのようではなくなってしまった、と彼は言った。

「彼はすべてのことに失望しているようでした。古き良き日に思いをはせ、今は誰もいない―自分しかいない―といった会話をしました。そんな彼の話を聞くのは辛いことでした。」

プリンスは会場を出てリムジンの中でもジュディスと話し続け、昔好きだった音楽の思い出について回想に耽っていた。初めてフリートウッド・マックを見たときのことなどについて話した。

そしてミネアポリスに戻る飛行機に乗り込んだ後、プリンスは気を失い、飛行機は緊急着陸して、救急車で病院に搬送される。ジュディスは、プリンスが死んだと思ってパニックになった。

プリンスが意識を取り戻してから、病院のベッドの横で付き添っていたジュディスに、こんな風に語った。

「彼は、『ぼくの魂が肉体から離れた。君の声は聞こえていたし、みんなの声も聞こえていた。ぼくはどうすれば肉体に戻れるのかを尋ね続けていた』と言っていました。」


ジュディスは、プリンスに痛み止めの薬を飲むのを止めるように言った。プリンスは、いつも手が痛むので、薬を飲まないと演奏できないと言った。ジュディスはプリンスの口からそんなことを聞くのは初めてだった。

プリンスは、薬を混ぜたことでこのような結果になったのだとジュディスに言った。カークはプリンスが薬を飲んでいることを知っていて、止めさせようとしていたが、プリンスはカークたち側近からも薬を隠していた。

病院を出る前、プリンスはジュディスに、自分の生涯の中で昨夜の二つのパフォーマンスが最高だったと言った。

「彼は、あれが頂点だったと言いました。そして、『これで僕はこの世を去って休息することができる』と言ったのです」



この、プリンスがステージでたった一人でピアノを演奏するだけの公演、『ピアノ&ア・マイクロフォン』について、『プリンス回顧録』の編者ダン・パイペンブリングはこのように書いている。


プリンスはペイズリー・パークで『ピアノ&ア・マイクロフォン』の初公演を行った。

ショーの構成は、デビュー・アルバムの『フォー・ユー』から最新作までの楽曲に、物語と省察を入れ込んだものだった。その挿話から、彼が当時考えていたことを知ることができた。彼は、自分の過去を整理していたのだ。

その夜、ピアノの前に座るとすぐに、プリンスは過去のさまざまな出来事を回想し始めた。彼はいきなり子供に戻ると、音楽にまつわる思い出を語り始めた。

「ピアノが弾けたらいいのに」

彼は観客を前に、子どものように語った。

「でも、ピアノの弾き方がわからない。3歳の目には、ピアノは大きく見えた。ううん・・・テレビでも見ようかな」

彼はピアノに飛び乗ると、テレビの前でポップコーンをほおばる仕草をした。

「パパが来た。ピアノには触っちゃいけない約束だけど、弾きたくてたまらない。パパが出て行った。パパとママは離婚するんだ」

それから彼は、もうひとり登場人物を加え、まるで父親が部屋にいるかのように振舞った。

「実のところ、パパが出ていくのは嬉しいよ。僕はまだ7歳だった。でもこれで、好きな時にピアノを弾けるんだ」

プリンスは、『バットマン』の主題歌から数小節を弾いて見せた。

「でもパパみたいには弾けない」と彼は言った。

「パパはどうやって弾いているんだろう? ええと、・・・歌が歌えたらいいのになあ」

彼は言い添えた。

「パパのようにピアノを弾けるようにはならないだろう、と僕は思っていたし、パパもことあるごとにそれを僕に思い知らせた。それでも、僕たちは仲がよかった。パパは僕の親友だった・・・」

この公演が行われるまでは、プリンスがステージの上で極めて率直な発言をするなど考えられなかっただろう。この日のセットリストには、伝統的な黒人霊歌『マザーレス・チャイルド(時には母のない子のように感じる)』が含まれていた。「家から遠く離れている」彼は、「ときどき死にそうな気分になる」と歌った。

その夜、彼が最も赤裸々にもの悲しさを言葉にしたのは、コンサートの後半だった。

「明晰夢を見た人は、どれくらいいる?」と彼は観客に尋ねた。「昔よりも、夢を見るのが好きになってる。友達が何人か亡くなって、彼らと夢の中で会っているんだ。なんだか彼らが生きているような感じがして、夢の中が現実のように感じることもある」

それから彼は、『Sometimes It Snows in April』を歌いはじめた。

この曲じたい、彼のレパートリーの中でも特に哀愁の漂う歌だ。



トレイシーは長い内戦が終わってすぐに死んだ

僕が彼の最期の涙を拭き取った直後に

彼は昔より幸せに過ごしているだろう

この世に取り残された愚か者たちよりもずっと幸せに

僕はトレイシーを思ってよく泣いた 彼はたった一人の友だちだったから

彼のような人に巡り合うことは滅多にない

僕はトレイシーを思ってよく泣いた 彼にもう一度会いたかったから

でも人生はそう思い通りにならないものさ


四月に雪が降ることもある

時にはひどく落ち込むこともある

時には人生がずっと続けばいいと思うこともある

でも人は言う、どんないいことも決して続かないと


僕は春が一年の中でいつも一番好きだった

恋人たちが雨の中で手を取り合う季節

でも今では 春はトレイシーの涙を思い出させるだけ

いつも愛のために涙を流し 決して痛みのためには泣かなかった

彼はいつも死ぬのは怖くないと言い張っていた

彼が怖くないと言うので僕もそう思い込んでいた

彼の写真を見つめているときに気づいた

僕のトレイシーが泣いたように泣いた人は誰もいない


僕はよく天国について夢想する トレイシーがそこにいることを知っているから

彼は別の友だちを見つけたことだろう

たぶん彼は四月に降るすべての雪の答えを見つけたことだろう

たぶん僕もいつか僕のトレイシーを再び見つけるだろう


四月に雪が降ることもある

とても落ち込んでしまうこともある

人生に終わりがなければいいのにと思うときもある

でも人は言う、いいことは決して続かないのだと 


どんないいことも、いつか終わる

愛は、それが過ぎ去るまでは愛とは分からない

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2020/11/12 | 投稿者: pdo

通勤の行き帰りにiPadのkindleでAmazonアンリミテッド(1か月無料お試しで契約して即解除)で見つけた『The Death of Prince Rogers Nelson: An Investigation』 (Jay Corn)という本を読んでいる。

プリンスの死亡を巡る警察の捜査資料が2年後に開示されたのを受け、具体的な捜査状況を詳細にまとめたレポートで、読みごたえがある。彼の遺体についての生々しい描写のためか、推奨年齢が12歳以上となっている。

ようやく半分読み終えたところ。プリンスの死という事実を客観的に見れる現時点で読むと、ちょっとしたミステリー(探偵小説)風の面白さもある。

“Kirk”とMeron Bekureが第一発見者で、カークは前日にプリンスを医者に連れて行って何種類かの鎮痛剤を処方されている。プリンスの名前ではなく、カークの名前で処方してくれと医者に頼んでいる。Kirk Johnsonは当時57歳で、パープル・レインの頃にプリンスと知り合い、2010年頃からプリンスの身の回りの世話をするようになった。

プリンスの遺体は2016年4月21日午前9時過ぎにペイズリー・パークのエレベーター内で発見されたが、その1週間前にはアトランタのライブに向かう自家用ジェットの中で意識を失って病院に搬送されている。プリンスは当時、手足の痺れや臀部の痛み、脱水症状、嘔吐などの症状に苦しみ、不安感や焦りといった精神症状にも悩まされていた。大量の鎮痛剤を飲み、痛みを和らげるためにアヘンも吸引していた。死ぬ前日にはSchulenberg医師の診察を受け、鎮痛剤と精神安定剤を処方され(禁断症状を和らげるための薬も含む)、医師の知り合いの薬物依存者のためのリハビリ・センターで治療を受ける手はずを整えているところだった。

Meron Bekureはモデルの仕事をしていて、3rdEyedGirlsのメイク担当の紹介でプリンスに会った。彼女の容貌はシーラ・Eに似ていたので、プリンスは彼女をすぐに信頼して、自分の身の回りのことを委ねた。

つづく
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2020/1/12 | 投稿者: pdo

はい、こんばんは。いつものように全国ゼロ局ネットでお送りします、新年初の妄想電波になります。

昨年出版された『プリンス録音術』と『プリンスと日本』というプリンス関係の本を読んでいましたら、急にテンションが上がってきまして、個人的な思いを吐き出したくなりました。

プリンスの曲は、必要な時と全然必要としない時があって、必要でないときはむしろ聞きたくないくらいなんですが、必要な時はプリンスしか聞けなくなるという特質があります。

というわけで今日は2016年に亡くなったミュージシャン、プリンス・ロジャー・ネルソン氏の曲だけでお送りします。

僕とプリンスの出会いについては、プリンスが亡くなった時のブログにも書いてあるのですが、中学生のときにテレビの音楽番組で初めて見て、なんか変な人が盛り上がってるなあ、と何とはなしに印象に残っていました。

それで、この曲のイントロをラジオで聴いたときにハートを撃ち抜かれました。

今日の1曲目:ビートに抱かれて/プリンス&ザ・レボリューション

家にはレコードプレーヤがなく、ラジカセしかなかったので、僕が人生で初めて買った(レコードではなく)音源は、『パープル・レイン』のカセットテープでした。

次の『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』と『パレード』まではカセットテープで買いました。

当時はロッキン・オンの渋谷陽一氏がほとんど宗教のようにプリンスを崇め奉っていて、『パレード』のライナーノーツでは、小説家・山川健一氏との対談形式で、こんな風に語っていたりします。

(以下引用はじめ)

今のポップ・ミュージックっていうのは、方法論の使い回しなんだよね。そんな中でプリンスは新たな方法論の構築というか、提示というか。一応ポップ・ミュージックでありながら、確実なスタイルのイノヴェイションを自分に義務付けていて、しかもそれが出来てしまっている。

だからスタイルを新しくするって、ミュージシャンにとってメチャクチャなことだという気がするんだよね。小説家で言えば、一作ごと文体も何もかも全部変えていかなくちゃいけないわけじゃない。目先を変えて、今日はレゲエでした、明日はソウルでした、続いてはロックンロールですというスタイルのマイナー・チェンジというのは多くのアーティストがやっているわけだけど、違うんだよ。イノヴェイションなわけよ。過去にない音楽スタイルを明らかにラディカルな形で造り上げていくというか、とにかく音楽シーン全体をもう一歩前に進めていく。ほとんど一人の力でそういうことに大胆に挑戦して、しかもやれてしまっているというのは、ちょっと異常なものを感じるね。

普通は、時代状況というか、いくつかの動きの中で新しいスタイルというのは作り上げられていくわけじゃない。そういうのをいきなり一人で背負って、グワーンとマジに行っちゃってる。今回のアルバムは、才能のブルドーザーというかさ、今、プリンスはそういう状態にあるなという気がするな。

ミュージシャンの旬の時というか、何か憑りついたような。このまま20年、30年行ったらほとんど化物だけど。

(引用おわり)

こういう文句を真に受けて、僕もプリンスを崇め奉っていました。というか、この時期は世界中のミュージシャンが何か異様な物を見るような目でプリンスを畏敬していた気がします。

では、渋谷陽一氏が「他のくだらないものと一緒に並べるのは犯罪的」とまで言ったアルバム『パレード』から一曲聴きましょう。

今日の2曲目:マウンテンズ:プリンス&ザ・レボリューション

初めて買ったCDが『サイン・オブ・ザ・タイムス』です。それをカセットテープにダビングして、私の祖父が亡くなった夜、祖父への家に向かう電車の中でひたすら聴いていたのをやけにリアルに覚えています。

僕にとってのプリンス体験の頂点は、当時BSテレビで放送されたプリンスの「ラブセクシー・ツアー」のビデオと、当時公開された「サイン・オブ・ザ・タイムス」の映画上映です。この二つには生涯最大級の感動を受けました。

その頃の僕に至福の境地を与えてくれた曲です。

今日の3曲目:アドア/プリンス

今日の冒頭で言った本に書いてある、当時のスタジオで一緒に働いた人たちの証言を読むと、この頃のプリンスは文字通り憑りつかれたように曲を作っていたようです。

24時間ぶっ続けでレコーディングなんてザラで、平均的な一日は、朝の10時過ぎにスタジオに来て、午後7時くらいまでバンドとリハーサルをして、家に帰って夕食を取るとスタジオに戻り、朝の3時か4時までレコーディングしたら、家に帰ってその日のリハーサルを収めたビデオをチェックして、それから翌朝、またスタジオにやってきて、6,7時間リハーサルすると、スタジオに入って6,7時間レコーディングして、家に戻り、ビデオを4,5時間見て、という日々を繰り返していたといいます。

アルバム発売後は週に4日ツアーでライブをこなしながら、週末の3日にスタジオで新曲を録りためていたといいます。こんな生活に付き合わされるエンジニアたちもたまったものじゃありませんが、彼らもプリンスの驚異的な才能に惚れ込んで、精根尽き果てるまで付き合っては辞めていくということの繰り返しだったようです。

彼はスタジオで全部の楽器を一人で演奏していました。『ラブセクシー』から、彼のドラムがどんな感じか分かるのを1曲。

今日の4曲目:ダンス・オン/プリンス

初めてプリンスとの距離を感じたのは、次の「バットマン」のサントラが出た時ですね。

何かそれまでの「イノヴェイション」から一歩引いて、自分のスタイルの模倣というか、まったく違うものを作ろうという意気込みを感じなかったというか。

やっつけ仕事じゃないですけど、映画のサントラとして発注された仕事だったということも関係していたのかもしれません。個人的には、大学に入って独り暮らしを始めて、生活環境や音楽環境が大きく変わったので、プリンス以外の、アヴァンギャルドな音楽に目が向いていたというのもあると思います。

実際、次の『グラフィティ・ブリッジ』あたりから90年代のプリンスの迷走が始まります。もちろん作品のクオリティは高くて、大好きな曲もたくさんあるのですが、『ラブセクシー』までの、一人ブルドーザーのようなダイナモがいったん途絶えた感じでしょうか。

『グラフィティ・ブリッジ』から大好きな曲を。

今日の5曲目:ジョイ・イン・レペティション/プリンス

90年代はプリンスにとって、レコード会社との対立や、私生活上の不幸や、時代がヒップホップになって音楽的にもズレを生じてきたり、かなり逆風の時代だったように思えます。

彼がこだわったインターネットによる音源配信スタイルは、今では完全に定着しましたが、当時はそこまでのネット普及や通信環境がなく、時代を先取りしすぎていたが故の不幸もありました。

しかし、21世紀に入って、再びプリンスの活動が時代にマッチして、充実した作品、充実したライブ活動、充実したファンとの交流が活発化します。本人は、「カムバック? 僕はどこにも行ってないし、演奏もレコーディングもやめたことはない。僕は変わっていない。ただ大好きでやっていることをやり続けているだけだ」と苦笑交じりに言っています。

21世紀に入って出た傑作アルバム、『レインボウ・チルドレン』から一曲。

今日の6曲目:エバーラスティングング・ナウ/プリンス

このときのツアーで2002年に来日したのが最後の日本公演になりました。もっとも僕は実際のライブに行ったことは一度もありません。ビデオと映画で十分でした。

2006年に発表された『3121』というアルバムから、大好きな曲を聴いていただきましょう。
優しくて芳醇な、まさに円熟したプリンスが伝わってきます。

今日の7曲目:ビューティフル、ラヴド・アンド・ブレスド/プリンス

改めて、80年代の「一人ブルドーザー」の時代のプリンスは何だったんだろう、と考えてみると、彼は、他人が従うことのできるような一つのあるいは複数の形式、スタイルを創造したというよりは、彼個人の深層から沸々と湧き出てくる極めて個人的なインスピレーションを形にし続けたのではないか、という気がします。

だから、プリンスはあの時代に出現した唯一無二の個性の表現者であって、ロバート・ジョンソンにとってのブルースやボブ・マーリーにとってのレゲエのような特定の音楽ジャンルの代表者ではありえなかった。

彼の最後の作品になった『アート・オフィシャル・エイジ』と『ヒット・エンド・ラン フェーズ・ワン』『ヒット・エンド・ラン フェーズ・ツー』はいずれも唯一無二のプリンス・ミュージックの円熟性を示す内容になっています。この方向性で、あと10年は作品を生み出すことも余裕でできたでしょう。しかし、運命は彼にそのような生き方を許しませんでした。

もう一人の天才、マイケル・ジャクソンの死に際してスティービー・ワンダーが言った言葉が、プリンスにも当てはまるのかもしれません。つまり、我々よりも、地上の彼にインスピレーションを授けてきた天上の神々の方が、彼を必要としたのだと。

では最後の曲になります。プリンスの曲だけを24時間流し続けることも可能ですが、この番組はもうそろそろ終わりにすべきでしょう。

僕にとって、そして今この世を生きる無数の人々にとって、生涯唯一無二のアーティスト、プリンス。彼がこの曲について語った言葉を引用して、お別れします。絶望するな。ではまた。

「この曲の中で、僕が何も語っちゃいないという人々がいる。それから、他にも多くの人がこの曲について誤解しているけれど、僕は先見の明をもった天才になろうとしているわけじゃないんだ。ペイズリー・パークは、みんなの心の中にある。僕が鍵を持っているわけじゃない。僕が言おうとしたのは、自分の内側を見つめて、完璧さを見つけるってことだ。完璧さは誰の中にも存在する。誰も完璧じゃないけれど、完璧になれる可能性はある。一生完璧にはなれないかもしれないけれど、何もしないようりも、努力したほうがいい……長年、僕のことを応援してくれている人のために、心の手紙のようなものを書いたんだ。そして彼らは、僕が感じていたことを感じ取ったって、手紙を書いてくれた。」(プリンス)

今日の8曲目:ペイズリー・パーク/プリンス&ザ・レボリューション



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