2020/1/12 | 投稿者: pdo

はい、こんばんは。いつものように全国ゼロ局ネットでお送りします、新年初の妄想電波になります。

昨年出版された『プリンス録音術』と『プリンスと日本』というプリンス関係の本を読んでいましたら、急にテンションが上がってきまして、個人的な思いを吐き出したくなりました。

プリンスの曲は、必要な時と全然必要としない時があって、必要でないときはむしろ聞きたくないくらいなんですが、必要な時はプリンスしか聞けなくなるという特質があります。

というわけで今日は2016年に亡くなったミュージシャン、プリンス・ロジャー・ネルソン氏の曲だけでお送りします。

僕とプリンスの出会いについては、プリンスが亡くなった時のブログにも書いてあるのですが、中学生のときにテレビの音楽番組で初めて見て、なんか変な人が盛り上がってるなあ、と何とはなしに印象に残っていました。

それで、この曲のイントロをラジオで聴いたときにハートを撃ち抜かれました。

今日の1曲目:ビートに抱かれて/プリンス&ザ・レボリューション

家にはレコードプレーヤがなく、ラジカセしかなかったので、僕が人生で初めて買った(レコードではなく)音源は、『パープル・レイン』のカセットテープでした。

次の『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』と『パレード』まではカセットテープで買いました。

当時はロッキン・オンの渋谷陽一氏がほとんど宗教のようにプリンスを崇め奉っていて、『パレード』のライナーノーツでは、小説家・山川健一氏との対談形式で、こんな風に語っていたりします。

(以下引用はじめ)

今のポップ・ミュージックっていうのは、方法論の使い回しなんだよね。そんな中でプリンスは新たな方法論の構築というか、提示というか。一応ポップ・ミュージックでありながら、確実なスタイルのイノヴェイションを自分に義務付けていて、しかもそれが出来てしまっている。

だからスタイルを新しくするって、ミュージシャンにとってメチャクチャなことだという気がするんだよね。小説家で言えば、一作ごと文体も何もかも全部変えていかなくちゃいけないわけじゃない。目先を変えて、今日はレゲエでした、明日はソウルでした、続いてはロックンロールですというスタイルのマイナー・チェンジというのは多くのアーティストがやっているわけだけど、違うんだよ。イノヴェイションなわけよ。過去にない音楽スタイルを明らかにラディカルな形で造り上げていくというか、とにかく音楽シーン全体をもう一歩前に進めていく。ほとんど一人の力でそういうことに大胆に挑戦して、しかもやれてしまっているというのは、ちょっと異常なものを感じるね。

普通は、時代状況というか、いくつかの動きの中で新しいスタイルというのは作り上げられていくわけじゃない。そういうのをいきなり一人で背負って、グワーンとマジに行っちゃってる。今回のアルバムは、才能のブルドーザーというかさ、今、プリンスはそういう状態にあるなという気がするな。

ミュージシャンの旬の時というか、何か憑りついたような。このまま20年、30年行ったらほとんど化物だけど。

(引用おわり)

こういう文句を真に受けて、僕もプリンスを崇め奉っていました。というか、この時期は世界中のミュージシャンが何か異様な物を見るような目でプリンスを畏敬していた気がします。

では、渋谷陽一氏が「他のくだらないものと一緒に並べるのは犯罪的」とまで言ったアルバム『パレード』から一曲聴きましょう。

今日の2曲目:マウンテンズ:プリンス&ザ・レボリューション

初めて買ったCDが『サイン・オブ・ザ・タイムス』です。それをカセットテープにダビングして、私の祖父が亡くなった夜、祖父への家に向かう電車の中でひたすら聴いていたのをやけにリアルに覚えています。

僕にとってのプリンス体験の頂点は、当時BSテレビで放送されたプリンスの「ラブセクシー・ツアー」のビデオと、当時公開された「サイン・オブ・ザ・タイムス」の映画上映です。この二つには生涯最大級の感動を受けました。

その頃の僕に至福の境地を与えてくれた曲です。

今日の3曲目:アドア/プリンス

今日の冒頭で言った本に書いてある、当時のスタジオで一緒に働いた人たちの証言を読むと、この頃のプリンスは文字通り憑りつかれたように曲を作っていたようです。

24時間ぶっ続けでレコーディングなんてザラで、平均的な一日は、朝の10時過ぎにスタジオに来て、午後7時くらいまでバンドとリハーサルをして、家に帰って夕食を取るとスタジオに戻り、朝の3時か4時までレコーディングしたら、家に帰ってその日のリハーサルを収めたビデオをチェックして、それから翌朝、またスタジオにやってきて、6,7時間リハーサルすると、スタジオに入って6,7時間レコーディングして、家に戻り、ビデオを4,5時間見て、という日々を繰り返していたといいます。

アルバム発売後は週に4日ツアーでライブをこなしながら、週末の3日にスタジオで新曲を録りためていたといいます。こんな生活に付き合わされるエンジニアたちもたまったものじゃありませんが、彼らもプリンスの驚異的な才能に惚れ込んで、精根尽き果てるまで付き合っては辞めていくということの繰り返しだったようです。

彼はスタジオで全部の楽器を一人で演奏していました。『ラブセクシー』から、彼のドラムがどんな感じか分かるのを1曲。

今日の4曲目:ダンス・オン/プリンス

初めてプリンスとの距離を感じたのは、次の「バットマン」のサントラが出た時ですね。

何かそれまでの「イノヴェイション」から一歩引いて、自分のスタイルの模倣というか、まったく違うものを作ろうという意気込みを感じなかったというか。

やっつけ仕事じゃないですけど、映画のサントラとして発注された仕事だったということも関係していたのかもしれません。個人的には、大学に入って独り暮らしを始めて、生活環境や音楽環境が大きく変わったので、プリンス以外の、アヴァンギャルドな音楽に目が向いていたというのもあると思います。

実際、次の『グラフィティ・ブリッジ』あたりから90年代のプリンスの迷走が始まります。もちろん作品のクオリティは高くて、大好きな曲もたくさんあるのですが、『ラブセクシー』までの、一人ブルドーザーのようなダイナモがいったん途絶えた感じでしょうか。

『グラフィティ・ブリッジ』から大好きな曲を。

今日の5曲目:ジョイ・イン・レペティション/プリンス

90年代はプリンスにとって、レコード会社との対立や、私生活上の不幸や、時代がヒップホップになって音楽的にもズレを生じてきたり、かなり逆風の時代だったように思えます。

彼がこだわったインターネットによる音源配信スタイルは、今では完全に定着しましたが、当時はそこまでのネット普及や通信環境がなく、時代を先取りしすぎていたが故の不幸もありました。

しかし、21世紀に入って、再びプリンスの活動が時代にマッチして、充実した作品、充実したライブ活動、充実したファンとの交流が活発化します。本人は、「カムバック? 僕はどこにも行ってないし、演奏もレコーディングもやめたことはない。僕は変わっていない。ただ大好きでやっていることをやり続けているだけだ」と苦笑交じりに言っています。

21世紀に入って出た傑作アルバム、『レインボウ・チルドレン』から一曲。

今日の6曲目:エバーラスティングング・ナウ/プリンス

このときのツアーで2002年に来日したのが最後の日本公演になりました。もっとも僕は実際のライブに行ったことは一度もありません。ビデオと映画で十分でした。

2006年に発表された『3121』というアルバムから、大好きな曲を聴いていただきましょう。
優しくて芳醇な、まさに円熟したプリンスが伝わってきます。

今日の7曲目:ビューティフル、ラヴド・アンド・ブレスド/プリンス

改めて、80年代の「一人ブルドーザー」の時代のプリンスは何だったんだろう、と考えてみると、彼は、他人が従うことのできるような一つのあるいは複数の形式、スタイルを創造したというよりは、彼個人の深層から沸々と湧き出てくる極めて個人的なインスピレーションを形にし続けたのではないか、という気がします。

だから、プリンスはあの時代に出現した唯一無二の個性の表現者であって、ロバート・ジョンソンにとってのブルースやボブ・マーリーにとってのレゲエのような特定の音楽ジャンルの代表者ではありえなかった。

彼の最後の作品になった『アート・オフィシャル・エイジ』と『ヒット・エンド・ラン フェーズ・ワン』『ヒット・エンド・ラン フェーズ・ツー』はいずれも唯一無二のプリンス・ミュージックの円熟性を示す内容になっています。この方向性で、あと10年は作品を生み出すことも余裕でできたでしょう。しかし、運命は彼にそのような生き方を許しませんでした。

もう一人の天才、マイケル・ジャクソンの死に際してスティービー・ワンダーが言った言葉が、プリンスにも当てはまるのかもしれません。つまり、我々よりも、地上の彼にインスピレーションを授けてきた天上の神々の方が、彼を必要としたのだと。

では最後の曲になります。プリンスの曲だけを24時間流し続けることも可能ですが、この番組はもうそろそろ終わりにすべきでしょう。

僕にとって、そして今この世を生きる無数の人々にとって、生涯唯一無二のアーティスト、プリンス。彼がこの曲について語った言葉を引用して、お別れします。絶望するな。ではまた。

「この曲の中で、僕が何も語っちゃいないという人々がいる。それから、他にも多くの人がこの曲について誤解しているけれど、僕は先見の明をもった天才になろうとしているわけじゃないんだ。ペイズリー・パークは、みんなの心の中にある。僕が鍵を持っているわけじゃない。僕が言おうとしたのは、自分の内側を見つめて、完璧さを見つけるってことだ。完璧さは誰の中にも存在する。誰も完璧じゃないけれど、完璧になれる可能性はある。一生完璧にはなれないかもしれないけれど、何もしないようりも、努力したほうがいい……長年、僕のことを応援してくれている人のために、心の手紙のようなものを書いたんだ。そして彼らは、僕が感じていたことを感じ取ったって、手紙を書いてくれた。」(プリンス)

今日の8曲目:ペイズリー・パーク/プリンス&ザ・レボリューション



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2019/1/13 | 投稿者: pdo

ロックの名盤シリーズの一冊、『サイン・オブ・ザ・タイムズ』(ミケランジェロ・マトス著、石本哲子訳、水声社)を読む。

ミネアポリスで生まれ育ち、プリンスが『サイン・オブ・ザ・タイムズ』を発表した年(1987年)には13歳だった著者による評論本。

このアルバムについては僕には僕なりの思い出や思い入れがあるので、そういったものと対比しながら面白く読んだ。しかし、アメリカの音楽評論家の書く文章はどうしてこう、もって回った皮肉たっぷりの分かりにくい表現だけで構成されないといけないのか。

著者の主観を除けば何ら目新しい発見はなく、この本に書いてあったことで知ってよかったと思った事実は、ディアンジェロと彼のバンド(ザ・ルーツ)が、『Voodoo』(2000年)のためのレコーディング・セッションのウォーム・アップにスライ&ザ・ファミリー・ストーンの『暴動』とプリンスの『パレード』を通して演奏した、ということだけだった。

僕にとって、『サイン・オブ・ザ・タイムズ』といえば、あの同名タイトルの傑作ライブ映画を抜きにしては語れないのだが、この著者が過小評価している(「刺激的だがいくぶん欺瞞的で、興行収入はわずかで、周知も得られず、同名のアルバムに何ら恩恵を施さなかった」)のは大変残念である。もしかするとあの映画はアメリカでは認知されていないのだろうか(DVD化されたのも何十年もたってからだったし)。

ポップミュージックのアルバムというのは、いつどのような形でその作品と出会ったのかという記憶を抜きにしては魅力も価値も語れないと思っている。リアルタイムで体験したかどうかというのも大変重要な部分だ。

僕にとって、ジョン・レノンやビートルズはリアルタイムの体験ではなかった。発売から何十年もたって、クラシック化された作品を鑑賞しての感動と、多感な中学高校生の頃に、小遣いを握りしめて発売日にレコード屋に走って手に入れた作品を聴くときのトキメキは比較することができない。これは、作品そのものの質とは関係がないが、ポップ・ミュージックのリスナーにとっては決定的な意味を持つ違いである。

『パープル・レイン』から『サイン・オブ・ザ・タイムス』に至るプリンスの音楽は、彼の長いキャリアを考えれば、その一部にすぎない。そしてそれは彼自身の音楽から見てむしろ例外に属する時期だったのではないかと思う。

彼の遺作となった3つの作品、『Art Official Age』、『HitnTn Phase One』、『HitnRun Phase Two』で聴ける音楽こそ、彼の最もありのままが表現されていたような気がする。



あと、日記なので書くが、松本人志はもう見るのが不快だ。二度とテレビに出てほしくないし、といっても出続けるのだろうから、彼の番組は二度と見ない。

「老害になる前に辞める」と「遺書」に書いていたのだから、有言実行すべきだろう。

もう遅きに失したがね。
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2017/10/8 | 投稿者: pdo



今日本屋で購入して、ゾクゾクしながら読み始めている。

なんかこのブログもツイッターみたくなってきたね。

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2017/4/23 | 投稿者: pdo

彼は私が世界で一番好きなギタープレイヤーだった。だから彼に恋したの。「サイン・オブ・ザ・タイムズ」のツアーで『パープル・レイン』をやってた時だったわ。私は目を閉じ、至福に浸って泣きそうになるほどだった。目を開けると、結婚しないかって言われたの。私は「イエス」みたいな返事をして、二人ともプレイを続けた。最初は友達で、それから恋に落ち、それから別れた。それから兄妹みたいになったわ。彼のことはハニーとかベイビーとか呼んでた。彼は私の相棒だった。音楽は彼の人生であり、彼は音楽のために生き、死んだの。それが彼の遺産ね。

シーラ・E


生前無数の女性とLove Affairを重ねたプリンスは、50歳を超えてからは禁欲主義者になったと言われている(禁欲も何も、やりたいこと全部やり尽くしてもう自然から打ち止めを食らったに違いないと思うのだが)。彼は才能のある女性シンガー、ダンサー、アーティストを好み、有望な若手をYOUTUBEでチェックし直接連絡することもあったと言われている(禁欲後なので必ずしも下心があったわけではないと思う)。

80年代にそんな女性アーチストとのコラボで一番成功したのが、パーカッショニスト、シーラ・Eとの共同作業だろう。「グラマラス・ライフ」(僕らの世代では石川秀美の「もっと接近しましょ」とセットで記憶されていると言われている)や「ラブ・ビザール」などの作品群は、プリンスの全キャリアを通じてもかなり上位に来る名曲であると思う。



シーラ・Eはその後もプリンスのバンドのドラマーとして「サイン・オブ・ザ・タイムス」ツアーや「ラブセクシー」ツアーに参加している。この頃のシーラ・Eは本当に「いい女」で、肉体的・官能的な魅力を爆発させていた。

プリンスと共作した女性アーティストして筆頭に来るのは、ザ・レボリューションの「ウェンディ・アンド・リサ」だが、シーラ・Eの魅力とはまた違った「知的な文系女子」風の魅力があって、美術的センスを感じさせる二人の佇まい(レズ関係にあったとも言われている)には非常にそそられたものである(この場合“劣情”ではなくもっと“高尚な”感情を 笑)。



同時期に、シーラやウェンディ&リサほど有名ではないが、ジル・ジョーンズという女性歌手とも共作している。彼女は、「パープル・レイン」でプリンスと共演したアポロニアほどセクシーではないが、プリンスの幼馴染キャラ的なコケティッシュな魅力があり、彼女の出したアルバム(「ジル・ジョーンズ」)は音楽的にも非常に優れていて、プリンス関連作品の中でも最上位に来るのではないかと思っている(「Gスポット」とか曲名はかなりヤバめだったが)。その頃NHK・FMで毎週日曜日の夜に放送していた渋谷陽一の番組でジングルとして使用されていたことを懐かしく思い出す。

キャット・クローヴァーというダンサーも忘れ難い一人だ。「サイン・オブ・ザ・タイムス」のジャケットに顔を隠して登場し、プリンスの女装かと騒がれた記憶がある。インパクトのあるダンスで「サイン・オブ・ザ・タイムス」と「ラブセクシー」のツアーでプリンスの次に目立っていた。

その次は、プリンスの正妻になったマイテ・ガルシアということになるのだろうが、正直この人には個人的にあまりいい印象がない。彼女との間に生まれた子供が死産(と流産)だったことがプリンスの生涯に暗い影を落としたと言えるだろう。この人のために書いた「ザ・モースト・ビューティフル・ガール・イン・ザ・ワールド」という曲も僕にとってはイマイチで、この頃のプリンスは、レコード会社とのトラブルもあり、アーティストとして(そして彼の人生においても)低調な時期だったような気がする。

こんなことを言っても仕方がないが、プリンスがマイテではなくシーラ・Eと結婚していれば幸福なカップルになれたんじゃないのかなと思っている。ただしシーラはマイテよりも自尊心が高そうなので、自分に(見せ掛けでも)完全服従する女性を求めるプリンスの性格では所詮一緒にはなれなかったのかなとも思う(後年プリンスの性格が円満になってからはとてもよい関係だったようだ)。

Boni Boyer(ボニ・ボイヤー)という女性ボーカリストも強く印象に残っている。彼女は純粋に音楽的な協働者として「ダイヤモンズ・アンド・パールズ」などの作品でインパクトのある仕事を残した。

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惜しくも1996年に亡くなったが、今頃天国で二人で仲良く歌っていることだろう、と思いたい。

松浦理英子はプリンスの追悼文(「少数者の王子」現代思想2016年8月臨時増刊号所収)の中で彼の女性観についてこう指摘をしていて、面白いと思ったので引用する。

…私が最も感動したのは自分の小説の中にも引用した If I Was Your Girlfriend だった。男性性を完全に放棄して女性と女同士のように親密なお喋りを交わしたり世話をし合ったりしたいというラブ・ソングであり、 I Would Die 4 U の具体的ヴァリエーションであり、女性賛歌ともいえる名作である。

性的な対象は女性であっても精神的には女性が嫌いなミソジニストがうようよいた80年代に、社会的には異性愛者であり生物学的には男性である人物が、このような感性を持ちこのような発想ができるのを知ったのは、大きな驚きであり震えるほど嬉しかった。プリンスは心から女性が好きなのだと思う。私が女性に生まれてよかったと思える最大の理由は、プリンスが女性が好きだからということ以外にはない。


プリンス自身もこう語っている。

プリンスはガールズ・バンドを特に望んでいた。そしてメンバーをYouTubeで探していた。さかのぼること2010年に、ニールセンをMyspaceで発見していた。「世の中は女子ブーム」と彼は言う。「今はそんな社会。近いうちに女性の大統領が誕生するだろう。男は来るところまで来てしまっただろ? ボクは男性から学ぶより、女性から学んだ方がずっと吸収が速い。男であることの意味は、ある時点で知るようになるはずだが、女であることの意味について、君は何を知っている? 君は人の話の聞き方を知っているか? 大抵の男は聞き方を知らない」(2014年ローリングストーン誌の生前最後のインタビューより)


If I Was Your Girlfriend/Prince

もしも僕がきみのガールフレンドだったら 

僕がきみの彼氏だった時にきみが忘れたことを全部僕に話してくれる?

もしも僕がきみの一番の親友だったら

きみの世話をさせてくれる?

一番の親友にしかできない全部のことを

親密な友達にしかさせてあげないことを

もしも僕がきみのガールフレンドだったら

きみに服を着せてあげてもいいかな

たとえば、出かける前に何を着るかを選んだり

きみのセンスが絶望的っていう意味じゃないよ

でも、時々は、そうすることが恋してるってことだと思うんだ

もしも僕がきみのたった一人の友だちだったら

誰かが君を傷つけたときに 僕のところに逃げてきてくれる?

たとえその誰かが僕だったとしても

時々舞い上がってしまうんだ 僕たちがどれだけ幸せになれるだろうって

もしも僕がきみのガールフレンドだったら

きみの髪の毛を洗わせてくれる? 時々きみに朝食を作ってあげてもいいかな?

それとも、ただぶらぶら散歩したりして

たとえば映画を観に行って一緒に泣いたりとか

だって僕にとってそれはすごく素敵なことに思えるんだ

きみに服を着せてあげてもいいかな?

出かける前に一緒に服を選んだりとか

いやそれは、きみのセンスが不安だからっていうんじゃなくて

恋をしてるってそういうことなんじゃないかと思うんだ

今夜僕が言ってることが分かる?

ちょっと自己中になってるかもしれない

でも、僕は、僕にとっての君の全部―その全部に僕もなりたいんだ

分かるよね?

きみが服を脱ぎたいというだけで僕は部屋を出ないといけないのかな?

愛しあうのは子どもをつくるためだけじゃないよね?

愛しあうのはオーガズムを得るためだけじゃないよね?

きみの身体は僕のすべてなんだ

見せてくれるかな? 僕は見せるよ

なぜなら僕はきみの友だちだから 

僕はきみの前で裸になれるよ

裸になったら、何をすればいい?

どうしたらそれが素敵なことだって分かってくれる?

ただ僕を信じてくれないかな?

もしも僕がきみのガールフレンドだったら信じるよね?

きみのために裸でバレエを踊ろうか?

どうすればいい?

もしも僕がきみのガールフレンドだったら教えてくれる?

きみの裸を見せてくれる?

きみをお風呂に入れさせてくれる?

きみを思いっきりくすぐっていっぱい笑わせたり

きみにキスをさせてくれる?

ほら、あの大切な場所に

うまくやるよ 一滴残さず飲むよ

それからきみをきつく抱きしめてずっと抱きしめる

そして一緒に、静かに見つめよう

それがどんな風に見えるか想像しよう

静寂がどんな風に見えるか想像しよう

さあ・・・
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2017/4/22 | 投稿者: pdo



2004年のロックンロール・ホール・オブ・フェイムでの、伝説的なジョージ・ハリスン追悼パフォーマンスについてのニューヨークタイムスの記事より。

ジョエル・ギャレン(ロックンロール・ホール・オブ・フェイムのプロデューサー兼ディレクター):プリンスの弁護士宛に私信を送ったんだ。すると1,2週間後に、彼の側近から電話があり、プリンスがロサンゼルスにいて、僕と会いたがっているという。プリンスはこう言った。「君の手紙を読んだよ。いいアイディアだと思う。その曲を何回か聞いてからもう一度連絡する」

2,3週間後に、プリンスの側近からまた電話があって、「プリンスがもう一度会いたがっている」という。プリンスは絶対この曲をやると言った。最初に会った時も2度目に会った時も、彼は音楽に関すること、誰が音楽を所有するのかということについて熱心に語っていた。そのパフォーマンスを所有するのは誰かを知りたがっていた。彼の知らない所でそのパフォーマンスが利用されないことを確認したがっていた。

ショーの前夜にリハーサルをやった。プリンスは少し早めにリハーサルをした。彼はあらゆる音響に関する問題に取り組んでいた。リハーサルの最中に、彼の望んだ音が出せなかったのでモニター・エンジニアをクビにしたのを覚えている。それが終わると彼はホテルに帰った。僕は「今夜10時にまた戻って来てくれ。最終リハーサルをやるから」と言った。すると彼は「じゃあね」と言ったんだ(笑)。来るとも何とも言わずに「じゃあね」って。

トム・ぺティーのリハーサルが夜遅く行われたとき、プリンスも来ていた。彼はギターを持ってステージの端に現れた。彼はトムとジェフ・リンとバンドの皆にあいさつした。曲のミドル・ソロの部分にきたとき、そこでプリンスが弾くことになっていたのだが、ジェフ・リンのギタリストがソロを弾き始めた。クラプトンのように、一音一音きちんと弾いていた。プリンスは割り込まずに、彼の演奏に合わせてリズムを取って伴奏をつけていた。最後の大きなソロにくると、プリンスがソロを取った。彼は何も言わず、軽く弾きはじめただけで、けっきょく何も印象的なフレーズは弾かなかった。

リハが終わると、僕はジェフとトムの所に行って話し合った。「プリンスともう一度リハーサルができるかどうか分からない。でも彼に曲の間中ソロを取らせるわけにもいかないだろう。」それからプリンスの所に行って、彼を脇に呼んで、個人的な会話をした。彼はこんな調子だった。「彼(ジェフのギタリスト)にはやりたいようにやらせて、僕は最後にソロを取る。最後のソロのときは、間のソロのことは忘れてくれ」そして「心配することないよ」と言って去って行った。それっきりリハーサルはなかった。彼が本番で何をするのかプロデューサーの僕にもまったく分からなかった。そこから先はごらんの通りだ。あれは僕が音楽に関わって以来最高に満足のいくパフォーマンスだった。

彼がどんなに驚異的なギタリストだったか、まだ十分に知られていないと思う。ロック・ギタリストとして彼は誰にも負けないものを持っている。

プリンス死去をうけてのトム・ぺティの談話:不思議なことに数日前、プリンスのことが頭から離れずにずっと彼のことを考えていたんだ。バングルズのスザンナ・ホフスと話していてね。プリンスはバングルスの“Manic Monday”を作曲している。スザンナ・ホフスはどのようにしてプリンスと出会い、楽曲を提供してくれたのか、そのいきさつを話してくれたんだよ。そして、その日はプリンスのことをずっと考えていて、電話をしようかと思っていた。今回のことがあってから、思い立ったことは常に行動に移したほうがいいと思うようになったよ。



このギター・ソロ・パフォーマンスの最後にプリンスが空中に放り投げたギターは、その後どうなったのか、誰も知らないそうだ。

きっと天国のジョージ・ハリソンが受け取ったのだろうとみんなが思っている。

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