2020/8/10 | 投稿者: pdo

今の時代精神みたいなのを探る参考のため、芥川賞の受賞作は気が付いたらチェックすることにしている。もはや「純文学」のありがたさなどないし、そもそも純文学など存在しないのかもしれない。それでも、いわゆるエンタメとは違った何かは表現されているはずだ。

今月号の文藝春秋に掲載されていた、第163回芥川賞受賞作、『首里の馬』(高山羽根子)と『破局』(遠野遥)を読んでみた。

『首里の馬』は、沖縄を舞台に、主人公の若い女性の視点から描かれる物語で、いくつかのフィクショナルな設定に若干の不自然さを感じたものの、情報化社会と人間の実存というテーマを扱った良作という印象。作者の力量も感じられた。

さて問題は『破局』の方で、一読してこれまでにない薄気味の悪さを感じた。その作品が読者にもたらす効果は、ドストエフスキー『悪霊』の「スタヴローギンの告白」を読んだときの味わいに近い。しかし、薄気味の悪さという感覚は同じでも、その感覚をもたらした要因は全く異なっている(後述)。カミュの『異邦人』に擬えた感想もあるが、主人公の言動が時折不条理っぽいという以外には何の共通点もない。むしろ読者の感覚を裏切ってくる描写の運び方は中原昌也に近い。

不気味なのは、この主人公の内面は作者自身のものと本質的に同じであることが読んでいて伝わってくるからで(そのことは作者本人も認めている)、この小説がリアリティを感じさせるのはまさにその点においてであるということなのだ。虫唾を催させる手記を執筆したスタヴローギン(魂とか良心を持たない男)は当然ながらドストエフスキーの小説における創造物であるが、この陽介という主人公は内面的に作者の分身としか読めないのだ。

これがサイコ・ホラーというジャンルのエンタメ小説ではなく、芥川賞を受賞した「純文学」小説であるという事実は、確かに今の時代状況を反映しているといえるだろう。



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2020/8/3 | 投稿者: pdo

中原昌也の新刊『人生は驚きに充ちている』(新潮社)を読了。

小説以外の文章のうち、「五輪総合演出『秋元康』という悪夢」、「ショッピングモール空間探検記」の2編は過去に雑誌掲載の際に読んだことがあり、「古井由吉氏にズバリ訊く」、「21世紀のクラシック音楽体験とは? VS浅田彰」、「一斗缶4個の人生」、「廃墟が語りかけてくる」、「すき家、マルクス、ブラック企業」、「戒厳令の昼のフランス・ツアー日誌2020・3・4−3・17」は読んだことがなかった(または読んだかもしれないが読んだ記憶がなかった)。

せっかくなので、それぞれについて感想を書いておく。

「古井由吉氏にズバリ訊く」

1937年11月19日生まれで、2020年2月18日に亡くなった小説家・古井由吉氏との対談。表題のとおり、対談というよりは主に中原昌也が古井由吉に質問するインタビューの形を取っている。2006年4月1日にジュンク堂書店池袋本店にて行われた公開対談を再編集したもの。

意外にも、というか考えれば当たり前なのだが、中原昌也のインタビュアーとしての有能さがよく表れている。僕も古井氏の作品は「杳子」「妻隠」くらいしか読んだことがなくて、この対談を読んで、「文字が訴えてくる」とか、小説を書きながらの「右手と左手の葛藤」とか、それこそ中原小説を地で行くような告白を聞くにつけ、中後期のアヴァンギャルドな(?)作品も読んでみたい思いにさせられた。あとがきによれば、古井氏は中原の父と同い年で、ほぼ同じ時期に亡くなったのだと言うが、奇しくも自分と同じところに不思議なえにしを感じた。

「21世紀のクラシック音楽体験とは? VS浅田彰」

クラシック音楽というものを問い直そうという企画シリーズの第一弾としての対談だったらしいが、別件で編集長と揉めてしまい、この連載第一回目で終了してしまったらしい。最初に高橋悠治に対談を申し込んだが(後に判明したところでは「くだららない企画だから」という理由で)断られたという。確かにこの浅田との対談を読んでみても、「ベートーベンなどの古典音楽はやっぱりすごい」とか「パソコンで情報を確認するような音楽の聴き方ではなく、現場で体験することが大事」といった言わば当たり前のことが述べられているだけで、ハッとするような発見があるわけではない。まあ浅田彰を対談相手に選んだ時点でこうなることは分かっていたわけだが、唯一さすが中原昌也と思ったのは、浅田が「ソ連ではスターリンが直接文学者に電話して圧力をかけていた」と言ったのを即座に「僕も石原慎太郎から電話が来るのを待ってるんですけど」と返したところ。

「一斗缶4個の人生」

中原昌也には珍しい(?)犯罪ルポタージュという形式で、大阪市天王寺区で起こった「一斗缶バラバラ殺人事件」の現地取材を試みる。2011年の事件だが、すっかりそんな事件があったことを記憶していない。取材と言ってもたいした事実が掘り起こされるわけでもなく、事件が起こって間もない時期の取材なので、「現場を見に行った」という以上の意味はあまりない。2011年と言えば何と言っても3・11のインパクトが大きく、その他の事件はもう背景に翳んでしまう。中原のこの文章も、9・11反原発デモで友人が逮捕されたというエピソードから始まっている。3・11についての中原のスタンスは、次の章で明らかにされることになる。

「廃墟が語りかけてくる」

3・11からもうすぐ2年が経つという時期に、福島に行った体験を綴ったルポタージュ。南相馬市小高区には、同じ時期に自分も行ったことがあり、共感を持つと同時に、もう遥か昔のことに思えて、時間経過の感覚がよく分からなくなってくる。東日本大震災と原発事故からあと半年くらいで10年になるのだが、何かが解決したとか変わったとかいうことはなく、逆に何かが決定的に壊滅したということもなく、ダラダラと退屈でくだらない時間が無駄に過ぎているだけ、という感覚が日増しに痛感されてくるだけ。このことについては後にまた触れる機会があろう。

「五輪総合演出『秋元康』という悪夢」

2014年3月に書かれた文章だが、当時は2020年に世界が、そして日本がこんなことになっているとは誰も夢にも思わず、東京オリンピックで世界に冠たるニッポンを再びアピールできるものと信じている人が大半だった(と思う)。そんな時期に五輪式典の総合演出を「AKBグループ総帥」天下の秋元康にやってもらおうと期待の声が高まる中、「真に良識ある文化人」を代表して思い切り冷や水を浴びせたのが中原のこの文章だ。しごくもっともなことし書かれておらず、中原昌也独特のイロニーもウイットも敢えて抑えて直球の批判を行っている。世の中にはこうした中原の反体制的言論を陳腐だと捉える向きもあるようだが、僕に言わせれば、むしろこうした文章があるからこそ彼が今の世で信頼できる数少ない(ほとんど唯一?)作家の一人であると確認できるのである。

「すき家、マルクス、ブラック企業」

「すき家」の社長が全共闘のマルクス主義活動家であったことを指摘した評論家が他にどれほどいるのか全く知らないが、現代のブラック企業の問題と絡めて資本主義に開き直った全共闘世代の滑稽さ・醜悪さを白日に晒して見せた中原昌也に拍手を送りたい、という気分にしかならない。かつての沢木耕太郎とかならまた違ったルポタージュに仕上がったと思うが、現代において中原のような視点をブレずに提示する文章家が(いわゆる「リベラル派や左翼の人たち」以外で)ほとんど絶無になってしまったことの方が怖い。

「ショッピングモール空間探検記」

僕も(買い物以外の目的で)立川のIKEAを訪れることがしばしばあり、共感を持ちながら読んだ。

「戒厳令の昼のフランス・ツアー日誌2020・3・4−3・17」

これが直近の文章で、まさにコロナ禍が欧州を飲み込まんとする時期に欧州を演奏ツアーで旅した中原の旅行記である。冒頭の文章にあまりにも共感したので引用させてほしい。


 残念ながら日本という国はもう終わっているし、このままどれだけ長く住んでいても、ただただ退屈な時間が無駄に過ぎてゆくだけであり、ともかく何よりもこの国を代表していると思い込んでいる人間たちの愚鈍さには我慢がならないのであった。(中略)安倍、菅、麻生といったクズの面に毎日お目にかかるのも、もううんざりだし、そのうんざり具合に国から賠償金をいただきたいくらいである。ああいう何にも偉くない、何もしないクズが生きてて、同じ空気を吸っているというだけで、こちらの生活にネガティブな支障が生じて吐き気がする。
 理由なんて、どうでもいい。あんな連中の存在自体がただただ不愉快で息苦しい。
 そんなことしか毎日感じていない。息が苦しい。クズどもの横暴が不愉快である。
 明らかに犯罪者が権力者として君臨する、愚かな国。ここで過ごす毎日など、およそ健康的とは言えず、何が何でも外の空気が吸いたい気分であった。



この国に言論の自由があるというのなら、誰もが思っている(はずの)この程度のことが他の作家にはどうして書けないのか。思っていることを正直に書けないということを「忖度」というのであればほとんどすべての作家は忖度しっ放しではないのか。この国で正直な作家は中原昌也しかいないのではないか。

よく「このままでは日本は終わる」などと未だに言う人々がいるが、もうとっくに終わってるんだよこの国は。「このまま」を何十年も続けた挙句、今や我々は終了後の世界を生きているのにすぎない。そんなことも中原昌也に指摘されて初めて気づく(あるいはそれでもまだ気づかない)愚鈍な人間たちが今更どうのこうの言っても仕方がない。

安倍や麻生といった愚鈍の代表者たちがたとえ引きずりおろされた所で(そんなことも起こらないだろうが)、愚鈍な人々が愚鈍でなくなるわけではない。要するに「残念ながら日本という国はもう終わっているし、このままどれだけ長く住んでいても、ただただ退屈な時間が無駄に過ぎてゆくだけであ」る。その事実を直視しないいかなる表現もゴミにすぎない。

この旅行記で一番「へえ〜」と思ったのは、中原昌也に同居中のパートナーがいて、一緒に欧米ツアーに行ったと書いていたことだ。IKEAを取材していた頃は両親のいる実家で仕事に集中できずファミレスで原稿を書いていたということだから、2015年から今年までの間に引っ越して彼女(英語にも堪能でホテルの予約とかもしてくれる知的で有能な女性のようだ)と同居するようになったというのか。それはよかったナ、とまるで心配していた友人のことのようにほっこりした。

しかし旅行記の最後に、パートナーのパスポートが盗難に遭って一人で帰ることになった、と書いてあるだけで、その後彼女がどうなったのかには全く触れていないのがまた中原昌也らしい。

このテキストに併せてお勧めしたいのは、菊地成孔 / 甲斐田祐輔『戒厳令下の新宿』というルポ映像である。丁度中原昌也が帰国した直後の東京の映像が収められている。



あとがきで中原は、30代40代は悪夢のような重圧を感じながら執筆していたが、この旅行記は、かつてないくらい、ほっといてもスラスラ書けたという。「これを書いているのは50歳になる前日(註:2020年6月3日)なのだが、残りの人生もこうした楽しい仕事で終わるように心がけたい! と願う。」と締め括られている。自分も彼と同じ年齢であり心からの共感を持った。

ちなみに昨日立ち寄った中野のタコシェという本屋で、中原昌也のサイン本手渡し会が行われていたのだが、ニアミスで直接お会いできなかったのが今となっては残念である。
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2020/8/1 | 投稿者: pdo

中原昌也の新刊『人生は驚きに充ちている』(新潮社)を早速勝手、表題作を読んだ。

初出は『新潮』2019年5月号で、掲載当時図書館で読んだ記憶があるのだが、そのときはそれほど面白く感じなかったのでコピーも取らなかったのだが、今改めて読んでみると、けっこう面白かった、

要するに出版社(新潮社)の会議室に缶詰めになって小説を書かされていて、ノートパソコンを前に何も書けず、窓の外をぼんやり眺めたり、担当編集者(小松)に無言のプレッシャーをかけられたり、近くのコンビニにおにぎりを買いに行ったりしながら呻吟している状況を、中原昌也特有の魚眼レンズを通したような歪んだ心象風景交じりの描写で描いたという、いつもの「中原節(なかはらぶし)」と言えば言えるのだが、今回はやや哲学的で内省的なトーンが仄かに感じられるのは、ドストエフスキー『罪と罰』のラスコリーニコフという単語が頻出することからも察せられるとおり、そういう気分だったからだろうか。

この単行本には、小説はこの一作のみで、あとはインタビュー(古井由吉)やルポタージュやエッセイや日記(戒厳令の昼のフランス・ツアー日誌)なので、これから読むが、読むのが楽しみだ。
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タグ: 中原昌也 小説

2020/7/31 | 投稿者: pdo

「東京オリンピック開催決定、おめでとうございます! 日本の純文学界を代表して、お祝いを表明します!」

 テレビの前で発表を、ドキドキしながら見ていた。こんな気持ち、いつ以来だろうか? 芥川賞にノミネートされたとき以来の興奮だった……きっと読者も、さぞかし、同じように胸を熱くしていたことだろう。

 発表された瞬間、それまで黒い霧に覆われていたのが、パーッと晴れて明るくなった。輝く希望の時代が、幕を開けたのだ。

 東日本大震災からの「復興」を理念に掲げ、IOC委員会に「スポーツの力」をアピールしたのが、功を奏した。アジアで最初の五輪となった1964年の大会以来、何と56年ぶりにギリシャから聖火がやってくるのだ。このことに興奮せずに、何に興奮するというのか。

 日本が掲げたのは、高度な都市機能と強固な財政基盤に支えられた、東京だけの「安心、安全、確実な五輪」。

 そう表明した安倍首相という、日本の歴代総理の中でも特に逸材というべき人物による

「オール・ジャパン」が、招致機運の盛り上げに一役買った。これによって、彼は世界の歴史にも名を残すことだろう。

 私も正直なところ、「アベノミクス」の恩恵によって、どん底から這い上がるチャンスを与えられた幸運な人間であるのを、ここに告白しなければならない。

(中略)

 そんな疑心暗鬼の長い時代が続いていたのを、見事に断ち切ってくれたのが「アベノミクス」であったといえよう。

 おかげでこうして家賃も滞りなく払えるようになり、生活の基盤が整ったと同時に、いままでいい加減にしか関わってこなかった文学と、こうしてちゃんと向き合えるようになった。感謝の言葉しか思いつかない。

 安倍首相によって、もしかすると我々は3.11以前よりも絆が深まったかもしれない。

 「アベノミクス」がなかったら、オリンピックの東京での開催は決まらなかったし、いまこうして自分が原稿を書いていることもなかったに違いない。

 日本の未来は安泰だ。


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2020/2/2 | 投稿者: pdo

「どんなんでもいいんだよ。例えばさ、一生懸命何かやっててさ、その内わからなくなってさ、どっか喫茶店かなんかでウトウトウトウトする。何か何とも言えないいい気持ちでホッと目が覚める、さっぱりしてる。そして『あっ、あっ、またあれをやろう』っていう意欲。そういうものがひとりでに内側から全く無理なく生まれてくる。それが怠惰の、一番いい有り方だね。」「とにかく人間ていうのはね、とてつもないエネルギーを誰でも持ってるのさ。そしてそれを使い果たさなければね、決して安らかな眠りもね、それから穏やかさも、生きてる怠惰も起こらない。」「欠点のない生活っていうのは単純なことなんだ。それに全部打ち込んでさ文句なしなんだ。だから自分の気分に反するようなことでも、それをやってみようと、もし決めたらさ、それを全部背負い込む、直面するっていうことをやりさえすればいいんだ。そこにね、なんか『まっ、気に食わないけど仕方なしに合わせた方がいいんじゃあないかなあ』というその動揺、それが力を損なうってこと。」「未練、中途半端っていうことくらいね、その人間のエネルギーっていうのを自由に流す働きを邪魔するものはないんだ。」(『素直になる』雨宮第慈講話録4より)

鶴見俊輔全集の『転向研究』に収録されている「転向論の展望ー吉本隆明・花田清輝−』を読んでみた。非常にバランスの取れたすぐれた総括であると思った。

特に次の洞察は鋭い。

「吉本隆明は、体質的には闘士型、性格的には偏執狂型であるというだけでなく、日本の文化の連続性が敗戦によってきれたその断面に自分の少年時代を見出したというさらに重大な理由によって、日本人の多くの持つ易変的・他者志向的性格から自由になった。…吉本には偏執狂的性格に特有の視野のせまさがあるが、このようなせまい視野をたもつことをとおしてくっきりと映し出される日本の側面がある。」

そして、

「(吉本のいう)転向思想とは、日本の現実社会の問題をしっかりうけとめることのできない思想一般をさすこととなり、日本の現実社会において有効なる保守をなしうる思想と有効なる変革をなしうる思想の双方を除く一切の思想である」

という指摘も正しい。これはある意味吉本の思想の核心であり、自分が最も影響を受けたのも吉本のこの考え方である。

花田清輝については、「偽装転向」であり、吉本のいう転向論によってはうまく分析できないと述べる。

花田自身は、自身を含めた戦時下および敗戦後の再度の日本人の転向についてこう述べている。

「『戦犯』と指定されたというので狼狽したり、ふたたびそれを取消されたというので威丈高になったりする文学者があるが、なんという浅薄な心の持ち主であろう。いやしくも文学者である以上、おのれの罪と罰との微妙な関係にするどい視線をそそぎ、仮借することなく自己批判を試みるのが、当然ではなかろうか。仮に積極的に戦争を支持していなかったにせよ、あるいはまた、ひそかに戦争に対して消極的抵抗を続けていたにせよ、とにかく、ほんとどわれわれ大部分のものの位置は、すべて、白と黒との間にある、灰いろの無限の系列のどこかにみいだされる。…かれらには罪はあるが、かくべつ、罰せられはしない。しかし、罰せられないということが、かれらの罰なのだ。」

この花田の告白(?)に対する鶴見の評価もまた適切である。

「社会によってもみずからによっても罰せられずにすむという状態は、日本の共産主義者・自由主義者からその思想的自主性を奪ってしまうことになり、かれらの思想が戦後日本の社会においてききめのないものになることを意味する。」

花田は、戦中は東方会というファシスト団体に所属し、戦後は日本共産党で文化面の指導的地位に就いた。このような外面的行動からは、吉本が全身の力を込めて花田に「転向ファシストの詭弁」と叩きつけた言葉の方に正当性を感じざるを得ない。

この論争は、理論的正当性以前のレベルで既に決着が着いていたのだ。ただ当時の共産党が持っていた絶対的に近い権威に真っ向から立ち向かって、当然の決着をつけるだけの腕力と胆力を持っていたのが吉本だったということだ。


ところで、JYPが「ポストTWICE」を目指すガールズ・グループを日本からデビューさせることを目論むオーディション番組「NIZIプロジェクト」のネット配信が先週の金曜日から始まった。

思ったよりも逸材が揃っていて、今後の展開が期待される。この件については稿を改めて書きたいと思う。




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