2021/4/12 | 投稿者: pdo

<秋恵以後>

「膣の復讐」(『歪んだ忌日』収録)B「週刊ポスト」2011年12月2日号

十月、秋恵に去られたことを思い出す。あの日以後暫く色欲は失せていたが、いよいよ寂しさの極みに立ったことを痛感した貫多は、秋恵の復讐にいつまでも屈しているこの状態も業腹で、いっそ今夜は久方ぶりの買淫をしにいく腹を固め、ラブホテルに向かい、デリヘルを呼ぶ。岬と名乗る自称19歳の少女と事に及ぶが程なくしてダメになり、ゴムを外して口でしてくれるよう懇願。ひどく虚しい放液を果たした後、貫多の心は死にかけのヒナ鳥みたく打ち震えるのであった。

「腐泥の果実」(『寒灯』収録)B「新潮」2011年2月号

秋恵に出ていかれた後、何度無視されてもしつこく携帯に連絡を繰り返し、たまさか留守電が通じると、精一杯の謝罪と復縁哀願の言葉を繰り返す貫多。その結果、晩秋も冬にさしかかる頃の一夕、渋谷の街で秋恵と面会を果たす。八年前のその時の回想。

喫茶店の席で向かい合った女は、貫多のやり直したいとの嘆願に最早一滴の空涙すらみせることなく、彼の数々の横暴な振舞いに我慢の限界を超えたことのみ、いやに落ち着いた口調で告げ、やがて何かと相談にのってもらっていると云う男の存在を明かしてきた。

その男は貫多より三つ四つ下の独身者であり、女の至極身近な環境の中で相知るようになったものらしい。それは貫多にすれば、自分では殆ど働きにも行かず、女をスーパーマーケットなぞへパート勤めに出していたことが仇となったかたちである。

彼女の口ぶりからは、すでに貫多の元を去る少し前より、その男と親密な関係を結んでいた様子がどことなく窺われた。無論彼女の方で、それをあえて匂わせてみせる意図があるのは明白であった。

そうなると、根がかなりのスタイリストであり、自尊心だけは人並みに高くもできてる貫多は、この血色の悪い、知り合い始めた頃に比べて異様に痩せた眼前の女が、もう公衆便所の蛆虫以上の存在には映らなくなってしまう。

そんな蛆虫女を怒鳴ったり殴ったりすることもできず、彼は小一時間程で話を打ち切ると、この上はひたすら自身の矜持を守る為にのみ努めての穏やかな表情を作って、その女を見送ることにしたのである。そしてこのときが最後の別れとなったのである。


ふとした弾みに秋恵から誕生日のプレゼントにもらったペン皿を見つけ、その時の回想に耽るも、手近なゴミ集積所に完全なる諦めをもって、未練の残差ともどもそれを放り捨てた貫多であった。

「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」(『苦役列車』収録)B『新潮』2010年11月号

42歳(平成21年2009年)、3月下旬、掃除機に腰をこごめた瞬間、ぎっくり腰に遭う。痛みに耐えつつ、布団にうつ伏せになってノートに小説の下書きを書く。第35回川端康成文学賞の候補になったと知らされた『新潮』の編集者田端への不義理を思い出す。孤独死への恐怖。秋恵への悔恨。1週間後、赤羽の総合病院で痛み止めを貰った帰途、ヨーカ堂の裏手辺の小さな古本屋に立ち寄る。以前野間文藝新人賞をもらった年にその本屋で野間清治の本を求めたことが在った為、ゲンを担ぎたくなったのだ。川端の『みづうみ』を見つけ、ついでに大正期の文芸評論家・堀木克三のレア本『暮れゆく公園』まで入手して意気揚々と店を出る。と、ふと冷静になり、文学賞の評価に振り回される我が身の愚かさを振り返ると共に、藤澤清造の没後弟子たる自覚に目覚め、久方ぶりに全能感が蘇る。帰りのバスを待つ間、堀木克三の人生に感傷的な思いを巡らす。惨めな晩年の堀木の姿に自らの未来の姿を重ね合わせ、やはり川端賞受賞の栄誉だけは何としても担いたいとの思いが頭をもたげる。結句受賞叶わず。

「形影相弔」(『歪んだ忌日』収録)B「en-taxi」37号、2013年冬

2010年に43歳で芥川賞を受賞したが、原稿の依頼も思ったほど増えず、案外何も変わらなかったことに虚ろな想いを抱く。そんな折、古書市に藤澤清造の未発表原稿三本が出品されているのを知り、何としても入手するため二千万円注ぎ込む決意をする。師への思いを失くさぬ限りまだ書ける、と確認する。

「感傷凌礫」(『歪んだ忌日』収録)B「新潮」2013年1月号

出先から帰宅すると集合郵便受けに差出人無記名の封書が来ていた。中身は二三枚の便箋と一葉の写真。そのモノクロ写真には小学低学年の貫多が写っていた。手紙を読み、その発信者が、もう二十数年のあいだも没交渉となっている、自身の母親であると知る。そこには、貫多の芥川賞受賞を知り、本屋ですべて取り寄せてもらったこと、母親失格と小説を読んでは涙していること、蒲田のお墓は小説を読むずっと前に直したこと、邪魔になるといけないので、今後はもうお便りすることはないことなどが記されていた。読み終えて、かつての母親への暴力や数々の恥辱を思い出し嫌悪感と怒りを覚える貫多。もし母がこれを口火として金銭の無心をしてくるようなことがあれば、三百万までは融通してやろうというギリギリのラインを心中に定めるのであった。

「歪んだ忌日」(『歪んだ忌日』収録)B「新潮」2013年5月号

46歳(2013年)、藤澤清造の祥月命日にやって来る俄かファンを苦々しく思う。

所詮、藤澤清造に対する思いのない者が、何か文学イベントへの参加的な気持ちで、気軽に足を運んでくるのが間違いなのだ。

「朧夜」(『無銭横町』収録)C「en-taxi」38号、2013年春

46歳(2013年3月)。秋恵が去って十年。

「酒と酒の合間に」(『無銭横町』収録)C「en-taxi」38号、2014年冬

2013年頃。浅草キッドの玉袋筋太郎が上梓した本が文庫化され解説文を書くことについて書く。

「夢魔去りぬ」(『痴者の食卓』収録)B『新潮』2014年11月号

作家・北町貫多が 「新潮」編集者を通じてNHK「ようこそ先輩」への出演を打診される。撮影のため、小学校五年の二学期まで通っていた江戸川の小学校へ赴き、子供の頃に歩んだ辺りを訪れる。

「芝公園六角堂跡」(『芝公園六角堂跡』収録)B『文學界』2015年7月号

2015年2月。芝公園近くのホテルで行われた稲垣潤一のライブへ。夜寒の公園にひとり立ち尽くし、師・藤澤清造への想いを新たにする。

「終われなかった夜の彼方で」(『芝公園六角堂跡』収録)C『文學界』2016年新年号

2015年6月。先の小説に阿る様な一文を加えたことを恥じる。

「深更の巡礼」(『芝公園六角堂跡』収録)C『小説現代』2016年2月号

2015年7月。恥じる自分を恥じる。

「十二月に泣く」(『芝公園六角堂跡』収録)B『すばる』2016年6月号

2015年12月。清造の墓前で落涙。

「四冊目の根津権現裏」(『瓦礫の死角』収録)『群像』2019年2月号

2018年12月。藤澤清造の代表作『根津権現裏』の稀覯本(清造自らが三上於菟吉に献呈した宛て書き入りの一冊)を、「歿後弟子」たる貫多が必死に手に入れようとする顛末。貫多の私小説に自分のプライバシーが書かれたと怒る古書店の新川に、貫多が言い返す。

「どうでぼくの書いたもんなんか誰も読んでやしねえよ。文芸誌なんて好んで読んでる馬鹿な奴らは、所詮馬鹿なだけに、何を言いたいのかまるで分からない作のみを有難がる習性があるんだから。単純に分かり易く書いてるぼくの小説なんか、ムヤミに軽ろんじるだけで絶対に読みやしねえから安心しろ」

「青痰麺」(『夜更けの川に落葉は流れて』収録)B『群像』2017年8月号

味噌ラーメンが気に入ったラーメン屋に通っていた貫多は、ある日、カウンターの隅の席でラーメンを食べていると、来店したカップルのために席を移動してくれないかと三十代の鮟鱇のような顔をした店主に言われ、反射的に席を譲る。席を移動した後になって酷く不快に感じた貫多は、ラーメンの中に痰を吐き、煙草を放り込んで店を走り逃げる。その数年後、同居一年近くの秋恵を連れて再びその店を訪れた貫多は、食券機の前で店主から以前の行いを責める言葉を投げつけられ、秋恵を連れてすごすごと店を出る。さらに時が経ち、芥川賞作家となった貫多は、夜中に三たび衝動的に店を訪れる。店主が貫多に気づいていない様子なのに気を良くした貫多は、出てきたラーメンに煙草を捨て、痰を吐き、店主から見咎められるや店を飛び出そうとした矢先、「おい待て!お前、北町さんか?」と声をかけられた。咄嗟に「違う!」と言って逃げ去る貫多であった。

その貫多は大通りに向かって文字通りの遁走を続けながら、
(こりゃ、いけねぇ……バレてやがる)
胸中で呟き、そしてひどく不穏なものを感じていた。
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2021/4/6 | 投稿者: pdo

<秋恵もの>

「暗渠の宿」(『暗渠の宿』収録)A『新潮』2006年8月号

34歳(平成13年2001年9月)。新宿一丁目の八畳一間の「豚小屋」を出て秋恵(表記はまだ「女」)と同棲するためのアパートを二人で探すも、保証人やら収入証明やらを求められ、中々条件に適う物件が見つからない。漸く滝野川の王子寄り、地下鉄西巣鴨から徒歩15分の物件に決める。八階建ての最上階のリビング三面の窓からは東京タワーが小さく見える。滝野川は伊福部隆輝(後の隆彦)が大正時代の一時期に住んでいた所。伊福部は藤澤清造の『根津権現裏』を発表直後に激賞していた。

「けど何んだな、その点やはり今東光とか武田麟太郎みたいに、後になってこの小説の良さを見抜いて、後世の読者にその存在を語り継いでくれた作家はすごいね。真の新しさを知ってた作家だよ。伊福部隆輝もまた然りだ。だからその人に敬意を表して、いっときこの地に住むのも悪くないよ」

同棲開始は9月の半ば。女は28歳。東北生まれで、地元の大学の同級生と卒業後約5年間横浜で同棲していた。貫多と知り合ったのはその男と別れた直後の約1年前、三光町の中華レストランでウエイトレスのアルバイトをしていたときのことである。
同棲開始二週間後、秋恵の作ったラーメンが気に入らず叱咤。その数日後、貫多がトイレで尻を拭いているところを開けてしまった秋恵の頭を張りとばす。
或る休日、サンシャイン水族館に行きたいという秋恵を上野動物園に連れて行き、上野の古書販売スペースで客とトラブルになりかけたのを、その場を離れて巻き込まれるのを避けた秋恵の態度が気に入らず、夜部屋に戻ってから難詰する。
同棲開始4か月後(2002年1月頃)、藤澤清造の墓標を入れるガラスケースを作ることにした貫多は、65万円をかけてリビングに設置する。無事設置した後、ガラスケースに映った女の顔に冷やりとするものを感じ、被害妄想に陥った貫多は、「おい、もしぼくの資料に妙なことしやがったら、どうなるかわかってんだろうな」と恫喝めいた暴言を吐くのだった。

「陰雲晴れぬ」(『寒灯』収録)A  「新潮」2010年8月号

滝野川のアパートへの引越し。アパート管理人とトラブルになり、謝りに行こうと主張する秋恵を怒鳴りつける。これが同居して初めての暴言。

「何があやまろうよ、だ。何が、いつも言い過ぎなんだよ、だ。てめえは何を生意気に、このぼくに対して説諭をしていやがるんだ! えらそうにしやがってよ! 元はと云やあ、てめえが馬鹿みてえによ、桃なんぞかかえてノコノコ挨拶なんかにゆくから、それで嘗められてしまったんじゃあねえか。すべては、てめえが悪いんじゃねえか!」

「青痣」(『歪んだ忌日』収録)B 「新潮」2012年1月号

同棲してそろそろ1か月。大型スーパーで秋恵の勧めで八千円のベランダ用ベンチ購入。その日のうちに、ベランダに干してある秋恵のショーツの話をして不快感を露にした秋恵に対し殴る蹴るの暴行を加える。秋恵が出て行った後に浴室にあった秋恵の高価なシャンプーやコンディショナーを全部流し捨てる。夜遅く出て行った秋恵が帰宅し、ホッと胸を撫で下ろす貫多。

「肩先に花の香りを残す人」(『寒灯』収録)B 「東と西2」2010年7月

同棲1か月。後部座席に付着した男性用化粧品の匂いから秋恵がタクシーに内緒で乗ったことを当てるが、自分もタクシーを使っていたのだった。

「乞食の糧途」(『人もいない春』収録)B 『野性時代』2008年12月号

秋恵がパートに出だした頃の話。パート先の人間関係で悩む秋恵を大した事ないから早く晩ご飯の支度をしてくれと説得する貫多。ふと自身が20歳時の運送会社でのアルバイト時代に重ねる。食事の支度をし、冷や麦にポテトサラダを出す秋恵に対し、ひとくさり不満を並べ立てる。

「赤い脳漿」(『人もいない春』収録)B 『野性時代』2010年2月号

たまたま入った中華料理店を気に入り、秋恵のために出前を取ってあげたが、麻婆豆腐が苦手だと言う。その後、秋恵の過去のアルバムを見せられ、学生時代の秋恵の容姿に満足の念を覚えるも、少女時代の醜い顔付きを目にして劣情が萎える。意趣返しに先の中華料理店で再び麻婆豆腐を注文し嫌がらせをする。

「昼寝る」(『人もいない春』収録)B 『野性時代』2010年4月号

同棲二か月経過。秋恵がパートに出て一か月。風邪をひいたのにパートを休めないと頑張る秋恵を心配する貫多だが、いつまでも具合の良くならない秋恵に不満を爆発させる。

「てめえは一体、いつまで病んでりゃ満足するんだ!」
「一日二日のことならいざ知らず、こう五日も六日もどんより空気を汚されりゃよ、いい加減怒りたくもなってこようってもんだろうぜ。家ん中が、陰にこもって仕様がないじゃねえか!」


その後、秋恵の風邪は治り、貫多が風邪で倒れる。

「痴者の食卓」(『痴者の食卓』収録)『小説現代』2015年1月号

土鍋を買いたいという秋恵に付き合い、出かける寛多。土鍋ではなく電気式の鉄板焼きにも使える鍋を買って帰り、念願のすき焼きを始めるが……

「焼却炉行き赤ん坊」(『小銭をかぞえる』収録)A 「文學界」2008年6月号

一人称。秋恵が子どもを欲しがり、満たされぬ思いからか、犬のぬいぐるみを溺愛し出す。最後は貫多がブチ切れ、ぬいぐるみに報復。

「冗談言うな。こちとら十五のときから独立独行でやってらあな。親父なんざ何人目かの女性を襲って張り込んでた刑事に捕まったときに、そのうちのひとりを刺しやがったんだからなあ。それで初犯ながら実刑七年だぜ。『ウイークエンダー』でも面白おかしく取り上げられるし、加害者一家として夜逃げの憂き目は味わうしよ。おかけでぼくは未だに葛西橋から向こうに渡ることができねえよ。」

「下水に流した感傷」(『痴者の食卓』収録)『小説新潮』2014年9月号

ぬいぐるみを破壊したお詫びに金魚を飼うことにするが……

「廃疾かかえて」(『瘡瘢旅行』収録)A『群像』2008年11月号 

秋恵が友達の久美ちゃんに金を貸したことが気に入らず執拗に問い詰める。

「微笑崩壊」(『痴者の食卓』収録)『小説新潮』2015年3月号

行きつけの飲み屋に秋恵を連れていく貫多。その店で自分の女を異常に叱責している男を目撃し、秋恵に対する自分の姿を見る思い。後日また二人で同じ店に行くが、秋恵が店に部屋の鍵を忘れたり、アイロンの電気を切り忘れたかもと云う秋恵に、自分の大事な作家のコレクションが火事で焼失したらどうしてくれると怒りを爆発させ暴行。

「膿汁の流れ」(『瘡瘢旅行』収録)A 『群像』2009年6月号

同棲半年経過(2002年3月頃?)。秋恵の祖母が入院し秋恵が東北の実家に帰っている間に、秋恵から渡された生活費を使って豪華な外食や射精遊戯に興じる貫多。

「小銭をかぞえる」(『小銭をかぞえる』収録)A 「文學界」2007年11月号

清造全集を出す約束の出版社に支払う金を用意する為、旧友の山志名に借金を申し込むも拒絶さる。結句秋恵の父に、既に三百万円を借りているのに重ねて再度五十万円借りる。実際に必要なのは三十万円のところを二十万サバを読んでおり、秋恵から領収書を求められるとキレて暴行。第138回芥川賞候補作。

「人工降雨」(『痴者の食卓』収録)『新潮』2014年6月号

昨夜の秋恵への暴力暴言を反省するも、秋恵から両親へ借金の借用書を書くように言われ再び暴行。 

「畜生の反省」(『痴者の食卓』収録)『野性時代』2015年1月号

秋恵へのDVを古書店主の新川にたしなめられ反省するも、帰宅したら留守電に秋恵の父からの心配するメッセージがあり、秋恵が暴力をふるわれたことを心配し、すぐ帰ってこいという内容だったため、帰ってきた秋恵に暴行を加えるべく待ち構える貫多。

「邪煙の充ちゆく」(『無銭横町』収録)B 「文學界」2014年3月号

11月中旬。貫多は秋恵が煙草臭くなるのを嫌いベランダで喫煙することを決意するも、秋恵はしきりに部屋で喫煙してもよいと勧める。「あたし、もう免疫ができてるし……」との一言に秋恵の前の男の影を見て不貞腐れ、寝室で喫煙を始める貫多。

「寒灯」(『寒灯』収録)B 「新潮」2011年5月号

年の瀬、秋恵が実家に帰省しようとするのを無理やり止めさせる。
年越しそばのおつゆが薄すぎると激怒し、出て行けと怒鳴る。
直後に寝室で姫はじめを誘う貫多を拒絶する秋恵。

「どうで死ぬ身の一踊り」(『同』収録)A 「群像」2005年9月号

2002年1月。藤澤清造の法要へ行く前に秋恵と喧嘩して飛行機に乗り遅れ、空いた時間潰しに大田区萩中にある母方の墓へ二十年ぶりに訪れる。七尾から戻ってから再び大喧嘩し、秋恵は東北の実家へ帰る。電話をかけ繰り返し哀願して翌日実家近くの駅を訪れ、翌々日に連れ帰る。
その後、カツカレーを食べているところを「豚みたい」と言われ、カレーを部屋中にぶちまけ、秋恵の髪を引っ掴んで、椅子ごと床に倒し込み、肩や腿に足蹴を食らわせ、それがふいに横腹に深く入ってしまう。凄まじい悲鳴をあげた秋恵に、どうせ小芝居だろう、とさらに肩の近くを蹴りつけた貫多だが、尋常ではない切迫した声で苦しむ様子に怯む。秋恵は救急車を呼んでくれと頼むも、明日から七尾の清造の菩提寺に貫多の生前墓を建てた記念行事があり、救急車を呼んだら自らの暴行が原因とバレて警察沙汰になってしまうため、呼べないと言い含め布団を引いて寝かせる。第134回芥川賞候補作。

「うるさい。何がチキンライスだ、チキンなんて入ってやしないじゃないか」

「棺に跨がる」(『棺に跨がる』収録)B 『文學界』2012年5月

七尾の清造の菩提寺で貫多の生前墓を祝う行事の間にも秋恵から携帯に連絡がないことに冷や汗をかきつつ帰宅。整骨院に行きコルセットを巻いて横になる秋恵の憮然とした態度が気に入らず、いっそ秋恵の親から借りた金で豪遊してしまおうと決め、手始めに鶯谷の「信濃路」に向かう。

「脳中の冥路」(『棺に跨がる』収録)B 『文學界』2012年7月

棺に跨がるの続き。同棲九か月(2002年6月?)。コルセットが外れた秋恵の機嫌を取るため野球観戦と焼肉に連れ出すも、タクシーで帰る帰らないで揉めて喧嘩。既に秋恵の心は貫多から離れている。

小心で、根が至ってモラリストにできてる貫多は小声で制止したが、秋恵は彼の叱呵なぞまるで聞く風もなく、「お肉なんて、今のあたしの体には毒以外のなにものでもないわよ! あんたはいっつも、そうだもんね」「……云うなっ」

「瘡瘢旅行」(『瘡瘢旅行』収録)A 『群像』2009年4月号

2002年7月頃。酒屋の配達の女の子にセクハラ発言をして秋恵に窘められ逆ギレ。その後、古書を買いに岐阜へ行くのに無理やり同行させる。首尾よく古書を入手できたことに得意満面の貫多だが、その三か月後に秋恵は出て行くことになるのであった。

「豚の鮮血」(『棺に跨がる』収録)B 『文學界』2012年11月

猛暑。カツカレー事件から約3か月が経ち、カツカレーを作り復縁を諮るも喧嘩。ツナを入れて「江戸川カレーだ」と言ったのを「……気持ち悪い」と一蹴される。最後は逆ギレ。もう秋恵の心は貫多に対して冷め切っており、パート先の男と浮気していた。

「一夜」(『どうで死ぬ身の一踊り』収録)A 「群像」2005年5月号

秋恵が貫多の校正仕事を手伝うも気に入らず叱る。仲直りのため池袋のデパートで秋恵の好物の蟹を買ってきたが、まったく喜ばない秋恵の態度が気に入らず再び暴行。家を飛び出した秋恵を貫多が追う。

「まだ、手離せねえ。
 今はまだ、手離せねえ。
 涙さえ浮かべ、薄明りの蒼い視界の先を、ひたすら足早に歩いていた。」


「破鏡前夜」(『棺に跨がる』収録)B 『文學界』2013年2月号

2002年10月。やけに機嫌よく貫多を七尾の清造の菩提寺に送り出す秋恵。翌日貫多が部屋に戻ると、秋恵は姿を消し、秋恵の私物はすべて運び去られていた。テーブルの上にはメモが残されていた(以下全文)。

<いろいろ考えたけど、やはりもう無理です。短い間でしたがありがとうございました。私は実家にはもどりません。お金は、必ず父に返してください。このことでは、そのうち父から連絡がいくと思います。>
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2021/4/5 | 投稿者: pdo

西村賢太の私小説を時系列に並べたメモ。個人的な備忘録で、随時訂正更新予定。

<秋恵以前>

「跼蹐の門」(『歪んだ忌日』収録)A

16歳(昭和58年6月)。三か月前に中学を卒業し、鶯谷で独り暮らしを始めた貫多。上野の海産物屋でのアルバイトを見つけるも前日の深酒により初日に寝過ごしてしまい、いきなりクビ。

(―生きて、いけるんだろうか?)
項垂れつつ胸中で呟いた貫多は、向後これからの、自身の人生の先行きに、何かとてつもない不安と畏れを抱くのであった。


「潰走」(『二度はゆけぬ町の地図』収録)

16歳(昭和58年1983年10月)。雑司ケ谷の鬼子母神に程近い四畳半に引っ越す。初月から1万2千円の家賃払えず、老家主から最初の好々爺然とは別人の顔で厳しく取り立てられる。老家主は貫多から脅迫されたと警官に訴えたりして、4カ月で出て行くことに。椎名町の三畳間に移り住み、特産品の食品訪問販売のアルバイトに就くが、老家主のアパートの地区に販売に行った帰り大学生の佐々木と喧嘩してそのバイトもクビ。

「貧窶の沼」B(『二度はゆけぬ町の地図』収録)

17歳(昭和59年1984年夏)。赤札堂でナンパした佐久間悠美江と交際するも数回会って終了。浅草の酒屋の配達の仕事に就いたが、勤めて1か月しないうちに前借りを2回、遅刻や無断欠勤をし、足の臭さの苦情が来ていると店主から苦情を言われるなどし、悪態をついて自分から辞める。その四か月後、酒屋の店主に500円の交通費を借りに行くと、3000円を握らせてくれた。それを握りしめて牛丼屋で二杯の大盛りを夢中でかき込むと、母の克子のところへ年越しの費用をせびりにゆくのだった。

「馬鹿野郎、てめえの股ぐらの方がよっぽど臭せえわ! 何が、あった、だ。何が、これが現実、だ。そんな台詞はてめえのとこの、その鍵がぶっこわれた監獄みてえなバカ親に向かってほざきやがれ! てめえの娘の、さんざやり散らかしている現実も知らねえでよ、しつけが厳しいが聞いて呆れらア。せいぜい親の目盗んで、今度はそのイカモノ食いの先輩とやらとハメまくってろい」

「蠕動で渉れ、汚泥の川を」(『蠕動で渉れ、汚泥の川を』収録)

17歳(昭和59年末)。御徒町の洋食屋に5ヶ月勤務。悪事を働き過ぎクビ。このスタートの7ヶ月前に椎名町から鶯谷へ転居(3度目の転居)。酒屋をクビになって4ヶ月後。佐久間悠美江と別れて5ヶ月後。

「瓦礫の死角」(『瓦礫の死角』収録)

17歳の春。勤務していた洋食店を馘になり、母親の住む家に金の無心に行く。

「病院裏に埋める」(『瓦礫の死角』収録)

瓦礫の死角の続き。母親宅を出た後に駅ホームの立ち食いそば屋に勤務。駅構内で目にする女子大生に恋するが声掛けすらできず。五十代独身男性の天崎にアパートへ遊びに来るよう誘われて逃げる。

「人もいない春」(『人もいない春』収録)

17歳(昭和60年4月)。水道橋の製本所で自分だけ雇用期間更新をしてもらえず、夜に鶯谷に飲みに行き、立ちんぼやタクシー運転手に喧嘩を吹っかける。

「どうで五十年も六十年も、おめおめ生きていようってわけじゃねえんだ。いよいよ駄目となりゃあ、そんときは野垂れ死にしたっていいんだ。まあ、なるようにしかならねえのさ」
 貫多は口にだして呟いてみて、その芝居がかった素振りと陳腐な言い草にひどい気恥ずかしさを覚え、ぺっ、と唾を吐きとばした。


「腋臭風呂」(『二度はゆけぬ町の地図』収録)

18歳(昭和60年1985年)。「私」は六度目の転宿先である飯田橋の四畳半(厚生年金病院の裏手辺のアパート)で日雇いの港湾人足をしながらゴロゴロする日常を送っている。一日おきに神楽坂の中腹に近い大久保通り沿いの銭湯に通っていたが、近場に別の風呂屋を発見し、空いている時間帯(午後十時ころ)に利用するようになる。ある日、四十前後の銀縁眼鏡をかけた、昆虫じみた雰囲気の小男が入ってきたが、すぐに腋臭と分かる強烈な悪臭を放っていた。この男と屡々鉢合わせするようになり、こっちは先方の悪臭については半ば諦めていたのだが、男の方は風呂上りに煙草をふかす私の煙や匂いに嫌悪感を示した。
その20年余り後の現在。同棲相手に逃げられ、四十に手の届く中年男となっていた私は、原稿料を受け取り、女を買いに行く。ラブホテルのエレベーターから出てきた男女から発する腋臭の匂いに思わず遠い昔の腋臭風呂の強烈な記憶がよみがえる。自分の部屋に入り、数分後にやってきたのは、先程エレベーターから出てきたのと同じ女の子で、その彼女が発散していた体臭は紛れもなく、濃度強力な腋臭の香りであった。

 出口のところで女と別れ、いつもの要心でひとつ先の都電の停留所に向かうべく、薄暗い路地から路地を歩いてゆく私の足取りは重かった。
 つくづく、普通の恋人を欲しく思った。
 そしてその私の胸には、また往年のあの感情が、何かの呪文であるかのようにして思い出されるのだった。浮世とは、他人の耐え難きものを耐えての、果てなき行路のことであったか、と。――――


「苦役列車」(『苦役列車』収録)『新潮』2010年12月号

19歳(昭和61年1986年)。港湾(昭和島や平和島などの冷蔵物流倉庫)での人足仕事で生活費を稼ぎ、足りない分は母親の克子にせびりに行く生活。現場で一緒になった同年輩の日下部という男と話をするようになり、初めて友人と呼べる人間ができる。毎日出勤する日下部に倣って貫多も毎日仕事に励むようになり、生活にも若干の余裕が生まれる。一緒に酒を飲んだり風俗に行ったりと楽しく遊ぶ仲にもなる。貫多は四か月分の家賃を滞納し、飯田橋の部屋を出て板橋の三畳間に転居。転居費用5万円を日下部から借りる。専門学校に通う日下部はコンパなどにも勤しんでいるようだが、貫多には声をかけない。やがて日下部には女子大生の彼女ができて、貫多の懇願により三人で野球観戦に行き居酒屋に入るも、貫多は日下部ら二人との間に越えられぬ壁を感じてしまう。が、それでも貫多は、日下部の彼女(美奈子)に向かい、何か病的な神経でもって、今度女友達を是非に紹介してくれるよう何度もしつこく懇願するのであった。このときの酔態が原因で、日下部との間に距離ができる。やがて日下部は人足のバイトを止め、貫多も現場の上司を殴りつけてクビになる。その後日下部は美奈子と結婚し、郵便局に勤めだしたとの連絡を受ける。

(さんざ泳ぎに明け暮れて、いい気に上京遊学を謳歌して、小説がどうの演劇がどうのなぞ、頭の悪りい文芸評論家や編集者みてえな生っ齧りのごたくをほざいてたわりには、結句大した成果は見せなかったな。所詮、郵便屋止まりか――)

 と、一人毒づき、日下部を大いに嗤ってやった貫多だったが、彼もまた誰からも相手にされず、その頃知った藤澤清造の作品コピーを作業ズボンの尻ポケットにしのばせた、確たる将来の目標もない、相も変わらずの人足なのであった。

第144回芥川賞受賞作。

「ヤマイダレの歌」(『ヤマイダレの歌』収録)

19歳。クリスマス。横浜の造園会社。事務員の女に一目惚れして2度の飲み会で暴言を吐き3ヶ月でクビ。

「菰を被りて夏を待つ」(『無銭横町』収録)

20歳直前。昭和62年2月に再び東京に戻り要町へ転居。横浜時代に知った田中英光への想いと払いたくない家賃について。藤澤清造とも出会う。  

「陋劣夜曲」(『羅針盤は壊れても』収録)

20歳。肉欲の希求を語り、箸にも棒にもかからない現状を打破すべく年末に青果市場にて短期間のアルバイトをするも、大八車の車輪で足を踏むという事故を起こし、アパートの家賃も滞納して家主に毒付き、更にはアパートの住人と一触即発。

「無銭横町」(『無銭横町』収録)

20歳(昭和62年1987年10月)。要町のアパートの家賃を七カ月滞納し、町田在住の母親へ無心するも失敗。古本屋で本を売って得た百円で塩ラーメンを買い、ビニール袋に入れ水につけて食べる。田中英光の肉筆書簡の内金を返してもらおうと古書店に入るもプライドを傷つけられ断ってしまう。已むに已まれず田中英光の全集を1万2千円で古書店に売って部屋に帰ると、ポストに入っていた古書即売展の目録に<嘘と少女 田中英光 真善美社 初版 八千円>の文字を見つけ、抽選に応募するために官製はがきを50枚買って購入哀願の文面を書きつけるのだった。

「寿司乞食」(『夜更けの川に落葉は流れて』収録)
21歳の5月。築地市場で1日働き、その日の歓迎会で酔い潰れて翌日欠勤。

「羅針盤は壊れても」(『羅針盤は壊れても』収録)
23歳。「蔵乃味噌」における味噌の訪問販売(押し売り)。そこでは貫多以上にダメな奴、ずるい奴、権利主張し過ぎる女子との様々な人間模様。藤澤清造作品との最初の出合い。私小説を初めて書いてみる。

貫多は、どこかで田中英光を知っている自分≠誇りに思う気持ちがあった。かの創作世界を彷徨していると云う一点で、件の同級生に対する劣等意識を僅かに掻き消すことができた。(中略)所詮、その者たちは現時田中英光の私小説を知らず、おそらく向後も一生知ることがないまま朽ちることであろう。

 私小説は書く者自らを中心人物として据えている。そして優れた私小説は、そんな赤の他人のどうでもいい人生の断片を一見無造作にもプリミティブにも装いつつ、しかしその実は細かく効果が考え抜かれた、心憎いまでの上手い見せかたで提示している。そして、それがたまらなく面白い。
 結句それらは、思いきり端的に云えば、ひどく自己愛が強いように見せかけて、実際はえらく突き放しているのだ。この相反する二つのものが程良い塩梅で配合されているから、そこに妙味も生じているのだ。
 当然それは、多分に技術的な面に与るところも大であろうが、そこに至る、客観に徹した境地と云うのも不可欠であるに違いない。
 その境地を得ていない今の彼に、面白い私小説なぞ書けるはずがないのだ。


「夜更けの川に落葉は流れて」(『夜更けの川に落葉は流れて』収録)
24歳(平成3年)。警備会社のアルバイトで梁木野佳穂と出逢い交際。別れた後の年末、引越のアルバイト。

「春は青いバスに乗って」(『二度はゆけぬ町の地図』収録)

25歳(平成4年1992年3月)。居酒屋バイトでホールの主任酒井とトラブルになり、辞める日に追いかけて暴行したところ駆け付けた警察官を殴って逮捕勾留。刑事の取り調べ。当番弁護士を呼ぶ。留置場生活。護送の青いバスに乗って検事調べ。帰りのバスの中から隅田公園の桜が見える。勾留12日目に略式命令で釈放される。罰金10万円。2週間後、何とか稼いだ金で罰金を納付した足で警察署に向かい、漫画雑誌や週刊誌を差し入れるが、同房の顔見知りは皆移送された後であった。

「バケツの横の台に、煙草の太さよりちょっと大きい穴が五、六十もあいた木函が置いてあり、そこに看守の預かっている各人の煙草が剣山のように突き立てられていて、穴の前に白墨で書かれている番号は自分の点呼時の番号に該当し、例えば私なら十四番と書かれた二つの穴にさされた、二本の自前煙草がその日の割り当て分である。」

「その後、私は何度か路上で、あの青いバスを見ることがあった。その度に金網をはった窓の向こう側に目を注ぎ、あの中でみた満開の桜の色を思い起こすのが常だった。
 罰金の為の金稼ぎには懲りたが、留置場自体はそれ程苦痛でもなく、罪の点では余りにも無反省だった私は、結句それが災いし、後年また同じような罪状で再びあのバスの乗客になるとは知らず、そのときはバカのように微笑みながら、走り過ぎるそれを振り返って、いつまでも見送っていた。」


「墓前生活」(『どうで死ぬ身の一踊り』収録)

藤澤清造の墓標を新宿一丁目のアパートに貰い受けるまでのいきさつ。

「けがれなき酒のへど」A(『暗渠の宿』収録)

31歳(平成10年1998年)。しみじみ女が欲しい貫多は、恵理というソープ嬢と交際しようと目論み、通い詰めるも他愛無い会話だけで帰るというのを7,8回続け、やがて二人で外で食事もできるようになる。借金が80万あると打ち明けられ、貫多がそれを肩代わりすることで今の仕事を辞め交際する約束を取り付ける。携帯を持っていないという彼女のために貫多の名前で契約した携帯も買い与える。店を辞める日、いったん隅田川に面した高層ホテルで落ち合ってから、恵理が店に退職の挨拶に行き、再びホテルに戻り、そこから群馬の温泉宿へ小旅行する手筈であったが、高層ホテルから店へと向かったはずの恵理が再び戻ることはなかった。そんな顛末の後、三年前の春から訪れている能登七尾の寺で副住職夫妻にご馳走になった後、珍しく酔って草むらでへどを吐く。


「うるせえ、そんなの知るか。第一落度って、おまえなんか見た目からして落度そのものじゃねえか。きったねえ顔しやがって」

「と、云って借金の肩代わりをする替わりにぼくとつきあってくれ、なんて云う意味じゃないんだよ。それじゃ汚らしい援助交際と、何ら変わらないものね」
「……それはわかってる」
 いや、そこはわかられても困るんだ、と本当を云うと当然これを機に今後つきあってもらいたい気持ちの私は少し慌てた。

許容範囲をはるかに超えるとてつもない匂いが立ち上り、これにはさすがの私も埋めかけた顔をそらして息をとめてしまい、もはや口唇での再接触を断念した程であった。


「二十三夜」(『人もいない春』収録)

32歳(平成11年)。神保町の古本屋でコーヒーの出前に来た20歳位の女性に片思い。ビール券をプレゼントしたところ喫茶店店主を通じて返却され恋は終わる。その後、古書店主の新川に女性を紹介してもらい、仲良く飲んでいたのだが、ふられたと勘違いした貫多は「―何んだよ、こんな糞ブスにまで、フラれてしまうのかよ」と暴言を吐く。その翌日、紹介してもらった自称女優の女に呼び出され、実はその女性が、貫多とちゃんとおつき合いするつもりでいたと聞かされる。

「じゃ、ぼく、今あの子に電話をかけて謝るよ。それでもう一度会ってくれるよう頼んでみるから、すまないけと、ちょっと彼女の番号を教えて」

「ナメたこと言ってんじゃないわよっ!」「二度とあの子に、ちょっかい出してくんじゃねえよ!」

その貫多の歪んだ悲願の束の間の成就は、これより更に数年の月待ちを経てた、或る中華レストランに於ける、そこの六歳下のウエイトレスとの邂逅を待たねばならなかったのである。
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2021/4/1 | 投稿者: pdo

西村賢太の『どうで死ぬ身のひと踊り』を図書館で借りて読んだら滅法面白かったのでブックオフで『小銭をかぞえる』も買って読んだ。同棲相手とのDVがらみの愛憎模様を作者の昭和初期の私小説作家・藤澤清造への偏愛ぶりを織り交ぜながら描く私小説。男の情けなさが赤裸々に描かれていて、女性から見たら完全にアウトな内容だと思うが、一旦この作家の世界にハマると次から次に読みたくなって病みつきになる。

というわけで図書館でさらに二冊借りる。芥川賞受賞作で映画にもなった『苦役列車』はそれほど面白いと思った記憶がないのに、評論家・小谷野敦の言う通り、この人の作品でいいのは「秋恵もの」だろう。だが、これも小谷野敦の言う通り、芥川賞後も同じネタを使いまわすのは止めて父親のことを正面から書くべきではないかという指摘も正しい気がする。

『廃疾かかえて』『棺に跨がる』などの「秋恵もの」を読みながらのBGMはぼくの場合、稲垣潤一、ではなくて、エチオピアン・ジャズのMulatu Astatqe が凄く合う。

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タグ: 稲垣潤一

2021/3/29 | 投稿者: pdo


「交通誘導員ヨレヨレ日記」柏耕一

うちの息子が交通誘導員のバイトを始めたので読んでみた。著者は最底辺と自虐的でキツめのエピソード中心に書かれているので大変そうに思えるが息子の話だと必ずしもすべての実態を反映しているわけではないようだ。例えば昨年からはコロナの影響で仕事を失った人が日勤夜勤ぶっ続けで働くというケースが増えているとのことで、それはこの本にはまだ書かれていない。

「スティル・ライフ」池澤夏樹

第98回芥川賞受賞作。1987年。株取引の話が出てきたり、バブルの世相を反映しているような。昔読んだ記憶があり中身は完全に忘れていたのだが、冒頭の「チェレンコフ光」の会話のくだりが記憶に残っていた。笑っちゃうくらい気障な会話。トレンディドラマみたい。ストーリー自体もたいして面白くはない退屈な小説。

「尋ね人の時間」新井満

第99回芥川賞受賞作。1988年。バブル真っ盛り。オシャレなフォトグラファー(バツイチ)が若いモデルに誘惑されるが5年前から原因不明の不能で…みたいな、イケイケの世相の裏にある都会生活者の孤独と寂寥みたいなのがテーマ?とすれば安直すぎるか。当時流行ったトレンディドラマみたい。退屈な小説。

「ダイヤモンドダスト」南木佳士

第100回芥川賞受賞作。過疎化する農村と病院が舞台で、作者は医師でもあるとか。当時読んだ記憶があり中身は完全に忘れていたのだが、アメリカ人宣教師の病床での様子や院長が家族と自転車に乗る練習をしているというくだりが記憶に残っていた。これはいい小説だと思った。古井由吉が選評で、ラストの「二つの死」は時差をつけて書いた方がよかったと言っていて、確かにそうだなと思った。

「間食」山田詠美

講談社文芸文庫「深淵と浮遊 現代作家自己ベストセレクション」収録作品。(下の二作品も同じ)
山田詠美の小説は初めてなので気合を入れて読んだが若干肩透かし。確かに文章は巧いし読者を引きこむ語り口も堂に入ったもの。一篇の作品としてきちんと成立している。
しかし個人的に登場人物にリアリティを感じない。特に主人公の職場仲間のちょっとなよっとした男。鳶職の現場にそんな奴いねえよ。

「胞子」多和田葉子

「独特の世界観」で、鳥居みゆきを純文学にした感じ・・・って、ノーベル賞候補作家の小説に対してなんというチープで浅薄な感想なんだろう。でも実際そう感じたんだもの。

「瓦礫の陰に」古井由吉

この人も大江健三郎みたいに、わざと分かりにくい文章に書き直したりしているのだろうか。この文章世界に入って行ける人にとっては得難い読書体験となるのかもしれない。
でも純文学ってこういうもんだよなあ。

「十九歳の地図」中上健次

尾崎豊のアルバムではない。宇佐美りんの「推し」作家の「伝説の作品」。ひたすらむさ苦しい若者のマスターベーションを見せつけられているよう。時代の空気を濃く感じる。今で言うとNHK集金人の若者あたりが主人公になると思うし、それは読んでみたいが、今こういう作品を書く若手男性作家はいないのだろうか? 

「墓前生活」「どうで死ぬ身の一踊り」「一夜」西村賢太

すごく面白く一気に読んだ。これは大当たりであった。第144回芥川賞受賞作「苦役列車」を読んだときにそんなに面白くなかった記憶があったのだが、新潮文庫のこの三作品はすごい。こんなに面白いんならもっと早く言ってよ(誰に言ってる?)。私小説ってこういうものだよなあ。きちんと作品として成立していなければただの愚行(ていうか犯罪)記録。同性相手の女性が自分の中で具体的にイメージでき過ぎて余計にリアル。稲垣純一って(笑)。

「小銭をかぞえる」西村賢太

あんまりおもしろかったんで別のも買っちゃったよ。こういうのと気取ったトレンディドラマみたいな嘘くさい小説を一緒にしちゃいかんよ(誰に言ってる?)。
でも、もうこのパターンはいいかな。「秋恵もの」はまだまだあるらしいのだが・・・

「蹴りたい背中」綿矢りさ

伝説の第130回芥川賞受賞作。当時はまったく関心がなく、実に17年経って初めて読んだ。
まぎれもない天才の作品。あんなルックスの少女がこんな純文学青春小説を書いたらそりゃ超話題になるよね。誰もがそうだと思うが、この人が10年後20年後30年後にどんなものを書くのかにすごく興味がある。

「意識のリボン」綿矢りさ

というわけで2017年に出たこの本を読んでみることにした。短編集で冒頭の『岩盤浴にて』は面白かった。それ以外は、うん、まあまあ。天才なんだから、もっとすごいものを期待してしまう。なんて読者はどこまでも無責任。
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