2021/10/25 | 投稿者: pdo

松村雄策の尊敬している早川義夫の短いエッセイが彼のHPに載っているので読んでみる。ひとつひとつ宝石のように光る文章だと思う。松村雄策のことも出てくる。

松村雄策は早川義夫を尊敬していて早川義夫はつげ義春を尊敬していてつげ義春は島尾敏雄を尊敬している。全員に共通なのはいらやしいことが大好きだということだ。それは男ならみんなそうか。「人並外れて」という形容詞をつけるべきかもしれない。

本当に好きならば、相手の気持ちを尊重し、ちゃんと空気を読み、距離を保たなければいけない。これだけ優しくしているのだから、相手も同じ優しさで返すべきだなんて主張する人は、実は人を好きなのではなく、自分だけが好きなのである。距離感さえ間違わなければ、人と人は誰とでも仲良くなれる。

早川義夫「心が見えてくるまで」より


この本は2015年に出版されたもので、早川義夫は1947年生まれだから七十歳近い頃に書いたものと言うことになる。それでも朝立ちのことやセックスのことが若者と同じ分量の情熱で書かれていてそれはすごいと思う。伊達にジャックスはやってなかった、伊達に「マリアンヌ」や「お前はひな菊」は歌っていなかったということだろう。

松村雄策が「もっとも優れた小説家」と呼ぶ佐藤泰志の小説を読んでみたいと思い近くの図書館に唯一あった十七歳の時に書いたという戦争小説を読む。もちろん若さゆえの未熟さとか甘さはあるにしても、十七歳でこれだけヘヴィーな題材を扱った作品をかけるのは凄いと思った。芥川賞に五回候補となりながら取れなかった悲運の作家で、四十一歳で自殺している。映画化されタイトルだけは聞いたことのある「そこのみにて光輝く」や「君の鳥はうたえる」など最近になって復刻され再評価されているようだ。


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2021/10/1 | 投稿者: pdo

松本清張の力作『昭和史発掘』(文春文庫、新装版、全9巻)を読んでいるが、面白い。

この作品は折に触れて何度も読み返しているが、読み返す度に新たな発見があり興味深い。

彼が週刊文春にこのシリーズを連載し、ちょうど二二六事件について筆を進めていた最中に、三島由紀夫の自決事件が起きた。

松本清張と三島由紀夫の間には禍根がある。

新潮社の日本文学全集シリーズの編集委員をやった三島は、収録作家の中に清張を入れることを頑なに拒んだ。川端や谷崎に説得されても意思を曲げなかった。理由は、「清張のどこに文体があるのか」という抽象的なものであった。

三島には、自分の感性に反するものを極端に毛嫌いするという悪い癖があって、深沢七郎が出てきたときにも小島信夫に対しても、当初は評価していたが、後に気持が悪い、理解できないといって毛嫌いしている。

清張の場合は、美学的に気に入らないというより、通俗小説であり、芸術至上主義的な観念小説を文学のあるべき姿と思いこんでいた三島の一方的な拒絶であった。

このことを伝え聞いた清張が、心穏やかであったはずはない。三島事件の後にコメントを求められた清張は、自殺の原因は「才能の枯渇」であると切捨て、自決前の檄文は二・二六事件の磯部浅一が書いた文章の模倣であり、現実生活能力のなかった三島は観念小説に走らざるを得ず、自らの観念の虜になって「ミイラ取りがミイラになった」のだと激烈に批判した。

深沢七郎も小島信夫も、三島の死に対しては非常に冷ややかな見方をしているが、清張にはそれを超えた怨念が感じられる。

清張は作家としてデビューするまでの自叙伝『半生の記』も書いているが、これも遅咲きの作家のルサンチマンが濃密に込められていて、大変興味深い作品である。

『昭和史発掘』の中には、芥川の自殺、小林多喜二の虐殺、谷崎潤一郎と佐藤春夫の夫婦譲渡事件などの文学史的事件も取り上げられていて、それぞれに清張の見解が縦横に述べられているのが見ものである。事実というものに徹底してこだわる一方で、未発見資料などを駆使した客観的事実の羅列の中に主観的な推理を滑り込ませ、読者を(悪い表現を使えば)洗脳してしまう、見事な〈松本清張ワールド〉が堪能できる。

松本清張がもし今、生きていたら、二十世紀末から二十一世紀初めの日本社会についてどんなものを書くのかに興味がある。幻の「平成史発掘」を妄想するのは愉しい作業である。

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2021/9/18 | 投稿者: pdo

谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』を青空文庫でダウンロードし、それをワードにコピペし、原文のカタカナをひらがなに打ち直す作業に没頭している。こうすることで、あの読みにくいカタカナの文章を読み易くすることができるだけでなく、単純に読むよりも文章が頭に入ってくるし、谷崎の文章の雰囲気やリズムといったようなものを何となく体で感じることができるというメリットもある。この作業を通して分かったのは、谷崎の文章は決して癖のある新奇なものではなく、むしろまったく逆で、きわめて平易な分りやすい文章だということだ。これは、耄碌した老人の身辺雑記というこの作品そのものが要求した文体なのかもしれないが、それにしても、ドロドロした官能とマゾヒズムの世界、という作品世界の一般的なイメージとはまるで異なる、サラサラした清流のような文章なのである。同時にこれは非常に高度の知性によって書かれた文章であるということも分る。今でこそ老人の倒錯した性愛を描く小説や映画やドラマは巷にあふれるように存在するが、当時の社会通念からすると飛んでもない逸脱した世界観を表現するのに、読者になるべく抵抗のないやり方で、よどみなく小説の中に引き入れるというのは、きわめて用意周到かつ洗練された作品構造とスタイルを必要とする。これをあっさりと成し遂げている手腕はやはり只者ではない。

だがずっと打ち込んでいると手が疲れる。原稿用紙に手書きすればもっと疲れるだろう。尤もこの作品は殆ど口述筆記によるものだが、それでも小説を書くというのは体力の要るものだと感じる。八十歳近くでこれを書いた谷崎はやっぱり凄い。自分にはとても無理だ。そもそも八十まで生きるとは思えない。まともに仕事できる体力のあるのはせいぜいあと十年くらいだと思う。何とかそれまではそれなりの収入を得たいのだが、インボイス制度や何やらで国家に搾取される金額もどんどん増えそうだし、このままいけば何とか破産せずにぎりぎりやっていくだけで精一杯にしか思えない。
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2021/9/14 | 投稿者: pdo

大阪に住んでいた頃の子供部屋の本棚に親の本も並んでいて、その中に赤い函に入った日本文学全集があり、中高生の頃に太宰や芥川、谷崎などをそれで読んだ(今調べたら新潮社のだった)。全巻揃っていたわけではなく、覚えているのは、上に挙げた三人のほか、森鴎外、横光利一、林芙美子、川端康成などだ。多少熱心に読んだのは太宰くらいで、あとはあまり記憶にも残っていない。親の蔵書としてはほかに松本清張や高木彬光などの推理小説、司馬遼太郎や海音寺潮五郎の歴史小説集などがあったが、それらはほとんど読まなかった。

谷崎は「蓼食う虫」と「卍」を読んだ記憶がある。どちらも面白かったが、のめり込むほど引き付けられはしなかった。谷崎と言えば官能小説、そして東灘区に住んでいた神戸の祖父のイメージが被った。小説は正直よく分らなかった。

小説にのめり込んだのは大学に行く直前にドストエフスキーに出会ってからで、元々文学少年の素質はないし、文章を書くのが好きだったり上手だったりしたわけでもない。通っていた中学高校(一貫制)で毎年文集を発行していたが、自分は文系で成績もよかったがあまり採用された記憶がない。文学的な感性というものに欠けていたようだ。文章の才能や文学的センスというのはやはり存在するもので、小説家になるような人には当然それが備わっているし、一流の、文豪と呼ばれる人であればなおさらである。その代表が谷崎潤一郎のような作家であろう。小説家になれるのは、内容がなんであれ、面白い文章を書ける人である。物語を作る能力も大事だが、文章自体の魅力がないといけない。特に純文学というジャンルでは、文体が何よりも重視される。単に文章がうまいというだけではなく、その作家の体臭が沁み込んだような特徴のある文章が書けないといけない。もちろん文章の才能がそれほどなくても立派な作品を残す作家も沢山いる。ハッキリ言えば小島信夫などはその典型ではないか。まああれはあれで特殊な才能と言えるだろう。大江健三郎に文章の才能があるか、と言われれば、谷崎とは違う意味で、やはりあるのだと思うし、好みはともかくとして、村上春樹にも文章の才能はあるに違いない。しかし文体論という話になってくると迷宮入りするので打ち切った方がいいだろう。

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2021/9/13 | 投稿者: pdo

週末は紀伊國屋で買った小谷野敦の谷崎潤一郎伝を読み、図書館で借りた晩年の谷崎の秘書伊吹和子『われよりほかに』も読む。小谷野は基本的に辛口批評だが谷崎のことは尊敬しているとはっきり書いているし、ほとんどのエピソードを肯定的に解釈する書きぶりからもそれは明らかだ。谷崎の小説にはほとんど関心がなかったが、彼の生涯の概略を知ることができたのはよかった。

その後で読んだ伊吹の回想録は非常に面白かった。著者は京都大学の国文科にいた時に中央公論社に声を掛けられ、谷崎版源氏物語の口述筆記のための筆記者として京都の谷崎の自宅書斎で仕事を始め、夏は熱海の別宅にもついて行く。谷崎のワガママな仕事ぶりや、休みの日にも東京での買い物や用事を言いつけられたりするのに辟易したり、谷崎の人間的な欠点を率直に指摘する一方で、谷崎の秘書が務まるのは自分しかいないとの自負も感じられ、書斎での緊張した仕事の様子、松子夫人や入れ替わり立ち代わり現れる大勢の女中たちの様子など、著者にしか書けない第一級の資料となっている。あとがきには、三島由紀夫が自決する一か月前に、著者に向って、早く書きなさい、早く書かないと間に合わない、と叱咤激励した話なども書かれている。中央公論で編集者として勤め上げただけあって、作品分析も鋭く、従来の伝記や研究の間違いを指摘したり、間近にいた著者だから知る事の出来た事実に基づく仮説など、研究者が読んでも興味深い内容と思われる。

伊吹女史が谷崎のもとを訪れたのは二十五歳のときで、谷崎から見れば若い女性として性的興味もあったに違いないが、ひたすら谷崎の右腕に徹しようとする知的で真面目な姿勢は、谷崎にとっては些か物足りなかったようであり、伊吹が最も有能な秘書であることは認めながら、いつも代りになる秘書を探している。住込みの若い女中に代筆をさせようとするが、教養が足りなくてうまくいかない。谷崎はそのへんの苛立ちを(理不尽に)伊吹女史にぶつけたりもする。松子夫人も、伊吹女史の有能さを認め、来てくれるよう懇願するのだが、一方で誰よりも谷崎と親しく共同作業する伊吹女史の姿に嫉妬の念も抱かずにいられない。そうしたアンヴィバレンツが谷崎の家にはいつも充満していて、伊吹女史は天然なのか硬すぎるのかその空気には鈍感であり、出入りしていたもう一人の秘書小瀧(男性)から指摘されてようやく気付く有様である。谷崎の秘密に最も通じていたと思われる担当編集者の小瀧は、ある日電話で谷崎に怒鳴りつけられ、出入禁止となる。その直後に谷崎は体調異変で倒れる。小瀧宛の手紙や小瀧によるメモが公開されていないため、何があったのかの真相は今日まで明らかになっていない。

青空文庫からワードにコピペした「鍵」を読んでみたが、変態心理サスペンス純文学? カタカナ日記が読み辛いが、まあまあ筋が凝っていて面白く読める。失敗作との声もあるようだ。フランス語版が出て評価されたとか。何度も映画化されている。猥褻か文学かという記事が週刊誌に出て国会まで呼び出される騒ぎになるのを恐れた谷崎がプロットを変更して本来書きたかった描写が書けなかったという。伊吹和子が筆記したのは一部分に留まるらしい。

伊吹和子によると、晩年谷崎は人間の男女が猫に化けて同性愛行為をするという小説を構想していたという。猫や犬はたくさん飼っていたが、えこひいきが激しく、好まなくなると碌に世話もしなかった(世話するのは専ら女中だが)。松子夫人と同居していた妹重子、松子の連れ子の嫁千万子、それから絶えず出入する女中たちと、家庭では女に囲まれていた。女中たちを映画や食事に連れ回し、ネックレスやイヤリングや指輪を買ってやったが、飽きるとさっさと暇を出した。愛嬌の無い伊吹に代わる若い秘書を探していたが見つからなかった。女中に筆記させようとしたが満足にできるはずもなかった。
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