2020/2/2 | 投稿者: pdo

「どんなんでもいいんだよ。例えばさ、一生懸命何かやっててさ、その内わからなくなってさ、どっか喫茶店かなんかでウトウトウトウトする。何か何とも言えないいい気持ちでホッと目が覚める、さっぱりしてる。そして『あっ、あっ、またあれをやろう』っていう意欲。そういうものがひとりでに内側から全く無理なく生まれてくる。それが怠惰の、一番いい有り方だね。」「とにかく人間ていうのはね、とてつもないエネルギーを誰でも持ってるのさ。そしてそれを使い果たさなければね、決して安らかな眠りもね、それから穏やかさも、生きてる怠惰も起こらない。」「欠点のない生活っていうのは単純なことなんだ。それに全部打ち込んでさ文句なしなんだ。だから自分の気分に反するようなことでも、それをやってみようと、もし決めたらさ、それを全部背負い込む、直面するっていうことをやりさえすればいいんだ。そこにね、なんか『まっ、気に食わないけど仕方なしに合わせた方がいいんじゃあないかなあ』というその動揺、それが力を損なうってこと。」「未練、中途半端っていうことくらいね、その人間のエネルギーっていうのを自由に流す働きを邪魔するものはないんだ。」(『素直になる』雨宮第慈講話録4より)

鶴見俊輔全集の『転向研究』に収録されている「転向論の展望ー吉本隆明・花田清輝−』を読んでみた。非常にバランスの取れたすぐれた総括であると思った。

特に次の洞察は鋭い。

「吉本隆明は、体質的には闘士型、性格的には偏執狂型であるというだけでなく、日本の文化の連続性が敗戦によってきれたその断面に自分の少年時代を見出したというさらに重大な理由によって、日本人の多くの持つ易変的・他者志向的性格から自由になった。…吉本には偏執狂的性格に特有の視野のせまさがあるが、このようなせまい視野をたもつことをとおしてくっきりと映し出される日本の側面がある。」

そして、

「(吉本のいう)転向思想とは、日本の現実社会の問題をしっかりうけとめることのできない思想一般をさすこととなり、日本の現実社会において有効なる保守をなしうる思想と有効なる変革をなしうる思想の双方を除く一切の思想である」

という指摘も正しい。これはある意味吉本の思想の核心であり、自分が最も影響を受けたのも吉本のこの考え方である。

花田清輝については、「偽装転向」であり、吉本のいう転向論によってはうまく分析できないと述べる。

花田自身は、自身を含めた戦時下および敗戦後の再度の日本人の転向についてこう述べている。

「『戦犯』と指定されたというので狼狽したり、ふたたびそれを取消されたというので威丈高になったりする文学者があるが、なんという浅薄な心の持ち主であろう。いやしくも文学者である以上、おのれの罪と罰との微妙な関係にするどい視線をそそぎ、仮借することなく自己批判を試みるのが、当然ではなかろうか。仮に積極的に戦争を支持していなかったにせよ、あるいはまた、ひそかに戦争に対して消極的抵抗を続けていたにせよ、とにかく、ほんとどわれわれ大部分のものの位置は、すべて、白と黒との間にある、灰いろの無限の系列のどこかにみいだされる。…かれらには罪はあるが、かくべつ、罰せられはしない。しかし、罰せられないということが、かれらの罰なのだ。」

この花田の告白(?)に対する鶴見の評価もまた適切である。

「社会によってもみずからによっても罰せられずにすむという状態は、日本の共産主義者・自由主義者からその思想的自主性を奪ってしまうことになり、かれらの思想が戦後日本の社会においてききめのないものになることを意味する。」

花田は、戦中は東方会というファシスト団体に所属し、戦後は日本共産党で文化面の指導的地位に就いた。このような外面的行動からは、吉本が全身の力を込めて花田に「転向ファシストの詭弁」と叩きつけた言葉の方に正当性を感じざるを得ない。

この論争は、理論的正当性以前のレベルで既に決着が着いていたのだ。ただ当時の共産党が持っていた絶対的に近い権威に真っ向から立ち向かって、当然の決着をつけるだけの腕力と胆力を持っていたのが吉本だったということだ。


ところで、JYPが「ポストTWICE」を目指すガールズ・グループを日本からデビューさせることを目論むオーディション番組「NIZIプロジェクト」のネット配信が先週の金曜日から始まった。

思ったよりも逸材が揃っていて、今後の展開が期待される。この件については稿を改めて書きたいと思う。




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2020/2/1 | 投稿者: pdo

好村富士彦『真昼の決闘 花田清輝・吉本隆明論争』を図書館で借りて読む。

閉架書庫から出してきてもらったのを受け取ったら、寄贈本のハンコが押してあり、さらに最初のページに「廃棄」とデカデカと赤文字の印が押してあった。

古本屋でも1円で売られているような、もはや何の需要もない本である。

そんなものを今頃わざわざ取り寄せてまでして読む自分の神経もよくわからないが、内容は結論部分を除けばしっかりしていた。

明らかに花田寄りに立って書かれたものだが、吉本の仕事についても評価すべき点は評価している。

著者が引用する小川徹『花田清輝の生涯』によれば、花田は吉本との論争が佳境を迎えた1958年には、舞芸座(花田が戯曲『泥棒論語』を上演した劇団)の若い女優Mと一世一代の恋愛事件を起こして、二十数年来の伴侶であるトキ夫人との間に緊張した関係をもたらし、そのあおりで一時家出をしていたということである。

花田清輝の本も読んでみたいと思い、『近代の超克』と『日本のルネッサンス人』も借りてみたのだが、文章にちっとも魅力を感じず、まったく読み進められない。

花田清輝が「偽装した転向ファシスト」かどうかはともかくとして、吉本隆明と勝負できるような重量級の人物ではなかったことだけは確かだろうと思った。
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2020/1/26 | 投稿者: pdo

大井浩一『批評の熱度 体験的吉本隆明論』(勁草書房)を読む。

毎日新聞の学芸部記者として1997年から2011年まで吉本に取材し聞き書きの記事をまとめた著書による吉本隆明論。エピソードを中心とした読み物ではなく、著者自身の読書体験に基づく吉本思想への批評である。

新聞記者としての職業柄か、バランスの取れた、常識人の目から見た吉本思想が丁寧に書かれているという印象を持った。あえて言えば、著者個人の体験についての記述も含めたその筆致の冷静さは、タイトルにいう「批評の熱度」というものからは遠いといえる。

吉本隆明の仕事は1950年代の文学者の戦争責任を鋭く問うた時期が最も熱く、60年代のいわゆる3部作(『言語にとって美とは何か』、『心的現象論序説』、『共同幻想論』)は、その影響力の強さに反比例して内容的には空虚とすらいえ、70年代以降は活動の質と影響力はともにゆっくりと下降線をたどる。80年代の「高度資本主義」、ポストモダン、バブルとその崩壊、その後の「失われた20年」に起きたオウム事件などの社会的迷走において、吉本思想の果たす役割は実質的にはほとんど無に等しかった。

このようなもの自分の吉本思想への評価であり、大井氏の著書を読んだ後にもそれを修正する必要は感じない。

吉本思想はきわめて当時の社会情勢に密接した、その時代でなければ意義を持ちえない思想であり、無理をして後世に受け継ぐような代物ではないと思う。

以上のような評価にもかかわらず、自分は吉本隆明を深く尊敬する、と言わしめるものが彼の人物の中には確かにがある。

大井氏の言葉を借りれば、「ある世代に対し彼ほど重い存在感をもった思想家は他にいなかったのも事実である。少なくとも、彼の生きた時代における詩と批評の両面での自己表出性の高さ、そして人々と情況を媒介する熱度において吉本は、戦後日本の中でも抜きん出た思想的表現者の一人であった。その役割は今なお続き、将来にわたっても簡単に尽きるものとは見えないのである。」


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2020/1/26 | 投稿者: pdo

鹿島茂『吉本隆明1968』を読む。

1950年代の初期論考に絞って書かれているので、わかりやすく面白く読めた。

取り上げられているテキストは、「党生活者」、「芥川龍之介の死」、「高村光太郎」、「転向論」、「『四季』派の本質」、「自立の思想的拠点」といったところで、この時期に行われた花田清輝との論争についてはまったく言及されていない。

花田に関する文章「芸術運動とは何か」、「アクシスの問題」、「転向ファシストの詭弁」は全集で読んだ。同時代にこれを読めば、確かに相当な衝撃(そして留飲を下げる痛快さ)であったろう。

同時代(特に戦後派の世代)にとっての「吉本体験」は、以下に引用する高橋源一郎の言葉に代表されるように思われる。

知的な意味で一目置いている同級生Nから吉本隆明の詩(「異数の世界へおりてゆく」)を読み聞かせられた時の反応。

(以下引用)

Nが読み終わったとき、わたしは、自分が、数分前とは違う世界にいることに気づいた。

もちろん、その詩に書かれていることは、やはりほとんど理解できなかった。気づいたのは、「理解できなくてもかまわないことばがある」ということだった。

理解できなくとも、感じることはできるのだ。それで、ぜんぜんかまわないのだ。その時、わたしは、生まれて初めて「文学」のことばに触れて涙をこぼしていたが、それは感動したからではなかった。

わたしは、わたしを包んでいた「繭」を切り裂かれ、外の世界に転げ落ち、反射的にそうしたに過ぎなかった。

この世界には、わたしの知らないものがたくさんあるのだ。そして、それを、いつか知ることになるのだ。産まれ落ちたばかりのわたしは、震えながら、そう感じていた。

(引用おわり)


鹿島も、少年期に吉本を読み、「『吉本はすごい』と感じてはいましたが、どこがどうすごいのか、それを説明することは不可能だったのです。いいかえると、自分の所有している語彙と観念と関係性に、吉本特有のそれらを翻訳・転換してみせるということができなかったのです」とこの本の中で述懐している。

この出会い方というのは、ある意味でサブカル的である。つまり、吉本隆明という表現者によって当時の読者が与えられた衝撃の実体とは、思想というよりもひとつの情念であった。吉本が表現していたのは、一個の激しい情念であって、論理などは後付けにすぎないのだ。
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2020/1/21 | 投稿者: pdo

鹿島茂『ドーダの人、小林秀雄』という本を読んだ。

小林秀雄というのは、「教祖の文学」と呼ばれ、昭和時代には文学の神様のような扱いを受けてきた。その一方、何を書いているのか分からない難解な文章でも有名な人で、にもかかわらず、高校の教科書や大学の入試問題に多用されていた。

丸谷才一という作家が、「小林秀雄の文章は出題するな」とコラムに書いて話題になったこともある。丸谷は、小林の「様々なる意匠」について、「貧弱な内容をごまかすため、無理に勿体をつけてゐる」「血気にはやつて書いた欧文直訳体の悪文」と評している。ただその一方で、「かならずしも小林を非難してゐるわけではな」く、「現代日本の散文の未成熟といふ悪条件のなかで、その悪条件を逆手に取るかたちで新しい文芸評論を完成した」とも述べている。

小林秀雄の文章はすべて、「ドーダ、俺はすごいだろう。ドーダ、マイッタか!」という自己愛の表出にほかならない、という主張がこの本の核心であり、それに尽きているのだが、そのことだけで一冊の本が書けるはずもなく、話題は散り散り広範に及んでいる。

筆者に言わせれば、小林秀雄のような人物は、さしずめ、今の世の中なら、「誰に対してもすぐにマウンティングを取りたがるクソ野郎」ということになるのだろう。今はサブカル知識でマウンティングを取るが、当時は純文学や外国の文学の知識だったというだけの話だ。

小林秀雄はランボーの翻訳と紹介で当時の文学青年に多大な影響を与えた。しかしフランス文学者である筆者によれば、小林秀雄のランボーの翻訳は誤訳が多く、かなりトンデモであったらしい。それでも、というかそれが逆に幸いして、ランボーひいてはその紹介者である小林秀雄について「何だか分からないけど凄い」という印象を与えたのだとか。

面白いと思ったのは、小林秀雄がこれほど支持されたのは、日本人受けする典型タイプの一つ、「ヤンキー体質」の持ち主であったからだという。ヤンキー体質の特徴的な反応の仕方として、

パフォーマティブな出会い → 同調 → 爆発的感銘

というパターンがあり、小林はこれに従って、まさに「ランボーをヤンキー的に解釈した」ために、当時の文学青年たちに「刺さった」のだという。

さらに鹿島は、ヤンキーなるものへの分析を進め、ヤンキーは先輩後輩の関係性が支配する典型的なタテ社会(男社会の特徴)のルールに従う一方で、特定の理念(カルトやファシズム、共産主義など)に基づく共同体ではなく、むしろ地縁や血縁を根拠とする「女性型」共同体に属している、と述べる。

すなわち、ヤンキー文化とは、「女性原理のもとで追求される男性性」なのである。この筆者の主張は、精神分析医である斎藤環の説に依拠している。この説の一つの象徴は、映画「キリング・フィールド」の中に唐突に登場する女装した軍人の姿であり、嘉門達夫の「ヤンキーの兄ちゃん」という曲の歌詞、「ヤンキーの兄ちゃんは26ぐらいの足に22.5ぐらいの婦人もんのサンダル履く」である、という。

鹿島の話は、日米戦争の開戦に至る経緯における政府首脳部の「非計画無責任体制」(丸山真男による分析)がアノミー家族社会における「アモック」にほかならない、という分析にまで及ぶが、このあたりは小林秀雄との関係がよく分からない。

要するに、小林秀雄は、その外見とは異なって、明確な論理や一貫した意思という西欧的明晰さとは無縁の存在であり、その内実は非合理で情念に支配される純日本人的(ヤンキー的)人間であるがゆえに日本文学界で支配的な立場に立ちえたのだ、ということか。

ちなみに、鹿島茂は、吉本隆明の信奉者でもあるらしいが、小林秀雄に対する上記のような指摘はそのまま吉本隆明にも当てはまるじゃないか、と呉智英に指摘されている(『吉本隆明という「共同幻想」』)。
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