2017/5/14 | 投稿者: pdo



This is the greatest book I've ever burned.

--John Lennon


ぼくがこれまでに燃やした本の中でこれが一番偉大な本だ。

 ジョン・レノン


地下水の流れる音を聴きなさい。


心臓の鼓動を聴きなさい。


地球が回る音を聴きなさい。


世界中のすべての時計を2秒ずつ早めなさい。
誰にも気づかれないように。


絵を描きなさい。
一日のきまった時間の
きまった光のもとでしか現れない色をつかって。
とても短い時間で仕上げなさい。


録音しなさい。
石が年をとっていく音を。


いちばん近い噴水に行きなさい。
水がダンスを踊るのを
見守りなさい。


雲を数えなさい。
雲に名前をつけなさい。


あなた自身から抜け出しなさい。
町を歩くあなたを見なさい。
あなたを石につまずかせ、転ばせなさい。
それを見守りなさい。
自分を見ている他人たちを見守りなさい。
あなたがどんなふうに転ぶのか
注意深く観察しなさい。
どのくらい時間がかかるのか
どんなリズムで転ぶのかを
スローモーション・フィルムを見るように
観察しなさい。


握手をしなさい。
できるだけたくさんの人と。
その人たちの名前を書きだしなさい。
試してみなさい。
エレベーターで、地下鉄で、エスカレーターで
路上で、トイレで、山の頂上で
暗やみの中で、デイ・ドリームの中で
雲の上で、その他いろいろ。
素敵な握手にしなさい。
手に花を握るとか、香水をつけるとか
手を洗うとか、その他いろいろ。


出入りする小さなドアをつくりなさい。
出入りするたびに、あなたは
かがんだり、縮んだりしなければならない。
これはあなたに
あなたがどのくらいのサイズなのか
出ること、入ることとは何か、を
気づかせてくれる。


壁を叩きなさい。
あなたの頭で。


道を開けなさい。
風のために。


さわりなさい。


飛びなさい。


約束しなさい。


この本を燃やしなさい。
読み終えたら。

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2016/3/22 | 投稿者: pdo

1971年1月20日の日曜日の昼下がり、上野で古美術商を営んでいる木村東介氏が店に出ると、娘が走り寄ってきて、

「レノンが来てんのよ!」と叫んだ。

明治生まれの木村氏は、レノンを知らない。

「なんだい、そのレノンてえのは」

「あらお父さん! ビートルズのジョンレノンよ! 小野洋子さんも一緒に…浮世絵を見たいと言うの」

ジョンはその年の1月13日にお忍びで来日し、25日に帰国している。そのさなかに、上野の古美術店を覗いたというわけだ。

木村氏の顔は曇った。精魂込めて蒐集した浮世絵を外人に見せる気にはなれない。日本の心ある人々に秘蔵してもらうために集めた美術には、どれも自分の心と魂が入っているから、そう安易に外人に売りたくはないのだ。氏はなるべく二流品を見せようと、心の中で意地悪くブレーキをかけた。

先に浮世絵の春画の中で、保存の悪い北斎、歌麿、栄之、春潮らを見せることにして、自宅の二階に案内した。入口の床には白隠の達磨の絵がかかっていた。

ジョンはヨーコを通じて、「これは、場合によってわけてくれるか?」と聞いてきた。

「値によって、分けてあげてもいい」と答えると、

「いくらか?」というから、

「200万」と答えた。

すると、「OK」といった。

次に、床の間の曽我蕭白に目を付けた。

「ハウマッチ?」

「45万」

「OK」

である。

続いて仙涯、これも50万でOK。そして棚につんである箱行のいいのを見て、

「これは何だ」という。

「これはあなたには無理で、日本の俳聖と言われた芭蕉という人の短冊である。中に書いてあるのは俳句というものだ」と説明した。

しかしジョンは是非見せてくれといい、床にかけた。

句は「古池や 蛙飛びこむ 水の音 芭蕉」とある。

いくらときくから、また200万といった。するとジョンは、直ちに分けてくれとおそるおそるきいてきた。

(以下引用はじめ)

私は、あなたが欲しければわけてあげてもいいと答えた。すると、彼は目を輝かして生き生きとなり、その軸を外してくれと言う。丁寧に巻いて、二重の箱に納めて渡すと、彼はそれを抱いたまま離そうとしない。そして彼は言うのである。

「ロンドンに帰ったら、この軸のために日本の家を建て、日本の茶席をつくり、床の間にこの軸をかけ、池のある庭をつくって日本のお茶を飲む。そしてその日から自分は英国人ではない、立派な日本人になり、日本人の心になって、この芭蕉や白隠や仙涯を見て楽しむから、私に譲ったことを嘆かないでくれ」

と私に心から頼むのである。私の心は、日本人に売るよりもいい人に芭蕉や白隠が行ってくれたと、これほど喜んだことはない。この日の売上げは、私が店を開店して以来最高の売上げになった。


(引用終わり)

その後、氏はジョンとヨーコを車で歌舞伎座に案内する。三人分切符を買って、一番後ろに腰を下ろした。

しかし、歌舞伎の華やかな美しさを見せようとした木村氏の意図に反して、上演されていたのは歌右衛門、勘三郎の「隅田川」の終局であった。

「隅田川」は、一粒種である梅若丸を人買いにさらわれ、京都から武蔵国の隅田川まで流浪し、愛児の死を知った母親の悲嘆を描く、狂女物と呼ばれるストーリーである。狂女物は再会の喜びで終わるものが多いが、隅田川は悲しみのまま幕を閉じる。

土饅頭の上に衣をかけて泣き崩れる歌右衛門の演技と、それを労わるがごとき勘三郎の船頭の身のこなしが、志寿太夫の声に操られてよどみなく舞台の一角に流れている。

明るいものを見せようとしたつもりが逆になってしまったので、木村氏は低い声で隣の洋子に「外へ出ましょうか」と声をかけた。

ところが、洋子は、手にハンカチを持ちながら、ジョンの頬に伝わる涙をしきりに拭いていたのだった。

(以下引用はじめ)

これは一体どうしたというのだ。拭いても拭いてもレノンの頬の涙は、とめどなく流れ落ちてくる。歌右衛門、勘三郎の演技は、もはや終幕に近い。隅田川の劇の内容をレノンは知る由もない。清元志寿太夫の歌詞も彼にはわかるわけがない。そして歌右衛門、勘三郎のかすかなせりふのやりとりも、その意味がわかるわけがないのに、涙はとめどなく頬にふりかかる。

しかし、レノンには何もかも読み取れたのだ。それは、歌右衛門の演技力だ。歌右衛門は、我が児梅若が人さらいにさらわれたのを、日夜狂気のように探しあぐねて辛うじて辿り着いた隅田河畔、そこの土饅頭の下に埋まっている稚児さんは、その児の最後の場所と教えられ、狂気のように泣き崩れる我が子を思う母親の心を、歌右衛門の演技があたかも母に化身して演ずるのだが、一般観客以上にレノンに流れてくる。言い換えれば、「名優の演技自ずから名演奏家に通ず」の意で、レノンの涙は、歌右衛門の涙であり、歌右衛門の涙は、梅若の母の涙だったのである。


(引用おわり)

幕が下りて、場内がパッと明るくなった。ジョンの眼の下は真っ赤になっている。木村氏と懇意にしている歌右衛門に是非会いたいとのジョンのたっての願いで、楽屋を訪ねることにする。

客席から汚い奈落を歩きながら、「すみませんね、こんな汚い奈落を抜けて」と言ったら、洋子の通訳で、
「いえ、私は世界中至る所を興行して歩いたから、これ以上の汚い奈落をいくつも経験済みですから、その点お気遣いなく」

楽屋でジョンは歌右衛門と固い握手を交わし、「非常に感激した。是非ロンドンに来て、隅田川をもう一度やってくれ」と繰り返し頼んだ。

(以下引用はじめ)

その後、2,3年後に、ロンドンに歌右衛門がわたって、隅田川を上演したことは確かで、レノンが各要所要所の人々にかなり前宣伝をしてくれたことは間違いないが、レノンが感銘を受けたほどに、ロンドン市民に感銘を与えたものかどうかは甚だ疑問である。それは、日本人や歌舞伎ファンの中でも、隅田川の芝居に憧れを持つ者は稀と思う。(中略)母の心の底に潜り込んで、母の心になって演ずる歌右衛門の入神の妙技が、同じように作詞作曲を魂と共につくりこなすジョン・レノンには、ストレートに流れてきたので、泣き濡れて母を慕う稚児梅若の心は、取りも直さずレノンの心に通っていたのである。

(引用おわり)

次にパッと明るい海老蔵、福助らのお祭りを見た。手古舞が揃いの姿で舞台に並んでいて見事に美しかったが、さぞかし喜んで見てくれると思ったら、
「ノー」
といって立ち上がった。形の踊りではなく、心の踊り、魂の踊りが見たかったのだろう、と木村氏は思った。
一同は表に出て、木村氏が紹介する次の古美術店に向かった。

(引用はじめ)

芭蕉の箱を、レノンは、車の中でしっかりと抱いている。こんな純真な気持ちで、芭蕉の軸を抱え込んだ日本人がひとりでもいただろうか。白隠もいい人に売った。歌右衛門の演技を泣き濡れて涙を拭わずに見ていたジョン・レノンを、私は車の中で心から尊敬すると、後日金を貰うことが一瞬罪悪のようにも思えた。しかしその金は、事実受け取るには違いないのだが……。

(引用おわり)

このときに買った白隠の達磨の絵が、ジョンの自宅に飾ってあるのを、『イマジン』というドキュメンタリー映画の中で確認することが出来る。
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2016/3/22 | 投稿者: pdo

以前の記事で少し書いた、『ビートルズってなんだ? 53人の"マイ・ビートルズ"』(講談社文庫)という本を、実家に行ったついでに持ってきた。現在は入手困難な本なので、中身を改めて紹介したい。

村上龍がまえがきで書いているとおり、ビートルズは最初ポップミュージシャンで、聴いていたのは10代の女の子が中心で、知識人は無視していた。

それが変わっていき、現代音楽家がサウンドを褒め、現代詩人が歌詞を褒め、詩や評論の雑誌が特集を組むようになった。

この本に登場し、ビートルズについて論じるのは、寺山修司、北杜夫、大佛次郎、遠藤周作、いいだもも、竹中労、草野心平、谷川俊太郎等々といった、日本の権威ある知識人といった人々である。

彼らの多くはビートルズより上の世代に属するので、同時代を共に過ごしたファンのような熱気はなく、醒めた目でビートルズという現象を眺めている。

昔はこの手の文章は腹が立って読めなかったものだが、今はこっちだってそういう権威者たちのピント外れな御意見を醒めた目で読むことができる。そう言う目で読んでも、卓見と思われるものも確かにある。しかし、哀しいかな、やはり彼らの言葉には対象との距離があり、ビートルズが身体精神の一部に同化されてしまっている同時代のファンたちの書く文章から伝わってくるようなリアリティに欠けている。

僕にとっては、

ビートルズとは何よりもこのリアリティのことだ。

それでも、この本の中で忘れられない文章がある。

一つは、以前の記事で紹介した飯村隆彦の「僕にLOVEを歌ったジョンが死んだ」というエッセイ。

もう一つは、木村東介という古美術商の書いた文章である。

「ジョン・レノンと歌右衛門」というタイトルがついている。

これについては改めて書く。



ビートルズってなんだ?―53人の\"マイ・ビートルズ\" (講談社文庫)
作者/村上 龍, 香月 利一

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2016/3/11 | 投稿者: pdo


このところ立て続けにビートルズについて書いていたら、

なんと、ジョージ・マーチン氏(90歳)死去のニュース。

『「5人目のビートルズ」は世界に何万人もいる』というジョークがあるが、その呼び名が真にふさわしいのは、ブライアン・エプスタインでも。ピート・ベストでも、スチュワート・サトクリフでもなく、このジョージ・マーチンだろう。

誰もが口を揃えるように、彼の存在がなければ、ビートルズの作品はあのような形にはならなかったし、その音楽のマジックも半減していたのではないか? と思う。

これは、ジョージ・マーチンだけではなく、ジェフ・エメリックをはじめ当時のEMIの録音スタッフが奇跡的に優秀であったという歴史の偶然(?)も作用している。

ビートルズの7年にも満たないレコーディング・キャリア全体を通して、ジョージ・マーチンの影響力は圧倒的なものがあるが、彼の人生の中で、そしてビートルズの歴史の中で最高の一日(ベスト・アンド・ブライテスト・デイ・イン・ザ・ライフ)を選ぶとしたら、それは、本日からちょうど53年と1か月前、デビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』を録音した1963年2月11日ということになるだろう。

(以下ウィキペディアより転載)

午前10時にビートルズとプロデューサーのジョージ・マーティンはスタジオに入り、約3時間のセッションを3回繰り返し、10時間弱でシングルで既に発表されていた4曲を除く10曲を仕上げ、事実上わずか1日でアルバムを完成させた。時間と予算が限られていたことから、ほとんどの曲は原則一発録り(当時は2トラック録音のため、演奏と歌は同時録音で、それぞれが1つずつのトラックに録音された)で制作された。

レコーディング当日、ジョン・レノンは風邪をひいており、その影響でヴォーカルがやや鼻声になっている。ジョージ・マーティンはジョンの喉への負担を考慮し、ツイスト・アンド・シャウトの録音はセッションの最後に行い、ジョンはこの曲をワンテイクで仕上げた。後にジョンは「ビートルズの(当時の)ライヴ感の生々しさを出しているという点ではこのアルバムが一番近い」と解散後に発言している。

(転載おわり)

今はアルバムだけでなくブートレッグなどでこの日の録音の様子を聴くことができるが、この日のことだけで、優に一冊の本が書けるだろう。

まだ自分が何者なのか、何者になるのか、本人達もジョージ・マーチンもよく分かっていなかったこの時の期待と不安の入り混じったワクワク感がたまらない。すべてが始まる前の永遠の一瞬。

ジョージ・マーチンも亡くなって、ビートルズもいよいよ歴史上の人物化が進行しつつある。

ポップ・ミュージックの聖者に音楽の神の祝福を。偉大な業績に感謝。








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2016/2/25 | 投稿者: pdo

※今回の記事はビートルマニア向けです。


ビートルズ英語読解ガイド


AMAZONで「ビートルズの歌詞の対訳本としては最高!」「ビートルズ好きで英語を勉強したい方には絶対に面白い本」などと評価され、他にも絶賛されているブログなどがあったため、図書館で借りて読もうとしている。

まだ途中までしか読んでいないし、自分が読んでいるのは「増補版」が出る前の初版本なので、内容は訂正されているのかもしれないが、現時点で気になったところを挙げる。

まず「There's A Place」の中の「There's no time when I'm alone」という箇所について。

著者は従前の訳者による「ひとりでいると時のたつのも忘れるよ」という対訳は誤訳であると断言したうえで、この when は接続詞ではなくて time を先行詞とする関係副詞と考える方が自然であるから、「僕が孤独な時なんかない(僕の頭の中にはいつも君がいるから)」というのが正しい意味であると述べている。

これは著者の間違いで、従来の訳が正しいと思う。少なくとも、とちらが正しいとか断言することはできない。

この曲は、ジョン・レノンがビートルズのデビューアルバムで早くも「内向性(引きこもり傾向)」を歌詞に反映させた重要な曲で、

「落ち込んだときや、ブルーになったときには、自分の心の中に入り込むんだ。そうすれば外界の嫌なことは忘れて、君との思い出に浸ったりなんかできるし」というのが歌詞の大意である。

ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが初期に書いた「In My Room」と並ぶ名曲である。

著者は「恋人と離れて独りでいる時の気持を、気丈に歌ったナンバーです」と書いているが、この解釈がありえないとは言わないまでも、ジョン・レノンという人間について考えた場合には、上記のような解釈の方が適切ではないかと思う。

後の「Nowhere Man」や「Strawberry Fields Forever」につながる、「引きこもりジョン」の流れの最初にあたる曲なのだ。

だから、「There's no time when I'm alone」というくだりは、「僕がひとりでいるとき、時間なんかなくなるんだ(気にならなくなるんだ)」と訳すべきで、これまでそう訳されてきたのは決して間違いではない。

本書の冒頭部分に、こんなのが出てくるもんだから、「あれっ? これってそんなにいい本なの?」という疑問が生じてしまったのである。

次に、「I'll Get You」という曲の、「It's not like me to pretend But I'll get you, I'll get you in the end」という部分。

これを著者は、「私の耳には like me ではなくて、likely と聞こえます」と強弁(?)し、「自動詞 pretend には『要求する』という意味に加えて、古くは『求婚する』という意味もあったようです。ですから、It's not like me to pretend, but I'll get you in the endは、『求愛するなんて、どうかと思う。でも僕は最終的には君をものにするよ』というようなことではないでしょうか?」との見解を述べている。

これも、従来の解釈の方が正しいと思う。pretend をわざわざ古語のような意味で使う理由がどこにもないし、It's not like me to pretend は「ふりをするのは(わざとらしくふるまうのは)僕らしくない」で十分じゃないかと思う。

事ほど左様に、この本は「従来の出来の悪い訳詞にメスを入れる」と言いながら、結構独善的で牽強付会な意訳が目立つ。

だから他の解釈にもあまり説得力を感じない。

著者紹介で「TOEIC 970点」とかいろいろな経歴を並べ、現在は翻訳業に携わっていると記載しているが、少なくともこの本に限っては、決して褒められた内容ではないと思う。

歌詞の解釈は多義的で、これが絶対だと決めつけるようなことができるようなものではない。

「『ノルウェーの森』は誤訳だった」という近時の有名な通説でさえ、実は「ノルウェーの森」でも正しいのかもしれない、という可能性だってある。

ビートルズに限らず、優れた歌詞は、多義的で豊かなイメージを喚起する力があるので、学術論文のように唯一の正しい解釈が存在する必要もないのである(法律の条文ですら何通りも解釈の違いがあることは稀ではない)。

だから、あんまり「他の訳者は間違っている」とか言わない方がいいと思うよ、と思った。

英語の勉強としても使い勝手はよくないという印象。

なんだか「重箱の隅をつつく人の隅をつつく」ような文章になってしまった。

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