2020/11/23 | 投稿者: pdo

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ウラジミール・イリイッチ・レーニン(1870〜1924)と言えば、鋼鉄のような意志をもって革命事業を遂行し、革命に殉じた人物という印象が一般的だと思うが、ソ連崩壊後、彼がイネッサ・アルマンドという女性に充てた手紙と彼女の返信が公開され、レーニンがこの女性を深く愛しており、彼の生活に美と彩りを添えていたことが明らかになった。

イネッサ・アルマンドは、レーニンより4つ年下で、2人が出会ったときにはレーニンは39歳、イネッサは35歳だった。

当時レーニンは、パリで妻のクルプスカヤと二人でまるで棺桶の中にいるような陰鬱で味気ない亡命生活を送っていた。

イネッサは、19歳で実業家と結婚し、5人の子供を設けたが、夫の弟と駆け落ちし、その男性を病で失った直後であった。彼女はすでにマルクス主義に目覚めており、ボルシェビキの熱心なメンバーとなっていた。

イネッサがパリのロシア亡命者グループに加わると、たちまち崇拝者たちが彼女を取り囲んだ。だが彼女は芸術と自由恋愛の信奉者である一方で献身的な革命家の素質もあった。彼女は革命グループの指導者レーニンを遠巻きに畏れながら見つめていたが、彼女が開設した青年たちのための教育施設にレーニンが講師としてやって来るのを手伝ったり、彼の論文のフランス語への翻訳を手伝ったりしているうちに、徐々に親しみのある関係になっていった。

イネッサの敬意は好意からやがて恋に代わっていたが、レーニンはまだイネッサのことを見込みのある同志としてしか見ていなかった。彼はイネッサをある秘密活動のためロシアに派遣するが、それは当然ながら大きな危険を伴うものだった。案の定イネッサはセントペテルスブルグで逮捕・投獄され、1年余りで脱獄し、ヨーロッパへと戻ってきた。

スイスで生活していたレーニンたちのもとにイネッサが帰還したことは、レーニンにとって嬉しい驚きであった。ここでレーニンとイネッサの親密度は一気に増すことになったが、奇妙なことに、イネッサはレーニンと妻クルプスカヤとその母親とも大変親しく交際した。

レーニンとクルプスカヤとイネッサはしばしば三人で自然の中を散策し、さまざまなことを語り合った。レーニンは、歩きながらレールモントフの詩編を暗唱し、彼がベートーヴェンの音楽をどんなに愛しているかについてイネッサに熱弁した。

イネッサは卓越したピアニストでもあった。彼女は革命家の道を選ばなければヨーロッパで一流の音楽家になることもできただろう。彼女がスイスの家でベートーヴェンのソナタを弾くのをBGMにしながら、レーニンは猛烈な勢いで革命論文を執筆した。レーニンは絶え間なくイネッサにベートーヴェンの曲をリクエストし、自分の愛する音楽をこれほど身近に楽しめる幸運に感激した。

クルプスカヤは後年、この時期のことを、イネッサについてたいへん好意的な思い出と共に回想しているが、その真意は分からない。ただ確かなことは、クルプスカヤは、イネッサが1920年に死に、レーニンがその4年後に死んだ後も、イネッサの子供たちを自分の子供のように庇護し続けたことである。

1917年4月、レーニンがドイツからロシアに送られた「封印列車」には、イネッサとその子供たちも同乗していた。その年の10月にレーニンとボルシェビキはロシアの政権を奪取した。

革命後ロシアの動乱の中で、重責を担い、オーバーワークに疲弊したイネッサは、レーニンの勧めでロシア郊外に休養に出かける。だが、そこでコレラに罹患して死んでしまう。

イネッサの死を知らされたレーニンは、休養を勧めた地が危険でイネッサの衰弱した肉体が耐えられる場所ではなかったことを悔いたが、後の祭りであった。

イネッサの葬儀に臨むレーニンは、クルプスカヤに支えられてやっと立っている状態であり、憔悴しきっていた。それ以来彼は魂が抜けたようになってしまい、脳梗塞の発作に倒れ、言葉を話すことができなくなり、そのまま死んだ。

イネッサは革命の純粋な大義に殉じた高貴な魂の一人であった。彼女のような無数の人々によって革命は成し遂げられたのであり、レーニンは彼らの力を結集し、体現するための焦点であった。

後の歴史が示す通り、その後の革命の歴史は粛清と流血と虐殺と無数の無辜の罪からなる人類史上最悪の悲劇となった。

だがその出発点には、このような人間の血の通ったドラマがあったのである。
イネッサ・アルマンドの生涯とその悲劇は、後世に語り継ぐべき物語の素材を多く提供している。
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2019/10/14 | 投稿者: pdo

福田勝美著『ドストエフスキー 転回と障害』(論創社)という本を買って読む。

今年の7月に出たばかりの本だが、今までに読んだドストエフスキー論の中で一番しっくりくる部分が多かった(もっとも、当たり前のことだが、すべての箇所に同意できたわけではない)。

著者独特の用語(「霊的存在」とか「転回」とか「障害」といった)が却って論旨を解りにくくさせている部分もあると思う。著者によれば、「ドストエフスキーはシベリア流刑で<転向>したのではなく<転回>したのだ」というが、単なる言葉の言い換えではないのか。

ドストエフスキーが「転向」したのだという阿保な評者にはそう言わせておけばいいではないか。彼に「転向作家」のレッテルを貼って満足できる程度の知能の持ち主に今更何を言っても無駄なことだ。

本のタイトルにもなっている「転回と障害」の「障害」の意味がこれまたよく分からない。
しかし、分からなくとも、著者の読解に共感するさしたる障害にはならないと思いたい。

『白痴』を論じた箇所、そして『悪霊』のスタヴローギンを論じた章は、出色だと思う。

ただ、わたしは、ナスターシャ・フィリポヴナとアグラーヤが同程度の造型を与えられているとは思わない(ナスターシャの方がはるかに深い)し、スタヴローギンの造型に聖パウロの使徒書簡の大きな影響があったとも思わない。

『カラマーゾフの兄弟』を論じた箇所は、端的に何を言っているのかよく分からなかった。彼は何故か小林秀雄の批評が気に入らないらしく上から目線で再三貶しているが、彼自身もよく分からない断定を結構している(スメルジャコフがイワンに対して下僕意識しかもっておらず、主人から追放されたから自殺するしかなかったとか。まあそういう解釈もあり得るが、スメルジャコフに関してはそんなに単純に割り切れる話ではない。ただし登場人物のうちドミートリイの造型が最も優れていることには同意する。もっともそんなことには誰もが同意するだろう)。

批判が先行したが、全体的には、本を置くこともできず一気に読了するほど大変興味深い内容だった。これほど重厚なドストエフスキー論を発表してくれた著者と、この本を出版してくれた出版社には感謝の念しか起こらない。
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2019/9/29 | 投稿者: pdo

この数週間は『悪霊』にすっかり憑りつかれていて、今は米川正夫訳と江川卓訳と亀山郁夫訳を頭から順番に読み比べを開始した。

どの翻訳も一長一短だが、今のところ(第1部の途中)米川正夫訳が一番しっくり来る。

江川卓訳はいいのだが、ステパン氏のフランス語をカタカナニシテイルノガイタダケナイ。

ネクラーソフの詩を引用した、<ステパン先生が知識人としてスクヴォレーシキ村で祖国のために果たしていた役割>については、

「譴責の権化」(米川正夫訳)

「生ける良心」(江川卓訳)

「血肉と化した非難」(亀山郁夫訳)

の三種三様だが、やっぱり「譴責の権化」がカッコいい。

「譴責の権化(あるいは生ける良心、血肉と化した非難)」として祖国の前に立っているのに、疲れてすぐ寝転んでしまうのがステパン氏。

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2019/9/22 | 投稿者: pdo

車中で『貧しき人びと』を読む。最後の頁だけは読んでいると号泣しそうで怖かったので読まなかった。あとで独りになって読んだらやっぱり号泣した。

世間から侮蔑の目で見られている小心で善良な小役人マカール・ジェーヴシキンと薄幸の乙女ワーレンカの不幸な恋の物語。往復書簡という体裁をとったこの小説は、ドストエフスキーの処女作であり、都会の吹きだまりに住む人々の孤独と屈辱を訴え、彼らの人間的自負と社会的卑屈さの心理的葛藤を描いて、「写実的ヒューマニズム」の傑作と絶賛され、文豪の名を一時に高めた作品である。(新潮文庫裏表紙より)

当時の文壇の大物ネクラーソフがこの作品の朗読を聞いて感動し、夜中にドストエフスキーの自宅に押し掛けて激賞したというエピソードがあるが、この作品を朗読するには少なくとも日本語訳では3時間はかかると思われ、当時のロシア知識人は我慢強かったのかと思う。あちこちで朗読会と言うのがしきりに催されていた様で、この小説の主人公マカール・ジェーヴシキンもちょっとした作家ラタジャーエフの作品の朗読会に参加して、そのことをワーレンカに自慢げに手紙に書いている。一方のワーレンカにとってはそんなことはどうでもよく、マカールの情熱は完全に上滑りしているのだが。

このドストエフスキーの処女作では早くも、小娘に馬鹿にされながらも傅く中年男という永遠のモチーフが確立している。主人公のマカールは47歳だが、当時のドストエフスキーはまだ20歳を超えたばかりだ。この精神的成熟は何なのだろう。

ロゴージンとナスターシャ、ラスコリーニコフとソーニャ、『賭博者』の主人公とポリーナ、ミーチャ・カラマーゾフとグルーシェンカ、などなど、この関係性はドストエフスキーの性的嗜好そのものといってよい。そんな彼にとって、45歳になって巡り合った20歳のアンナとの結婚がどんなに幸福なものだったかは想像に難くない。

ツンデレとか寝取られとか、今のコミケや同人誌に出てくるような萌え要素が極端な形で具現化されているのがドストエフスキーの小説だ。『永遠の夫(万年亭主)』なんて究極の寝取られ小説だ。

さて、『貧しき人びと』だが、


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2019/9/19 | 投稿者: pdo

『悪霊』の登場人物の中で、最もよく描けているのは、スタヴローギンや他の人物よりも、ステパン氏であるという説は有力だ。

西欧(フランス)かぶれのリベラリストだが、偽善的で腰の座っていない姿勢を、自らの教え子である、より過激な自由思想をもつ下の世代から突き上げをくらう、という様子が、実にリアルに描かれている。

ステパン世代も、その息子であるピョートル世代も、大地とか民衆とのつながりを欠いている、という点では共通している。

実はそのことは、日本のリベラルや左翼にも言えることではないか。彼らは、民衆の中に真の基盤を持っていないから、彼らの志向する改革や革命は敗北を運命づけられている。

ロシアで成功した共産主義革命が20世紀最大の悪夢であったこは歴史が証明している。

ステパン氏のキャラクターには、ワルワーラ夫人との20年以上にわたる友情、というもう一つの側面もある。

二人の関係はプラトニックなもので、ステパン氏の死に至るまで二人の友情は高潔なままであった。

しかし、ほんの一時期、二人の関係が一線を越えそうになったことがあった。

ワルワーラ夫人の夫であるスタヴローギン中尉が死去したという知らせを受け(夫婦は既に4年間別居していた)、ふさぎ込んでいた時期、ワルワーラ夫人を慰め、大切な心の友となったのは、ステパン氏であった。

このとき、ワルワーラ夫人は、「わたし、このことはけっして忘れませんからね!」という名セリフを吐いている。

「このこと」とは一体何なのか?
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