2019/8/9 | 投稿者: pdo

「悪霊」より、仮面のような顔のスタヴローギン
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「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩きつぶす者がいても、やっぱりすばらしい。叩きつぶさない者も、やっぱりすばらしい。すべてがすばらしい。すべてがです。すべてがすばらしいことを知る者には、すばらしい。もしみなが、すばらしいことを知るようになれば、すばらしくなるのだけれど、すばらしいことを知らないうちは、ひとつもすばらしくないでしょうよ。ぼくの考えはこれですべてです、これだけ、ほかには何もありません」
(『悪霊』のキリーロフの台詞より)


ドストエフスキー『悪霊』の主人公スラヴローギンの顔は、いろんな風に描かれ、映画にもなっているが、いちばんしっくりくるのが、上に掲げた画だ。

この顔を見ると、真にぞっとする。ドストエフスキーがいうところの、「冷ややかな、冷静な、もしそんな言い方ができるとすれば、理性的な憎悪、したがって、もっとも醜悪な、ありうるかぎりのもっとも恐ろしい憎悪」とは、まさにこういう顔に宿るのであろう、と思われる。

そして、こういう顔の持ち主を、ぼくは確かに知っている。



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2019/8/7 | 投稿者: pdo

暑すぎてとうとう身体が活動全般に対し拒絶反応を示し、頭脳がそれに応えた。

消防庁が発表している熱中症情報によると、今年の7月29日〜8月4日の1週間に全国で熱中症で救急搬送された人数は速報値で1万8347人。前週の5664人から約3.2倍に急増し、死亡者数は57人で今年最多を記録した。

8月5日のニュース記事によると、熱中症の疑いで今月に入ってわずか4日間に東京都内で高齢の男女19人が死亡していたことが警視庁などへの取材で分かった。

警視庁や東京都監察医務院によりますと、今月1日から4日までのわずか4日間に、60〜90代の男女19人が熱中症の疑いで死亡していたことが分かった。

▽大田区と北区でそれぞれ4人、
▽中野区で3人、
▽江戸川区で2人、
▽千代田区、世田谷区、杉並区、豊島区、足立区、葛飾区でそれぞれ1人が死亡していたということだ。

8月6日と8月7日にも酷暑が続いているため、全国各地で同様の事故が引き続き起こっていると考えられる。

ここ数年の熱さは、地球が人類を殺しに来ているという殺意を感じる。

これは自然を破壊し地球環境に好き放題の虐待を加えてきた人類の受けるべき当然の報いだと考えるしかない。

高校野球甲子園大会は今日も行われているし、来年の夏には東京でオリンピックをやるという。

人類の狂気はあくまでも、限界まで地球に挑戦するのだ。



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2019/7/29 | 投稿者: pdo

今年もいよいよ熱波の到来により熱中症の危険が日本列島にも訪れた。

世界的に見ると、40度は当たり前で、フランスでもドイツでも42度とかを記録しているという。

週末は深沢七郎の『極楽まくらおとし図』を図書館で借りて読んだ。

表題作と、闇、花に舞う、変化草、報酬、サド人との聖約、ゲコの酌、いやさか囃子、刺青菩薩

が収録されている。

「闇」は、サスペンス風でもあり、政治小説でもありのスリリングな短編。

「報酬」は、ドラッギーな短編で、同種のものに「をんな曼陀羅」がある。

今夜は、本屋で『シュルレアリスムの25時 ルネ・ドーマル - 根源的な体験』(谷口亜沙子著)を探して、手に入れたい。
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2019/6/30 | 投稿者: pdo

認識は3秒あればいいのである。それはふつう直観と呼ばれているが、この直観を核にしない認識は、5年かけようと、15年かけようと無にひとしいということも正しいのである。なんのひらめきもなく、ただ現実過程の受動的反映にすぎないデータの束をかかえて恍惚としている者たちを「専門家」という。(平岡正明)

筋のいいキチガイとは、《極小と極大とがあってその中間のないもの》という思考形態をとる。過敏な自我が宇宙論と直結していて、中間の、国家、民族、階級、現状判断、主体性といったものがない。ユートピアの次のページが行動指針になっている。(平岡正明)



『平岡正明論』(大谷能生著)を読む。この本では平岡の思想的(?)評価が中心で平岡の人となりにはほとんど触れられていないので、平岡本人の著作が猛烈に読みたくなる。


しかし、いま、著者ははっきりとこう断言できる。あらゆる解釈が無益だ。ほんとうにそうなのだ。もしそれが青白い閃光のような懐疑の一瞬であったならば、それはそれにおいて充足しているだけのものである。それは、そのような内的体験を持つことで充足することに本質をもっているのである。そして、このような本質的な非条理はだれもがもっているものだし、むしろそれは実現された自己認識の世界よりも大きい。(『韃靼人宣言』より)







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2019/6/16 | 投稿者: pdo

深沢七郎「カタギの舌で味わう」

バーのホステスというのは職業だ。要するに、稼ぐということが目的だ。「あら、ちょっと私をそこへ座らせてよ」なんて言って座ると、もう座り賃がつく。それでまたすこしたつと、ほかの所へ行って座り賃を稼ぐ。ただ、一番重要なことは、そういう自分が楽しむんじゃなく、稼ぐということがひとつの職業になった場合、労働とちがうんです。こびを売ると昔の言葉は言うけど、好きでもない男の人にいいわねなんていうこと、それでなにかもらいたくてニヤッと笑ったり、そういうのをこびを売るというけど、それで金を稼ぐ職業だけど、それは、実際に働いたこととはちがう。春を売るというのともちがう。春を売るのは、肉体を提供して稼ぐことね。

ほんとに働くことと水商売のちがいは、たとえばここに、立派なお嬢さんがいて、そのお嬢さんがある期間、誰にも知られないように3か月だか1年水商売をやるわけです。立派な家庭のお嬢さんだから、だれにもわからないよ。そして、だれにも知られないうちに、お嫁に行く。ダンナも全然分からない。一生だれにもわからない。けれど、たったひとつ困ったことは感覚が狂っちゃうこと。いったん水商売をやってうまいぐあいに立ち回って稼ぐと、本当に働いた稼ぎでない金を手にすると、たとえば、神田から新宿まで切符を買うとする。水商売で感覚の狂った人の買った40円の切符と、1日1500円で働いた人の40円の切符とは、切符がちがってくる。彼女の切符と、働いた人の切符がちがうということは、ちがう道を行くわけです。今行ったお嬢さんが、水商売をしたことをだれにも知られずに一生を終わっても、感覚が狂っているから、切符を買っても、靴下を買っても、ネギを買っても、ちがった物になってしまっている。それは、どこかにほかのいいお嬢さんがいて、お父さんやお母さんにお金をもらって、銀座へ行っていい服を買ったりうまいもの食ってくるのと、水商売して感覚が狂ったのとはちがう。そこが、落とし穴みたいなもんなんだ。

水商売やった女(ひと)は、もう銭のこといえばすぐわかる。銭っていうのは50円とか100円とかいうのではなくてね。物でもバーンと気前良くしたり、かと思うといやに欲をかいたり。話がわかるような人から、うんととろうという考えがあったりする。大袈裟に言えば、そういう感覚が磨かれているからね。

そんなこと言っちゃ悪いけど、今川焼き屋してて、今川焼き買いにきた人が、銭を渡してくれるそれだけで、この人は水商売の人かな、カタギの人かなというのがわかるくらい。今川焼きの味まで違ってきてるわけだ。なにさこんな味っていうのと、これだけのお金ならこれくらいの味だろうっていうのと、もらった品物もちがう。うんと苦労して、砂漠の中で水を探して飲んだのと、水道の水を飲んだのとでは、同じ水でも、ちがう水の感じがする。それと同じ感覚で、今川焼きの味もちがうわけだ。

感覚によって、同じものでも味がちがってしまうっていうのは、おそろしいことですよ。だからオレは、なるべくカタギの舌で味わっていきたいと思う。



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