2021/3/15 | 投稿者: pdo

昨日の朝衛星放送で1985年夏の甲子園大会決勝PL学園・宇部商の試合を放送していたので観る。リアルタイムで見ていたはずなのだが、試合の中身は全然覚えていなかった。

追いつ追われつの白熱したゲームで、PLがリードを許すたびに清原がホームランを打って2度追いつき、最後はサヨナラ安打で勝つというドラマチックな試合に数十年ぶりに感動した。

僕が野球を一番一生懸命見ていたのは小学生からこの頃の間で、小学生の頃は毎日、朝は家で購読していた報知新聞を見て巨人の先発投手をチェックし、夜の野球中継が始まるまでは6時からラジオを聴き、7時からは家族3人で巨人戦を見ながら夕食を取るのが毎日の日課だった。

大阪に住んでいたので周りは阪神ファンばかりだったが、父親が熱烈な巨人ファンだったので、僕も巨人を応援していた。江川が先発の日は一日中心が躍った。

1985年は阪神タイガースが優勝した年で、大阪はお祭り騒ぎだった。PL学園の優勝にも大阪人は狂喜した。阪神はバース・掛布・岡田のクリーンアップのいた黄金時代だった。

桑田と清原がドラフトで巨人と西武に行き別れ別れになった騒ぎの時の記憶はあまりない。しかしプロ入り1年目で30本以上ののホームランを打ったの清原の大活躍だけは鮮明に覚えている。

あれから三十余年の年月が流れ、2008年に現役引退した桑田が、今年から巨人の投手コーチ補佐として、引退後初めて巨人のユニフォームを着ることになったということも、昨日ネットで調べて初めて知った。思わず近くの図書館へ行って桑田真澄の本(『野球を学問する』、『心の野球』)を借りて一気に読む。

桑田と清原は好対照なキャラクターで、破天荒で暴力的(?)な清原(故に面白い)に対して、模範的な優等生タイプの桑田(故に面白くない)というイメージがあり、さらに桑田には現役時代のいくつかのスキャンダル報道から、何となくグレーな印象を抱いていたのだが、これらの本を読んで、桑田に対する印象は完全に変わった。さらに、巨人のコーチに就任して選手たちを指導する桑田のテレビドキュメンタリーや、各種の動画を見て、彼は近い将来、日本の野球界を指導する人物になるに違いないと確信した。

桑田は少年野球の頃から、指導者や先輩たちからシゴキと称する殴る蹴るの暴力を受け続け、プロになってからも、野球界の種々の理不尽な掟を実感し続けてきた。彼が現役を引退してすぐ早稲田大学の大学院に入学し、野球やプロスポーツの仕組みについて学問的に学ぼうとしたのは、戦前からの前近代的体質を受け継ぐ野球界を変えたいという意思を実践するための活動の始まりだった。現役時代から今までずっと少年野球の指導も行い続けてきた。

彼が野球界の現場から離れていたこの十数年は決して無駄な時間ではなかった。これから桑田は、野球界全体の指導者として、なくてはならない存在になっていくだろう。逆に、そうならないとしたら、日本野球は衰退消滅の道を辿ることになるだろう。

そして清原は、2016年の覚せい剤事件の執行猶予期間が2020年に満了し、社会復帰の道を歩み始めている。数日前、清原が、野球好きの少年のバッティングを、その父親の前で懇切丁寧に指導する動画が彼のユーチューブチャンネルで公開され、大きな反響を呼んだ。清原もまた、これからの野球界になくてはならない存在となるに違いない。

2021年の今、僕の少年時代のヒーローだった二人の素晴らしい野球人が、新しい形で野球界を引っ張っていこうとする姿を目撃できて、本当に嬉しい。

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2021/2/2 | 投稿者: pdo

町山VS菊地のツイッター論争(?)が激化している、というより論争に持ち込みたい菊地に対し、菊地に「トランプ支持者(≒陰謀論者)」「レイシスト」のレッテルを貼って被害者を装って逃亡(だが自分の信者へはツイッターを通して自己正当化アピール)している町山という醜いことになっている。

菊地が公開討論の要請を取り下げてから「後出しジャンケン」で「敵」の過去発言の一部を貼り付けて「レイシスト」のレッテル貼りを行うとは卑怯なこと極まりなく、これはとても穏やかに収まる話しではなくなった。

とはいえ、菊地の側にも、町山という人のパーソナリティ(性格、知能及び精神的傾向)を見誤ったのではないかと思われる節もある。そしてこの問題の底には、かつての「オザケンBLMツイッター騒ぎ」にも通じるものがあるような気もする。

ハッキリ言って一般社会にとってはどうでもいい話で公益性があるとも思えないが、菊地成孔の有料ブログの読者としては、このまま菊地が黙って引き下がるとは思えず、次の展開を震えながら待つしかない。


追記

2月2日の深夜(菊地が大谷能生と出演したDommuneのアルバート・アイラー特集の直前)、成孔氏がツイッターを連投し、それがある意味「レイシスト」以上に「センシティブな」テーマに触れるものであったため、案の定大炎上(?)している。

今回の発言は、菊地ファンにすら動揺を与えている模様だが、本当に過去からのファンであればさほど驚くべきこととも思えず(彼のポリシーに何ら反する発言とは思えず)、予想とは違う形で盛り上がったのを楽し気に眺めていることしかできない。

追記の追記

たぶん1カ月もすれば忘れ去られるのだと思いたいが、上記の菊地成孔のツイートが波紋を呼び続けているので、備忘録として現時点(2月4日正午すぎ)の感想を書きつけておく。

町山は菊地が「在日朝鮮人」や「ADHD」の属性をあげつらって町山を批判しているのが「フェア」ではないと「ツイート」することで「小鳥たち」の圧倒的支持を受けているように見えるが、そもそも「トランプ支持者」とか「レイシスト」といった「レッテル貼り」に基づいて菊地を批判したのは町山である。

ツイッター上ではそうした「単純なレッテル貼り」に基づく幼稚な議論しかできないので、直接しっかりと対話しよう、との菊地の呼びかけを無視して、自分たちのフォロワーに対して「菊地はレイシストだ」というさらなるレッテル貼りで応えたのが町山の不誠実な態度だ。

しかも町山が「レイシスト」のレッテル貼りを行ったのは、菊地が公開討論の呼びかけを取り下げると宣言した後であり、きちんと対話する心配(?)がなくなったことを確認してから、菊地が自身の有料サイト「ビュロー菊地チャンネル」のブログのコメント欄(これは無料でも見れる)の当該発言部分のみをスクリーンショットしたものを貼り付けてツイートしたのである。

こうした町山の行いが「フェア」ではないことは明らかであり、菊地による最後の一連のツイートは、こうした町山の薄汚いやり方を受けて書かれたものだ(表向きには町山がADHDをカムアウトしているのを知って衝撃を受けたからと書かれているが)。

そもそも、菊地による最後の一連のツイートは、「小鳥たち」が乱暴に要約するような「お前(町山)はADHDだから対話にならない」という内容ではない。そういう「乱暴な要約」こそがツイッター(SNS)の特性であり、単純に要約できない内容であるからこそ長文のツイートにしかできないのだということが「小鳥たち」にはまったく分かっていない。

だが、こういう議論をツイッター上で続けることが不毛でしかないことは明らかであり、結局のところ、SNS規制論者の菊地成孔自身がSNSというドラッグの危険性を身をもって示す形となったという話だと理解している。

リアルでの失言ということで言えば、失言が服を着て歩いているようなモリモト爺さんの「女が会議に出たら長くて困る」というIOCを激怒させているのに比べれば1億倍可愛いもんだと思うが…
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2021/1/12 | 投稿者: pdo

森功著『高倉健 隠し続けた七つの顔と「謎の養女」』 (講談社文庫) という本を読んだ。

江利チエミと離婚した原因が、チエミの異父姉による横領事件だったことや、高倉健が死ぬ直前に養子縁組した養女が全財産を相続して好き放題やっていることなど、知らなかった事実が色々書いてあって興味深かったが、それらの「闇」の真相を解明するまでには至っておらず、煮え切らない読後感のみが残った。

ところで、コロナ禍とSNSと現代社会の種々のストレスからなる相互作用で、色々なところで精神的奇病ともいうべきものが発症している。

今興味深く見ているのが、町山智浩と菊地成孔の件だ。

個人的な備忘録として書くので、どうでもいいという人は遠慮なくスルーして下さい。

事の発端は、今年の1月8日に、映画評論家の町山智浩が、2019年6月4日付で菊地成孔が書いたウェブ連載記事「トランプを支持する(皮肉ではない)」を自分のツイッターにリンクさせて、「現場では白人至上主義とかネオナチの匂いがしますよ」とコメントしたこと。

それを第三者から知らされた菊地は、自身の有料メルマガの中で町山に対し反論を書き、さらには1月10日付メルマガで町山に公開討論を申し込んだ。

町山はこれについて応じるつもりはないと水道橋博士とのユーチューブ配信の中で言及。

今この段階で、これ以上進展する可能性は低いが、なぜ興味深いかと言うと、町山は少し前にも哲学者東浩紀にツイッター上でかみつき、「東浩紀は腹が据わってない。危なくなるとすぐ逃げて上手くいかないと誰かのせいにする」などと一方的に批判していて、東はこれに対しては相手にせず直接的な反論を行わなかったのに対し、同じように一方的に「晒された」菊地が「正義派ヅラしたSNSジャンキーに鉄槌を降す」べく正面から受けて立ったからだ。

もちろん菊地も東同様に「相手にしない」という選択肢を取ることも可能だったのだが、菊地と町山の間には過去に映画「セッション」を巡ってウェブ上で激しく「やり合った」経緯もあるので、「すわ第2ラウンド開始か」と僕のような野次馬が盛り上がっている(?)。

僕は菊地成孔の本はほとんど全部読んでいるが、町山智浩の本は読んだことがない。

サブカル界隈(?)では信奉者(?)も多く、アメリカ在住(?)で政治的にはリベラル(?)な立場から鋭い(?)発言をし続けている人、という印象しかない。

ここはひとつ、菊地成孔とがっつり正面から対話してもらって、かみ合わないならかみ合わないでいいから、「SNS小児病」にどっぷり冒されたネット観衆の前で、「大人の喧嘩の流儀」というものを(菊地成孔に)見せてもらいたいと期待しているのだが。
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2020/11/26 | 投稿者: pdo

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ぼくは魔法使いじゃないよ。ぼくはフィオリートで生まれたディエゴだ。でも、魔法使いとはフィオリートに住む人びとをさすと言っても間違いじゃない。彼らは1か月を1000ペソ(ほとんど最低限の生活しか賄えない額)で暮らしているんだから。

―ディエゴ・アルマンド・マラドーナ(1960−2020)



国内外問わず、プロのサッカーの試合をリアルタイムで追いかけなくなってからもう久しいが、ぼくにとってマラドーナは常にサッカーの代名詞だった。いや、サッカーだけではなかった。

アルゼンチンの人々やイタリアのナポリの人々やその他大勢の人々にとって、マラドーナはサッカー選手以上の存在であり、自分の感覚もそれに近い。だが、ここはやはりサッカーについて語るべきだろう。

ぼくは、小学生4年から6年まで、親に勧められて、地元の少年サッカークラブに通っていた。

田舎の、特に強豪でもないチームだったが、ぼくの運動神経では一軍でのプレーは叶わず、二軍のチームで地元の大会に出ては1回戦で負けていた。

それでも、何も練習していない子供よりは多少ボールが扱えたので、小学校のサッカーチームではそこそこ活躍でき、それがぼくにとってスポーツで楽しかった唯一の思い出だ。

その頃、日本はJリーグができる前で、サッカー少年がプロのサッカーの試合が見れる機会は、テレビで毎週土曜日に45分だけ海外のサッカーリーグの試合を放映する「ダイヤモンドサッカー」という番組があるだけだった。

その番組で、当時アルゼンチンのボカ・ジュニアーズというチームでプレーしていて、ワールドユース大会のため来日するディエゴ・マラドーナという注目選手の特集をしていた。

強烈なドリブルが武器で、一人でゲームを支配できる決定的な才能は、もはや全世界が注目していた。1978年のアルゼンチン・ワールドカップには出場しなかったが、今アルゼンチンで最も期待されている選手ということだった。

当時ワールドユースの試合は見ていないが(後日、埼玉県営大宮公園サッカー場でのアルゼンチン代表の試合のNHK中継(解説岡野俊一郎)のビデオを入手して観た)、『サッカーマガジン』の記事を切り抜いて、部屋にマラドーナのポスターを貼っていた記憶はある。

それは、舌の先をチョロっと出しながら全力でドリブルしているマラドーナの写真で、こんなポーズで走っていたら転んだ時に舌を噛み切るから危ないので真似しないように、と親だかサッカーのコーチだったかに言われたのを覚えている。

ぼくにとってのマラドーナとの本格的な出会いは、1982年のスペイン・ワールドカップだ。そのためにVHSのビデオデッキを親が購入して、日本では真夜中に行われる現地の試合の生中継を録画し、リアルタイムでも夜中に起きて観ていたと思う。

うっすらと覚えているのは、二次リーグのアルゼンチン・ブラジル戦で、マラドーナが相手選手の腹に蹴りを入れて退場をくらったシーンである。

十字を切りながら天を仰いでフィールドを後にしたマラドーナの髭の顔が一瞬イエス・キリストのイメージとダブった。明らかに反則を犯したたのはマラドーナの方なのに、何だか殉教者に見えて同情することしかできなかった。

マラドーナはその前の試合(イタリア戦)で、「殺し屋」とも呼ばれたディフェンダーの激しいマークを受け、プレーを封じられて苛立っていたという話もあった。後にマラドーナは、スペインのF.C.バルセロナに移籍してからも、マンツーマンの執拗なディフェンスによるファウル攻撃に苛立ち、試合中に大乱闘を演じたこともある。

マラドーナの黄金期は、言うまでもなく1986年のメキシコ・ワールドカップと、その後のイタリアのナポリ移籍後の活躍である。

メキシコのワールドカップをリアルタイムで体験できたことは(もちろん現地に行ったわけではなくテレビ越しに観ただけだが)、ぼくの最も幸福なサッカー体験の一つである。

このときのマラドーナの活躍は、まさに魔法使いのようだった。

ボールを持つたびに、信じられないプレーをした。

有名なイングランド戦の「5人抜き」、準決勝のベルギー戦の2得点、そしてあのイングランド戦の「神の手」ゴールと、すべてが伝説になっている。

それ以外にも、マラドーナがこの大会で見せた人智を超えたようなプレーは無数にあって、今でもユーチューブなどで見れると思う。

マラドーナは、イタリアのセリエAではあまりパッとしない弱小チームのナポリに移籍し、そこでチームを二度スクデット(優勝)に導くという奇跡のような御業を行った。ナポリでの活躍は、残念ながら日本には中継がなかったので、リアルタイムではほとんど見れていない。時々「ダイヤモンドサッカー」で放映していた程度だ。

このナポリ時代のプレーを見たくて、大人になってから、何十枚もの輸入DVDを購入した。そこでもマラドーナは魔法としか言いようのないことをしていた。

だが、彼の身体はこの時点で既にコカインをはじめとするドラッグに汚染されていた。夜通し酒やドラッグをやった後で、ろくに練習もせず試合に臨んで、このようなプレーをしていたのだから、彼は神から与えられた無限の才能を濫費し続けていたとしか言いようがない。

あるいはアルゼンチン国民やナポリの人々、世界の貧しい恵まれない大衆に喜びを与えるために特別な許可を神から与えられていたと言うべきか。マラドーナは、「ぼくは髭づら(キリスト)とホットラインでつながっている」と豪語していたという。

マラドーナの死去を報じるにあたって、ほとんどすべてのメディアが「神の子」という表現を使ったのが興味深い。

実際、全盛期の彼のプレーは神がかりのように見えた。あれほどの執拗なマークとファウルすれすれ(今の基準なら明らかにファウル)のタックル攻撃を浴びながら、数少ないチャンスの中で試合を決める決定的なプレーをした。あのオランダの名将ヨハン・クライフの「トータル・フットボール」がチームワークの賜物とすれば、彼の作る試合は、個の力による芸術作品のような感動を与えた。

神がかりの威光に陰りが見え始めたのは、1990年のイタリア・ワールドカップだった。

ここでマラドーナは、満身創痍になりながら、決勝まで進んだ。

準々決勝のブラジル戦では、猛烈なドリブルからのキラーパス一本で試合を決め、準決勝では、開催国イタリアと戦い、ナポリのファンたちを複雑な思いにさせた。マラドーナはここでヒール(敵役)を演じる不幸な巡りあわせとなった。

1994年のワールドカップ以降の、「お騒がせセレブ」のようになってしまったマラドーナについてはよく分からない。それでも、彼の奇跡を体験したアルゼンチンやナポリやその他のサッカーファンの多くと同じく、ぼくも彼を責めたり、非難したり、軽蔑したりする気にはなれなかったし、口幅ったい言い方をすれば、愛することしかできなかった。

彼が亡くなった今も、それは変わることはない。

彼は自分の影響力を使って常に、権威者たちの欺瞞を告発し、同類たる社会的弱者たちへの愛情の籠った労りの言葉を発していた。

彼が第三世界の貧しい人々から圧倒的な支持を受け続けた理由がそこにある。

ディエゴ・アルマンド・マラドーナを地に遣わしてくださったサッカーの神に感謝。

彼の魂がいまやそのみもとで安らかにあらんことを。





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2020/8/13 | 投稿者: pdo

小学生の一人娘が居ます。アニメとゲームをこよなく愛する40代のおばちゃんです。コロナと政治の呟き多め、コロナ脳ですがなにか?コロナはハイブリッドAIDSで血液の病気ですよ!毎日悶々と学校の事考えてます。たまにアニメの事呟きたい。

子供達の未来は長いですから、コロナ感染してPTSDになったり、他の精神疾患になってしまうと勉強所ではなくなります。一生の苦しみとして残りますから、家庭の事情も考え、休ませることが可能な家庭は休ませた方が良いかと思います。
サポート稼ぎより、命と心を優先。ワクチン待ち。

学校も教育委員会もあほすぎて話にならないので欠席理由は自主休校って言いました。
小学校を休ませました。気を付けないと命が危ないって言っても写真を撮る時だけ取れない?って聞いたそうです。もう無理。

「そんなにコロナが心配なら自分の子だけ休ませれば?」というのをものすごくたくさん見る。だけど、一斉休校を訴える人は自分の子供だけでなく他の子供や先生、その家族が苦しむことのないようにと思ってるのです。みんな一緒じゃなきゃ、という話ではない。

たらい回しの現実について。
発熱がおさまらず、動悸・息切れ・咳症状があり、採血や心電図などの検査を求め、かかりつけ医にTEL。発熱中は受診できない為、保健所へ相談するように、との指示あり。朝9時保健所へTEL。14:30頃折り返しTELあり。紹介できるところはないとの返事。

自分で近所のクリニックをネット検索し、片っ端からかけ続け、発熱者でも受診できるところを探せと。この対応はあんまりではないかと思い、思いを告げると、市役所感染症対策室にTELせよとの指示。そこから更に保健医療課へ電話を回された。しかし現状を伝えても、同じ回答しか得られず。

頭にきたので、医師会へTEL。保健所からの紹介しか受け入れないとの返事。厚労省へTEL。保健所へ相談せよと。しましたと言っても、厚労省としては保健所へというしかないと。要は現在市において発熱者は陰性でも受診できないということです。どうなんでしょうか?

これでインフルエンザ流行の季節になってインフルエンザになったとしても。受診できず投薬も無しになりますね。せっかくタミフルやリレンザとか薬があるのに。だからこそ検査・隔離で抑え込まなければならないのに体制強化に金も人も使わければならないのに怠ってきた付けが回ってきているのでしょう。

芸能人などは、すぐ検査も出来て入院出来るのに本当に腹がたつ。発熱=コロナって全て決めつけないでほしい。今年インフルエンザなっても病院にもかかれず薬も出してもらえないだろうから不安でしかない。

だから文科省職員に学校の新しい生活様式についてお尋ねしました。

Q:感染者が毎日増え続ける中でなぜ予防を緩和するのか?

A:教員が疲弊している

Q:業者に頼める様に予算を出さないのか?

A:あなたの様な時間のある方が協力して下さい

Q:父兄に消毒しろと?

A:気になるのであれば。地域によりますし、今以上の消毒は必要ないです

Q:学校クラスターありますよ?6月から再登校して242名子供が感染してるじゃないですか?

A:学校で感染してるとは限らないでしょ?

Q:3月〜5月は子供は海外からの濃厚接触者家族以外にほぼ居なかった。5月末から学校再開してから増加したんでしょうがっ。現にクラスターが各地で始まっているじゃないですか。

A:じゃあ学校行かずに家でこもるつもりですか? 学校は必要なんです!!!!!(怒鳴られたわ)

Q:学校は必要です、ウチの子は学校が大好きです。ですが、疲弊してるんです。この酷暑の中を一日中マスクを着け、履修を削る事なく、詰め込みの授業で夏休みも短縮で厳しい暑さの中を登校するんです。熱中症で倒れる子も、搬送される子も居ました。これが正しい学校教育の現場でしょうか?

A:当初はコロナの実態がつかめなかった、だが子供は軽症・無症状が判明した、だーかーらー学校再開したんです。熱中症が心配でしょう?だからマスクを外してと通達してるんです

Q:マスク外したら感染するじゃないですか?(アホなん?)子供は軽症かも知れないが、親・家族が感染したらどうなります? 子供の面倒は誰が? 働く事も出来ず、生活はどうなるのですか?

A:熱中症が危ないんでしょ?コロナで死亡してない。

Q:死亡者が出てから考えると? 現に死亡者は居るし、それは問題発言では?

A:言ってませんよー文科省職員としては!個人の感想です。コロナだけじゃないでしょ?色んな病気あるじゃないですか、休校します?

Q:感染症は確かにありますがでもコロナは検査10分でして貰えますか? コロナはワクチンありますか? 投薬もらって寝てたら完治しますか? あなた子供いませんか?大切な家族は居ないのですか?

A:居ますけど何か?

Q:とにかく子供は疲弊してます、ここまで感染者が増えた今、休校延長すべきでは?

A:いや時間ないでしょ?

Q:時間ないから、履修科目を減らせば良いじゃないですか。主要科目に軸を置き、音楽・体育・道徳・図工、少しづつでも削れませんか? 受験に関しても、見送り提言の際に試験延長すると提言してました。結局日程変わらずです。

A:じゃあ受験生だけ、5教科のみを履修すれば?

Q:それは屁理屈でしょ?詰め込み教育を再考願いたい。そもそも今年度延長決めてれば
感染増えたら休校、落ち着いたら再開、中止になった行事も出来たでしょう? それから、運動会も歌唱も再開すると聞きました。カラオケクラスターあるのに、歌唱必須ですか?
運動会、熱中症・感染のリスクの中、必要でしょうか? 市教委に聞くと、上からの通達です!と

A:まあ確かにウチの子の学校は運動会中止になりましたよ。自治体に任せます

Q:中止ですか?羨ましいです。とにかく、学校どころではないです。提言に盛り込まれていた、オンライン授業も間に合わない。GOTOはする、感染増、8月登校なんて熱中症で登校どころではありません。休校延長願います、伴う今年度延長願います。文科省が3月にゴールを決めてるから、詰め込みなのです。ゴールを再考して下さい。秋冬に向けて(GOTOの所為で9月もクラスターだと思ってる)3波もあるでしょう。詰め込みでも間に合いません。センターを共通に変更され、その上コロナです。受験時期も考えたら3月なんて、あまりに無情では?

A:ウチも去年受験でしたから、まあ分かりますがね

Q:そうですかー去年で良かったですね。親の気持ちとしてはホッとされたでしょう?

A:ええ、今年じゃなくて良かった!と思いましたよ

Q:( 一一)ですよねー(自分だけ助ければ良いんだろうがボケ)ありがとうございましたm(__)m

文科省 TEL 内線

もしこの職員苗字をお知りになりたければ、DM下さい
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