2019/6/16 | 投稿者: pdo

深沢七郎「カタギの舌で味わう」

バーのホステスというのは職業だ。要するに、稼ぐということが目的だ。「あら、ちょっと私をそこへ座らせてよ」なんて言って座ると、もう座り賃がつく。それでまたすこしたつと、ほかの所へ行って座り賃を稼ぐ。ただ、一番重要なことは、そういう自分が楽しむんじゃなく、稼ぐということがひとつの職業になった場合、労働とちがうんです。こびを売ると昔の言葉は言うけど、好きでもない男の人にいいわねなんていうこと、それでなにかもらいたくてニヤッと笑ったり、そういうのをこびを売るというけど、それで金を稼ぐ職業だけど、それは、実際に働いたこととはちがう。春を売るというのともちがう。春を売るのは、肉体を提供して稼ぐことね。

ほんとに働くことと水商売のちがいは、たとえばここに、立派なお嬢さんがいて、そのお嬢さんがある期間、誰にも知られないように3か月だか1年水商売をやるわけです。立派な家庭のお嬢さんだから、だれにもわからないよ。そして、だれにも知られないうちに、お嫁に行く。ダンナも全然分からない。一生だれにもわからない。けれど、たったひとつ困ったことは感覚が狂っちゃうこと。いったん水商売をやってうまいぐあいに立ち回って稼ぐと、本当に働いた稼ぎでない金を手にすると、たとえば、神田から新宿まで切符を買うとする。水商売で感覚の狂った人の買った40円の切符と、1日1500円で働いた人の40円の切符とは、切符がちがってくる。彼女の切符と、働いた人の切符がちがうということは、ちがう道を行くわけです。今行ったお嬢さんが、水商売をしたことをだれにも知られずに一生を終わっても、感覚が狂っているから、切符を買っても、靴下を買っても、ネギを買っても、ちがった物になってしまっている。それは、どこかにほかのいいお嬢さんがいて、お父さんやお母さんにお金をもらって、銀座へ行っていい服を買ったりうまいもの食ってくるのと、水商売して感覚が狂ったのとはちがう。そこが、落とし穴みたいなもんなんだ。

水商売やった女(ひと)は、もう銭のこといえばすぐわかる。銭っていうのは50円とか100円とかいうのではなくてね。物でもバーンと気前良くしたり、かと思うといやに欲をかいたり。話がわかるような人から、うんととろうという考えがあったりする。大袈裟に言えば、そういう感覚が磨かれているからね。

そんなこと言っちゃ悪いけど、今川焼き屋してて、今川焼き買いにきた人が、銭を渡してくれるそれだけで、この人は水商売の人かな、カタギの人かなというのがわかるくらい。今川焼きの味まで違ってきてるわけだ。なにさこんな味っていうのと、これだけのお金ならこれくらいの味だろうっていうのと、もらった品物もちがう。うんと苦労して、砂漠の中で水を探して飲んだのと、水道の水を飲んだのとでは、同じ水でも、ちがう水の感じがする。それと同じ感覚で、今川焼きの味もちがうわけだ。

感覚によって、同じものでも味がちがってしまうっていうのは、おそろしいことですよ。だからオレは、なるべくカタギの舌で味わっていきたいと思う。



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2019/6/15 | 投稿者: pdo

つぶやきシローの書いた小説『私はいったい、何と闘っているのか』を読む。

若い世代は「つぶやきシロー」といってもピンとこないのかな。相当むかし、一番人気が出たころに「つぶやきシロカセ」というのを買ったことがあるくらい、彼のネタが好きだった。

2016年に出たこの小説は、彼のつぶやきネタの延長のようでありながら、ストーリーや構成もしっかりした、見事な作品だ。

それにしても芸人で文才のある人の多さには驚かされる。まあ面白いことを考えてそれを他人に伝わるように巧みに表現する仕事なのだから、その達人といってよい人たちの書くものが面白いのは当然なんだけど。

涙が出るほど笑わされ、最後には本当に涙が出る。

サラリーマンの悲哀という言葉で括るにはあまりに切ない、同時にめちゃくちゃに笑える、そしてたまらなく愛おしい。最初の数章は、変な人のぶっとんだ思考回路と行き切った行動を独白で表現する中原昌也的な世界を感じさせたが、途中から意外な展開を見せる。

ドラマや芝居にしても面白そうだが、こうやって小説の形で表現する方が深みと味わいがあるような気がする。

いいものを読ませてもらった。
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2019/6/14 | 投稿者: pdo

大友良英の震災後の活動記録『クロニクルFUKUSHIMA』(2011年10月)と翌年に出た対談集『シャッター商店街と線量計』(2012年12月)を読むと、その翌年のドラマ「あまちゃん」にダイレクトに結びついているのが分かって大変興味深い。

あの震災をきっかけに、というわけでもないが、2011年から動き出したものは色々とあって(TBSラジオ『粋な夜電波』が始まったのも2011年4月だ)、あの震災と原発事故の影響がまだ終わっていないように、それらの動きも現在進行形で展開している。

来年の東京オリンピックが新生日本の嘲笑的抽象的象徴的なイベントになるとはとても思えないので、2011年からの新しい運動(それは非常に分かりにくい形であちこちに存在している)を総括するような何か象徴的な出来事(できればポジティブなものであってほしい)がそのうち起こるに違いないとの確信めいた予感がないとやっていられない。

あらゆることはきっとよくなるという根拠のない自信だけがいかなる現実をも凌駕する。たぶん。きっと。私はいったい、何と闘っているのか。
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2019/6/10 | 投稿者: Pdo

夢は期待を裏切らない

時の流れに身を任せてはならない

恋愛は算数じゃない

大友良英さんの影響でDerek Baileyを聞こうとして見たのだがそこまでまだ耳が肥えていないようだった残念。

やっぱコルトレーンくらい。キャノンボールとか。アセンションはきつい。
パラレルワールドっぽいノリで行くとどうなるか。次元上昇まで行くか。行くのか。
これ以上音楽が好きになれない所まで行ければ。

それでもジャズだのポリリズムだのカッコつけて聴いてみても、結局表層的なメロディーが好きかどうかだけの勝負になっている。そう決めようとしなくてもそうなっている。

だからチャーリーパーカーの頭の中身が知りたい。あれだけのプレイができるのだから頭の中がバーカーではあり得ません。

コルトレーンの至上の愛を約30年ぶりに聴いたらやっぱスゴイ。こんなスゲかったんだなやっぱし。でもポリリズムとかコードとかモードとか深い所がわかってるわけではやっぱりなくて、表層的なメロの追いかけやすさとかそんな部分でしか感動できてないだよな結局の所。でもそこまでの人はいるほどはいなく、大半はわかっちゃったようなフリをしているだけなんだろう、きっとそうだろう。でもオレだけは、、、とか言って。

チェットベイカーの歌って、ていうか声って、犯罪的、ていうかもう犯罪のレベルだよなやっぱし。禁固刑が相当じゃないっすか。これはいかんと思うよ。

梅雨の夜更けにバナナとか食べたいなとか思いながらちょっと狂ったので書いた。天才はあきらめた。以上。
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2019/6/6 | 投稿者: pdo

Time after time
I tell myself I'm so lucky
To be loving you
I'm so lucky to be
The one you run to see
In the evening
When the day is through
I only know what I know
The passing years will show
You kept my love so young
So new
And time after time
You'll hear me say that i'm
So lucky to be loving you


ときどき自分に言い聞かせるのさ

君を愛することができてとてもラッキーだって

夜君が会いに駆けつける男が僕だなんて

すごくラッキーなことだと

一日が終わるとき

僕は自分の気持ちだけを知っている

何年経った後にも君への愛は若々しくて新鮮なまま

それでときどき僕は君にこう言うだろう

君を愛せるなんて僕はすごくラッキーな奴だって




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