2021/10/20 | 投稿者: pdo

八十年代に放送されたテレビ番組『ロック大全集』をVHS録画からDVDにダビングしたのを見返す。今となっては時系列的にはちょっとおかしな編集も多い。ストーンズの「オルタモントの悲劇」の映像の後にキンクスやらハーマンズ・ハーミッツやらの映像が出たり、ムーディ・ブルースの尺がやたら長かったり、ヒッピー達の映像(明らかにウッドストック)のバックにアニマルズの「朝日の当たる家」が流れたり。それでも貴重映像には変わりなく、これで基本的なロックバンドのイメージが自分の中で固まったのは確か。

同じ時期に、テレビ大阪で確か毎週土曜日の夜11時から洋楽のアーチストの特集番組をやっていて、ストーンズやらカーペンターズやらサイモンとガーファンクルらを見た記憶がある。こうして書いているとどんどん記憶が蘇ってくるが、FM大阪で「増田俊郎のマイナーリクエスト」てのも聴いていたのを思い出した。「忌野清志郎の夜をぶっとばせ」とか「上柴とおるのポップス・ア・ゴー・ゴー」なんてのもあったな。

「一昔前の少年時代、レコード・ジャケットを見ただけで何か鋭い予感が走り、レコードを聞くと背筋に冷水を浴びせられたような感覚が起こり、その場で自分が変わって行くのが明確に解るというレコードが、確実に何枚かあった。ドアーズのレコードも、そういった中のひとつであった」

と松村雄策は書いている。
僕はレコードは買わなかったが、上に挙げたような番組がそれに当たるのかもしれない。身銭を切って高いレコードを買う行為と一緒にしてはいけないとは思うが。

今もいいなあと思う音楽に触れる機会はあるが、十代の頃のあのインパクトはもう受けることはない。余計な知識がつきすぎて感受性が麻痺してしまったのだろうか。

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2021/10/19 | 投稿者: pdo

僕が十代のときに動くジミヘンドリクスやジムモリソンやジャニスジョプリンを見て感動したテレビ番組は、『ロック大全集 All You Need Is Love Part2』という深夜に放送された番組であることが分かった。VHSビデオテープで録画したのをDVDにダビングしたやつが家にあったのを見つけたので、再生してみた。

番組自体は、向うで作られた番組を日本人が紹介するという形の、昔ビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』を放送したときのようなスタイル。ホストが中村雅俊で、湯川れい子が解説者で出演していて、ゲストがケニー・ロギンスというなかなか面白い組みあわせだった。

ケニー・ロギンスが、ウイスキー・ア・ゴー・ゴーというライブハウスでデビュー前のドアーズを見て衝撃を受けたという話を熱心に語っていて、当時はまったく耳に入っていなかったのだが、今になって聞けば興味深い話だと思った。

今も社会の木鐸として元気に活躍されているが、この頃の湯川れい子さんも美熟女である。

この番組で流れる映像はどれも強烈にかっこよかった。ジミヘンのジョニーBグッドのギターソロ、ジムモリソンのライトマイファイヤーでの叫び、ジャニスのLittle Girl Blue、スプリングスティーンのプレスリーメドレー、イギー・ポップのPassenger、ボウイのChanges、ポリスのロクサーヌなどなど。

このときの衝撃がその後の音楽体験全ての根底にあるような気がする。
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2021/10/18 | 投稿者: pdo

昨日の記事を書いた時にはまだ読んでいなくて、今朝図書館でロッキング・オン最新号に載っている松村雄策「Stii Alive And...」を読んだ。

短いエッセイなのに全部読み切るのに心の準備も含めて一時間くらいかかった。

かなりショッキングな内容なのだが、いつもの調子で淡々と綴られる文章に凄みを感じる。

一九七二年、二十一歳のときに、「ロッキング・オン」の創刊に参加した。現在二〇二一年、七十歳になって、これからどうなるのかまったく分からない。あと一年でも二年でも、生きていくつもりでいる。しかし、これだけは分らない。

「ロッキング・オン」を読みはじめたのは八十年代からなので、七十年代の松村雄策の文章は、「アビイ・ロードからの裏通り」のような単行本で読んだ。

渋谷陽一や岩谷宏のような攻撃的で鋭い文章ではなく、むしろ淡々とした素朴な文章なのだが、その底にはとても熱くてずっしりしたものが隠されている、静かな迫力を感じた。

松村雄策といえば、とにかくビートルズである。ビートルズで人生を変えられてしまった、世界中に何十万といる若者たちの日本代表のような存在である。

僕は解散から十年以上遅れて来たビートルズファンのくせに、自分が世界で一番彼らのことを理解していると思っていた。何なら「ビートルズとは、僕だ」くらいに思っていた。そんなファンは世界にゴマンといるはずだ。

そんな自分も、松村雄策の前には首を垂れて聞き入るしかない雰囲気があった。彼がビートルズについて言うことなら間違っていても受け入れるしかないくらいに思っていた(別に間違ったことなど言っていなかったと思うが)。

松村雄策に、「本当にロックを聴いていいのは、俺のように不幸で貧乏な家庭で育った奴らだけだ。幸せな家庭で育ち、大学を出たような奴らにロックについて語ってほしくない」と言われれば、そうかもしれないな、と思った。だからといってロックを聴くのを止めることはなかったけれど、人前でロックのことを語る資格はないと思い止めた。

学校でロックについて話の出来る友人は誰もいなかった。僕がロック評論家(?)になる夢すら持たなかったのは、松村雄策や、当時「ロッキング・オン」に投稿していた凄い人たちにはとてもかなわないと思っていたからだ。

松村雄策はドアーズについてもたくさん書いている。僕もビートルズと同じくらいドアーズが好きだった。高校の卒業文集には青臭くドアーズの歌詞を引用したりもした。

1987年に出た「苺畑の午前5時」という小説も発売と同時に買って読んだ。いい小説だった。でもその後にはあまり小説は書いていないようだ。彼の本領はやはりエッセイ、それも音楽愛に満ちたエッセイの分野で発揮されるものだったようだ。

有名な「渋松対談」は雑誌では愛読していたが単行本になったのは読んでいない。

今必死にこんなことを書いているのは、彼の今月号の文章を読んで、まだ心がザワついて落ち着かないためである。あの松村雄策ですら、これを書くのに一年かかったのだ。

長年の読者に対して、できるだけシリアスになりすぎないよう、〈親愛をこめて〉語りかけるのに、それだけの時間が必要だったのだろう。

もう思い切って恥も忘れて書くが、松村雄策少年にとって、ビートルズを愛することは世界を愛し肯定することだったのだろう。ビートルズ以上にリアルで、〈本当のこと〉を表現している人間はほかにはいなかった。

世の中がどんなにヘヴィでどうしようもないものでも、ここに本物が、輝きがある。ビートルズの音楽だけでなく、それを愛する人の表現のなかにもそれは宿っている。松村雄策は一生を賭けてそのことを伝えてくれてきた。

このエッセイは、「長年の読者に病状を伝えたいと思った。今迄、ありがとうございました」と締め括られている。ただし、もうすぐ発表される『レット・イット・ビー』の新しいヴァージョンを見なければ、死ぬに死ねないと。

その新ヴァージョン(57曲入りスペシャル・エディション)は、10月15日に発売されたようだ。松村雄策は聴けた(見れた)だろうか。

その感想を是非聞きたい。

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2021/10/16 | 投稿者: pdo

5年前に脳梗塞で倒れたというのを知らなかったのだが、「ロッキン・オン」の最新号に松村雄策の文章が載っているというので、近くの図書館で彼の本(「僕を作った66枚のレコード」)を借りた後で本屋に寄ったら「ロッキン・オン」がなかった。宮本浩次が表紙の「ロッキン・・オン・ジャパン」は何冊も置いていたのだが。

松村雄策の本に書いてあることはいつも同じで、その同じなのが半世紀以上変わらないというのがすばらしい。「ビートルズの曲の中でカヴァーされた回数が一番多いのはイエスタデイだとずっと言われていたのだけれど、最近ではそれがノルウェーの森になったという。菊地成孔が粋な夜電波で言っていた」(44頁)という箇所を読んでなんだか嬉しくなった。たぶんビートルズ特集(2011年10月14日放送の「ビートルズにたかったジャズミュージシャンたち」)を聴いたのだろう。それとも毎週聴いていたのだろうか。

この本に載っているアルバムで、まだ聴いたことのないやつをサブスクで全部聴いてやろうと思ったのだが、早速スパイダーズで躓いた。

松村雄策とは一回り半違うので、自分が同じことをやったらだいぶ違うラインナップになるはずだが、半分くらいは被っているような気がする。
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2021/10/15 | 投稿者: pdo

松本清張は『昭和史発掘』の中で、二・二六クーデターが失敗に終わった最大の理由は、宮城(皇居)を占拠しなかった(できなかった)ことにあると考察している。

蹶起計画の中に宮城占拠の計画があったのでは、と最初に指摘したのは松本清張であった。

青年将校たちのバイブルであった北一輝の『日本改造法案大綱』には、以下のような経済制度が描かれていたらしい(Wikipedia参照)。

資本主義の特長と社会主義の特長を兼ね備えた経済体制へと移行する。

一定の限度額(一家で300万円、現在の30億円程度)を設けて私有財産の規模を制限し、財産の規模が一定以上となれば国有化の対象とする。

私有地の限度(一家で10万円、現在の1億円程度)を設け、都市の土地はその発達により価値が高騰するので全て公有地とし、これらを正当な賠償を与え実行する。

私業の資本金を1千万円(現在の100億円程度)に制限し、これも正当な賠償のもとに実行し、超過分はすべて国家経営を行う。

国有地になる農地は土地を持たない農業者に有償で配布する。

労働者による争議・ストライキは禁止し、労使交渉については新設される労働省によって調整し、労働者の権利を保護する。

会社の利益の2分の1を労働者に配当する。また労働者に対して、株主としてもしくは代表者を選んでその会社の経営に関して発言する権利を認める。農地労働者にも同様の保護を与える。


これだけ見れば共産主義(社会主義)とたいして見分けがつかないが、天皇による戒厳令の下で軍がこの制度移行を強制するという意味では、国家社会主義(ナチス)と基本的には同じ発想である。

北一輝は若い頃にこの本を書いた後はまとまった著作を記しておらず、晩年(といっても死んだときは五四歳にすぎなかったが)は法華経にハマり、毎日読経でトランスして、奥さんにも神がかりのようにさせて「霊告」を語らせていたというから、エセスピリチュアリストの一面もある胡散臭さのカタマリのような人物であったようである。

二・二六クーデターが成功したら、日本はポルポト政権下のカンボジアのようなことになっていたかもしれない。
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