2021/7/13 | 投稿者: pdo

 二、三日して俊介は主婦相手の座談会をかねた講演会に出かけた。大学の講師をしながら外国文学の翻訳をしている俊介は、日本文学の翻訳紹介者として二年前にアメリカの大学に出張して一年間滞在した。アメリカから帰ってから、俊介はアメリカの生活について語るうちに、いつのまにか、こういうものにひっぱり出されるようになっていた。
 その小旅行からもどって二週間ほどして、ある夜、俊介が家へ入ってくると、「帰ってきた、帰ってきた」と高校生になる息子の良一のいう声がきこえた。ガラス戸をあけて、応接間へ顔を出すと、テレビの前に、中学生のノリ子も、ジョージも、時子もいて、良一とジョージがビールをのんでいた。俊介は笑ってあいさつをして、割りこもうとすると、ジョージがある表情をして、彼の方を見た。するとみんなが笑った。時子も、
「ほら、こうなのよ」
 といいながら、ジョージと同じ表情をする。一体これは、何のマネだろう。時子は、
「ほら、ほら、そうでしょ」
 とその表情のまま、俊介の方を指さしている。早くこたえなければならない。
「ああ、おれの顔か」
 といいながら俊介は渋面を笑顔に切りかえた。いかにもよく似ている。自分に面と向かってこういう顔をするのだから、妻に底意はない、と彼は思った。
 俊介はしばらくその場にいて、そのジョージが、猿のマネをしたり、山羊の鳴き声をしてみせたりしているのを、笑っていた。
 俊介は時子の、夫の物マネを含めて外人のしてみせる百面相に声を立てて笑っていたが、その笑い声に寒気をもよおした。その笑い声はさきほど家へ入ったとき、鐘をならしているようにきこえていた。


俊介の渋面(「この家は汚れている」といつも考えている顔)が家族の揶揄いの対象になっている。ジョージが、俊介の表情を真似て見せる。それを見て、時子も良一もノリ子も笑っている。

晩年の小島信夫は、枯淡の境地のような澄んだいい表情をしている写真が多いが、若い頃の写真など見ると、いかにもくせもの、としかいいようのない、ちょっと厄介そうな人間、という感じがありありと見える。家庭の中でもそんな表情でウロウロしているとしたら、揶揄の対象にでもしなければやってられないぜ、という、家族に同情的な気分にもなろう。

俊介は、自分を正面から揶揄する時子を見て、彼女に底意はない、と思う。で、一緒になって笑う。

ところで、この日本語は文章としておかしいので、もう一度原文(文庫)を確認して見たが、やはり同じであった。

俊介は時子の、夫の物マネを含めて外人のしてみせる百面相に声を立てて笑っていたが、その笑い声に寒気をもよおした。

こういう文章が、小島作品の独特のひっかかりを生み出している。後期の小説になると、もはや日本語として破綻しているような文章も目立つようになるが、この小説では、まだそれほど目立たない、とはいっても、確かにまぎれ込ませてある。どこまで意図的であったのだろう。
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