2021/7/31 | 投稿者: pdo

 それから、時子は真剣に考えこむようにいった。
「もうとりかえしがつかないわよ。あの女は私達を笑いものにするわよ」
 時子は玄関に出て靴をはいてゆっくりと表へ出た。彼女は道のスミの石垣によりそうように歩きはじめた。俊介は下駄をつっかけて時子のそばにしばらく寄り添って歩き、その腕をとって連れもどした。
 夕食の最中に良一は、あの人はどうした、といった。今夜も遊びにくるはずだったことを俊介は知った。時子はいった。
「彼は母さんに悪いことをしたので、もう家にはこさせないことにしたの」
「ふうん! どんなことをしたんだい」
 と良一がいった。
「母さんのことで悪いこといったのよ。ありもしないことをいいふらしたり、悪口いったのよ。そんなやつは家へはこさせないのが、母さんの方針なのよ」
「いつ、そういったんだい、お母さんと映画にいったんだろう。あのあと?」
「くわしいことはどうでもいいのよ」
「じゃ、おとというちへ泊って、きのう映画に行って、そのあとだな」
 と良一がいった。
「僕のベッドに寝かせてやってサービスしてやったのになあ」
「だから私はアメリカ人というのはきらいなのよ」
 とノリ子がいった。
「さあ、その話はそれでおしまい!」
 と俊介は精一杯くだけたつもりで叫んだ。


今回は「抱擁家族」の話から離れるのだが、「抱擁家族」の三十年後の物語として、小島信夫は「うるわしき日々」という小説を書いた。

これは1996年9月11日より翌97年4月9日まで読売新聞に連載された長編小説で、大庭みな子の説得で書き始められたという。

今この作品(「うるわしき日々」)を読み返していると、ここに出てくる良一とノリ子についても思いを馳せずにはおれない。

そこまで感慨深くならざるを得ないのは、家族構成と年恰好が自分の家庭とダブるからだと思う。自分は小島信夫が「抱擁家族」を書いた年齢に近く、息子と娘も同じくらいの年だ。その三十年後が一体どういうことになっているのか、を考えながら読むと・・・

「うるわしき日々」は「抱擁家族」と比肩する名作だと思うが、知名度と評価がその価値に伴っていないのが残念に思う。

むしろ超高齢化社会を迎えた今の日本にとってアクチュアリティがあるのは「うるわしき日々」の方だと思うのだが・・・。
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2021/7/30 | 投稿者: pdo

去年は「Begin Again Korea」という韓国の歌番組がお気に入りだったが、今年も同じような趣向で「Sea of Hope」という番組をやっている。

今回はミュージシャンたちが集まって海の家を運営するというような設定で、昨年に引き続き透明な歌声に惚れ惚れするAKMU(楽童ミュージシャン)のスヒョンが出ている。しかしなんといっても今年の目玉は、シャイニーのOnew(オニュ)とブラックピンクのRose(ロゼ)が出演していることだ。

そしてロゼの歌うカバー曲が素晴らしい。

こんなに歌がうまくて、きれいでかわいくて、演奏も出来て、しかもブラックピンクだというのは、世の中どうなっているのだろう。

でもくやんでもしかたないからね。




The Only Exception / Paramore


幼い頃に見たの

お父さんが風に向って

呪いの言葉を叫んでいるのを

心が粉々になっているのを

必死に元通りに直そうとしているのを

私は見ていた

お母さんは自分に言い聞かせていた

絶対に忘れたりしないって

私はその日、決めたの

愛の歌は決して歌わないって

もしそれが存在しないのなら


でもね

あなたは唯一の例外

あなただけは例外

あなただけは別なの

あなただけは例外なの


たぶん私は分っている

心の奥のどこかでは

愛が永遠のものではないということを

違うやり方を見つけないといけない

何ごともない顔をしながら

自分だけでやって行くために

私はずっとそうやって生きてきた

人とは快適な距離を保って

今の今まで

自分に言い聞かせてきた

私は孤独でも満足していると

だって危険を冒す価値のある愛なんてなかったから


あなただけは例外

あなただけは別なの

あなたは唯一の例外

あなただけは例外なの


私は自分がリアリティと思うものにしがみついてきた

でも、もう無理

今私の目の前にあるものを手放すことなんてできない

あなたが朝、目覚めると出て行くのは知ってる

だからせめて夢ではないことの証拠を残してほしい


あなただけは例外

あなただけは別

あなたは唯一の例外

あなただけは例外なの


私は今信じそうになっている
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2021/7/29 | 投稿者: pdo

ブックオフで

『TWICE 9人のストーリー』 (ジェイミー ヒール著、ハーパーコリンズ・ノンフィクション)

『ヒップホップコリア: 韓国語ラップ読本』(鳥居咲子著、ヒップホップグローバル)


を買う。

どちらも110円とかではなくほとんど定価に近い値段だったが、「ヒップホップコリア」の方は図書館で読み、前から入手したい本だったので迷わず買った。

TWICEの本は、ぶっちゃけネットを見ればわかる情報をまとめただけのものともいえるが、著者がイギリス人というのに興味をもった。

以前TWICEの所属事務所JYPの代表JYパークの本を買って読んだが、本の大半がキリスト教の教義問答で占められており、読みたかった内容がほとんど含まれていなかった。

僕がTWICEについて書かれた本を読みたいと思うのは、例えばナヨンが練習生時代に毎日学校が終わってからぶっ続けで4,5時間練習して真夜中に終わると真っ直ぐ寮に帰って倒れるように眠るだけの生活を続けていて、ときどき練習を途中で抜け出して自転車で近くの公園まで走ってジャージ姿でぼんやりベンチに何時間も座っていたとか、サナが突然夜中に大声で泣きだしてびっくりしたモモが声を掛けたら夢の中で泣いていたとか、やはりサナが夜中に風呂に入ったまま出てこないのを心配したナヨンが中をのぞくと風呂に漬かりながら眠っていてあやうく溺死しそうになっていたのを必死で引っ張り上げて蘇生させたとか、ファンなら誰でも知っているようなエピソードよりも、例えば村上春樹がスタン・ゲッツについて語るときのような、沢木耕太郎がフレイジャーについて語るときのような、菊地成孔が格闘技について語るときのような、吉田豪が地下から地上へ売り出し中のアイドルについて語るときのような、ひとつのクールな情熱が感じられるようなものが読みたい。

KPOPオタやTWICEオタは沢山いるのだが、ファンの思い入れという部分が特に日本ではかつてのAKB(あるいは今のハロプロ?)ほどに伝わってこない、というか思いはあるのだろうがそれを文章などの形で表現したものがあまり見当たらない(妄想系は除く)のがちょっと残念である。

完成されすぎていてツッコミどころがないというのも一つの原因な気がするが、TWICEについては、特にミサモについてはけっこうある気がするし、〈TWICE後〉の動きも含めて興味深い気がするのだけど。
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2021/7/28 | 投稿者: pdo

2020年東京オリンピックの開会式は、いろんなケチがつくまくって事前の話題に事欠かなかったが、フタをあけてみると、僕の嫌いなビートたけしの意見にほとんど同意せざるを得ないようななんとも「トホホ」なものだったというのが個人的印象(仮にたけしに任せたところで似たような寒いものになったことは容易に想像できるのだが)。

中でも芸人を使った途中の小芝居みたいなのがことごとくスベっていて、正直見るに堪えなかった。もちろん一生懸命演じたり踊ったりした演者の人たちや裏方の人たちへの悪意は一切無い。

悪意があるとすれば、「サブカル」をジャパンクールと勘違いして場違いなキャスティングをした、どこぞの広告会社絡みの連中に対してである。小山田圭吾や小林賢太郎よりも、彼らに発注した運営委の担当者たちとその上司の責任者の方が責められるべきだろう。小山田はオリンピックの仕事には乗り気ではなかったとマネージャーが言っていた。だからといって結局受けたんだから、そして案の定こんなことになったんだから、当然彼自身も無過失では無い。

しかし、戦争犯罪人のような扱いを受けて吊るしあげられ、猛烈なネットリンチに晒されている小山田圭吾とは違って、組織内の人間は顔が見えないため明確な攻撃対象なることも無い。

加えて、20年以上の若手時代のコントでの一言で社会的に抹殺された小林賢太郎とは違って、数年前にナチス賛美発言をしている麻生太郎は刑事処分どころかなんらネットバッシングの対象になることも無い。

真の攻撃対象はそちらであるべきだと思うが、大衆は手っ取り早いストレスのはけ口として水に落ちた犬を叩くことにしか目が行か無い。

結局絶望以外になにもないので(もはや絶望すらしないが)黙々と小島信夫を読んでいるしか仕方が無い。

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2021/7/26 | 投稿者: pdo

「お前は、この三カ月というものは、計画的に事をはこんだのだ、あの男を家に入れたのもそのためだ。お前のたった一つの取り柄は正直なことだとおれは思っていた」
 俊介は感傷的になった。
「その一つをお前は捨てたのだよ」
「計画的ってことはないって」
「みちよがそういった」
「あんた、バカね」溜息を洩らすようにいった。「ほんとにしようがない人ね」
「みちよはその様子が前からあったのだが、おれもその様子に気がついているものと思っていたといった」
「ちがうわよ。そんなことないって」
「お前は黙っていたよ。黙ってこれからも続けようと思っていた。そうだろう? それでいて、さっきもおれにスカートを選ばせたり出来るんだからな」
「あんたがみちよの前でそんなこといえば、みちよがいったことがちがっていないことを証明するようなもんじゃないのよう」
「何だって」
「そうじゃないの、あんたとみちよの二人がそういえば、私がほんとにそうだったということになるじゃないの。そうなったときには、バカを見るのはあんたよ。妻にそのことをさせるのは、妻が夫に対して不満のためということになるでしょ。ほんとに見っともないったらありゃしないわよ」
「そうか」
 と俊介は心の中で呟いた。
「あんたは自分を台なしにしてしまったのよ。私はいつか折をみて話そうと思っていたのよ。それなのに、ほんとにあんたっていう人といっしょにいると、あんなことが起こったり、こんなことが起ったりするう!」



この場面は、なんといっても最後の

「それなのに、ほんとにあんたっていう人といっしょにいると、あんなことが起こったり、こんなことが起ったりするう!」

というセリフが、あまりにも強烈である。

同時期に書かれた島尾敏雄の私小説「死の棘」(このブログにも感想文を書いた)のミホも強烈な女性だが、この時子ほど〈女くさく〉はない。

「抱擁家族」の最大の魅力の一つが、この時子の描き方にある。

男から見れば、「女の他者性」が見事に描かれているということになるが、女から見れば、どうなるのだろう。大庭みな子や瀬戸内晴美は、時子の描かれ方に激しく共感し、ほとんどシットしているといっていいくらいである。

俊介は時子を愛していたのだろうか。「馬」という「抱擁家族」の前に書かれた短編(村上春樹が「短編小説案内」の中で取り上げている)にも、トキ子という妻が出てくる。主人公はトキ子が愛しくてならず、勝手に家の敷地に二階建ての馬小屋を建てられていても、トキ子の顔をみるとぽうっとなってしまって、何も言えなくなる。

俊介も、時子がジョージと密通していたのを知って、ソファに引き倒したりするが、「あんた、バカね」「ほんとにしようがない人ね」と反撃されて、内心「そうか」と呟いたりしている。

小島信夫が「抱擁家族」のあとに書いた短編「よもつひらさか」は、著者によれば「死んだ妻が坂をのぼってたずねてくる」話であるが、その中で夫は妻にこんなふうにいう。

「ぼくは、お前がいったように、たしかに愛し方が足りなかったのだよ。そのことに気がついた。すぐ気がついた。そのことばかり考えてきたのさ」

時子が「あんた、バカね」というのは、夫であるあなたがそんなに取り乱して、みちよのいうことを鵜呑みにして、そんな振舞い方をすると、まるで妻である私があなたに不満があったことを認めているようなものじゃないの、それはみっともないことだ、というのである。

この理屈を苦し紛れのものと取るか、俊介に対する何らかの愛情の表現と取るか、どちらでもあるといえばそのようにも思えるし、この後けっきょく、この二人は、喧嘩して互いにぶつくさ言い合いながらも、最期まで(少なくとも夫の方は)惹かれ合っていくことになるのだ。

「死の棘」のミホとトシオは、最期まで互いに惹かれ合っていたといえるだろうか。もちろんいえると思うのだが、小説を読み返す度に、俊介と時子もそんな気がしている。
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