2021/5/6 | 投稿者: pdo

連休中は川崎長太郎をひたすら読み続けた。こういう時に図書館は便利である。去年とは違い、緊急事態宣言が出ても図書館が閉館にならなかったのはありがたい。おかげで川崎長太郎の小説のうち読めるものを粗方読むことができた。彼の私小説になぜこんなに惹きつけられるのか自分でもよく分からないが、澁澤龍彦のいう「超低空飛行のダンディズム」の魅力だろうか。つげ義春が書いているような、いじけた薄汚い作家というイメージではなく、千代子夫人との結婚も決して野良犬の野合のようなことではない。彼の小説に対する姿勢には、志賀直哉を思わせる毅然としたものを感じるし、その文章には気品が漂い、自己を見つめる透徹した眼差しが宿っているから、魔窟のことを書いても決して堕落した通俗小説にはならない。志賀直哉との違いは、川崎長太郎は資産家の生まれではなく、小説で生計を立てるのが困難であったという点である。戦前は貧苦にあえいだが、戦後「抹香町」ものがブームとなり、一躍注目された。彼の小説を読んで小田原の実家にある彼の物置小屋の寓居を訪ねてくる女性たちも後を絶たなかったらしく、そのいちいちが私小説の題材となっている(西村賢太も芥川賞を取った後には近寄ってくる女性たちがいたはずなので、ネタになるはずなのだが、なぜ書かないのだろう)。

講談社文芸文庫には主だった作品が概ね収められているのだが、その中に含まれていない、筑摩書房の現代日本文学体系49(葛西善三やら嘉村磯多やらと共に編集されているアンソロジー)に収録されている『漂流』というのが気に入って、図書館でコピーまで取った。芸者や娼婦との関係を描いたものとは別に、彼の寓居を訪ねてきた女性たちを描いた「人妻もの」が一番好きかもしれない。講談社文芸文庫には折角なのでそのアンソロジーも出してほしいところである。翻って長太郎が六十過ぎて結婚した三十過ぎの後家千代子夫人は清潔なイメージのみあるのは作家の意図的な創造であろうか。確かに実際そういう人だとも思うのだが。2013年に夫人が書いた文章が「老境小説集」の巻末に収められているが、今もお元気であろうか。

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タグ: 川崎長太郎




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